STI Hz Vol.9, No.2, Part.3:東京農工大学 学長 千葉 一裕 氏インタビュー-科学を基盤にヒトの価値を知的に社会的に最大に高める-STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00331
  • 公開日: 2023.07.12
  • 著者: 須藤 憲司、松本 泰彦、黒木 優太郎
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.9, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
東京農工大学 学長 千葉 一裕 氏インタビュー
-科学を基盤にヒトの価値を知的に社会的に最大に高める-

聞き手:総務研究官 須藤 憲司
第2調査研究グループ 上席研究官 松本 泰彦
科学技術予測・政策基盤調査研究センター 研究官 黒木 優太郎

概 要

2020年に東京農工大学学長に就任した千葉一裕氏。国立大学法人と民間ベンチャーキャピタルの連携による初の「認定ファンド」である「TUATファンド」を組成し、主に東京農工大学発のスタートアップを支援。また、ムーンショット型研究開発制度では、ムーンショット目標5(2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出)のプログラムディレクターにも就任。学長ビジョンとして「科学を基盤にヒトの価値を知的に社会的に最大に高める世界第一線の研究大学へ」を掲げ、人の未来価値を広げる教育改革、研究連携に基づく新機軸の創成、社会に向けた知識の提供と実践、教職協働による経営基盤の強化に取り組んでいる。今回、これまでの御知見から、博士課程学生も含めた研究者育成や、研究と教育、大学マネジメント等について、科学技術・イノベーション政策に関する意見を伺った。

キーワード:人材育成,ガバナンス改革,研究力,イノベーション創出,教職協働

国立大学法人東京農工大学 学長 千葉 一裕 氏

国立大学法人東京農工大学 学長 千葉 一裕 氏
(東京農工大学提供)

(略歴)
農学博士。専門分野は、生物有機化学、有機電解反応等。1983年キユーピー入社。1990年東京農工大学助手、2017年同大農学研究院長、2020年同大学長に就任。ベンチャー起業や産学連携、国際的なイノベーション教育を推進し、研究成果の社会実装や人材育成に関する豊富な知見・経験を有する。2020年には内閣府のムーンショット型研究開発制度の目標5(2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出)のプログラムディレクターに就任。2023年度より文部科学省科学技術・学術審議会大学研究力強化委員会主査。

- まず初めに、東京農工大学ではテニュアトラック制度を活用して優秀な若手研究者の採用のほか、女性研究者の採用にも熱心ですが、若手研究者、女性研究者育成の取組や若手研究者・女性研究者を積極的に採用されている背景を教えてください。

大学そのものの在り方等を考えたときに、自分の強い意志、意欲を持った人が、その力を存分に発揮できる大学でありたいと思っています。若手研究者も女性研究者も含めて、自分たちが「こうなりたい」という意志・意欲を重んじ、大学がそれを受け入れ、支援することを基本理念としています。私はこの基本理念が一番大事だと思っていて、「そのためにどういう仕組みを導入するか」が重要であると考えています。

例えば、特に研究をどんどん進めたい研究者を対象にした、キャリアチャレンジ制度というものがあります。准教授が早く教授になりたいときに手を挙げて全学的審査を受け、この制度に乗った瞬間から5年間は教授と称することができ、研究に集中できるようにしました。ただし、その期間に約束した成果が出なければ准教授に戻ります。実際には意欲的に挑戦する若手研究者が増えています。

また、女性研究者についてはSAKURA制度というものも導入しています。女性研究者については、数だけを目標にするのは意味がないと思っていて、女子学生に「自分たちも将来はこういう活躍の場があるのだ」ということを認識してもらい、それぞれの才能を発揮できるようにしていきたいという思いがあります。世界的にも日本はこの点が遅れているわけですが、そもそもこういう部分を議論しなくてよい状態にしていくことを目指すべきです。そのために明らかに人数比に差があるところについては採用を増やし、かなり早く昇格できる制度を目指しています。また、管理職、特に部局長、理事や学長への女性進出の促進も目指しています。

- 人材育成には国の支援がある一方、支援期間終了後が大変だと思いますが、御苦労などありましたでしょうか。

人件費が限られる中で人材育成の制度がどうあるべきか、またどういう運用が必要かということについて、全学的にコンセンサスを得ていくか、というところですね。本学では学内会議の場で丁寧な議論を行い、例えば定年退職した人をできる限り若い人につなぐようにしました。優秀な研究者をリクルートする取組も大事ですが、それと同時にこれからの若手研究者を採用したり、昇進チャンスを増やしたりすることも大事です。やはりどれだけ若手研究者の力を伸ばせるかということが大学として重要なミッションだと思っていますので、そういう価値観を全学で共有していくことが大事だと思っています。

- 続いて、研究力向上が強調される中で、教育と研究との両立や、研究時間の確保など研究環境の改善への取組についてはどのようにお考えでしょうか?

