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- DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00219
- 公開日: 2020.06.25
- 著者: 鳥谷 真佐子、白川 展之、小泉 周、調 麻佐志
- 雑誌情報: STI Horizon, Vol.6, No.3
- 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)
レポート
システム思考の科学技術イノベーション(STI)政策(後編)
システム思考の政策分析による論点整理の方法
-第5期科学技術基本計画を素材として-
科学技術予測センター 主任研究官 白川 展之
第2研究グループ 客員研究官 小泉 周、調 麻佐志
本稿では、システム思考やシステムズエンジニアリング(SE)の発想や手法を応用した科学技術イノベーション(STI)政策の分析事例を示すことにより、システムとして整合性の取れた施策体系の企画・立案を行う必要性とその意義について述べる。具体的には、前編で提案した政策分析手法に基づき、第5期科学技術基本計画における「若手研究者の育成・活躍促進」を事例に、システム思考やSEの観点から政策分析及び政策立案推進の在り方について深堀分析を行い、現行のSTI政策における施策体系には相互に矛盾しかねない構造的課題があることを示す。最後に、本稿で提案したようなシステムを構造化・可視化する分析手法を用いることにより、政策的な論点の抽出と整理が効率化され、今後の政策検討のための関係者(ステークホルダー)間での議論に寄与することを論ずる。
キーワード:政策立案,科学技術イノベーション政策,システムズエンジニアリング,システム思考,因果ループ図
1. 前編からの続き
我が国の科学技術イノベーション(以下、STIという)政策を、実効性のあるものにするため、エビデンスに基づく政策立案(以下、EBPM:Evidence-based Policy Making)機能の強化が求められている。「施策の論理的な構造」を明らかにし、その質や内容を評価する「ロジックモデル」が一般的に求められるが、施策が効果的に機能するには、その基礎として政策・施策体系に関する包括的な理解が必要である。
前編では、STIシステムの構造を明らかにするため、STI政策にかかる政策文書(第5期科学技術基本計画)を対象にシステム思考やシステムズエンジニアリング(SE)の考え方を適用した分析を行った。政策・施策・事業の対応関係を可視化したSTI政策システムの構造分析の結果、我が国のSTI政策が十分に構造化・プログラム化されていない現状が浮かび上がった。
続く本稿(後編)では、個別の政策・施策の詳細部分に関する複数の要素間の関係性を分析することで、全体としての動きを把握することが可能となり、今後の政策検討のための関係者(ステークホルダー)間での議論を有意義に進めることができることを、具体的な政策・施策の事例をもとに示す。
2. 方法:科学技術イノベーション(STI)政策システムの詳細分析
(1)分析対象:「若手研究者の育成・活躍促進」施策
以下では、前編で紹介した政策分析の方法を具体的なSTI政策の施策に適用した。結果、第5期科学技術基本計画に関して、筆者らがワークショップを開催し俯瞰的な分析を行うことで、日本のSTI政策における政策体系上の構造的な課題を明らかにすることができた(前編図表3、又は、https://doi.org/10.15108/data_stih.00218参照)。ここでは、その結果のうち特に「若手研究者の育成・活躍促進」施策に関する事例を分析する。
(2)分析手順・詳細
第5期科学技術基本計画のテキストを分析素材に、前編では①科学技術基本計画の全体像を系統図で把握し、②欧州における政策階層に倣い「ガバナンスアーキテクチャフレームワーク」を作成し階層化を行い、SEを政策に適用した分析を行った。後編では、分析対象とした一部の政策群についてイネーブラーフレームワークにより実現のために必要な要素がそろっているかを確認する作業を行い、最後に複数の政策が集まった際に望んだ効果が生まれるかを因果ループ図に表現し、その結果をもとに今後の施策検討に資する問題の構造や論点について考察した。具体的手順の詳細については、以下のとおりである。
SEのイネーブラーフレームワークを用いて、目的手段関係を分析し、上位の目的を達成するためのイネーブラーとして何が設定されているかということや、本計画に記述されていないが必要と考えられるイネーブラーを確認した。
次に、システム思考で用いられる因果ループ図を、ある施策の帰結の予測を補足しつつ、全体の作動による変化が意図した目的に向かっているかを俯瞰的に捉えるために作成した。想定される施策のロジックモデルが持つ問題点(暗黙に仮定するものの、意図せざる不整合をもたらす)を分析した。具体的には、縦割りでの施策がそれぞれ「正しく、効果的に」機能した場合どのような意図せざる構造的な問題を産み出してしまうかを分析した。
因果ループ図の作成では、要素間の因果関係を矢印で結び、その影響がポジティブ(同方向の変化)であればS(Same)を付け、ネガティブ対方向の変化であればO(Opposite)を記述する。さらに、因果関係の中でループに着目し、因果が再帰的に強くなる自己強化型(ReinforcingのRと表記)か、バランスで成り立つ関係にあるのか平衡型ループ(BalancingのBと表記)かを同定・記載する。
