科学技術イノベーション政策における重要施策データベースの構築[NISTEP NOTE No.8]中の通史・概説

1. 基本政策

1.3 行政体制

科学技術白書に記載されている行政体制を理解するには、第二次世界大戦後の我が国の科学技術の推進体制の変遷を知ることが必要となる。

昭和22年に学術体制刷新委員会が設置され、その答申に基づいて日本学術会議が昭和24年に発足した。これと同時に日本学術会議と緊密に協力して、科学技術を行政に反映させるための方策や各行政機関相互の科学技術に関する行政の連絡調整に必要な措置を審議することを目的とした科学技術行政協議会が、総理府に設置された。同協議会は会長に内閣総理大臣、副会長に国務大臣をあて、日本学術会議の推薦による学識経験者及び各省庁の事務次官により組織された。また、国家的な学術研究振興機関として昭和7年に設立された日本学術振興会は、学術奨励団体として存続することとされ、その後、昭和42年に特殊法人となり、学術振興事業の中核的実施機関となった。

昭和22年には国立予防衛生研究所が設立されるなど、保健・衛生面の体制整備が進んだ。昭和23年には,工業及び鉱業の科学技術に関する試験研究を強力かつ総合的に遂行し、生産技術の向上とその成果の普及を図ることを目的として工業技術庁(昭和27年に工業技術院に改称)が設置された。また、天然資源に乏しい我が国は資源を有効に利用することが不可欠であるとの認識を踏まえ、昭和22年末に資源委員会(昭和24年に資源調査会と改称)が経済安定本部の付属機関として発足した。

昭和30年には原子力基本法、原子力委員会設置法等が制定された、翌年には原子力委員会、その事務局としての総理府原子力局が発足するとともに、原子燃料公社、日本原子力研究所が発足した。

昭和29年には審議未了で廃案になったものの議員立法による科学技術庁設置法案が国会に提出された。また、経済団体連合会から科学技術に関する総合的行政機関の設置が要望された。これら一連の動きの結果、昭和31年に、科学技術の振興を図り、国民経済の発展に寄与するため、科学技術に関する行政を総合的に推進する科学技術庁が設置された。科学技術庁は総理府の内部部局であった原子力局、総理府の付属機関であった科学技術行政協議会の事務局、資源調査会の事務局を中心として発足した。

昭和31年には農林省に農林水産技術会議が設置され、農林水産業分野における科学技術行政の体制が整備された。

昭和32年には日本科学技術情報センターが設立された。財団法人理化学研究所を継承した株式会社科学研究所は、昭和33年に特殊法人理化学研究所として再発足した。

昭和34年には、政府の科学技術政策を総合的に推進するため,科学技術会議が設置された。科学技術会議は,内閣総理大臣を議長とし、関係閣僚,有識者で構成され、科学技術一般に関する基本的かつ総合的な政策の樹立に関すること、科学技術に関する長期的かつ総合的な研究目標の設定に関すること、この研究目標を達成するために必要な研究で特に重要なものの推進方策の基本の策定に関すること等について審議し、内閣総理大臣に答申し、あるいは,必要に応じて意見を申し出ることを主たる任務とした。以後,科学技術会議は我が国の科学技術政策において重要な役割を果たしていく 。

さらに、昭和36年度に、新技術開発事業団(後に新技術事業団)が理化学研究所開発部をもとにして発足した。

資金配分機関の整備・再編は、1980年代から1990年代にかけて進んだ。昭和55年度に新エネルギー総合開発機構(現在のNEDO)が設立された。昭和60年度には、特別認可法人基盤技術研究促進センターが設立された(平成15年4月解散。業務の一部はNEDO及び通信・放送機構(現・情報通信研究機構)が継承。)。昭和62年度には医薬品副作用被害救済・研究振興基金(現・医薬品医療機器総合機構)が研究振興業務を開始、平成8年度には、日本科学技術情報センターと新技術事業団が統合し科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)が設立された。 平成13年1月には、中央省庁再編がなされ、文部科学省が設置された。また、このとき、科学技術会議が廃止され、総合科学技術会議が設置された。