STI Hz Vol.3, No.4, Part.8:(レポート)「博士人材追跡調査」による2次分析の一例-NISTEP ディスカッションペーパー「女性博士のキャリア構築と家族形成」より-STI Horizon

  • PDF:PDF版をダウンロード
  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00107
  • 公開日: 2017.12.20
  • 著者: 小林 淑恵
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.3, No.4
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

レポート
「博士人材追跡調査」による2次分析の一例
-NISTEPディスカッションペーパー
「女性博士のキャリア構築と家族形成」より-

第1調査研究グループ 上席研究官 小林 淑恵

概 要

日本の科学技術人材に関する調査研究は、これまで機関調査によって大学等から報告される情報を集計し、時系列での変化を見る「第1世代の研究」にとどまっていた。より詳しい検証ができる「第2世代の研究」のためには個人調査によるクロスセクションデータが必要であり、さらに「第3世代の研究」のためには同一の対象者を継続的に観察したパネルデータが必要となる。そこで科学技術・学術政策研究所(NISTEP)第1調査研究グループでは、2014年に『博士人材追跡調査』(Japan Doctoral Human Resource Profiling, JD-Pro)を開始し、継続的なパネルデータの構築を試みている。本稿では、この初回個票データ(クロスセクションデータ)を2次分析した「第2世代の研究」の一例として、NISTEPディスカッションペーパーから「女性博士のキャリア構築と家族形成」の分析結果のハイライトを紹介する。今後、継続的にデータが蓄積されれば、諸外国同様にパネルデータを用いた「第3世代の研究」が可能となる。これにより日本の科学技術人材に関する研究は国際水準にまで高められ、より質の高い政策提言へとつなげることができる。

キーワード:博士人材,キャリア構築,パネルデータ,家族形成,女性研究者

1. 『博士人材追跡調査』の経緯と概要

社会科学におけるデータの種類と研究水準は大きく3つの世代に分けることができる注1。まず「第1世代の研究」では機関に対して調査を実施し、報告された集計データを取りまとめ記述統計を示し、時系列での変化等を明らかにするものである。「第2世代の研究」では個人に対し調査を実施し、回収した個票データ(クロスセクションデータ)を用いることで、時系列変化のみならず、多変量解析等を行うことで、詳しい因果関係の特定や検証を行うものである。「第3世代の研究」では同一個人を追跡的に調査し、パネルデータやコホートデータを構築することで、個人特性を考慮した上で、政策等の外的要因による影響を詳細に検証することができる1)

日本が第1世代の研究にとどまる中、米国、英国、フランスをはじめ、世界の主要国では、博士人材に限らず様々な教育段階を終えた者を追跡する、大規模な教育から社会への移行調査を実施し、パネルデータやコホートデータを70年代、80年代から構築している。米国国立科学財団(NSF)、米国国立衛生研究所(NIH)等によるSDR(Survey of Doctorate Recipients)調査、英国高等教育統計機関(HESA)、英国高等教育財政審議会(HEFCE)、英国研究会議協議会(RCUK)等によるLongitudinal-DLHE調査、フランスの資格調査研究センター(Cereq) によるGénération調査はその代表的なものである2)。継続的に蓄積されたパネルデータやコホートデータは第3世代の研究に用いられており、教育や科学技術人材育成の状況を示すエビデンスや、評価指標、また政策効果の検証等に幅広く活用されている3)

日本でも教育や科学技術人材育成に関する研究を推進するための、良質な研究データの構築は積年の課題であり、国の統計の専門的かつ中立・公正な第三者機関としての統計委員会においても、「教育から社会への移行調査」の必要性については繰り返し議論が行われていた。そこで科学技術・学術政策研究所(NISTEP)第1調査研究グループでは、2014年に『博士人材追跡調査』(Japan Doctoral Human Resource Profiling, JD-Pro)を開始し、諸外国の水準に並ぶパネルデータ(コホートデータ)構築の試みを開始した4)。『第1回 博士人材追跡調査』は、2012年度博士課程修了者コホートを対象に、博士課程修了1年半後の状況を調査したものである。調査対象者は、博士課程を設置する全ての大学で、平成24年度(2012年4月1日~2013年3月31日)に博士課程を修了した者全員で、博士学位取得の有無に関わらず、単位取得退学者も含んでいる。調査項目は様々な視点からの研究の基礎データとしての活用を想定し、基本的な個人属性、博士課程修了者のキャリアパスの状況に加え、博士課程での教育や経験、奨学金や研究費の獲得、論文・特許数、人口学的情報等、多岐にわたる。

