STI Hz Vol.6, No.1, Part.8:(ほらいずん)「ナイスステップな研究者」の新たなステップイェール大学経済学部 伊神 満 准教授インタビューSTI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00206
  • 公開日: 2020.03.23
  • 著者: 池田 雄哉、林 和弘
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.6, No.1
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
「ナイスステップな研究者」の新たなステップ
イェール大学経済学部 伊神 満 准教授インタビュー

聞き手:第1研究グループ 研究員 池田 雄哉
科学技術予測センター 上席研究官 林 和弘

概 要

2016年12月、当研究所は「イノベーターのジレンマ」が起こるメカニズムを世界で初めて経済学的に解明した業績を称えて、伊神満氏を「科学技術への顕著な貢献2016」(ナイスステップな研究者)に選定している1)。受賞から3年が経過した現在、同じくナイスステップな研究者で数学者の平岡裕章氏(京都大学教授)との共同研究や、経済学におけるAI研究といった話題を中心に、経済学研究の第一線で奮闘する伊神氏に近況を伺った。

キーワード:異分野共同研究,若手研究者のキャリア形成,位相的データ解析,AI

伊神 満(いがみ・みつる)イェール大学経済学部准教授。1978年東京生まれ。2012年UCLAアンダーソン経営大学院博士(Global Economics and Management)。専門は産業組織論、特に動学ゲームと技術革新の実証分析。著書に『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(日経BP社)がある。

伊神 満(いがみ・みつる)
イェール大学経済学部准教授。1978年東京生まれ。2012年UCLAアンダーソン経営大学院博士(Global Economics and Management)。専門は産業組織論、特に動学ゲームと技術革新の実証分析。著書に『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(日経BP社)がある。

新たなステップその1:「ナイスステップな研究者」が書籍化のきっかけに

- ナイスステップな研究者の受賞がきっかけで著書『イノベーターのジレンマの経済学的解明』を執筆されたと伺いました。

一般ウケも射程に入れて選んだ研究テーマだったので、受賞講演によって当初の狙いを達成できた感があります。日本語で講演する機会は皆無でしたが、実際にやってみると楽しかったので、専門家向けの論文の他にも一般向けの読み物を書いておきたいと思いました。

受賞講演には出版社の方々も参加されていて、声をかけてもらいました。そのときは時期尚早と思い断ったのですが、別の機会にも出版の誘いをいただいたので再考したのです。原稿は3か月ほどでサラッと書けて、2018年5月に刊行しました。

拙著は幸運にも週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社)が企画する「2018年のベスト経済書」で1位に選ばれるという栄誉にあずかりました。この本を広く周知できたのは、一線級の研究者でありながら一般向けの普及にも積極的な安田洋祐さん(大阪大学)による「破壊的名著」という帯紙や、全国紙で色々な方々に評してもらえたことが大きいと思います(参照:図表1)。

図表1 伊神氏の著書『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』の表紙図表1 伊神氏の著書『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』の表紙

新たなステップその2:ナイスステップな研究者との共同研究が始まる

- 最新論文『特許統計の位相的解析』2)は、同じくナイスステップな研究者の平岡裕章氏(京都大学)との共同研究です。共同研究のきっかけは何ですか。

平岡さんと私の受賞講演が同日(2017年7月28日)だったことがまさしく「ナイスなステップ」になりました。平岡さんのプレゼンは、位相的データ解析を材料科学に応用することで複雑な物質構造を抽出できる、というものでした。聴いているうちに、高次元のデータからパターンを抽出するのに汎用性の高い方法で、自分の研究にも応用できると思ったので、積極的に質問して、メールもお送りしたのです。

私が手を焼いていた「高次元のデータ」は特許統計です。特許は大まかには400くらいの技術分野に分類され、より詳細には20万以上に分かれるので、大企業が保有する特許のポートフォリオは高次元の技術空間に分布することになります。主成分分析などの従来の手法を使うと、データの次元と一緒に本来の技術空間の構造も落としてしまいかねません。位相的手法ならば単に次元を落とすだけでなく、元の高次元空間の構造も明らかにできそうだと感じました。

