STI Hz Vol.2, No.2, Part.5: (ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流)Spiber株式会社 菅原 潤一 取締役兼執行役インタビューSTI Horizon

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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00025
  • 公開日: 2016.06.25
  • 著者: 髙橋 安大、蒲生 秀典、新村 和久
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.2, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ナイスステップな研究者から見た変化の新潮流
Spiber株式会社
菅原 潤一 取締役兼執行役インタビュー

聞き手:企画課 係員 髙橋 安大
科学技術予測センター 特別研究員 蒲生 秀典
第2調査研究グループ 上席研究官 新村 和久

Spiber株式会社は山形県鶴岡市にある学生ベンチャー企業で、2007年に設立された。Spiber社ではデザインされた遺伝子を埋め込まれた微生物が発酵することにより人工クモ糸の原料となるタンパク質を生成する方法を確立し、2013年、世界に先駆けて人工クモ糸の量産化に成功したと発表した。当研究所は、人工クモ糸の量産化に成功する前の2010年に、Spiber社設立に重要な役割を果たした関山和秀氏と菅原潤一氏をナイスステップな研究者に選定した。今回、Spiber株式会社取締役兼執行役である菅原潤一氏に、ナイスステップな研究者選定後の研究開発の進展、今後の取組等についてお話を伺った。


菅原 潤一 Spiber株式会社 取締役兼執行役

― 2010年にナイスステップな研究者に選定されてから、人工クモ糸の量産化成功や企業との契約等、多くの業績を上げられていらっしゃいます。始めに、これまでの貴社の活動について、お教えください。

当社は2007年に起業しました。起業した最初の1~2年は、研究に必要な資金を集めるため、様々な助成金の応募書類を書いていました。本格的に研究室が立ち上がったのは2008年5月頃のことで、その頃は本当に自分たちが考えているような糸が作れるのか、まだまだラボの中で実証実験を行っているフェーズでした。

ナイスステップな研究者に選定された2010~2011年頃は、研究がラボスケールからベンチスケールに移行していく段階で、自分たちの技術がスケールアップに耐え得るものか否かを確認していた頃です。

2013年に、私たちの研究成果は少しずつ実を結び始めます。人工クモ糸でできた世界初の工業製品「Blue dress」を発表できたと同時に、小島プレス工業さんとプロトタイピングスタジオを設立し、それまでSpiberが行っていた微生物の培養、タンパク質の精製、紡糸という一連の工程を、ラボスケールから一気に1,000倍に拡大しました。この立ち上げに成功して投資家の方々にも見てもらうことで一層資金の調達が進展し、またImPACTからも支援を受けるきっかけとなりました。

ある程度の量が作れるようにならないと製品開発は加速しませんが、大規模にタンパク質や繊維を製造できるようになったことで、世界で初めて本格的な人工クモ糸繊維の製造ができる体制が整いました。現在は、様々なメーカーさんとともに、我々の作った人工クモ糸の製品化に向けた共同開発を進めています。

― 起業から現在までで、一番苦労されたのは資金調達だったのでしょうか。

資金調達にも研究開発にもまたがる複合的な課題がたくさんありました。資金が集まらなければ研究開発が進みませんし、一方で資金が集まったところでアイディアがなければ何もできません。アイディアがあっても人がいなければ研究は進みませんし、人がいても皆がバラバラの方向に動いていれば、思ったような成果は出てきません。そのときそのときで一番必要な課題に取り組んできました。そういう意味では、アイディアはたくさん持っていたので、いかに資金を調達するかは重要な課題でした。

私たちは何か収益化するようなビジネスを立ち上げてから、その収益を新しい研究開発に投資するという方法ではなく、まずは自分たちのリソースを研究開発に一本化してスピードを最大限加速させるという方針でやっています。私たちの研究開発は多くの時間と資金を必要とするものだったので、投資家にいかに信用され投資してもらうかは大きい課題でした。

― 大学の研究成果を社会に還元するという動きがなかなか進まない中、実際に大学発ベンチャーを起業された立場から見て、起業するのに困難だったのはどのようなところだったのでしょうか。

