STI Hz Vol.2, No.2, Part.4: (ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流)株式会社ジーンクエスト 高橋 祥子 代表取締役インタビューSTI Horizon

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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00024
  • 公開日: 2016.06.25
  • 著者: 髙橋 安大、相馬 りか、林 和弘、新村 和久
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.2, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流
株式会社ジーンクエスト
高橋 祥子 代表取締役インタビュー

聞き手:企画課 係員 髙橋 安大
科学技術予測センター 上席研究官 相馬 りか、林 和弘
第2調査研究グループ 上席研究官 新村 和久

ヒトゲノム解読以降、がん、心臓病、糖尿病などの種々の疾患と遺伝子との関係の分析が可能となり、予防医療への応用が始まりつつある。この遺伝子解析は半導体分野におけるムーアの法則以上の速度で高性能化が進み、費用が加速度的に下がったことにより、近年では、米国のベンチャーによって、低料金での一般人へのゲノム解析サービスの提供が開始されている。しかし、この米国ベンチャーによるサービスは遺伝子情報が日本人とは異なる欧米人向けであり、これまで、日本人向けの遺伝子研究に基づく大規模かつ信頼性のあるデータを提供するサービスは一般的ではなかった。

高橋氏は、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中の2013年6月に国内での大規模遺伝子解析サービスを手掛ける大学発ベンチャー、株式会社ジーンクエストを起業した。同社のサービスは、唾液から抽出したDNAを解析し、生活習慣病などの疾患リスクや体質の特徴など最大約290項目についての遺伝情報と遺伝カウンセリングを提供するもので、事前に自分の体質やかかりやすい病気を把握することによって、病気の予防に役立てることができる。

疾患や体質とゲノム情報の関係を調べる研究には、多数のサンプルが必要であると同時にその解析には多大な費用がかかる。高橋氏は、起業を行うことでこれらの問題を解決し、事業を通して得られる膨大な遺伝子解析データを活用していまだ明らかとなっていない、種々の遺伝子と疾患との関連についての研究に取り組んでいる。

高橋氏による事業・研究は、疾患と生活習慣の因果関係の解明など遺伝子研究や創薬の発展への寄与が期待されている。

高橋氏のこれまでの業績をたたえ、当研究所は「ナイスステップな研究者2015」に高橋氏を選定した。高橋氏はこれまでに単独で選定されたナイスステップな研究者の中で最年少であり、今後の御活躍が期待される。ゲノム研究と事業の両立を目指し活躍される高橋氏にお話を伺った。


高橋 祥子 株式会社ジーンクエスト 代表取締役


― ナイスステップな研究者に選定された影響はありましたか。

選定されてからまだ余り時間もたっていないこともあって、具体的な影響というほどのものはありません。一つ挙げるとすると、東大農学部のウェブサイトにナイスステップな研究者に選定されたことを載せてもらいました。大学側は喜んでくれたようです(笑)。

私の立場は経営者なのか研究者なのか、他の方からは分かりにくいようです。私としては、ビジネスマンとして利益のために事業を行うというよりは、研究者としてこういうことをやりたいというビジョンを伝える方が、共同研究をやりやすいと感じています。「こういう賞をいただけたということは、やっぱり研究者気質なのですね」とは言われますね(笑)。

― どうして起業して研究をしようと考えられたのですか。

実は、研究しているときと経営をしているときとは、モチベーションは全く変わりません。遺伝子やひいては生命の謎を解き明かすことで必ず人や社会のためになると確信しているのですが、謎を解き明かすことで何かは分かるようになるはずなのに、何が分かるようになるかは誰も分からない。私は事業を通してそれを探すというモチベーションです。

なぜ私が会社という形で謎を解き明かそうとしたかというと、一つはその方が研究が加速すると考えたからです。当初は起業しようという意識はなく、普通に研究者として大学に残って将来は教授になろうと考えていたのです。しかし、一緒に起業した研究室の先輩(注:齋藤憲司取締役)が、以前からビジネスをやりながら研究をしていて、それを見て起業しながら研究を続けるという選択肢があると分かり、起業した方が資本のレバレッジをきかせることで、やろうとしていることをより早く実現できると考えました。

もう一つは、自分一人のキャリアとして考えたとき、どれくらい研究をすれば、どれくらいの成果が出て、何年で何本の論文が書けるから何歳くらいで准教授になって、といったキャリアパスが見えてきていました。時間は自分の努力で多少縮まるとは思いますが、どちらかというと職のポストが空いているかどうかなどの外部要因で決まる部分も大きく、飛躍的に縮まることはないと考えました。それならば、自分の力でどこまで道を切り開けるのか一度挑戦するべきで、キャリアの早いうちなら失敗しても大して損はしないと思いました。

