STI Hz Vol.9, No.3, Part.3:東京大学大学院理学系研究科 教授 菅 裕明 氏インタビュー -基礎研究とイノベーション双方の立場から見た 科学技術・イノベーション政策の方向性-STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00341
  • 公開日: 2023.09.25
  • 著者: 赤池 伸一、林 和弘、佐々木 達郎
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.9, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
東京大学大学院理学系研究科
教授 菅 裕明 氏インタビュー
-基礎研究とイノベーション双方の立場から見た
科学技術・イノベーション政策の方向性-

聞き手:上席フェロー 赤池 伸一
データ解析政策研究室 室長 林 和弘
第2研究グループ 主任研究官 佐々木 達郎

菅裕明氏は、生物有機化学において卓越した研究成果を生み出すとともに、東京大学発バイオベンチャーの創業に携わり、2023年6月にウルフ財団化学部門賞を受賞した。今回、御自身の活動を振り返りつつ、東京大学教授、ベンチャー創業者、日本化学会会長及び総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)議員という多様な立場から、幅広く科学技術・イノベーション政策に関する意見を伺った。

東京大学大学院理学系研究科 教授 菅 裕明 氏(略歴)1986年岡山大学工学部卒業、1994年マサチューセッツ工科大学化学科卒業(Ph.D.)。ニューヨーク州立大学バッファロー校化学科Assistant Professor・同Associate Professor、東京大学先端科学技術研究センター助教授・同教授を経て、2010年より同大学大学院理学系研究科 教授。バイオベンチャーであるペプチドリーム株式会社・ミラバイオロジクス株式会社の設立に参画。2022年より内閣府総合科学技術・イノベーション会議議員(非常勤)・日本化学会会長。専門分野はケミカルバイオテクノロジー。

東京大学大学院理学系研究科 教授 菅 裕明 氏

(略歴)
1986年岡山大学工学部卒業、1994年マサチューセッツ工科大学化学科卒業(Ph.D.)。ニューヨーク州立大学バッファロー校化学科Assistant Professor・同Associate Professor、東京大学先端科学技術研究センター助教授・同教授を経て、2010年より同大学大学院理学系研究科 教授。バイオベンチャーであるペプチドリーム株式会社・ミラバイオロジクス株式会社の設立に参画。2022年より内閣府総合科学技術・イノベーション会議議員(非常勤)・日本化学会会長。専門分野はケミカルバイオテクノロジー。

- まず、菅先生は基礎研究を大事にしながら特許出願やベンチャー創業に多数関与されています。そのように研究とビジネスを両方に携っている狙いはどこにあるでしょうか。

私がスタートアップ(ベンチャー)を作る理由は、自分の基礎研究とイノベーション活動を完全に分離することで、自分の自由な基礎研究を守るためです。世間では、自分の研究が成功して社会実装ができそうな気配が見えてきたら、研究成果の技術を元に大学発ベンチャーを創業すると思われているかもしれません。会社の経営がうまく行ってリターンが得られたら、そこから自分の研究室に研究費を回すと良いと考えている人が多いでしょう。

私の研究室では基礎研究や応用研究としては国から予算を獲得しており、スタートアップとの協業や産学連携は一切行わず、産業からの研究費を研究室に入れることもしていません。基礎研究や応用研究の一部に研究を特化して、発明した新技術を特許化するところまでは我々のアカデミックな仕事と考えています。しかし、そこで発明した技術を社会実装できるところまで育てるには大きな時間がとられるので、その部分はスタートアップの人たちにやってもらうのです。私が実質的にコントロールしているのは自分の研究室だけで、会社には1か月に1回取締役会と研究開発戦略会議に出席するくらいです。ただし、会社からの相談にはいつでも乗りますが。

もちろん、ミラバイオやペプチドリームから様々な情報が入ってきますが、必ず私のところで止めて研究室には情報を入れないように細心の注意をしています。会社の内部情報が研究室に入ってくると、自由な学術研究に専念できなくなり、本来進めるべき研究方針にバイアスが掛かってしまいます。菅研究室ではトップ10%ジャーナルに採択されるようなハイレベルの成果を生み出し、基礎研究のアウトプットのクオリティを常に高く保っています。きちんと基礎研究と会社との間に線を引いて区分することで、情報の混入がないようにして両者がうまくいくようにマネジメントしているのです。

