No.144 2000 10 
科学技術庁 科学技術政策研究所
NATIONAL INSTITUTE OF SCIENCE
AND TECHNOLOGY POLICY


 
日中科学技術政策研究討論会(於:北京)で講演する青江政策研所長
     

 
目次 [Contents]  Ⅰ.論説紹介 科学技術に関する国民意識調査について(その4)−豪州の状況−
第2調査研究グループ上席研究官 岡本信司
Ⅱ.海外事情
中国スピンオフ事情第2研究グループ総括主任研究官 小林信一
中科学技術政策研究討論会の開催
第1研究グループ研究員 伊地知寛博
Ⅲ.トピックス
政策研での経験(株)SEAソフトウェア開発部 陸 躍鋒
APECエンジニア羽ばたく国際技術士(社)日本技術士会参事役 吉水正義
Ⅳ.最近の動き

Ⅰ.論説紹介

科学技術に関する国民意識調査について(その4)−豪州の状況−
第2調査研究グループ上席研究官 岡本信司

1 はじめに
 科学技術に関する国民意識調査は、欧米諸国をはじめ世界各国においても実施されており、その結果が科学技術政策に反映されるとともに時系列比較、国際比較等の調査研究も行われている。
 本稿では、欧州連合の状況を紹介した前号に引き続き、執筆者が1996年及び1999年に現地調査を行った豪州の状況について紹介する。
2 豪州における科学技術に関する意識調査の状況−連邦科学産業研究機構(CSIRO)における理解増進活動−
 現在、豪州において科学技術に対する国民の意識調査を実施・分析しているのは連邦科学産業研究機構(CSIRO)である。CSIROは、産業・科学・資源省(DISR)の所管であり、7,000人のスタッフで構成される豪州の代表的な政府研究機関で、農業、鉱物資源・エネルギー、製造、コミニュケーション、建設、健康、環境分野を研究対象としている。
 CSIROの理解増進プログラム (NAP: National Awareness Program) は、DISRが実施している科学技術理解増進プログラム(Science and Technology Awareness Program)にも位置づけられる国民の意識調査やメディアにおける報道状況についての調査を実施している。
 豪州国民にとって「科学技術」と"CSIRO"は同義であり、CSIROの活動に関する意識調査を行うことが、そのまま科学技術に関する意識調査に直結するとのことである。
 CSIROのNAPの目的は、将来の科学技術とCSIROの貢献と役割の重要性の認識を高めることである。
 NAPのマーケット・リサーチの一環である国民の意識調査以外の理解増進活動は、メディアにおける報道分析、テレビ・ラジオの番組制作、連邦・州議会議員関係者へのブリーフィング等多岐にわたっている。
3 豪州における科学技術に関する意識調査の状況と最新調査結果
 豪州においては、CSIROが総合的 (Omnibus) な意識調査を1992,1994,1997,1999年のこれまで4回実施している。この他にも調査対象とテーマを特定した調査 (Focus Interview) を1997年に実施している。
 また、1995年には、産業・科学・技術省産業経済局 (DIST BIE:当時の名称、その後省庁再編によりDISRとなる) において、我が国を含む18カ国地域(含むEC)との科学技術リテラシーに関する国際比較調査を実施している。ちなみにこの国際比較調査では、豪州国民2,300人以上(豪州人口は約1,900万人)を対象に、日米欧等で実施した共通的な自然科学に関する基本的な質問項目等に関する調査結果をとりまとめており、豪州が他国に比べて高いスコアを示している(例えば、比較可能な4設問正答率比較で、豪州は18ヶ国地域中62.0で第1位、我が国は50.3で15位)。
 この国際比較調査については、1996年に執筆者が豪州現地調査を実施して担当者と面談した経緯があり、1999年の豪州現地調査において、国際比較調査の継続調査についても調査することを目的としていたが、国際比較調査については、この1995年の1回のみであることが判明した。
 次にCSIROの最新調査である1999年調査の概要について以下にまとめる。