少なくとも会社を立ち上げてからここまでに至る経緯で大変だったことの一つは、学生ベンチャーだったために信頼がないゼロからのスタートだったことです。

同じ大学発ベンチャーだとしても、例えば業績も人的ネットワークも豊富に持つ教授クラスの方が立ち上げた企業であれば集まったかもしれない資金や人材が、何もないところからのスタートでした。その中で、ナイスステップな研究者という賞を頂いたことは、信頼を得て、資金調達に成功する一つのきっかけとなりました。投資家からすれば、数ある投資先の中からどこに投資しようかと検討する際、ナイスステップな研究者のような信頼のおける賞に選定されているということは一つの大きな判断材料になります。まだ信頼のない若手がチャンスをつかむ上で、この賞は非常に大きな意義を持つと思います。

― 次に、研究についてお話を伺います。人工クモ糸は欧州をはじめ世界で注目を集めています。ライバルも多くいる中で世界で初めて量産化に成功したのは、研究のフィードバックをデータベース化するなど、独自に研究開発をすることでスピード感を持った研究を進められたからだと伺いました。国は施策として産学連携を推進していますが、貴社のこれまでの取組を伺うと、必ずしも大学等と連携することが最善とは限らないように思います。

連携をすべきところは連携しますし、自分たちでやるべきだと思うところは自分たちでやります。それは手段でしかないので、目的によって変えていくつもりです。しかし、少なくとも研究開発フェーズのうちは、自分たちで全てやるべきだと考えていました。私たちは、遺伝子をデザインして合成し、微生物に発酵させ、精製して糸にしています。学問分野で言えば分子生物学、遺伝子工学から始まり、高分子工学や繊維工学といった分野横断的な研究テーマです。

私や同僚である関山の元々の専門はバイオインフォマティクスで、コンピュータを使って遺伝子やアミノ酸配列を解析して、どうしたら微生物がよりタンパク質を作り出すか、どうしたら生産された物質の物性が良くなるかを計算するのは得意でした。周囲からは「君たちの強みはバイオインフォマティクスなのだから、発酵は発酵メーカーに任せた方がよい」とか、「発酵はうまくいっても、そこから先はバイオとは全く違う分野だから、ここからは素材メーカーに任せた方がよい」といった声が寄せられていたことは事実です。しかし私たちは、これら全てのプロセスを自前でやるべきだという強い想いを持っていました。良い糸を作るには各工程を各専門家が最適化するだけでは駄目で、全体の工程を見通して初めて、良い糸ができると考えたからです。思うような糸が作れなかったときは、デザインしているアミノ酸の配列に問題があるかもしれないし、培養の工程で入ってくる夾雑物に問題があるかもしれないし、精製の工程で分子が分解されてしまっているかもしれません。最終的に糸にする場合も、どのような条件で糸にするかによって物性が変わってきます。こういった原因は分析して後で分かるものもあれば、なかなか分かりにくいものもあり、結局、最上流から最下流まで、全部の工程を把握できていないと本質的な課題がどこにあったのか分からなくなってしまいます。本質的な問題点を見抜くためには、自分たちで技術を持つことが重要です。

欧米を中心に、世界でもベンチャー企業や大学で人工クモ糸の研究を行っていますが、特に大学では分野ごとに各研究機関で分担して研究しているようです。そのような体制では私たちの研究開発のスピード感は生まれない上、各段階における最適解は突き詰められても、全工程を俯瞰して分かるような本質的課題が分からなくなってしまいます。

― 始めから、全ての工程を自分たちでやろうと考えていたのでしょうか。

少なくとも関山は、工程の全体を見ないと問題点が分からないという考えから、そのように考えていたようです。私は研究者の興味として、全体の工程を知りたいという思いがありました。

また、私の在籍していた慶應義塾大学環境情報学部は分野横断的な研究をすることを推奨する学部だったということも影響していると思います。既存の学問の枠組みではイノベーションは生まれにくく、学問と学問の境界領域で新しい発見は生まれやすいと言っている大学でした。実際、私たちの指導教員だった冨田勝教授は生命科学と情報科学を融合させてバイオインフォマティクスを創始した草分け的存在です。

