STI Hz Vol.11, No.3, Part.7:(ほらいずん)社会における研究者のウェルビーイング向上のための 多元的指標体系の構築STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00413
  • 公開日: 2025.09.25
  • 著者: 酒井 朋子
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.11, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
社会における研究者のウェルビーイング向上のための多元的指標体系の構築

科学技術予測・政策基盤調査研究センター/データ解析政策研究室 主任研究官 酒井 朋子

概 要

本稿では、2025年4月から科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の探索プロジェクトとして開始した「社会における研究者のウェルビーイング向上のための多元的指標体系の構築」について紹介する。本研究は、2024年度のNISTEP共創ワークショップおよびNISTEP公開シンポジウムにおける研究現場の声を出発点とし、従来の論文数や被引用数中心の画一的評価から脱却して、研究者の多様な価値観と幸福の在り方を反映した新しい指標体系の構築を目指している。

本プロジェクトでは「ウェルビーイング神経政策科学研究会」を設立し、ウェルビーイング学、メンタルヘルス、神経科学、数理科学、統計学、予測科学、政策科学の知見を統合した包括的な多元的指標システムを開発する。研究者や研究組織が自身の幸福の価値観や目標に基づいて行動指標を自律的に選択できる仕組みをデザインすることで、分野、キャリア、ライフステージに対応した多元的指標プラットフォームを構築する。最終的には、我が国の研究者のウェルビーイングと研究力向上のためのエビデンスを提供し、個人レベルから国レベルまでの研究エコシステム全体の質的変革を同時に実現する新たな政策科学のアプローチを提案する。

キーワード:ウェルビーイング,科学技術指標,研究力,神経政策科学,多元的指標体系

序説:研究現場からの声に耳を傾けて

「論文の被引用数が少ないから、私の研究に価値はないのでしょうか?」

2024年度に科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が実施した共創ワークショップでのこの問いかけが、本研究の出発点となった。この疑問は、現在の研究評価における指標利用が抱える本質的課題を表している。研究者一人ひとりが異なる価値観と目標を持ちながら、限定的な指標で評価される現状への問題提起である。

この状況を改善するため、私たちは研究者の幸福に着目した新たな評価指標の開発に取り組むことを目指した。

第1章:研究現場で起きていること

多様なステークホルダーたちとの対話

2024年度の共創ワークショップおよびNISTEP公開オンラインシンポジウム「研究力再考:次の20年を見据えた研究力を育む土壌」1)では、数学、工学、分子生物学、発生学、博物学といった多分野の研究者、URA(University Research Administrator:大学研究マネジメント人材)、FA(Funding Agency:資金配分機関職員)、政策立案者が「皆が対等に主役」という理念のもとで対話を重ねた。

この対話で明らかになったのは、従来認識されてきた「表出している価値」(新規性・創造性、社会実装力、成果の発信力)だけでなく、「表出していない価値」の重要性であった。参加した工学研究者からは、「失敗した実験にこそ、次の発見への重要な手掛かりが隠されている。しかし、現在の評価システムでは、この価値が十分に認められない」という声があがった。

国際的な取組との共通点

この問題意識は国際的にも共有されている。2012年のサンフランシスコ宣言(DORA)2)以来、世界各地で研究評価改革の取組が進んでいる。責任ある研究評価(RRA)34)、2021年のユネスコオープンサイエンス勧告5)、2024年のバルセロナ宣言67)といった国際的動向に共通するキーワードは、多元性・包摂性、自由性・自律性、オープン性・信頼性、協調性、持続可能性である。注目すべきは、これらの取組がすべて研究者、政策立案者、URA専門職、FA専門職といった多様なステークホルダーとの協働対話を通じて進められていることである。

海外で活躍する日本人研究者からの示唆

2024年度のNISTEP公開シンポジウムにおいて、マサチューセッツ工科大学の山下由起子教授は、研究評価を「外的評価システム」と「内的評価システム」に分類し、「内的評価システム」の重要性を強調した。

山下教授によると、論文のインパクトファクターや研究費獲得額などの外的評価は、研究者個人では制御が困難である一方で、研究者自身が本質的に重要であると考える問いに対する探究心や満足度といった内的評価は、研究者自身が制御可能な要素であるという。