○「1999年CSIRO及び科学技術に関する国民意識調査」
"Survey of Public Opinion of CSIRO and Various Science and Technology Issues 1999"
(調査手法)
 調査対象は、豪州全域からの多段階無作為抽出法による14歳以上、1,019名のサンプルで訪問面接法により1999年5月7〜9日に実施された。
(1)関心のあるニュース
 関心のあるニュースとして、科学技術に関する話題(「科学的発見」、「新技術」等)について、「政治」や「スポーツ」よりも高い傾向が見られ、これは1994,1997年調査と同様の傾向である。
 「非常に関心の高いニュース」としては、「新たな医学的発見」(46%)、「環境汚染」(41%)、「科学的発見」(39%)、「新技術」(37%)等となっており、「政治」は17%と最も低い(その他の選択肢については、「新発明」(34%)、「犯罪」(34%)、「スポーツ」(30%)、「雇用」(26%))。
  また、男女を比較すると「非常に関心の高いニュース」として、男性は「スポーツ」(46%)、「新技術」(45%)、「新発明」(44%)等の順であるのに対して、女性は「新たな医学的発見」(60%)、「環境汚染」(45%)、「科学的発見」(33%)等の順となっている。
(2)政府の科学技術に対する投資
 「政府は科学技術のどの分野に投資すべきか」と「実際には、どの分野に投資されていると思うか」という2つの質問について、投資すべき分野としては、「医療・健康」、「医薬品」、「土地・水」、「情報技術」、「環境・汚染」、「犯罪」、「サービス」等の順であるが、実際に投資されていると思われている分野は、「通信」、「土地・水」、「サービス」、「エネルギー」、「環境構築」等の順となっている。
 また、26%の回答者が「医療・健康」分野に投資すべきと回答しているが、実際に投資されていると思っているのはわずか2%であり、この他も乖離が見られ、「土地・水」のみが「投資すべき」と「投資されている」がほぼ一致している。
(3)遺伝子技術
①遺伝子技術の認識
 「「遺伝子工学」という言葉を聞いたことがあるか」との質問に対しては、全体の78%の回答者が聞いたことがあると回答しており、性別・年齢では、男性と40歳以上で高い。
②遺伝子技術の利益とリスク
 「遺伝子工学」という言葉を聞いたことがあると回答した回答者に対して、「利益とリスクのどちらが大きいか」について質問した結果、全体では48%が「リスク」、42%が「利益」と回答した。
 性別では、男性は「利益」、女性では「リスク」の方が多く、年齢別で見ると14-17歳、40-54歳は「利益」、それ以外では、「リスク」が多く、特に55歳以上では、「リスク」が「利益」を20%近く上回っている。
③遺伝子組み替え食品
 「遺伝子工学」という言葉を聞いたことがあると回答した回答者に対して、「遺伝子組み替え食品が従来品と比較して品質が良くて価格が同等か安い場合、試してみるか」との質問に対しては、43%が「試す」、39%が「試さない」、16%が「より多くの情報が必要」と回答している。
 特に子供を持つ女性は「より多くの情報が必要」と回答しており、ブリスベーンとアデレードの居住者、ホワイト・カラーと高収入の層は「試す」、メルボルンとタスマニアの居住者、退職者は「試さない」との回答が多い。
4 おわりに
 豪州においても若年層や女性の科学技術に対する関心の低下が懸念されており、とりわけ遺伝子工学に対する不安・心配が高いとの傾向が見られ、CSIROでは、これらの調査結果を踏まえて、CSIROの各種理解増進活動に反映させていきたいとのことである。
 ところで、1999年12月の豪州現地調査は、執筆者が研究協力者として参画している文部省科学研究費補助金基盤研究「学校と社会が連携した科学教育システムに関する国際学術調査」(平成11〜13年)の一環であり、一緒に現地調査を行った研究代表者の長濱元東洋大学教授(元科学技術政策研究所第2調査研究グループ総括上席研究官)、斎藤尚樹在豪日本大使館一等書記官(当時、現科学技術庁科学技術政策局政策課長補佐)、小島泰典一等書記官に大変お世話になったので、この場を借りてお礼を申し上げる。



