STI Hz Vol.3, No.2, Part.6:ロシアの科学技術予測情報の発信「トレンドレター」STI Horizon

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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00080
  • 公開日: 2017.06.25
  • 著者: 栗林 美紀、白川 展之、矢野 幸子
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.3, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
ロシアの科学技術予測情報の発信「トレンドレター」

科学技術予測センター 主任研究官 栗林 美紀
主任研究官 白川 展之
特別研究員 矢野 幸子

概 要

政策上の計画策定や戦略形成のために世界中で未来予測(フォーサイト)が実施されているが、現在英国に代わりロシアが世界の予測活動の専門研究者を集積させ世界的な研究拠点となっている。本稿では、ロシアでも中核的な研究拠点となっているロシア国立高等経済学院(HSE)の統計・知識経済研究所(ISSEK)にある国際フォーサイトセンターにおける取り組みのうち、科学技術動向の分析と科学技術予測を組み合わせて情報発信を行う媒体となっている「トレンドレター」について紹介・解説する。同時に、我が国の科学技術予測結果をわかりやすく政策担当者・意思決定者に伝えるための情報発信手法とその媒体の形式について示す。

1. ロシアの科学技術予測機関とトレンドレター

ロシア国内で科学技術予測を中心的に牽引し、また予測活動の研究拠点となっている機関が、ロシア国立高等経済学院(National Research University Higher School of Economics, HSE)の統計・知識経済研究所(Institute for Statistical Studies and Economics of Knowledge,ISSEK)にある国際フォーサイトセンターである。ロシアの国立高等経済学院(HSE)は、東欧・ユーラシア大陸で経済と社会科学研究に特化したロシアのトップ大学の一つである注1。この大学の附属研究所である2002年設立のISSEKの科学技術イノベーション政策研究は、フォーサイト、政策提言の作成、科学技術計量学(統計・分析)を手掛け注2、科学技術予測の研究拠点となっていた英国のマンチェスター大学はじめ世界各国から研究者を数多く招聘し、また自らも国際ジャーナルを創刊するなど、その活動は国際的にも評価が高い。ISSEKでは、世界各国の科学技術研究機関と共同プロジェクトを実施し、国際比較研究や国際的な科学技術指標分析等を活発に実施している。当研究所もISSEKと2014年に協力覚書(MOC)を締結している。ISSEK で国際的な科学技術動向の分析と予測活動に関する研究を行っているのは、国際フォーサイトセンターである。ここでは、科学技術予測結果を政策担当者にわかりやすく示す媒体「トレンドレター」を2014 年から発行している。トレンドレターは国際的な科学技術の動向を分析し、自国の成長技術分野の状況を論文・特許などの数値データとともにまとめたものである。

2. トレンドレターの概要

トレンドレターは、ロシアの国や地方自治体の政策担当者(大学や研究機関企業の経営層も含む)を利用対象者とし、科学技術のロードマップ、技術動向のロシアにおける影響、市場の分析などの記事を集めた約4ページの構成の媒体である。紙媒体及び電子版があり、政策担当者に紙ベースで配布することとともに、Web(https://issek.hse.ru/trendletter/)にも掲載されている。さらに、購読希望者にはメールアドレスを登録しておくと自動的に電子版が送付される。記事執筆の基礎となる情報収集・分析については、ISSEK国際フォーサイトセンターが独自に開発した分析システムを利用している。独自開発の分析システムでは、データマイニング、テキストマイニング、特許分析、学術論文の影響度/被引用数について、これらの成長の基準等をアルゴリズムで決め、それぞれの成長のダイナミズムを観察できる。この分析システムは、スタッフの誰もが使いやすいように工夫されている。例えば、プラットフォーム上では、抽出した分野における「科学技術」「ビジネス」「政府」の活動の進捗幅を予測し調整しながら、それによって「政治」「経済」「エコロジー」「社会」の状況が、将来のタイムスパンでどう変化していくか、画面上でシミュレーションできる。この分析システムは、スタッフの意見を踏まえ逐次改良されており、これに対応してスタッフの技術向上にも努めている。

分析の実施体制は、国際フォーサイトセンター所属の記事作成コアスタッフは6~8人であり、科学、ビジネス、情報、マーケティング、データ分析などの専門家で構成されている。コアスタッフ以外に、国際フォーサイトセンターが保持する約10,000人の専門家データベースから、専門性に応じて専門家がその都度選ばれ記事を執筆する体制となっている。

