STI Hz Vol.7, No.3, Part.1:(ほらいずん)デルファイ調査座長に聞く「科学技術の未来」:健康・医療・生命科学分野-先進的な研究・教育に支えられた「質の高い医療」に向けて-NPO法人卒後臨床研修評価機構 福井 次矢 理事・人材育成委員長インタビューSTI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00261
  • 公開日: 2021.08.25
  • 著者: 重茂 浩美
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.7, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
デルファイ調査座長に聞く「科学技術の未来」:
健康・医療・生命科学分野
-先進的な研究・教育に支えられた「質の高い医療」に向けて-
NPO法人卒後臨床研修評価機構
福井 次矢 理事・人材育成委員長インタビュー

聞き手:科学技術予測・政策基盤調査研究センター 上席研究官 重茂 浩美

概 要

約半世紀の歴史がある科学技術予測調査では、分野別分科会等において日本有数の各分野の専門家の英知を結集して調査の質問項目・内容が作成され、調査結果の分析が行われている。調査結果のみならず、その検討過程についてより深く理解をいただくため、第11回科学技術予測調査デルファイ調査における分野別分科会の座長インタビューを連載する。

連載第7回となる本稿では、健康・医療・生命科学分科会座長の福井 次矢 NPO法人卒後臨床研修評価機構理事・人材育成委員長に、本分野の科学技術トピックの設定と調査結果、並びに本分野における研究開発や人材育成の今後の方向性について伺った。

キーワード:健康・医療・生命科学分野,生殖補助医療,公衆衛生学,ヘルスヒューマニティーズ,COVID-19

福井 次矢 NPO法人卒後臨床研修評価機構 理事・人材育成委員長 聖路加国際病院 院長(座長就任当時) 健康・医療・生命科学分科会 座長

福井 次矢 NPO法人卒後臨床研修評価機構
理事・人材育成委員長
聖路加国際病院 院長(座長就任当時)
健康・医療・生命科学分科会 座長

1976年京都大学医学部卒。聖路加国際病院にて研修。1984年ハーバード公衆衛生大学院修了。帰国後、国立病院医療センター(現・国立研究開発法人国立国際医療研究センター)循環器内科、佐賀医科大学総合診療部教授、京都大学医学部附属病院総合診療部教授、京都大学大学院医学研究科臨床疫学教授を歴任し、2005年から聖路加国際病院院長。2012年から聖路加国際大学理事長を兼務。2016年理事長を退任し聖路加国際大学学長に就任。2021年4月よりNPO法人卒後臨床研修評価機構 理事・人材育成委員長。京都大学名誉教授。

科学技術トピックの設定と調査結果について1)

世界に先駆けて超高齢社会を迎えた日本では、国民一人一人が健康な生活と長寿を享受できる健康長寿社会の実現が喫緊の課題であり、健康・医療・生命科学分野はその実現に向けた基幹となる科学技術分野です。科学技術トピックの設定に先立ち、世界保健機関(World Health Organization、以下WHO)の動向、国内外の研究開発戦略やファンディング動向等を参考に本分野を俯瞰し、柱となる7つの細目を設定しました。具体的には、「医薬品(再生・細胞医療製品、遺伝子治療製品を含む)」、「医療機器開発」、「老化および非感染性疾患」、「脳科学(精神・神経疾患、認知・行動科学を含む)」、「健康危機管理(感染症、救急医療、災害医療を含む)」、「情報と健康、社会医学」、「生命科学基盤技術(計測技術、データ標準化等を含む)」の細目を設定しました。このうち老化、救急医療、災害医療、社会医学については、近年の我が国における社会・研究ニーズの観点から新たに盛り込みました。特に社会医学は、健康格差等、医学と社会科学の横断・融合領域として注目されています。さらに、生命科学基盤技術の細目を設けることで、基礎研究と医療研究とのつながりを強調しました。これら7つの細目を基に、各細目間でのバランスをとりつつ、計96の科学技術トピックを設定しました(図表1)。なお、「医薬品(再生・細胞医療製品、遺伝子治療製品を含む)」及び「老化および非感染性疾患」の細目については、分科会に加えて、大学、公的研究機関、企業の有識者によるワーキングチームを設置し、科学技術トピックの設定について議論を重ねました。多くの有識者から御支援を頂き、この場を借りてお礼申し上げます。