- 基礎研究とベンチャーにおける活動を明確に分離して情報が交錯しないようにすることで、菅先生は両立させているのですね。

スタートアップに対して研究室で得た学術的な知見を共有することはありますが、特許化する技術のライセンス交渉に私が入ることはしません。会社への特許ライセンス交渉は東大TLOに一任していて、交渉の内容には私は一切立ち入らないようにしています。東大の立場ではライセンス料を高くしてほしいし、会社の経営の立場ではライセンス料を安くしてほしい、そのような利益相反にかかることには決して踏み込まないようにしています。ビジネスに関する交渉は菅研究室・東大TLO・スタートアップの三者関係を利益相反に配慮しながら構築することで、スムーズに進めることができています。

アメリカのスタートアップでは、大学に所属している発明者や創業者もベンチャーのサイエンティフィックボードとして入ることは多いですが、直接ベンチャーの役員に就く人は極めてまれです。私とオーストラリアの大学教員との共同研究成果に基づいて、その先生がスタートアップを立ち上げようとしたとき、その大学では研究者がその会社への投資もできなければ、役員にもなれない厳しいルールが適用されていることを知りました。利益相反に関しては日本よりも海外の方が厳しいと感じます。

菅研究室・東大TLO・スタートアップの確固とした三者関係を維持するためには、会社の経営をしっかり任せられる社長を連れてくることが重要です。私たちの方から経営人材を探してアプローチしています。ベンチャーの経営者は最初に選ぶ人材が重要で、そこで良い人を当てれば優秀な人が集まってきます。経営がうまく行かなければ変更すれば良い話ではありますが、ベンチャー経営には良い人を最初から就けることがとても重要です。

- 菅先生がベンチャーでのイノベーション活動に関わった御経験が、研究室での基礎研究に及ぼした影響はどのようなものでしょうか。

私がイノベーションに関わった経験から、目標がはっきりしていた方が研究しやすいということを実感しました。企業であれば当然収入を獲得しなければなりませんし、定めた目標に向かって企業を成長させていくことになります。一方、アカデミックな立場からは必ずしも研究室の規模や予算を成長させていく必要はありません。研究費を取り続けてコンスタントに論文を出していれば良いかもしれません。しかし、目標に向かって研究室全体を運営し、達成したら次の新たな大きな目標を立てて向かっていくことで、戦略的な研究を行うことができます。イノベーションに関わっていなかったら、このような考えには至らなかったかもしれません。

基礎研究の論文では解決できていない問題をイントロで言及して、独自のアプローチを示して研究成果を記述します。しかし、研究テーマに関しては、常に学生たちに「これは菅研でなければできない仕事か?どこかで誰かができることをやるのか?」という問いを投げかけます。やれば当然にできそうなテーマ、時間を掛ければ普通に解決できそうな問題を選ばないようにするのが菅研流です。学生たちには個性を生かして、菅研でなければできない仕事をしてほしいと思います。そのような個性のある研究成果こそが、発明のネタになり、イノベーションの源になるのですから。研究テーマも学生の個性を生かす方向で考えています。研究の日々の打合せは、スタッフが丁寧に学生とミーティングしていますが、毎週土曜のグループミーティングは私にとってとても重要な時間です。私が多忙なので、平日はなかなか時間の余裕がないのですが、グループミーティングでは3~4時間くらい時間をとって学生たちと研究について議論する機会を設けています。

- 菅先生が実際にベンチャーに関わった御経験の中で感じた政策における問題点について教えてください。

日本を経済的に強くしていくには科学技術しかありません。イノベーションには投資も必要ですし、国内企業がベンチャーに対して積極的に投資をしていく社会構造になっていかないと産業全体が大きくなりません。

ベンチャーを作るときに重要なポイントは外貨を獲得できること、すなわち海外で売上げを立ててお金を取ってくることです。国内で上場して国内市場でビジネスをしているだけでは既存企業から売上げを奪うゼロサムゲームになってしまいます。政策面でスタートアップ育成やSBIR(Small Business Innovation Research)制度を議論していますが、外貨を稼げないベンチャーにお金を入れることには大反対です。そのようなベンチャーに対しては税金ではなく国内のベンチャーキャピタルがリスクをとって投資すれば良いだけの話です。税金を投入する以上はグローバルに稼げるベンチャーに成長する可能性が必要です。例えばIT系ベンチャーの事業計画を見ると、海外で競合他社が既にサービスを提供していることが多く、グローバルな市場シェアを獲得する見込みが立たず、国内だけでのサービス展開に閉じてしまうプランが多いのです。国のお金を投入する以上は、海外でも市場を獲得することを目指せる会社でなければなりません。外貨を稼げる見通しを公的投資のクライテリアに加えるべきだと思っています。

