STI Hz Vol.5, No.3, Part.6: (ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流)株式会社テンクー 代表取締役社長 西村 邦裕 氏インタビュー-VRでゲノム医療の扉を開く:分野融合とベンチャー創業を通じた研究の社会実装-STI Horizon

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  • DOI: https://doi.org/10.15108/stih.00184
  • 公開日: 2019.09.25
  • 著者: 氏原 拓、小林 百合
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.5, No.3
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流
株式会社テンクー 代表取締役社長 西村 邦裕 氏インタビュー
-VRでゲノム医療の扉を開く:
分野融合とベンチャー創業を通じた研究の社会実装-

聞き手:企画課長 氏原 拓
第1調査研究グループ 上席研究官 小林 百合

ゲノム医療の技術革新が進む中、医学の基礎研究から得られた知見に基づいた治療技術の開発とその実用化を目指すベンチャー企業の台頭が相次いでいる。株式会社テンクー代表取締役社長西村邦裕氏は工学部出身でバーチャルリアリティ(VR)が専門という異色の経歴を持ちながら、ゲノム情報の可視化というテーマに取り組み、その研究成果の社会実装として2011年株式会社テンクーを創業した。本インタビューでは学部生時代から取り組んでいるVRと生命科学(ゲノム情報)という分野融合的な研究を志したきっかけ、さらに、学術界にとどまらない、研究成果の社会への還元についてお話を伺った。

西村 邦裕 株式会社テンクー 代表取締役社長

西村 邦裕 株式会社テンクー 代表取締役社長

- VR研究を志したきっかけをお聞かせください。

高校生のときから、日本の強みを生かして世界で活躍できる分野は何だろうと考えていました。それでエンジニアリング、モノづくり、と考えて工学部を志しました。モノづくりに加えて、今後伸びるであろうコンピューターも視野に入れて専攻を検討していました。モノづくり、という観点で検討したのがサイズです。地球規模のものを作るのか、それともミクロサイズのものを作るのか、私は自分でコントロールできるサイズ感が良かったので、機械情報工学科を選びました。

この頃読んで、強く印象に残っている本があります。「立花隆・100億年の旅(著:立花隆、朝日文庫)」です。当時の最先端の研究をしている研究者のインタビューが載っていて、その中にあった廣瀬通孝先生のインタビューに興味を持ち、実際に研究室を訪問しました。そのときに、VR空間でモノづくりができたら面白いのではないか、と思ったのです。VRという技術は、人間と機械の関係を理解し、どういうふうに機械から人間にサジェストしたら人間の行動、アクションが変わるか、その意味で、人間の入ったシステムを構築する技術です。人間の理解も必要だし、機械の理解も必要、そのループをどう設計するか、そこに興味を持ったのがVRの分野に進んだ理由です。

- 研究室ではどのような研究生活を送られていましたか。

研究室配属になる前の大学2、3年生の頃から、いろいろ本を読んで、これから変化が起きそうな面白そうな分野を探していました。そのときに今後の展望に興味を持ったのがヒトゲノムプロジェクトです。普通の工学部の環境であればゲノム研究とは縁遠かったと思うのですが、廣瀬研究室がある東京大学先端科学技術研究センターの環境はとても融合的で、同じ建物内に医科学や生物学の研究室があり、ラボ間の垣根もとても低かったのです。私の研究室でのテーマである「ゲノム情報のVR空間での可視化」はこのような環境の中で生まれました。まず「何か一緒にやりませんか?」というまっさらなところから始まって、何ができそうか、何が問題なのか、という議論を重ねました。最初の頃は医学などの専門の単語すらわからず、大変でした。

