STI Hz Vol.8, No.4, Part.6:(ほらいずん)躍進するインドの科学技術と日印協力の進展STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00313
  • 公開日: 2022.12.20
  • 著者: 栗原 潔
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.8, No.4
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
躍進するインドの科学技術と日印協力の進展

内閣官房 健康・医療戦略室/内閣府 健康・医療戦略推進事務局 参事官補佐 栗原 潔
(前在インド日本国大使館 科学技術担当一等書記官)

概 要

2022年9月、故安倍晋三元首相の国葬議が行われ、主要国のトップとしていち早く参列を表明し実際に来日したのがインドのナレンドラ・モディ首相であった。安倍元首相の訃報に接したモディ首相は長文の手記を発表、インド全土には半旗が掲げられ国を挙げて喪に服され、岸田首相との首脳会談においては感極まる場面もあった。2019年末に当時の安倍首相はインドのアッサム州グワハティ及びマニプール州インパールを訪れる予定であったが現地の治安悪化により日程は延期となり、その後の2020年の新型コロナウイルスパンデミック発生と安倍首相の退任により、ついに再訪印しての首脳会談は実現しなかった。筆者はこの訪印予定の際の日印首脳会談の準備を含め、2017年7月から2021年8月まで文部科学省大臣官房国際課課長補佐・科学技術学術政策局国際戦略室長補佐及び外務省在インド日本国大使館一等書記官として5か年にわたり日印の科学技術協力案件の調整に携わったが、日印二国間の科学技術協力関係の深化に安倍元首相とモディ首相の強固な信頼関係が果たした役割は大きく、首脳外交のイニシアティブの下で多くの進展がなされた科学技術協力の重点分野における取組を紹介する。

キーワード:科学技術政策,インド,日印科学技術協力,論文数,国際

1. インドの地政学的位置付けと科学技術分野での地位

2007年8月、第一次安倍政権時代にインドの国会において「2つの海の交わり」として安倍元首相により行われた演説は、「インド太平洋」の概念を世界で初めて打ち出し、FOIP「自由で開かれたインド太平洋戦略」のビジョンにつながり、海洋民主主義国家同士が連携する日米豪印のQUADの枠組みが定着しつつある。

南アジアの地域は日本人にはなじみが薄く、またともすればメルカトル図法の世界地図では比較的小さく見えてしまうが、地理的面積においてもインド亜大陸は欧州亜大陸と並ぶ規模を持っており、インド憲法に指定される24の公用語に代表されるように1つの国でありながらもその中での民族的多様性も非常に大きく、特に人口においてはEU(欧州連合)の3倍を超える14億人以上を有しており、2022年には中国を超え世界最大になったと国連において推計されている(図表1)。地理的に欧米とアジアとの間に存在し、歴史的に大英帝国による植民地支配の経験を有するインドであるが、インドにルーツを持つ米国カマラ・ハリス副大統領や英国リシ・スナク首相が就任したことをはじめ、マイクロソフトのサティア・ナデラCEO、Googleのサンダー・ピチャイCEO、IBMのアービンド・クリシュナCEO、Twitterのパラグ・アグラワル前CEO、シャネルのリーナー・ナーイルCEO、スターバックスのラクスマン・ナラシムハンCEO等の数多くのインド系移民による成功に象徴されるように、科学技術の協力関係や人材育成の面において欧米との結び付きが強くなっている。近年、日印の交流の進展が大きく、インド出身者の日本への留学生数が5年間に3倍になり、大学・研究機関間の覚書が多数締結され各分野で日印両国による共同研究の取組も行われているものの、依然として欧米諸国とりわけ米国との強い結び付きがインドにおける科学技術分野での国際協力推進のための基軸となっている(図表2)。

