STI Hz Vol.3, No.2, Part.3:総合研究大学院大学 長谷川 眞理子 学長インタビュー深い専門性と広い視野の両立にむけた総研大の取組と、進化人類学が明かすより自然な社会像STI Horizon



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  • DOI: http://doi.org/10.15108/stih.00077
  • 公開日: 2017.06.25
  • 著者: 赤池 伸一、小林 淑恵、藤原 綾乃
  • 雑誌情報: STI Horizon, Vol.3, No.2
  • 発行者: 文部科学省科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

特別インタビュー
総合研究大学院大学 長谷川 眞理子 学長インタビュー
深い専門性と広い視野の両立にむけた総研大の取組と、進化人類学が明かすより自然な社会像

聞き手:科学技術予測センター センター長 赤池 伸一
第1調査研究グループ 上席研究官 小林 淑恵
第2調査研究グループ 主任研究官 藤原 綾乃

社会と科学技術の関係はますます深まっており、科学技術イノベーションの面においても、特定のディシプリン(学問分野)における基礎的研究の着実な推進と並行して、特定の学問分野に閉じない構成型の研究や、社会の課題を解決するような邂逅型の研究推進も求められている。

今回は、この「“社会的な課題の解決にむけた学際的なアプローチ”の視点を有する研究者の育成」について、今年度(2017年4月)より総合研究大学院大学(総研大)学長に就任なさった長谷川眞理子先生にお話を伺った。長谷川先生は進化人類学をベースとした分野融合の取組でも世界的に著名な研究者であると同時に、国家公安委員会の委員を務めるなど、専門性を生かした社会課題の解決にも積極的な研究者として知られる。

多様な研究所も教育に参加し、学生よりも教員数が極端に多い総研大では、博士課程前期一年目から第一線の研究者の中で“とがった”研究ができる反面、“たこつぼ”的な研究に陥る可能性もある。それを克服するために総研大として取り組んでいる「広い視野」確保のための各種の施策や、長谷川先生御自身の専門である進化人類学からの示唆など、広範にわたるお話を頂いた。

総合研究大学院大学 長谷川 眞理子 学長

総合研究大学院大学 長谷川 眞理子 学長

― 長谷川学長は、この2017年4月から総合研究大学院大学(総研大)の学長に就任なさいましたが、総研大の特徴について、お聞かせください。

やはり、大学の在り方自体が特殊です。総研大には、大学共同利用機関という日本が世界に誇れるトップレベルの19の研究機関が参加しています。これらの機関との緊密な連携・協力の下に、それら機関の優れた人材と研究環境を基盤として博士課程の教育研究を行っています。5年間一貫の博士課程が多いことや、各専攻の入学定員が3名程度で、一人の学生に2、3人の教員がつくという構成も特徴と思います。

この各種の研究機関・研究所は全国に分散しており、規模も小さいのですが、それぞれ“とがった”研究をしています。総研大に入学した学生の多くは、基本的には5年一貫で、そういった研究所に初日から急にミニ研究者として放り込まれ、どこにもいない“とがった”研究者を目指すわけですね。例えば、物理学系であれば、大型の装置を使った核融合の研究ですとか、ブラックホールの観測といった研究などを行っています。こういった研究は一般的に大学院生の段階では、なかなか深くたずさわれるものではありませんし、内容的にも“とがった”ものといえるでしょう。こうした方向は是非突き詰めてほしいところです。

ただ、この特徴は放っておくと短所にもなりえます。たこつぼ化してしまうわけですね。普通の大学でしたら、キャンパス内を歩いているだけでいろいろなものに接することができます。例えば、物理専攻であっても、構内で音楽や法律など全く異なる専攻の人たちを目にしたり、構内でコンサートが開かれていたり、そういったセレンディピティ(偶発性)というかオポチュニティ(機会)が豊富です。

総研大は世界最先端に触れることはできますが、それゆえに、そこだけに一点集中しがちになってしまうので、そこに「広い視野」を入れる、というのは至難の業です。ですから、我々教員としては積極的に、自分の研究・専門以外が見えるようにする、見ることを意識させる、ということに取り組んでいます。

その取組のひとつとして、新入生むけのフレッシュマンコースという3泊4日の合宿があげられます。まさにこの取材中にも70人程度がこの合宿を受講しています。これは一言であらわせば大学や各専攻のガイダンスなのですが、「広い視野」の観点で幾つかの工夫をしてあります。

