STI Hz Vol.2, No.2, Part.2: (特別インタビュー)公立はこだて未来大学 美馬 のゆり 教授インタビュー~理系女子的人材と地方創生の新しい仕組み~STI Horizon

  • PDF:PDF版をダウンロード
  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00022
  • 公開日: 2016.06.25
  • 著者: 岡本 摩耶、小柴 等、浦島 邦子
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.2, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
公立はこだて未来大学 美馬 のゆり 教授インタビュー
〜理系女子的人材と地方創生の新しい仕組み〜

聞き手:第1調査研究グループ 上席研究官 岡本 摩耶
科学技術予測センター 研究員 小柴 等、上席研究官 浦島 邦子

第5期科学技術基本計画において、「国内外の人材、知、資金を活用し、新しい価値の創出とその社会実装を迅速に進めるため、企業、大学、公的研究機関の本格的連携とベンチャー企業の創出強化等を通じて、人材、知、資金があらゆる壁を乗り越え循環し、イノベーションが生み出されるシステム構築を進める」ことが明示されている。

今回、はこだて国際科学祭などを主催し、人材や科学リテラシー、地域創生と、これらを支える「仕組み」について取り組んでいる、公立はこだて未来大学の教授であり、日本科学未来館 元副館長、日本放送協会 経営委員会委員の美馬のゆり氏に、これまでの取組についてお話を頂くとともに、今後の展望についてお話を伺った。


公立はこだて未来大学 美馬 のゆり 教授

(撮影:伊藤 留美子)

- 最近先生が人材育成や科学リテラシーなどについて、お感じになっていることなどあればお聞かせください。

私は、公立はこだて未来大学の開学に当たり、生まれてからそれまで暮らしていた東京を離れ、家族とともに函館に移住しました。気候風土、歴史文化、食などの豊かさを感じる一方で、経済や教育について首都圏との差を目の当たりにしました。全国的に見れば大学進学率が50パーセントを超える中、都道府県別で北海道は低いところに位置しています。函館は北海道で人口3番目の都市部にもかかわらず低いのです。しかも女子は30パーセント台です。

保護者からは、「大学まで行かせなくても」とか、「大学4年間の学費は高いから専門学校で資格を取った方がよい」とか、「本人も望んでいるしそれでよい」などの声が聞こえてきます。現在国公立大学の授業料は年間約60万円、専門学校の授業料はその倍くらいです。就学年数がそれぞれ4年と2年と考えれば、卒業までにかかる費用はほぼ同じです。また資格を取得したとしても、それが将来にわたって社会的な需要があるかどうかも関係します。

OECDの議論では、女子に高等教育、中でも理系進学の機会を提供することが個人としても社会としても、意義があることとされています。大学卒業者の就職率や年収は、そうでない人に比べ、一般的に高くなっています。収入だけが生涯の豊かさを測る基準ではありませんが、個々人が経済的な基盤を持つことは重要です。

男女ともに、食事や健康に関する知識を得ることが、病気を未然に防ぐことにつながり、また、環境問題に関心を持つことが、ごみを減らすことにつながります。科学リテラシーが向上することによって社会的なコストも減るというわけです。特に女性は、妊娠や出産で医療行為に関わる可能性があります。さらに男性と比べ、子どもの教育や家族の健康にもより深く関わることから、教育を受けることが本人だけでなく、まわりに与える影響は大きいのです。

また、医療や環境、食を含む科学技術の知識だけでなく、分析的に考える、論理的に考える、批判的にものを見るなどの科学的思考も重要です。こういった思考法が身についているか否かは、次の世代にも影響して連鎖が起こり、格差が広がっていく可能性があります。

このような現実がある中で大学は、学生を対象とするだけでなく、地域の中に出て、他の機関と連携しながら、市民の学びの機会を提供していくことができるはずです。

- 先生の代表的な活動として、「公立はこだて未来大学」の設立や、日本科学未来館の副館長時代に立ち上げに関わられた「サイエンスアゴラ」、そしてその後の「はこだて国際科学祭」などがあります。

大学の立ち上げでは、人が学ぶための理想的な場をデザインするために、情報系だけでなく、アート系を背景とする人も一緒になって、「学び」とは何であるのかを改めて問い直すことから始めました。学習研究に関する新しい知見を基に、いろいろな「仕切り」を取り払うことを試みました。教室の仕切り、科目の仕切り、学習者の仕切りです。オープンな空間で学際的な教育と研究を推進する。サイエンスアゴラやはこだて国際科学祭でも、出展者として参加する人たち、例えば科学者やジャーナリスト、博物館やNPO、行政の人たちがコミュニケートできるオープンな場として機能することで、互いに学び合う場にもなり、さらにそれらを促進する場となることを目指しています。

はこだて国際科学祭2015の様子
提供:美馬 のゆり 公立はこだて未来大学 教授

- 今で言うところのアクション・リサーチやアクティブ・ラーニングのような感じでしょうか。

私が仲間と一緒にこれらの活動を始めた際には、そういった言葉や概念はまだ余り知られていませんでした。デザイン、実践、評価を繰り返すことにより、その環境をより良いものにしていくこと。ある活動モデルを採用し、実践し、改良しながらモデルを洗練させていくとともに、根底にあるデザイン原則を見付けていくサイクルです。得られた知見を社会生活に還元して現状を改善するという、実践的研究です。またそこには、研究者自身も含めて、関わる人たちが主体的に学んでいくプロセスも含まれています。

