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- DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00387
- 公開日: 2024.12.20
- 著者: 千原 由幸、赤池 伸一、川村 真理、尾﨑 翔美
- 雑誌情報: STI Horizon, Vol.10, No.4
- 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)
特別インタビュー
総合科学技術・イノベーション会議 上山 隆大 議員インタビュー
-科学技術・イノベーション政策における課題と今後の方向性-
人工知能(AI)技術の急速な進化や新型コロナウイルス感染症の拡大、紛争による地政学的リスクの変化をはじめ、世界を取り巻く環境が大きく変化する中で、科学技術イノベーションの果たすべき役割はますます大きくなっている。我が国の科学技術政策やアカデミアは国際社会の一員として、現在どのような課題に直面しているのか。また、こうした課題を乗り越えるためのキー・エレメントは何か。今回のインタビューでは、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)上山隆大議員に、これまでの経験を通して見えた日本のイノベーションシステムの問題点やオープンサイエンスの動向、アカデミア、産業界に求められる役割等について幅広くお話を伺った。

(NISTEP撮影)
(略歴)
1958年大阪生まれ。大阪大学経済学部経済学科博士後期課程修了。スタンフォード大学歴史学部大学院修了(PhD)。上智大学経済学部教授・学部長を経て、2013年から慶應義塾大学総合政策学部教授、2015年から政策研究大学院大学教授・副学長。スタンフォード大学歴史学部・客員教授などを歴任。2016年から総合科学技術・イノベーション会議議員。
社会環境の変化と科学技術・イノベーション政策
- AIの進展、コロナ禍、地政学的環境の変化等の問題をはじめ、日本を取り巻く状況は大きく変化しました。こうした諸外国の動向も踏まえて、現在の我が国の科学技術・イノベーション政策の課題についてお考えをお聞かせください。
2016年に総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の議員として就任した当初、自分自身は科学技術政策に関心がありました。これまでアカデミアで培ってきたことを政策の面から見ることができるという意味ではいい機会だったと思います。就任してからの8年間、科学技術政策が科学技術・イノベーション政策として多くの領域に広がりをみせる中で、知識基盤型社会におけるアカデミアの役割も拡大しているのに、現実にはそうなっていないという意識のもとに様々な取り組みを行ってきました。第7期科学技術・イノベーション基本計画注1(以下「第7期基本計画」)の策定にとりかかろうとする現在の観点からすると、今後は産業政策のことまで含めて考えないと科学技術政策はもう打てないのではないかという気がしています。我が国の産業がターニングポイントを迎える中で、社会がよって立つことのできる企業の形態の形成に行政がどのように関わっていけるかを考えています。
米国では1980年代から2000年くらいまでは、最先端の技術を知的財産として技術移転を通じて産業界に提供するエンジンとしての大学という形態が、非常に成功しました。それから40年経って、もうそれはフロントラインではなくなっているという気がしています。現在の米国のアカデミアを見てみると、PhDを取った人の3分の1以上は産業界で働いていて、下手をすると優秀な人ほどアカデミアに残らないという状況が生まれています。これは、アカデミアよりもはるかに巨額の研究活動を民間の企業が行うようになっているからです。宇宙開発ですらこのような状況になっていることを考えれば、夢のある仕事をしようと思う優秀な人々が、異なるライフスタイルの中で自分のやりたい知的な活動を選択するのは当然です。このような社会になったときに、政府の研究開発投資をどう行うのか、あるいは社会とどうつなぐのかという点を考えると、科学技術政策の役割は相当変わらなければならないのではないかと感じています。ですから、今後、科学技術政策なるものを考える際には、我々が想像する以上にもっと激しく流動化している産業の在り方、社会の人々の在り方を認識しないと、幾ら公的な資金を投与した科学技術政策であっても突き刺さらないと思います。だからものすごく難しい時代に入ってきたな、という気はしています。