ただし、現在は全ての技術を自社で囲っているわけではありません。具体的には、糸を作った先の、糸を撚ったり編んだり織ったりコーティングしたりする技術は日本が強い分野であることもあり、過去の英知を集結させて研究を加速させていきたいと考えています。さらに、最終製品はニーズを把握しているメーカーでないとなかなか開発できません。例えば、現在共同研究を進めている小島プレス工業さんであれば、取引先の自動車メーカーが5年先にどのような車を開発するビジョンを持っているのかなど、なかなか世の中には出てこない業界動向の情報も含めたニーズを把握しています。ニーズを踏まえた製品開発は、オープンイノベーションでメーカーと一緒に進めていくのがよいだろうと感じています。そして最終製品だけではなく、小島プレス工業さんとは人的交流も含めてこの事業を一体で作っていく体制を作っています。

私たちはこれまでいろいろな大学やメーカーと共同研究をして経験を積んできましたが、他機関と一緒に開発していくときに絶対に必要になってくるのは信頼関係だと思います。特に企業同士の共同研究というのは、自分たちが情報を開示してしまうと相手に技術をとられてしまうのではないかとか、自分たちだけでやっていれば最終的に得られていたであろう需要がどんどん持って行かれてしまうのではないかとか、お互いいろいろな心配をしながらスタートをすることになります。そのような関係では必要な技術情報もなかなか出せません。研究開発では、お互いの情報を全部共有して初めて本質的な課題がどこにあるのか分かるので、やるならお互い腹を割らないといけないし、やらないならやらないというゼロ・イチをかなりはっきりさせる必要があると思いました。共同研究している小島プレス工業さんのことで言えば、Spiberの持つ技術で小島プレス工業さんに出していない情報は何一つありませんし、小島プレス工業さんも、Spiberが必要だと思えば全部の情報を開示してくれるという信頼関係があるので、小島プレス工業さんの強みが私たちに足されることで、研究は加速していると思います。

― 小島プレス工業さんとの信頼関係はどのようにして築いていったのでしょうか。

第一に、非常に信頼できる方からの口利きで御紹介いただいた経緯があり、お互い、この方が紹介してくださるなら、という安心感があったと思います。次に、ビジョンが非常に近かったということがあります。小島社長や担当の役員の方とは何度もお話をして密にコミュニケーションをとり、目指す方向が一緒であるということを心の底から感じられました。最後に、既存のパイの取り合いではなく、新たな市場形成を可能にし、パイそのものを大きくできるという、win-winの関係が明確だったことも大きいです。

― 大企業との契約で不利な条項を強いられることはありませんでしたか。

大企業と連携の契約をする上で、ベンチャーだから不利になると感じることはありません。契約は常にフェアです。不利な条項を飲まなくて済むよう、力を付けなければいけません。

― 国の施策・支援に期待していることはありますか。

私たちは非常に多くの支援を受けています。短期的で使い勝手の悪い研究支援事業も中にはあるそうですが、私たちが受けてきた支援はどれも事業を大きく加速させています。特に、今私たちが採択していただいているImPACTは非常に良い枠組みだと感じています。5年という期限はありますが、プロジェクトマネージャーに権力を集中させて、ハイリスク・ハイインパクトな研究テーマに予算を付けるという理念で運用されており、チャレンジングなことに挑戦しやすい研究費になっています。是非今後も続けてほしいと思います。

また、税制面でのアイディアもあります。本質的にイノベーションを起こすような研究開発は時間やお金がかかるものです。時間やお金のかからない研究開発であれば、特段国が支援しなくてもどんどん進展していくものです。もう少し、長期的な研究開発を促進する仕組みが必要だと考えています。例えば、投資家が投資をする際、短期的かつ投機的な投資は課税を重くし、逆に5年や10年を超える長期的な研究開発に税制の面で優遇措置をとるなどです。こうすることで、長期的な研究開発にもインセンティブが働くのではないでしょうか。

― 短期的な研究開発について、IT系については確かに我が国でも積極的な投資がなされるようになっている一方で、技術系のベンチャーについては興味深いのだけれどもなかなか投資できないという話を実際に大学発ベンチャーに投資をしているベンチャーキャピタルの方から伺います。貴社が投資を受けられるようになったフェーズはどこにあったのでしょうか。