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Ⅱ.海外事情


中国スピンオフ事情
第2研究グループ総括主任研究官 小林信一


1.スピンオフ
 大学や公的研究機関の研究成果をいかに効果的に産業界に技術移転し、経済発展に結び付けるかは、世界各国で政策課題となっている。そのために、技術指導や産学共同研究を行ったり、研究成果の特許化を進め、それを産業界に移転するためにTechnology Licensing Organization(TLO)を設置している。日本でも、98年にTLOが制度化された。
 しかし、単に特許として流通させれば、いずれ必要と考える企業が使ってくれる、というリニアモデル的な消極的な方法では不十分だと考えられるようになってきた。TLOもオフィスで企業の来訪を待っているわけではなく、積極的に企業にコンタクトしている。また、ベンチャー企業が大学の技術を製品化する場合、インキュベータで製品開発をすることができるし、ベンチャー・キャピタルが支援してくれる可能性もある。
 しかし、大学の技術を製品化しようという企業が現われなければ、いくら特許を取っても技術移転はその初めの段階でつまずいてしまう。市場が興味を示さない技術なのだからやむをえない、と言ってしまえばそれまでのことだ。しかし、新しい技術、それも新しい市場を生み出しうる革新的な技術であればあるほど、既存の企業活動の範囲を外れ、受け皿は見つけにくくなる。
 そこで登場するのが、技術を生み出した研究者たちが自ら会社を作って(または既存企業と共同で)製品化する方法である。シリコンバレーの企業の多くがこの種の企業だという事実もあり、こうした積極的な方法での技術移転に注目が集まった。このような企業をResearch-based Spin-off Company(略してSpin-off)、中でも大学発のものをUniversity(-based) Spin-offという。
 その結果、Spin-offの促進政策が登場することになる。従来の産学連携に比べると、非常に積極的なアプローチである。日本でもSpin-off企業は存在するが、Spin-offを組織的に推進する施策はほとんどない。唯一の例外は、本年4月の「国立大学教員等の研究成果を活用する事業を実施する企業の役員等」の兼業に関する人事院規則の制定であるが、これもSpin-offを促進するというよりは、Spin-offに関する制限を撤廃したにすぎない。
 日本で産学連携というと、既存の「産」、それも大企業との関係を暗黙に前提としてしまい、「学」による「産」の創出という意味での産学連携はあまり注目されてこなかった。一方、欧米各国ではこのような産学連携が以前から注目されてきた。欧米だけでなく、中国や韓国でも大学教員や学生による起業が盛んである。中国は、Spin-offがほとんどない日本の対極に位置する極端な事例である。筆者は7月に12日間にわたり中国のSpin-off事情を調査してきた。以下はその概要である。

2.中国スピンオフ概史〜自動化技術分野を例に
 中国の大学はもともと教育活動を中心に組織され、研究活動は科学院がもっぱら担う体制だった。しかし、1970年代末の改革開放路線以降は、大学に研究資金を投下し、大学にも研究活動を担わせる体制になっていった。1986年に始まる863計画では重点領域を決め、それぞれの領域ごとに国家重点実験室を指定し、そこに集中的に研究資金を投下し、基礎的な研究活動を促進した。各大学では、研究活動に携わる教授を採用するようになっていった。なお、今回調査したのは、同計画の中でもトップに位置付けられた自動化技術の分野に関わる研究室や企業である。
 これらの研究室では、1990年頃になると研究成果が蓄積し、実用化へ進むことが可能な段階になった。この段階で、863計画では、実用化の支援を行うようになった。国家重点実験室の中で、実用化を指向する有力教授などは国家的支援を得て実用的なCIMS、CADソフトの開発に取組むようになった。その一方で、若手教員の中には、学生たちと細々と開発した者もいる。
 90年代前半にはベータ版が完成し、販売を始めるようになった。ちょうど中国産業の発展期だったこともあり、CIMS、CAD、その他のソフトの需要は旺盛だった。早くから開発を進めていたグループの販売は波に乗った。ただし、この時期は大学教員が私的に利益を得ることができなかったため、所属する学系departmentに特別会計を設けて利益を蓄積していった。このような企業活動の形態を系管企業という。これらの企業のほとんどは、大学内で活動していた。
 1995年頃から、大学教員が企業活動を行うことが認められるようになり、企業の設立が急速に進んだ。国家や地域政府の出資を得て企業化するケース、外資や既存民間企業の出資を得て企業を設立するケース、上述のようにすでに自分達の努力で大学内に蓄積していた資金により企業を設立したケース、大学の出資により企業を設立するケースなどがある。
これらの企業の経営陣や主要スタッフは大学教員から転身しているが、彼らのほとんどは大学にポストを確保している。大学での活動をこなした上で企業経営をしているケースから、大学の仕事をほとんどしていないケースまで幅広い。しかし、大学の管理から離れた、私企業化の程度が高い企業の場合でも、大学院生の指導をしている場合が多い。また、より基盤的な研究開発は大学との共同研究、委託研究によって実施しており、企業活動は製品化の下流工程に集中している。