- これらの活動は、先生が中心となって企画・運営を進められているものなのでしょうか。

立ち上げという点では確かに私もメンバーの一人でしたが、私だけがやっている活動ではありません。年々仲間が増え、広がってきている状況です。多様な背景を持つ人々が何かを持ち寄って、幾つものグループができ、それらが緩やかにつながっている。中央集権的でない、ネットワーク的な、コンヴィヴィアル(自立共生的)な場であることが重要だと思うのです。資金調達においてもネットワーク型の強みを生かします。活動を持続するために、科学祭では特定の大きなスポンサーにはできるだけ頼らないようにしています。小口の協力、例えば現物で飲物や試供品を提供します、場所を無料で提供します、というような協力を喜んでお受けしています。それぞれが持っているもの、知識やスキル、アイデアを出し合って協力し、つくりあげていく、参加と協働による実践の場です。

- ある種のサークル活動のようなイメージなのでしょうか。

科学祭はサークル活動に近いかもしれませんが、それだけではなく、草の根となって広がり、社会を変えていく、うねりにしていく活動です。例えば、バレーボールやサッカーなどのスポーツや、囲碁や将棋だと趣味サークルのようなものが地域に存在し、体育館や碁会所のような場所もあって、みんなで楽しむことができますね。でも、科学に関するものにはそういう場が余りありません。

活動の場ができ、その存在が見えるようになると、予想を超えて人が集まり始め、いろいろなことが起こります。実際、科学について知りたい、身近に楽しみたいと思う人がたくさんいることに驚いています。

はこだて国際科学祭がきっかけになり、「科学楽しみ隊」という市民グループが誕生しました。その中に、結婚に伴って職を辞して、函館に移住してきた高校の物理の先生だった女性がいます。あるとき科学楽しみ隊の存在を新聞で知って、活動に参加するようになり、いまでは函館圏で引っ張りだこの科学コミュニケータになっています。親子で楽しむサイエンスショーやワークショップを、幼稚園や保育園、小学校、ショッピングモールなどで開催しています。

彼女の魅力の一つは、そのアプローチにあります。家の中にある材料を使って子どもの母親たちに、「あなたもお家でできます」「材料は百均でそろいます」と言うのです。だから、イメージがわくし、家に帰ってもう一度試してみることができる。手品みたいに「すごいでしょう!」と一方的に見せるのではなく、「一緒にやりましょう」「あなたにもできるんですよ」というスタンスで行っているのがポイントです。彼女がとても楽しそうに、精力的に活動しているところに、さらに新たな仲間が集まってくるようになってきています。

こうした事例がたくさんあります。

- 先生は「理系女子」ではなく「理系女子的」というキーワードを利用なさっていますが、「的」という言葉にはどのような想いをこめられているのでしょうか。また単なる「理系的」と「理系女子的」の間にはどのような違いがあるのでしょうか。

3年ほど前、日本学術会議からの依頼で中高生向けに書籍を出版しました。それが『理系女子リ ケ ジ ョ的生き方のススメ』1)です。「リケジョ的」は、「リケジョ」の一般的な意味とは異なり、「理系的」と「女子的」を組み合わせた私の造語です。理系的とは、何事にも好奇心を持ち、ものごとを論理的、分析的に深掘りしていくこと。女子的とは、友達とワイワイ集まる女子会のように、互いを尊重しながら楽しむこと。いろいろな人が集まってアイデアを出し合い、互いを高め合う生き方、それがリケジョ的生き方です。

「理系的」と「理系女子的」の違いは、コミュニケーション力や共感力、すなわち「自分ごととして考える」ということだと思うのです。旧来の「理系」という言葉には、実験室にこもって実験をするとか、一人で黙々と仕事をするようなイメージがあります。「理系女子的」は科学的ものの見方や論理といった理系的な思考法、方法論は共有しますが、そこにコミュニケーションの要素も合わせ、多様な人を巻き込んで一緒に何かをつくりあげていく、解決していく、そういうスタイル、態度のことです。

近年、グローバル人材の育成が必要だと言われます。グローバル社会に必要なのは、英語や多言語が話せることだけではありません。それは、国や民族、宗教、業種、職位など、異なる文化の人たちと、互いの文化を尊重しながらコミュニケートする力です。異なる背景を持つ人たちと協力し、目的を達成するために必要な「共通言語」は、論理的思考、分析的思考という、科学的なものの見方、考え方です。

リーダーシップについての考え方も変化してきています。理想的なリーダーというと大抵の日本人が思い浮かべるのは、戦国武将や、松下幸之助や本田宗一郎など大手企業の創業者たちです。全人格的なところに目が行きがちで、持って生まれた資質のように感じます。しかしながらグローバルな視点を考え合わせれば、多様なものを受け入れつつ、方向を共有し、チームで積極的に取り組む姿勢や態度が必要になってきています。