調査結果を見ますと、科学技術と社会の両面から総合的に重要度が高いとされた科学技術トピックの多くは、運動機能低下の予防・治療法、アルツハイマー病等の神経変性疾患の予防・治療法といった老化に関するトピックでした。この結果は、超高齢社会における課題解決に直結した科学技術への評価が高いことを示しています。また、診断機器の高度化、がんや認知症の早期診断・病態モニタリングに関するトピックの重要度も高く、患者の負担を軽減してクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の向上を目指す医療に向けた科学技術が重要と判断されていることも明らかになりました。一方、日本の国際競争力が高いと評価されたトピックの多くは、iPS細胞等の幹細胞を用いる再生・細胞医療、遺伝子治療、免疫系を基盤とする治療に関わるトピックでした。これまで我が国が先導してきた再生医療研究や免疫研究の成果を医療技術に効果的につなげることが、今後一層期待されていると言えます。

図表1 健康・医療・生命科学分野の細目と科学技術トピックキーワードの一覧図表1 健康・医療・生命科学分野の細目と科学技術トピックキーワードの一覧

出典:参考文献1)を基に科学技術予測・政策基盤調査研究センターにて作成

分子・細胞・組織レベルから個人・集団レベルまで多岐にわたる健康・医療研究-クローズアップ科学技術領域の抽出2)

今回の調査では、新たな試みとして、AI関連技術とエキスパートジャッジの組合せにより、科学技術の視点から今後推進すべきと考えられるクローズアップ科学技術領域を抽出しました。具体的には、デルファイ調査における7分野、計702の科学技術トピックの中で、類似する単語が出現するトピックは意味的・科学技術的に関連するものとみなし、それらトピックをグループ化して科学技術クラスターをつくり、それらのクラスターを基に、分野横断・融合のポテンシャルの高い8領域と特定分野に軸足をおく8領域を抽出しました。

計16領域のうち、特に健康・医療・生命科学分野に関わる領域として「プレシジョン医療をめざした次世代バイオモニタリングとバイオエンジニアリング」と「ライフコース・ヘルスケアに向けた疾病予防・治療法」が挙げられます。前者は、遺伝子、環境、ライフスタイルに関する個人ごとの違いを考慮するプレシジョン医療を目指した科学技術領域であり、例えば分子生物学や細胞生物学など、主に分子・細胞・組織を対象とする科学技術領域です。様々な疾病のメカニズムを解明し、その予防法や治療法を開発するためには、体を分子・細胞・組織まで細分化して突き詰めていくことが不可欠です。後者は、生涯にわたる健康支援のために、胎児期から乳幼児期、就学期、就労期、高齢期までを連続的に捉え、各年齢ステージでの疾病の適切な予防・治療を施すというライフコース・アプローチの概念に基づいていて、例えば発達障害に関する縦断研究や横断研究など注1、個人や集団を主な対象とする科学技術領域です(図表2)。ライフコース・アプローチは、WHOが1995年に設立した「Ageing and Health Programme」(高齢化と健康に関するプログラム)で唱えられた健康に関する概念的な枠組みであり、医学のみならず社会科学まで包含しています。これら二つのクローズアップ科学技術領域を合わせると、今後の健康・医療研究の方向性が見えてくると思います。

図表2 ライフコース・アプローチと関連科学技術図表2 ライフコース・アプローチと関連科学技術

出典:NISTEP調査資料2902)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の資料「研究対象となるライフステージのイメージ図」3)を改編(山梨大学医学部 山縣 然太朗 教授より提供)