山下教授はまた、「この観点は、多くのノーベル賞受賞者の事例によっても支持されている。」とも指摘した。彼らの多くは、外的評価よりも内発的動機を重視し、自身の好奇心に従って研究を続けた結果、重要な発見に至っている89)

第2章:ウェルビーイング学から紐解く研究力の本質

幸福研究の歴史的展開

山下教授が提起した「内的評価システム」の概念は、従来の研究評価における重要な課題を浮き彫りにしている。論文数や被引用数、研究費獲得額といった客観的指標による外的評価は確かに研究活動の一側面を測定する上で有用である。しかし、研究者の探究心、満足度、研究への情熱、創造的思考プロセスといった主観的指標も、研究力の本質的な要素として同等に重要である。

特に注目すべきは、これらの主観的指標が研究者自身によって制御可能な要素であるという点である。外的評価は研究者個人では制御が困難な一方で、内発的動機や研究に対する充実感は、研究者自身の意識や取り組み方によって向上させることができる。真の研究力向上を目指すためには、客観的指標による外的評価と主観的指標による内的評価の両輪が機能する評価システムの構築が不可欠である。

しかし、このような内発的動機や主観的充実感を適切に理解し、評価システムに組み込むためには、これらがどのような性質を持ち、どのように測定・評価できるのかを明らかにする必要がある。この問いに答える重要な手掛かりとなるのが、人間のウェルビーイングを科学的に探究してきたウェルビーイング学の知見である。研究者のウェルビーイングと研究力の関係を理解するため、ウェルビーイングの発展について整理する。

まずウェルビーイングの定義について整理する。ウェルビーイングは、心理的・主観的幸福感と客観的な生活の質の両方を包含する多面的な概念である。単に「病気でない」「問題がない」という消極的な状態ではなく、人間が持つ潜在能力を発揮し、充実した人生を送っている積極的な状態を表す。この概念の源流は、古代ギリシャのアリストテレスが『ニコマコス倫理学』で提唱した「ユーダイモニア(eudaimonia)(人間的繁栄)」の概念10)にあり、「ヘドニア(hedonia)(快楽)」とは区別される重要な概念である。

ヘドニアが一時的な感覚的快楽や感情的満足を指すのに対し、ユーダイモニアは人生全体を通じた意味ある活動による充実感を重視する包括的な人間の繁栄状態を指していた。この古典的二分法は現在のウェルビーイングにも継承されている11)

現代ポジティブ心理学の創始者、マーティン・セリグマンは、1970年代の「学習性無力感」研究から発展させて、1998年に「ポジティブ心理学」を提唱した8)。彼が注目したのは、困難な環境でも「あきらめない人々」が存在するという事実であった。この発見が、従来の「マイナスからゼロへの回復」から「ゼロ近辺の健常な心理状態をプラスに高める」新しい分野を開拓するきっかけとなった。セリグマンは2011年、持続的なウェルビーイングを構成する要素として「PERMA理論」(Positive Emotion[ポジティブ感情]、Engagement[エンゲージメント]、Relationships[人間関係]、Meaning[意味・意義]、Accomplishment[達成])を提示し、これらの多面的要素の相互作用によってウェルビーイングが形成されることを明らかにした12)。このように、ウェルビーイングとは、一時的な快楽にとどまらず、個人の価値観に基づいた意味ある活動への取組と、その結果として得られる持続的な充実感や人間的成長を包含する概念として定義される。

日本のウェルビーイング学から見えること13)

慶應義塾大学の前野隆司名誉教授(現職 武蔵野大学 教授)の研究によると、幸せな社員は不幸せな社員よりも生産性が31%高いことが報告されている13)。この事実は、研究者においても同様の効果が期待できることを示している。

前野教授が日本人を対象とした大規模な主観的幸福に関するアンケート調査結果をもとに因子分析手法を用いて導き出した「幸せの4つの因子」14)は、研究者においても同様の効果を持つ可能性がある:

  • 「やってみよう因子(自己実現と成長)」
  • 「ありがとう因子(つながりと感謝)」
  • 「なんとかなる因子(前向きと楽観)」
  • 「ありのままに因子(独立と自分らしさ)」