まず、研究と教育を分けた考えから脱却しました。本学では教育と研究は完全に一体化していて、社会貢献もそこにつながっています。かつては縦割り構造で、それぞれ担当の理事が所掌し、事務体制としても研究を支援する部署、教育を支援する部署、という別々の体制でしたが、全く違うガバナンス体制を組みました。研究力があることは非常に高い教育効果を生むため、教育と研究を分けて考えることは余り意味がないのではないかということで、理事や副学長の体制を大きく変えて経営(理事)と教学(副学長)の体制を組みました(図表1)。つまり、教育、学術研究を「教学」とし、一人の副学長が全て統括する形にしており、ここは教育、ここは研究というような見方はもうしていません。事務体制も同様です。これは一朝一夕にできることではなくて、学内のコンセンサスを得ながらこういう体制に変えていくのに、我々は丸三年かかりました。

研究時間の確保については、このガバナンス体制が非常に重要で、教学統括副学長の下に、学部長や部局長等も全て入っている組織を作り、ここで非常に多くのことを立案から決定まで担う体制になっています。全てを全学的議論にすると非常に多くの時間がかかりますし、教員が参加すると研究時間も割かれます。一定の権限をこの組織に一任し、大きな方向性は役職を持った人間が決めていく。責任の重い立場にもなりますが、みんなで議論してみんなで考えるだけでは世界と戦う仕組みづくりは難しいと考えています。

今までお話ししたことは、広く「世界全体がどうあるべきか」という観点からのものであり、そのモデルを大学が示すべきだ、と思います。そうでないと日本は世界からおいていかれてしまいますし、「世界をリードしていく日本」を目指すことも難しくなってしまいますので、確実に取り組んでいきたいと考えています。

図表1 経営(理事)と教学(副学長)の体制図表1 経営(理事)と教学(副学長)の体制

(東京農工大学より提供)

- 現在、国では国際卓越研究大学や地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージの改定が行われ、大学の研究力強化の取組が進んでいます。研究力向上に向けて大学の研究現場ではどのような取組が必要と思われますか?

高い研究力に向けた取組というと、ものすごく優秀で世界的に著名な方をどんどんリクルートすることや、研究環境を整えることなどが考えられます。ただ私たちは、社会や時代の要請をしっかりと捉えた上で、明らかにしたい事象や社会のあるべき姿を描いて、そこに向かっていくために不可欠な学術領域を切り開く信念が一番重要であると思っています。将来の学術的あるいは社会的なスコープについて、学会など学術的なコミュニティや、地域、国際社会と意見交換を行ったり交渉を進めたりできることが、卓越した研究力が発揮されている状態だと思います。しかし、研究力の議論では多くの場合、この部分まで捉えて物事を進めていく観点が不足しているのではないかと思います。本学では、10年後にどうあるべきか、この地域がどう変わっていかなければいけないのか、世界の中の日本の立ち位置や役割はどうあるべきかということを、学内の研究者たちを引き込みながら議論しています。

私は、大学の本来あるべき姿の実現に重要なのは、ここにどれだけ注力できるかだと思っています。本学では日本の困っている地域に積極的に手を差し伸べ、具体的事業をどう展開していくか対話しています。また、日本の食料やエネルギー事情を考え、どういう国とどう付き合っていくか、どういうサイエンスを取組のベースにおくべきかということも考えながら他国との交渉も進めています。こういった活動自身が、本当の意味での研究力であると思っています。

- 地元への貢献だけでなく、日本という大きな視点で取り組んでおられますが、その取組の具体例についても教えてください。

例えば東日本大震災が発生した際は、本学は即座に30人規模の教員が様々な専門でどういう貢献ができるかという調査に入りました。初動が非常に早かったこともあり、地域の大きな信頼を得て、例えば地元の稲作をどうするかという課題については、台風の被害にあわないなどの付加価値の高い米を作るといった具体的な解決策を本学が提案しました。結果としては非常に生産性の高い、あるいは倒れない稲を作ることができ、更に優れた日本酒の原料にもなるなど新しい事業としての価値を生み出すことができました。地域への貢献のベースには地元との信頼関係が欠かせないものであり、ひいてはスタートアップにもつながります。