私たちは、あるタイミングで大型の投資を受けたわけではなく、少しの投資を受けて研究開発を進めて成果を出し、その成果を元にまた投資を受けて研究開発を進めて成果を出し、といったステップアップでここまで来ています。このように、結果を出さなければ次はないという緊張感と危機感が成長につながっていたのだとも思います。

一方、もし大型の投資を初期に受けることができていたならば、もっと研究開発が加速していたかもしれないという側面は確かにあると思います。例えば資金があれば、研究開発のリスクヘッジが可能になりますし、また、本流とは少し離れていても、知財戦略的に押さえなければいけない技術などにも積極的に投資することが可能になります。我々と同じく人工クモ糸の実用化に取り組む米国の企業は、昨年一気に40億円の資金を調達することに成功し、事業を加速させました。米国はハイリスク・ハイリターンを文化的に好むのかもしれませんが、大型の資金調達が可能な環境は恵まれているなと感じます。

― 起業から量産化に当たって、山形県のバイオクラスター事業など、鶴岡市に所在していたことのメリットはありますか。

鶴岡市に会社が存在することによって得ている価値はたくさんあると感じています。例えば細かい事例で言うと、会社の立ち上げで資金が不足していた頃、鶴岡市のインキュベーション施設の広い部屋を安い賃料で借りることができ、助かりました。立ち上げ初期の頃は、慶應発ベンチャーであり、慶應の研究所のすぐ隣にあるということが、少なからず会社の信頼につながっていたと思います。また、建屋や一部の設備機器の購入にも、県から補助金をもらいました。

最近は、私たちの事業に賛同してくれる人材を世界中からいかにして集めるかが課題であると考えていますが、そのためには会社が面白いことをするだけではなく、海外から来られる方が何不自由なく生活できたり、子供が安心して医療・教育を受けられたりする環境を整える必要があります。これらのことを実現するためYAMAGATA DESIGNという企業が立ち上がっていますが、こういった取組に通常では考えられないようなスピードと体制をもって全面協力してもらえるのも山形県鶴岡市だったからだと考えています。

例えば、山形県にはインターナショナル・スクールが一つもありません。私たちの会社には100人の社員がいますが、平均年齢は関山の年齢と同じ32歳です。この年齢層では、幼稚園から小学校低学年くらいまでの子供のいる社員が多くなります。そのような若い人材が海外から来た際に一番心配するのは、子供をどのように教育するかです。人材を全世界から集約するには、そのほかにも様々な生活環境を整えることが重要です。

ただ、どういった教育が地方に必要であるとか、海外から人を呼ぶのにはどういった生活環境を用意する必要があるかという答えは私は持ち合わせていません。これはYAMAGATA DESIGNで模索してくれると期待しています。

― 冨田勝教授の研究グループからは既に四つのベンチャー企業が立ち上がっています。ベンチャーを起業しようとする際、重要だったファクターはありますか。

実は冨田勝教授がベンチャーを立ち上げるよう発破をかけているわけではないんです。教授自身は私たちの背中を押すよりもむしろ、「起業するのはもう少し研究が進んでからの方がいいんじゃないか」と抑制するくらいでした。Spiberの起業は、関山の情熱が非常に大きかったですね。関山は絶対にベンチャーを起業したいと考えており、周囲の反対を押し切ってSpiberを立ち上げてしまいました。ただ、冨田勝教授自身もHuman Metabolome Technologiesというベンチャー企業を興しているのですが、そのことはかなり学生に刺激を与えていました。ベンチャービジネスを通じて研究を社会に役立てていく道もあるということを、強烈に背中で示していました。

― 最後に、これから、大学発ベンチャーや学生ベンチャーを起業しようとされる方へ、メッセージをお願いします。

ベンチャーをやっていると思ったとおりにいかないこともたくさんあり、一つの事業を形にするのはとても大変なことだなと痛感しています。取り組んでいることが本当に自分がやりたいこと、あるいは本当に世の中のためになることだと腹の底から思えていないと、長続きしません。どう生きるにせよ、没頭できるような、「情熱を傾け続けられる何か」を見付けることがとても大切だと思います。


菅原 潤一 Spiber株式会社 取締役兼執行役(左)と人工クモ糸を用いたアウトドアジャケット(右)


* 所属はインタビュー当時