トレンドレターは発刊から約2年間で35本、つまり1か月に1、2回の頻度で発行され、1回分の記事の準備・執筆には1か月~2か月かけているという。読者からのコメントに対する双方向コミュニケーションにも配慮している。個々の記事のインパクトは、四半期ごとの被引用数をカウントすることなどによって評価している。一連のトレンドレターをまとめて冊子として発行しており、ロシア語だけでなく英語版も創刊予定である。

3. 情報発信手法とその媒体の形式に関する考察

科学技術予測をどのように政策に活用するかは、世界でも様々な議論と試行錯誤の積み重ねが行われている。日本においても、デルファイ法を活用した科学技術予測調査、及び技術ロードマップは、しばしば膨大なデータからなる分厚い成果報告書の冊子となることがある。これらの冊子を前にして、得られた内容をどのように政策に活用すべきか、政策担当者が困惑するといった声が出されることもある。こうした中、現在の予測活動の研究拠点となったロシアでは、調査分析結果としてまとめた膨大なデータを利用可能な形で公開することだけにとどまらない取り組みがなされている。科学技術予測結果を効率的に政策に活用するには、政策担当者が理解しやすい形式となっていることが必須である。そのため、ISSEKのトレンドレターでは政策担当者にわかりやすく伝えることを見据えて、分析した情報を要約している点が特徴となっている。

例えば、最近の情報可視化・分析手法を幅広に取り入れ電子化している一方、紙媒体の冊子を政策担当者の目に留まりやすいようあえて残している。紙媒体の長所である情報の一覧性を生かし、情報は圧縮・要約している(別添図表3、図表4)。政策形成プロセスを考慮し、A3サイズ3色刷り1枚の両面掲載という様式に分量を限定している。そして、紙面のデザインとして情報の可視化を意識し、単に科学技術動向の解説を文章で記述するだけではなく、変化の傾向を簡潔に示すスパークライン(簡潔なグラフ)を効果的に使い、論文・特許・市場動向が一目で理解できるように表示している(別添図表4「国際科学論文数の推移」及び「国際特許出願の推移」の項目を参照)。また科学技術予測の結果を年表形式で示す技術ロードマップ(別添図表4「科学技術の発展方向の予測結果に関するロードマップ」の項目を参照)などのグラフ・図表を効果的に活用することにより、視覚に訴えるコンパクトな構成としている。このように、科学技術動向を把握しやすいように配慮された様式は、政策担当者の行動様式と嗜好に沿って設計されている。政策担当者は複数のタスクを同時進行で担当し、意思決定者に科学技術動向を効率よく説明する必要性に迫られている。よって、トレンドレターの様式は、持ち運びの利便性も考慮して厚い冊子ではなくA3サイズ1枚となっている。また政策担当者は短時間で複数の分野別の科学技術テーマに関しての情報を収集する必要がある。そのため、別添図表3、「課題領域名」、「科学技術分野・テーマ」に示すように課題領域と分野・テーマがタイトルとして明記・整理されている。この形式により、政策形成プロセス全体を見渡して情報・データの利用の具体的なユースケースを見据えて、特定の技術テーマに関して定量的・定性的分析の双方が参照可能で、状況がわかりやすく整理されているといえる。意思決定者の要求や、更に詳しい資料作成が必要になった場合に備えて、参考情報の参照先なども記載されている(別添図表3、「主要参考文献」、「筆者(科学とビジネスの各専門家)」)。

すなわち、ISSEKでは、個別の技術動向の分析や予測調査の取りまとめにとどまらず、近年の電子的な情報可視化技術を紙媒体に取り入れるとともに、簡明性が重視される政策局面での利用を想定したデザイン上の工夫を行っている。このように、定量的なエビデンスと定性的な科学技術予測調査の結果の双方を要約して情報源とともに示すことで、総合的な科学技術動向と予測結果を提供し、政策形成プロセスにおいてより有効に活用しようする姿勢がみえる。

これまで当研究所でも、STI Horizon誌やその前身の科学技術動向誌において分野別の科学技術と政策の最新動向に関する情報発信を行ってきた。1971年以来の科学技術予測調査、サイエンスマップなど、世界的に見ても評判の高いコンテンツを蓄積してきた。これらに加えて、日本の科学技術・学術政策の議論に役立てるために、研究成果をエビデンスベースで簡潔にまとめた「NISTEPブックレット」を逐次刊行している。
また、KIDSASHI(きざし)と名づけた科学技術動向の変化の兆候を分析し公開するウェブメディアとホライズンスキャニングのための情報システムの開発を続けている注3

