STI Hz Vol.3, No.1, Part.12: (ほらいずん)Society 5.0に向けた「文系」と「理系」の知の総合と発信-人文学の新潮流を踏まえて-STI Horizon

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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00073
  • 公開日: 2017.3.25
  • 著者: 坂下 鈴鹿
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.3, No.1
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
Society 5.0に向けた「文系」と「理系」の知の総合と発信
-人文学の新潮流を踏まえて-

科学技術予測センター 客員研究官 坂下 鈴鹿

概 要

 第5期科学技術基本計画が掲げるSociety 5.0を実現するためには、「文系」と「理系」の知の総合と発信が必要である。本稿では、グローバル化や自然科学の発達の影響を受けた人文学(文学、哲学、歴史学)の新潮流を踏まえつつ、異分野融合の環境整備の充実と社会人再教育の必要性について考察した。

1. 序

第5期科学技術基本計画や未来投資会議注1等の議論において、ビッグデータ、AI、IoTを駆使したSociety 5.0を実現することとされている。そのためには、科学技術の推進のみでは十分でなく、科学技術と社会との関係性が更に重要となる。

「科学技術基本計画」における科学技術と社会の関係についての章は、「科学技術に関する理解増進・関心喚起(第1期)」、「社会とのチャンネルの構築、倫理と社会的責任(第2期)」、「社会・国民から支持される科学技術(第3期)」、「社会とともに創り進める政策の展開(第4期)」、「科学技術イノベーションと社会との関係深化(第5期)」と変遷してきており、第5期では、科学技術と社会とを相対するものとして位置付ける従来型の関係を、研究者、国民、メディア、産業界、政策形成者といった様々なステークホルダーによる対話・協働、すなわち「共創」を推進するための関係に深化させることや、共創に向けた国民の科学技術リテラシーの向上と研究者の社会リテラシーを向上させることなどが主張されている。

科学技術と社会の関係は、期を重ねるごとに変化してきたものの、基本計画における「社会」が、研究者の周辺を指していたことは否めない。その際、人文・社会科学などのいわゆる「文系」は、「理系」である科学技術を支援する存在でしかなく、科学技術と社会の関係性を分析し、科学技術の進展を未来の社会に適切に橋渡しするための「文系」の役割は不明確であった。

本稿は、Society 5.0に向けた「文系」と「理系」の知の総合と発信の必要性と方策について、「文系」の中でも、もっとも「理系」から遠いと思われている人文学の新潮流を踏まえつつ、ひとつの考察を試みたものである。

2. 人文学の新潮流

2-1 「文系」の持つ「価値創造性」の今日的重要性

2015年の文部科学省通知注2を契機に「文系の危機」が世間をにぎわせたこともきっかけとなり、「文系」と「理系」の違いや「文系」の意義についての議論が活発となった。

吉見俊哉は、「役に立つ」には「目的遂行型の有用性」と「価値創造型の有用性」の二つの次元があり、前者が理系、後者が文系の知の得意分野であるとする。

 価値の尺度が劇的に変化する現代、前提としていたはずの目的が、一瞬でひっくり返ってしまうことは珍しくありません。そうしたなかで、いかに新たな価値の軸をつくり出していくことができるか、あるいは新しい価値が生まれてきたとき、どう評価していくのか。それを考えるには、目的遂行的な知だけでは駄目です。価値の軸を多元的に捉える視座をもった知でないといけない。そしてこれが、主として文系の知なのだと思います。

 なぜならば、新しい価値の軸を生んでいくためには、現存の価値の軸、つまり皆が自明だと思っているものを疑い、反省し、批判を行い、違う価値の軸の可能性を見つける必要があるからです。[1)75ページ]

2-2 「理系」の特徴

酒井邦嘉は、「自然科学では、重要度の評価を除けば個人の嗜好はできる限り排除される」、「文系が考え方の多様性や個性の違いを重視しがちなのに対して、理系はむしろ人間のこころの共通性・普遍性を基本
に据えようとする。」と述べる。

原理や法則に基づいて結果を予測することが科学の命であり、実験的結果に基づく検証によってその妥当性が確かめられる。法則は、「公式」や「実用」とは別次元の有用性を持っており、それ自体が自然に対する「考え方」や「哲学」という価値を持つのである。[2)61ページ]

ノーベル物理学賞受賞者のスティーヴン・ワインバーグは、「古代ギリシアの自然哲学者たちは『詩人』だった」として、古代や中世の科学を現代科学の視点から批判しつつ、現代科学について次のように述べている。