例えば、教員ではなく先輩学生が新入生に専攻の説明を行うということ。これは先輩学生にとっては他の専門の方に自分の専門をどう伝えるかを考えてもらう訓練になっています。新入生も自分の専攻以外の専攻に質問するようになっているので、専門外のことを考える必要が出てきます。総研大は参加機関が多様ですから、人類学など文化系もあれば宇宙物理もあります。こうなると、思いもよらないような観点からの質問が出たりして、場合によっては答えに窮するような場面も見られますが、基本的には「お互い良く考えているな」と感心するような、質疑が交わされていて、教員からしても興味深いですよ。更に説明の後は、新入生が説明を評価するステップもあって「説明がわかりにくい」など辛辣なコメントもついたりします。でも、辛辣なコメントをつけた新入生もいずれは自分が先輩となって、説明をする立場にもなるわけで、評価する側・される側の両面を体験できるという構造にもなっています。

また、「研究者と社会」といった講義及びワークショップも設けています。いわゆる研究者倫理に関するものですね。これも、ともすると「こういうことはしてはいけない」という「べからず集」を紹介するだけになってしまいますが、「広い視野」や専攻の多様性を考慮して、なぜ倫理が必要かという根底の部分から考えてもらうようにしています。例えば、我々専門家は、一般の方が直接は検証しにくいような事柄について、その専門知識を生かして何らかの見解を示すことがあるわけですが、この専門家の意見が“正しい”ということをどのように担保するかなど、ディスカッションして、最終的に絵にまとめる、といったことを行います。

こういう合宿ですから、学生も大変疲れるのですが、皆喜んでくれていますし、そうした評判を受け、フレッシュマンコースが必修になっている専攻もあります。

― 研究者としての社会的な意味での基盤的な観点をしっかり教育しておくと、倫理講習なども「義務だから受ける」といった形とは異なって、前向きで研究者の人生にとって良い影響を及ぼしそうです。これらの仕組みはどのように構築されたものでしょうか。

総研大は、大学共同利用機関を中心とした専攻以外に、独自に「先導科学研究科(先導研)」を有しているのですが、こちらに科学史・科学哲学・科学社会学を専門とする人員を有しています。この構成員らの知見を基にして、単に「べからず集」を作るのではなく、「なぜ」を明らかにしようというスタンスが構築されました。先導研は、そもそもの設立理念に“科学、技術、社会の関係を深く考えること”を掲げていますので、まさにその専門性を生かしたものになっていますね。

基盤的な能力という点では、総合教育科目にある英語学習の講義もあげられるでしょうか。大学院にもなって英語学習の講義かと御不審に思われるむきもあるでしょうが、これにも実は仕掛けがあるのです。先ほどの先導研の話と本質的に関係する部分もあるのですが、英語そのものではなくて、英語を使って行われる国際的な研究者同士のコミュニケーション、その手法・考え方を勉強するという変わった講義です。

これは元々国立遺伝学研究所(遺伝研)が中心となって培われてきたものです。10年以上前に遺伝研の第一線で活動しておられる日本語ネイティブな研究者の方々の中で、国際的にアカデミックコミュニケーションをとるのに英語で議論を構築するという能力はやはり欠かせないというお話があって、それを受けて遺伝研が(遺伝研の研究分野とは全く異なる文系の)英語の先生を雇用して、研究者らとともに試行錯誤で開発してきたものを活用させていただいています。

これらの能力は御指摘いただいたように基盤的な能力で、研究者以外の別のキャリアパスをとる際にも重要な能力と考えています。5年一貫の博士課程や研究所でとがった研究をするという背景や、学位授与時点で卒業生の約6割がアカデミックポストを得ているということもあって、入学当初の学生の中には“研究者になれないと落ちこぼれ”という考え方をする人もいますが、そうではない。研究と社会の関わりに限定しても、その在り方は極めて多様で、研究機関で純粋に研究にたずさわるいわゆる「研究者」だけがキャリアではありません。もちろん、我々はとがった優秀な研究者も育成しますが、総研大で博士号をとったことで「知識人」として生きていけるようにしたい。そういう能力として、「専門性」「国際的視点」「広い視野」のかん養に組織として取り組んでいます。

― 研究機関の側から総研大の教育に対する要望などはあるのでしょうか。

各機関はその分野の最先端であることもあって、専門教育は任せてくれといわれていますし、我々も安心してお任せしています。主として専門教育以外が総研大の担当ですが、こちらは分野ごとの特性とも関連して多様な意見が出てきますので、単純にANDをとると成立しないため、総研大側でいろいろ考えることが多いですね。フレッシュマンコースについても「そこには出なくて良いから、研究の方を」という意見の先生もおいでだろうと思います。