そのような議論を元に、4年生のときCABINというVR体験装置の中でゲノム情報を可視化するというテーマに取り組みました。次に修士課程では可視化した情報を分析できるようなインタラクティブな作業空間を作りたいと考えました。山道を歩く際に、枝を乗り越えたり道の分岐を選んだりして進むように、解析パラメータやアルゴリズムもVR空間を歩きながら設定して解析をしていく、そんな可視化です。ゲノム研究者にも体験してもらいながら、1ステップごとに解析を可視化しました。パラメータを変えてやればもちろん可視化される情報が変えられます。ただ、当時、このVR装置のところに来なければいけないのが欠点だと感じていました。

大学での研究生活について語る西村氏大学での研究生活について語る西村氏

- 大学ではパブリックアートの活動もされていましたね。研究と社会との関係についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。

廣瀬研究室では、戦略的創造研究推進事業(CREST)「デジタルパブリックアートを創出する技術」プロジェクトに携わりました。このプロジェクトの目的は高度なメディア技術(実世界情報処理技術)を適用することによってより豊かな表現の可能性の追求をはかるとともに、必要な基盤技術の研究開発を行うというものです。実際にメディアアーティストの先生とタッグを組んで、先生方の提案するアートのコンセプトをどう実現するか、を技術的に解決し、公共空間である羽田空港の展覧会などのプロデュースに携わりました。

研究で求められる技術レベルと、アートを作るために必要な技術レベルは違う、ということが難しいところでした。見た目をどこまでどうきれいにするか、つまりイメージをどうプログラミングにトランスレートするかという点もありますし、展示物として1か月壊れないように、誰でも同じように使えるように作るという点も、求められるレベルに達するために努力したところです。研究レベルと社会実装レベルで技術のレベルにギャップがある点、それは医療も一緒だと感じています。

- 初めからテンクーにつながるような活動をされていたのですね。研究として続けるのではなく、起業しようと思ったきっかけは何でしょうか。

起業には研究室配属の前から興味がありいつか挑戦したいと思っていました。助教になった頃、研究室での研究成果をもっと多くの人に使ってもらって、社会に貢献したい、いわゆるソーシャルインパクトへの関心が高まっていったのです。であれば、大学での活動の枠組みを超えるためにも、起業して研究成果をビジネスにして社会の中で生かしていこうと思ったのです。

- 御社の開発したChrovisについて御紹介ください。

Chrovisは「がんゲノム医療を情報技術でサポートする」というコンセプトで開発したサービスです。がんゲノム医療は、患者さんのがん細胞のゲノム配列を調べ、がん細胞に生じている遺伝子の異常について調べ、その情報を元により高い治療効果が期待できる治療薬を選択します。Chrovisは独自開発した知識データベースで患者さんのゲノム配列に意味づけを行い、それを医師と患者さん向けレポートを作成するところまでを自動で行うサービスです(図表)。

Chrovisを開発する上で念頭に置いていたのは、「なるべく人手を介さずに、コンピューターで自動化する」ということです。人間がやらなければならないところ以外は、コンピューターやロボットに任せる、その方が間違いが少ない、というスタンスです。イメージとしてはカーナビのような感じでしょうか。現在地からかかる時間や料金などと一緒に目的地までのルートを幾つか提示する、そんなふうに、幾つかの治療法を提示しつつ、リスクについても可視化をしながら正しく伝えられると良いと考えています。

2019年6月からがんゲノム医療の一部検査が公的医療保険の適用となりました。このサービスもこれから臨床の現場で活用が進んでいくと期待しています。

図表 がんゲノム医療でのChrovisの位置付け図表 がんゲノム医療でのChrovisの位置付け

出典:株式会社テンクー 代表取締役社長 西村 邦裕 氏御提供資料

- テンクー立ち上げの苦労についてお話しください。

経営者としてのノウハウは、OJTで学んだと感じています。私はビジネス経験もないので、最初の頃はいろいろ大変でした。契約の事務作業も自分でやっていました。今振り返ると最初の頃の契約は甘いな、と思うこともあります。何をするにも時間がかかるけど、でもやらざるを得なかった、というところでしょうか。

