STI Hz Vol.10, No.2, Part.4:(特別インタビュー)東京大学理事・副学長 藤垣 裕子 教授インタビュー-責任ある研究・イノベーション(RRI)の意義と実践:新たな制度化に向けて対話の場をいかに開くか-STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00369
  • 公開日: 2024.06.25
  • 著者: 岡村 麻子、赤池 伸一、林 和弘
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.10, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
東京大学理事・副学長 藤垣 裕子 教授インタビュー
-責任ある研究・イノベーション(RRI)の意義と実践:
新たな制度化に向けて対話の場をいかに開くか-

聞き手:上席フェロー 赤池 伸一
科学技術予測・政策基盤調査研究センター 主任研究官 岡村 麻子
データ解析政策研究室長 林 和弘

2010年代以降、研究・イノベーションのサイクル全体で社会のアクターの協力を促すことで、研究開発の方向性と社会の価値観やニーズとの整合性を高めつつ、研究・イノベーションシステムの変革プロセスを促していく、責任ある研究・イノベーション(RRI)に関する議論と実践が欧州で先行している。RRIを取りまく議論の経緯、RRIの意義、大学における実践について、東京大学理事・副学長藤垣裕子教授にお話を伺った。また、海外との比較も踏まえて、日本において、科学技術イノベーション政策における共通根としての地下水脈をいかに構築していくか、そのための学際教育・教養教育の重要性や、人文社会科学者の社会的責任等についてもお話しいただいた。

東京大学理事・副学長 藤垣 裕子教授(藤垣教授提供)(略歴)東京大学 大学院・総合文化研究科 教授(理事・副学長)1990年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了(学術博士)。同年東京大学教養学部基礎科学科第二助手となり、1996年に科学技術庁科学技術政策研究所主任研究官に就任。2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2010年に教授となり、現在に至る。また、2001年に科学技術社会論学会の立ち上げに関わり、2013-2016年度同学会会長を務めた。2021年度より東京大学理事・副学長。

東京大学理事・副学長 藤垣 裕子教授
(藤垣教授提供)

(略歴)
東京大学 大学院・総合文化研究科 教授(理事・副学長)
1990年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了(学術博士)。同年東京大学教養学部基礎科学科第二助手となり、1996年に科学技術庁科学技術政策研究所主任研究官に就任。2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2010年に教授となり、現在に至る。また、2001年に科学技術社会論学会の立ち上げに関わり、2013-2016年度同学会会長を務めた。2021年度より東京大学理事・副学長。

1. RRIが生まれた経緯

科学者の社会的責任とELSI

日本の古典的な科学者の社会的責任論と現代のRRIとの間には隔たりがある。古典的な科学者の社会的責任論は、原子力エネルギーを解放したことから生じた、物理学者を中心とした第二次世界大戦後すぐの議論が発端となった。日本の物理学者は当時国際的な影響力も大きく、科学者の社会的責任論においても大きく貢献した。

一方でRRIは、ELSI(科学技術の倫理的・法的・社会的課題)の議論および研究の上流工程からの市民参加の議論という二つの流れが基礎となって作られた。欧米での科学者の社会的責任論は生命科学分野での議論が活発であり、アシロマ会議(1975年)での議論が有名である。さらに、ノーベル生理学・医学賞を受賞(1962年)したジェームズ・ワトソンが、ヒューマンゲノムプロジェクトの記者会見(1988年)において、全研究予算の何割かをELSIに向けるべきと発言したことを発端として関連の取組が始まった。

研究の上流工程からの市民参加

RRIの源となるもう一つの流れとして、欧州を中心とした研究上流工程からの市民参加の議論がある。1990年代英国でBSE(牛海綿状脳症)問題があったが、牛を食べても大丈夫というアピールで、当時の英国農水大臣が娘にハンバーガーを食べさせる映像を1990年に流した。その6年後に、BSEがヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病と関係していることが分かった。英国の専門家と政府は相当に信頼を失い、その回復のため、例えばナノジュリー(ナノテクノロジーに関する市民陪審制度)等、様々な市民参加の試みをしていく。同時並行で2000年代に遺伝子組み換え食品について相当議論があった。その中で、川の流れに例えて、市民参加は下流の製品になってからでは遅く、上流工程での取組が重要視されるようになる。

