STI Hz Vol.6, No.4, Part.4:(特別インタビュー)国立研究開発法人理化学研究所 理事長 松本 紘氏インタビューSTI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00233
  • 公開日: 2020.12.21
  • 著者: 岡谷 重雄、鎌田 久美、山口 晃
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.6, No.4
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
国立研究開発法人理化学研究所
理事長 松本 紘 氏インタビュー
-変革期に学問の垣根を越えて未来社会の統一的ビジョンを創る-

聞き手:科学技術・学術政策研究所 総務研究官 岡谷 重雄
科学技術予測センター 研究員 鎌田 久美
第1研究グループ 研究員 山口 晃

コロナ()において、世界同様に我が国でも様々な変容が迫られている中、とりわけ科学技術・イノベーションに対する社会からの期待は高まっている。また、科学技術・イノベーション基本法が人文科学を含むあらゆる分野を包含することとなり、より一層の社会と科学技術との融合が求められることとなる。本稿では、こうした変革期において、科学者や研究組織に求められる事柄及び改革者としてのリーダー像について、特定国立研究開発法人である理化学研究所(理研)理事長 松本紘氏に伺った。

松本 紘 国立研究開発法人理化学研究所 理事長

松本 紘 国立研究開発法人理化学研究所 理事長

1. 理研におけるCOVID-19(以下コロナ)に対する対応について教えてください。

- コロナ禍における理研の対応

2020年1月にコロナの状況が緊迫感をもって報道され始め、つづく2月にはコロナ患者の急激な増加を受けて、理研でも2019年度末に予算を集め、コロナ研究を加速させることを決定した。新年度となり、コロナに関する研究開発の提案を募り大小30件程度のプログラムを開始した。ただし、予算の在り方が単年度制となっているため、補正予算を頼んだとしても早期の予算措置は難しい。研究開発に遅滞が生じぬよう、一部の課題については迅速かつ厳格な審査を経て、理事長裁量経費を投じた。このように、理事長裁量経費は重要だと思われる研究を機動的に推し進めていく上で大変貴重であることを、コロナ禍を通じて痛感した。緊急事態宣言下においては、コロナに関係のない研究は中断し、コロナに関係のある研究については3密や独自の自身のイニシャルにかけたスペシャルHM(Space, Hand, Mask:空間、手洗い、マスク)を守りつつ進めていた。

- 具体的な研究の例

既に御案内かと思うが、富岳を用いた飛まつの飛び具合のシミュレーションがあり、一定の成果が出ている。現在進めている研究開発プログラムとしては、例えばウイルスがどこにいるか分からない、不安である、という人々の行動様式を極めて制限する根本的な問題を解消するため、コロナウイルスを光らせて可視化するというような大変チャレンジングな研究開発も進めている。その他分子動力学、治療学など多様な見地から研究開発を行っている。

- 理研と感染症研究

感染症研究では、研究の過程で自らが感染しないことが最重要であり、例えばウイルスを生で研究室に持ち込むことにはハードルがある。このことが富岳以外にコロナに関して成果がはっきりしていない理由の一つと考える。理研の半数は生命科学の研究者であるが、設備の問題もあり、十分にそのリソースを活用できていないのが現状である。例えば生ウイルスを研究する際には地域の理解を得なければならないため、そう簡単ではない。抜本的には感染症を対象とする研究テーマを国がどれだけの規模で行うかということに呼応して、理研が対応できるかどうか検討しなければならない、ということだと思う。

2. 科学に対する社会的要請と研究者そして理研との関係について教えてください。

- 要素還元主義と日本の大学

そもそも学問は古代ギリシアの頃から自然哲学というものであった。すなわち人文科学と自然科学のどちらも含まれていた。中世の暗黒時代を経てルネサンス後、科学が復活し、デカルトの要素還元論のもと学問が細分化されながら18世紀・19世紀には科学力が国力となった。日本では明治期に学問が西洋から輸入されたが、輸入されたその学問は既に細分化された「科」の学問であった。日本人は初めから「科」に分かれたものを学問だと勘違いしてしまったと考える。そのため日本では当初、大学は農科大学、工科大学、理科大学など「科」に分かれた単科大学が興った。しかし、使節団が西洋の大学を見てみると、総合大学が多く、日本でも総合大学を作ることとなり、帝国大学が設立された(今でいう学部長はそれぞれのカレッジの学長であったから、旧七帝大ではその(おさ)を総長という)。このことから、それらの大学では学部長会議でほとんどのことが決まっており、単一のトップである総長のリーダーシップが発揮しにくかった。これでは欧米の大学に勝てないということを念頭に、法人化となり、一つの司令塔である総長のもとに大学が組織されるよう改革を進めていく必要がある。具体的には学部学科ごとの垣根を低くし、採用も含め人材が交流しなければならないと考える。