3.大学を中心とするイノベーション・システム
中国では、在来型産業でのキャッチアップよりもIT、バイオ関連の産業でのキャッチアップを優先する政策をとっている。両分野ともに、一般的に大学における研究資源(人材やノウハウ)の蓄積に依存する傾向がある。中国でも、国有企業や既存の民間企業に蓄積がなかったIT、バイオ分野では、研究資源を蓄積してきた大学が企業設立の有力なソースになっている。大学はいわばインキュベータの役割を担っている。そのため、中国の有力大学の構内、あるいはその近隣には、spin-offが多数存在している。100を越えるspin-offを抱える大学も珍しくない。
 中でも北京の清華大学はspin-offが多い大学であり、関連企業を管理するために清華大学企業集団という持株会社を持っている。関連会社の年間総売上は日本円換算約300億円、年間総利益は約30億円に達している。この規模は、物価水準の違いなどを考慮せずとも驚くべき規模である。直観的に理解するために比較するとすれば(必ずしも適切ではないが)、この規模は米国の有力大学のライセンス収入に匹敵するのである。
 このように、大学が民間企業の創出の拠点になっており、各地に設置されたハイテクパークの進出企業のかなりの部分が大学に関連した企業で占められている。また、最近では大学のこうした役割に注目し、ハイテクパークの一角を大学に提供し、大学がインキュベータを設立、運営するサイエンス・パークもみられるようになった。このように書くと大学が儲けることだけを考えているかのようだが、そうではない。サイエンス・パークには、大学がインキュベータを経営するという側面の他に、キャンパス内に多数の企業が存在し、教育、研究、企業活動が混然となっている状況を解消しようという意図もあるようだ。つまり、企業活動をキャンパス外に移すことで大学との関係を整理し、その一方でキャンパスを従来の教育、研究機能のために整備しなおすというのである。
 中央政府、地方政府ともに、こうした活動に対して税制優遇や大学や研究者を保護する制度の導入など、多面的な振興施策を用意している。もっとも、歴史が長い企業、政府の支援をほとんど受けてこなかった自律性の高い企業の中には、大学や政府の直接的資金援助からの脱却をめざしている企業も少なくない。
いずれにしても、日本ではとても想像できないほど、大学発のspin-offが多く、大学を中心に産業が形成されるというイノベーションのシステムを作り上げている。「知識基盤経済」を字義通りに展開している。もちろん、これらのspin-offの中には、技術はあっても営業、財務などが弱いものも少なくない。しかし、現段階では多くが中国社会で成功を納めている。

4.もう一つのスピンオフ〜中国科学院
 大学spin-offとは少し違った形で展開しているのが中国科学院のspin-offである。
 中国社会の改革が進行する中で中国科学院の改革は着手が遅れた。これまでの安い賃金で大量の研究員を雇う体制では、一般労働者の賃金水準が上がる中で優秀な人材を確保することが困難になっていた。そこで人員を絞って優遇すると同時に、科学院の持つ知的資源を産業発展に役立てようと科学院の改革が行われた。
 1998年に研究所削減、人員削減が実施された。科学院全体で、研究活動に従事する者を3分の1に削減、3分の1をspin-offの設立により企業活動に従事させ、残りは既存の関連企業等への転職、早期退職あるいはリストラによって人員削減することになった。研究活動は、残った研究員に集中させ処遇も改善された。研究者として残らず、またリストラもされなかった者については、研究所に蓄積されてきた研究資源を元手として、自らspin-off企業を設立させた。彼らの給与は企業が負担、つまり自分たちで稼ぐが、ポストは「研究所二部」という組織を設置し、そこに残している。これまでに中国科学院全体で約900社のspin-offが設立されたという。
 計算技術研究所は、千人の研究員を擁する科学院でも最大規模の研究所だったが、この改革により、研究員として残った者はわずか60人にとどまった。spin-offを設立し、そこに参加した者が500〜600人、早期退職は200人、聯想グループという計算技術研究所の研究者たちによってすでに設立されていた企業へ転職(研究所のポストを残さない)した者100人などとなっている。
 軟件工程(ソフトウェア工学)研究所は1986年設立の新しい研究所である。科学院全体の改革よりもかなり早く、1989年に研究所の100%出資で会社を設立した。試行錯誤の後、1997年には研究所をまるごとspin-offし、CASS 集団を設立した。転換時に研究員は約180人だったが、リストラはなく、ほとんどがCASS集団に参加した。会社設立後は新規採用を行い、グループ全体で従業員は600人以上に拡大した。なお、研究所も名目的には残っており、看板はしっかり残っている。
 科学院のspin-off企業の場合には、大学のspin-offとは異なり、行政改革の結果、半ば強制的にspin-off企業を設立させられたという感じである。しかし、大学の場合と同じで、研究者たちはやる気満々で企業活動をしており、多くの企業はそれなりに成功している。