現代科学の結果は無機的で、人間的判断とは関係ない。インスピレーションや美的判断は科学理論を構築する際には重要だが、こうして構築された科学理論の証明は最終的に、中立的な実験によって行われる。(中略)科学とテクノロジーは相互に役立っているが、その最も基本的なレベルにおいて科学はいかなる実用とも無縁である。神や来世が存在するか否かはどのみち科学が論ずることではないが、科学の目標は、自然現象を純粋に自然現象として説明することである。[3)15-6ページ]

2-3 人文学の新たなアプローチ

C・P・スノーが『二つの文化と科学革命』において、文学のような伝統文化にはお座なりに挨拶するだけで通り過ぎようとする科学者と、熱力学の第二法則を説明できない人文学者を対比し、二つの文化の断絶を嘆いたのは、60年近く前のことである注3。しかし、この中で、「西欧のもっとも賢明な人びとの多くは、物理学にたいしていわば旧石器時代の祖先並みの洞察しかもっていない」[4)16-7ページ]とまで言われた人文学者が、いつまでもその状態にとどまっていたわけではない。

伝統的な知識や文化の保存と継承の重要性は論を俟たないが、人文学研究が進むにつれて、「文学理論」そのものに特殊な学問的統一性というものがないことを認めざるを得ない状況に至っている。テリー・イーグルトンは、西欧の現代文学理論を概説した『文学とは何か』のあとがきにおいて、西洋の伝統的な人文学は、特定の社会にしか通用しない価値を「普遍的」と名付け、普遍的価値の物質的基盤を無視して「文化= 教養」の重要性を過大評価し、鼻持ちならないエリート概念をはぐくんだ側面があると指摘した。

普遍的な価値の可能性を信ずる点において人文主義者は誤っていない。ただ普遍的な価値がいかなるものであるかは、今のところ誰にも正確には予測できていないのだ。なぜなら普遍的な価値を誕生させる物質的状況が、まだ到来していないからである。[5)下251-2ページ]

現代の人文学はどのようなアプローチに向かっているのだろうか。エドワード・W・サイードは、「わたしの関心は、実際に使える人文学、自分がなにをやっていて、学者としてなにに義務を負っているか知りたいと願い、その原理を自分が市民として生きている世界につなげたいとも思っている知識人や研究者にとっての人文学にある。」[6)8ページ]と述べつつ、文献学という基盤の重要性を指摘している。

現代の人文学者にとりわけ求められるのは、多様な世界と伝統の複雑な相互作用についての感覚を養うこと、そして属しつつ距離を置き、受容しつつ抵抗するという、先ほど述べた避けがたい組み合わせだ。人文学者に課せられた仕事は、ただ或る地位や場所を占めてどこかに属することではなく、むしろ自分の社会や誰か他の人の社会や「他者」の社会で問題になっている広く流布した考えや価値観に対して、インサイダーであり、かつアウトサイダーであることだ。[6)104ページ]

グローバル化が進む中、日本文学を日本語以外で、日本の外で読む、という時代が到来している(考えてみれば、我々日本人は、ずっとそうやって翻訳文学に親しんできた)。河野至恩は、そのような「世界の中の日本文化」を日本国内の視点からではなく「世界の読者」の視点から見ることについて、「比較文学」と「日本研究(=地域研究)」のふたつのレンズから紹介する。海外では、「日本文学の世界的な価値はなにか、日本の言語・文化・国家の境界の外に出したときにもちうる価値はなにか」[7)53ページ]という問いに答えることを迫られる。漱石や鴎外が偉大な作家であることは自明ではなく、それを読む・研究する理由や意義を説明する必要がある注4。「比較文学」のようなアプローチや「世界の読者」の視点には、「人間のこころの共通性・普遍性」を考えようとする「理系」的な姿勢がある。

岡本裕一朗は、西洋哲学の世界でも、20世紀末にはグローバル化(アメリカ化)によって、伝統的な独仏の哲学から英米系の分析哲学が中心になっていく流れがあり、また、20世紀に流行した哲学によって文化相対主義や歴史相対主義が主張されるようになったことから、道徳的な「善悪」、法的な「正義」、自然科学的な事柄にさえ、多様な意見・解釈があるだけで普遍的な真理はないと言われることもあったが、21世紀に入り、グローバル化を受け入れた上で、再び世界が新たな哲学形成に着手していると分析する。

具体的には、最近の認知科学、脳科学、情報科学、生命科学などの成果を取り込んだ「心の哲学」への転換(「自然主義的転回」)、コミュニケーションが行われるときの、物質的・技術的な媒体を問題にする「メディア・技術論的転回」、思考から独立した存在を考える「実在論的転回」という三つの方向性が活発に現れているという。