健康・医療研究の発展による医療技術の高度化-社会への還元と課題-

先にお話したように、分子・細胞・組織を対象とする分子生物学や細胞生物学などの生命科学は、様々な疾病のメカニズムを解明し、その予防法や治療法の開発に導きます。日進月歩の勢いで進展する生命科学から得られる知見の深化を踏まえ、産官学のステークホルダーが連携して医療技術を更に高度化し、医療現場で活用していくことが求められます。再生医療を例に挙げると、日本では2014年11月に、再生医療等製品を対象とした「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」と併せて「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」が施行され、安全性を確保しつつ、国民に迅速に提供するための仕組みが構築されています4)。また生殖補助医療においては、体外受精等注2が浸透しています。日本産婦人科学会のデータ5)によると、2018年には体外受精等による出生児は5万6979人にのぼり、同年の総出生児数91万8400人と合わせると(人口動態統計より)、約16人に1人が体外受精等で生まれています。ちなみに、2010年では約37人に1人の割合となっており(体外受精等による出生児数28,945人、総出生児数1,071,304人)6)、8年間で著しく増加していることがわかります。

高度な医療技術が実用化され普及する一方で、倫理的・法的・社会的課題(以下、ELSI)が顕在化しています。母体血を用いた非侵襲性出生前遺伝学的検査(non-invasive prenatal genetic testing、以下NIPT)注3を例に挙げると、2013年度から日本医学会による認定制度の下で実施されてきましたが、認定施設以外の医療機関での実施が増加するにつれて、妊婦の不安や悩みに寄り添う適切なカウンセリングが行われていない等の問題が指摘されるようになりました7)。冒頭で説明したデルファイ調査では、健康・医療・生命科学分野は他の分野と比べてELSI対応の必要性が高いと評価された科学技術トピックが多く、その中でも遺伝子治療、再生医療、個人情報に関わる科学技術トピックが顕著であることが明らかになっています8)。NIPTの例で見るような医療技術の高度化に伴い、今後一層ELSIへの対応が重要になると考えられます。

集団の視点から健康・医療を捉える-公衆衛生学の重要性-

前述のライフコース・アプローチは、公衆衛生学という学問につながっています。公衆衛生学では、ある集団の健康増進や疾病予防などを課題としています。新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)対策の一つとして「クラスター対策」が講じられていますが、これは公衆衛生学的アプローチの端的な例と言えます。

公衆衛生学は、統計学や疫学、行動科学、医療経済学、健康・医療政策学、環境医学など広い専門領域を含みます。医薬の臨床研究を例に挙げると、統計学や疫学の基礎知識は科学的妥当性のある被験者データを取得するために必要ですし、行動科学は被験者として適した人を正しく選択することに役立ちます。疾病の新たな予防・診断・治療法を効率的かつ効果的に活用するためには公衆衛生学が不可欠であり、国民の健康維持や医療において基軸となる学問であると言えます。

米国では、公衆衛生学の専門教育が特に充実しています。同国の公衆衛生大学院協会(Association of Schools and Programs of Public Health)が公表した2020年の年報によると、63の公衆衛生大学院(Graduate School of Public Health)と、67の公衆衛生学プログラムを有する大学院(Graduate Public Health Program)が加盟しているそうです9)。私は、1984年にハーバード公衆衛生大学院(Harvard School of Public Health)で公衆衛生学修士(Master of Public Health、以下MPH)を取得しましたが、当時の日本では、公衆衛生学専門の大学院はありませんでした。日本では、2000年に京都大学が初めて公衆衛生大学院を設立し(現:京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻)、2020年5月現在では公衆衛生大学院(専門職大学院)は5校に増え10)、公衆衛生学に関する修士号をMPHとして授与する大学院は10校以上にのぼっています。日本における健康・医療への取組を今後一層推進するためには、引き続き公衆衛生学の教育の拡充に努めるべきだと思います。

健康長寿社会の構築・発展に向けた新たな学問領域-ヘルスヒューマニティーズ-

近年、新たな健康・医療関連領域として、ヘルスヒューマニティーズが世界的に注目されています。ヘルスヒューマニティーズは学際的な領域であり、健康における社会的要因を踏まえ、人文学・芸術学・社会科学など幅広い視点から、健康に関わる課題に対処する領域です。欧米では音楽療法、スピリチュアルケア、アートセラピー、障害者アートなど多様なアプローチで推進しています。日本では、2020年10月に、私が大会長として初めて国際学会を開催し、国内外の関係者と議論を深めました(図表3)11)。世界に先駆けて超高齢社会を迎えた日本にとって、ヘルスヒューマニティーズは、持続可能な健康長寿社会を構築する上での注目領域だと考えられます。また、COVID-19のパンデミックにより深刻な影響を受けた社会を回復・発展させる上でも、社会全体から健康を考えるヘルスヒューマニティーズの重要性は今後増すと思います。