 このような中国の状況は、あまりにも急進的にみえる。中国と比べてしまえば、日本の大学の産学連携などはやっと入口に差しかかったところだし、国立研究機関の独立行政法人化も旧体制とほとんど違いがない。もちろん、国情が違うので単純な比較はできない。しかし、日本国内でものを考える限りは想像もできないような極端な姿を視野に入れておくことにも意味があるだろう



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日中科学技術政策研究討論会の開催
第1研究グループ研究員 伊地知寛博



 2000年8月25日に、中華人民共和国北京市の長富宮飯店において、「科学技術政策研究討論会」が開催された。本年は「日中科学技術協力協定」が締結されて20周年にあたる。また、本年1月には、当研究所と中国科学技術部科学技術発展促進研究中心(NRCSTD)*1との間で相互協力に関する覚書が更新され*2、今後より一層の協力や交流の推進が期待されている。そして、今回、日中科学技術協力協定の締結20周年を記念する行事の一環として、この研究討論会が開催された。
現在、日本では、次期「科学技術基本計画」を策定するための検討が行われており、中国においても、「第10次5か年計画」を策定する準備が進められている。また、日本では、来年に総合科学技術会議の設置や省庁再編、ならびに国立試験研究機関の独立行政法人化を控えている。一方、中国においては、近年、科学技術体制の急進的な改革が推進されており、大学や研究機関が集積する<高新技術産業発展区>などと呼ばれる地域に指定されているところでは、研究機関の企業化や、研究成果や人材を活用する起業の動きが著しい*3。そこでこのような状況を踏まえ、この研究討論会では、日中双方にとって現在とくに関心の高い、次の4つのテーマが選ばれた:
・新経済時代に向けた科学技術体制の改革
・ハイテクの産業化
・ハイテクパーク、サイエンスパークの発展
・国家科学技術戦略と政府の役割
この研究討論会では、各テーマごとに、日本方からは当研究所の所長をはじめとして研究員ら*4が、また、中国方からはNRCSTDの研究員らが報告を行い、その後、討論が行われた。中国方から討論に中心となって参加したのは、NRCSTDの所長や研究員らのほか、中国社会科学院、中国科学院、国務院発展研究中心などの研究者ら、ならびに科学技術部*5の専門家らであった。かなり積極的に議論が交わされ、参加者にとっては予定されていた時間が不足気味に感じられたほどであった。討論の内容の詳細については、紙幅の都合上記述を割愛するが、多くのテーマにおいて、まず中国方より、日本方からの発表の内容やあるいは日本の現状について詳細に尋ねられた。そして、これらの質問に対する日本方からの回答を踏まえて、日中双方に対してより議論を深めるような質問が提起され、今後考えていくべき政策課題が浮き彫りにされた。
日中両国は、社会・経済等の体制や状況がきわめて異なっている。しかし、この研究討論会において小林総括主任研究官がまとめとして述べたように、このような体制や状況に大きな相違があるがゆえに、むしろ相互比較を通じて、日本自らの問題点・課題についてより明瞭・明確になってくる部分がある、と考えられる。この研究討論会を契機として、今後、さまざまな場においてさらなる議論や意見交換などを通じて知的刺激を受けながら、日本の科学技術やイノベーションのシステムのあり方に対する理解・認識をさらに深めていきたい。

*1 NRCSTD: National Research Center for Science and Technology Development.
*2 政策研ニュース,No. 137(2000年3月号)参照.
*3 詳細については、政策研ニュースの本号(pp. 4-6)における、小林による記事『中国スピンオフ事情』を参照.
*4 当研究所からの参加者は、筆者のほかは次のとおりであった:青江 茂(所長)、小林信一(第2研究グループ総括主任研究官)、新舩洋一(第3調査研究グループ特別研究員)、花井光浩(情報分析課特別研究員).
*5 日本で言えば、さしずめ、「科学技術省」に相当する.