- 千葉学長はベンチャー企業への技術移転の御経験がありますが、スタートアップをはじめとするイノベーション創出に向けた国の取組をどのように評価されているか教えてください。

イノベーション創出あるいはその活動の一要素としてスタートアップがあって、これを支援する国の姿勢は大変重要なことであると思っています。仕組みづくりや予算措置は重視していただいていますが、私の経験からは、それだけでは十分ではないと思っています。

最も重要なのは、しっかりと志を持ち、構想と実行力を持って挑戦する人の発見・発掘で、正に大学がやらなければならないことです。知の新しい世界に突き進んでいる代表的な人は、実は博士課程の学生たちであり、それを日本の社会は認識すべきだと思っています。専門領域として狭い所にとらわれていると思われてしまっていますが、未来の必要な学術領域を広げるために深掘りに挑戦している若い人たちこそが博士課程の学生です。博士課程の学生は、スタートアップに限らず、日本の未来や、答えのないこれからの世界を切り開く上で非常に重要な要素を持っている人たちです。ですから本学としては、国の期待に応えるためにも、もっと彼らの活躍の場を人的、物理的、そして財政的に支える努力をしなければならないと考えており、大学独自の日本発の認定ファンド注1設立に踏み切りました。国の進める、求める方向に同調、リンクする形でありつつ、大学としての考え方をしっかりもって後押しするという流れを作ることが大事だと思います。

- 貴学では教員だけではなくて学生も研究やイノベーション創出の主役ということでしょうか?

そうです。学生や若手の先生たちとの対話を管理職にある人たちで個別に行い、コンサルティングやファンド等の外部の専門家も巻き込み、どういう形で研究を行っていくか、資金が必要か、場所が必要か、など一緒になって考えています。場所が必要となれば、その情報は学長まで上がりますので、必要ならば大学は長期借入してでも必要な判断をします。当然大学としては一定のリスクを負うことになるので大変ではありますが、大学が本来やるべきことは若い人たちの才能を伸ばすことです。発見して伸ばすことそのものが大学の存在意義ですので、挑戦する気持ちを常に持って臨んでいきたいと考えています。

- 全国的には博士課程の学生が減少している一方で、貴学では博士課程の定員を超えている状態なのは、進学後も困らないというポジティブなところを修士の頃から見ているからなのでしょうか?決め手は何なのでしょう。

一つは教員も含めて、博士課程のあるべき姿は何かということをみんなで共有してきたことです。博士というと、先ほど申したようにある特定分野で知識があるというイメージがあり、受入れ側からすると「自分たちが求める専門と違うから困る」となりがちですが、それなりの覚悟を持って極めた人は、分野が変わっても極めることができます。日本だけでなく世界が求めるのはそういう人です。これからの世界、何をやれば良いのかということが簡単には分からない。グローバル社会を迎える中、そういう世界で未知の課題に挑戦できる人が重要です。

こういった価値観を学部に入ったときから学生たちとも共有し、先生たちとも常に意見交換しています。もちろん、「自分の専門の中に特化して…」と思われる先生も多いです。そういう人たちとも一緒に議論をしたり、大学全体のミッションに基づいた社会貢献活動や新しい研究の仕組みを作るにはどうしたらよいかという活動に参画したりしてもらうのです。そうすると自分の研究だけでは済まないのだということを多くの若い先生たちも認識してくれて、だんだん取り組み方が変わっていく。こういった努力をかなり長い間続けてきました。結果として民間企業への博士課程学生の就職も増えていると思います。

- それは、企業の方も東京農工大学の博士がどんな人材かを認識しているからでしょうか?

そうだと思います。もちろん、一定の割合で、「この基盤研究、先端研究で世界を席巻したい」という学生も出てきてくれるので、本当にすばらしいことです。このような学生を大学としてしっかり後押ししています。ただし、全員がそうなるわけではなく、自分はプロジェクトや組織のトップがよいとか、自分はこういう部分で重要な事業を支えたいとか、いろいろな個性を発見していくことこそ日本の国立大学の役割だと思います。

- 研究力の強化の議論の中で大学のマネジメントが注目されていますが、マネジメントということでは自主財源の確保が重要だと思います。千葉学長の考える大学のマネジメントで重要なポイントを教えてください。

自主財源の確保で最も大事なことは「なぜそういうことをするか」を明確にすることです。国立大学としての役割をもう一度認識し、次の時代に向けた自大学の役割、進むべき方向を明確にすることが重要で、そのためにマネジメントがあるわけです。ビジョンのないところに成功につながるマネジメントはないと思っています。これまで学内で様々な議論を行ってきまして、本学は科学を基盤として公益性と事業性を確保することを重点課題として明示しています。