RRIの概念化と浸透

1980年代後半~1990年代に展開したELSIの潮流と、1990年代~2000年代の研究上流工程からの市民参加の議論を受けて、2010年代に概念化されたのがRRIである。2010年代に、欧州を中心に多くの論客がRRIの概念の精緻化に取り組み、多くの哲学者も参加した。RRIは、当時議論が必要であった、ELSIやELSA(Ethical, Legal and Social Aspects)、予測して備えるアンティシパトリ・ガバナンス、それから企業の社会的責任等、すべてを包み込むようなアンブレラタームとして定義され、皆が集中して議論した。

日本への展開は、ELSIに関しては内閣府・ムーンショット型研究開発事業でもELSI分科会があるなど、研究助成機関でも使い始めている状況がある。一方RRIは、日本における浸透はまだこれからである。

2. RRIの意義・特徴

RRIが今後浸透していくためには、その意義についての理解が必要である。市民参加のような形で、前もって研究者が議論をしておくと、自分たちが気づかないところの指摘を受けて、備えることができる。それなしで製品が社会に出て急に炎上する方が実は研究開発にとって良くないことが多く、転ばぬ先の杖として議論しておけば炎上したときの対処も良くなる。東京大学で企業向けEMP(エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)を実施しているが、リスク管理に対して非常に感度が高いため、RRIは企業にも使えると、RRI的な発想に興味を持つ人も多い。

予測ではなく将来への“備え”

RRIを構成する要素注1の一つにanticipateがあるが、これは予測だけでなく“備える”という意味を持つ。つまり将来に備えていくために必要なアクションを、市民が参加する形でどう作るかを重視している。それは、科学技術を止めることが目的ではなく、何々をしてはいけませんという「べからず集」でもない。そもそも研究活動とはどういうもので、自分の研究が社会に埋め込まれたときに、どのようなことを起こし得るかを包括的に考えることで、前もって将来に備えることがRRIの目的である。

他方、NISTEPでも行っているフォーサイトのもととなる動詞はforeseeで、将来を見通すという意味になる。科学技術予測調査におけるデルファイ調査は、特定の科学技術が何年後に実現するかを複数回専門家に聞いて、分布が一つに定まっていく手法であり、備えるところまでは入っていない。また、私がNISTEP在籍時の科学技術予測調査の評価者はすべて専門家であり、それが大きな違いである。RRIには必ず評価者に市民が参画するので、科学技術予測調査に市民に参画いただくと、二つの間の違いも小さくなっていくと思う。

オープンサイエンスとRRI

2016年に欧州で開催された科学技術と社会に関する国際会議に参加したが、発表のほとんどがRRIに関するもので、キーワードとしてオープンイノベーション、オープンアクセス、オープンスペース、参加、相互学習が使われていた。そのとき、オープンサイエンスとRRIの話は重なっていると感じたが、それが何を意味するかは分からなかった。

そこで、2016年は東日本大震災の直後だったので、原子力政策においてRRIを適用するとどうなるのかというセッションを設け、欧州の方にDiscussantとして入ってもらった。そのときに彼らは、RRIとは、「Open up questions、つまり議論をたくさんの利害関係者に対して開くこと、それにより相互に学習することである」と表現した。そしてその先に、新たな制度化を考えることがRRIにおいて肝要であると言った。

そのような観点からすると、日本の原子力技術者は、米国等と比べると驚くほどクローズドであったと指摘された。そこを開いていくのがOpen up questionsであり、開かれた議論の場では、技術者から市民に一方的に基準が伝達されるのではなく、互いに学び合う。そこでの議論をもとに、規制の在り方や原子力政策を変えていくことが新たな制度化になる。

