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- DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00238
- 公開日: 2020.12.21
- 著者: 福島 光博、重茂 浩美
- 雑誌情報: STI Horizon, Vol.6, No.4
- 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)
ほらいずん
歴代「ナイスステップな研究者」鼎談:
東北大学副学長 大隅 典子氏×株式会社ジーンクエスト
代表取締役 高橋 祥子氏×千葉大学大学院医学研究院
人工知能(AI)医学教授 川上 英良氏
-新型コロナウイルス感染症で変容する医学・ライフサイエンス分野の展望-
科学技術予測センター 上席研究官 重茂 浩美
新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大の影響によって、オープンサイエンスなどの新たな風が医学・ライフサイエンス分野に吹きつつある。また、今般のAI技術の発展に伴いビッグデータを活用したプレシジョン・メディシン(遺伝子、環境、ライフスタイルに関する個人ごとの違いを考慮した疾病の予防・治療)などが実現できるようになり、数理科学分野などの異分野融合についても可能性の幅を広げつつある。
新たな潮流が生まれつつある医学・ライフサイエンス分野の未来について、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)歴代の「ナイスステップな研究者」から大隅典子氏(2006年選定)、高橋祥子氏(2015年選定)、川上英良氏(2019年選定)に鼎談していただいた。医学・ライフサイエンス分野の展望に加えて、研究情報の共有の在り方や日本社会におけるサイエンスリテラシーの向上方策などについて議論していただいた。
キーワード:医学・ライフサイエンス,新型コロナウイルス感染症,オープンサイエンス,サイエンスリテラシー,異分野融合
〇大隅 典子 東北大学副学長(広報・共同参画担当)/ 東北大学大学院医学系研究科 教授
女性研究者育成支援体制整備の促進に関する取組に尽力し、「ナイスステップな研究者2006」に選定された。自閉症など脳の発生・発達に関する研究の傍ら、現在、東北大学副学長として、研究業界における男女共同参画社会の推進に向けた支援の充実にも取り組んでいる。
〇高橋 祥子 株式会社ジーンクエスト代表取締役 / 株式会社ユーグレナ執行役員バイオインフォマティクス事業担当
ヒトゲノム解析技術を応用した個人向けの遺伝子解析サービス会社(株式会社ジーンクエスト)を起業、「ナイスステップな研究者2015」に選定された。選定後から現在に至るまで、蓄積遺伝子データベースを活用した産学連携の取組を精力的に実施している。
〇川上 英良 千葉大学大学院医学研究院 人工知能(AI)医学教授 / 千葉大学治療学人工知能(AI)研究センター センター長 / 理化学研究所 科技ハブ産連本部医科学イノベーションハブ推進プログラム 健康データ数理推諭チーム チームリーダー
AIや数理科学を取り入れた予測・個別化医療(プレシジョン・メディシンに向けた疾患予測モデル)の開発成果により、「ナイスステップな研究者2019」に選定された。選定後、日本学術振興会の研究拠点形成事業にも採択され、海外共同研究の実施など活躍の場を広げたり、医学と数理科学の融合研究を主導したりと意欲的に活動している。
大隅氏経歴:
1960年生まれ。東北大学副学長、東北大学附属図書館長。1985年 東京医科歯科大学歯学部卒。1989年 東京医科歯科大学大学院歯学研究科博士課程修了。1989年 東京医科歯科大学 助手、1991年 東京医科歯科大学大学院 助手、1996年 国立精神・神経センター神経研究所 室長、1998年 東北大学大学院医学系研究科 教授、2006年 東北大学総長特別補佐(男女共同参画担当)、2008年 東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー、2015年 東北大学大学院医学系研究科附属創生応用医学研究センター長、2018年 東北大学副学長(広報・共同参画担当)。三菱財団研究奨励賞、持田記念研究奨励賞、上原記念研究奨励賞、東レ科学技術振興財団研究奨励賞、TWAS Associate Fellow、平成29年度総長教育賞など。著書に『脳の発生・発達―神経発生学入門(脳科学ライブラリー)』(朝倉書店、2010年)、『脳の誕生─発生・発達・進化の謎を解く』(ちくま新書、2017年)『理系女性のライフプラン あんな生き方・こんな生き方 研究・結婚・子育てみんなどうしてる?』(分担執筆、メディカルサイエンスインターナショナル、2018年)など。