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Ⅲ.トッピクス


政策研での経験
(株)SEAソフトウェア開発部 陸 躍鋒




 私は1996年1月から1997年3月までSTA特別研究員として、政策研の第一研究グループで「企業における技術進歩と人的資源開発」に関する研究をさせて頂いておりました。その当時、私は、IT関連、技術予測などにも強く興味を持っていました。
 政策研での研究期間はわずか1年3カ月でしたが、私にはいつまでも心に残っています。この研究がきっかけで、日本の企業における技術進歩と人的資源開発に対する理解がより深くなりました。これまで、企業における技術進歩と人的資源開発に関する研究は別々に行うのが普通でしたが、私は、技術進歩と人的資源開発について一つの企業システム内での互いに制約と促進する要素の内在的な有機的関連性に注目して、そのシステムの内部構造とメカニズムの解明を目指していました。後藤先生をはじめ、政策研の皆様からのご指導、ご支援をいただいて約3000の会社について調査研究をしました。私がとても感心したのは政策研における研究の雰囲気です。いろいろな学術分野、いろいろな産業部門、いろいろな国からの人々がここに集まってきて、お互いに協力して、いろいろな視点から、いろいろな科学技術問題に対して研究・ディスカッションして、発信しています。政策研は創造的な思想の場、発信源としてますます重要な役割を演じて、注目されてきています。このような研究所のメンバーとして研究できたことはとても光栄で、誇りに思っています。政策研で学んだのは自分の研究分野のものだけではなく、先端技術に対する敏感性、異分野、異文化とのコミュニケーション、そして広域情報を収集、分析する能力です。
 1997年4月、私は株式会社エス・イー・エイ(Science and Engineering Associates Corporation, Japan、以下SEA)に入社しました。SEAは潮流計や海底探査機、深海調査用カメラをはじめとした各種海洋観測機器の輸入販売、メンテナンス、及びお客様に対するテクニカルアドバイスをしています。SEAは、事実、これまでにも海洋研究に欠かせない数多くのプロジェクトをサポートしてきました。例えば、深海底鉱物資源の調査、また地震予知を目的にした海底観測、さらには長期の気候変動を予測するための海洋観測等です。もちろん、その中には国家プロジェクトも多数含まれていました。この数年来、SEAは単なる観測機器の輸入販売に留まらず、独自のソフトウェア及びハードウェアのシステムを開発してきています。私は海洋情報システム、データ解析などのソフトウェア開発を担当しています。
 私はそれまでずっと大学、研究所で研究生活を送っていたので、会社で働く経験は全くありませんでした。あるきっかけで、私はSEA社長の中川氏と会いました。その当時、私は企業における技術進歩と人的資源開発に関する研究をしており、日本の企業システムを理解するために、日本の企業についてもっと知りたい気持ちがありました。さらに、政策研でよく開かれる先端技術動向調査、技術予測研究などのためのいろいろな研究会、報告会について関連資料もたくさんありました。私は21世紀の先端技術動向にとても関心を持っているので、いろいろ勉強しました。その中で気になったのは情報技術と海洋、環境技術の重要性と未来性でした。特に、北海道環境科学研究センターと北海道立中央水産試験場に調査訪問に行ったのがきっかけで、海洋、そして海洋科学技術に対して興味が高まりました。縁があって知りあったとき、私が情報工学出身で、長い研究生活で育てた能力と政策研の経験を持つことがSEAにも役立つことを確信した社長から、入社のお誘いを頂きました。
 もちろん、最初、企業、しかも日本の企業を全く分からない私としては、企業の生活に慣れるまでけっこう大変でした。これは単なる仕事内容の違いではなく、立場、考え方、コミュニケーションなども大きく違います。その時、政策研での企業に対する調査研究や、政策研での異分野、異文化とのコミュニケーション経験が助けてくれました。仕事面でも、海洋情報システム、海洋情報データ解析などは広く、しかも学際的な知識と能力が要求されています。技術の日進月歩に伴って、知識の陳腐化も早くなってしまいました。継続的に新しい知識と理論を勉強しなければならないと、私は実感しました。ここで、先端技術に対する敏感性、広域情報の収集、分析する能力などがまた助けてくれました。
 SEAに入社以来、私はいくつの研究・開発プロジェクトに参加しました。例えば、GPS(Global Positioning System)とディジタル海図を用いて、調査前の計画から、調査中のリアルタイム導航、そして調査後の航跡再生、分析まで海洋調査をサポートすることができる海洋調査用導航システム、表層から深海まで超音波により海流を測定して、リアルタイムデータ収集とデータのポストプロセスによってマルチプロートで海流情報を可視化することができるドップラー(Doppler)潮流計測システム、超音波を用いた二次元海底音響画像を作成し、海底面にある微細構造探査のほかに、漁場調査や沈没船、落下飛行機調査などの海底面上に存在する物体の形態把握に利用することができるサイドスキャンソナー(Side Scan Sonar)海底地形調査システムなどがありました。会社の皆で協力して努力した結果、私達が開発したこれらのシステムは日本で多くの海洋研究、調査者に使っていただいているだけではなく、海外にも輸出されています。去年、私は東京商船大学情報システム研究室の大島先生と一緒に、海底音響画像からの三次元構造の再構成に関する研究を行いました。この結果は今年6月海洋音響学会で発表して、専門家達から好評を得ました。今、特許出願の準備中です。最近、私はウェーブレット(Wavelet)を用いる海底音響画像のモザイク(Mosaic)に関する研究をしています。
 近年、環境科学技術領域をはじめ、いろいろな分野に日中技術交流が活発化しています。この背景で、SEAにも中国との技術交流、援助などが増えてきています。その中で、私は掛橋として自分の僅かな力を奉げています。
 今年3月に、私はイギリスのブライトンで開催されたOceanology Internaional 2000国際ショウに出席するためにイギリスに訪問に行きました。海洋科学と工業における世界で最大のイベントと言われるこの国際ショウは、全世界から約600社が出展しましたが、日本から出展した会社はSEAを含めて、ただ3社ぐらいでした。この現実を見た私は、日本の海洋科学技術はまだまだ発展途中だと思いながら、この分野で自分の能力をもっと発揮しようと意欲が湧いてきました。
 地球温暖化をはじめとする地球規模の気候変動、地震、自然災害などに対する予測、対策は人類にとって永遠の研究課題ですが、自分の仕事をこの研究課題に研究者と共に取り組むことと位置づけることができ、たとえわずかでも、役に立つことができるので、幸せだと思っています。仕事がいつも忙しくて、疲れますが、まだまだやる気がいっぱいです。去年、会社から努力賞を頂きました。これからも、日頃いろいろお世話になっている政策研の皆様のご期待に背かないように続けて頑張って行きたいと思います。


