STI Hz Vol.10, No.3, Part.11:(レポート)ポストドクターのキャリアと課題 -全国調査から読み解く日本のポスドクの現状-STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00385
  • 公開日: 2024.09.25
  • 著者: 川村 真理
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.10, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

レポート
ポストドクターのキャリアと課題
-全国調査から読み解く日本のポスドクの現状-

第1調査研究グループ 上席研究官 川村 真理

概 要

科学技術の進展に伴い、イノベーションの担い手となる人材の養成は先進諸国における喫緊の課題となっている。我が国においても、内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)や文部科学省の科学技術・学術審議会を通じて、博士人材や若手研究者に対する処遇改善や研究環境整備に向けた様々な施策が進められている。しかしながら、博士課程を修了し、大学や研究機関等で任期付きの研究員として働くいわゆるポストドクター(ポスドク)に関しては、雇用形態の多様さや実態把握が困難であることもあり、施策や支援が十全とは言えない状況が続いている。また、先進諸国においても、2000年以降博士号取得者の増加やプロジェクトベースの研究の増加に伴い、アカデミアにおける有期雇用職が増大し、任期付きで研究職を転々とする「リサーチ・プレカリアート」の問題が顕在化している。

本稿では、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の実施した「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査」の調査結果から得られたデータをもとに、現在の日本におけるポストドクターのキャリアパスの現状や今後における課題について検討する。

キーワード:博士人材,ポストドクター,科学技術人材,キャリア開発,高等教育政策

1. はじめに

今世紀に入り、欧州高等教育圏構想を進めた欧州を中心として、欧米先進国の博士号取得者数は飛躍的に増加した。OECD(経済協力開発機構)加盟国における新規博士号取得者は、1998年の14万人から、2017年には27万6千人とおよそ2倍にまで拡大している1)。しかし、同時に多くの分野において、伝統的なアカデミアポジションで増大する博士号取得者を吸収しきれなくなり、キャリア競争の激化や非伝統的でノンリニアなキャリアパスが拡大することとなった。こうした動きの中で、博士人材のキャリアパスの多様化が進み、産業界をはじめとする社会への博士人材の進出が進んだ一方で、アカデミアにおいては正規職に移行できないポスドクが増加し、現在大きな社会問題となっている。

OECD科学技術政策委員会の下に設置されているGlobal Science Forum(GSF)は、2021年5月“Reducing the precarity of academic research careers(研究職の不安定さ低減に向けて)”と題する報告書をまとめた1)。このレポートでは、2000年以降、大学の基盤的経費の減少や期限の限られたプロジェクトベースの研究資源の増加により、アカデミアで有期雇用が増加しており、特にポスドクレベルにおいて低賃金の有期雇用職を渡り歩く傭兵(ようへい)のような研究者が新たな社会階層として出現したと報告している。また、こうした学術的プロレタリアをResearch Precariat(リサーチ・プレカリアート)注1と名付け、現在のアカデミアの雇用環境は、少数のテニュアトラックと多数のリサーチ・プレカリアートによる二層構造になりつつあることを指摘している。若手、中堅の研究者が長期に亘って不安定な雇用を余儀なくされ、アカデミアのキャリアパスにボトルネックが生じたことで、才能ある研究人材は条件の良い産業界でのキャリアを選択するようになり、アカデミアから良質な研究人材が流出した。また有期雇用の研究者が限られた雇用期間中に成果をあげるためにリスクの高い研究を回避することは、斬新な発想やイノベーティブな研究を妨げることにもつながる。同報告書では、リサーチ・プレカリアートの増加は、研究者自身のキャリアを阻害するだけでなく、長期的には科学研究の質を損なうことになるとして、雇用環境の改善や博士人材に対する能力開発機会の提供等、ポスドクのprecarity(不安定さ)を低減するための措置の必要性を提言している。

2. ポスドクの定義

ポスドク(postdoc)とは、一般的には博士学位取得後任期付きの研究職に就いている者と捉えられているが、実際の定義は国や機関によっても大きく異なる。全米ポスドク協会(National Postdoctoral Association, 以下NPA)、の定義では「ポスドク(post doc)は、博士号取得者で、自ら選択した進路に進むために必要な専門的スキルを修得する目的で、指導を受けながら研究ないし学術研修に一時的に従事する者」注2とされており、博士号、任期付き、研究ないし学術研修職に従事する者を広く包摂する内容となっている。この定義は国立科学財団(NSF)の定義ともほぼ共通している。一方で、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が実施している「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査」(以下ポスドク調査)の定義においては、博士号取得者、任期付きといった点についてはNPAと共通しているものの、近年増加している競争的資金等の外部資金により雇用される特任教授、特任准教授、特任講師、特任助教、特任助手等は対象外とされている注3。このため、雇用実態としてはポスドクと同等と考えられても、ポスドク調査では捕捉されない「隠れポスドク」も相当数存在するものと考えられる。我が国のポスドク問題を解決する上では、こうした言葉の定義の違いについても、今後国際比較の可能な内容に修正していく必要があるものと思われるが、今回までの調査結果においてはこうした違いがあることを御承知おきいただきたい。