こうした時代に政府に求められているのは、より俯瞰的で知識オリエンテッドな科学技術政策なのではないかと思います。そういう意味で、行政の人たちに求められているのは、「無知の知」というか、「自分たちが理解できていないことがある」ということをもう少し認識するべきなのではないかと思います。日本語で科学技術というと結構タイトなイメージがありますが、英語のサイエンスやテクノロジーはもっと広い概念を含んでいる印象があります。産業や安全、防衛も全てこの領域に入ってきます。それなしに我々は生きていくことができないような、包括的な意味での科学技術を扱っているという意識が必要になってくるのではないかと思います。そういった意味で、Society 5.0という言葉が出てきたときに、大変日本的なコンセプトだと感じました。これは自分がソサエティの一部であるという認識に基づいた概念で、英語でいうコミュニタリアニズム(communitarianism)注2ですよね。それが現在は崩れ始めているのかもしれませんが、日本的なコンテクストの上で科学技術を発展させるという美しさや魅力についてはもっとアピールしてもいいと思います。信頼や安堵感といった、人間がある種、心として触れ合うものを先端技術が支えているという、ソフトパワーに基づく世界観が日本の勝ち筋ではないかと考えています。言語化するのは難しいのですが、それを第7期基本計画のビジョンとして描けたらいいなと思っています。
イノベーションを支える産業界の役割
最近の議論では、生産性の低い中小企業を潰して大規模化すれば生産性が高くなって成長するという意見もありますが、それは少し違うのではないかと思っています。むしろ大きな全体の中で、スモールアンドミディアム・エンタープライズ(中小企業)の持っている技術やポテンシャルを生かすことが社会の安定性や生産性向上にもつながると考えています。例えば大阪大学の量子コンピュータの例でいうと、そのコンポーネンツは可能な限り日本製を使用していると言われています。量子コンピュータというものの着想はハイブローの研究者が担っていたとしても、それを日本の企業が全て作れるのであれば、それは一つのパッケージです。それを外国よりも安くて信頼性の高いものとして作れれば、シンボリックに最先端技術と中小企業がつながっているパッケージとして海外に送り出すことができます。日本の勤勉な労働者と、技術の塊である製造能力をアカデミアの先端技術とつなげることができれば、日本の産業政策の転換になるだろうと思います。ですから、日本の中小企業を捉えなおすということを第7期基本計画ではしっかりやっていきたいと考えています。
研究力を支えるアカデミアのキー・エレメント
産業界との関わりという観点から言うと、もっと中小企業に対して門戸を開いた方がいいと思っています。アカデミアの人たちは、学術としての評価を受ける際の評価軸というのは気になると思うのですが、社会的インパクトという評価軸を入れた場合の理論がまだできていないという気がしています。もっとフラットにコンサルティング活動をするとか、施設や機器を広く公開するといったことも今後日本の大学に求められると思っています。
研究力に関しては、圧倒的に研究者に対する自由度の高い研究時間が与えられていないことが最大の問題だと考えています。この問題にはずっと取り組んできて、どれくらい効果が出ているか分かりませんが、政策が足りていない部分はまだあると思っています。
オープンサイエンスの潮流に対する日本の対応
オープンサイエンスの議論はムーンショット計画注3から始まりました。作られた研究データやアイディアの中で無駄になっているものがいかに多いかということが背景にありました。科学者からしてみれば、自分がやってきたことが忘れ去られるほど怖いものはないと思います。仮に失敗であっても、その中にはデータという形で残っていたり、少なくともここまでやってみたけれどこのデータで間違っていたりというものがあれば、次の人がそれを使って研究を続けたときに、何らかのクレジットをその人に与えて評価してもらえばいいわけです。オープンサイエンスの議論を始めたときに、これが失敗を許すことができる最大の根拠になる、成果に達することができなかったということの痕跡をどこかに残しておいてあげるというつもりで始めたのですが、まだ制度としてはそこまで到達していないように思います。
