STI Hz Vol.8, No.3, Part.4:(ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流)海洋研究開発機構 井町寛之氏、産業技術総合研究所 延優氏インタビューSTI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00302
  • 公開日: 2022.09.26
  • 著者: 髙橋 智、黒木 優太郎
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.8, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流
海洋研究開発機構 井町 寛之 氏、
産業技術総合研究所 延 優 氏インタビュー
私たちの遠い祖先「アーキア」が明らかにする進化の道筋
-異なる強みを育ててきた二人が出会い、挑んだ、生物の起源-

聞き手:企画課 髙橋 智
科学技術予測・政策基盤調査研究センター 研究官 黒木 優太郎

国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)上席研究員の井町(いまち)寛之(ひろゆき)氏は、12年にわたる試行錯誤を経て、真核生物の祖先に近縁な微生物の培養に世界で初めて成功し、Promethearchaeum syntrophicum MK-D1株と命名した。井町氏は、国立研究開発法人産業技術総合研究所(AIST)主任研究員の(のぶ)(まさる)氏と共同で、MK-D1株の特徴とこれまでの真核生物の起源研究に関する結果を統合し、新たな真核生物の誕生仮説「E3モデル」を提案した。本研究は、プレプリントが発表されるや否や、査読前にも関わらず、Science誌の2019 Breakthrough of the year(finalist)に選ばれるなど大反響を呼んだ。本インタビューでは、E3モデルの提案に至った鍵や、それぞれの研究者としての歩み、二人の出会いから共同研究に至る経緯を伺うとともに、研究をする上で大事なことは何かを伺った。

国立研究開発法人海洋研究開発機構 超先鋭研究開発部門 上席研究員 井町 寛之氏(右)国立研究開発法人産業技術総合研究所 生命工学領域生物プロセス研究部門 主任研究員 延 優氏(左)(井町氏提供)

国立研究開発法人海洋研究開発機構 超先鋭研究開発部門
上席研究員 井町 寛之氏(右)
国立研究開発法人産業技術総合研究所 生命工学領域
生物プロセス研究部門 主任研究員 延 優氏(左)
(井町氏提供)

- 今回の成果(アーキアやE3モデル)について改めて教えてください。

井町 寛之氏(以下、敬称略):私たちの遠い祖先は目に見えない微生物でした。それらは大きくアーキア(古細菌)とバクテリア(真正細菌)の二つに分けることができます。昔から、私たちの祖先がアーキアであろうということは言われていましたが、実際はよくわかっていませんでした。そんな中、私たちの祖先に近いアーキアの培養に世界で初めて成功し、培養実験、顕微鏡観察とゲノム解析を進め、細胞の構造や生き方を明らかにしていきました。得られた結果とこれまでの知見を統合したのがE3 注1モデルです。

最初の真核生物がいかにして誕生したかについては、昔から様々な説が唱えられていたもののアーキアの実態が全くの不明であったため、アーキア細胞とバクテリア細胞がくっついて一体化したのだろうといったような単純な説明しかされておらず、細胞の複雑化の成り立ちについて深く立ち入ることができていませんでした。

延 優氏(以下、敬称略):生命は複雑な細胞を40億年ほどの歴史の中で1回しか生み出していません。なぜアーキアとバクテリアが融合してそんなことをしたのか、絶滅していった数も含めればものすごい数のアーキアとバクテリアがいる中で、なぜ1種類のアーキアと1種類のバクテリアが一緒になって他と全く違う複雑な形を作ったのかは、完全に謎でした。バクテリアは我々の細胞の中に取り込まれた後にミトコンドリアになったという痕跡が残っているものの、アーキアははっきりとは残っていません。どうやって融合して複雑化したのか、きっかけすらわからなかった。今回MK-D1株注2というアーキアの培養に成功して初めてその性質がわかり始め、どういう経緯で複雑化が始まったのか、そのきっかけがわかりました。

- 培養に成功してデータが手に入った後、E3モデルに至る鍵は何だったのでしょうか。

井町:端的に言うと延さんの妄想でしょうか(笑)。延さんの発想は非常に豊かで、それがE3モデルの基盤になっています。我々は興味の対象は同じですが、僕は培養が得意で、彼はゲノム解析をしてデータやストーリーを見つけ出すのが得意です。