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−APECエンジニア羽ばたく技術士−
(社)日本技術士会 参事役 吉水 正義




○4万人の国家資格取得者−−技術士
 日本の技術者は、240万人とも250万人とも言われています。その中で、約4万3千人の特定の国家資格をもった技術者がいます。例えば、建設、経営工学、情報工学、応用理学、環境といった19部門での専門家で、その称号を技術士*1 といいます。
 最近、この技術士制度に国際的な展開に向けての大きな動きがあり、おおむねその方向が示されたので、ご紹介します。
○技術者の国際免許証
 海外に出かけるときには、パスポートが必要です。それでは、外国で道路や橋梁建設等の業務に従事する場合を考えてみると、いかがでしょうか。特定の部門での業務が海外でも遂行できるという国際的な免許証となるものがあって、お互いの国でそれを承認して使えると便利です。
○APECエンジニア
 このたび、APEC域内で参加各エコノミー*2 が検討し、APECエンジニアという資格を与えて、国際的技術者資格として相互に承認しようという制度*3 が合意されました。APECエンジニアという資格取得には次項のとおり5つの条件があります。①〜③は、日本の技術士であればおおむね合格する条件ですが、このほかに、④重要な任務についていたことが証明できる経験期間や、⑤技術者倫理教育を含んだ継続教育を一定期間に決まった時間(例えば、3年間で150時間)受けるといった義務があります。これに合格し登録されることにより、我が国の技術者が、APECエンジニアとしてAPEC域内諸国との相互承認のもとに相手国の国内業務に従事することが可能となります。もちろん、同じように我が国も相手国から承認された技術者を迎えることになるのです。
○APECエンジニアに必要な5条件
  ① 認定または承認されたエンジニアリング課程の修了
  ② 自己の判断による業務遂行能力の保有
  ③ 7年以上の実務経験
  ④ 重要なエンジニア業務における責任ある役割を2年以上遂行
  ⑤ 継続的な能力開発
(この他に、行動規範(Code of Conduct)の遵守も必要)