高橋氏経歴:
1988年生まれ。株式会社ジーンクエスト 代表取締役。2010年 京都大学農学部卒。2013年 東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在席中に、個人向けに疾患リスクや体質などに関する遺伝子情報を伝えるゲノム解析サービスを行う株式会社ジーンクエストを起業。2015年 博士課程修了。2018年 株式会社ユーグレナ 執行役員就任。経済産業省「第2回日本ベンチャー大賞」女性起業家賞(経済産業大臣賞)受賞、第10回「日本バイオベンチャー大賞」日本ベンチャー学会賞受賞、世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ2018」に選出など。著書に『ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?-生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来-』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)。
川上氏経歴:
1982年生まれ。千葉大学大学院医学研究院 人工知能(AI)医学教授、千葉大学治療学人工知能(AI)研究センター センター長、理化学研究所 科技ハブ産連本部医科学イノベーションハブ推進プログラム 健康データ数理推論チーム チームリーダー。2007年 東京大学医学部医学科卒、医師免許取得。2011年 東京大学大学院医学系研究科 博士課程修了、科学技術振興機構 ERATO博士研究員。2013年 理化学研究所 特別研究員、2016年 上級研究員、2017年 健康医療データAI 予測推論開発ユニット ユニットリーダー。2019年より現職。主な表彰に2017年理研研究奨励賞。
- ビッグデータを活用したプレシジョン・メディシン(個人レベルの最適な治療)が進んだり、コロナ禍を契機に異分野融合やオープンサイエンスが加速したりと、医学業界は大きな転換期にあると感じます。今後の医学・ライフサイエンス分野の道行きについてお考えをお聞かせください。
大隅 典子氏
現在の人口構成などを考えると、皆さんが医療の中でも関心の高いところは、認知症であると思います。一方、米国などはその次のフェーズに入りつつあると感じており、例えば神経発達障害などの精神疾患に注目が集まっています。発達障害は子供の頃に診断されるもので有病率が高い疾患とされていますが、少子化で労働人口が減っていく中での就労支援の観点で非常に重要な疾患であり、それに加えて社会的認知の増進を図る啓発活動も必要となります。この啓発活動において、一般市民との共同によるシチズンサイエンスのような枠組みは効果的に働くと考えています。現在、シチズンサイエンスの取組の一例として、自閉症学超会議注1というプロジェクトを立ち上げています。このプロジェクトには、医学の専門家だけでなく哲学や心理学の専門家も参加しており、文系・理系の枠組みを超えた学際的な取組の重要性を感じています。
今般のコロナ禍でも感じていることですが、感染症との共生といった観点も今後必要になってくると思います。例えば、2020年のノーベル医学生理学賞でも話題になったC型肝炎ウイルスについても、現在ワクチンはまだ開発されておらず完全克服には至っていません。これからは医学だけで病気に立ち向かっていくだけでなく、視点を広げて様々な分野から良いものを取り込んでいくような総合的な知が求められるようになると思います。例えばAI技術などを活用することで、これまでにない新しい気付きが得られることもあるように、データドリブンなアプローチなどが重要な役割を果たすと考えます。
そのような状況下では、特定分野に長けた専門家だけでなく、周辺の研究領域を見渡せるような人材も必要となってくるでしょう。かつて一人で研究されていた物理学が理論物理学と実験物理学に分化したように、生物学・生命科学・医学においても同様の潮流が到来するのではないでしょうか。ライフ系の研究では再現性の問題がよく問われますが、自動実験による均一化や分業による一元化により解決される可能性もあります。一方、取得データから理論の構築については、単に情報科学系の知識を有するだけではなく、データの理解や解析手法等についても精通している必要があり、幅広い背景知識に富んだ人材が必要となります。このように、近未来においては学際性が重要な要素になると予想します。更に先の未来においては、データの共有化が進むことで、市民医学者や市民生命科学者のような方々が現れ、研究の可能性が広がっていくことを期待しています。
