STI Hz Vol.7, No.2, Part.3:(特別インタビュー)科学技術振興機構社会技術研究開発センター(RISTEX)センター長 小林 傳司 氏インタビューSTI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00252
  • 公開日: 2021.06.25
  • 著者: 赤池 伸一、山下 泉、林 和弘
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.7, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
科学技術振興機構 社会技術研究開発センター(RISTEX)
センター長 小林 傳司 氏インタビュー
-社会課題解決型調査研究、ELSIやEBPMを
より正しく理解するために-

聞き手:上席フェロー 赤池 伸一
科学技術予測・政策基盤調査研究センター 主任研究官 山下 泉
データ解析政策研究室長 林 和弘

2021年度からの5年間を計画期間とした第6期科学技術・イノベーション基本計画では、人文・社会科学の「知」と自然科学の「知」の融合による「総合知」の活用や、エビデンスに基づく政策立案(EBPM)が重視されている。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)は、その重要な担い手の一つである。

そこで今回、本年度よりRISTEXセンター長に就任された小林傳司氏に、就任の抱負とともに、社会課題解決型調査研究やELSI、EBPM等について伺った。

小林 傳司 社会技術研究開発センター長(RISTEX提供)

小林 傳司 社会技術研究開発センター長(RISTEX提供)
略歴
1978年京都大学理学部生物学系卒、1983年東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。1987年福岡教育大学講師、助教授、1990年南山大学人文学部助教授、教授、2005年大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授、理事、副学長を経て、2021年より現職。専門は、科学哲学・科学技術社会論。

- 最初に、RISTEXセンター長への御就任の抱負についてお聞かせください。
小林センター長は、これまで一貫して「社会における科学」と「社会のための科学」に取り組まれてきたと承知していますが、その経験を踏まえ、どのような抱負をもってRISTEXの活動に取り組まれるのでしょうか。

まず、自然科学色の強いJSTの中にあって、人文・社会科学系の色彩が強いRISTEXは、科学技術基本法の改正により人文・社会科学(以降「人社」と略す場合がある)のみにかかる科学技術も法の対象になり、重要性を増しています。また、JST以外の組織においても、人社系の組織に関心が集まることとなりました。

実は私自身も基本法改正には有識者の立場で関与していたので、基本法の話から始めさせていただきますが、私は基本法の改正時に対して、当初は人文・社会科学についての記述を盛り込むことに対して、「必ずしも賛成しない」と言っていたのです。というのも、人社系と理工系という解像度の粗い言葉遣いはやめるべきだと考えるからです。人社系や理工系と、それぞれひとくくりにされることが多いですが、その中にも、いろいろなタイプの学問が含まれています。それを一緒くたにして論じることで、重要な点が抜け落ちてしまうと思います。ただ、今は法律の対象に自然科学以外も広く取り込むためには、今回のような改正をする必要があったのだと理解しています注1

RISTEXに話を戻しますと、RISTEXは人文・社会科学か、自然科学かにかかわらず、社会的な課題に対して必要な学問を全て動員するというスタンスです。つまり、「人文・社会科学主導型」というようなアプローチ自体がまずいと考えています。解像度の低い言葉遣いが招く誤ったフレーミングを変える必要がある。そういう点は、これからも主張したいと考えています。

RISTEXという組織の取組は、世界的にみてもとてもユニークなものであると考えています。RISTEXの英語名称を日本語に直すと、Research Institute of Science and Technology for Society(「社会のための科学と技術の研究所」)となります。この領域の研究はトランスディシプリナリー研究注2と呼ばれていますが、そのような研究はどの国も模索をしているものの、余りうまくいっていません。RISTEXはそれについて試行錯誤を長年行ってきて、多くの経験を蓄積している。そのような組織は世界にも余りありません。その部分をもっと世界に伝えたいと考えています。

- そのようなことになったのは、日本特有の文脈かもしれませんが、人文・社会科学が自然科学と隔絶されていたということでしょうか。

これまで人文・社会科学が、ある種疎外された位置づけにあったのは、半分は人文・社会科学者の責任でもあると思います。自然科学者に対して、人文・社会科学の見方をきちんと伝えてこなかったと思います。例えば、「批判」という言葉には自然科学系では否定的な意味がありますが、人文・社会科学では必ずしもそうではなく、建設的な意味合いを持っています。つまり、自然科学者、人文・社会科学者が、お互いにそれぞれ大事にしているものの見方を理解し、それぞれの強みと弱みを議論する経験を持っていないのです。そういった違いを理解し合わない状況が、例えば、イノベーションに対して、人文・社会科学系の人でアレルギーを持っている人が多くいるという状況を作り出しているのかもしれません。

