STI Hz Vol.9, No.3, Part.5: 東京農工大学 グローバルイノベーション研究院  テニュアトラック 准教授 津川 裕司 氏インタビュー  -生命の代謝を捉えるメタボロミクスとデータサイエンス-STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00343
  • 公開日: 2023.09.25
  • 著者: 中村 龍生、黒木 優太郎
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.9, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流
東京農工大学 グローバルイノベーション研究院
テニュアトラック 准教授 津川(つがわ) 裕司(ひろし) 氏インタビュー
-生命の代謝を捉えるメタボロミクスとデータサイエンス-

聞き手:企画課 中村 龍生
科学技術予測・政策基盤調査研究センター 上席研究官 黒木 優太郎

「ナイスステップな研究者2022」に選ばれた津川裕司氏は、代謝物の多様性を網羅的に捉え、その生物学的意義を解き明かす学問分野であるメタボロミクス研究を行ってきた。その中核技術となる質量分析からは膨大かつ複雑なデータが得られるが、津川氏は数学とプログラミング技術による独自のデータサイエンス基盤を構築することで、一度に解析可能な代謝物数の向上、新しい代謝物の発見、及び様々な生命現象の解明に貢献してきた。

本インタビューでは、研究の内容や今後の展望のほか、研究者の道に進んだ経緯やキャリア形成についての考え等も伺った。通常のセミナーでは伺い知れない、コンセプト着想時の自問から花開くまでの流れや、着実に成果を生む研究スタイルなどを教えていただいただけでなく、ひた向きに研究を進めて世界一を目指す、研究者としての強い思いを感じた。

東京農工大学 グローバルイノベーション研究院テニュアトラック 准教授 津川 裕司 氏(津川氏提供)

東京農工大学 グローバルイノベーション研究院
テニュアトラック 准教授 津川 裕司 氏(津川氏提供)

- 改めて御自身の研究について教えてください。

我々はメタボロミクスとかトランスクリプトミクスのような、一般的には「オミクス科学」と言われる学問をしています。システムバイオロジーとも関連しますが、研究のコンセプトとしては「生物試料内の分子を全部見ること」で、生命をシステムとして捉えることを目指す学問だと思っています。例えば遺伝子の作用を一つ一つ調べる研究と比べると、全体を俯瞰(ふかん)してみることでしか見極められない現象などを見つけられます。

一方、生物の分子全てを現状の技術では捉えることができませんので、それら多様な分子構造を網羅的に捉えるためのものづくりもしています。特に、代謝物(メタボローム)を解析する道具を作って、細胞全体で何が起こっているのかを可視化するといったことを通じて、新しい仮説や真実にたどりつくことを目指しています。(図表1)

生物系の話で言いますと、全部見るということは、生命現象だけではなくて疾患の予測や診断にも応用することができます。あとは、例えば食品分野においても、何でお酒がおいしいのかとか、そういった商品開発にもつながる分野です。その意味で、道具ができればできるほど応用研究ができるし、利活用できる分野です。

私自身が一番得意なのは情報科学だと思いますが、生物を操作し、その代謝動体を捉えるために計測・解析するといったことが1つの研究室内でできるようなファシリティになっていると思います。少なくともメタボローム解析を通じた代謝研究はできるようにしています。

図表1 メタボロミクスについて図表1 メタボロミクスについて

(津川氏提供)

- 質量データを代謝物データへと自動変換するプログラム(MS-DIAL)を作成され、選定理由にもなりました。なぜ、自動変換プログラムを作ったのでしょうか?また、いつ頃から着手したのでしょうか。

例えばゲノム研究だと、ATGCの塩基配列を読み、過去の知見と照らし合わせて遺伝子の同定や機能を推定します。それと同じようなパイプラインで言うと、代謝成分は、質量分析という装置を使って化合物の質量と強度(定量値)を得ます。さらに、質量分析内部でエネルギーを加えることで分子をバラバラにしてあげて、断片化したイオンのパターン(マススペクトル)を見て、こういう化学構造かなということを推定していくことになります。

そこで私が最初にぶつかった壁は、「マススペクトルを化合物構造に変換するのが難しすぎる」ということです。この化合物はこのマススペクトルパターンを生成する、というようなデータベースが存在していたらわかりますが、存在していないものは未同定として取り残されています。今、生物は大体100万種類の化合物を作っているといわれる一方で、データベースに含まれているものって一万程度です(図表2)。なので、我々人の知識スペースは1%とか5%とかその程度。そのような状況のところに、あるマススペクトルを入力してあげれば「こういう化合物じゃないですか?」と円滑に教えてくれるプログラムを作れば、代謝物の多様性や、今まで知られていなかったような新規化合物の発見や、生命現象を解き明かすための新たな知見が得られるのではないか、というモチベーションで今の研究に取り掛かりました。