既にインドの購買力平価換算GDPは2011年に日本を抜いており、2029年には名目GDPでも日本を超えると予測されているが、このような近年の目覚ましい経済発展と歴史的に緊密な欧米との協力関係を基礎にしてインドの科学技術関係指標は大きな成長を見せている。最新の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術指標2022によれば、2018〜2020年の3年間での自然科学系論文数(国際共著論文において国ごとの寄与の割合を勘案して算出する分数カウント法)において日本を抜いて中米独に次ぐ世界第4位となっている(図表3)。来年の調査ではドイツを抜いて「世界第3位」の地位を不動のものにすることが予期される。そして、質の高い研究が行われていることを示すTop10%補正論文数では7位(日本は12位)、Top1%補正論文数では9位(日本は10位)と、いままで上位国の顔ぶれがほぼ変わらず大きな順位の変動も見られなかったこの10年間においてインドは大きくその地位を上昇させている。科学技術分野でのパワー・バランスは経済力や軍事力といった国力の指標に波及していく先行指標であり、成長著しいインドの今後10〜20年後の国際秩序に占める影響力のさらなる増大が予期される。

図表1 インドと欧州を同縮尺で比較図表1 インドと欧州を同縮尺で比較

出典:Google社「Google マップ、Google Earth」を用いて筆者作成

図表2 インドと他国との共著関係図表2 インドと他国との共著関係

出典:Nature INDEX India’s global collaboration network (2014)

図表3 自然科学系論文数のランキングの推移(全論文数、Top10%補正論文数、Top1%補正論文数)図表3 自然科学系論文数のランキングの推移(全論文数、Top10%補正論文数、Top1%補正論文数)

出典:科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術指標2022

2. 日印の首脳外交によるイニシアティブ

2000年8月の森首相訪印の際に構築された日印グローバルパートナーシップ構想が2001年の小泉首相とヴァジパイ首相により署名された日印共同宣言を経て、第二次安倍政権においては「日印特別戦略的グローバル・パートナーシップ」として格上げされ、我が国にとって最も重要な二国間関係の一つとされた。

日印間では両国首脳が毎年往来するシャトル外交が継続、2020年には新型コロナウイルスパンデミック発生により途絶したものの、首脳間での合意によるイニシアティブの下での協力関係が進展し、2017年9月の安倍首相訪印時に発表された日印共同宣言においては、IoT、ICT、生物化学、細胞技術、重粒子線がん治療、海洋分野、宇宙分野等における協力の重要性が強調された。2018年10月にはモディ首相が訪日、海外の首脳として初めて首相が自身の別荘に招いての夕食会も開催されたが、その際の各協力分野の中で科学技術・学術関係が最も多い9つの覚書が締結された(図表4)。

日印の科学技術協力は1985年11月に締結された日印科学技術協力協定を基礎とし、1986年9月の第一回科学技術協力合同委員会から、これまで10回にわたり継続的に開催がなされている。筆者も参加した2020年11月の合同委員会では、日本側からは外務省・内閣府・文部科学省・経済産業省・国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)・国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)・独立行政法人日本学術振興会(JSPS)・国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)・大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)・大学共同利用機関法人情報・システム研究機構国立極地研究所(NIPR)・東京大学等が、インド側からは外務省・科学技術庁・地球科学省・インド医学研究会議等の参加者が出席し、両国の科学技術・イノベーション政策についての情報が共有されるとともに各協力分野の取組の現状が確認され今後の展望が話し合われた。

図表4 2018年10月モディ首相訪日時に締結された 科学技術分野の覚書図表4 2018年10月モディ首相訪日時に締結された 科学技術分野の覚書

出典:筆者作成

3. 重点的な科学技術分野における取組

日印の協力関係は着実に進展しているものの、一方でインドから見た国際共著相手国として日本は各国に大きく劣後している。2017年〜2019年の全分野におけるインドとの国際共著関係では米英中に次ぐ4位に韓国がおり、日本はサウジアラビアに次ぐ9位となっている(図表5)。インドと中国との間での国境問題やチベット問題をめぐる緊張状態も指摘されているが、科学技術の各分野における印中の密接なつながりも見える。

ここからも、特に日本の位置が大きく他国に比して劣後している「計算機・数学」「工学」等の分野での日印間の協力にはさらなる進展の余地が大きいことが推察されるが、これらは我が国における科学技術・イノベーション政策において最も重視されているとともに、インド政府においても重点的な投資対象となっている分野でもある。

2022年6月7日に閣議決定された新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画において、「量子、AI、バイオテクノロジー・医療分野は、我が国の国益に直結する科学技術分野である」とされ、2022年10月の臨時国会における岸田首相による所信表明演説においても言及されているが、紙幅が限られている中で扱うものとして、日印両国が共に科学技術政策上で重点的に推進している「量子」「AI」の両分野に関する取組を概観したい。