3. 結果:第5期科学技術基本計画における「若手研究者の育成・活躍促進」の分析
(1)政策課題の構造化
「若手研究者の育成・活躍促進」のための政策を施策の要件として落とし込み、具体の事業レベルの項目に分解し可視化した結果が図表1である。
第5期科学技術基本計画をもとに日本のSTI政策のシステムに関して、我々が提案する4層モデルを用いて可視化し分析した。「若手研究者の育成・活躍」の政策は、「知的プロフェッショナルとしての人材の育成・確保・活躍」が上位の政策目標を可能とする関係(システム要件)の一つとして設定されている。さらに、この要件を分解すると、具体詳細に書き込まれていることがわかる。これらを目的の達成に当該要素が必要不可欠な要素(イネーブラー)という観点で見ると、概ね目的手段の関係の階層化がなされている。
注目すべきは、若手研究者の活躍の下位レベルに、シニア研究者の処遇にかかる施策という一見直接関係がない要素が現れている点である。しかし、これは明示されない「シニア研究者の人件費削減」という目的があると想定でき、その目的である人件費削減によって浮いた資金を若手研究者の雇用拡大やその他の関連施策の原資に充てることで、「若手研究者の育成・活躍」が可能になると政策立案者が考えていることが浮かび上がる。その意味でシニア研究者の処遇にかかる施策と事業が「若手研究者の育成・活躍」に目的の達成に当該要素が必要不可欠な要素(イネーブラー)となっていることがわかる。
(2)施策・事業間で科学技術振興に相反する要素・問題点の発見
次に、「若手研究者の育成・活躍促進」と「シニア研究者の人件費削減」が最終的にどのような上位の政策目的とそのもたらす帰結につながっていくことが予測されるかを分析する。このため、シニア研究者の処遇にかかる施策群に着目した因果ループ図(図表2)を作成した。
ここから、科学技術基本計画の体系の中で政策が推進された際に縦割りでの施策がそれぞれ「正しく、効果的に」成功した場合にどのような意図しない問題を産み出してしまう可能性があるか、因果ループ図により検討した。
この結果、大きく2つの影響があることがわかった。第一に、シニア研究者に直接与える影響として、研究スタイルの変化とモチベーションの低下が起きる。第二は、研究職、特に大学を含む公的機関における研究職の魅力の低下である。人件費の削減は生涯賃金の期待値低下につながり、また施策群に現れる流動化の促進は将来にわたって研究者の身分が不安定となることを意味するので国内大学の魅力低下のみならず、間接的に若手研究者へのキャリア選択の回避という深刻な影響をもたらすので、若手研究者の育成・活躍に負の影響をもたらす。
さらに、この影響は大学にとどまらない日本のSTIに深刻な影響を与えかねない。図表2の因果ループ図において2つの自己強化型ループ(R1とR2)を見ると、この2つは、高度知的人材の国内供給に関しても影響を与えることなどから、国内優良企業の知的拠点の海外移転を招き、結果的に国内企業のイノベーション力を低下させかねない要素となる。国内企業と国内大学の魅力はWin=Win(あるいはlost=lost)になるいわば運命共同体の関係にあることがわかる。
一方、「シニア研究者の処遇にかかる施策群の強化」を要素とするループには、2グループ計7つが示されている(図表2)。まず、自己強化型ループにはR3、R4、R5、R6、R7がある。R7では「競争圧」を上げ競争的な研究環境とすると「近視眼的な研究テーマ」が多くなり、「STIの基盤的な力」は下がっていく。その逆が、近年まで続いてきた日本のノーベル賞ラッシュにつながる「古き良き時代」である。放任された科学者が興味関心ベースによる自由な研究活動の結果、オリジナリティの高いユニークな研究が行われ、基盤的な力が向上するという好循環が生まれた。しかしいずれにおいても、B1のループの存在により一定のレベルに収束していくのは、近視眼的なテーマは生産性を上げるが長期的なテーマは生産性を上げにくいというジレンマが存在することが理解できる。これらは、多くの識者によって指摘されていることでもある。
R5とR6もシニア研究者の処遇向上が研究職の魅力を高め優秀な若者を研究職に引きつけ、その結果「STIの基盤的な力」が高まり、以下好循環を生むことを表す。R3とR4は、「シニア研究者の人件費」が上がり、「シニアの雇用の安定性」が増せばモチベーションが上がり、基盤的な力が向上するというループである。直感的には、これらは研究者にとって自明の関係(ロジックモデル)が成立することを示している。
4. 議論:政策的な論点整理と含意の抽出
分析結果から筆者らが政策的な含意をまとめたのが図表3である。