今はゲノム時代でデータはたくさん取れますが、その解釈など、じっくり調理する人がそんなにたくさんいません。加えて、我々は酸素がない場所に生きている微生物(嫌気性微生物)を研究対象にしていますが、これらは生化学や代謝がきちんとわかっていないと解釈しづらい生物です。これまで行ってきた嫌気性微生物の研究を通じて得た知識や経験がうまくかみ合わさったと思っています。

延:我々が研究対象としてきたのは、酸素のない世界で、しかも小さい量のエネルギーしか取れない生き方をしてきた生物です。彼らはエネルギーを賢く使わないと死んでしまいます。僕は、彼らがどんな戦略をとってきたか、捨てた能力や新たに獲得しなくてはいけなかった能力が、ゲノム解析によって手に取るようにわかります。そして井町さんは実際に手に取って研究しました。海底の貧栄養環境で生きてきたアーキアが、どのような難関に直面して、どう対応をしたかを調べるに当たり、我々の論理や経験が生かせたことで、新たなブレイクスルーにたどり着いたのだろうと思います。

井町:今まで真核生物の起源に関して研究してきていた方は基本的には真核生物から逆戻りで調べようとする人が多く、難しかっただろうと思います。

今回の成果で、これまでとは逆のアプローチで、つまり本当の生物進化の歴史に沿って研究が進められるようになりました。嫌気性微生物を理解した上で進化の研究ができる人は我々ぐらいしかいないかな、と思います。

図表 E3モデルのイメージ図表 E3モデルのイメージ

(井町氏提供資料)

- 今後の研究の方向性や興味について教えてください。

延:MK-D1株以外にも、真核生物により近いアーキアもたくさんいます。まずそういった生物を理解することです。また、我々の細胞の中で複雑さを生み出しているタンパク質や遺伝子のほとんどがアーキア由来だとわかっていますが、今のところ我々の研究ではそれらはアーキア細胞の中では真核生物とは全く違った使われ方をしていると思われます。なぜそのようなものを持っていて、何に使っていたのか。そこを解明できればどうやって細胞が複雑化したかの基盤がわかるけれど、複雑化してしまったものを研究してもわからない。アーキアのように生き方や進化の選択肢が制限された生物を調べれば、そこが鮮明にわかります。

アーキアは、メタンを作るアーキア、高温で生きるアーキアやMK-D1株のような海底の貧栄養環境に住むアーキアにわかれていったわけですが、どのようにして進化し多様化したのかを理解できれば、細胞が複雑化するための基盤になる遺伝子たちがどうして誕生したのかがわかります。

ですから、MK-D1株より昔に戻って、①アーキアの始まりからMK-D1株が誕生するまでに何が起きたのか、②MK-D1株から我々に更に近いアーキアの誕生までに何が起きたのか、③そのアーキアから我々が誕生するまでに何が起きたのか、の三つの進化の道筋を明らかにすることで、生命の誕生から我々の進化の道筋までを明らかにしたいと考えています。

井町:このような研究を進めれば、将来的にはアーキアを通じて真核生物の根幹や基本原理も見えてくると思います。そういった知見が将来的には、遺伝子組み換えやゲノム編集等のバイオテクノロジーにも応用できる可能性もあると考えています。

さらに、今のストーリーは地球で起きたことですが、これが他天体でも起きているのか、他天体で高等生物が生まれるチャンスがあるのか、といった宇宙生物学にも影響を与えるという研究になるのではと考えています。

- 研究を続けるに当たり、気を付けていたことなどはありますか? また、お二人が出会ったきっかけなども教えてください。

井町:自分が得意な所やほかの人が持っていない技術を伸ばしていった方が、この厳しい世の中を生き抜くためには重要だろうなとずっと思っていました。

また長い時間がかかる研究を続けられたのは環境が非常に良かったからだと思っています。上長が研究の自由を大切に考える人で、口出しはしないけれど困ったときにはすぐに相談に乗ってくれました。チームの雰囲気は非常に良く、周りの人間関係が良かったことが大きいと考えます。加えて自分で科研費等の外部資金を取り続けることができていたこともあって、自分の裁量で研究できたことも非常に大きかったです。

延さんとの出会いについてですが、研究のコミュニティって狭いですよね。だからお互い論文でまず名前を知るところから始まって、業界のお友達に紹介してもらいました。延さんの名前は彼が学生の頃から知っていて、実際に会ったのは国際微生物生態学会でした。僕自身は培養には非常に強いと自分では思っていますが、かたや生物学で必須のゲノム解析には苦手意識があって、常々得意でそして自分と気が合う人と一緒にやりたいとは思っていました。ゲノム解析をできる人はたくさん知っていましたが、延さんの知識量や正確性が桁違いだというのはすぐにわかりました。年齢は離れていますが、いつも延さんから勉強させてもらっていると思っています。