平岡さんとは受賞講演後もコンタクトを取り続けて、北海道や米国で議論する機会もありましたし、私が平岡さんの勤務先の京都大学まで足を運ぶことも度々ありました。2018年の夏からは、理化学研究所革新知能統合研究センター(理研AIP)で特別研究員をされているエスコラール(Emerson G. Escolar)さん3)が特許データ用にカスタマイズしたMapperアルゴリズムをPythonで実装してくれることになり、メールとスカイプも頻繁に使いながら研究を進めてきました(参照:図表2)。

図表2 位相的データ解析による特許ポートフォリオのマッピング図表2 位相的データ解析による特許ポートフォリオのマッピング

出典:Escolar et al.(2019; p.18, Figure 5)
- 特許データの構造が分かると、どのような示唆があるのでしょうか。

「企業がどこでイノベーションしているのか」が視覚的に理解できるようになります。企業がどのような技術戦略を採用しているのかが記述できれば、今後はどのような技術に投資すればよいかを考えることができます。最終的には科学技術政策や競争政策にも示唆があるでしょう。

特許統計をイノベーションの指標として用いる研究は山ほどありますが、高次元の技術空間をうまく記述する方法はありませんでした。一たび何が起こっているかが分かれば、新たな研究課題が次々と明らかになるでしょう。その意味で、この論文はもっと大きな一連の研究群の端緒となりそうです。

経済学者と数学者の共同研究の実際

- 経済学者と数学者の共同研究は珍しいと思います。経済学者と共同研究する場合と違いはありましたか。

むしろ全く違和感がなかったのが不思議です。経済学のカルチャーは数学のそれを引き継いでいる面が大きいと感じています。数学の世界でも、論文の刊行までに5年とか10年かかるのはザラだそうで、また、あくまで数学の学術誌に掲載されてナンボだそうです。価値基準のシビアさが経済学とよく似ています。それから平岡さんのお話では、やはり数学へのリスペクトのようなものがある人達とじゃないと共同研究は難しいそうです。

経済学の隣接分野は色々ありますが、逆に、余りに短期のサイクルで回っている分野との共同研究はやりにくいでしょうね。心理学とかコンピュータサイエンスやエンジニアリング系だと、細かな進展を短いペーパーに書いて、コンファレンスへの採択が業績になる分野もあるようですが。

異分野共同研究の「秘訣」

- 伊神先生は研究ごとに異なる研究者と共同されています。何か理由はあるのでしょうか。また共同研究を成功させる秘訣はありますか。

産業組織論(IO)で動学ゲームの実証という(道具立てやデータへの要求が)最もヘビーな分野を専門にしているので、新規に着手できるプロジェクトは1年に1つが精一杯です。1つのプロジェクトに長ければ5年以上かかることもザラなので、必然的にそんなに多くの共同研究をやりようがないというのが正直な理由です。

何が秘訣なのかは分かりませんが、人柄や相性を重視して共同研究者を選んでいます。5年も10年も一緒にやって苦にならない人となると、単に「優秀」なだけでは足りません。

それから、パイロット版までの段階でシビアに判定します。企画として大成する見込みのないものは容赦なくボツにするのです。初期段階でのフィルタリングが機能していれば、研究途中でポシャるという事態は少なくなるかもしれませんね。

これからの経済学研究に求められる素養

- 経済学における共同研究の重要性を教えてください。

経済学のトップランクの論文誌4)に掲載されている単著論文はかなり稀です。それはここ数年間の話ではなく、恐らく10年以上も前からの傾向です。特に実証IOではミクロ理論家、計量理論家、実証家、及び業界の専門家により各方面から集中砲火を浴びるので、全方位からの批判に応えられる態勢づくりにはチームを組んだ方が良いという事情があります。