- ベンチャーに対して公的資金で投資を行う場合は、グローバル規模のビジネスに発展しうるポテンシャルを持っておくべきということですね。

政府がスタートアップ元年と銘打って注目が集まっているものの、若い学生はベンチャーに就職しない問題があります。日本化学会年会で8年ほどバイオベンチャーのセッションを実施して、上場ベンチャーの社長に講演してもらいました。毎回楽しいセッションになっているのですが、学生の参加がほとんどありません。このように学生がベンチャーに就職しないことは社会構造に起因していると思います。理系の学生のほとんどは修士課程に進学するのですが、その大学院生は卒業の1年以上前に就職先を決めるのが慣習になっています。しかし、スタートアップは1年先のキャッシュフローを確定できないことが多いので、人材採用をそれほど早く決めることは難しいのです。そうなると学生たちは1年前から採用を決定できるような大手の安定した企業を選択してしまいます。そのような人材採用行動の蓄積が日本でイノベーションが生まれない素地(そじ)を作ってしまったのではないかと危惧しています。米国では修士・博士一貫が一般的であり、修了の1年前の時点で就職活動をしても企業に採用されることはありません。日本では学生が大学院を修了できると決まっているわけでもないのに、1年前に企業が内定を出すことが慣習になっていて、スタートアップには良い人材が集まりにくい社会構造になっています。

スタートアップを強化していくためには、就活にも見られるような社会構造にも手を入れて変えていかなければなりません。既存の社会構造のままではイノベーティブな学生たちが活躍してこない。スタートアップ育成・博士人材活用・国際頭脳循環・オープンサイエンスなどを実現するためには、社会構造の変革も必要だと思います。

また、日本のスタートアップに対して、海外のVCを入れて投資してもらえば良いというアイディアを良く聞きます。しかしそんなに簡単な話ではありません。海外VCは自分の国で稼ぎたいというインセンティブを持っているので、ベンチャーへの投資判断もそれが前提になってしまいます。イスラエルのヨズマファンドのような官民ファンドを作って「国内でもこのベンチャーに投資しているから海外VCも投資してほしい」と言わないと、海外VCに日本のベンチャーに投資してくれと言っておきながら自分たちがやってないのであれば、そもそも無理な話です。国内のファンドも今の10倍くらいの規模にしていかないと絵にかいた餅で終わってしまうでしょう。官民ファンドを日本でも立ち上げて、外貨を獲得できるベンチャーを育てていくスキームを作らなければなりません。そのような環境が整えば、海外VCもやって来て投資してくれるようになるでしょう。

- 先生のこれまでのキャリアにおいて、東京大学先端科学技術研究センター(先端研)での勤務経験が大きな影響を与えていると伺っています。先端研での経験はどのようなものでしたか。

とても面白い組織だと感じました。先端研は寄せ集めの研究所で分野もバラバラで、研究者が抜けたときに、抜けた人とは別の分野の研究者が入ってくる新陳代謝が起こる珍しい研究所です。多くの研究所は同じ分野の人を採用して構造を守るものですが、先端研は過去の経緯や構造を重要視しない、日本でまれに見る研究所でした。

法人化される前は研究所が独自に行動して文科省に概算要求をすることもありましたが、今では東大の一部になってしまい、研究所本来の良かった部分が消えてしまっているように思えて残念です。研究所は小さいけれど機動性が高いので、大学として研究所の良さをどのように担保するかが重要です。先端研はとても楽しく、個々の研究者のアクティビティが高い研究所で、とても研究がやりやすかったと思います。よくあんな雰囲気の研究所を30年も前に作ったと感心します。学部の講座の感じが嫌いな人が集まって作ったのかもしれませんね。そのリスクを取ってでも自分の思い描く研究所を作ったのでしょう。先端研での研究経験が今に生きています。

- 話題を少し変えて、日本化学会会長として、日本化学会を始め日本の学会が直面する問題は何でしょうか。 多くの学会の会員が減っていく中で、今の会長として日本の学会に対してどういう思いをお持ちでしょうか。

日本化学会は会長任期2年と短いですが、例えば、英文誌の運営に関してOUP(Oxford University Press)と組んで国際連携やプレゼンスの向上を図った改革を進めようとしています。しかし、収入を会員の会費のみに依存して経営する現状の体制は持続的ではありません。英国王立化学会(The Royal Society of Chemistry)やアメリカ化学会(American Chemical Society)はジャーナル事業をうまく活用して収入を確保しているので学会経営が安定しています。日本は言語の関係で学会誌をトップジャーナルにして収入を増やす方策は困難で、今の経営を続けていくことは厳しいと言わざるを得ません。

