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- DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00174
- 公開日: 2019.06.25
- 著者: 黒木 優太郎、伊藤 裕子、横尾 淑子
- 雑誌情報: STI Horizon, Vol.5, No.2
- 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)
ほらいずん
シリーズ -未来を創る-
日立京大ラボの描く未来
未来社会全体の不確実性が高まる昨今、科学技術イノベーション政策の推進のためには、将来を展望した予測活動(フォーサイト)が不可欠であり、各国・各組織でも様々な取り組みが活発化している。本シリーズでは、特筆すべき未来予測を行っている機関を対象として、予測活動や科学技術イノベーションへの貢献等についての意見交換を通じて、科学技術と社会のより良い未来を描く上での、対象機関と科学技術・学術政策研究所(NISTEP)との連携の在り方を探る。第2回となる今回は、株式会社日立製作所(日立)研究開発グループの水野 弘之 日立京大ラボ長、嶺 竜治 日立京大ラボ長代行、城石 芳博 チーフアーキテクト・技術顧問の三名に、日立における協創の森コンセプトや、日立京大ラボにおけるAIを活用した未来の洞察と政策提言の取り組みについて、その特徴や、約20,000通りの未来シナリオの検討結果を伺った。
キーワード:科学技術予測,政策提言,シナリオ,AI
Ⅰ. インタビュー
株式会社日立製作所(日立)「協創の森」について
- 協創の森や日立京大ラボについて教えてください。
SDGsやSociety5.0 の実現に向け、オープンな協創による新たなイノベーション創生を加速するための研究開発拠点として、東京都国分寺市にある中央研究所内に「協創の森」を開設しました。
協創の森には、小平記念館、協創棟、迅創棟の3つの建物があります。協創棟はその中心に位置していて、1階にカフェスペースやラウンジ等があることで、全体を通して自然に人が交流するデザインになっています。そのほかにも日立馬場記念ホール、NEXPERIENCEスペース、プロジェクトスペースのほか、研究室も設置されていて、将来的には日立馬場記念ホールを国際会議場としても活用したいと考えています。
2015年には、研究開発グループに「社会イノベーション協創センタ」を設立し、独自の顧客協創方法論「NEXPERIENCE」を用い、お客さまとともにソリューション創生に取り組んできました。また、同時に設立した「テクノロジーイノベーションセンタ」、「基礎研究センタ」では、それぞれAI、セキュリティ、ロボット、センシングなどの先端技術開発と、アカデミアとの共同ラボを通じたビジョン提案、社会実証を進めてきました。
その一環として2016年6月に開設されたのが、SDGsやSociety5.0の実現を共通ビジョンとする「日立東大ラボ」「日立京大ラボ」「日立北大ラボ」です。それぞれが各大学の特色や強みを生かした研究をしており、日立京大ラボでは『ヒトと文化の理解に基づく基礎と学理の探究』をテーマに、未来の社会課題を探索し、その解決とQuality of Life向上の両立に向けた新たなイノベーションの創出に取り組んでいます。
- 例えばどのような研究を行っているのでしょうか。
幾つかのプロジェクトがありますが、例えばその一つは2050年の社会課題と、その解決に向けた大学と企業の社会価値提言の研究です。未来社会のデザインを行ったり、新しい社会システムの在り方を研究したりしている日立のデザイナーが、京都大学の様々な研究分野の先生方へのインタビューやディスカッションを通じて、先生方の見識や潜在的な未来予測を引き出しながら、未来社会の課題の抽出と、それらの課題解決に向け大学や企業はどうあるべきかといった研究を進めています。
もう一つは、ITシステムに規範や倫理の概念を取り入れる仕組みづくりの研究です。社会にITシステムを実装する際には、技術的な観点だけではなく、様々な社会規範や文化的な側面をも考慮した上で、社会とITシステムとの関係を見通した設計を行う必要があります。そのため、京都大学の哲学や社会心理学の先生方と日立の情報科学の研究者がディスカッションをしながら、研究を進めています。
さらには、ヒトや生物の進化に学ぶ人工知能を開発するという、また違う切り口の研究をしています。世の中が急激に変化する中、生物は次々と適応しながら生きています。例えば魚の協調行動やゴリラの自律分業等は、相互に接続された個々が自動的に連携して、全体が協調して動作しています。これからのAIは、自律的にそれぞれのシステムが動いていかなければ制御システムのスピードが間に合わないため、生物の持つシステムにならい、臨機応変なAIという観点で研究を進めています。
