STI Hz Vol.7, No.1, Part.7:(ほらいずん)デルファイ調査座長に聞く「科学技術の未来」:農林水産・食品・バイオテクノロジー分野-農業や食と先端科学技術を絡めること、プラットフォーム化により地域や市民と連携することが鍵-亀岡 孝治 三重大学名誉教授インタビューSTI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00247
  • 公開日: 2021.03.22
  • 著者: 伊藤 裕子
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.7, No.1
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
デルファイ調査座長に聞く「科学技術の未来」:
農林水産・食品・バイオテクノロジー分野
-農業や食と先端科学技術を絡めること、プラットフォーム化
により地域や市民と連携することが鍵-
亀岡 孝治 三重大学名誉教授インタビュー

聞き手:科学技術予測センター 主任研究官 伊藤 裕子

概 要

約半世紀の歴史がある科学技術予測調査では、分野別分科会等において日本有数の各分野の専門家の英知を結集して調査の質問項目・内容が作成され、調査結果の分析が行われている。調査結果のみならず、その検討過程についてより深く理解をいただくため、第11回科学技術予測調査デルファイ調査における分野別分科会の座長インタビューを連載する。

連載第6回となる本稿では、農業分野で早くからITやAIを利用した多くの研究を行い、近年では柑橘(かんきつ)、ワイン用ブドウの栽培過程でX線・UV・VIS(可視)・赤外光を用いて樹勢と果実品質の経時変化計測と解析を行うなど、日本を代表する農業IT研究者である農林水産・食品・バイオテクノロジー分野の座長、三重大学名誉教授亀岡孝治氏に本分野の現状と未来について伺った。

キーワード:科学技術予測,デルファイ調査,農林水産・食品・バイオテクノロジー,エコシステム,
      フードシステム

亀岡 孝治 三重大学名誉教授

亀岡 孝治 三重大学名誉教授
1978年東京大学農学部農業工学科卒業、1984 年同大学博士課程修了(農学博士)後、1984年カナダ国サスカチュワン大学工学部農業工学科 博士研究員、1985年三重大学農学部 教員 助手、1987 年三重大学生物資源学部 文部教官 助手、1988年三重大学生物資源学部 文部教官 助教授、1998年同教授、2004年国立大学法人三重大学 役員 理事・副学長、2007年国立大学法人三重大学大学院生物資源学研究科 教員 教授、2020年4月より同名誉教授。一般社団法人ALFAE代表理事、一般社団法人 食と環境と健康を考える会理事、学校法人辻料理学館理事などを務める。

専門分野を横串するエコシステムという概念を導入

前回(5年前)の第10回調査でも農林水産・食品・バイオテクノロジー分野の分科会座長を務めました。第10回調査では、専門分野の細目の設定は農業や食品、水産や林業といった細かな産業別や専門別の縦割りで実施しました。それに対して第11回調査では、第10回での反省も踏まえて、専門分野に横串を通すような細目として、エコシステムという概念を置きました(図表1)。これが大きな違いです。そのときは、エコシステムを用いるのは早過ぎるかと思いましたが、今、コロナ()になって様々なところでエコシステムを整えることが重要と言われるようになりました。

「本分野は、科学や技術のみでは進んでいかないので、システムとそれを支える要素技術や科学の全体を、エコシステムとして捉えて進めることが必要である。」
(引用:2019年開催の農林水産・食品・バイオテクノロジー分科会での議論)

図表1 「農林水産・食品・バイオテクノロジー」分野の細目及びキーワード図表1 「農林水産・食品・バイオテクノロジー」分野の細目及びキーワード

出典:調査資料-292 第11回科学技術予測調査 デルファイ調査(2020年6月)を基に作成

横串の専門がわかる人や文系で技術がわかる人は日本では少ない

専門分野を立て割りでずっとやっていると、横串がわかる人がどのくらいいるかが問題になります。結局、幾つかの細目では回答者が少なかったですよね。今回の大問題でした。

その一つの「システム基盤」は、欧州連合(EU)ではこれに関連したプロジェクトがかなりしっかり実施されています。システム基盤は、基礎の研究者などがシステム基盤の研究者のところに来て参照して持ち帰り、(自分の研究の)応用としてやるものです。基礎の研究者が基礎もシステム基盤もやれということになったり、少数の専門家だけシステム基盤の研究を実施し、他の研究者が知らん顔ということになったりしたら、変な格好になります。本分野の共通な基盤としてシステム基盤の細目を立てましたが、環境などの他分野を含めた7分野のすべてに共通となる「システム基盤」として立てることができたら良かったかもしれません。