延:遺伝子は非常に奥が深いです。さらっと解析してわかることと、更に時間をかけてわかることがあります。遺伝子は実際に生き物が使っているものなので、生き物に関する数値や文字にできないような感覚、こういう生き物はこうやれば良く増殖するとか、そういう論文にすら書かない職人的な情報があると、見えてくる情報が全然違ってきます。

自分の仕事は、まず妄想と言われるレベルまでどんどん遺伝子から情報を引きずり出すことです。その中にはもちろん正解でない情報もありますが、生き物そのものを扱っている微生物学者と一緒に議論して、経験上あり得るかどうかを何時間も何日もかけて洗い出します。そうすると答えが見えてくるということもあるし、その議論をすること自体がお互いにとってレベルアップになります。例えば解釈の仕方A・B・C・Dがあって、Bが正解だと二人の間で合意が取れたとき、A・C・Dが不正解だとしたことも新たな情報です。生物は数十億年の試行錯誤の歴史に立っているので、本質は簡単に文字にできるものでも数値にできるものでもなく、遺伝子を見るだけでも、実験だけでもわからないですが、こういった情報を蓄えることを何百回も続けることで本質を理解してあげられます。

僕は自分の強みが他の人との共同で光るような研究を大事にしていて、井町さんとの共同研究は強く光ります。ずっと続けていきたいです。

- ネガティブデータ等の論文に書かない情報や、その共有についてのお考えを教えてください。

井町:ネガティブデータの共有については失敗例が皆さんの役に立つのは重々わかってはいます。うまくいかなかったものをまとめるのは心理的負担が大きく、皆さん余りやりたがらないですね。業界的にも論文を出してなんぼという競争的な世界になっているので、そこに時間を費やしている場合じゃないよね、となってしまっている現状があります。

延:遺伝子解析とかデータ解析を積み上げる上で、間違った解釈とか、いろいろな選択肢がある中でどれをどう除外していったかは、論文に書く人もいますが基本的には書かれません。ただ、それはデータ解析や解釈をしていく上で一番大事で、個人的にはデータ解釈という意味ではそこで研究者のレベルが出てくると思っています。どうしてうまくいかなかったのか、それがヒューマンエラーではない場合、ロジックが間違っていたということです。自分の知識の中で足りないパーツが何かということになるが、教育現場ではそれが伝達されません。

自分はアメリカで教育を受けたので日本の教育現場については何とも言えないのですが、なぜ間違っていたかというのは自分で頑張らないといけないということに気づくのに時間がかかりました。まずは研究業界でも若手に教えていく、そういう経験談を若手にどんどん伝達していく機会を設けるのは大事だと思います。

JAMSTECの所内セミナーを終えてJAMSTECの所内セミナーを終えて 延氏(左)、井町氏(右)(井町氏提供)

延氏(左)、井町氏(右)(井町氏提供)

- どうして研究の道を目指そうと思ったのでしょうか。また、研究者や、これから研究を目指す人に向けてのメッセージがあればお願いいたします。

延:実は小学校から高校まで理系の成績は非常に悪く、自分が良い成績を取れたのは数学くらいでした。数学ができたので頭は悪くないと信じ頑張っていましたが、一方で普通の教育や勉強の仕方だと効率が悪いのだろうなとも感じていました。そんな中、大学入学直後に地質学に出会い、学び始めました。地質学では、40数億年における地球の歴史を石や化石から直接得られる、点在した非常に少ない情報からたどる必要がありました。わかっていることからわかっていないことを特定し、たくさんの仮説を立て、ネットワーク化し、それを土台にして初めて到達できる更に高次の仮説(妄想)を立てていく。わからないことが頭の中でお互いにつながっていると、新たな情報が得られたときに、孤立した点ではなく知識のネットワークとして頭に残ります。これが地質学を学ぶ過程で身につけた「わからないことを軸にした学び」です。そうすると、授業から得た生の情報だけじゃなく、そこから教科書に書いていないような自分だけの考え方が得られます。間違っている部分もあるかもしれないけれど、間違っているなら、なぜ間違っているかを考えることで、成長できます。

そういう学び方が自分に向いていると気づいたとき、科学全般が苦手だったけれどもう一度挑戦しようと思いました。学部2年目から化学、生物学、物理、工学の勉強や研究に取り組み、これまでの自分がわからなかったことを埋め、新たなわからないことを特定し、そこから導き出した仮説について可能な限り考察することを繰り返しました。そして、あるとき、これが研究において大事だと実感し、研究者になることを決めました。