- 研究者と社会

研究者のほとんどは、未知の分野に挑戦して、自分がこれを発見した、これを発明した、というように歴史に名を残し、ステップアップすることを目指していると言える。もちろん、広い立場で考えると、学問の積み上げは自然と社会貢献につながっていくとも言えるが、それだけでは歴史に名を残すことを念頭にした研究者のエゴイズムを帳消しにはできないと考える。100年先の社会をイメージして、現在の社会的課題を念頭に置き、どうしたら社会貢献、地域貢献、歴史貢献をできるかを主体的に考えるべきであるが、多くの研究者にその時間やゆとりがない状況は、困った問題である。

- 社会的要請と理研の在り方

大学と比べ、理研は学部学科がない。理研では大学とは違い、時々の課題に対して戦略的に設立されたセンターというものがあるが、それらの間の垣根も低い。ただし、本部の意向がそれぞれのセンターの末端まで届くのに時間がかかった。そのガバナンスの面での改善を行った。研究が順調なときは良いのだが、研究がうまくいかないときに責任の所在を明らかにすることが重要である。

また、社会的要請の側面で言えば、そもそも理研は設立以来、ビタミンの研究をはじめとした社会の要請に対応した工学的研究も多く、第3代所長 大河内正敏の時代(1921~1946)には理研コンツェルンと呼ばれる一大組織が形成され、例えば造船産業の振興にも大きく貢献するなどした。ところが1990年代頃からは生命科学系に重点を移行し若い研究者を積極的に採用したため、工学系の衰退と生命系の若い研究者の出口戦略との2つの問題を抱えるに至った。そこで、異業種間で社会課題を解決するためには何をしたらよいのか、ということについて具体的にネットワークを形成し、研究できるよう推し進めている。ロボットを例に考えると、“ロボットに支配はされたくない”という人が多いと思われる中、さりげなく手伝ってもらえる、黒子のようなロボットのニーズが高いと考える。そうであれば、人の気持ちが分かるようにならなければならない。ここに異業種間の共同研究の必要性があると考える。ただし、基礎研究はダメ、応用研究は良し、という短絡的な話ではない。実際に1985年から2015年の30年の間に、特許出願の際に引用された論文の数は理研が日本1位である。基礎は理研、応用は産業技術総合研究所という枠組みで考えるのも間違っている。大事なのは研究が社会課題にどのように効く可能性があるか、ということを自分で考えておかなくてはならない、ということであり、そのような理研であってほしいと考える。

3. 科学技術・イノベーション基本法への改正により人文科学を含むあらゆる分野が法の対象に含まれることになります。このことに対する理研に求められる変革について教えてください。

- 文系と理系

そもそも文系と理系を分ける考え方がナンセンスだと思っていた。ただし、そのマインドを変えるのには時間がかかると思われる。いわゆる「科学」と呼ばれる領域は、イコール理系というイメージを持たれているのではないだろうか。しかし、実際には哲学や経済学といった文系の学問にもたくさんの(えい)()がある。文系も理系も総合して考えて、どうしたら人間がより良い生命体となりうるか、どうしたらより良い社会を作れるか、ということを協力して考えていくべきだと考える。もともとは文系も理系も一緒だったのにもかかわらず、現在になって融合するというのは遅すぎたように感じる。哲学が御専門の羽入佐和子先生を理事として迎えたこともあったが、国の人事の関係で短期間のうちに理研を去られてしまうこととなり、理研に文系的要素が浸透するまでには至らなかった。やはり、私は文系の人と理系の人が手を結ぶと、今まですっぽり穴が開いていた新しい分野がきっと生まれると思っている。