実はがんのゲノム医療という分野はそれほど参入企業も多くなく、また何か一つが当たれば急激に伸びる、という業界でもありません。私たちが心がけていたのは、自分たちのサービスの品質を高め、一つ一つ実績を積み重ねていく、ということです。最近なら弊社の実績を先生に学会発表していただいたり、プレスリリースをしたり、医療系の雑誌に取り上げられるようにもなりました。私自身も、講演会、学会での講演をお受けして、いろいろな先生に会う機会も増えたと感じています。

- センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム「健康長寿の世界標準を創出するシステム医学・医療拠点」にも参画されていますね。産業側としての産学連携に参加してみて何か御意見はあるでしょうか。

私自身は自分が大学を飛び出して会社を立ち上げてしまったのですから、産学連携という意味では人材流出型ですね。産業側から感じたのは、大学の研究者にはサポートスタッフが十分にいない、ということです。企業側は組織的に対応を取ることができますが、往々にして産学連携の現場は、研究者、大学本部(事務)、企業の3極構造を取りがちです。産学連携を推進していく上で、研究者にとって個人戦となるのは非常に負担が大きいです。

COIプログラムでは、プロジェクトの一つであった「医療・健康情報 収集・保存・共有技術」のうち、電子カルテを全国で共有するシステムの構築に携わりました。まだ実現はしていませんが、そこから着想を得て、病院でもらう診断や検査結果など、個人の所有のものを個人が健康情報・医療情報をクラウドに保管することにより、個人が自分の健康・医療情報に「いつでも・どこでも」アクセスできる仕組み(MeDaCa)を考案し、二つ目の会社を立ち上げて、運営しています。個人と病院、検査センターをつなぐ、というサービスで現在は名古屋を中心に運用していますが、後1年くらいで東京でもサービス提供が開始できればと考えています。

- 今後のテンクーの活動展開についてお聞かせください。

3点あります。まず一つ目は薬事承認も含め、臨床の先生方に役立つサービスを提供することで、国内のがんゲノム医療の臨床現場をサポートしていくことです。平成の始まりとともに開始されたヒトゲノムプロジェクトが、令和になり2019年からは医療保険の適用にもなりました。ようやく市場として、産業側が医療現場を手伝える場面になったと感じています。

二つ目はChrovisの知識データベースをクラウド上でアクセス可能にし、製薬会社、ヘルスケア産業など非臨床の分野の方々にも御活用いただくサービスを展開していくことです。

三つ目が、海外展開です。米国・欧州での展開だけでなく、アジアでの展開に力を入れたいと考えています。アジア人は日本人とゲノム配列も薬の効き方も似ています。国の医療制度的にも日本の制度と類似性が高いのです。親日国が多いので、現地の方と良いパートナーシップを取りながら、事業展開をしていきたいと考えています。加えて、アジア諸国は、検査はできてもその解析会社が余りなく、情報系が弱いのが現状です。そこにクラウドを使って、サポートしたいと考えています。

とにかく、ようやく市場が出てきて、社会に貢献できるようになった、と感じています。当分は産業の分野から、事業を押し広めつつ、共同研究等でアカデミアへの貢献もしていきたいと考えています。

- 若手研究者やベンチャー創業を考えている人へのメッセージをお願いいたします。

起業を志すための環境はとてもよくなってきていると感じています。楽観的に、駄目でも何か職がある、というくらいの気持ちを持ちつつ、あとはどう地道にやっていくか、ということだと思います。もちろんリスクはありますので、向いていなければ無理に起業しなくても、ベンチャー企業で働いてみるという選択肢もありますし、昨今企業と大学間の流動性も高まってきているので、別の職種についてみて、動くというのも選択肢の一つだと思います。

私の場合は大学で教員を務め、企業経験を経ずに起業したまれなケースになると思うのですが、こういう例もあるのだと参考にしてもらえるとうれしいです。

Chrovisのパネルの前に立つ西村氏Chrovisのパネルの前に立つ西村氏


注 VR空間体験のための没入型多面ディスプレイ。東京大学廣瀬通孝教授が開発。