当研究所とISSEKを比較すると、わかりやすく情報発信を行う取り組みについて学ぶべき点は多い。ISSEKでは政策担当者側の情報要求に応える形で、最新の情報可視化の技術的裏付けをもって個別の予測調査や調査結果の取りまとめにとどまらず、政策形成プロセス全体を見据えた情報提供の場面を想定している。これに対して、当研究所では、個別の調査研究結果は充実し独自のシステムにより膨大なデータを取得できている反面、科学技術予測活動と他の調査研究を関連付け、実際の政策形成プロセスに生かす形で情報を提供する具体的方法まで見据えた情報発信を行う部分については手薄になっているといわざるを得ない。

この状況を改善するため、ISSEKトレンドレターを参考にするとともに国内外の機関との今後情報交換や研究交流を強化しながら、科学技術予測やその他調査分析データを政策に有効利用する方策を検討していくことが、今後の予測活動に限らずエビデンスベースの科学技術・イノベーション政策にとって有益であると考えられる。

謝辞

科学技術予測センターでは、研究所としてMOCを締結した連携機関のHSE ISSEKから予測活動が専門の研究員を2017年2月に招聘し、日露の科学技術予測の比較する機会を得た。トレンドレターの執筆者の一人であり、科学技術予測の新進気鋭の若手研究者であるKonstantin Vishnevskiy准教授からは、我が国の予測活動の政策への有効活用に関して、情報提供方法やその設計について多大な示唆を得た。

また、氏の多大な貢献に感謝する意味で、以下(別添)に当研究所滞在中に執筆したトレンドレターに関するレポートを翻訳の上、掲載する。

今回の記事により、科学技術・イノベーション政策の政策過程全体におけるトータルでのエビデンスとその政策的利用の在り方について、政策上の情報利用のニーズと情報可視化などシステム・編集技術的なシーズの双方に着目して改めて議論していく一助になれば幸いである。


Konstantin Vishnevskiy氏

招聘研究者履歴等

Konstantin Vishnevskiy博士

ロシア国立高等経済学院(National Research University Higher School of Economics, HSE)の統計・知識経済研究所(Institute for Statistical Studies and Economics of Knowledge,ISSEK)准教授

モスクワ大学卒業後、2008年より同研究所に着任。2013年にモスクワ大学から博士号*取得(経済学及び国家経済経営論)。専門は、イノベーションと予測。

*なお正式な称号は、旧ソ連・東欧圏でCandidate of Sciences(露:кандидат наук)。UNESCO International Standard Classification of Education (ISCED)で博士号相当のレベル8の学位で、大学で准教授相当職に就任に必要な資格とされている。

別添
GLOBAL TECHNOLOGY TRENDS
Trendletter

Konstantin Vishnevskiy 著
【科学技術予測センターによる仮訳】

背景

昨今、急速に変化しつつある国際市場では、多くの従来型の産業部門がその優位性を失う一方で、新たなニーズを創出する新産業が成長を遂げている。この変化は、多岐にわたる地球規模の課題(Global Challenge)を背景に生じたものだが、何が課題か的確にとらえて適切なタイミングで対処することは、国民の生活の質を高め、国際協調と国家安全保証を維持しつつ持続的な経済成長を遂げるための必要な条件である。

こうした課題に対応するため、ISSEK は、基盤研究費により国内外の「技術動向モニタリング」プロジェクトを実施している。ここで収集された情報は、データベース化され、急速に発展する技術動向を反映するために随時更新されている。データベースを整備・利用する目的は、今後10 年から15 年の間に社会や主要産業に劇的な変革をもたらす可能性を秘めた新たなトレンドを見いだし、中期的に新しい国際市場を創出するような破壊的イノベーションの分析のために利用することである。こうした分析結果は月刊の「トレンドレター」としてまとめられ、紙媒体の冊子及びWeb版で発行されている。

現行のトレンドレターの作成方法と基本的情報

トレンドレターは、定量的・定性的な分析手法をシステマティックに組み合わせた「技術動向モニタリング」の結果をもとに作成されている(図表1)。 ここでは、科学技術トレンドを早い時点で把握し、今後の大きな発展が見込まれる技術や破壊的イノベーションの原動力となる潜在的なニーズを特定するための分析が行われる。