オープンサイエンスと言うと、論文を外からも読めるようにする、デジタル化するという意味で使われることが多いが、RRIでは、サイエンスを専門家集団の外に開くという意味で使われている。みんなで共に治める、共にガバナンスするためにオープン性が重要になる。

新たな制度化に向けた市民参加

日本においても科学技術政策の中で「参加」という用語も使われているし、シチズンサイエンスも取り上げられている。ただ、それらが先ほどのような新たな制度化に至っているのかという観点で、RRIにおける市民参加の意味合いと大分違う。固定化している分野や制度の壁を越えて、あるいは取り壊して新たな制度を作り直すことを目指すことが、オープンな議論の場に市民が参加する意義である。

日本の政策決定プロセスの省察

2011年の東日本大震災の1か月後にハーバード大学で開催されたSTS(科学技術社会論)関連の国際会議では、日本は科学技術立国をうたっているのになぜあのような東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が起きたのか、と質問攻めにあった。日本では原子力の研究も、地震の研究も、津波の研究も、それぞれ一流のものがあった。特に津波リスクについては、研究者が様々に警告を発していたのに、なぜ適切な対応ができなかったのか注2。私は、それぞれの間の壁が厚すぎて、交流がなかったからだと考えている。また、研究と行政の間の大きな壁に阻まれ、最新の研究からの知見を、政策決定プロセスにおいて十分取り込むことができなかったと考える。

当時の電力会社の判断は密室で行われたとの批判があり、事故や津波の危険性に関する情報の地域住民への公開は限定的であったと言える注3。せめて津波研究者や地震研究者から警告が発せられたときに、電力会社・規制当局・防災関係当局・関係学会・地震研究者・津波研究者らが、もっと積極的に、地域住民も呼んだ参加型のワークショップ等の開かれた相互学習をすることができていたら、もう少し早めに津波対策ができていたかもしれない。

例えばイタリアにはマリーナという海洋研究のプロジェクトがあり、12か国で17回のワークショップを開催して、のべ400名以上の利害関係者(81名の市民、66名の行政官、65名の企業関係者、104名の科学者、58名のNGO関係者、24名の学生、4名のジャーナリスト等)が参加した事例もある。

日本には最先端の知識はあるし、研究者もトップレベルの研究をしているにもかかわらず、津波研究者と地震研究者と原子力研究者の間を連携し、知見を現場に応用するシステムが十分ではなかった。それを反省し、RRI的な発想を今後の防災などの問題に使うことが重要である。何か問題が起こった際に、RRIが主張するような市民参加により、分野境界や組織の壁や制度の再編を促しながら、サイエンスから得た知見を活かしていくことが期待される。

多様性と包摂性

RRIには多様性・包摂性の観点も含まれており、ジェンダーバランスの話とも関連する。イノベーションにおける多様性・包摂性の重要性は、人工物の権力論の話で説明することができる。この話で有名なのが米国のニューヨーク東側にあるロングビーチへ行く橋のデザイン事例である。1920年代に、車高が低い車しか通れない橋がデザインされた。そのことによってマイカーを持っている高所得者しかロングビーチに行けなくなり、車高の高いバスを利用する多くは黒人やヒスパニック系などの低所得者が行くことができなくなった。この橋をわざと設計したかは別の議論であるが、元来人の間に存在するものと思われている権力が、人工物にも作り手の無意識のバイアスを介して作りこまれることを示す事例である。

これは技術全般にも応用できる。日本の特に工学部では女性の割合は1割を切っているが、生産現場に女性が少ないことは、男性中心の価値観で技術が作られることを意味する。作り手の価値観は技術に作りこまれるため、その作り手には多様な価値観を持つ人がいることが重要であり、そこで初めて、社会にとっていい技術・製品が作れるようになる。実際、発明者に男女双方がいる特許の経済価値は、発明者が男性のみの特許の経済価値より高いというデータもでている。