もう1つの理由としては、好奇心や、新分野の開拓の必要性が挙げられます。仮に私が「イノベーションに関するIO研究」や「動学ゲームの実証家」としての評価を確立したとしても、それだけでは一発屋もしくは一芸屋にすぎず、研究者としての幅が狭いと判断されかねません。それでは新たな研究領域や手法にチャレンジしてうまくいくかというと、自分一人でカバーできる範囲は限られます。ですから、例えば『特許統計の位相的解析』は、平岡さんとエスコラールさんの協力なくしては実現できない研究なわけです。

AIと経済学

- AI(人工知能)に関する論文『構造推定としてのAI』5)はどのような研究ですか。

ボードゲーム用に開発されたDeep Blue、Bonanza、AlphaGoを開発するプロセスや、そこで使われた機械学習アルゴリズムと、計量経済学における動学モデルの構造推定が驚くほど似ていると感じたので、その対応関係を明らかにしたものです。

なかでも強化学習は、経済学の文脈で言いかえると、 動的計画法の近似的解法群に該当するわけですが、やり方によっては私が研究に用いている手法ともほぼ地続きなのです。そもそも関数近似やモンテカルロ法は昔からあるわけですしね。

- 研究報告を行った学会等ではどのような反応があったのでしょうか。

機械学習と計量経済学にまたがる研究分野の世界的リーダーであるスーザン・エイシーさんやヒド・インベンスさん(ともにスタンフォード大学)、ジョン・ラストさん(ジョージタウン大学)、それにトロント大学で「AIの経済学」学会を主催されている方々には、大変気に入っていただけたようです。

機械学習で注目されているトピックが実は、20年以上前から経済学のオークションやメカニズム・デザインでかなり深くまで議論されていたみたいな話はよくあるみたいです。マイクロソフト・リサーチで発表したときには、私の論文も似たような感じで受けとめた研究者がいました。

対照的にネガティブで感情的な反応もあって、それは機械学習と構造推定のどちらも余りよく理解していない経済学者からくることが多いです。「経済学とコンピュータサイエンスの手法が似ているわけがない」という先入観があるのかもしれません。

「機械学習系の手法を使用」と「新しく画期的な研究」はイコールではない

- 世界の経済学者はAIに関してどのような研究を行っているのでしょうか。

「外側」と「内側」のアプローチに分かれます。前者はAIを新技術という名のブラックボックスとみなして、労働需要や経済成長へのマクロな影響を考えます。重要なトピックですが、最終的な関心事は雇用の増減とか成長率についての単調な話になりがちなので、個人的には面白みというか知的な深みは感じません。

一方、後者はアルゴリズムの中身に立ち入って大規模なデータ分析や最適化手法を開発して、そうした新たな手法をオークションやメカニズム・デザインなどに応用して新しい知見を引き出そうというアプローチです。例えば、計量経済学者のホイットニー・ニューイーさん(マサチューセッツ工科大学)や市村英彦さん(東京大学・アリゾナ大学)は構造推定に機械学習を用いたときに生じるバイアスを除去する方法を提案されていて6)、梶哲也さん(シカゴ大学)は画像の真贋を識別するために開発されたニューラル・ネットワークの技法を応用して新しい構造推定の方法を提案されています7)

これらの他にも、経済学に限らず「ビッグデータや機械学習・AIを応用した」という宣伝文句の論文は増加しています。しかしながら、(計量経済学で長年検討されてきた)推定量のバイアスや因果関係の識別それにデータ生成過程のモデリングといった問題点を吟味せずに、単に拙劣な実証研究を新語でごまかそうとする論文も少なくありません。また、そもそも重要性の低い命題に最先端の手法を使っても、価値ある経済学的研究とはなり得ません。ですから、「機械学習系の手法を使用」と「新しく画期的な研究」はイコールではないと肝に銘じるべきです。

研究時間は確保できている?