このように、ロジカルに考えて企業という形態にした方が研究を加速できると考えた側面と、自分自身のキャリアとしてあらかじめ分かっている道筋を進むよりは一回挑戦したいという側面の両面がありました。

― 企業の事業についてお伺いします。通常の研究プロセスでは集めにくいヒトゲノム情報を集め、社会に還元するための研究を加速するために起業されたとのことですが、顧客側も研究活動に関与しているということから、貴社のサービスは市民科学(Citizen Science)の一つの事例として捉えることができるのではないかと考えています。その観点で、現状や今後の見通しについてお聞かせください。

そもそも研究に市民を巻き込んでいくということをやりたくて起業しています。お客様側からすれば基本的には、研究に参加しているというよりも自身の遺伝子に関する情報を買っているという御認識だと思います。しかし、同意書には研究に使用する旨記載していますので、研究にも使われているということは認識していただいていると考えています。

弊社が現在行っている事業は、ヒトゲノムの解析のほか、お客様から頂くウェブアンケートの解析です。既往歴や生活習慣等の情報をアンケートで収集するのですが、これだけでも研究対象となり得るもので、共同研究等にも活用し、面白い情報が得られてきています。まだサービスを開始して2年程度なので、追跡調査は現時点では始めていませんが、5年、10年たつといろいろ状況も変わってくると思いますので、今後は追跡調査をやっていきたいと考えています。その際、どういうインセンティブがあれば回答が得られるかは検討を要します。例えば、米国の23andMeという企業ではインターネット・コホートと呼ばれるゲノムのコホート調査のような研究をやっています。「こういう病気になったことがありますか」といった質問をすると10%程度しか回答率がないのですが、「こういう症状が出ていると、こういう病気の可能性がありますが、症状はありますか」といった質問の仕方をすると回答率が30%まで上がるそうです。このように、追跡調査を実施するに当たっては、質問の仕方を工夫する必要があると感じています。これ自体も一つの研究対象かもしれません。

また、一般の市民を巻き込んだ研究の事例は余り日本ではなく、一つのチャレンジだと考えています。市民が意識的に研究に参加していくようになっていくという動きも、まだまだこれからだろうと考えています。

一方で、個人のゲノム情報を扱うということは、この情報が明らかになることで遺伝子差別につながり得るというリスクが存在するという点にも留意が必要です。この点、米国では遺伝子差別禁止法が存在し、既に規制化が進んでいます。まだ日本では遺伝子差別を禁止する法律はありませんが、昨年11月から内閣官房健康・医療戦略室、厚生労働省、経済産業省や文部科学省が「ゲノム情報を用いた医療等の実用化推進タスクフォース」を立ち上げ、分析の質の担保やカウンセリング、消費者の不利益、遺伝子差別といった課題を議論しています。遺伝子差別は法律で禁止するべきなのではないかという議論が起き、今正に検討されているところだと認識しています。

― ゲノム情報は自分自身の健康問題に直結するので、市民も参加しやすい分野かもしれません。例えば、福岡県久山町が85%の追跡率を達成しているように、このようなプロジェクトに参加していること自体が一つのステータスになるのかもしれません。
 ところで、研究の持続性の観点で、収入の構造はどのようになっているのでしょうか。例えば、研究なのでキットの販売価格を抑える、といったことをされているのでしょうか。

研究だからといってキットの値段を抑える、といったことはしていません。キットを購入していただいた後も、新しい研究結果を掲載した論文や、新しい分析結果を踏まえて、これまで提示できなかった新しい項目を追加し、解析結果の情報を無料でアップデートしています。アップデートをしたという連絡をお客様にお送りすると、結果を見るためにウェブサイトにアクセスしてもらえます。このようにして、弊社とお客様との関係を維持しています。

現在の弊社の収入はほとんどがお客様へのキット販売です。今後は収集したデータを収録したデータベース事業へ拡大していきたいと考えています。その他、他の企業様から受託研究のような形でお金を頂くこともあり得ます。

― 基礎研究を実用化する側面と、実用化を通して基礎研究を更に活性化する側面とを両立していくに当たって、何かこだわりを持たれていることはありますか。

研究成果をねじまげるということは絶対にやりたくありません。例えば「遺伝子検査で何でも分かります」とか「あなたの性格を全て言い当てます」といった根拠がないようなことは言いたくありませんし、何のための研究成果なのか分からなくなります。実際の研究で分かったことだけを提供していきたいと考えています。

― 今後の事業の展開についてお聞かせください。例えば、生命保険会社等と共同で、将来の疾患リスクに応じた保険を用意することや、歩数計データなどから得られる生活習慣に関するデータと組み合わせるなどといったお考えはありますか。