私の実感としても、基軸になる専門性がないうちから、とにかく色んな分野のことを広く勉強しよう、としてしまうと、大成しないと思います。深い専門性と広い視野を持った知識人をT型人間と表現することもありますが、これもまずTの縦の部分、自分のコアとなる深い専門性があってではないでしょうか。複数の分野をまたがって活動し、あなたは何ができるのかと問われるときに核になっている専門領域はとても大事です。そういう観点では「まずは専門性」という立場も理解できます。

ただ、この辺りはやはりバランスですので、総研大としては「広い視野」や「国際的視点」などを、どのように提供するか提案していくことになります。あとは学生からの要望を引き出すことも重要だと考えています。

― 現状の研究はいろいろなものがディシプリンベースですので、確かにすごく若いときから融合分野を目指すとマージナルマンになってしまって、成果も出しにくければ職も得られない、ということになりそうですね。専門性と広い視野のバランスは難しそうです。

そうですね。総研大も新分野創生など試みてきましたが、先ほど申し上げたとおり、既存のひとつの専門分野で、深くしっかりと積み上げた基盤がないとT型は成立しません。やはりコアはいると思います。

一方、専門分野の中だけに閉じるのも駄目。異分野や周辺分野にひらめきを持てる研究者の絶対数がもっと必要だと思うのです。ただ、ここは教えて教えられるものでもなければ、最適なバランスを一方的に外部で規定できるようなものでもないと考えています。

そこで我々としては、とにかくオポチュニティを見せる・提供することにしています。学生に対していつもいろいろな道があることを示す。あなたの分野のホライズンにはこんなものがあるかもしれないということを見せる。その上で、それをつかんでみようとするものには全力でサポートする、ということですね。

例えば、連携協力を結んでいる国内外の大学・企業等へのインターンの設定、他の専攻を含んだ複合カリキュラムといった仕掛けや、総研大科学者賞というOBの姿を見せる仕掛けなども用意しています。

― 総研大科学者賞とは、どのようなものでしょうか。

これは、総研大のOBで科学者として活躍している方の中から、特に優れた業績を出している人々を表彰するもので、3年前から開始しました。総研大は来年で設立30年なので、受賞者は最年長でも50歳代の中堅どころの研究者が中心になります。

研究内容も極めてとがっていると同時に、経歴的にもストレートな感じではない方が多くて面白いですね。受賞者にはフレッシュマンコースで講演を頂いていて、そこで、「こんな姿もあるんだ」ということを学生に見せていただいています。

総研大は残念ながら、設立時に同窓会を用意しなかったので、OBを体系的・網羅的には管理できていないのですね。そういう意味でもこの総研大科学者賞は卒業生の足跡をたどる良いきっかけにもなっています。一般的にも研究者のキャリアパスは不明瞭な部分も多いと思います。科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の「博士人材追跡調査」や「博士人材データベース」なども活用していけると、在学生に対してOBの姿を示すために有用そうですね。

― 少し視点を変えて、長谷川先生御自身の御経歴・御専門についても伺わせてください。これまで総研大の観点で「広い視野」「国際的視点」の話を伺ってきましたが、長谷川先生も海外の大学で就職なさるなど国際的に活動をなさり、かつ、学問的基礎は進化人類学にありながら、社会心理学や政治学などとの分野融合に取り組まれており、国家公安委員会の委員などもお務めになりました。先生御自身のこうした御経歴・御専門から「広い視野」「国際的視点」などについて、お聞かせいただけますでしょうか。

私の専門は進化人類学というヒトの進化を扱う分野です。人類が生物としてどう進化してきたかを取り扱う学問ですね。とはいえ私は長いことヒトには興味がなく、ヒト以外の動物の方が好きだったのでヒトに近い動物ということでチンパンジーの研究をしていました。

40歳を過ぎたくらいでようやくヒトにも興味がわいてきて、認知心理学を研究している夫(編集者注:長谷川寿一東京大学教授)と一緒に、心理学でも進化心理学という分野が作れるのではないか、さらにヒトの生物的構造と、心理面、文化面も含めて人間進化行動学の分野を構築できるのではないか、ということで、そこから経済学、社会学も一緒になって進化生物学的観点から包括的に扱うようになってきました。