これらの因子は、研究活動における創造性発揮、協働関係の構築、困難への対処、自律的な研究推進といった要素と密接に関連しており、研究者のウェルビーイング向上が研究力向上に直結する可能性を示唆している。

政策レベルでの展開

この社会全般においてウェルビーイングを重視するという流れは政策レベルでも進展している。経済協力開発機構(OECD)Better Life Index(2011年~)15)は、GDPでは捉えきれない生活の質を測定する包括的指標として開発された。同指標は現在の幸福を形成する11領域と将来の幸福を支える持続可能性に関連する指標群から構成されている。

この理論的基盤となったのが、世界保健機関(WHO)憲章(1946年)における健康の定義16)である。WHOは健康を「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)」と定義し、従来の疾病概念を超越した多面的な繁栄状態を提示した。

日本では、科学技術・イノベーション政策の基本方針を示す第6期科学技術・イノベーション基本計画(2021年3月閣議決定)において「一人ひとりの多様な幸せ(well-being)が実現できる社会」の構築が掲げられ、Society 5.0の実現を通じたウェルビーイングの向上が国家戦略として位置づけられた17)

さらに、文部科学省の第4期教育振興基本計画(2023年6月閣議決定)でも「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が主要コンセプトの一つとして採用され、獲得的要素(自己実現・自己肯定感)と協調的要素(つながり・社会貢献)を調和的・一体的に育む理論的アプローチが提示されている18)

第3章:ウェルビーイングと研究力の関係性

科学的根拠に基づく理解

研究者のウェルビーイングが持続的な研究力向上に寄与することが、3つの科学的観点から示唆されている。

第一に、創造性発現の心理学的条件として、持続的な創造性の発現には心理的安全性、自律性、自己肯定感という基本的心理欲求の充足が重要であることが自己決定理論19)やフレドリクソンの拡張-構築理論20)によって示されている。

第二に、協働効果の社会心理学的基盤として、ウェルビーイングが高い状態にある個人は他者との建設的な関係構築能力、共感的理解、協力的行動傾向が向上することが報告されており21)、研究力向上に必要な分野横断的協働や世代間知識継承の促進に寄与する可能性がある。

第三に、持続可能性の組織行動学的観点から、個人のウェルビーイングが組織全体のレジリエンス、適応性、持続的発展能力に正の関係を示すことがポジティブ組織行動論22)やキーズの完全状態モデル23)などの先行研究で報告されている。

評価指標の課題と新たな視点

現在の研究者評価システムの課題は、論文の被引用数、競争的資金の獲得額、職位の昇進など、他者との比較による相対的な優位性を示す指標を中心とした評価体系となっていることである。経済学では、このような他者との比較によってのみ価値が決まる財を「地位財(positional goods)」と呼ぶ。地位財は研究者に動機を与える重要な要素である一方、持続的な充実感の維持には限界があることがヘドニック・トレッドミル理論で指摘されている24)

山下教授が提起した「外的評価システム」は、正にこの地位財的な性格を持つ指標群に該当する。研究者個人では制御が困難であり、他者や外部環境との相対的関係によって決定される特徴を持っている。

これに対し、知的好奇心の充足、深い洞察の獲得、質の高い人間関係といった「非地位財(non-positional goods)」は、他者との比較に依存しない内在的価値を持ち、持続的な充実感と創造性の発揮につながる重要な要素である25)。当研究は、この「非地位財」を適切に評価できる指標システムの構築を目指している。これらは山下教授が重視した「内的評価システム」と本質的に同じ概念であり、研究者自身が制御可能で、内発的動機に基づく評価要素として位置づけられる。

当研究は、この「非地位財」的性格を持つ内的評価要素も適切に評価できる指標体系の構築を目指す。

第4章:研究者フラリッシング指標の理論的枠組み

フラリッシング概念の理論的定義

本研究のもう一つの中核となるのが、ハーバード大学公衆衛生大学院で疫学・統計学を専門とし、ポジティブ心理学や幸福研究の分野でも著名な業績を持つヴァンダーウィール教授らが提唱した「ヒューマン・フラリッシング」理論26)である。フラリッシングとは、単なる「幸せである」状態を超えて、「生活のあらゆる側面が良好であり、その人が生きる環境も含めて持続的に繁栄している状態」を指す。これは従来の「一時的な幸福感」を包含しつつ、それを大きく上回る包括的な人間の繁栄状態である。