- オープンサイエンスはコンセプトとしてはムーンショット研究開発推進制度と相性が良かったとは思いますが、ファンディングと連動して評価するという仕組みが必要になってくると思います。
それでも基本的に研究はデータオリエンテッドになっているということはみんな知っているわけです。研究者を評価するのは、現在は論文ということになっていますが、研究者の一生の活動を考えれば、論文になる前にやってきた仕事の労力もどこかで評価しないといけない。こうした部分についての評価軸に対するコンセンサスがないことがもったいないと思います。一人の人間が考えたことにはそれなりに価値があって、そこから刺激を受けることもたくさんあります。それを評価してあげる仕組みがあれば、もっと研究にポジティブになれると思いますし、オープンサイエンスの本来の姿は、知らない人が自分の研究を見て興味を持ってくれる、評価してくれる点にあると思います。現在はそうした成功しなかった人たちへの評価が低く、ウィナー・テイクス・オールになりすぎているように感じます。
- オープンサイエンスというと、公金を投入した研究である以上、その内容も公開されなければいけないという観点から議論されがちですが、今のお話は、畑村洋太郎先生の失敗学にも近い発想ですよね。研究者によっては失敗したことを隠したいと思う人もいるかもしれませんが、むしろ人類の考えてきたことの蓄積を次の世代に残していくという発想が大事なのかなと思いました。
アカデミアは基本的に一人の突出した人間の世界ではないですからね。アメーバのような生命体だったものが、ジャーナルや論文で評価されるようになってそういった部分が大分失われてしまったように思いますが、実際我々は互いに支え合いながら学術世界で生きてきたわけで、それが業績とか評価とかで切り刻まれて失われてきている。でもそれを現在であればビッグデータを使って実現できるんだというコンセンサスが生まれれば、将来的にはビッグデータで過去のあらゆる研究がどこかで蓄積されているという世界が来るようにも思いますし、それが人類の英知の塊としてのアカデミアの理想の形なのではないかと思います。
- オープンサイエンスの次のステップとしては、先生のおっしゃるような全体の知の塊を包括する日本的なプラットフォームができると海外から見ても魅力的なのではないかと思います。一方で、オープンサイエンスを日本で普及させていくに当たって、それをどのように評価していけばいいのでしょうか。
ムーンショット研究開発推進制度でオープンサイエンスの議論をしたときにも、これは必ず評価に結びつけようと考えていました。例えば成果の出なかった研究の生データを出したとして、5年後にどこかのベンチャー系スタートアップ企業がそれをもとに何かをしたら1点、まあ、点数を何にするかは分かりませんが、それをクレジットとして国がきちんと認めることが必要ですよね。そのインセンティブを付けていないからみんなデータを出さないのだと思います。もちろん、クレジットを与える評価システムを作るのは簡単ではないかもしれませんが、やろうと思えばできるはずです。仮に今インパクトファクターの高い論文が3本あったら、かなりエスタブリッシュな大学の教授になれるのだとしたら、その部分に(クレジットを)きちんと入れていけばいいのだと思います。現在のオープンサイエンスの議論は、国の税金を原資として行った研究である限り、成果物は国の公共財だからオープン化して共有化すべきというものになっていますが、そこの中に、ある種知の共同体を作っていく仕組みとしてポジティブに使っていく方法としてのオープンサイエンスという姿が見えてくれば、その方がアカデミアらしくていいと思います。
CSTIと各省の役割と政策立案の在り方
CSTIが司令塔あるいはむしろコーディネーターとしての役割を持つのであれば、従来の各省庁の所管を超えた部分に必然的に入っていかざるを得ないのですが、その部分を動かそうとすると必ず複雑な省庁間の駆け引きの中でデッドロックにぶつかります。これを動かす方法は幾つかあるかもしれませんが、一つは政治主導で解決する、もう一つはあるべき姿から理論立てをきちんと作る方法ですね。活動のフレームを広げても、それを支える理論立てがあれば動くのですが、その理論がなかなか思いつかないという難しさを感じます。ですから、こういう部分にもっとアカデミアの人間が入るべきだと思っています。