「自然主義的転回」や「メディア・技術論的転回」が「理系」的要素と切り離せないことは明白であるが、「実在論的転回」についても同様のことが言える。そのはじまりとされる、フランスの哲学者カンタン・メイヤスーの『有限性の後で―偶然性の必然性についての試論』は、「ヒュームの問題」として、「かくかくしかじかの物理学理論ではなく、物理学それ自体●●●●●●●が明日もなお可能であると私たちに保証してくれるのは何か」[9)144ページ]という問題を問うのである。

科学はまさしく、前に到来するものは前に到来すると――そして私たちよりも前に到来するものは私たちよりも前        ●●●●●●●●●●●●●●●   ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●に到来する●●●●●と――考えるからだ。そして、科学によって明るみに出された恐るべき現出のパラドクス●●●●●●●●[paradoxe de la manifestation]を形づくるのは、この思考の潜勢力であって、それ以外のものではない。そしてこの現出のパラドクスこそ、この二世紀、哲学が徹底的に考えるべきだったものなのだ――すなわちその問いとは、あらゆる実験に先立つ世界についての経験的認識はいかにして可能なのか、という問いである。[9)205-6ページ]

イスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』は、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグやマイクロソフト創業者のビル・ゲイツなどが称賛したと言われ、NHKがそれを報道したことから、我が国でも翻訳がベストセラーになっている。個々の領域の専門家からは異論もあるのかも知れないが、科学の視点も取り込んだ新しい歴史観は興味深い。著者は「歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。」[10)下48ページ]と述べる。

私たちの自由主義的な政治制度と司法制度は、誰もが不可分で変えることのできない神聖な内なる性質を持っているという信念に基づいており、その性質が世界に意味を与え、あらゆる倫理的権威や政治的権威の源泉になっている。これは、各個人の中に自由で永遠の魂が宿っているという伝統的なキリスト教の信念の生まれ変わりだ。だが過去二〇〇年間に、生命科学はこの信念を徹底的に切り崩した。人体内部の働きを研究する科学者たちは、そこに魂は発見できなかった。彼らはしだいに、人間の行動は自由意志ではなくホルモンや遺伝子、シナプスで決まると主張するようになっている―――チンパンジーやオオカミ、アリの行動を決めるのと同じ力で決まる、と。私たちの司法制度と政治制度は、そのような不都合な発見は、たいてい隠しておこうとする。だが率直に言って、生物学科と法学科や政治学科とを隔てる壁を、私たちはあとどれほど維持することができるだろう?[10)下41-2ページ]

2-4 自然科学の新たなアプローチ

一方、自然科学の世界でも、これまで対象としなかった人間の「意識」や「こころ」についての新たなアプローチが登場している。ひとつの例は、脳科学である。

イタリアの神経科学者ジュリオ・トノーニは、「意識」について、これまでに明らかとなっている事実に基づきながら、遺伝子や神経伝達物質からでもなく、ニューロンの活動量や同期度合いからでもなく、一般法則となる理論によって説明されるべきだと提唱している(「統合情報理論」)。この理論では、「意識」は、外界の無数の可能性のレパートリー(=情報量(ビット数))に支えられつつ、他の可能性を排除して、「一なるもの」として最大の情報を統合する一つの核において生まれるものと定義する。この点で、人間の脳は最速のスーパーコンピュータも到底及びもつかないほどの処理を行っており、物質的にはよりニューロンの数が多い小脳に意識が宿らないのは、小脳の各細胞がしている処理には、統合がないからとされる。

ある身体システムは、情報を統合する能力があれば、意識がある。[11)111 ページ]

意識を生み出す基盤は、おびただしい数の異なる状態を区別できる、統合された存在である。つまり、ある身体システムが情報を統合できるなら、そのシステムには意識がある。[11)126ページ]

3. Society 5.0に向けた「文系」と「理系」の知の総合と発信の方策についての一考察

3-1 異分野融合の環境整備の充実

ごく限られた側面からの考察ではあるが、人文学の世界にもグローバル化と自然科学の発展の影響があり、そうした中で、現代と未来の社会の課題に向き合おうとする新しい潮流が現れていることを紹介した。21世紀の人文学は、科学的な思考や実験・実証の意義を理解し、その存在を前提としている。他方、本稿では十分な例が示せていないが、生命科学や情報科学においても、伝統的な人文学が主題としてきた「こころ」(感情・意志)などの領域に踏み込むようなアプローチが進行している。両者が補い合い、融合する場面が今後一層増えていくのは自然なことである。