3. 日本におけるポスドクの現状

ここからは、2024年3月に公表した「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査(2021年度実績)」2)の分析結果を中心として解説を進めていきたい。本調査は、我が国の大学・公的研究機関において研究に従事しているポストドクター等の雇用及び進路状況を把握することにより、若手研究者を取り巻く課題を分析し、今後の研究人材の育成、支援に関する施策の検討に資することを目的として実施されている調査である。2015年度からは政府統計として指定されており、2021年度調査は3回目に当たる。2021年度調査は、日本国内の大学・公的研究機関等1,187機関に対して行われ、回収率は100%であった。

日本では、1996年に策定された「第1期科学技術基本計画」においてポストドクター等1万人支援計画注4が策定された後、任期制の導入や流動化政策の推進によりポスドクの人数は増加した。ポスドクの総数自体は2008年以降減少傾向にあるが、現在でも1万人を超える水準で推移している(図表1)。

日本のポスドクの平均年齢は2021年度時点で男性37.5歳、女性38.9歳となっており、2015年度調査以降男女ともに上昇傾向が続いている(図表2)。

なお参考情報ではあるが、2017年に欧州ポスドク協会(The European Network of Postdoctoral Associations、ENPA)がEU27か国898人のポスドクを対象として実施した調査では、年齢中央値は男女とも34歳となっており、日本においては女性ポスドクの高年齢化が顕著な特徴となっていることが分かる3)

日本の女性研究者がアカデミアにおいて長くエントリーレベルの職位に滞留していることについては、これまでNISTEPの「『博士人材追跡調査』第3次報告書4)」でも指摘されているが、2021年度調査の結果により、改めてポスドクレベルにおいても女性研究者の高年齢化の傾向が明らかになった。

また、ポスドク調査では、研究者のキャリアパスを探るため、前職及び転出・異動後の職種についても尋ねている。2021年度調査では、前職もポスドクであったと回答した者の割合は、25.5%と、2018年度の30.1%からは減少しているものの、およそ4分の1は繰り返しポスドク職に就いていることが分かる(図表3)。

任期付き職であっても、研究グループを率いたり、国際的なプロジェクトに参加したりする研究者は存在すると思われるかもしれないが、ポスドク調査においては、研究代表者(PI)やグループリーダーは対象外とされている。このため、これらの研究者は、先に紹介したOECDレポートで指摘される、有期雇用職を繰り返すリサーチ・プレカリアートに近い状態にあると考えることができる。日本においても、エントリーレベルの有期雇用職で滞留する研究者が一定数存在しているという点については、今後様々な面から支援が必要となる事項であると思われる。

図表1 ポストドクター等の延べ人数の推移(2004-21)図表1 ポストドクター等の延べ人数の推移(2004-21)

図表2 ポストドクターの平均年齢、中央値の推移図表2 ポストドクターの平均年齢、中央値の推移

図表3 ポストドクター等の前職図表3 ポストドクター等の前職

4. ポストドクターの給与

ポスドクの現状を理解する上で、給与水準は極めて重要な指標である。これまでのポスドク調査では、社会保険加入率や雇用財源については調査していたものの、給与については調査されてこなかった。2021年度調査では、ポスドク給与について月額ベース、男女別での給与水準を調査している(図表4)。

図表4をみると、フェローシップ等で機関からの給与のない者を除き、男性は35万円以上40万円未満と回答した割合が最も多く18.0%、次いで30万円以上35万円未満が16.4%となっている。女性は30万円以上35万円未満が最も多く16.3%、次いで15万円未満が14.9%という結果となった。

日本の場合、2022年度の日本学術振興会特別研究員(PD)の研究奨励金は額面で月額¥362,000注5となっており、多くのポスドク給与設定においてはこの金額が参考にされているものと思われる。しかし、一方で男女ともに1割を超える研究者が月額15万円以下の職に就いているという点には留意が必要である。

ポスドクの給与については、先にあげたような対象範囲の違いや為替等の影響もあるため、単純に海外と比較することは難しい。しかし、欧州最大級のポスドク求人サイトであるFindAPostDocがEuropean University Institute(欧州大学研究所)等から推計したデータ注6によれば、2022年現在の欧州におけるポスドクの平均雇用期間は3年~6年、給与はおおむね600万円~800万円(1€=163円として計算)と紹介されている(図表5)。日本の場合、日本学術振興会特別研究員(PD)の給与は年額ではおよそ430万円となる。国税庁の公表している「令和4年分 民間給与実態統計調査」をみると、先にあげたポスドクの平均年齢と同年代となる35~39歳の平均所得は462万円とされており注7、国内の同年代平均所得と比較してもポスドク給与の方が低いことが分かる。日本の大多数のポスドクポジションにおいて、主要国のポスドクの約3分の2、また国内の同世代平均と比較しても低い賃金しか支払われないとなれば、国際競争力の観点からみても魅力的な雇用環境とは言い難い。ポスドクの給与水準をどのように設定すべきであるかについては様々な考え方があると思われるが、例えばフランスにおいては、ポスドクの給与水準は公務員に準じた設定となっている。また、アメリカでは国立衛生研究所(NIH)がポスドクの給与水準ガイドラインを策定しており注8、研究者の低賃金労働を回避するための指針が設けられている。