名前こそMS-DIALと変わりましたが、そのコンセプトは学位論文の段階で既に報告しています。有名になったのは理研時代のMS-DIALですが、同じコンセプトで、同じことができるものは修士1年のときに既にあって、その汎用性を高くしたものがMS-DIALです。

図表2 代謝物構造を解明する意義図表2 代謝物構造を解明する意義

(津川氏提供)

- MS-DIALに限らず、御自身の研究について、今後の展開を教えてください。

2つの軸があると思っています。今あるツールを使ってバイオロジーを解こうとする軸と、道具つくりを極めて新しい発見をしようとする軸があります。私はどちらかというと発見学が好きで、化合物Xを新たに見つけ、それが将来教科書に載るとうれしいなと思っています。

バイオロジーの話だと、新しい化合物構造がわかれば、今度はそれをどの細胞が、いつ・どこで作っていて、いったい細胞内で何をしているのだろうという疑問が出てきます。つまり、産生細胞や遺伝子の同定、そしてそのような代謝物が作れなくなったときに、一体どういったことが起こるのかを実験で検証するという流れになります。

また、今は生薬の薬理作用に興味を持っています。どうしてあのような多様な成分を摂取する必要があるのか、その科学的根拠はほとんどわかっていません。そこに、科学的根拠を与えていきたい。これがオミクスと相性が良いと思っています。どういった植物にどういった成分が含まれているのか、それがヒトの体に入って、腸内細菌で代謝、変換されて、血流にのっていろんな臓器・組織で機能を発揮するといった、生薬の薬理作用メカニズムを解き明かす研究を行いたいと思っています。また今は、植物とヒトの生命活動を代謝という切り口でつなぐような話をしたわけですが、このような概念で、自然界に存在する様々な生物の共生関係を理解していきたいなと思って研究を広げています(図表3)。

図表3 生物を代謝という切り口でつなぐシステムバイオロジー研究の概要図表3 生物を代謝という切り口でつなぐシステムバイオロジー研究の概要

(津川氏提供)

- 先生の今後目指したい方向や、実現したい未来などあれば教えてください。

今の時代って、頻繁にパラダイムシフトが起こる感じがしていて、最近だとChatGPTの登場により情報収集効率が格段に上がりました。だから10年先を見越した研究って、すごく難しいと思っています。そこで取りあえず、「次5年で何ができるか」ということをお話しさせていただくと、細胞一個のメタボロームやトランスクリプトームをしっかり追った研究がしたいと思っています。例えば発生という過程は、たった1つの受精卵から色んな臓器を形作り、我々ヒトといった生命が誕生するわけです。これら細胞の分化・系譜を規定する遺伝子の発現スイッチに、メタボロームが関わっています。有名な例だとDNAメチル化やヒストンアセチル化ですが、この基質を担うのは代謝物です。また、細胞膜を構成する脂質分子の構造や発現量の変化により膜環境が変化し、周辺のタンパク質機能を変えることで遺伝子の発現が制御されるようなこともわかっています。一方、これらはまだ氷山の一角であり、まだまだわからないことだらけだと思います。このような細胞1つ1つの代謝物の発現量を可視化し、遺伝子発現情報と照らし合わせるための道具を作り、複雑な生命を構成する分子基盤を明らかにしていきたいと思っています。

- 最近のパラダイムシフトは何でしょう?

広い意味で、ライフサイエンスというより社会レベルでいったら、ChatGPTにより自分の研究活動がとても楽になりました。自分の目も知識も肥えているので情報の取捨選択ができるというのもありますが、圧倒的に時短になって情報収集が早くなりました。研究者として時間も取れなくなってきているので、有り難いです。今はGoogleよりChatGPTで検索することが多いです。いま、バイオデジタルフォーメーションやラボラトリーオートメーションといった研究工程の自動化を目指した研究も盛んですが、これらがもっと進歩することで、研究者がアイデアや考察を練る時間がもっと増えると良いなと思います。

- もっとこういうことがあれば研究が進む、ということがあれば教えてください。

私の視点で、という話ですが、本当にいろいろある中で大事なことが2つあって、一つはヒューマンリソースの永続的な確保がやっぱり大事かなと。例えばインフォマティクス人材。さっき言った、細胞系譜の可視化やマススペクトルから構造を推定するような技術開発にはインフォマティクス人材が必要不可欠です。そのような人材を、今は外部資金によって雇用していますが、お金が確保できなかったらどうしようとか、常に不安です。予算が獲得できなければ、それはアカデミアにおける人材損失となってしまいます。さらに、そういうインフォマティクス人材は企業とサラリー面で戦えていないことも大きな問題かと思います。優秀な方にとっては、お金をベースにするなら企業の方が優遇されているので、永続化に加えて、金銭面をもっと充実して、インフォマティクスの素養をもった人材がアカデミアにいたいなと思う環境を、国として作っていただけるなら大変有り難く思います。