さらに、AIについては、「AIを使った政策提言」も行っています。
- AIを使った政策提言について教えてください。
元々日立では、企業戦略の策定や経営支援にビッグデータを活用する研究をしていましたが、京都大学との共同研究の中で、『政策提言にこの手法が使えるのではないか』というアイデアを頂いたのがきっかけでプロジェクトが始まりました。
この政策提言は、大きく3つのステージに分かれます(図表1)。まずは情報収集の段階で、しっかりと問題設定や情報の体系化を行います。例えば、2017年9月に報告した政策提言の実例注1では、まず「2050年の日本の持続可能性の確保」というテーマについて、京都大学の先生方に集まっていただき議論しました。そこで、その時々の社会の動態を表すキーワード(指標)、例えばGDP、出生率、失業率などを集めて、それらの指標同士の因果関係を一つ一つ洗い出し、さらに、因果関係の強さや時定数といったパラメータを設定していきました。指標には、客観的で定量化できるものだけではなく、主観的な、例えば「ゆたかさ」といったような指標も入れられるように、因果の強さや時定数の曖昧さもメタパラメータとして設定して、後から調整可能な形で設計しています。
私たちの手法では、政策提言プロセスの最初から最後までを全てAIで実行しているわけではありません。最初の問題設定も人間が行いますし、最後に行う戦略の選択、例えば「自分たちの住んでいる町や国がどうあるべきか」といった価値はAIでは決められませんので人が行います。その途中にある未来シナリオ注2のシミュレーションや分類にAIを活用しています。
今回の結果では、実際に20,000通りほどの未来シナリオが想定されましたが、これほどの数のシナリオは、やはり人間では想定できません(図表2)。こういった選択肢の検討プロセスにおいてAIの強みを生かしています。
さらに、それらのシナリオを23のシナリオ・グループとして分類していくと、自然と二つの大きな傾向が見えてきました。それが、「都市集中型シナリオ」と「地方分散型シナリオ」の2つです。
そしてこの2つの未来シナリオは、一旦分岐してしまうと遠く離れていってしまいます。実は当初の仮定では、いつでも別の未来シナリオへ移っていけると思っていました。ですが実際には、今(2019年)から概ね6から7年後くらいには、気付くか気付かないかに関わらず私たちは未来の選択をしていることになり、それぞれの未来シナリオの距離は離れて、よほど強い政策を打たなければ、それぞれの未来が再び交わることがないということがわかったのです(図表3)。
- この手法を活用する上で大事なことについて教えてください。
私たちの手法の設計思想は、「未来は一つしか存在しえない。その未来をできるだけ正確に予測する」というよりは、「未来はたくさん存在しうる。起こりうる未来を漏れなく、偏りなくできるだけたくさん列挙する」というものです。その上で、列挙された未来の中から、人間が自分の価値観に基づいて望ましい未来を自分自身で選択し、その未来を近づくにはどうしたらいいかを考えられるようにすることです。「ある未来に近づくにはどの指標を大きくしたらいいか」までは機械的に出すことができますが、「では、どの未来を選択するのか」となると、その国や地域に住んでいらっしゃる方々の価値観にも関わってきますし、社会学、公共政策学といった専門の先生方や行政の方々を交えた議論も必要です。実際、これまでに長野県の政策立案にも活用いただいたことがありますが、全てがこの手法でできるわけではなくて、県の政策を立案している方としっかりと議論しながら進めました注3。
- この手法の特徴やメリットは何でしょうか。
私たちの手法では、最初にしっかりと情報の体系化を行っています。したがって、それぞれのシナリオの変動要因がはっきりしていますので、例えば「地方分散型シナリオに導く要因TOP15」や、「都市集中型シナリオに導く要因TOP15」といった指標を導くことができます。これらは政策を立てる上で、納得感のあるエビデンスとなりますから、EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)を進める上で有用性が高いと思われます。納得感という意味ではそのほかにも、最初のステップで先生方の暗黙知を引き出して因果関係を特定していますから、『これまで暗黙知であった部分のメカニズムがわかった』という声も頂いています。私たちの手法では、何度でも指標を操作して、シナリオの変化を確かめることができますから、こういった「納得感」が生まれるのだと思います。また、それぞれのシナリオをよく見てみると、ある指標だけを見ると良いシナリオもあるのですが、全部の価値を満足させるようなバラ色の未来はないといったこともわかりました。ですが今回分類された6つのシナリオは、私たちがこのまま何もしなければたどり着く未来です。私たちの手法の大事な特徴は、各シナリオに関わる要因がわかることで、あるシナリオの×や△の部分を○に変えるにはどうすればいいか、といった議論ができることです。現時点からしっかりと対策をしておけば、今見えるシナリオよりも、より良い未来にたどり着くことができるかもしれません(図表4)。