- 科学祭などの次の活動、例えばエリアを増やすとか種類を増やすとか、そういったことはお考えでしょうか。今後の展望をお聞かせください。

エリアを増やす、種類を増やす以上に、私たちのやり方、ノウハウを、他の地域の方と共有したいと考えます。科学館のない函館で科学祭が生まれて8年目。函館圏において更に広がりを見せています。私たちのようにリソースの少ない地域でも、自分たちの持っているものを見直し、つなげていくことで、こういった活動ができますよ、ということをお知らせしたいのです。

もう一つ考えていることがあります。はこだて国際科学祭は「祭り」です。祭りはハレの場であり、見るものではなく参加するものです。科学以外のいろいろなコンテンツで展開することができますし、何より参加することへの敷居が低い。北海道新幹線の開通を契機として、これまでの活動をベースに、「祝祭とネットワークのまちづくり」を考えています。ポイントは「祭りを外に開く」、「点からネットワークへ」、「デザイン力、IT力」の三つです。

祭りは元々コミュニティの中で生まれて実施されてきたものです。コミュニティとは、同じ地域に居住することによって生まれた地縁、共同体のことです。近代ではそれが地域を超え、経済的なつながりにシフトしてきました。さらに現代においては、ITの発達と普及に伴って同じ興味・関心を持つ人々が集まるコミュニティ「関心共同体」もできています。そこで函館市民向けに実施していた祭りを、国内外からも参加できるように「外に開く」。自分たちが楽しんでいる趣味の活動をおすそ分けする。夜景と朝市の観光ではない函館への入り口、興味・関心のあるテーマの祭りをきっかけに、函館を訪れてもらうという発想です。

函館では現在年間通じて、様々な祭りがあります。個々に実施している祭りのネットワークを作ることを考えています。祭りの開催にはノウハウがあります。近年祭りは、メンバーの高齢化や少子化、地域経済の低迷もあって、継続することが難しくなってきています。そこで、祭りのノウハウを共有しつつ、共通するところ、例えばマーケティングや広報など、事務局機能を統合すれば効率よく運営できるはずです。みんながまとまればプレゼンスも高まります。

三つ目は、祭りを基にまちを「祝祭都市函館」としてデザインするためのデザイン力、IT力の活用です。ここでいうデザインは、モノ(機能や形状)からコト(活動や経験)にまで広げた、新しい仕組みを創造する行為のことです。ITを活用して運営のためのプラットフォームを整備し、参加者へのワンストップサービスを提供する。SNSの画像や映像の共有機能、自動翻訳機能などを利用して、世界にいる特定の興味・関心を持つコミュニティへアプローチする。集まったデータを分析し、ノウハウを抽出して、まちづくりのために活用していく。予算の限られた地域の活動だからこそ、デザイン力とIT力を駆使して世界に訴求する。その仕組みをつくろうと考えています。

近年、文化政策に投入できる人的資源や財源は減少する一方です。そこで、既にあるリソースをビジョンを持ってつなげることが必要です。また、単発の花火で終わらせず、持続的に実施できるよう、定型的な手続や集約できる機能はプラットフォームを整備して共有する。財源は特定の大口協力者に頼らず分散させる。そして何より、多様な人々が参加し協働する中で、学び合い育て合う。こんな形で、仕組みづくり、人づくり、まちづくりを実現していく。そしてそれが交流外交、文化外交というパブリック・ディプロマシーにもつながっていくと考えています。

- 物理的な場も維持しつつ、情報空間も活用することで、より柔軟で意味的な場へ遷移・昇華する、第5期科学技術基本計画などでも出てきているCPS(Cyber-Physical System)のような雰囲気ですね。

物理的な場と電子空間をつなぎ、そこで得られたデータを活用することによって、地域の課題を解決したり、活動を広げ、価値を創り出したりしていく感じですね。

今から250年以上前、1700年代に、哲学者であり思想家であるJ.J.ルソーが、『演劇について』2)の中で祭りについて語っています。当時ジュネーブに俳優たちを都市から集め、市民のために劇場を作るという計画が持ち上がったとき、彼は反対しました。俳優たちの自由奔放な生活が市民に悪影響を及ぼすことや、劇場は作るのにも、維持するのにも、取り壊すのにも費用がかかるというのが主な理由です。彼はそこで、市民に必要なのは劇場ではなく祭りだと言ったのです。広場の真ん中に杭を立て、花で飾れば市民が集まってきて、それが祭りになると。市民を観衆にするよりも登場人物にすることで、すべての人が一層強く結ばれると言っています。

ハコモノではなく、自分たちの手で価値を共創していく重要性を、こんなに早くから指摘しているのですね。現代に生きる私たちも、頭に置いておくべきことだと考えます。


注 理系の女子学生や女性研究者、理系の進路を目指す女子中高生、理系の女性社員のこと。

参考文献

1)美馬のゆり、理系女子的生き方のススメ(岩波ジュニア新書〈知の航海〉シリーズ)

2)J.J.ルソー、演劇について―ダランベールへの手紙(岩波文庫)