既に、この1次集計報告書としてはNISTEP REPORT No.165を公開している。またこの個票データを用いた2次分析の成果、すなわち第2世代の研究を、2017年に、幾つかの論文としてまとめている5〜7)。今後、継続的にデータの蓄積が進むことによって、諸外国同様に第3世代の研究にまで、日本の科学技術人材に関する研究を高めることができ、より科学的なアプローチによる政策提案につなげることが期待できる。

以下の章では、2017年6月に公開した2次分析の一例として、女性博士のキャリアと家族形成の関係について分析を行った論文の概要を紹介している5)。就業やキャリアに関する博士課程修了者の特徴を男女別に示すとともに、結婚、子育てと言ったライフイベントによるキャリア形成への影響について、多変量解析により詳しい検証を行っている。

2. 女性博士のキャリア構築と家族形成

(1)労働市場にとどまる女性博士

前述のように、本論文では2012年度に博士課程を修了した者の1年半後の状況を調べた『博士人材追跡調査』の個票データ(以下、JD-Pro2012と言う)を用いている。博士の雇用の特徴を明らかにするために、JD-Pro2012から労働力率と失業率注2を算出し、総務省統計局『労働力調査』と比較している(図表1)。

博士の場合、特に大学や公的研究機関で雇用されている研究者のキャリアについては、「ポスドク問題」、「就業難」、「不安定雇用」と言ったネガティブなイメージが流布している。しかし男性博士の失業率は2.3%で、25-34歳の大学卒以上の者が4.0%であるのに比べ低い水準にある。また女性博士の場合は失業率3.1%と25-34歳の大学卒以上の者の2.9%に比べやや高いものの、労働力率は95.8%で、25-34歳の大学卒以上の者の81.4%に比べ著しく高い。博士課程での教育、研究トレーニングによって蓄積された人的資本の効果として、男性は失業率が低くなり、女性は労働市場への参加率が高まる状況にあることが分かる。

図表1 若年者の就業状況比較
(大学・大学院卒者と博士卒者の比較)図表1 若年者の就業状況比較(大学・大学院卒者と博士卒者の比較)

出所)大学・大学院卒者は『労働力調査』2014年度平均、博士の35歳未満はJD-Pro2012より作成。
(2)不安定な女性博士の雇用

JD-Pro2012から就業している者について雇用状況の男女差を見たのが図表2である。図表2aは雇用先機関の比率を男女別に示しているが、この比率が男女で大きく異なるのが「大学等」と「民間企業(法人)」である。「大学等」では女性の方が12.6ポイント高く、「民間企業」は逆に女性比率が12.6ポイント低い。それ以外の雇用機関においては大きな差はない。図表2bは雇用形態の比率を男女別に示している。女性の場合、「正社員・正職員」の比率が低く、「契約社員、嘱託、任期制」は女性が5.1ポイント、「パートタイム・アルバイト」では女性が6.9ポイント高くなっている。博士であっても、総じて男性の方が安定的な雇用状況にあり、女性は不安定な非正規雇用である場合が多いことが分かる。

図表2 博士の雇用状況の男女差図表2 博士の雇用状況の男女差 a 雇用先機関図表2 博士の雇用状況の男女差 b 雇用形態比率

出所)JD-Pro2012より作成。
(3)学位取得率の男女差

また、博士課程修了1年半後の学位取得率は、女性の方が男性よりも5ポイントほど低いことが分かる(図表3)。

図表3 学位取得の状況(性別)図表3 学位取得の状況(性別)

出所)JD-Pro2012より作成。
(4)家族形成によるキャリアへの影響

以上見たように、博士課程を修了した女性は高い確率で労働市場にとどまってはいるものの、博士課程修了1年半後の段階で、既に男性よりも学位取得や、雇用の安定性においてネガティブな差が出ており、今後、長い時間をかけたキャリア形成の間に、その差は拡大していくことが予測される。

「学位取得状況」、「現在の雇用状況(正規雇用か否か)」は博士課程修了者の初期キャリアの重要な指標となる。結婚や出産といったライフイベント(家族形成)によって、これらの指標にどのような影響があるか、分野や雇用先セクター等を考慮しつつ、ロジットモデルによる推計を行った。家族形成の状況は「婚姻上の地位」と「子供の有無」によって、「未婚」/「既婚(子供なし)」/「既婚(子供あり)」の3つに分けている。詳しいモデルの設定、及び推計結果はNISTEP DISCUSSION PAPER No.147を参照されたい。ここでは推計結果から得られた知見をまとめている。