高橋 祥子氏
大隅先生のおっしゃる話はそのとおりであると納得して聞いておりました。私の専門であるゲノムや分子生体情報といった研究領域でも、ビッグデータの活用において、情報科学や計算機科学といった工学寄りの分野との融合が必要になります。また、その研究結果をどう活かしていくかという段階になると、心理学や哲学といった人文社会科学系の領域の知見が発揮されるような時代背景にあるのではないかと思います。
私は問いの中でも、特に異分野融合に関心があります。論文の平均共著者数に注目すると、1900年代の前半では単著が主流でしたが、最近では平均5人以上にまで増えており注2、異分野融合が進むことで科学自体が発展しているところがあると思います。特に、私の専門であるゲノム科学やバイオインフォマティクス分野においては、生物学と情報科学が融合しており、また弊社では心理学や食品科学といった様々な領域の研究者との共同研究も実施しています。
このような民間企業を交えた異分野融合は、日本の研究力強化においても重要な役割を果たすと感じております。日本における研究力低下の課題の背景には、他国と比較して公的研究資金が少ないといった問題があるかと思いますが、限られた少ない予算の中ですぐに解決することは難しいと思われます。また、日本の縦割り的なファンディング構造が、異分野融合が十分に活かされない要因であるとも思います。このような状況において、私たちのような民間企業も含めた産学官の共創関係の構築が、日本においてますます重要になってきていると感じます。例えば、弊社でも産後うつに関するコンソーシアムに参画し、共同研究を実施しており、弊社のゲノム解析技術に加えて、製薬、IT、保険など様々なプレイヤーとの共創により、社会課題の解決へ向けた取組を行っています。
このような横断的な共創的研究が活発に起こるような社会になると良いと思います。例えば欧米では、新型コロナウイルス感染症に関する研究について、プライベート・ファンディングが立ち上がりました。今般のコロナ禍を契機に、国の公的研究費だけでなく様々な仕組みを利用した新たな異分野融合研究の形が活発に進んでいると感じます。こういった変化が進めば良いと思いますし、私自身も積極的に取り組んでいきたいとも考えております。
川上 英良氏
科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の科学技術予測調査では、30年後の未来からのバックキャストと科学技術の潮流からのフォーキャストで分析されているようですが、医学分野の未来予測について、まずはバックキャストからお話しさせていただきます。
30年後の未来で実現させたい社会として、病気の診断や予知・予防の改革が挙げられます。現在では、基本的に病院に行かなければ病気の診断や治療ができませんが、もし日常的に健康状態をモニタリングできるようになると疾患の予兆検知などにより先制的介入が実現できると思います。また糖尿病などの慢性疾患について、現在のところ数理モデルやAI技術を用いて短期的な予測ができるところまできていますが、長期的な確率的な予測はなかなか難しいとされています。慢性疾患の長期的な推移の予測についても、今後ますます重要になる未来社会における目標の一つであると思います。ただし、健康状態モニタリング等の完備によって疾患を完璧に防ぐという未来はすぐには実現できないため、慢性疾患になったときに重症化をいかに防ぐか、効果的な治療をいかに行えるかといったポイントも重要であると言えます。
また、先ほど大隅先生から発達障害に関するお話がありましたが、精神疾患については現在のところ、バイオマーカーといった科学的な指標がなく診断が難しいという問題もあります。このバイオマーカーの探索は非常に難しい課題であると思いますが、こういった状況では、フォーキャスト的な話ですが、Deep Clinical Phenotyping(詳細な臨床表現型の把握)という方向性があると思います。これは、従来の画像や音声、最近ではウェアラブル端末のデータから得られた様々な表現型(Phenotype)を用いて、病気を再定義していくという話です。今までの医学は、医師による経験的に作り上げた疾病分類に基づいており、少し堅めの分類に無理に分けられているという印象があります。確かにある瞬間に注目したらこのような分類法は正しいかもしれませんが、疾患の長期的な推移をみた際は明確に分類できるものではなく適切ではないと考えます。こういった疾患を一つのパラメータで表すことは不可能であり、多面的なパラメータを用いて疾患自体を表現することで数値化や指標化が行えれば、科学的な解決や治療への議論に繋がると思います。