○アメリカ、ヨーロッパ等への展開
アメリカ、カナダ等にはNAFTAと呼ばれる協定があり、また、ヨーロッパにはFEANIという組織があって既に相互承認についての活動がそれぞれのもとで行われています。APEC域内ではエンジニアとしての相互承認制度は初めてですが、以前から制度の進んだイギリスの文化に影響を受けたオーストラリア、マレイシア等は国内制度の整備のみならず、国際的な交渉を行ない、契約を行なっています。
 APECエンジニアとの関連では、EFM*4 という組織体も活動しています。ここではAPECエンジニアの審議・検討の成果を取り入れて、活動領域を広げた範囲での相互承認への検討が開始されています。(社)日本技術士会*5 もこの組織体での検討に参加しています。これにより、我が国とアメリカ、ヨーロッパ等*6 との間にも技術者資格の相互承認が進むことが期待されます。
今後ますます国際エンジニアの資格が必須となるともいわれおり*7 、技術士のグローバルな展開が行われるようになると、APECエンジニア制度を軸とした相互承認制度により、世界各国での技術士の雇用増大がおおいに見込まれます。

○今後の展望
 我国の技術者のモラル教育のあり方を検討するため、(社)日本技術士会では、技術者の職業倫理に関する調査を行うこととなりました。我が国の倫理教育を含めた技術者の継続教育のあるべき姿を示すことにより、科学技術政策の立案に資することができるような結果を得たいと考えています。
科学技術政策研究所は、科学技術者の人材に係る調査研究、科学技術と人間社会に関する調査研究等多くの科学技術政策関連分野で知見・蓄積の豊富な研究所であり、技術士会における調査についてもご理解、支援いただくことができれば、国としての一貫した成果が見込まれますのでどうぞよろしくお願いいたします。
科学技術振興の推進にあたり、調整機能がいかに重要であるかといった議論がなされている折、これらの役割を技術士が分担する等により、科学技術政策研究所の一員であった者としてその一翼を担うことができれば望外の喜びです。


*1 (社)日本技術士会が科学技術庁の指定により試験を実施し、合格者の技術士登録事務を代行している。
*2 オーストラリア、カナダ、香港(中国),日本、韓国、マレイシア、タイ、ニュージーランドの8創立メンバのほか、パプアニューギニア、フィリピン、米国、ベトナム、インドネシアの13エコノミが参加している。
*3 APECエンジニア調整委員会は、APEC/HRDのもとにあって、参加各国のAPECエンジニアモニタリング委員会(日本の事務局は技術士会)が委員を派遣することによって構成され,幹事国(今年はカナダ)により運営される。
*4 Engineers Mobility Forum (Washington Accord と呼ばれる大学工学教育の同等性を承認する協定を結んでいる加盟技術者資格団体の集まり)
*5 (社)日本技術士会は、国(科学技術庁等)や関連の機関の協力を得て、APEC本部の制度発表と同時に平成12年11月1日(水)経団連の国際会議場で、「International Engineerの実現と期待(仮題)」というシンポジウムを開催予定。
*6 英国のPEが本制度による、日本での就業を期待している、という調査結果がある。
*7 「20年後に公共事業は半減することが予想されている。半分の技術者は海外で仕事を獲得せざるを得ない。国際的に通用する資格のないものが淘汰される。」という記事がある。(池田駿介東工大教授、JSCE, Vol. 85, Aug. 2000)

 




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Ⅳ.最近の動き


○ 主要来訪者一覧
○ レポート紹介