知識産業社会における大学の役割については、アカデミアの人間の方がよく分かっている部分もあると思うのですが、霞が関がある種のブラックボックスになっているので、その中に手を入れることができないのです。一度そのブラックボックスの中に入ってみれば、なぜスタックするのかがより分かると思いますし、もう一歩踏み込んで、スタックした状況を見据えた上で新しい理論を作ることができると思うのです。
そういう意味で、霞が関はもっと開かれるべきだと考えています。例えば霞が関の縁辺を広げる「グレーター霞が関」を作って、ここに様々な知恵のある人が入ってフラットに考えることによって、ブラックボックスの中だけでは解けないようなセオリーを考えることができるのではないかと思います。だからシンクタンクを作りたい。アカデミアだけでなく、企業の調査部門、コンサルティングファームの公共部門の担当者も含めた様々な人が、知恵を高めるために集まってくるような場所があって、そこで行政官も鍛えられてまた戻っていくようなものが作れたらいいなと思っていますし、そういうものを引き受ける組織としてシンクタンクがあればいいのかなと思っています。
- シンクタンクについて、具体的に思い描かれているビジョンなどはありますか?
シンクタンクでは調査もするけれど、政策提言をするところだということを明確に掲げる。それは政策のオルタナティブでも、現在の政府がやっている政策と違う政策でも構わないのですが、非常に力のある政策提言をする。そこには当然アカデミアの人間もいないといけないし、多様なバックグラウンドを持つシンクタンカーも必要です。ここで、各省の行政官がしばらくいて政策の勉強をするとか、併設してPhDコースも作り学位を取るということもできるようにしたいです。ある種ハブアンドスポークのような組織として、海外のシンクタンクとも常につながっていて、日本の本当の面白い政策形成を共有できるような場も作りたいと思っています。また、コンサルティングファームにいるような好奇心や推進力の高い人なども、クロスアポイントでもいいからそこへ来て一緒に作業するとか、あるいは企業の調査部門の人たちが独特の情報を持ってくるとか、あるいは在外公館にいたような人たちやベンチャーキャピタルの人たちも来てもいいかもしれないし、その中で幾つものテーマが走っていて、そこに関心のある行政官も入ってきたりするような、そんなものにしたいと思っています。
今後のCSTIの活動について
第7期基本計画の対象期間は2030年度までなのですが、自分の中では2030年が最大のターニングポイントになると考えていて、2030年に現在のような状態が続いていたらもう取り返せないのではないかと感じています。2021年から2030年までの10年間が大きなメルクマールになる。その最初の5年間を作るのが第6期基本計画だったので、ここが重要だと言ってきたのですが、第7期基本計画はその後半に当たるわけです。2030年になったときに、第7期基本計画でやったことがある程度、皆様から良かったね、と言われるようなものにすべきであるとは思っています。
(キーワード:科学技術政策,オープンサイエンス,EBPM,科学技術イノベーション,人材養成、インタビュー日:2024年10月3日)
※本記事は、インタビュー対象者個人の見解を幅広い観点からまとめたものであり、インタビュー対象者の所属組織やNISTEPの公式見解ではない点も含まれます。

左から NISTEP 川村、赤池、千原、尾﨑(NISTEP 撮影)
† 主担当者
注1 1995年に制定された科学技術基本法(2021年より科学技術・イノベーション基本法に改正)に基づき、政府が策定する科学技術・イノベーション政策に関する中長期的な方針。これまで5年ごとに策定しており、第7期科学技術・イノベーション基本計画は2026~30年度が対象期間となる予定。
注2 共同体主義。社会の基盤として共同体を位置づけ、共同体の復権を提唱する思想。
注3 破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する大型研究プログラム。