また、分科会のメンバーに人文社会科学系の人が入っていませんでした。例えばゲノム編集は今回調査の科学技術トピックにも入り、今年度のノーベル賞もとりました。ゲノム編集に対する消費者の不安は、消費者側に遺伝子組み換えとの違いがきちんと伝わっていないことにあると思います。今後、市民と技術という関係性、そこをどう(つな)いでいくのかというのがとても重要になります。そうなると、多分、細目「コミュニティ」の科学技術トピックに、社会科学的な話とかを入れていかないといけないですね。

実は、農林水産業は文系がすごく必要な分野です。もともと、農学部には農業経済という経済学があるし、農業経済の中には農業に関わる政治的なことをやっている人もいたり、農業社会学をやっている人もいたり、文系がいっぱいいます。人文社会学部の中にも、農業的・食品的なことをやっている人はいますが具体的な技術を踏まえた議論がほとんどないのが少し残念です。日本ではフードシステム(食料品の生産から流通・消費まで一連の流れの体系化)は農業経済の分野と見なされ経済システムの側面だけが取り上げられがちです。

欧州でいう文理融合のフードシステムでは技術がベースになり、その中でインダストリ4.0と農業機械の関係、農業IoTと情報システム、食品工学からフードミクス、農業生産工程管理のGAP(Good Agricultural Practice)やHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)などの国際認証や、相互運用性や国際標準、デジタルマーケッティングや経済システムなどの話がいっぱい出てきます。

日本ではそういうのがほとんどありません。特定の狭い分野の専門家ではなく、分野全体がわかる専門家がいないので、プロジェクトをうまく引っ張っていくリーダーがいないということになります。

人文社会科学を含めたすべて科学技術において、多様性がもっと重視されると良いと思います。

欧州は日本のかなり先を走っている

農林水産省がフードテック(食に関する最先端技術)について言い始めています。ただ、日本は大学でフードテックを重視してこなかったので食品工学の専門家が余りいません。先端技術を使って植物タンパクから人工肉を作ることは、欧米やイスラエル、中国が進んでいます。日本の一部の企業では人工肉の設計やその味覚設計(おいしさ)についての開発が始まっています。日本は、企業はともかく、大学での食品工学分野の研究開発が弱いと思います。

EUでは、欧州のフードシステムを持続可能なフードシステムに変えるというかなりインパクトのある「Farm to Fork Strategy」プロジェクトが動いています。EUは日本でいう6次産業的なことをずっとやっていて、さらに、精密農業を現実化する「Internet of food and farm 2020」を実施しています。また、EUは、製造業・農業・エネルギー・ヘルスケアといった四つの基本的な産業分野の横串として、「Open DEI (Open Platforms and Large-Scale Pilots in Digitising European Industry)」プロジェクトを実施しています。これらのプロジェクトはすべてHorizon 2020から予算が出ています。持続可能性に基づく農・食の戦略は日本よりも相当先に行っています。

Open DEIの目的の一つ目はプラットフォーム構築、二つ目が全体エコシステム構築、三つ目が大規模パイロット、四つ目が標準化です。これらの目的が並列に実施されています。農業分野だけではなく、他の三つの産業分野でも同様に実施されています。つまり、4分野に共通な技術が基盤技術として出てくるということであり、他の分野から出てきたものをフードの分野に適用できるということです。

欧州のプロジェクトは、最初は新しいものに見えないのに段々と進化していきます。欧州はイノベーションではなく、グリーンリカバリー(脱炭素社会など、環境に配慮した経済回復)の戦略として考えて行くので、プロジェクトは欧州グリーンディール(気候変動対策)の中に入っています。一方、米国はイノベーションを通して、農業を先端産業にまで高め、農業や食を強くしていこうとしています。

欧州のプロジェクトのもう一つのキーワードは、ショート・フードチェーンです。ローカライズしたフードチェーン(食品供給の流れ)でステークホルダーを減らしてやっていくという話です。フードチェーンを長くしてしまうと、今回のコロナ禍のように途中でチェーンが切れてしまうとうまくいかなくなります。例えば、私の出身の和歌山県ではミカンの収穫を手伝ってくれる人を他県から呼べなくて困っていました。そういうときにロボットが使えたら良かったのですけれども。

これからは地域が価値を持つ

愛知県の6次産業化サポートセンター(農林漁業者の6次産業化についての相談支援、農林水産省の予算で地方自治体が実施)に有識者として協力しています。実は6次産業という言葉が嫌いでした。しかし、ショート・フードチェーンの中での6次産業化はとても意味を持ちだしていると感じています。全国規模ではなく、それぞれの地域で様々な6次産業スタイルを作り上げていくということです。小さいものを作っていくことで価値が出てくるということです。

6次産業化サポートセンターには農林漁業者などから相談がかなり来ます。様々なコンテンツが集まります。これを活用するにはプラットフォーム化すればいいと思います。今は、このようなものが散在していますが、これらを要素ごとに集めて一つのプラットフォームにしていければ、それだけで実に良いものができそうです。