このような意思疎通の問題は、「科学技術を社会に導入する際に人文・社会科学系が重要である」というよくある言説にも反映されているのではないかと思います。つまり、ここでは人社系にトラブルシューティングを担ってほしいと言っているように聞こえます。しかし、ヴィルニウス宣言(Vilnius Declaration)においてイノベーションを社会で役立てるための、人文・社会科学の本質的な重要性が示されているように、人文・社会科学の役割は、もちろんトラブルシューティングに限ったものではありません。例えば、人文・社会科学は、社会のreflective capacityのために必要なのです。この言葉を日本語にすると「反省的能力」といったものになりますが、プランAに対する対応するプランBを考える能力と言えます。つまり、本当に社会が追求するに値する社会の在り方とは何か、を深く考えるという姿勢です。そのあたりもちゃんと言わなくてはいけないと思います。

- 隔絶と言えば、研究者と政治家や行政官との間に距離があった面もあると思います。主義主張の内容以前に、スピード感やコミュニケーションのやり方にも課題があったのかもしれません。特に若い研究者が、政策形成過程について知ることも必要だと思いますがいかがでしょうか。

頂いた意見に賛成です。しかし、そのようなことを言うと、かつては、後ろから石が飛んできた。政府に対して、人に聞いてもらうためにはどうやって示すかを考えて打ち込むことも重要です。これについては、海外の組織でも「政治家は忙しいから資料は1枚紙しか意味を持たない」といったことを言っているのですが、日本のアカデミアにはそのような考えはなかったように思われます。ただ、実は学術会議の報告書には科学的助言の在り方についてそのような論点が含まれていますし、最近の若い人の理解は進みつつあるところだと思います。研究者が、自らの研究成果が社会で生きる場を見る経験という点は重要です。

昔、コンセンサス会議に医学研究者を招いた際に、臨床医と基礎研究の医者とではコミュニケーション能力が大きく違うという傾向を目の当たりにしたことがあります。前者の方が、説明能力が高い。研究者が同業者の中でのコミュニケーションを繰り返していると、専門性を共有しない他者とのコミュニケーション能力が高まらないのでしょう。改善のためのひとつのアプローチとしては、省庁へのインターンシップなどがいいかもしれません。もちろんこれは理工系の研究者に限った話ではなく、人文・社会科学系の人たちにも必要な、ある意味、専門家のリハビリプログラムでしょうか。

- 現在、ELSI(科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題)という言葉に日本の政策関係者の注目が集まっています。このことについてどうお考えでしょうか。

日本の政策関係者の注目が集まっている機会に、グッドプラクティスを蓄積していくことが重要だと考えています。CREST、さきがけ、ムーンショットといった政府の重点プログラムの設計時に、ELSIについての検討を反映させるべきとの機運が高まっている点には、日本の変化を感じます。

ただし、このELSIという言葉は、世界的には相当オールドファッションなものと言うべきです。RISTEXの「ELSIプログラム」の英語名称は “Responsible Innovation with Conscience and Agility”であり、ELSIとは異なります。より大きなフレームワークでこの問題を捉えなおそうという考えが反映されています。こちらの方が、現代的かもしれませんね。

日本では、あるテーマに脚光が集まると、5~6年といった期間を区切って、そのテーマに対する資金配分が行われるということが繰り返されてきました。例えば、情報科学に関する倫理的側面の検討については、1990年代に資金配分が行われました。しかし、資金配分の期間が終わると、そこでの研究の蓄積が止まり、研究者も方々へ散っていってしまいました。私が経済学者の方と話していたときに、これと全く同じ構造の問題が、コホートのパネル構築に関しても起こっているというお話を伺いました。欧米では、こういったインフラとしての研究を相当の規模で何十年も続ける仕組みを構築している場合があるのですが、日本の場合は競争的資金で行う場合が多い。それでは、なかなか息の長い取組を進めることはできません。

そのような状況ですから、ELSIに関する議論の理論的な枠組みを、全て欧米に握られてしまうことになります。例えば、最近では、情報技術や生命科学に関する新興科学技術の国際的なカンファレンスのセッションには倫理に関するセッションが組まれることが増えていますが、日本の研究者はなかなかこれに対応できません。有数の科学技術大国である日本が、日本の現実を踏まえたELSI的議論を展開するといったことができていないのです。GAFAが倫理に関する取組を進めていることもあって情報系の人はこのテーマへのアレルギーが軽減されていますが、まだ日本の理工系の研究者は、このテーマにアレルギーを持ちがちではないかと思います。