- 文理融合による究極的な問い:人とは何か

文理融合の例としては、人とは何かという問いに答えることが挙げられる。人は生命体なので、生命科学が必要であることは間違いないのだが、人の周りの環境、すなわち地域、国際、地球、太陽系、銀河系、これらを理解できなければ、人とは何かとの問いに答えられない。それはすなわち、歴史であり、地理であり、思索であり、これらを融合しないことには正しく理解ができないと考える。究極的には人はサルからの進化である、という考えと、人は神が創ったという考え方があり、後者について科学者は論理の積み上げでないから嫌うわけだが、科学者はこの可能性を完全には否定できないはずだ。例えば、旧約聖書やその他地域に根差す神話を文系の知見から検証し、この可能性について議論することはできるはずである。

あるいは、類人猿からホモサピエンスに至るまでに急激に脳が大きくなっている。これを進化論だけで説明できるだろうか。進化論ではたまたま脳が大きい類人猿が生まれ、それが適者として生存していったということになる。しかし、例えば、ジャグリングをする人は脳の一部が大きくなるという報告もある。たくさん考える人の脳が大きくなり、それが世代を通じて継承されるようであれば、説明がつくかもしれない。若しくは外的要因により人間より優れた存在が人間を創ったのか。このあたりの議論に対し、理事長裁量経費を(少し)つけ、生命科学者だけでなく考古学や心理学の研究者もメンバーに加わった研究プロジェクトを推進している。このような自然科学者と人文科学者が集まって、今までのものの見方とは全く異なる新しい知見を発見できないか、ということを期待している。根源的な問いである、人間はどこからきてどこへ行くのか、私たちはなぜここにいるのか、という問いに答えるためには、全く新しい知見が必要で、そのためには哲学者や文学者のような想像力の豊かな人たちとの取組が必要であると考えている。

- 未来社会の統一的なビジョン

一般に研究者は自分の研究テーマを中心に考えるが、そうではなく、イノベーションデザイナーでは分野の垣根を越えて、細かい研究よりも俯瞰的に、アリの目ではなく鳥の目で、未来社会がこうなっているはずである、あるいはこうなってほしい、といったビジョンを考えている。例えば、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』はロケットがない時代に、月へ行きたいという夢を打ち出し、それが統一的な目標となり、やがて人類は実際にロケットを作り月へ行くことができた。すなわち、統一的なビジョンが浸透すると、そのビジョンに向かってイノベーションを創り出せるということである。このビジョンを描くというのは、先に述べた社会的要請と研究者の在り方と大いに関係すると考える。

4. 変革期における法人の長としてのリーダー像について教えてください。

- 改革時の信条

改革について、一旦決めたら、別の方向には(かじ)を切らない。突き進む、貫徹することを信条としている。当然ながら改革前に何人かの意見を聞きメリットとデメリットをよくよく考え、それでもメリットが大きいと考えられるときには、改革を実行する。一旦言った以上はそれを撤回してはならないと考えている。反対派と賛成派があるときに、ときたま反対派の意見にも一理ある場合があるが、それを聞いてしまうと賛成派が離れていってしまう。これはいかん、と舵をもう一度切ると反対派が増えてしまう。したがって、舵を切るとき(撤回をするとき)はその職を辞すときのみ、と決めている。

- 長の在り方

長の方針が変化するようでは、副を始め組織の各人の仕事が進められなくなる。最後は長が責任をとるのだ、とはっきりさせることは、極めて重要である。他方、長の後ろにはもはや誰もいない。その意味で長は孤独であり、独善的にならないよう、「私はこれが正しいと思う」と確信するまで、よくよく考えなくてはならない。また、人の気持ちが読める人でないと長になるべきではない、と考えている。一度弱い立場にたったことのある人でないと人の心が読めないものである。当然、人の気持ちを読む能力に()けすぎると今度は決断できなくなるが、それでも人のつながりを理解していなければ、長は務まらない。

松本理事長、お忙しい中貴重なお話をありがとうございました。

インタビューを終えて、理化学研究所理事長室にてインタビューを終えて、理化学研究所理事長室にて

左から鎌田、岡谷、松本理事長、山口、古屋理事長特別補佐(理化学研究所提供)


注 国立研究開発法人産業技術総合研究所