例えば、研究者の場合、論文が採択されたときの喜びは一時的な幸福感であるが、研究活動を通じて自分自身が成長し、社会に貢献し、豊かな人間関係を築いている状態が「フラリッシング」に相当する。

研究者の多様な幸福観

研究に従事する者の幸福観は、その専門分野(自然科学、人文学、社会科学など)、研究アプローチ、個人的価値観によって極めて多様性に富んでいる。筆者らの観察と既存研究の知見を踏まえると、研究者が抱く幸福・充実感には以下のような多様な観点がありうる:

  • 知的探究への情熱:純粋な知的好奇心を満たすこと、未知の現象や概念を解明することに深い喜びを感じる
  • 社会貢献への充実感:研究成果が実際に社会の役に立つこと、人々の生活向上に寄与することに意義を見出す
  • 理論構築への満足感:複雑な現象を整理し、新しい理論的枠組みを構築する知的作業そのものに達成感を得る
  • 実証研究への達成感:仮説を精密に検証し、確実なデータや証拠を積み重ねることに充実感を覚える
  • 学際的統合への意義感:異なる分野の知見を組み合わせ、従来にない視点で課題に取り組むことに価値を感じる
  • 文化的継承への使命感:人文学的知見や文化的遺産を次世代に継承し、発展させることに深い意味を見出す
  • 批判的思考への喜び:既存の理論や社会制度を批判的に検討し、より良い理解や制度設計に貢献することに充実感を感じる
ライフステージに応じた幸福要素の変化

研究者の幸福を構成する要素は、人生の段階によっても変化すると考えられる。発達心理学における一般的なライフステージ理論27)を研究者に適用すると、以下のような特徴が想定される。

若年期(20代~30代前半):「自分は何に向いているのか」という自己発見と、研究スキルの習得による能力開発が重要な幸福源となると推測される。中年期(30代後半~50代)では、自分の専門分野での地位確立と、研究と家庭生活の両立というワークライフバランスが中心課題となる可能性が高い。後期(60代以降)では、これまで蓄積した知識や経験を後進に伝える知識継承と、自分の研究人生全体を振り返る人生の意味統合が重要になると考える。

この多様性こそが、「論文の被引用数」や「獲得研究費」といった画一的な指標では、研究者一人ひとりの真の価値や充実感を測ることができない根本的な理由である。

「参加型指標設計」の理論的基盤

この認識に基づき、当プロジェクトでは「参加型指標設計」という理論的・実践的アプローチを提案する。この概念は、従来の「一律的な基準で評価される」システムから「研究者が自身の価値観に基づいて評価軸を選択できる」システムへの根本的な転換を意味している。

本アプローチは研究活動の専門性と多様性を重視し、研究者コミュニティを中心とした参加型設計に焦点を当てている。将来的には市民・社会の声を反映する仕組みの構築も視野に入れているが、まずは研究者の多様な価値観を適切に反映できる指標システムの確立を目指している。

「参加型指標設計」は3つの理論的柱から構成される:

  • 1. 多元的価値体系の社会的承認:研究政策立案者や評価機関が、異なる価値や目的を持つ研究者がそれぞれ固有の価値を実現できる複数の評価軸の並行存在を制度的に認める
  • 2. 評価主権の転換:従来の「評価される客体」から「評価基準を選択する主体」への研究者の立場変化を図る
  • 3. 多様なステークホルダーの参加:指標の開発・検証・改善プロセスに研究者、URA専門職、FA専門職、政策立案者が協働で参画する制度的枠組みを構築する

この理論的・実践的アプローチの意義は、冒頭のシンポジウムで山下教授が強調した「内的評価システム」の概念と本質的に合致している点にある。研究者が制御可能な内的評価(探究心、満足度、使命感)を重視し、これを測定・向上させる指標システムを研究者自身が選択できることで、持続的な研究力向上が期待される。すなわち、「参加型指標設計」は単なる評価手法の多様化ではなく、研究者の内発的動機を最大化するための理論的基盤である。