今、自分は、「わからない」に気を配る価値を自分なりに広めているつもりです。これから研究者になりたい人に伝えたいのは、知られていることしか教室では教えてくれないということです。注意して読むと教科書や論文には多くの知識の穴があります。「わからない、なぜ」と思ったら、それは自分が理解できなかったのではなく、自分がまだわかっていないことに出会えた、あるいはそれ自体よくわかっていない分野に出会えたと感じてほしいです。研究では、何が書かれていないかに気を配ることで、自分の脳を鍛え、複数の考え方ができるようになることが重要です。今の教育や文化ではわからないことが恥ずかしいとされる場面もありますが、「わからない」気持ちを無視せずに、知識や情報と向き合えば、苦手だった分野を克服でき、独自の考え方や視点を生かした自分だけの研究にたどり着けると思います。

井町:昔から漠然とですが研究者に憧れがありました。小学校5、6年で歴史に大ハマりして、ずっと考古学者になりたいと思っていました。ですがその後、高校受験に失敗して、すべり止めの工業高等専門学校(高専)に進学することになり、苦手としていた物理とか数学の勉強ばっかりで大変でした。初めての定期テストでもクラス順位は真ん中くらいで、これじゃ何者にもなれないと思い、そこから勉強するようになりました。高専では土木工学を勉強していたのですが、その中で水処理などの環境工学分野が非常に魅力的に思えたため、微生物を使った水処理の方向に進んでいきました。

大学院の頃に、今の仕事の原点である嫌気性微生物の培養というテーマが与えられて、その研究にハマりました。そうこうしているうちに博士課程進学のお誘いを受けて、研究者への憧れもあって進学しました。今にして思えばそんなに積極的ではないけれど、思っていた研究者になれたんだなと思いました。昔憧れた考古学者よりも、今では数十億年といった更に広い範囲の歴史をやっているので、面白いものだなと思います。まさか土木工学の排水処理から生物の起源の研究になるとは、学生の頃には思いもしていませんでした。

私がお伝えしたいのは、「好き」だけで進むときついときがあるということと、自分が研究職であれば、得意な所や皆が認めてくれる所を伸ばすのが重要だということです。不安だといろいろなことに手を出したり、共同研究のお誘いに乗っていろいろなことに手を出したりしがちですが、自分がとがりたいと思ったら「やらない」という選択肢も非常に重要です。

実はそれに気づいたのは研究者として非常に後になってからでした。2011年にアメリカのカリフォルニア工科大学に留学したのですが、そこの優秀な教授陣がテーマを非常に絞っていました。非常に優秀な人たちがテーマを絞ってやっているというのを見て、これじゃ勝てないと思いました。だから、やらないという選択も非常に大事です。

(2022年6月10日オンラインインタビュー)


注1 本研究で得られたMK-D1株の特徴とこれまでの真核生物の起源研究に関する結果を統合し、新たな真核生物の誕生仮説「Entangle-Engulf-Endogenize(E3)モデル」を提案した。今から約27億年前に地球に酸素が増えてくる大酸化イベントが始まった際、真核生物の祖先となるアーキアは毒である酸素を解毒するためにミトコンドリアの祖先となるバクテリアと共生し、その後、祖先アーキアは長い触手のような突起や小胞を使うことでミトコンドリアの祖先を細胞内に取り込み、それらが一体化することで最初の真核生物細胞が生まれたという仮説である。

注2 アーキアの姿や生き方を解明するために海底の泥からの培養に挑んだ。海底に住む微生物の大多数は実験室で生育させることが実現されておらず非常に難しいとされていたため、DHS(down-flow hanging sponge)リアクターと呼ばれる装置を用いて海底環境を模擬する独自の培養方法を用いた。12年にわたる試行錯誤を経て、目的としていたアーキアの培養に世界で初めて成功し、Promethearchaeum syntrophicum MK-D1株と命名した。
MK-D1株は直径が約550 nmの極小の球状細胞であるが、増殖が終わる頃に細胞外部に触手のように長くて分岐する突起を伸ばして細胞形態を大きく変化させるという、他のアーキアやバクテリアには見られない特徴を持つ。人類が捉えることができているアーキアの中で真核生物に最も近縁だが、MK-D1株の細胞内部に核や細胞内小器官はない。