「農林漁業の6次産業化とは、1次産業としての農林漁業と、2次産業としての製造業、3次産業としての小売業等の事業との総合的かつ一体的な推進を図り、農山漁村の豊かな地域資源を活用した新たな付加価値を生み出す取組です。」
(引用:農林水産省ウェブ 「農林漁業の6次産業化」)

フードシステムには多様な専門分野や人材が必要

フードシステムで重要なものとして「価格」があります。市場は価格を決める機能を持っていますが、6次産業になった瞬間にその機能を自分(6次産業の担い手)が引き受けなければならなくなります。価格の値付けには理論があり、経営学の分野でも重要なものの一つになっています。最近の価格の決め方はポイントがあったり、値引きがあったり複雑になっているから非常に厄介です。この部分は農業経済学ではなく、完全に経済学や経営学の分野ですから、それらの専門の人がフードシステムに絡んでくるのも重要になります。

フードシステムのもう一つ重要なものに「品質」という概念があります。品質を決めることは極めて重要で、この品質を誰が決めるのかというと、米国や欧州では古い市場(マーケット)が新しく作り直されていますが、その中で品質を判断していくのがシェフです。シェフは農産物を材料として使っていく人であり、ある料理をつくるときにこの品質のものは使えるとか、料理が加工食品として出来上がっていくその品質に対しても、シェフが判断を下せます。だからシェフは品質判断で重要ですが、調理師専門学校は厚生労働省管轄の専門学校なので6次産業的な視点で授業を教えることがなかなかできません。理論よりも経験が重視されます。また、理論構築が可能な大学には、調理工学や調理科学の分野がありません。調理を科学的に実験・解析する研究者がいないわけです。

分野全体がわかる人や複数分野がわかる人の育成

農林水産分野で重要なことは全体設計であり、分野全体がわかる人材が必要ということを国の政策としてトップダウンで強調する必要があると思います。そうしないと、大学などで皆の見方が変わってきて、授業のカリキュラムやコンセプトを変えざるを得なくなるということにはならないでしょうね。企業でも、分野全体がわかる人材がいません。いないというか、企業内でその存在が特定されていない可能性があります。

農業と先端科学技術の融合という観点では、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)のさきがけのもう終了したプロジェクトですが、「情報科学との協働による革新的な農産物栽培手法を実現するための技術基盤の創出」があります。このプロジェクトでは、情報と農業の両方がわかる人が農業サイドでもITサイドでも生まれています。

もし、次に、農業分野のプロジェクトがJSTなどにできるならば、もう少し“食品”というのを中心に置いて、フードシステムの先端科学技術などを対象にすれば人材が育ちそうです。又は、大学などにフードシステムの研究所が設置されることが人材育成には必要だと思います。

次回調査に向けての注目研究領域

今回の調査の枠組みは良かったと思います。次回への案としては、「地域コミュニティなどローカライズに関したもの」、農林水産業は政策的な課題も重要ですから、「政策的なもの」を入れるとかが考えられます。

また、DX(デジタルトランスフォーメーション)とも関係しますが、「食を情報として消費者に提供する『情報食』」も考えられます。これは、情報によって食生活をコントロールし、自分のライフ(生命・生活)をコントロールすることによって病気を治すという概念です。例えば「糖尿病に関して、食事のカロリーの話と食品のGI値(食後血糖値の上昇度の指標)などがすべてデータ化されて適正な情報として患者にもたらされ、それらの情報の下で食をコントロールできる情報システム」は、スマートウォッチの中に、糖尿病対応のアプリが入っていれば実現しそうです。この「情報食」は5Gの普及につれて、フードシステムの中に含まれるべき研究課題だと思います。

もう一つの話は、「SNSを用いた生物季節観測」という課題です。気象庁は、初鳴きや開花といった生物季節観測(令和2年末まで、植物34種目、動物23種目)を大幅に縮小してしまいます(令和3年1月より、植物6種のみ)。日本の農業では、旬という言葉に象徴されるように生物季節は重要な概念です。また、和食や和菓子の調理には季節感が必須です。「クマゼミは北には存在しなかったのが、今ではその鳴き声がどんどん北上している」といった事例は、完全に気候変動とリンクしている話題です。日本人は虫の鳴き声を言語と論理をつかさどる左脳で処理していることもあり、生物季節観測を続けるために、民間の気象サービス会社等とともに、SNSを活用する生物季節観測ネットワーク構築が求められています。市民から届く多様な情報を集めつつ、AIとブロックチェーンを用いてデータクレンジングと評価を伴ったデータ蓄積を行うシステムも可能になりそうです。

5Gが一般化される近未来の社会では、「情報食」や生物季節を含む自然と社会が生み出す様々なデータの保存・整理方法とともに、これらのビッグデータが生産エコシステム・フードエコシステム・資源エコシステムを駆動していくことになりそうです。ここにも重要な研究課題が潜んでいそうです。