さらに、数理科学的な観点からの話として、モデル駆動型とデータ駆動型という考え方があります。モデル駆動型とは既存モデルに基づいた従来型のアプローチでありますが、限界があると感じています。モデルが明確に分かっている場合は有効ですが、大抵の生命現象はモデルが分かっていないからです。むしろモデルを作ることが研究のゴールであるとも言えます。一方のデータ駆動型は、機械学習などAI的な手法を用いることにより、データそのものからモデルなしで予測や分類といった分析をするアプローチです。ただしデータ駆動型にも、分析の背景にある原理が分からないという問題があります。私たちの研究では、モデル駆動型とデータ駆動型の融合というアプローチを行っています。シンプルなモデルをある程度仮定しつつも背後にある多様性をデータ駆動的に取り入れることで、AIによる単純な予測・分類を超えて、メカニズムの探索と掛け合わせたブラッシュアップが実現されます。
最後に、大隅先生からもお話がありましたが、データサイエンスの面からもオープンサイエンスは重要であると感じています。Deep Learning(深層学習)を始めとする今日のデータサイエンスの発展は、データ共有の文化が背景にあったからです。医学領域では倫理的な問題もあり難しいと思いますが、できる限りデータをオープンにしていろいろな人が様々な手法で課題に取り組めるような環境構築は、今後のサイエンスにおいて重要になると思います。
- 数理科学分野との融合やオープンサイエンス化に際して、情報収集や情報共有の障壁が課題として挙がりましたが、この課題の解決に向けてお考えをお聞かせください。
大隅 典子氏
情報共有において一番の障壁になっているものは、個人情報の取扱いに関する問題であると思います。「個人」に関する情報なので厳しく保護するという考え方と、「公共」の利活用という側面から可能な限りオープンにした方が良いという両極の考え方がありますが、日本ではどちらかというと前者の方が重んじられてきたと思います。このような文化形成の背景には、IT技術が国民へ浸透する際に誤って伝えられてしまったという側面があるのではないかと感じています。日本ではよく分からないものは怖いものであるという国民意識が背後にあり、その結果として徹底的な保護体制に傾倒したのではないでしょうか。ここ20年ほどの間、日本は間違った方向に進んでしまったのではないかと危惧しています。日本政府が音頭をとって、このような現状は変えていかなければならないと思います。
高橋 祥子氏
弊社でも個人情報の取扱いに関して、研究業務上、難しいと感じることがあります。個人情報の取扱いについて、日本は世界でも厳しい方だと思いますが、個人情報の問題は実際に海外の企業や大学との共同研究を行う際にも障壁になっています。例えば米国国立衛生研究所の研究費で行ったゲノム研究の結果は全て公表する決まりがありますが、日本ではまだ仕組みとして発展途上の段階にあると思います。こういった状況から考えると、単純に日本人の国民性というよりも政策的な方針の立て方に課題があるのではないかと感じます。今般のコロナ禍でも感じましたが、政策を決定する側のサイエンスリテラシーがいかに大事かということを痛感しました。
川上 英良氏
私は医学系と情報系の両方の立場からデータをみることが多いですが、医学系では自分たちで取得したデータは自分たちのものであるという考え方が根強くあり閉鎖的に感じます。大学の医学部としても変えていかなければならないと思いますが、最近の若い人たちからはそのような閉鎖感は漂わないため、次第に意識が変わっていくのではないかと期待しています。
またもう一つの課題として、インフォームドコンセントの取り方があると思います。現在はデータの取得時に利用目的や利用範囲を厳密に定めており、2次利用が極めて難しい仕組みになっています。しかし、これから機械学習やAIといった探索的な研究が増えてくると、事前に活用範囲を示すことが難しくなるため、より柔軟なインフォームドコンセントの仕組みが必要になると思います。例えば動的インフォームドコンセントという概念が提唱され始めていますが、IoT注3技術を活用することによってインフォームドコンセントの取り直しが簡単に行えるシステムの需要が高まってくるのではないでしょうか。個人情報といったときに、もちろんこれは個人の持ち物でもありますが、一方で社会的に重要な資源でもあるので、これを両立させるためには個人の意思決定を挟みつつ進められるプロセスが必要であると思います。
個人情報の考え方については、欧州と米国との間でも差があると感じています。欧州では一般データ保護規則(GDPR:General Data Protection Regulation)により厳しく制限されていますが、米国では公共財としての意識が強く比較的に取扱いが緩いと思います。前者はナチス・ドイツの反省による歴史的な背景があり、後者はGAFA注4等の台頭からもイメージされるのではないでしょうか。