例えば、若手研究者の育成・活躍が重要な政策課題とした場合、その活躍を実現するためにはシニア研究者を若手と対立的にではなく一体化して計画に組み込む施策とすることが自然だと考えられる。こうしたプロセスを経て「若手研究者の育成・活躍」のためには、研究者の若手からシニアに至るライフサイクル全体を対象として施策と事業を立案しなければならないという政策的な含意が導かれる。分析の結果得られた政策的な問題は、「STIの基盤的な力」を低下させてしまう平衡型ループが、「シニア研究者の処遇にかかる施策群の強化」を起点に存在していることである。すなわち、「若手研究者の育成・活躍促進」のために財源を工面するための「シニア研究者の処遇にかかる施策群の強化」が、かえって若手研究者の育成・活躍と相反する関係にあるということである。結果的に、残念ながら、基本計画の体系では、こちらに向かう舵取りが行われており、更なる状況の悪化を招きかねない。具体的には、R3~R6とB2の関係からは、シニア研究者の処遇にメスを入れる理由が若手研究者の処遇・育成の強化のためであっても、若手とシニア研究者をトレードオフ(関係若手研究者育成・支援にシニア研究者の支援を削減する)にすると、R3~R6のループが弱化されるので、「STIの基盤的な力」の向上を妨げ日本全体の研究力の低下をもたらすことになる。
今回は、STI政策の中の、さらに、「若手研究者の育成・活躍」という限られた範囲内での要素の因果関係を分析した。つまりほとんどは対象システムの範囲内での因果関係を見ていることになる。システムの設計をする際には、システム内部の構成要素間の関係性だけではなく、外界との関係性も考えなければならない1)。したがって、今回の分析には予算等の外部要素による制約が考慮されていないという指摘も当然あると思われる。しかしながら、若手育成のためにシニアへの資源を転換するという前提が、暗黙の了解として存在するということが可視化されたことは意義があるだろう。このような可視化をとおして、例えば生産性の高い研究者と低い研究者など、異なる形でのトレードオフを検討するなど、既存の仮説にとらわれない枠組みを思考するためのツールとして活用してもらえれば幸いである。
5. 結論:STI政策システムの構造的課題と分析手法の限界
STI政策をシステム的な巨視的な視点から俯瞰した政策分析を行うと、個別の施策ではなく政策の体系について理解するためには、このように個々の施策だけでなく、それらがどのような相互作用を持ち、全体としてどのような影響をもたらし得るかを分析・予測することで政策的な論点をわかりやすく示すことができる。
無論、こうした分析は、必ずしもすべての政策事項について可能というわけではない。公共政策学では、政策分析の限界として、悪構造問題とよばれている問題の定義と構造化が難しい政策の特性と、政治的側面が関わる実際の政策決定のメカニズムがある中で、政策決定者と政策分析者との間における問題認識の差の存在が指摘されてきた2)。
ただ、本稿で用いたSEやシステム思考は、政策が内包する複数の要素間の関係性やシステム全体の動きを分析可能とするため、今後の政策課題を明確化する実務的作業(いわゆるポンチ絵の作成等)にも大いに活用できる。こうした政策分析の意義は、問題の構造についての理解を深め、気づきをもたらすことにより、ステークホルダー間で政策論議を豊かにすること(形成的評価)ができることにある。つまり、STI政策の形成過程でSEやシステム思考を用いると、STI政策が、不整合なく機能する政策の企画立案を担保し、関係するステークホルダーの共通理解・合意形成の促進につながることが期待される。
行政的には、こうした政策分析の意義は、日々多忙な中で目先の所掌における個別の施策玉や事業に焦点と関心が向かうのが合理的な行動ではある中で、STI政策全体としてその基本方針や施策の予算対効果、社会インパクトを考える意味では、施策体系がはらむ課題を政策立案者が認識し振り返る機会を得ることにある。いわば、「誤った設定の問題を解く注1」という政策・施策の失敗に陥る可能性を避けることにある。こうした意味で、今回紹介したシステム思考やSEの活用が、日本のSTI政策の中に取り込まれることを願ってやまない。
謝辞
SEについての記述に関してアドバイスを頂いた慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科白坂成功教授に感謝申し上げる。また、政策科学の観点からコメントを寄せていただいた公益財団法人未来工学研究所政策調査分析センター田原敬一郎主任研究員に御礼申し上げる。
なお、本研究は科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)「科学技術イノベーション政策のための科学」の助成による研究課題「研究力の『厚み』分析による社会インパクトの予測と政策評価手法の開発(グラントナンバーJPMJRX19B3、代表 小泉周)」の成果の一部である。
注1 EBPMでは、統計的因果推論・統計的仮説検定に関連して、帰無仮説が真であるのにもかかわらず、帰無仮説を偽として棄却してしまう誤りである第一種の過誤と帰無仮説が偽であるのにもかかわらずそれを真として棄却しない誤りである第二種の過誤がよく議論になる。これに関連して、政策科学では、「誤って定義された問題を正しく解く」ことで問題を起こしてしまう第三種の過誤などが知られている。
参考文献・資料
1) 白坂成功. 日付不明. “システムズエンジニアリング入門.” アクセス日: 2020年4月24日.
https://www.ipa.go.jp/files/000056124.pdf
2) 秋吉貴雄. 2013. “「科学技術イノベーション政策の科学」と公共政策学.” 研究 技術 計画 28 [1]: 37-48.