図表5 インドの主要な国際共著相手国・地域図表5 インドの主要な国際共著相手国・地域

出典:科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術研究のベンチマーキング2021
3-1 量子分野

インド政府は量子科学技術の研究開発に5年間で総額800億ルピー(約1400億円)の大型予算を割り当てており、「量子科学技術計画」を策定して実施している。「量子技術は量子コンピューティング、量子通信、サイバーセキュリティなど応用分野が広い」とし、科学技術庁の計画において量子鍵配布、量子暗号、量子センシング、量子材料、量子時計が対象とされている。国防技術の点でも量子技術は重視されており、2021年にはインド国防省防衛研究所による量子化鍵配送を用いた量子暗号通信の成功も報じられた。

インド科学技術庁が主導し2018年度から実施するQuEST(Quantum Enabled Science and Technology)プログラムには、ラマン研究所、インド理科大学院(IISc)、タタ基礎研究所(TIFR)、バーバ原子力研究所、インド統計大学(ISI)、インド数理大学(IMS)、ボース研究所、インド科学教育研究大学(IISER)、インド工科大学(IIT)カンプール校、IITデリー校、IITマドラス校、IITカラグプール校、インド情報技術大学(IIIT)ハイデラバード校、国防研究開発機構、原子力庁が参画し、首席科学顧問の下にあるミッション管理委員会のマネジメントで、量子技術開発センターCentre for Development of Quantum Technology (C-DOQ)がリードする「量子技術アプリケーション国家ミッション」National Mission on Quantum Technology & Applications (NM-QTA)体制が構築されている。2020年7月28日、日本のQ-LEAP(光・量子飛躍フラッグシッププログラム)関連研究者等と、インドのQuEST関連研究者が集い、日印間で初の日印量子技術オンラインウェビナー(India-Japan Webinar on Quantum Technologies)を開催し引き続きの協力を推進している(図表6)。

なお、2022年4月20日付で新たにインド政府第4代首席科学顧問に任命されたアジェイ・K・スード博士はグラフェンやカーボンナノチューブ上に電流を発生させるスード効果の発見者であり、量子デバイスに関連する研究領域も手掛けている研究者であったが、首席科学顧問就任に当たっては「1990年代のIT革命でインドが世界を先導したように、量子科学への準備を行う」と表明している。

図表6 インドのQuESTプログラム概要図表6 インドのQuESTプログラム概要

出典:インド科学技術庁発表資料を基に筆者作成
3-2 AI分野

AIの分野ではグローバル企業のインド国内での動向が目立ち、様々なグローバル企業が豊富な人材とインド市場を志向して人工知能研究所を開設し、Google(2019年)、ソニー(2019年)、マイクロソフト(2021年)、富士通(2022年)と順次大規模な投資を行っている。また人工知能を扱うスタートアップも数多く、評価額が10億ドルを超える設立10年以内の未上場ベンチャー企業であるユニコーン企業数は、既に英国を抜いて世界第3位となっている。

インドの人工知能分野での成長が続いている端緒の一つとして、2018年、インド行政委員会(NITI Aayog)が人工知能国家戦略「AI for ALL」を策定しており、包括的な成長のためにヘルスケア・都市・輸送・教育・農業等にAIを活用することに焦点を当て、研究エコシステムの確立・AIに関連する倫理等に対処するためのテクノロジーの研究を促進することを示した。

特に、インド独自のAI研究の戦略として、

  • AI研究拠点(CORE: Centre of Research Excellence for AI)
    新しい知識の創造を通じたコア研究と技術フロンティアの推進を担う基礎研究センター。
  • 国際AIトランスフォーメーションセンター(ICTAI: International Centres for Transformational AI)
    各セクター(ヘルスケア、教育、農業、モビリティ、スマートシティ)のプレイヤーが参画し、アプリケーションベースの技術開発を行うトランスレーショナルリサーチ研究を推進。

の2層構造に、併せて、

  • AI研究分析知識同化プラットフォーム(AIRAWAT: AI Research, Analytics and knoWledge Assimilation plaTform)
    大規模電力使用に最適化されたAIコンピューティングインフラストラクチャセンターとして世界をリードする機械学習のための計算資源と低遅延広帯域ネットワークを備えるとともに、ソフトウェアスタック、フレームワーク、ライブラリ、データラベリング、データ分析、データモデルのクラウド管理を行う。ビッグデータを収集、保存、共有をする大容量記憶システムを持ち、ビッグデータのラベリング、注釈付け、匿名化、分析を実施する。