大隅 典子氏
欧州の中でも例えばアイルランドなど比較的に小さい国では、医療情報の一元化やデジタル化が進んでいると思います。また、最近では中国の追い上げが強烈であると感じています。
川上 英良氏
中国は国主導でデータを集めており、人口も日本と大きく違うので、単純にデータ量では太刀打ちできないと思います。量で勝負するのではなく、例えば多様な観点から疾患情報を捉えるなど、質の面で差別化していくべきではないかと思います。
大隅 典子氏
データの質について、ゲノム解析の次はエピゲノムが重要になると考えています。最初に採取する生体サンプルのクオリティが影響を及ぼすことになるので、そういった面も今後重要になってくるのではないでしょうか。日本としては、量は少なくても質の高いデータをうまく収集する仕組みを確立することが必要になると思います。その際に個人情報についても、今までと異なり公共財という意識が広まると良いと思います。
この意識変容には、シチズンサイエンスの浸透というものも関わってくるのではないかと思います。ただし、国民全体がシチズンサイエンスに興味があるわけではないので、我々科学者としては国民から負託された存在として、誠実に取り組んでいかなければならないと感じています。
- 今般の新型コロナウイルス感染症の情勢に対して、医学や科学の専門家として、どのようにお考えですか。専門家としての在るべき姿や、行政や国民の対応・行動についてお考えをお聞かせください。
大隅 典子氏
シチズンサイエンスの萌芽という観点でみると、東日本大震災以降、今般のコロナ禍によって最も大きな進展があったと感じます。公開されているデータを活用し、理論物理学者を始めとした多くの異分野の方々が感染症研究に参画されました。こういった新たな潮流は非常に良いものであると思いますが、一方で専門家以外の方々の参入を拒むような社会の風土が一部で感じられたことは非常に残念です。今回の話でいえば、感染症学や免疫学、数理統計学の専門家などそれぞれの立場に基づいてチームを組んで活動していましたが、うまく噛み合っていなかった面もあったのではないかと思います。新興感染症のような未曾有の災害への対応としては、お互いをリスペクトし合いながらデータを共有・活用し、フラットな立場で議論できる場が重要であると考えます。
また、こういった大規模災害に対するマスメディアの報道姿勢が旧態依然であるとは思いますが、最近では個人がSNSで情報拡散するという新たな動向も見受けられます。このような状況に配慮すると、どのような情報を公表するか様々な良識が求められると思いますが、一つ言えることは、科学者はデータを提供する側であり、行政や政治家といった政策決定者はその説明責任を伴うということです。政策の舵取りを行う立場として様々な専門家の意見を総合的に判断することが求められますが、その説明を科学者任せにせずに果たせると良いと思います。
川上 英良氏
私自身、ウイルス学やシステム生物学、機械学習といった一連のプロセスのキャリアパスを歩んできたという経緯があり、感染症予測のような解析を今回やってみましたが、予測の難しさについて改めて感じさせられました。世間で出回っている予測は、単純に過去の推移を再現しただけというケースが多々見受けられますが、精緻な予測となると想像以上に難しいと思います。未知の事態に遭遇した際に手軽な予測を欲しがるという気持ちはよく分かりますが、そういった背景を理解していただきたいです。
ただし、例えば西浦博教授(京都大学大学院医学研究科)が行った研究のような、いろいろなシナリオを想定することはできています。注意しなければならないことは、先の例ではシナリオの想定自体が間違えていたのではなく、実際には緊急事態宣言が発令されたことなどによって、結果として状況が変わったということです。専門家としては、いろいろな想定をした上で多様なシナリオを作成し、どういった手段を講じることで被害をどれだけ最小化できるかという選択肢を示すことが重要だと考えます。当然のことながら、最終的な意思決定を行うことは政治家の役目ですが、サイエンス側からもより社会的な介入に関して示唆を与えたり、何らかの提言を行ったりできると良いと思います。一方、一回性の事象に関しては再現することができないため、提示されたシナリオに対する信頼性の確保については非常に難しい問題です。どういった仮定や想定の下でのシナリオであるかという前提については、意思決定側も十分に理解しなければならず、前提から外れた際にはダイナミックに意思決定を変えていくようなプロセスが絶対に必要になります。