ところで、Ethicsという英語は、日本語では「倫理」と訳されます。しかし、この倫理という言葉には道徳倫理といったやや堅苦しい響きがあり、これが日本人のELSIへの認識に影響を与えているのではないかとも思います。RISTEXが海外でインタビューをした際には、Ethicsとは、「その社会が何を大切にしているか」を考えることであるという話を聞きました。ELSIにはEthicsのほかにLegal(法律)やSocial(社会)も入っていて社会的に対立の大きなテーマなわけですが、そのような場合は(各々が根源的に大切にしている)Ethicsから入るのがよい、というのが彼らの観点でした。

- 社会課題解決型の調査研究やELSIの論点は、1970年代にも注目が集まったような、古くて新しいものです。私たちは、その歴史から何を学ぶべきでしょうか。

1970年前後は時代の転換点だったと思います。戦後の復興でどんどん社会が豊かになり、人々の給料も大きく上がっていった。この時期の経済成長率は、バブル期を上回る状況でした。しかし、いわゆる公害問題という環境汚染が深刻化していました。その中で、「猛烈」から「ビューティフル」へといった流れができ、歩行者天国というものが考案され、さらにはローマクラブによる「成長の限界」(1972年)の発表へと続いていった。その中で、今までの延長線上ではない、新しい考えが必要とされていました。ワインバーグの「トランスサイエンス」論文(1972年)、米国のテクノロジーアセスメント部局OTA(米国議会技術評価局)設立(1972年)、シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』(1973年)が出てくる。そこにオイルショックが起こるわけです。その後、ディクソンの『オルターナティブ・テクノロジー-技術変革の政治学』、ロビンスの『ソフトエネルギー・パス』(1976年)、ユンク『原子力帝国』(1977年)などが出版されていくわけです。いわば、それまでの路線の見直しの時代だったわけです。

ちなみに、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の前身の法人(新エネルギー総合開発機構)が1980年に設立されたのも、第二次石油ショック(1979年)がきっかけだったと思います。名前の通り、新エネルギーに着目していたわけですが、その後、石油ショックの克服を受け、当初あった環境保護への考えが忘れられていったのだと思います。その時代はそれである程度うまくいったので、見直しの機運は薄れていったように思います。

しかし、今は50年前のような余裕がなくなっています。これまでは考えなくてよかった問題を考えざるを得ない状況になっているのだと思います。財政赤字、人口減少といった問題を抱える上に、隣に人口10倍の国があります。これからも、日本はフルセット戦略でいけるのか?GDPで中国に抜かれたときのショックが残っているのかもしれませんが、これは18世紀以前に戻っただけのことで、本来驚くべきことではないはずです。日本は、科学技術だけでは生きられない。その意味でも人社系は大切なわけです。

一方で、現在の日本では、理工系と人社系の分断という問題もあるわけです。一たび理工系を志すと、途中で社会の問題に興味を持ったとしても、そちらに(かじ)を切ることが難しい。理工系のままでSTSなどの社会に関する研究に取り組もうとすると、落ちこぼれてしまうのです。科学史などの幾つかの例外はあるものの、これまで日本にはそのような学生を受け入れるような仕組みがありませんでした。研究大学の理工系に一つ人社系の講座を置くようにすれば、この問題は解決可能なのではないかと思います。

他方、人社系の研究者が科学技術を十分に理解していないという問題もあると思います。この点については、そのような講座で学んだ人たちが理系と文系をつなぐ接着剤になるという方法が有効なのではないでしょうか。

- RISTEXで、トランスディシプリナリー研究を進めるとしたら、どこに課題があって、それをどう解決しようとしているのでしょうか。

研究者サイドから見ますと、このような研究に取り組もうという志を持った研究者が評価されにくいという問題があると思います。例えば、大学がランキングやトップ10%論文・トップ1%論文などの指標で測られると、大学はそれに対応した行動を取るようになります。非常に多く引用される国際的な大規模研究プロジェクトに人を送り込み、短期的にインパクトを上げるような形です。

しかし、社会的な課題の解決に貢献するトランスディシプリナリー研究の成果は必ずしも論文だけではありませんので、これらのような指標ではなかなか評価の対象になりません。そのため、このような研究に取り組もうとする研究者にとっては、厳しい環境であると考えています。

また、トランスディシプリナリー研究とは、知識のユーザーとともに知識を作っていく研究でもあります。その際に重要なのは、ユーザーの代表性です。この点について、社会課題が地域レベルの話であればうまくいくのですが、政策の次元が上がって対象範囲が広がるに従い、ステークホルダーも多様になってくるためなかなかうまくいかなくなっていきます。RISTEXのトランスディシプリナリー研究に具体的な成果が求められることが多いのですが、そうすると、取り組む課題を地域に根差したものにしていく必要が生まれます。しかしこれだけでいいのかという悩みもあります。その点は課題だと考えています。

