STI Hz Vol.3, No.1, Part.3: (ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流)早稲田大学 人間科学学術院 玉城 絵美 助教インタビューSTI Horizon

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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00064
  • 公開日: 2017.02.27
  • 著者: 相馬 りか、新村 和久、梅川 通久、佐野 幸一
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.3, No.1
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流
早稲田大学 人間科学学術院
玉城 絵美 助教インタビュー

聞き手:科学技術予測センター 上席研究官 相馬 りか
第2調査研究グループ 上席研究官 新村 和久
第1調査研究グループ 上席研究官 梅川 通久
企画課 課長補佐 佐野 幸一

 人類が有史以来作り上げてきた数多くの技術の中で「遠方の相手に情報を伝える技術」は、「のろし」や「鐘」など古来より使用されているものもあるが、電話などの電気信号を用いた通信手段が確立されて以降、急速な発展を遂げている。以来、ラジオ・テレビ・インターネットなど様々な発明を積み上げ、今や人類は情報をはるか遠く、地球の外にまで伝えることができるようになった。その一方、現時点で実用的に電気信号へ変換できる情報の種類は音声と画像(及びその一種としてのテキスト)に限られるため、伝達可能な情報は実質的に「聴覚」と「視覚」に関するもののみと言えるだろう。

 それに対してここ数年、「ハプティックデバイス」として、「触覚」を伝達する技術が幾つか提案され、学術的なレベルにとどまらず産業界からも注目を集めている。これは、超音波の干渉現象や電気刺激を使い、主として手の皮膚感覚や筋・神経の固有感覚の受容器を刺激することによって、感触や重さを伝えるという原理である。この技術を用いれば、触覚を電気信号に変換して伝達できるようになる。例えば、最近発達の著しいバーチャルリアリティ(VR)やAugmented Reality(拡張現実:AR)に応用すれば、より没入感の高い体験を作り出せる。

 ナイスステップな研究者2016に選定された玉城絵美氏は、東京大学大学院博士課程在籍中に電気刺激によって手を自在に操作する技術を開発、修了後にH2L株式会社(http://h2l.jp/)を起業して触覚デバイスの販売を手掛けている。現在は、創業者として自らの研究成果の実装を進めつつ、早稲田大学人間科学学術院で基礎的な研究や教育にも取り組み、多忙な日々を送られている。

右腕に「PossessedHand」を装着した玉城絵美氏

提供:早稲田大学 人間科学学術院 玉城 絵美 助教

― 最初に、H2L社を創業された理由を教えてください。

研究成果を早く社会普及するために起業を選びました。起業と比較すると、大学での企業との共同研究の方が、実用化を指向する多くの研究者の参画によって社会実装はより早くなりますが、共同研究相手と目的をすり合わせる必要があるので、自分の研究成果をそのままピュアな状態で社会実装するために起業しました。共同研究ではなく独自に起業したのは、自分の研究成果が社会に及ぼす影響を調査しやすいからでもあります。

起業のタイミングは准教授くらいになってからでもよいと思っていたのですが、博士課程修了の頃に発表した論文や学会発表を見て共同研究をしようというオファーが研究機関や民間企業からもたくさん来て、社会での受容性があることが感じられ、また起業すれば大きなチームで対応でき、効率が良いのではないかと思い、予定より早く起業しました。

― H2L社で手掛けている、触覚を伝達するという新しい技術が社会で普及するには、社会が技術を受け入れる環境を整える必要があるのではないでしょうか。

起業前に幾つか事前調査をしました。その結果、研究成果をそのまま製品化するのでは不十分で、コンテンツと強くつなげられるような研究が更に必要ということが分かりました。例えば論文の最後などに、「本研究の結果は将来的には○○に貢献する可能性がある」、といったことを書く場合がありますが、現実に起業する場合は○○の内容が本当に実現可能なことでなければならない、ということです。逆に、論文においてそれを明記することによって将来展望を示すことができれば、自分の研究をどのような形で社会実装したいかを世の中に示すこととなり、実現することの意義について社会からの合意を得る機会となります。実際に起業を経験することで、過去の論文で言及した自身の研究の将来可能性について、もっと広い視点で記載ができたのではないかと感じることもあり、起業をしたことが研究に携わる上でもプラスに働いていると思います。