更に繰り返しになりますが、オープンサイエンスという面についてもコロナ禍を契機に変わりつつあると感じます。データの共有化が進み、みんなでより良い研究手法や戦略を探索するといった方向に進みつつあると思います。
高橋 祥子氏
今回の新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、プレプリント(査読前の論文)の活用が爆発的に増えて、良い意味でも悪い意味でも話題になったと思います。緊急事態下において価値ある研究が、査読期間を待たずに素早く世界中に発信でき議論の活性化を引き起こした点に意義があったと思いますが、一方で、査読を経ておらず質の低い研究が含まれているという可能性を十分に周知せずにマスメディアが取り上げてしまった点が良くなかったと感じています。こういった問題をみていて、社会とのコミュニケーションの重要性を改めて感じさせられました。マスメディアがプレプリント情報を発信する際には研究の信頼性に注意し、論文の1次情報を同時に掲載する必要性があると思いますし、また一般国民に対してもこれまで以上にサイエンスリテラシーが求められる時代になったと思いました。私自身は感染症学の専門家ではありませんが、SNSやマスメディアで発信する身として、1次情報まで辿ることの重要性の周知や誤った情報が拡散されないように注意喚起することを心掛けています。
また、コロナ禍により、長期的な視点からも、サイエンス教育の重要性というものも明らかになったのではないかと考えます。例えば義務教育において、単純に単語を丸暗記するのではなく、正しくサイエンスの情報を理解する力やそれがもたらす影響について想像する力というものを養っていく必要があると思いますし、子供だけでなく大人に対してもそのようなサイエンスリテラシーを身につけることが必要になってきていると感じました。
2020年10月6日インタビュー中写真(NISTEP撮影)
- サイエンスリテラシーの向上という課題が挙がりましたが、今後どのような解決策が必要になってくるとお考えですか。
大隅 典子氏
例えばサイエンスリテラシーの低いマスメディアは時代の趨勢に従い最終的に淘汰されていくことになるとは思いますが、自然に変わっていくことを待っていてもなかなかサイエンスリテラシーの底上げは進まないと思います。このような状況は、女性研究者が増えない問題と同様に根が深いものであり、何らかのブースト(押し上げ)をかける必要があると感じます。
川上 英良氏
一つのアイディアとして、大臣などの意思決定者に、博士号保持者やサイエンスリテラシーの高い専門家などをもっと取り入れてはどうでしょうか。必ずしもトップの研究者である必要はありませんが、下からの情報を鵜呑みにするだけでなく、ある程度の科学的な理解や判断ができることが必要であると考えます。国家として科学技術の重要性について理解を示し、意思決定ができる環境を構築するということが重要であると思います。
また、私自身も小さな子供がいて初等教育について考えることが多いのですが、小学校や中学校の教育段階によって算数や理科嫌いの子供が増えて、最終的に理系大学へ進学しないといった状況が起きている気がします。テクニックとして単純に計算を教えるだけでなく、サイエンスの面白さといったものに幼少期から触れ合う機会を公教育として充実させると良いと思います。
大隅 典子氏
そういった課題を解決するためにも、理系出身の人たちが初等教育の現場に関われるような社会になると良いと思います。教員を目指すに当たり教育実習が必要であり、実験を行っている学生にとって大きな負担になることは分かりますが、コロナ禍でオンライン化が進んでおり、そういった良いところを取り入れて柔軟に変わっていくと良いのではないでしょうか。
高橋 祥子氏
子供の教育を変えていくという必要性は当然あると思いますが、それに加えて大人の方々に対する教育や啓発も重要ではないかと思います。私自身も一般の方々へ向けてセミナーや情報発信といった活動を行っていますが、大人になってからもう一度学び直したいという生涯学習のニーズが増えてきていると感じます。特に現代社会では環境変化も早いので、子供のときに学んだことだけを貯金にしていては駄目だと感じる人も増えているのではないでしょうか。そういったニーズに応える中で、大人に対するサイエンスリテラシーの向上について可能性を感じています。その役割を誰が担うかという問題はあると思いますが、世代が変わるのを待たずしても解決できる課題であると考えます。
- 今般のコロナ禍による研究環境の変化や、それに伴う良い兆しや課題発見がありましたらお聞かせください。
川上 英良氏