図表3 ヘルスヒューマニティーズのイメージ図表3 ヘルスヒューマニティーズのイメージ

出典:「第9回国際ヘルスヒューマニティーズ学会」ポスター

今後の健康・医療分野の方向性

COVID-19のパンデミックにより、私たちは感染予防における個人レベルでの衛生管理と集団レベルでの健康管理との関係を改めて学び、公衆衛生学の重要性を再認識しました。さらに、私たちは、COVID-19のパンデミックにより、健康・医療の面だけではなく、社会経済の様々な部分に深刻な影響が及ぶことも学びました。こうした教訓を踏まえ、今後の健康・医療分野の方向性として、革新的な医薬や医療機器の研究開発を推進するとともに、社会医学、公衆衛生学、ヘルスヒューマニティーズ、ELSI対応などの「健康・医療と社会」に関わる取組が一層求められると思います。

(2021年3月16日オンラインインタビュー)


注1 発達に伴う変化を分析する方法として、縦断研究と横断研究がある。縦断研究では同じ個人を一定期間継続的に調査するのに対して、横断研究では異なる年齢層(集団)に対して調査を行い、年齢層間での比較を行う。

注2 以下の医療技術を指す。①体外受精:体外で精子と卵子を受精させる技術、②顕微授精:体外受精のうち、人工的に受精させる(卵子に注射針等で精子を注入する)技術、③凍結融解(はい)移植:受精卵を凍結保存した後、融解して子宮に移植する技術

注3 母体(けっ)漿(しょう)中に存在する胎児由来のcell-free DNAを母体由来のDNA断片とともに網羅的にシークエンスすることにより、各染色体に由来するDNA断片の量の差異を求めて、それらの比較から胎児の染色体の数的異常の診断に結び付ける検査技術。母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査による診断の対象となるのは、染色体の数的異常であり、現在普及している技術は、染色体のうちの特定の染色体(13番、18番、21番)に対するものである(出典:公益社団法人日本産科婦人科学会倫理委員会、母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する検討委員会、母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針)。

参考文献・資料

1) 文部科学省科学技術・学術政策研究所,調査資料292,第11回科学技術予測調査 デルファイ調査 健康・医療・生命科学 https://doi.org/10.15108/rm292

2) 文部科学省科学技術・学術政策研究所,調査資料290,第11回科学技術予測調査 2050年の未来につなぐクローズアップ科学技術領域-AI関連技術とエキスパートジャッジの組み合わせによる抽出・分析-
https://doi.org/10.15108/rm290

3) AMEDにおける周産期・子ども領域の研究の推進について,「研究対象となるライフステージのイメージ図」
https://www.amed.go.jp/news/program/20180802.html

4) 厚生労働省,再生医療について,
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/saisei_iryou/index.html

5) 日本産婦人科学会,2018 JSOG-ART,https://plaza.umin.ac.jp/~jsog-art/2018data_20201001.pdf

6) 厚生労働省,不妊治療をめぐる現状,
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000314vv-att/2r985200000314yg.pdf

7) 厚生労働省,母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)の調査等に関するワーキンググループ(第4回)の資料について,https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_12581.html

8) 第11回科学技術予測調査,ST Foresight 2019(速報),
https://www.nistep.go.jp/wp/wp-content/uploads/ST-Foresgiht-2019_preliminary.pdf

9) Association of Schools and Programs of Public Health, 2020 Annual Report,https://aspph-wp-production.s3.us-east-1.amazonaws.com/wp-content/uploads/2021/03/2020-Annual-Report-3.pdf

10) 文部科学省高等教育局専門教育課,専門職大学院一覧(令和2年5月現在),
https://www.mext.go.jp/content/20210113-mxt_senmon02-000009181.pdf

11) 第9回国際ヘルスヒューマニティーズ学会,https://confit.atlas.jp/guide/event/ihhc2020/top?lang=ja