3. 大学におけるRRIの実践

東京大学の理念とRRI

多様性・包摂性を目指す東京大学としては、理念レベルで、RRIと親和性が高いと言える。藤井輝夫総長が着任した2021年に、UTokyo Compass注4を作ったが、その際に、そもそも21世紀の大学がどうあるべきかを議論するため、東京大学憲章にも立ち戻った。そこに「世界の公共性に奉仕」という言葉があり、その実現手段の一つがRRIであろうということになり、UTokyo Compass における目標の一つとして「責任ある研究」が位置づけられた。「多様性の海へ:対話が創造する未来」という副題の通り、多様性が重要視されており、これがRRIの多様性・包摂性と相性がいい。例えば2023年度の東京大学卒業式の総長告辞の中でもRRIが言及された注5

RRIの実践:「自分ごと」とする

理念を超えて実践をどうするかが結構大変で、例えば、RRIとELSIを組み込んだ研究倫理セミナー注6を年間40回開催することが達成目標となっている。これは第四期の中期目標中期計画にも入っており、これまで3年かけて取り組んできた。

年1回の全学での研究倫理セミナーでは、まず基調講演で、研究倫理とはねつ造・改ざん・盗用をしてはいけませんという「べからず集」だけではなくて、もっと広い視野から研究とは何かを考えることであり、その視野を提供するのがRRIであるといったメッセージを伝えた。その後、総長補佐らに自らの分野(工学、物質科学、医学、人文社会学)にRRIを応用するとどうなるかというテーマで発表してもらった。それが2022年の9月である。

その後11月に、研究所やセンター等を合わせて50近くある各部局に、RRI/ELSIを自分の分野に組み込むとはどういうことかを、再度説明した。さらに、2023年2月から3月にかけて、RRI/ELSIの視点を組み込んだセミナーを各部局でどう工夫してやったかの成果発表会をした。さすがに発表会をするとなると、関連のセミナーが各部局で実施されるようになる。その中のグッドプラクティスを、2023年9月に全学セミナーで発表してもらった。そして2024年2月から3月に再度「RRI/ELSIを組み込んだ部局取組発表会」を行うというループを回した。

やはり2回ループを回すと、各部局も「自分ごと」として考えるようになる。聞くだけのセミナーではなく、当事者として自分の研究にRRIを組み込むとどうなるかを各研究者に考えてもらうことが重要であり、そうしないと浸透しない。RRIはトップダウンだけでやっても絶対に動かない。この研究倫理セミナーで行っているように何度もトップダウンとボトムアップを繰り返さないと、本当の意味では浸透していかないと思う。

分野による違い

50近い部局があるので、分野によって受け止め方の違いはあるが、RRIは、日々モヤモヤと考えていることに概念としての一定の整理を与えるところがあるので、パンとはまると、教員も学生も非常に興味を持って議論する。

例えば生命科学の研究者は、やはりCRISPR-Cas9で編集された生殖細胞を作成して逮捕された中国の研究者の例や、遺伝子組み換えされたメダカを研究室から外に出してしまった例があるので、非常にRRIに対する感度がいい。また、情報科学の研究者も、個人情報の取扱い、生成AIにおける著作権侵害等は自分野の研究の責任論であり、非常に関心が高い。人文社会科学でも、例えば史料編纂所や文学部の昔の資料をデータベース化すると、それをどこまでオープンにしていいのかという課題があり、さらに、空間情報科学研究センターでは、衛星画像や空間情報データを使った研究が相当進展しており、どこまでオープンにするかで日々悩んでいて、感度が良いのは同様である。