広範な情報源(計量書誌学的調査や特許のデータベース、分析報告書、メディアなど)を定期的にスキャンして収集された大量データを、意味解析や自動クラスタリング機能を持つツールを用いてデータ処理を行う。ここでの分析処理過程では、完全に自動化された情報処理というわけではなく、専門家の相談・話合いを経て行われる。また、基本情報を収集し、「暗黙知」を蓄積するためにデプスインタビュー(専門家を対象とした一対一のインタビュー)等が行われ、その結果は定量分析によって得られた情報と総合して、議論するために利用される。ウィークシグナル、ワイルドカード、リサーチフロント(引用が著しく高い科学技術分野の先端的領域)、特許、出版物(論文等)の状況も分析される。 そして、自国の競争力、社会経済への影響、成長を推進する要因と阻害要因について、それぞれトレンド分析が行われる。

国際技術動向モニタリングは、以下の情報やデータ源を利用して作成される:

  • 国際機関(EC, OECD, UN, WHO, ITU 等)の分析報告書
  • 国際的な予測実施拠点(NISTEP、EU 未来技術研究所、マンチェスター大学、フラウンホーファー協会システム・イノベーション研究所等)の作成資料;
  • 主要企業(シェル、IBM、マイクロソフト-富士通、モルガンスタンレー)による予測
  • コンサルティング企業の公表データ (Battelle、 Z-Punkt、Lux Research、Gartner、Deloitte、TechCast、Shaping Tomorrow、Trend Hunter)
  • ロシアの 特定の産業(経済部門)に関する科学技術予測調査
  • 自国経済や特定産業部門の長期的発展予測を示した戦略文書(例:ロシアの2030年までの長期の社会経済的な発展予測、ロシアの科学技術予測2030、特定産業の発展戦略)
  • 科学出版物引用データベース(Web of Science, Scopus)、特許(QuestelOrbit)、学術論文(ProQuest)、ニュース(Factiva)
  • 学際的又はテーマ別の国際会議論文など

図表1 技術動向モニタリングのステップ

出典: HSE

利用対象者

国際技術動向モニタリングは、科学技術予測システムを構成する重要な情報基盤となっている。ここでのモニタリングの結果は、以下の利用対象者によって活用されている(図表2)。

最近は、約1,000人の様々なレベルの政策担当者が利用対象者となっている(連邦や地方自治体、大学や科学的組織、企業 の経営層)。また、1か月に2回発行されるトレンドレターのメーリングリストの送付先に登録した者も利用対象者に含まれる。なお、トレンドレターそのものは、誰でもウェブサイトから入手可能となっている。

図表2 トレンドレターの利用対象者

出典: HSE

トレンドレターの構成

トレンドレターは、ロシアにとって優先度の高い科学技術分野のうち一つを取り上げ、その中で将来性のある課題領域に対し、課題領域の概要、社会との関連、その課題の持つ新規性の3つの技術トレンドが記述されている。また、それぞれのトレンドの詳細についても、専門家である著者リスト、主要文献とともに記載されている(図表3)。

具体的には、技術変化のトレンドの一般的な解説、技術発展のロードマップ形式での技術発展状況の予測結果、将来の市場規模や市場の成長速度、市場構造の分析、社会的な影響、科学技術の進歩にとっての成長推進要因と阻害要因について記述されている。加えて、自国の技術発展の段階の評価とともに国際的な科学論文数や特許出願の動態の分析結果をもとにしたトレンド変化についての記載もある(図表4)。

図表3 トレンドレターの構成1/2(例:科学技術分野・テーマ:「宇宙用原子力電源」)

出典:TRENDLETTER 2016#5(2016.5.17)
https://issek.hse.ru/trendletter/news/182341680.html


図表4 トレンドレターの構成2/2(例:科学技術分野・小課題「太陽光パネル用の薄膜素材」)

出典:TRENDLETTER 2015#8(2015.6.29)
https://issek.hse.ru/trendletter/news/152199934.html

注1)ロシア国立高等経済学院 https://www.hse.ru/en/org/hse/info/

注2)統計・知識経済研究所 https://issek.hse.ru/en/about

注3)STI Horizon 2017. Vol.3 No.2 http://doi.org/10.15108/stih.00081