STI Hz Vol.6, No.2, Part.9:(レポート)システム思考の科学技術イノベーション(STI)政策(前編)STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00218
  • 公開日: 2020.06.25
  • 著者: 鳥谷 真佐子、白川 展之、小泉 周、調 麻佐志
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.6, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

レポート
システム思考の科学技術イノベーション(STI)政策(前編)
第5期科学技術基本計画の俯瞰・構造分析から見えるSTI政策の課題

慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 特任講師 鳥谷 真佐子
科学技術予測センター 主任研究官 白川 展之
第2研究グループ 客員研究官 小泉 周、調 麻佐志

概 要

我が国の科学技術イノベーション(以下、STIという)政策においても、エビデンスに基づく政策立案等を推進することが望まれている。本稿では、複雑性の高いSTIシステムの構造を明らかにするため、STI政策に係る政策文書(第5期科学技術基本計画)を対象に、システム思考やシステムズエンジニアリング(SE)を適用したSTI政策分析の手法を提案する。これにより、政策的な論点の抽出と可視化が可能となり、今後の政策検討のための関係者(ステークホルダー)間での論点整理が促されることを前編・後編に分けて示す。

前編の本稿では、背景となるシステム思考やシステムズエンジニアリング(SE)の発想を紹介した上で、それらを活用した政策分析の手法を示す。さらに、この手法を適用し、政策の基本方針、政策・施策・事業レベルでの階層を所与として第5期科学技術基本計画の構造分析を行った結果を示し、我が国のSTI政策の構造的課題について論じる。

キーワード:政策立案,科学技術イノベーション政策,システムズエンジニアリング,システム思考,イネーブラー

1. はじめに

我が国の科学技術イノベーション(以下、STIという)政策を、実効性のあるものとするため、エビデンスに基づく政策立案(以下、EBPM:Evidence-based Policy Making)機能の強化が求められている。「第5期科学技術基本計画(平成28年1月22日閣議決定)」においても、エビデンスに基づく政策立案等を推進することとされ、内閣府などにおいてもエビデンスなどの整備に資する取組が進められてきた。その基礎として、「施策の論理的な構造」を明らかにし、その質や内容を評価する「ロジックモデル」を明らかにすることが求められている。政策の目標・目的を明確にし、どのようなプロジェクトやプログラムを掲げ、どのようなプロセスで、誰が実行するのか、具体化する必要がある。

本稿では、こうした政策上の前段にあるSTIシステムの構造を明らかにするため、STI政策に係る政策文書(第5期科学技術基本計画)にシステム思考やシステムズエンジニアリング(SE)の概念、手法を適用した分析を行った。これにより政策的な論点の抽出と可視化が可能になり、今後の政策検討のための関係者(ステークホルダー)間での論点整理が促されることを前編・後編に分けて示す。

前編となる本稿では、まずシステム思考及びSEによるSTI政策に関する政策分析の方法論を提案する。次に、この手法を適用し、政策の基本方針、政策・施策・事業レベルでの階層を所与として第5期科学技術基本計画の構造分析を行った結果までを示し、我が国のSTI政策の構造的課題を論じる。後編では、前編で提案した政策分析手法に基づき、第5期科学技術基本計画における「若手研究者の育成・活躍促進」を事例に政策分析及び政策立案推進の在り方についてシステム思考、SEの観点から深堀分析を行い、現行のSTI政策における施策体系には相互に矛盾しかねない構造的課題があることを示す。

2. 政策分析とシステムズエンジニアリング(SE)

(1)システムズエンジニアリング

SEとは、「システムの実現を成功させることができる複数の専門分野を束ねるアプローチ及び手段」1)である。航空宇宙関連の機器や軍事システムなどの大規模で複雑なシステムのデザインを行うための研究分野として発展してきた。

SEの意義は、多視点において構造化、可視化することで、対象のシステムの実現に向けて設計やプロセスの不明確性を排除すると同時に、ステークホルダー間の合意形成をしやすくできる点にある。