発表会で他の部局の事例を聞くことで、自分の部局にどう応用できるか考えるきっかけになっていると感じる。

4. 科学技術イノベーション政策の共通の根としての地下水脈

科学技術イノベーション政策に目を向けると、もともと根っこは同じなのに、その先端の議論だけ輸入して、それぞれの分野が別々に議論をして壁を作っているという状況はたくさんある注7。これは学術領域でも同様で、例えば社会構成主義と、科学技術と民主主義の話と、市民参加の話は元来つながっているが、それぞれ輸入した学問がそれぞれの文脈で著作を書いている。地下の水脈のように、共通の根があることに気づかず、それぞれお互いは別のことであると考えてしまう。みんなで一緒に議論した方がずっと実りあることができるのに、日本では各分野の垣根が大きすぎるので、それを超えていく必要がある。

地下水脈の共通の根っこを見ようとしているのが、第6期科学技術・イノベーション基本計画で提案されている総合知だと思うが、そうではない方向に議論が行っているように見える。それでは、地下水脈に想像を巡らす知の力を、どうやったら育てられるか。一つは、教養教育や学際教育を一生懸命やることであり、もう一つは人文知の復権も必要と考えている。あとはやはり、先ほど言及した、既存の境界や壁を壊して新たな制度化を目指す市民参加も重要である。

海外での議論を聞いていると、政策議論への哲学者の関与が大きいと感じる。ブリュッセルに行ってびっくりしたのは、例えば工科大で哲学を教えている人が、RRIの概念形成の議論に積極的に参加していた。日本の哲学者はあまり政策の議論に参加しないし、自分から作ることは少ない。ただ日本の若い哲学者には、AIの哲学について日本語で書いたり議論したりする研究者もでてきているので、若手をいかに組み込んでいくかが重要になる。

また、例えば予防原則とかSDGsなど、欧米はコンセプトを作ってそれを世界に広めるのは非常に得意である。ただ歴史的には予防原則の考え方は、イタイイタイ病のときに厚生省(当時)の初代公害課長橋本道夫氏が1968年に厚生省見解を出した際にすでに現れていた。日本の方が先なのに、欧州発のコンセプトとして認識されている。コンセプトを創ったり発信したりするところに、日本はもっと注力していくべきである。

これまでの政策を振り返り抽象化して考えることで、共通のコンセプトを見つけ、地下水脈を捉えることにつながる可能性もある。NISTEP在籍時に、36年分の科学技術会議の答申を分析して、Science and Public Policy誌に論文が掲載された注8。英語で発信することが重要であり、是非ともNISTEPで継続していただきたい。

5. 学際教育・教養教育の重要性

先ほど述べたように、東日本大震災のとき、地震と津波と原子力の間の壁が高すぎて協力できなかったとか、研究者と行政官の間の意思疎通に問題があり両者がうまく協力できなかったことがあった。地下水脈の話とも同じであるが、それぞれの学問分野が壁を作りすぎてしまい、違う分野との間の往復に課題があった。壁を所与と考えないで既存の壁を再編できるようになるためには、自分の専門を持ちながら、他の分野に対してある程度のリスペクトを持ち、いざという時に他の分野と協力できるような人材を育てる必要がある。

このような目的のもと、後期教養教育科目の趣意書を2013年度に作成し、2015年度から制度化した注9。学生が自主的に行う他学部聴講はそれまでもあったが、それを大学が積極的に奨励する制度である。70年間続いた駒場キャンパスでの1、2年生を対象とした教養教育と、本郷キャンパスでの3、4年生対象の専門教育というすみ分けを超えて、専門を学び始めてからの教養教育が後期教養教育である。

後期教養教育科目設計のための運営委員会立ち上げと同時に教育の実践も始めた。それが異分野交流・他分野協力論という授業である。例えば、「福島原発事故は日本固有の問題か」「飢えた子供を前に、文学は役に立つか」等、イエスかノーかで答えられる問いを12個用意し、ディスカッションをした。初年度は文学部、法学部、工学系などから学生が集まり議論を実践した注10