- 最後に、科学技術の未来予測への応用可能性について教えてください。
最初の情報体系化の際に、パラメータは自由に設定することができますから、新たな情報を最初にインプットすれば、科学技術に関する異なる未来予測が出来る可能性はあります。例えば既に文部科学省高等教育局との共同で未来シナリオを描いたことがありますが、その際は教育に関わるパラメータを設定してシナリオを分類しました注4(参考:2040年に向けた高等教育のグランドデザイン注5)。やはり別のパラメータを入れることによって、シナリオの見え方も異なってきます。
ですから、例えば研究や技術開発に関わるような数値と、その因果関係さえ最初に決めることができれば、応用の可能性はあります。
Ⅱ. 所感
科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の予測活動との共通点など
NISTEPは、主たる予測活動として「科学技術予測調査」(以降、予測調査)を実施中である。11回目となる今般調査は、ホライズン・スキャニング、ビジョニング、デルファイ調査、シナリオの4部から構成されている。
NISTEPの予測調査においてもICTやAI注6の活用を行っており、特にホライズン・スキャニングについては「KIDSAHI」においてAIを活用した科学技術の変化の兆しに関するクローリングの結果等について逐次報告しており、詳細については別途報告書にまとめている注7。また、科学技術領域の絞り込みにおいて、専門家が設定した科学技術トピックのクラスタリングに自然言語処理を用い、その結果を専門家が判断するといった、人間の判断の間にAI関連技術を用いる取り組みも行っており、設計思想上の共通点もある。
科学技術の各種指標を取り入れた応用可能性についても大変興味深い。予測調査においてもシナリオを描くが、シナリオプランニングそのものにAIを活用するということはないため、大変参考になる事例であった。今後も積極的に情報共有を図り、より良い協力体制を構築していきたい。
水野 弘之 日立京大ラボ長、嶺 竜治 日立京大ラボ長代行、城石 芳博 チーフアーキテクト・技術顧問の皆様には、お忙しい中貴重なお話を頂き、誠にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
注1 「AIの活用により、持続可能な日本の未来に向けた政策を提言国や自治体の戦略的な政策決定への活用をめざす」
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2017/09/0905.html(株式会社日立製作所ホームページ)
注2 未来シナリオ: ここでは特に、「いつ、どの社会要因が変化した場合、どのような社会状態に至るかという、未来に至るまでの一連の社会状態の変化。」を指す
注3 「AI(人工知能)を活用した、長野県の持続可能な未来に向けた政策研究について」
https://www.pref.nagano.lg.jp/kikaku/kensei/ai/ai.html(長野県ホームページ)
注4 「広井良典教授が中央教育審議会大学分科会・将来構想部会合同会議で報告を行いました」
http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/20181120_hiroi/(京都大学こころの未来研究センターホームページ)
注5 「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)(中教審第211号)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1411360.htm(文部科学省ホームページ)
注6 ここでは特に自然言語処理、形態素解析(文章から単語を抽出する技術)と分散表現を主とする。分散表現は深層学習で使われる技術を用い、単語の意味をベクトルに変換する手法。
注7 「兆しを捉えるための新手法~NISTEP のホライズン・スキャニング“KIDSASHI”」、POLICY STUDY No.16、2018年12月
http://doi.org/10.15108/ps016(文部科学省 科学技術・学術政策研究所 科学技術予測センター)