①学位取得率への影響

学位取得率について推計を行った。明らかになった知見は、以下の通りである。

  • 全体では未婚よりも既婚である場合に学位取得率が高い。データが単年度であるために因果関係の特定はできないが、キャリアの節目として学位を取得してから、結婚や子供を持つことを選択している可能性が示唆される。
  • 女性は男性よりも学位取得率が低いが、結婚していても子供がいない状況では学位取得に対し有意差はない。子供がいる場合に学位取得率が低い傾向にある。
  • 分野別で見ると、工学系との比較において、農学でやや学位取得率が低く、医歯薬系で学位取得率が高い。文系、特に人文では学位取得率が低い。
②正規職雇用率への影響

雇用先セクターごとに正規職雇用率について推計を行った。明らかになった知見は、以下の通りである。

  • 「公的研究機関」と「その他」で女性の正規雇用率がやや低いが、それ以外のセクターでは有意差があるとは言えない。
  • 全体では、民間企業を除く全ての雇用先機関で、未婚者よりも既婚者で特に子供のいる場合に正規職率が高い。キャリアの節目として安定した仕事についてから、結婚や子供を持つことを選択している可能性が示唆される。
  • 「個人事業主」と「非営利団体」では、「既婚(子供あり)女性」の係数が大きくマイナスで、大規模な組織で得られる育児休業、時短勤務などのフリンジベネフィットを受けにくいことが影響していると考えられる。
  • 「民間企業」と「大学等」の場合、「既婚(子供なし)女性」、「既婚(子供あり)女性」で正規職率へマイナスの影響があり、特に「民間企業」で「既婚(子供あり)女性」のマイナスの影響が大きい。企業の中では子育て支援制度は整備され、仕事を継続することができたとしても、正規職の獲得というキャリア構築に際にし、家族形成が負の影響を及ぼしていることが分かる。
(5)政策的示唆

日本全体の研究者数は90万人とドイツ、フランス、英国などに比べて多く、特に企業の研究者比率が高いことが知られている89)。図表4のように、企業で働く女性研究者の数は2005年から2015年の間に1万人以上増えているが、比率に関しては6.4%から8.1%へ1.7ポイント増えたにすぎない。日本の女性研究者の比率を高めようとすれば、民間企業で雇用される女性研究者の数を相当に増やす必要がある。民間企業においては「くるみんマーク」の認定等を通じて、仕事と家庭の両立がしやすい職場の実現を官民一体となって進めているが、今後、こういった活動を一層、支援していく必要があろう。

図表4 組織別研究者数と女性比率:2005年ー2015年図表4 組織別研究者数と女性比率:2005年ー2015年

出所)総務省統計局『科学技術研究調査』より作成。
注)研究者数は、ヘッドカウント値を用いている。


注1 3世代の分類は、平成25年度『博士人材追跡調査』の助言委員会において、樋口美雄委員長(慶應義塾大学)からの御発言を基にしている。

注2 労働力率=労働力人口(就業者+失業者)/労働可能人口(15 歳以上)

  失業率=失業者数/労働力人口

参考文献

1) 現在、様々な分野で構築されているパネルデータについては、株式会社野村総合研究所「日本におけるパネルデータの整備に関する調査」(2012.3)が網羅的である。また、パネルデータの意義については北村行伸「パネルデータの意義とその活用」独立行政法人 労働政策研究・研修機構『日本労働研究雑誌』(No.551/June2006)等を参照。

2) 文部科学省科学技術・学術政策研究所NISTEP REPORT No.165:p6に詳しい。

3) Richard B. Freeman and Daniel L. Coroff (eds.) Science and Engineering Career in the United States-An Analysis of Markets and Employment, The University of Chicago Press (2009)等.

4) 文部科学省科学技術・学術政策研究所NISTEP REPORT No.165 http://hdl.handle.net/11035/3086

5) 小林淑恵「女性博士のキャリア構築と家族形成」文部科学省科学技術・学術政策研究所DISCUSSION PAPER No.147(2017.6) http://doi.org/10.15108/dp147

6) 小林淑恵「博士の入職経路の特徴と賃金・仕事満足度で見たマッチング効率の検証-「博士人材追跡調査」の個票データを用いて-」文部科学省科学技術・学術政策研究所DISCUSSION PAPER No.148(2017.6) http://doi.org/10.15108/dp148

7) 柴山創太郎・小林淑恵(2017)「博士課程での研究指導状況とインパクト-「博士人材追跡調査」による総合的な分析-」文部科学省科学技術・学術政策研究所DISCUSSION PAPER No.150(2017.6) http://doi.org/10.15108/dp150

8) 総務省統計局『科学技術研究調査』平成27年度実績。

9) 文部科学省科学技術・学術政策研究所 科学技術・学術基盤調査研究室『科学技術指標2017』調査資料-261(2017.8) http://hdl.handle.net/11035/3178