もちろん、最初から順調にキャリアや分野が開けていたわけではありません。総研大に着任するまでは進化人類学そのものを研究するポストではなく、一般教養として人類学の講義を行うポストを務めていたこともありました。そういった時期に、法律学など異分野の活動を間近で拝見したり、様々な審議会の委員を務めさせていただいたり、といったことを経て、御指摘の国家公安委員も拝命したりと、軸足は進化人類学に置きつつ、いろいろと模索も行ってキャリアと分野とを切り開いてきました。

進化人類学の良いところ、面白いところは我々の生物としての構造が、どういう舞台の中でできてきたかを明らかにできるところですね。種としてのベースラインをはっきりさせる学問ともいえるでしょう。

この観点から現在の科学技術を見てみると、ヒトという生き物は自らが産み出した科学技術や制度に生物としては全く追いつけていない。自動車ですらそうで、ヒトはあれだけの速度について行けるようにできていません。海外旅行の時差ぼけだって、ヒトの生き物としての仕組みが追いついていないから出てくる現象です。

育児を取り巻く問題などもそうです。ヒトという種は長く共同繁殖の仕組みで生きてきたのですね。共同繁殖は我が国でいうと江戸時代の長屋のような、共同体みんなで子供を育てるイメージです。そうすると今のように、マンションの一室で、お母さんが一人で赤ちゃんの面倒を見る、なんていう像はナンセンスです。“働くお母さんのための”育児支援、なんていうのも同じくナンセンスですよね。共同繁殖の世界の中ではみんながそれぞれに働いたり休んだり、できることをできる形でやっている。“働くお母さんのため”ではなく、“働きたいお母さんは働きたいように働ける”ようになっているべきです。

このように、生物としての仕組みからベースラインを把握した上で、現状「なぜ」こうしているのか、を考えていくと、どこに“ひずみ”があるか明らかにできる部分もあるので、制度設計などいろいろなものにも活用できる学問だと思います。ただ、社会は生物としての仕組みだけではなく、心理面や文化面も併せて成り立つものなので、ここには広い視野も重要になってきますね。

海外では社会心理学の研究者が制度設計など行政に知見を提供している例もあると聞きます。

― 海外と比較すると我が国の女性研究者の割合は低いという指摘があります。また、全体的にも女性研究者は男性研究者より少ないようです。何か生物的な面での知見はありますでしょうか。

直接の答えはありませんが、女性と男性は生物的には当然異なっていて、それが行動に影響を及ぼしている部分はあります。

例えば、ほ乳類の場合、女性は赤ちゃんを産んで育てるので、男性と比較してリスクを回避しようとする傾向があります。逆に男性はリスクテイクする、競争する傾向があります。こうした生物的なわずかの差が、いろいろな要因で増幅されて結果として、大きな差を生み出すことは、一般的にありそうですね。その上で、現代社会は男性中心に設計された部分があるので、競争を奨励する傾向があります。この枠組みの中では、女性も男性化していかないと評価されにくい・活躍しにくい箇所も多々あると思います。こうなると、無理のない姿からはどんどんかい離していきます。そもそも定時を過ぎた18時以降に会議があるというような形は、“専業主婦”という、つい最近できた女性の立場があって初めて成り立つような仕組みで、男女に関わりなく無理なく活躍できるようにするには変えていく必要があります。

ただ、こういった議論には注意も必要です。例えば、生物的に見た場合、何でもかんでも女性と男性が同数であるべきということもないと思うのですね。構造上男性が得意な分野なら男性が多いのも何らおかしくない。女性が得意なことであれば女性が多いのも自然です。やりたいという人がいたときに、ちゃんとオポチュニティが提供されさえすれば、必ずしも同数を確保する必要はありません。機会の平等が担保されていれば良い。一方、意思決定についてはもう少し難しくて、これはクリティカルマス分、女性がいることが必要かもしれません。先ほど申し上げたとおり、女性と男性では生物的に見たときの意思決定に対する態度の違いもありますので、女性がいるかいないかはまず大きな違いになります。さらに全体の中に一定数あると結果は大きく変わりそうです。実感としても、国家公安委員会はじめ、審議会でも女性一人では難しい場面が多いですが、一定数に達すると良い議論につながるように思います。

総研大の運営に限らず、「広い視野」を持った人材を育成するためには、社会としても、様々な選択肢を示すこと、オポチュニティを提供すること、手を挙げた人を支援する仕組みを用意することは重要ですね。

左から藤原、小林、長谷川学長、赤池

左から藤原、小林、長谷川学長、赤池