博士人材の活躍を推進する上では、こうした各国の政府が採用している取組についても比較検討していく必要があるのではないだろうか。

図表4 ポストドクター等の月額給与水準図表4 ポストドクター等の月額給与水準

図表5 (参考)主要国のポスドク平均給与水準(2022)図表5 (参考)主要国のポスドク平均給与水準(2022)

5. 分野別にみたポスドクの研究環境

次に、ポスドクの研究環境について分野別にみていきたい。博士人材と一口に言っても、研究分野や内容により、置かれている環境は大きく異なる。工学系を含むSTI分野においては、外国人比率をはじめ、共同研究や受託研究も高い傾向がみられる(図表6、7)。

図表6をみると、不明、その他を除く外国人比率は工学系で最も多く48.6%、次いで理学(34.7%)、農学(28.1%)の順となっている。

また図表7をみると、工学分野ではおよそ3分の2に当たる67.5%、保健、農学分野でもそれぞれ46.4%、46.0%と半数程度で民間企業との共同・受託研究があるのに対し、社会分野は8.6%、人文分野ではわずか4.1%となっている。海外や産業界とのつながりの有無は、国際共同研究や産学連携等の研究生産物だけでなく、ポスドク後のキャリア選択とも深く関連する。今後すべての分野において、産業界や海外との活発な連携が望まれるのは間違いないが、特に現在産業界とのつながりの薄い人文、社会分野においては、他分野との連携や産業界とつながるための取組について検討する必要があるように思われる。

図表6 ポスドクにおける外国籍の割合(分野別)図表6 ポスドクにおける外国籍の割合(分野別)

図表7 共同研究・受託研究の割合(分野別)図表7 共同研究・受託研究の割合(分野別)

6. まとめ

以上、ポスドク調査の結果を中心に、現在日本のポスドクの置かれている状況について概観してきた。調査結果からは、ポスドクの高年齢化や低賃金労働等の実態等が明らかになった。また、男女別、分野別にみた場合の研究、雇用環境に顕著な違いが認められることも確認された。男女別、分野別等、属性による雇用、研究環境の違いが大きいとすれば、当然必要となる支援やサービスも属性の傾向に合わせた多様な種類が必要になる。こうした意味では、先に紹介したOECDやNPAといった機関が提案している、キャリアオプションの拡大や可視化、早期からの他業種との交流機会促進、政府も含めた研究者の安定的なセクター間モビリティーの推進といった多面的な取組も参考になるものと思われる。

今後ポスドクを含む博士人材については、国際的な競争力確保の観点からも、より安定的な研究環境、雇用環境確保に向けてより具体的な支援が必要になるものと思われる。また、多様なキャリア選択という観点からは、博士課程のみならず、ポスドク職にある若手・中堅研究者に対しても、大学・企業での研究・教育・研修等の機会を創出し、研究者の知識や技術を拡大するための取組も重要になるだろう。


注1 OECD(2021)では、リサーチ・プレカリアートを以下のように定義している。
“research precariat”,defined as postdoctoral researchers holding fixed-term positions without permanent or continuous employment prospects.

注3 文部科学省におけるポスドクの定義は以下のとおりとなっている。「博士の学位を取得した者又は所定の単位を修得の上博士課程を退学した者(いわゆる「満期退学者」)のうち、任期付で採用されている者で、1.大学や大学共同利用機関で研究業務に従事している者であって、教授・准教授・助教・助手等の学校教育法第92条に基づく教育・研究に従事する職にない者、又は、2. 研究開発法人等の公的研究機関(国立試験研究機関、公設試験研究機関を含む。)において研究業務に従事している者のうち、所属する研究グループのリーダー・主任研究員等の管理的な職にない者。」

参考文献・資料

1) OECD(202“Reducing the precarity of academic research careers”OECD Science, Technology and Industry Policy Papers. No.113, OECD Publishing, Paris,https://doi.org/10.1787/0f8bd468-en

2) 川村 真理,渡邊英一郎,文部科学省 科学技術・学術政策局 人材政策課(2024)「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査(2021年度実績)」,NISTEP Research Material,No337,文部科学省科学技術・学術政策研究所 https://doi.org/10.15108/rm337

3) Maria José Ribeiro, Ana Fonseca, Mariana Moura Ramos, Marta Costa, Konstantina Kilteni, Lau Møller Andersen, Lisa Harber-Aschan, Joana A. Moscoso and Sonchita Bagchi (2019).Postdoc X-ray in Europe 2017: Work conditions, productivity, institutional support and career outlooks: European survey for postdoctoral researchers. https://doi.org/10.1101/523621

4) 治部眞理・星野利彦・土屋隆裕(2020)『「博士人材追跡調査」第3次報告書』文部科学省科学技術・学術政策研究所,NISTEP Report,No.188. https://doi.org/10.15108/nr188