また、私が活用したキックスターターというクラウドファウンディングは、本来資金を集めるサービスですが、提案に対してどれくらいの支持が得られるかが分かるので、社会での受容性を確認するためにも活用できます。資金を集めるのに2か月を予定していましたが、22時間で目標を達成できたので、元々マーケットが大きく成長していたとはいえ、実際に社会の期待も高いことが分かりました。

図表 「UnlimitedHand」

提供:早稲田大学 人間科学学術院 玉城 絵美 助教

― 起業に当たって、活用された制度や影響を受けられた方などを教えてください。

元々起業するつもりだったので、あらかじめ起業のための勉強をしていました。大きなきっかけは、博士課程で所属していた東京大学の研究室の隣に建物があった株式会社東京大学エッジキャピタル(UTEC)でのインターン経験です。活躍している現役のベンチャーキャピタリストから起業について直接学ぶことがでました。さらに、ここで同じチームとして学んだメンバー(研究室の後輩であり、現H2L社代表取締役の岩崎健一郎氏)と、活動を通して、起業をする上でのお互いの性格や役割の補完関係などを体感することができ、知り合ったメンバーと結果的に一緒に起業することになりました。

起業するならばチームに経験者を加えた方が良いとUTECからアドバイスを受けたので、株式会社東京大学TLOの交流会に参加し、新たなメンバー(起業や投資の経験の豊富な鎌田富久氏)を紹介していただきました。東京大学TLOの交流会には今でも参加していますが、このようなイベントには、研究者であっても、1回くらい出てみるのも良いと思います。私たちの会社は大学からの特許技術移転を受けて設立したケースではありませんが、起業をする上で大学のサポートは大きいものがありました。

それから、指導教員(暦本純一教授)も副指導教員(坂村健教授)も起業しており、研究室の後輩も起業を希望していて、その影響も大きいものだったと思います。

独立行政法人情報処理推進機構の未踏事業も活用しました。未踏事業の卒業生コミュニティが有効に機能していて、起業した多くの仲間とのコミュニケーションを全面的にサポートしていただきました。

さらに、創業者として将来の展望を描くに当たり、海外動向を把握する必要があったのですが、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の「さきがけ」の海外ショートビジットは非常に有効でした。サンフランシスコ(シリコンバレー)、台湾の新竹(シンチュウ)での産学共同研究の進め方について、スタンフォード大学や、シンチュウの大学などを見ることができました。日本で起業して、国際的に将来どのように事業を展開するかについて考える良い機会を得ることができました。

― 知的財産権を取得することの意義、費用面での負荷、必要な支援制度に対しては、何か御意見はありますか?

特許を持っていることは、資金調達の際の企業価値評価には大切だと思います。私は学生のときから特許出願を行っていました。最初は筑波大学(修士課程)に在籍していた頃、大学から弁理士を紹介してもらい、自己負担で特許出願をしていました。当時は用途については余り考えていませんでしたが、起業した後に使うことができ、もっと出しておけばよかったと思いました。将来起業するのであれば、支援制度が幾つかあるので、学生のうちから練習しておくのは良いことではないでしょうか。起業に比べれば、特許出願はそれほど難しくないと思います。ただし、特許の出願のタイミングについては、なかなか難しいところもあり、最近、私は技術をコピーされないように、半年、あるいは長ければ2年くらい時間を置いてから特許出願することもあります。

― キックスターターでは順調に資金を集めることができたとのことですが、ある程度の数の製品を作るとなると、必要な資金調達に御苦労はなかったのでしょうか?

最初から大きな事業を始めるのではなく、B to Bで少しずつ利益を出しながら進めるという方法をとったので、起業時に大きな資金は必要ありませんでした。キックスターターの活用も、前述のとおり、資金調達よりも社会での受容性があるかを確認できるという目的意識の方が強かったです。

― 他者との提携については、どのような役割分担で実施しておられるのでしょうか?

起業当初は研究者との連携が多かったのですが、今は企業との連携が増えてきています。回路設計までは自社内で行っています。自作していた実験装置を製品化したので、そのときには安全や規格のチェックまでは自社で実施し、製造は台湾の企業が担当しています。皮膚に直接接触する電極のアレルギーやかぶれについては、既に類似の原理の製品を出している企業と共同で検討しています。販路については、小売を探してくるところまで自社で実施しています。コンテンツは他社に作ってもらっています。

― 会社の経営と研究はいろいろな点で大きく違うと思いますが、両立するためにどのような戦略を立てておられるのでしょうか。

現在は、会社経営にはほとんど関与しておらず、会社にはユーザさんからの要望(社会での受容性)を研究に戻すという役割をしてもらっています。起業をする前に、あらかじめ将来ビジョンを描き、今後の製品の回路設計は作ってありました。起業後に1年間かけて特許の準備など、会社経営の体制を整えました。今は会社の経営自体は研究室の後輩に任せ、自分は研究にほとんど専念しています。

― 創業後も大学に籍を置かれ、基礎研究を続けておられるのはどうしてでしょうか?