公益性は社会的に重要な事項で、例えば社会保障費の削減、事故減少や自然災害低減等がありますが、これはもっとサイエンスを極めて力強く発信することで実現できると思っています。未来に希望が持てる日々の生活や、安心安全な社会の形成は誰もが望むことですが、本来はもっとそこに踏みこんでいくべきです。

事業性と言う表現から誤解されやすいのは、「お金稼ぎ」と言われることです。実態としてそういう部分は重要ですが、なぜ事業性が大事かというと、収益構造に支えられた事業の持続性と波及性がないと世の中が良い方向に発展しないからです。若い人たちに「もっと農業をやろう」と、生活の成り立たない状況で言っても長くは持続できず、波及効果もない。したがって、どうしたら環境に配慮した持続的な食料生産、食料供給という産業が成り立つのか、投資を受けられるのかを考えることが重要になります。ただし、投資を受け波及力を伴った事業は大きな責任を伴います。その責任を持った行動そのものを、大学はもっと強く意識すべきだということです。それなくして重要な理念、新概念の社会的な波及は難しいわけです。この取組の一つが小金井動物救急医療センター注2で、公益性と事業性を核とする1つのモデルケースになると判断して全力で取り組ませていただきました(図表2)。

図表2 小金井動物救急医療センター外観写真図表2 小金井動物救急医療センター外観写真

(東京農工大学より提供)

- 教職と事務職との連携についてどう思われますか?大学によっては教職と事務職の間で「上下関係」があるところもあるように思われますが。

「教職協働」は正にそこをイメージして15年くらい前から取り組んできました。事務職は経営の中核となるべきだ、もはや事務職員という表現も適切ではないと思っていて、経営スタッフという位置づけになるのではないかと考えています。

そういう意味で、事務職も価値観とか既存の仕事の在り方の転換を迫られていて、自分たちが先頭に立つという意識付けを進めています。例えば、認定ファンドの申請、外部との交渉も事務職の課長が責任をもって様々な交渉に当たっています。

- 大学IRの取組についても教えてください。論文など、強み分析のようなことはされていますか?

常にそういう解析はしています。ツールやデータベースの契約もしていますし、十分に評価が高くないのはなぜかといったことはいつも考えています。例えば一般的にもそうですが、本学は国際的なレピュテーションがやはり弱いのです。大学の規模の問題もありますが、もっと外にわかりやすく発信することも必要で、これを反省材料としながら進めています。

- 今後、NISTEPの活動で期待されることがあれば教えてください。

日本の大学の特徴として、非常に数が多くて規模の小さいものが分散しているわけですが、実際のクオリティは一つ一つが非常に高いものを持っています。世界ランキングの順位にとらわれてその対策を立てるのではなく、世界全体の中で、日本の大学の仕組み自体が大きな意味をもつ、というゴールを目指すべきだと思います。ですから、次に世界が求めているものは何なのか、ということを解析していただくことがすごく重要で、NISTEPにはその点を期待したいです。例えば温室効果ガスを減らすことがお金になる仕組みを作るとか、そういう議論が海外では具体的に始まっています。そこには当然新しいサイエンスが必要になるので、そういうところをNISTEPにはもっと解析していただいて、「だからこういう部分の科学技術をもっと進めなければいけない」、あるいは「新しい学問も必要かもしれない」ということを、どんどん先読みをして手を打てるようにすることが大事だと思います。そして「世界に大きく役立つ大学が、なぜか日本に多い」という状況を作りだしていくことが、世界ランキングが何番になるとかよりも、実は日本のプレゼンスを示す上ですごく重要かなと、私は思っています。

(インタビューを終えて)(インタビューを終えて) (左から)NISTEP黒木、松本、東京農工大学 千葉 一裕氏、NISTEP須藤(NISTEP撮影)

(左から)NISTEP黒木、松本、東京農工大学 千葉 一裕氏、NISTEP須藤(NISTEP撮影)


* 役職は2023年3月当時

注1 現行制度上初めて、民間ベンチャーキャピタルであるBPキャピタル株式会社と連携して組成した「認定ファンド(投資事業有限責任組合)」、TUATファンドのこと。2023年1月18日、経済産業大臣及び文部科学大臣からファンド組成に係る認定を受けた。

注2 小金井キャンパスの既存建物を改修した、東京農工大学として2つ目の動物病院。1大学に2つの動物医療病院を設置(農学部附属施設でありながら工学部のある小金井キャンパスに設置)する取組は、全国の大学では初。