第5章:研究者フラリッシング5次元指標の開発

包括的な5次元指標システム

私たちは、前野名誉教授らの「幸せの4つの因子」やヴァンダーウィール教授らの「ヒューマン・フラリッシング」理論を基盤として、研究者のフラリッシングを測定する包括的な5次元指標システムを提案する28)

  • 第一次元「研究に対する主観的ウェルビーイング」 研究活動を通じて得られる内的満足感と充実感を評価する。個人的成長志向、社会貢献志向、感情的充実の3側面から構成される。
  • 第二次元「身体的健康・メンタルヘルス」 研究活動の基盤となる心身の健康状態を測定する。身体的健康と精神的健康を評価し、将来的には心拍変動等の生理測定との統合も検討している。
  • 第三次元「研究への使命感・目的意識」 研究者としてのアイデンティティと方向性を測定する。研究使命感、キャリア目標、分野への貢献の3要素を評価する。
  • 第四次元「学術的誠実性・協働性」 研究者としての倫理的基盤と関係性を評価する。研究倫理、協働姿勢、成長志向を含む。
  • 第五次元「研究共同体との結びつき・支援体制」 研究者を取り巻く社会的環境を測定する。メンタリング関係、研究コミュニティ、社会的支援が含まれる。

第6章:多元的指標プラットフォームの構想

多様性に対応する選択可能システム

学術情報の多元的評価を目指すオープンアクセス学術データベースOpenAlexの創設者であるジェイソン・プリーム氏が提唱したAltmetrics(オルトメトリクス:従来の引用指標に代わる多様な学術的影響力測定指標の概念2930))を参考に、当プロジェクトでは研究者・研究組織の多様な価値観に対応した指標群から適切な組み合わせを選択できるシステムを構想している。

この構想は、日本が主導するISO 25554「ウェルビーイング指標ガイドライン」の策定31)とも関連している。同国際規格が提示する「参加型指標設計」の概念は、当プロジェクトが提案する「参加型指標設計」と本質的に合致しており、研究者フラリッシング指標システムの国際展開可能性を示している。

例えば、このシステムでは、分野特性とライフステージに対応した指標セットを検討する:

  • 理論系研究者向け:抽象思考と意味・目的の統合、独創性と人格的成長の調和を重視
  • 実験系研究者向け:実証性達成と主観的満足、技術精密性と協働関係の調和を重視
  • 学際研究者向け:統合思考と意味・目的、境界横断と社会的関係の調和を重視

終章:新たな研究文化の育成に向けて

期待される変化のインパクト

本調査研究が実現する変化のインパクトは広範囲にわたる。「ヒューマン・フラリッシング」理論に基づく多元的指標により、研究者一人ひとりの異なる幸福観に対応した指標システムが構築され、研究評価の多様化を通じて研究者のフラリッシング状態の実現が支援される。

また、研究者・研究組織による自律的指標選択を可能にする技術的・制度的基盤の構築により、個人・組織の価値観に応じた指標基準の選択が実現される。

現代の知識基盤社会への貢献

本研究は、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代における新たな研究政策のための科学的アプローチを提案するものである。従来の画一的な指標システムから、研究者の多様な価値観と幸福観を尊重した参加型の指標システムへの転換は、評価手法の改善を超えた本質的な変化を意味している。

研究者のフラリッシングと研究力の向上を両立する指標システムの構築により、持続可能で発展的な研究文化の育成を図り、最終的には社会課題の解決と地球全体の幸福に寄与する21世紀の知識基盤社会の実現に貢献することを目指している。

持続可能な研究エコシステムの構築に向けて

冒頭で紹介した中堅研究者の疑問―「論文の被引用数が少ないから、私の研究に価値はないのでしょうか?」に対して、私は今、より良い答えを提供できると考える。

「あなたの研究の価値は、被引用数だけでは測れない。あなたが研究を通じて感じる充実感、社会への貢献、知的成長、そして人間としての開花―これらすべてが研究の価値である」

この取組は、研究評価の発展における新たな可能性を開くとともに、研究者一人ひとりが自らの価値観に基づいて主体的に研究活動に取り組める環境・文化の構築に向けた重要な一歩となる。研究者のフラリッシングを通じて実現される新たな研究文化が、人類の知識創造と社会発展に寄与する未来への道筋を示していると考える。

参考文献・資料

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