生命保険会社と何か共同で事業をするといったことは現在はやっていませんが、将来展開としてはあり得なくはないと考えています。それは、直近(3~5年程度)で保険制度を変えていく要素として現在考えられているのは、モビリティ、人工知能、ゲノムの三つだと言われているためです。しかし、留意する点として、個々人のゲノム情報によって大きく保険料が変わってしまうと遺伝子差別につながる可能性があります。他方、保険会社がゲノム情報を一切使えないとすると、逆選択が起こってしまいます。すなわち、ある特定の病気のリスクが高い人が入る保険というものを作ることができなくなってしまいます。これではそもそも保険制度の意味がなくなってしまいます。ただ、例えば、保険会員に遺伝子検査サービスを提供し、検査結果の示すリスクに基づいてどのような予防のための行動をしたかに応じて保険料を変動させるといったことは十分あり得るのではないかと思います。

ゲノム情報を歩数計等の様々なデータと組み合わせて活用していくようになるというのは間違いないと思います。しかし、それがいつ実現するかというのはなかなか予想しづらいものがあります。実際に、鬱状態を記録するアプリや歩数を計測するウェアラブルデバイスなども実用化されていますが、まだ研究に使えるレベルの精度の高いものではありません。ただし、今後精度が上がっていくことは間違いないでしょう。その際に、そういうデータとゲノム情報をつなぎ合わせたいとは思っていますが、それはタイミングを読む必要があると考えています。

歩数計であれば余り問題にならないとは思いますが、例えば保険と組み合わせてゲノム情報を活用するとなると、倫理的な問題が立ちはだかります。歩数計の精度が上がるかどうかは技術進歩のスピードで決まるわけですが、保険でビジネスができるかどうかは倫理的な基盤が醸成されるスピードに依存するため、実現に時間がかかります。そのため、倫理的な議論を早めに行っていくことは必要だと考えています。まだ弊社でも扱っていませんが、今後全ゲノムシーケンス解析を扱うことになったときにどう考えるか、保険とはどう付き合っていくかについては、弊社でも倫理審査委員会を設置して議論をしています。倫理的な問題が解決するタイミングがいつなのかについては常に注視するとともに、倫理的なハードルを下げる工夫はしていく必要があると思います。

海外展開については、弊社のサービスは日本人に特化しているので、今後は日本人に遺伝的に近いアジアをターゲットにしていきたいと考えており、現在台湾で試験を始めています。ただ、国によって規制が違うので工夫がいると思います。

― 共同研究については既に動きがあるのでしょうか。

弊社には、ゲノム情報とあらゆる生活習慣や疾患に関するアンケートの情報があり、研究しようと思えば幾らでも研究できる状況ですので、共同研究の提携先を増やしているところです。去年の夏ごろから共同研究の提携を始めていて、現在は10機関程度と提携しています。共同研究の状況も様々で、弊社の持つゲノム情報の統計データを提供することもありますし、提携先が持っている個別データを弊社の持つデータと組み合わせて解析するということもあります。また、起業したとき、ある企業から頂いていた奨学金の給付停止を申請したところ暖かい言葉で背中を押してくださったのですが、今は企業として共同研究という形でお付き合いさせていただいており、恩返しができればいいなと考えています。

遺伝子検査キットの販売業者は弊社以外にも幾つかあるのですが、サービスを提供することで研究成果を社会に還元しながら、データが集まることで研究が確実に加速されていくということを弊社は目的としています。2014年からキットの販売・データの収集ができ、研究ができるようになってきたという意味で、ようやく一つのサイクルが回せるようになってきた、というのが現在のステージです。

― 最後に、お伺いします。高橋さんから見て、尊敬する研究者や起業家はいらっしゃいますか。

若手では、同じくナイスステップな研究者に選定された慶應義塾大学の福田先生(注:福田真嗣慶應義塾大学特任准教授、株式会社メタジェン代表取締役)はかなり面白い研究をされているなと思います。私とは別の分野になりますが、スタンフォード大学の宇宙物理学者であるリサ・ランドールさんは尊敬しています。専門である宇宙物理学だけでなく、科学そのものや科学と社会、科学と宗教といった幅広い視点をお持ちであるところに影響を受けています。慶應義塾大学の冨田先生(注:冨田勝教授)も考え方が柔軟でエネルギッシュなところを尊敬しています。

インタビューを終えて

高橋氏の研究や事業に対する姿勢から見えたことは、科学研究に対する矜持を忘れずに、その上で、課題解決のためには従来の科学研究の枠組みやキャリアパスには捕らわれずに柔軟に自分の力でどこまで道を切り開けるのか挑戦し、また、多様なパートナーとの協業を積極的に行っていることである。そして、キャリアの早いうちなら失敗を恐れずに挑戦できるという姿勢は、科学技術・イノベーションを引き起こす上で、重要な要素でもあろう。当研究所としては、この後もこのような取組を積極的に取り上げていきたい。


右から林、高橋代表取締役、髙橋、相馬、新村


* 所属はインタビュー当時