あくまで研究者というスタンスを保ち続けるため、大学に籍を置いています。大学では、学生たちと比較的楽しく取り組んでいます。学生の研究は、学生独自のものであって、私の将来ビジョンとは異なりますが。

自分のビジョンによる、知識の蓄積のための研究は大学で行っていて、会社での開発研究とは全く別物です。したがって会社の研究開発は会社の人が実施しています。大学での研究は、「知りたい」「解明したい」というモチベーションで、会社の研究は「産業化」、例えば「エンターテインメント」であったり、様々な体験を提供したい、ユーザを喜ばせたい、というものです。私が大学でやっているような、基礎的な研究はすぐに普及するものではありません。大学院在籍時には、指導教員から「遠い先を見すぎるのではなく1歩ずつ着実に研究論文を出しなさい」と言われましたが、産業界は1歩ではなく0.1歩ずつぐらいの感覚が必要と感じています。つまり、新規性を出しすぎても社会に受け入れられないことがあるのです。

一方、私の研究分野はまだ研究者人口が少なく、学会やアカデミックな論文で成果を発表するだけでは社会の認知度はなかなか広がらないと思います。また、この分野は産業として成り立ってこその分野なので、需要があるという状況を作らなければならないと思います。市場拡大と同時に、研究分野も広がることを目指しています。創業後も基礎研究を続けて、その分野の研究のスピードを高めると同時に、会社では技術を普及させています。もちろん、利益相反には気を付けています。

― 御自身の研究の将来ビジョンについてお聞かせください。

人の身体経験をつなげたいと思っています。ヘッドマウンテッドディスプレイやウェアラブルカメラで共有できるのは映像と音声だけですが、それに加えて、触覚や体の動きなどもっといろいろな感覚や体験を共有できるようにしたいです。例えば地球にいながら、宇宙飛行士の経験を共有できるような感じでしょうか。もちろんこれを産業レベルにもっていくにはかなり時間がかかると思っています。これは、私一人では無理なので、産業の発達とともに研究者人口が増えていくことを願っています。

― 今後大学の研究成果を活用して起業を目指す方に向けたアドバイスやメッセージをお聞かせください。

起業するタイミングは研究分野とかフェーズで異なると思いますが、今の日本では研究者に対する起業支援システムは5~10年前と比較して非常に良くなりました。大学はもちろん、自治体や政府の支援もどんどん良くなってきました。また、クラウドファンディングという選択肢もあり、私が活用したキックスターターのほか、学術系専用の「アカデミスト」(https://academist-cf.com/)も研究成果の社会での受容性を確認する手段として便利だと思います。こういったサービスの出現によって、研究者が起業する意義や楽しみが出てきたと思います。最近では日本でもCorporate Venture Capital、Venture Capitalも急速に増えていますし、TLOや大学の支援基盤も充実してきています。研究者が活用できる支援基金もたくさん出てきました。起業する環境はどんどん整ってきていると感じますので、起業を考えている研究者の方には是非挑戦してほしいと思います。

取材を終えて

2016年は、バーチャルリアリティ元年ともいわれ、様々な新しい製品やサービスが販売・提案されて、多くのメディアで取り上げられた。マーケットが急速に拡大しているこの分野においては、事業化した方が大学での研究に専従するよりはるかに速く開発した技術を社会に持ち込むことができるだけでなく、研究自体も加速される。玉城氏のように、自ら起業すれば、自分の意図に沿った方向性での社会実装を進めることができるという利点もあるだろう。

ラジオやテレビなどのマスメディアや、電話・インターネット、スマートフォンなどコミュニケーションツールの出現により、人類のコミュニケーションの在り方は大きく変化した。視覚、聴覚に次いで触覚が伝達可能になることによって、人類のコミュニケーションは今後どのように変化するのであろうか。遠い将来までのビジョンを確として持つ玉城氏の今後の活躍に注目したい。