例えば、家を建てる際には、間取り(平面図)や外観(立面図)に加え、電気配線、給排水管の配管(その他設備図)などの多視点での設計図が必要であり、施工する上では工事関係者で共通した認識と合意を得ておかねばならない。このためには、必要な複数の視点を設計図で可視化し、それぞれの設計図を統合した際に整合性が取れるように調整し、実現性を確認する必要がある。

この家の例のように、SEとは、ステークホルダーの要求を正しく理解し、制約条件も含めて考えてその要求を落とし込み、複数のステークホルダーが関わる作業を円滑に進めながら、対象の実現を成功させるための経験則やノウハウなど関連した「知恵」を集約した技術体系である。こうしたSEの考え方は、日常の直観にも沿うものであろう。そしてSEの考え方の基礎にある概念がシステム思考注1である。

(2)政策形成に対するSEの適用事例と本稿の位置付け

政策形成に対してSEの概念の活用や種々の手法を導入した事例、及び因果ループ図注2という手法の政策分析への活用事例を紹介する。

図表1は、SEや因果ループ図を政策に適用した事例を示している。因果ループ図の政策への適用事例はここで紹介したもの以外にも多く見られる。筆者らも、喫緊の政策課題である新型コロナウイルス対策において、因果ループ図を応用しシステム全体を可視化した上で、医療資源を圧迫させない検査数の増加という具体的な政策提言を行っている2)。SEの社会システムへの適用に関しては、2009年の白坂の適用例3)を始め、社会実装レベルの応用が日本でも広まりつつある(図表1)。しかし、政策科学では政策課題一般に複雑で多様な主体が関与し、構造化が難しい悪構造性を伴うこと、多様な主体で異なる価値判断を伴う政策過程に関する政治学・行政学の研究となるため、政策の基本方針のレベルにおける政策立案(デザイン)過程での適用事例は少ない。本稿は、その数少ない事例の1つになる。

図表1 政策形成に対するシステムズエンジニアリング(SE)の適用事例と本稿の位置付け図表1 政策形成に対するシステムズエンジニアリング(SE)の適用事例と本稿の位置付け

3. 分析手法の概要:システム思考の政策分析

本稿で提案するSTI政策の分析手法では、SE及びその背景にあるシステム思考により、多面的な見方で原因を探り、政策分析を行う(以下、ここではまとめてシステム思考の政策分析注3と呼ぶ)。図表2には、本稿で提案する政策分析手法・手順について示す。

分析の手順は、①系統図の作成による全体像の把握、②フレームワークを設定した階層化、③実現に必要な要素(イネーブラー注4、enabler)37)の確認、これらの結果を④因果ループ図に可視化することでシステム全体の動態を観察する、という流れで行われる。すなわち、①全体像の把握のために目的手段関係に分岐させたツリー図を作成した上で、②分析の基本枠組みを設定し階層化(今回は政策階層に応じた「ガバナンスアーキテクチャ」と呼ぶ枠組み(フレームワーク)を独自に設定)を行った。政策の階層構造をシステム構築の手順で意味と対応付けながら説明し、③上位の目的とその実現に必要なイネーブラーと呼ばれる要素との関係で示した。これら結果を踏まえて④要素間の因果関係を記述するダイヤグラム(因果ループ図8))を記述する。

図表2 本稿における分析手順図表2 本稿における分析手順

4. 分析:第5期科学技術基本計画に基づくSTI政策体系の構造化

(1)全体像の可視化

前半の部分の分析では、第5期科学技術基本計画全体に関する項目を(まん)()()図の形式で網羅的に可視化し、政策的含意の考察を行った。具体的には、全体像の把握のために目的手段関係に分岐させたツリー図を作成した。

(2)政策体系の階層構造化:ガバナンスアーキテクチャフレームワークの設定

次に、政策の階層体系に即して構造化し分析するため、欧州におけるSTI政策のmulti-level注5の政策体系を示すフレームワーク9, 10)を参照し、political、strategic、tactical、operationalの4層の関係をガバナンスアーキテクチャと呼びフレームワークを設定し、系統図で整理されたSTI政策の各項目を対応付けた。