- どのくらい研究に専念できているのでしょうか。

1.5時間を1コマとして1日の稼働時間を4コマに分けて仕事時間を管理しているのですが、ざっと計算したところ、(授業期間中は)25%から35%くらいを研究以外に割いていました。これは少し減らさないといけませんね。

まだ「若手」の立場なので、教授会のような雑用に拘束される時間はわずかです。しかしシニアに昇進するとそうした雑務も増えるので、「インビジブル・シニアになりたいなあ」と同僚達は言っています。

それから、コンサルティング案件と呼ばれるものもあります。これは企業合併やその他の経済訴訟に専門家証人として参加するもので、規制当局側と企業側のどちら側で働くこともありえます。研究対象の産業・企業に呼ばれる場合もあるので、業界知識の収集という意味では必ずしも無駄ではない「雑用」です。

研究費はインプットであってアウトプットではない

- 日本では競争的資金の獲得のために研究時間が削られているという意見もあります。研究費の獲得は大変ではありませんか。

所属先のイェール大学経済学部では年間200~300万円の研究費が支給されます。他にも、獲得すれば箔が付くようなフェローシップに応募することもありますが、研究費の獲得そのものには余計な時間をとられていません。

経済学でも大規模なフィールド実験を行う場合には数千万円以上の資金が必要となるので、米国国立科学財団(NSF)の競争的資金に応募する人もいます。しかし私の場合は、産業のヒストリカルなデータの購入に数十万円程度かかるくらいなので、それほど多額の研究資金は不要です。

これは一般論ですが、競争的資金の総額が決まっているのであれば、そのパイの奪い合いに時間を浪費するのは社会全体としてマイナスです。研究費はあくまでインプットでしかなく、アウトプットではありませんしね。

トップクラスの大学・研究機関が揃っている環境が不可欠

- 今後も米国を拠点に研究を続けられるのでしょうか。

移籍するとしてもせいぜい英国やカナダでしょうか。トップクラスの大学・研究機関が揃っている環境が不可欠です。それ以外では、優秀な共著者を見つけ難くなり、有益なフィードバックを早期にもらって論文を改良するプロセスが機能しないからです。

日本での研究環境や社会的立場に慣れてしまうと、研究に対するモチベーションが削がれてしまう気もします。それは日本人の優秀な経済学者が少ないという意味ではありません。実は、先週(インタビュー日は2019年12月19日)東京で開催された産業組織論の国際学会の合間に米国の経済学博士課程に志願している数名の大学院生と面談したのですが、いずれも優秀な方でした。私自身も東京大学大学院の修士課程で経済学を学びましたが、一線級の研究者が集う場は次世代の人材育成にも欠かせません。私が日本の大学で直接的に教育に貢献することは難しいですが、研究やその普及活動を通じて間接的に提供できるものがもしあれば、それは望外の喜びです。

左から伊神 満氏、平岡 裕章氏(京都大学)、エマーソン・エスコラール氏(理研AIP)。提供:伊神 満氏

左から伊神 満氏、平岡 裕章氏(京都大学)、エマーソン・エスコラール氏(理研AIP)。
提供:伊神 満氏

参考文献・資料

1) 選定理由の詳細については、本誌2017年秋号掲載のインタビュー記事を参照いただきたい。
https://doi.org/10.15108/stih.00102

2) Escolar, E. G., Hiraoka, Y., Igami, M., and Ozcan, Y. (2019) “Mapping Firms’ Locations in Technological Space: A Topological Analysis of Patent Statistics,” arXiv:1909.00257

3) 経歴や研究業績の詳細については、エスコラール氏のresearchmap (https://researchmap.jp/emerson-escolar/) や個人ウェブサイト (https://emerson-escolar.github.io/index.html) を参照いただきたい。

4) 経済学には「トップ5ジャーナル」と呼ばれる代表的な学術誌がある。具体的に、American Economic Review, Econometrica, Journal of Political Economy, The Quarterly Journal of Economics, The Review of Economic Studiesの5誌である。

5) Igami, M. (2018) “Artificial Intelligence as Structural Estimation: Economic Interpretations of Deep Blue, Bonanza, and AlphaGo,” arXiv:1710.10967

6) Chernozhukov, V., Escanciano, J. C., Ichimura, H., Newey, W. K., and Robins, J. M. (2018) “Locally Robust Semiparametric Estimation,” arXiv:1608.00033

7) Kaji, T., Manresa, E., and Pouliot, G. “Artificial Intelligence for Structural Estimation,” mimeo.