もう一つは、例えば質量分析装置の場合でいうと、その導入コストとメンテナンスコストが非常に高いという点が挙げられます。これが理化学研究所や一部のお金が常に潤沢にあるような機関であれば良いのですが、1大学、1研究室でメンテナンスするとそれだけで大変。その支援があるといいと思っています。あとは「実験所」を整備してあげて、自分らはそこにサンプルをあげるだけで質の良いデータを返してくれるような「実験機関」があると、研究の地方格差がなくなって、底上げにもなるんじゃないかと思っています。

- 研究者を目指すようになった経緯や、そのときの思いを教えてください。

私は気づいたら研究者になっていたパターンの人間だと思っていて、博士後期にいったのも、真面目な理由があったというよりは、マイノリティを追求したかったという思いからです。その当時、博士後期に進む学生は一割くらいだったし、誰も行かないんだったら行こうかな、と。

また私は、自分が研究者としてやっていく自信もなくて、自分で考えていろいろデザインして研究費とって、というアカデミア的活動がつらい気がして、それなら大企業か何かにかくまってもらった方が良いかなと思って博士後期課程のときには就職活動をしていました。けれど、どこにも採用が決まらなかったし、しかも最終面接で役員の人から「君はアカデミアが向いているから、企業なんかに来ない方がいい」と言われました。そこまで言われるならアカデミアにいこう、業績も上げよう、と、そこで踏ん切りがつきました。それでとがったところをやろう、と思ったとき、それがオミクス情報科学でした。

- 踏ん切りをつけた頃には既にMS-DIALのコンセプトは持っていたので、研究の種やアイデアは有ったのでしょうか?

そういった意味では、なかったと思います。今はいろいろと視野が広がっているのでいろいろとアイデアも湧いてくるわけですが、当時(修士1年)の自分は「質量分析データを代謝物情報に変換できたとして、一体これが何の役に立つんだろ?」と。その頃のモチベーションは、手作業でやっていたら解析に一か月くらい要していたところを5分で終わるなら、その分自由な、遊ぶための時間が作れるな、くらいのレベルでプログラムに着手していて、最初のアイデアは時短が目的でした。当時の自分としてはここまで研究が広がると思っていなくて、「時間ができたから何なの?」といった感じをもっていたところが、自分の研究って新しい化合物の発見にも応用できるのではないかとか、徐々にアイデアが広がっていきました。

時短できると、今まで数検体のサンプル計測で精一杯だったのが、ヒトの大規模研究にも適応できるレベルになる。自分の技術のおかげでバイオロジーの幅が広がったということで、工学として一個の芽が出て、道具つくりから世界観が広がっていきました。

- キャリア形成についてはどのようにお考えをお持ちでしょうか。

私自身は、キャリア形成においては別のラボを渡り歩く方をイメージする人間です。ひとつ印象に残っている出来事があって、ドクターのときに旧帝大の博士課程だけが集まるリトリートが東大の(かしわ)でありました。そこで偉い先生方の体験談を聞く中で、地震の研究をやっていらした先生が、「1つのラボのことは2年でプロフェッショナルになれる」と言っていました。なので2年をひとつの目安に渡り歩く、ということを推奨していました。その言葉が印象に残っていて、確かに2年あれば、本当に深くまではできないかもしれないけれど大体はわかるだろうなと。そういうスパンで、流動的にできればいいと思っています。私自身は理研に8年いた人間ですが、その期間にアメリカに留学しています。ですから一個のラボにいたわけでもなく、理研内部での異動も含めたら3つの研究室を8年間で経験したことになります。

- 最後に、研究者を目指す方々や博士課程学生、ポストドクターへのアドバイスがあれば教えてださい。

私の場合はまだまだ走っている段階なのでアドバイスできるような人間ではなく、自分も必死です。ただ自分としては、「単純に自分自身は世界一になりたい」とか、「トップになりたい」とかを強く思って、それに対してがむしゃらにやり続ける、自分を信じてやっていくということをやってきたと思っています。ひとつ、大事にしたコンセプトとして、3年とか5年かけて結果が出るような研究はやって来ませんでした。それは当たればスーパースターになれるし、1年目に当たってすぐにスーパースターになった人もいると思うけれど。私は、高い確率で成果がでるような研究を意識して選んできました。成果が出れば、単純に心の余裕が出る。よく学生さんにも言いますが、いきなりホームランを打てなくてもよくって、まずはバントでもいいから成果が出せるようになって、それがヒットへ、やがてホームランへ繋がれば良い、と思う方の人間です。