さらに、この4層のフレームワークを、SEのシステム設計プロセス1)を参考に、(1)政治的(Political)なレベルでのmission(目的)を決定する「政策の基本方針」、(2)目的に対応するステークホルダーのrequirement(要求)に基づく戦略的(Strategical)な方針を示す「政策」、(3)ステークホルダー要求をSTIシステムのrequirement(要件注6)に応えて整理し具体的な打ち手(tactical)に必要な方向性に変換した「施策」、(4)STIシステム要件を操作可能化注7しステークホルダー注8が実現できる操作可能な(operational)仕様へと落とし込んだ「事業」に対応させた。

なお、日本のSTI政策の現場においては、 それぞれの各層は(1)国会・内閣・CSTI、(2)CSTI、省・局、(3)局・課、(4)課・室、レベルの意思決定に概ね対応するとみなすことができる。

5. 結果:STI政策の施策体系の(まん)()()

先に示した分析手法により、科学技術基本計画の最終目標を中心に、系統樹を作成した結果の概要を図表3に示す。紙面の関係で詳細については割愛するが、前述の(1)「政策の基本方針」、(2)「政策」、(3)「施策」、(4)「事業」に対応した4階層の要素事項が色別に可視化して表現されている。

図表3 第5期科学技術基本計画全体の構造分析の結果(全体概要)図表3 第5期科学技術基本計画全体の構造分析の結果(全体概要)

鳥谷らがワークショップを行い作成(https://doi.org/10.15108/data_stih.00218

6. 議論

図表3の全体像を俯瞰し、4層構造の枠組みを確認すると、欠落した部分があることが一見してわかる。設定した政策目標に対して具体的な施策や事業が対応している政策とそうではない政策項目がある。例えば、STI政策がイノベーションを重視した政策に転換が迫られる中、企業の活躍は極めて重要な施策対象であるはずのところ、第5期科学技術基本計画において記述が少ないといったことが挙げられる。

もっともこうした点は、所掌事務の範囲で新規の施策や事業の「打ち込み」を使命として合理的に行動する行政官には自明で、問題意識も抱かないことは当然のことである。しかし、ここで筆者らが主張したいのは、STIシステム全体として施策や事業のバランスが失われていると、当初の上位目的と反する意図せざる結果をもたらす場合があるということである。

7. 結語

STI政策を政策・施策・事業の階層関係に照らして構造を可視化した結果、必要な要素が網羅されておらず、いみじくも研究開発政策のプログラム化11)が求められてきた日本のSTI政策の課題を示す結果になった。

筆者らが政策・施策の相互の関係と要素を、簡単なワークショップで分析した範囲においても、紙面の都合で詳細について示すことはかなわなかったものの、今後の科学技術基本計画を議論する上での政策課題が可視化された。

日本の研究力向上や、イノベーションの促進という目標を見据え、政策の計画策定の段階において関係者間でこうした構造分析を行い、政策的な論点と課題を認識しておく必要がある。そこで、後編では、総体的な結果として研究力の低下を招きかねない矛盾した政策・施策・事業を実施している恐れがあることを、第5期科学技術基本計画の具体的な政策テーマを事例に更に論じることにしたい。

謝辞

SEについての記述に関してアドバイスを頂いた慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科白坂成功教授に感謝申し上げる。また、政策科学の観点からコメントを寄せていただいた公益財団法人未来工学研究所政策調査分析センター田原 敬一郎主任研究員に御礼申し上げる。

なお、本研究は科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)「科学技術イノベーション政策のための科学」の助成による研究課題「研究力の『厚み』分析による社会インパクトの予測と政策評価手法の開発(グラントナンバーJPMJRX19B3、代表 小泉周)」の成果の一部である。