コロナ禍によって、研究スタイルについても大きく変わりつつあると感じています。私たちの研究室でも基本的に在宅勤務となったので、オンラインで研究を進めるということになっています。実際にやってみて分かりましたが想像以上に快適であり、他にも例えば定期的な進捗面談もやりやすい体制になったという利点があります。先ほど大隅先生から実験の自動化について話がありましたが、ラボに籠もってマンパワーに頼りがちであった従来の研究スタイルにも変化の兆しが起きていると感じます。コロナ禍を契機に始まった研究スタイルの変化によって、生命科学・医学の分野でも実験の再現性の担保といった方向に進むことを期待します。
大隅 典子氏
私の研究室では、平常運転に戻りつつあるという感じですが、緊急事態宣言発令の前後の時期ではラボへ来るメンバーの人数制限を行っていました。また3月頃からオンラインでのミーティングを定常化しましたが、渡日できていない留学生も遠隔で参加可能であることは非常に便利であると感じていて、私自身も将来的に出張の際に活用できることを期待しています。オンラインで研究指導やデータ解析も実施しておりますが、オンライン化によって研究スタイルが変化することにより、これまで遅れていたものが少しずつ取り戻されつつあるように感じます。更に会議のオンライン化によって、ペーパーレス化も同時に進んでいると思います。
高橋 祥子氏
弊社でも基本的にテレワークを中心に業務をしており、学会も原則オンライン化が進んでいるため、気軽に世界中の人たちと繋がることができる状況になったと思います。個人的な話でありますが、通常であれば動けないような産後の状態であっても国際会議にまで出席できたことで、変化の大きさを感じさせられました。
研究現場だけでなく社会全体に言えることだと思いますが、オンライン化によって効率が上がっている面がある一方で、新しい価値が創造されにくい面もあるかと思います。効率化や感染リスク低下を考えつつも、セレンディピティをいかに創造できる仕組みを作るかは課題であると感じています。
- 最後に、後続の研究者や未来の「ナイスステップな研究者」へ向けたメッセージがありましたらお願いします。
大隅 典子氏
コロナ禍で非常に大変な思いをされている方もいらっしゃると思いますが、ある意味で改革できるところというものが明確になったとも感じており、いろいろなことが一歩進んだとも考えます。不安がある時代だからこそ、若い方々にはチャレンジする心を忘れないでいてほしいと思っております。やってもやらなくても同じならやった方が良いし、失敗しても若ければ若いほど失うものは少ないので、どんどん新しいことにチャレンジしていただけたら良いと思います。
高橋 祥子氏
本日はいろいろな課題が話題に挙がりましたが、個人的には課題があることは悪いことではないと思っており、それだけ課題と思えるほど逆に創るべき未来や進みたい方向がある証拠だと思います。特に、2020年に世界が体験したことによって、新しい研究を推し進める人や、それを発信・活用するリーダーシップがある人など、サイエンスの重要性が特に浮き彫りになったのではないかと思います。世界中の研究者には課題だらけの世界で希望のある未来を見いだして進んでいただきたいと思いますし、私自身もそういった姿勢で今後もチャレンジしていきたいと思います。
川上 英良氏
私の研究者としてのテーマは、誰かと競争して勝つというのではなく、誰もやっていない新しい分野を切り拓くということだと考えます。ある確立された分野だと、その中での競争を勝ち抜けた人が上に行くという世界になると思いますが、ある分野の中だけで閉じた話になってしまいます。私自身、医学、分子生物学、システム生物学、AI医学と様々な枠を飛び越えてきましたが、振り返ると分野の壁を飛び越えることを苦と思わなかったことが良かったと思います。若い人たちに対しても、何か一つの分野で成功してしまえば良いですが、そうではないときに新たな方向性を見つける、飛び込むという姿勢は重要であると思います。
もともと医学部の学生の中には数学が得意な人たちが一定数はいると思いますが、そういった人たちの中には必ずしも実験が得意でなかったり、臨床が不器用であったりする場合があると思います。こういった人たちが、数理科学やデータサイエンスの業界で活躍できるような世界を創っていきたいですし、実際にどんどん活躍していければ良いと思います。
注2 生命科学・生物医学分野の論文における平均共著者数。https://thewinnower.com/papers/the-rising-trend-in-authorship
注3 IoT:Internet of Things(モノのインターネット)
注4 GAFA:米国の大手IT企業4社(Google, Apple, Facebook, Amazon)の総称