日本では小さな学会が多く、どこも赤字で苦しんでいます。昔は高齢の先生がトップになりたいがために、小さい学会を作って会長職に就く風習があったようです。しかし、今の中堅から若手の研究者はそのような小さな学会の運営には興味がありません。自分の研究時間を削ってまで学会経営の実務に乗り出したい人はいないでしょう。そういった体制は変えていく必要があります。小さい学会は大きな学会の部門や分科会として将来的には統合した方が良いと考えています。大学研究者の中には過去の経緯や歴史にこだわる人がいます。歴史は消えませんが、現在を頑張らないと過去の歴史(遺産)に頼ることになってしまいます。進化し続けなければなりません。日本化学会では基礎研究とイノベーションの両方をやっていた60歳に届かない私が会長に採用されたこと自体が、衝撃だったと思います。日本化学会は、今後アカデミアの学会員のみならず企業の学会員に対しても、有益なサービスを提供できるような学会になっていかなければなりません。そして学生たちが就職してもそのまま学会に残ってくれるような魅力的な学会に変革していきたいと考えています。

- その若手人材の育成について、菅先生が重要と感じていることを教えてください。

昨年度の日本化学会年会の会長講演で、若手研究者にゴードンリサーチ会議(Gordon Research Conference)に参加するように訴えました。ゴードンリサーチ会議はアメリカの若手研究者が名を上げる登竜門となるインテンシブな合宿形式の会議です。最近私が出席していても、日本人の顔を見ることがほとんどありません。私がアメリカで働いていた頃、ゴードンリサーチ会議に行くと日本人が5、6人は出席していて、どの分野のゴードンリサーチ会議に参加しても日本人研究者がいました。こういった小さい会議で自分の研究を発表して、世界の若手研究者と顔見知りになることが非常に重要です。このコミュニティの中で高いレベルの研究者として信頼を得ておくことが、将来投稿した論文の採択に影響を及ぼすこともあります。大きな会議だけではなく、小さくて親密になり後々影響を与える会議に参加することも効果があるのです。科学系のリサーチ会議は30~40件開催されていて、参加費用も安くなっています。会議の期間中は大学の寮に寝泊まりすることになりますが、若い研究者たちとずっと一緒に過ごしたり酒を飲んだりして人脈を作ることが重要です。アジア人では中国人はコンスタントに出席していて、そこでネットワークを作り、本国に戻ったときに良い論文誌に掲載しています。日本の若手研究者にはそのハングリーさが最近足りていないと感じます。

- 最後に、今後の科学技術・イノベーション政策の中で、菅先生が注目しているポイントを教えてください。

国際卓越研究大学・10兆円ファンドを通じた大学変革です。これまでにない政策であり、ここまで強く大学変革を求める政策もありませんでした。大学に対して強いメッセージを発信しており、今まで以上に思い切った改革を宣言する大学も増えてきました。国際化をどのように進めるか、大学自身がどのように変わらないといけないか、真剣に見直すべき重要な局面になっています。

世界全体で研究力を見たとき、日本のトップ大学のランキングが下降し続けている状況は外から見ると非常に印象が悪い。集計方法の問題点を指摘する声もありますが、全ての大学が同じ方法で集計されている以上、同じ土俵で順位を下げているわけです。これが長く続くと、日本の科学技術全体が落ち込んでいると世界から判断されても仕方ありません。国際卓越研究大学のミッションは、ファンドから資金を投入して変革し、研究のトップラインを押し上げて世界の中でも際立つ大学になることにあります。

また、国際卓越研究大学の仕組みだけでは日本の大学全体のクオリティは上がりません。アメリカでは州立大学でも力を持っている大学は、有名大学の影に埋もれることなく得意な分野でトップに食い込んでいます。国際卓越研究大学に加えて、地域中核大学が担う役割も非常に重要です。トップ大学はできるだけ早く運用資金を自分たちで回せるようになって、地域中核大学から上がってきた大学が国際卓越研究大学に加わって成長する形になってほしいところです。日本全体の大学を改善するには、国際卓越研究大学と地域中核大学の両方が重要です。国際卓越研究大学と地域中核大学が一緒になって振興していくものであり、トップ大学と地域中核大学やその他大学を区別するのではなく、むしろ総合的に動く全体最適化が重要です。

もし今後、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)のような拠点形成を行う場合は地域中核大学を選定し、大学の良さを伸ばしていく政策が良いでしょう。国際卓越研究大学になるような大学はそもそも自分たちで拠点を作ることができるはずであり、WPIをつけても結局学内組織の一部になって消えてしまいます。むしろ地域中核大学が拠点形成を進めながら優秀な若手人材を取り込み、世界の中で光る分野を立ち上げてプレゼンスを発揮するべきです。金沢大のWPIは若い先生がトップになって、プレゼンスがあって非常に面白い。WPIが本当の意味で発展していくには、地域の大学で拠点形成をしていくことが重要で、それが日本の大学の将来を占う大きなポイントになるでしょう。

インタビューの様子インタビューの様子