STI Hz Vol.2, No.4, Part.11:(ほらいずん)奇妙な動物を科学に生かすSTI Horizon

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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00059
  • 公開日: 2016.12.20
  • 著者: 矢野 幸子
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.2, No.4
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

ほらいずん
奇妙な動物を科学に生かす

科学技術予測センター 特別研究員 矢野 幸子

概 要

 ハダカデバネズミ(Naked Mole-Rat)は、マウスと同等の大きさながら約10倍の寿命を有し、自発的な腫瘍形成がほとんど認められないという不思議な動物である。本稿では、ハダカデバネズミに関する最近の興味深い二つの研究成果に触れる。一つ目は、ハダカデバネズミの皮膚からiPS細胞の作製に成功、腫瘍化耐性を持つことを見いだしたものである。二つ目は、ハダカデバネズミを使っての動物行動学的な研究の結果、哺乳類でのホルモンの個体間伝達を世界で初めて発見したものである。哺乳類にして真社会性を示す珍しい生態を持つ動物、ハダカデバネズミの研究とその潜在的インパクトに迫った。

ハダカデバネズミのiPS細胞は未分化で移植してもがん化しない

ハダカデバネズミはマウスと同等の10センチメートルの大きさでありながら、マウスの10倍の約30年という寿命を有し、自発的な腫瘍形成がほとんど認められない。一方、通常体細胞を初期化することで作製されるiPS細胞は、様々な細胞へと分化する多能性を持つことから細胞移植治療への応用が期待されているが、腫瘍化リスクがあり、未分化な状態で生体に移植されると奇形種を形成するという問題がある。

このような背景の中、2016年5月、北海道大学遺伝子病制御研究所の三浦恭子准教授と慶應義塾大学の岡野栄之教授の研究チームはハダカデバネズミの皮膚からマウスやヒトと同様の方法でiPS細胞の作製に成功し、その細胞は腫瘍化耐性を持つことを見いだした。詳細な解析の結果、ハダカデバネズミのiPS細胞ではがん抑制遺伝子「ARF」注1の活性化状態が保たれていることが分かった。また、iPS細胞の樹立時にARFを人工的に抑制したところ、「細胞老化」注2の状態になり、ハダカデバネズミ特異の細胞老化誘導機構による2重のがん抑制機構が働いていることが示唆された1)。この発見は将来的に人間にも応用できる新たながん化抑制方法の開発につながると期待されている。

ハダカデバネズミ

提供:北海道大学遺伝子病制御研究所2)

ハダカデバネズミの真社会性

三浦恭子准教授の研究室では、現在我が国で唯一ハダカデバネズミを研究材料として飼育している。ハダカデバネズミはアフリカ原産のげっ歯類で、その名のとおり体毛がほとんどなく、自然界では地中に穴を掘り集団で生活する。がんになりにくく長寿命という特徴以外にも、低酸素に対する耐性や低体温など、生物学的に興味深い様々な性質を持つ。

また、ハダカデバネズミはハチやアリなどに見られる「真社会性」と言われる社会を形成する珍しい哺乳類でもある。ハダカデバネズミは、一匹の女王と一〜数匹の王が繁殖を担い、そのほかの個体は、従属個体(ワーカー)として餌の調達、巣の維持、仔の世話などを担当する。ハダカデバネズミの従属個体はオスもメスも生殖器官が未発達にもかかわらず、女王の産んだ仔を育てる。従属個体が育児のモチベーションをどうやって得ているかはこれまで謎であった。

麻布大学獣医学研究科の菊水健史教授と大学院生の度会晃行氏及び前述の三浦准教授・岡野教授の共同研究によると、ハダカデバネズミの従属個体は妊娠期の女王の糞を食べ、糞に含まれる母性を促すホルモンが女王から従属個体へと個体間伝達して作用することで、従属個体は女王の産んだ仔の世話をするようになるという結果が得られている。昆虫では真社会性にはフェロモンが関与しているとしてよく研究されているが、哺乳類のホルモンの個体間伝達は世界初の新発見である3)。この成果は動物の利他的行動や社会性の進化を考える上でとても重要な発見である。

またハダカデバネズミの女王は、生まれながらにして決まった個体が女王になるのではなく、多くの従属個体の中の一匹があるとき変化して女王として繁殖を行うようになる。この変化のメカニズムについても研究が進んでいる。同研究チームは現在慶應義塾大学にて、従属個体の脳をMRIでスキャンし、従属個体が女王に変化する際に脳のどの部分が機能するかを確認中である4)。この研究は現代社会の親と子の関わりを議論する上でも重要である。

ハダカデバネズミのような珍しい特徴を持つ動物を対象にした基礎的な研究から、医療や社会に寄与する成果が得られているのが大変興味深い。今後の研究の進展が期待される。


注1 ARF とは代表的ながん抑制遺伝子の一つであり、がんの初期発生に重要な役割を果たす。

注2 細胞老化とは、体細胞にがん遺伝子を発現させたときになどに生じるがん抑制機構の一つ。

参考文献

1)北海道大学プレス発表記事「がんになりにくい長寿ハダカデバネズミから初めてiPS細胞作製に成功」2016年5月11日:http://www.hokudai.ac.jp/news/150611.pdf

2)デバ日誌@三浦研:https://twitter.com/deba_labo

3)麻布大学伴侶動物学研究室HP『真社会性を示すハダカデバネズミの従属個体の子育て行動は女王の糞を食べることで促進される』2015年10月22日:http://www.azabu-u.ac.jp/lab/va/va_007_i.html#info17

4)Nature News“Poo turns naked mole rats into better babysitters”20 Oct. 2015:
http://www.nature.com/news/poo-turns-naked-mole-rats-into-better-babysitters-1.18606

~コラム~
生物ナビゲーションの新学術研究領域への期待

ハダカデバネズミのような野生動物を実験室で飼育することにより、iPS細胞樹立や詳細な行動の観察からホルモンの個体間伝達という大きな発見が得られた。一方で、野生動物の行動をそのまま記録するという研究も、技術革新とともに拡大している。

動物行動学研究の領域では、動物の集団を追跡調査する「バイオロギング」という手法が用いられる。超小型のカメラやGPSや携帯型のデバイス、ウェアラブルなセンサーと記録装置、大規模神経活動計測装置など電子通信技術の目覚ましい性能向上により、人を含む動物の行動の詳細な記録が可能となりつつある。実際に、平成28年度から5年計画で文部科学省の新学術研究領域「生物ナビゲーションのシステム科学」が採択され、東北大学を中心に最新技術を駆使して生物の集団行動を解明する大型研究プロジェクトが発足した。この研究領域では、制御工学、データ科学、生態学、神経科学の専門家が集結して生物ナビケーション研究を進める。動物の集団としての追跡データが取得できれば、移動のためのアルゴリズムを応用してあらゆる移動を最適化し、予測・制御することへの応用が可能になる。ビックデータ、IoT、AIの大ブレイクがもたらすセンサー革命により、動物を対象にした研究は従来の動物行動学の枠にとどまらず、科学技術の進歩と相まって人間社会への貢献が期待できる形へと発展していく。ハダカデバネズミでの発見に限らず、様々な動物の集団を広くロギングすることで、また新たな発見が見いだされることを確信している。

参考)東北大学プレス発表記事「生物の移動の仕組みを科学する大型研究プロジェクトの発足 〜ヒトや動物の移動の予測と制御に期待〜」2016年7月27日
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20160727_01web.pdf

(矢野 幸子)