を整備している。

なお、インド政府内における本提案検討の過程においては、我が国の国立研究開発法人理化学研究所(理研)と国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)と国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)によるAI研究体制、東京大学・産総研によるAI計算資源の整備体制についても分析された結果、インドにおいても同様な体制を整備すべきであるとして提案がなされており、2019年には理化学研究所革新知能研究センターとインド工科大学ハイデラバード校による初のワークショップも開催された。

AI分野のみに特化したものではないが、ICT分野においては2017年からの科学技術振興機構SICORP事業によるICT国際共同研究拠点「IoTとモバイルビッグデータ処理のための高信頼高機能サイバーフィジカルシステムの構築」「データ科学で実現する気候変動下における持続的作物生産支援システム」「安全なIoTサイバー空間の実現」がフェーズ1事業として実施された後、継続して東京大学とIITボンベイによる国際共同研究が2026年3月末までのフェーズ2事業として継続している。あわせて、科学技術振興機構とJICAによるM2Smart: Multi Modal Smart City「マルチモーダル地域交通状況のセンシング、ネットワーキングとビッグデータ解析に基づくエネルギー低炭素社会実現を目指した新興国におけるスマートシティの構築プロジェクト」は着実な成果を上げている(図表7)。

図表7 日印SICORP・ICT国際共同研究拠点とSATREPS・M2Smartプログラム

図表7 日印SICORP・ICT国際共同研究拠点とSATREPS・M2Smartプログラム
図表7 日印SICORP・ICT国際共同研究拠点とSATREPS・M2Smartプログラム
出典:科学技術振興機構資料を引用し、筆者作成

4. おわりに

2019年12月に、当時の安倍首相はインドのアッサム州グワハティ及びマニプール州インパールを訪れる予定であったが現地の治安悪化により日程は延期となり、その後の2020年の新型コロナウイルスパンデミック発生と安倍首相の退任により、ついに実現しなかった。インパールの地には日本財団が支援する平和資料館が開館しているが、安倍首相が揮ごうされた額が館の中央に掲げられている(写真1)。

写真1 インパール平和資料館
写真1 インパール平和資料館

インパール平和資料館にある安倍首相揮ごうの「平和」の額
(筆者撮影)

1944年5月20日、インド国民軍とともにインパールを包囲した日本陸軍第33師団歩兵第214連隊(宇都宮:作間連隊)及び歩兵第215連隊(高崎:笹原連隊)の一部は、この平和資料館のある「レッドヒル」と呼ばれる2926高地まで到達したが、連合軍の火砲・戦車による激しい反撃を受け激闘の末命令によって戦線を整理し撤退、生還した者は540名中37名であったと言われている。インパール作戦そのものは無謀で悲惨な戦いであり現地にも大きな被害をもたらした。参加したインド国民軍にはインド独立につながる戦いであったと捉えられており、平和資料館近くには1994年に厚生省により建立されたインド平和記念碑とともにアジアで唯一の現地の村民が作った日本兵の慰霊碑もある。多数の方々が命を落とされたことを想い起し厳粛な気持ちとなる場所であるが、慰霊碑の脇には当時の旧日本軍の最新鋭兵器でありほぼ唯一の対戦車重兵器でもあった一式機動47ミリ対戦車砲が遺され、その砲身には「大阪砲兵工廠(こうしょう)製造」の文字が読み取れた(写真2)。終戦前日に米軍の大規模空襲によって壊滅した大阪砲兵工廠であるが、そこで培われた人材や技術は、現在のダイキン工業、クボタなどの産業機械の名だたる世界的企業の有する最新技術にもつながっている。日印関係の1ページであるインパールの地は重要な歴史的遺産であり、国交樹立70周年を迎えた日印両国の友好関係と協力関係が継続して深化していくことを願う。

写真2 現地村民による「インパール作戦戦没勇士之碑」写真2 現地村民による「インパール作戦戦没勇士之碑」

平和資料館近くにある慰霊碑の脇には旧日本軍の兵器も遺されている
(筆者撮影)