注1 システム思考の定義は多々存在するが、本稿では以下のような専らハードシステム思考と呼ばれる目的指向のシステム思考の説明に基づき論を展開する。システム思考はシステムズエンジニアリングの一部やベースとして捉えることができるとされる。対象をシステミック(俯瞰的)かつシステマティック(系統的)に捉えるアプローチである。

注2 因果ループ図のような因果関係による世界理解は狭義のシステム思考として説明されることがある。

注3 本稿におけるシステム思考の政策分析とは、問題の構造分析までを指し、具体的な施策等の設計・提案(玉出し)は行わない。

注4 イネーブラーとは上位の目的を可能にし,かつその目的の達成に当該要素が必要不可欠な要素のことをいう。

注5 欧州では、欧州委員会、国、地方政府、地方自治体といったように、日本と違い国を超える統治機構上の階層性があることに留意されたい。

注6 SEにおいては、system requirement (システム要求)と呼ばれ12)、ステークホルダーのrequirementと区別される。

注7 SEにおけるアーキテクティング(機能設計と物理設計)に当たるとみなす。アーキテクティングでは、システムに要求されている機能・性能を、システムを構成する要素に配分して構成要素の仕様を明確にするとともに、構成要素間のインタフェースを明確化する13)

注8 単なる受益者としてではなくSTIシステムに主体的に関与する人や組織・法人など。

参考文献・資料

1) The International Council on Systems Engineering. 2015. INCOSE Systems Engineering Handbook. The International Council on Systems Engineering.

2) 調麻佐志,鳥谷真佐子,小泉周. 2020. “システム思考による新型コロナウイルス感染症対策の可視化 : 政府・専門家会議が検査を増やすことができなかった「理由」.” 科学技術コミュニケーション [27]: 21-30.

3) Shirasaka Seiko. 2009. “A Standard Approach To Find Out Multiple View Points To Describe An Architecture Of Social Systems ‐ Designing Better Payment Architecture To Solve Claim‐Payment Failures Of Japan's Insurance Companies.” 19 [1]: 490-500.

4) M Mutingi Mbohwa, VP KommulaC. 2017. “System dynamics approaches to energy policy modelling and simulation.” Energy Procedia 141: 532-539.

5) 津々木晶子, 保井俊之, 白坂成功, 神武直彦. 2011. “システムズ・アプローチによる住民選好の数量化・見える化 : 中心市街地活性化の新しい政策創出の方法論.” 関東都市学会年報13号 [13]: 110-116.

6) S Buzuku Kraslawski, T KässiA. 2016. “A Case Study in the Application of Design Structure Matrix for Improvement of Policy Formulation in Complex Industrial Wastewater Treatment.” DSM 2016: Sustainability in modern project management – Proceedings of the 18th International DSM Conference, São Paulo, August 29th and 30th. DSM. 91-101.

7) 冨田欣和. 2019. “システムズエンジニアリング方法論によるサービス設計と有効性検証 – 価値共創フレームワークと基本活用プロセスの開発と適用 -.” サービソロジー 論文誌 3 [1]: 1-12.

8) Senge M Peter. 1990. The Fifth Discipline: The Art & Practice of The Learning Organization. Doubleday.

9) René KempLoorbach, Jan RotmansDerk. 2007. “The International Journal of Sustainable Development and World Ecology.” International Journal of Sustainable Development & World Ecology [14]: 1-15.

10) European Commission. 2018. D03.01 Interoperability governance models. European Commission.

11) 内閣総理大臣決定. 2016. “国の研究開発評価に関する大綱的指針.” 12月21日. アクセス日: 2020年5月3日.
https://www8.cao.go.jp/cstp/kenkyu/taikou201612.pdf

12) ANSI/EIA-632. 2003. Processes for Engineering a System. American National Standards Institute/ Electronic Industries Association.

13) 白坂成功. 日付不明. “システムズエンジニアリング入門.” アクセス日: 2020年4月24日.
https://www.ipa.go.jp/files/000056124.pdf