- 政治家に伝える際には、シンプルにしなくてはいけないと先ほど伺いました。ただ、エビデンスが現実の意思決定にどの程度の影響を与えるのか、与えるべきなのかは難しい問題があります。どのようにお考えでしょうか。

日本でEBPMのような話に注目が集まると、何が何でもそれに当てはめましょうという話になりがちなのではないかと思います。しかし、一歩立ち止まって、その話の背景を考えてみることが重要だと思います。

米国でEBPMが生まれたのは福祉政策の文脈で、それが教育政策に波及し、その後より広く使われるようになったという歴史があります。その際にEBPMがメインストリームになった背景には、議会がねじれによって機能しなくなった際に、ある種の中立性を担保しようとしたことがあります。このような背景を見ますと、米国でのEBPMの持つ意味がよくわかります。

翻って日本の状況を見ますと、日本ではどのような社会的背景をもってEBPMに取り組むのかという点が明確ではなく、この点は問題だと思います。

EBPMの元はEBM(Evidence Based Medicine; 根拠に基づく医療)にあるわけですが、そこでは①最善の科学的知見の活用、②医療的な専門性、③患者の価値観という3つのものの統合という考え方が根底にあります。EBPMの文脈では、②は政策的な専門性、③は市民の価値観となるでしょう。ここで、日本のEBPMの議論では、①にのみ注目が集まりがちであると思います。それだけではなく、政策とは、必ずしもエビデンスだけで決めることはできないアートな側面があること、政策を通じて影響を受ける市民の価値観にも注目を払う必要があると思います。Evidence Informed Policy Making(エビデンスから知見を得た政策形成)といった言葉もありますが、私はこちらの方がバランスの取れた言い方なのではないかと思います。

とはいえ、現実の政治を見ているとまだまだエビデンスに基づく議論は足りないという面もあります。日本の現実に即してみると、まだまだそれ以前の段階で、エビデンスによるべきと主張すべきなのかなとも思います。何にせよ、政策について議論をする際に、個々が自分の狭い経験に即して議論をしているとしたら、診察や血液検査をせずに診断を下しているようなもので、よい結果に結びつくはずもありません。

- 確かにアファーマティブアクション的に、エビデンスにウェイトをかけて議論するのはあり得ますね。ところで、新しい基本計画とともに、新たな5年間がスタートしました。小林センター長は、今後の科学技術・イノベーション政策についてどのような期待を持たれているでしょうか。

基本計画の中心的な概念のうちの一つに「総合知」というものがありますが、それが実際は文理融合と何が違うかについて疑問が残る部分はあります。しかし、この計画に基づき「総合知」に関する施策が進められることになると思いますから、それを踏まえて考えていく必要があると思います。例えば、人文・社会科学固有の振興策も考えていかなくては、いつまでも人文・社会科学が疎外されたままになってしまいますので、その点は重要だと考えています。

他方、このような新しい概念が作られたことによる懸念点もあります。基本計画中には数値目標が多くありますので、それに関連した業務が多く研究現場に発生するのではないか、例えば、総合知に関する単純で一律な指標を作り、それを追求するようなアプローチは問題があると思います。今後の取組において、現場の負担感をなるべく少なく、また、効果的に把握できる指標の開発と運用が求められると考えています。

(2021年4月26日オンラインインタビュー)

インタビューの様子インタビューの様子 中央:小林 傳司 RISTEXセンター長、右側上段から、NISTEP林、赤池、山下(NISTEP撮影)

中央:小林 傳司 RISTEXセンター長、右側上段から、NISTEP林、赤池、山下(NISTEP撮影)


注1 第6期科学技術・イノベーション基本計画においては、「2020年の第201回国会において、25年ぶりとなる科学技術基本法の本格的な改正が行われた。この法改正では、法律の名称を「科学技術・イノベーション基本法」とし、これまで科学技術の規定から除外されていた「人文・社会科学(法では「人文科学」と記載)のみ」に係るものを、同法の対象である「科学技術」の範囲に位置づけるとともに、「イノベーションの創出」を柱の一つに据えた。」としている。https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/6honbun.pdf

注2 トランスディシプリナリー研究(超学際研究)は、学問分野の隔たりを取り除き、更に社会と学術の壁を乗り越え、異なる立場や価値観をもつステークホルダーが協働で社会の課題解決に取り組む研究。