我が国は、西洋思想にも東洋思想にも深い伝統と知識を持ち、自然科学分野で世界トップレベルの実力を有しているが、この強みを総合力として発信できるよう、異分野融合の環境整備を充実させる必要があろう。異分野融合の具体的な方法としては、①人材育成や国際共同研究などを含めた文系独自の先端的な研究の充実、②分野横断的な共通の課題設定の取組、③日常的な異分野の人的交流、④異なる分野間の翻訳者の介在、などがしばしば挙げられる。

3-2 社会人再教育

さらに、企業、行政、メディア、NPOなど社会の第一線にいる社会人が、最先端の自然科学を学びなおし、専門的な理解に至らずとも、全体像と本質を把握できるような機会を増やすことも重要と考えられる。特に、「文系」で学んだ社会人にとっては、最先端の哲学や文学に触れることは個人でもある程度可能であるが、最先端の自然科学を独学で学ぶことは相対的に困難であろう。大学入学者のうち25歳以上の割合は、OECD各国平均が約2割に達し、社会人学生も相当数含まれる一方、日本人の社会人学生比率は1.9%と低く、Society 5.0に向けた課題のひとつである注5

なお、社会人再教育は、社会人側にとっての意義のみならず、教える研究者側にとっても、社会人学生の視点が刺激となり、社会との接点を持つ機会につながると考えられる。また、理系の研究者が、人文学を学ぶ機会を増やすことも望ましい。科学がいまだ十分にその対象とすることができていない社会や人間の複雑さ、多様性、普遍性などへの理解を深め、新たなインスピレーションを得ることが期待できる。


注1 平成28年11月10日に開催された未来投資会議では、第4次産業革命により様々な分野で国民生活を変革する可能性が起き始めていることを前提として、「優先的に取り組むべきアジェンダ」の最初の柱に「イノベーションの社会実装」を掲げた。
例として、
 ○医療・介護分野において、団塊の世代が75歳を迎える「2025年問題」を解決するため、予防・健康管理と自立支援に軸足を置くパラダイムシフトを通じて、健康寿命を延伸させるとともに、重介護者数を減少させる。
 ○移動・交通分野において、自動走行をいち早く定着させ、高齢者や地方の住民の方の買物等生活の移動に不便を来す方を減少させる。また、高速道路における隊列走行・自動走行やドローン配送を早期に実現し、人手不足を克服する物流革命を起こす等を挙げ、世界に先駆けてSociety 5.0を実現するとしている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai2/siryou1.pdf

注2 「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」(平成27年6月8日文部科学大臣決定)
問題となったのは以下の箇所である。
1 組織の見直し
(1)「ミッションの再定義」を踏まえた組織の見直し
 「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。
 特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfi le/2015/10/01/1362382_1.pdf

注3 ちなみに、スノーは文系と理系の断絶のみならず、基礎研究者と応用研究者の断絶についても指摘し、「大ていの基礎科学者が生産的な工業については寒々とするほど無知」であるとか「基礎科学者は社会現象についてあまり理解もなければ、強い関心も示さなかった」とも述べている。

注4 日本語を解しない世界の読者が、各国語に翻訳された日本文学に感動するには、歴史的にも文化的にも深いローカルな知識も前提としつつ、優れた翻訳がなされることも必要である。

注5 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/065/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/04/13/1356047_3_2.pdf 5ページ 出典:「OECD Stat Extracts(2012)」(日本の数値は「学校基本調査」と文部科学省調べによる社会人入学生数(4年制大学))

参考・引用文献

1)吉見俊哉、『「文系学部廃止」の衝撃』、2016年、集英社

2)酒井邦嘉、『科学という考え方』、2016年、中央公論社

3)スティーヴン・ワインバーグ、『科学の発見』、2016年、文芸春秋

4)チャールズ・P・スノー、『二つの文化と科学革命』、訳:松井巻之助、2011年、みすず書房

5)テリー・イーグルトン、『文学とは何か―現代批評理論への招待』、訳:大橋洋一、2014年、岩波書店

6)エドワード・W・サイード、『人文学と批評の使命―デモクラシーのために』、訳:村山敏勝、三宅敦子、2013年、岩波書店

7)河野至恩、『世界の読者に伝えるということ』、2014年、講談社

8)岡本裕一朗、『いま世界の哲学者が考えていること』、2016年、ダイヤモンド社

9)カンタン・メイヤスー、『有限性の後で―偶然性の必然性についての試論』、訳:千葉雅也、大橋完太郎、星野太、2016年、人文書院

10)ユヴァル・ノア・ハラリ、『サピエンス全史―文明の構造と人類の幸福』、訳:柴田裕之、2016年、河出書房新社

11)マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ、『意識はいつ生まれるのか―脳の謎に挑む統合情報理論』、訳:花本知子、2015年、亜紀書房