学生を見ていると、最初は戸惑いがあるのが分かる。自分が考えていることを、全く異なる専門を持つ他学部から来た人に表明することに対して抵抗がある。13回授業のうち大体半分過ぎた頃から学生が変わってきて、自分の考えを言語化し、人に伝えることができるようになってくる。授業の最後の方になると、自分がこう変わったと自己変容を自覚し、それをレポートに書いてくる。議論の場を作って、何度も言語化する訓練を積むことで、他分野の人ときちんと議論できるようになることが分かった。

教員の反応も、分野による違いはある。例えば原子力だと、いろいろ問題が起きているので、むしろ、どうしたら社会とのコミュニケーションができる学生を育てられるかにニーズを持ち、こうした学際的な教育が原子力でも必要だという反応になる。生命科学も、様々なリスクを自覚し始めているので、理解は非常に高い。一方、問題が起きた経験がない分野だと、なかなか難しいところもある。

6. 人文社会科学者と政策決定者の社会的責任

(研究と行政の連携において)行政には踏み込まないのが責任だと思う研究者も多い。一方で、英国の人文社会科学者は踏み込むのが責任、つまり、行政に対してきちんと提案してこそ、学者としての責任が果たせるという使命を持つ人は意外と多く、行政官と大変厳しい対話をしている。対話は楽しいものではなくて、結構厳しいものだし、コミュニケーションにも痛みが伴う。ちょうどBSEで学問や政府に対する信頼が落ちていた頃に、そういう痛みを伴うコミュニケーションを積極的にやっている学者の姿を英国でまのあたりにした。

研究者が、自分たちの研究もきちんと行うと同時に、それをベースにして提言をするなど、痛みを伴うコミュニケーションができる技量を持って踏み込む必要がある。これは、自然科学者に限らない、人文社会科学者の社会的責任と言ってもいい。このように一歩制度論に踏み込む態度は、日本の研究者に足りていないと思う。一方で、行政側は、これに対応するためにも、行政官と限られた専門家の中で閉じた議論をしているのではなく、政策決定プロセスを社会に開いていく責任があると考える。これが、本当の意味でのシチズンサイエンスを進めていくということだと考える。

(キーワード:RRI,ELSI,市民参加,学際教育,オープンサイエンス、インタビュー日:2024年3月25日)

※本記事は、インタビュー対象者個人の見解を幅広い観点からまとめたものであり、インタビュー対象者の所属組織やNISTEPの公式見解ではない点も含まれます。


注1 RRIを構成する要素の整理にはいくつかあるが、「先見性・備え(Anticipation)」、「省察性(Reflexivity)」、「多様性・包摂性(Diversity & Inclusion)」、「応答可能性(Responsiveness)」、「オープン性・透明性(Openness and Transparency)」などが主なものである。

注2 これらの経緯は、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)報告書においても取り上げられている。(報告書第1部 事故は防げなかったのか?(その1)1.2 認識していながら対策を怠った津波リスク等)
https://www.park.itc.u-tokyo.ac.jp/tkdlab/fukushimanpp/kokkai.html

注3 国会事故調報告書では住民に対しての調査を行っており、立地町村であっても、原子力発電所の事故の可能性の説明はほとんどなされず、原子力災害を想定した避難訓練の参加者もごくわずかであったと報告している。事前に原子力災害を想定した避難訓練を受けていた住民は15%以下、事故の可能性の説明を受けたことのある住民は10%以下であった。また、東京電力による説明会に参加したが、原発は安全だと説明されていた、という声が多く寄せられたと記載されている。調査対象は、避難区域市町村から避難した約2万1000世帯(無作為抽出、回収率50%)。

注7 藤垣裕子、科学技術政策と地下水脈、http://www.watanabe-found.or.jp/pdf/newsletter/newsletter10.pdf

注8 Yuko Fujigaki, Akiya Nagata, Concept evolution in science and technology policy: the process of change in relationships among university, industry and government, Science and Public Policy, Volume 25, Issue 6, December 1998, Pages 387-395, https://doi.org/10.1093/spp/25.6.387

注10 授業の実践記録を「大人になるためのリベラルアーツ」(東京大学出版、2016年)として出版。