海洋酸性化研究の動向

河野 健
客員研究官

1.はじめに

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC@)第4次評価報告書1)では、「気候システムの温暖化には疑う余地がなく、20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどが人為起源の温室効果ガス濃度の増加によってもたらされた可能性が非常に高い」とされている。二酸化炭素は最も重要な温室効果ガスであり、大気中の二酸化炭素濃度は、「1750年以降の人間活動の結果、大きく増加してきており、氷床コアから決定された、工業化以前の何千年にもわたる期間の値をはるかに超えている」とされている。即ち、「工業化以前の二酸化炭素濃度が280ppmであったのに対し、2005年には379ppmに達しているが、これは、氷床コアから決定された過去65万年間における二酸化炭素濃度の自然変動の180ppmから300ppmをはるかに上回っている」と報告されている。

 温室効果ガスの排出の増加は、海洋や大気の平均気温のさらなる上昇や海面の水位上昇を引き起こすと考えられているが、それ以外にも海洋の環境に大きな影響を与えることが懸念されている。それは海洋の酸性化である。現在、海水のpHは7.6から8.2程度で、弱アルカリ性であるが、大気中の二酸化炭素濃度が増えると海洋にとけ込む二酸化炭素も増え、その結果、海水をより酸性に近づけてしまうからである。第4次評価報告書1)でも、「1750年以降の人為起源炭素の吸収は、海洋をより酸性化させ、pHは平均で0.1減少した」とされており、「文書で立証されていないながらも、海洋性殻形成生物とそれに依存する生物種に対して悪影響を与えることが予想される」とされている。近年では、そのほかの研究コミュニティからも、相次いで、海洋酸性化の進行が生態系に影響を与える可能性がある、との声明が発表され、警鐘が鳴らされている。

 本報告では、海洋酸性化研究の重要性と国内外の海洋酸性化研究の動向について詳しく述べる。

go to top

2.海洋酸性化研究の重要性

2-1 海洋酸性化のしくみ

 海水にとけ込んだ二酸化炭素ガス(溶存二酸化炭素)は水と反応して炭酸(H2CO3)となり、電離して炭酸水素イオン(HCO3)および炭酸イオン(CO32−)に形を変え、次式のような平衡関係を保った溶存物になる。

CO2+H2O ↔ H2CO3    (1)
H2CO3 ↔ H+HCO3 (2)
HCO3 ↔ H+CO32− (3)

 炭酸イオン、炭酸水素イオン、溶存二酸化炭素を合わせて全炭酸と称する。また、炭酸水素イオンと炭酸イオンの2倍の和を炭酸アルカリ度と言う。また、溶存二酸化炭素、炭酸、炭酸水素イオン、炭酸イオンを総称して炭酸系物質と言う。

 二酸化炭素が海洋中にさらにとけ込むと、(1)と(2)の反応が右に進み、水素イオン濃度が増加する。増加した水素イオンを使い(3)の反応は左の方向へ進み、炭酸イオンが減少する。その結果、炭酸水素イオンは増加し、炭酸イオンは減少する。例えば、大気中の二酸化炭素濃度が280ppmの時、炭酸は8μ mol/kg、炭酸水素イオンが1617μ mol/kg、炭酸イオンが267μ mol/kgとなるが、大気中の二酸化炭素濃度が560ppmとなると、それぞれ15μ mol/kg、1850μ mol/kg、176μ mol/kgとなるという理論計算2)もある。pHは水素イオン濃度の指標で、水素イオン濃度が増加すると低下する。上述の理論計算2)では、大気中の二酸化炭素が280ppmの時のpHは8.15となり、560ppmの時には7.91と計算される。中性の定義はpH=7とされているので、実態としては、現在弱アルカリ性の海洋がより中性に近づくことになるが、酸性度が増すことを意味するので、このような状態変化は一般的には「海洋酸性化」と称されている。

 図表1は、ハワイ付近において大気中の二酸化炭素濃度と海洋表面の二酸化炭素分圧およびpHを比較したものである3)。大気中の二酸化炭素の上昇に伴って海洋表面の二酸化炭素分圧も上昇し、pHが序々に下がっていることがわかる。

2-2 海洋酸性化が生態系に与える影響

 海洋には、殻や骨格が炭酸カルシウムから出来ている生物が生息している。例えば、サンゴの骨格はアラゴナイト(あられ石)という炭酸カルシウム結晶で構成されており、二枚貝の殻や円石藻という植物プランクトンの殻などは、カルサイト(方解石)と呼ばれる炭酸カルシウム結晶から出来ている。海洋の表層は、一般に炭酸イオンもカルシウムイオンも十分に濃度が高く、固体の炭酸カルシウムが化学的に安定して存在できる状態にある(炭酸カルシウムが過飽和の状態にある、と言う)。飽和度が1以下となれば、炭酸カルシウムの殻や骨格を維持しにくくなる可能性もあり、これらの生物にとってはこれまでに比して生息しにくい環境になると考えられる。図表2は、2006年9月にベーリング海東部陸棚域で観測された大増殖時に採取した円石藻の一種である。外側の円盤状の殻(円石)が炭酸カルシウムによって出来ている。左側の写真が健全な個体である。右側の個体は、外側の殻に変形がみられる。この個体が実際に海洋酸性化によって溶解したものと必ずしも断定はできるわけではないが、大増殖の際、活発に円石を作り出している時には局所的にpHが低下する場合があるという見方もあり、炭酸カルシウムの飽和度が下がれば、右のような状態になり易くなるであろうと考えられている。

 炭酸カルシウムの殻や骨格をもつ生物にとって棲みにくい環境になれば、以下のように特に生態系に影響を及ぼす可能性が懸念されている。

 ・植物プランクトンは食物連鎖の最下位に属する一次生産者である。また、動物プランクトンや貝類にも炭酸カルシウムの殻や骨格を持つ生物がいる。食物連鎖の下位に属する生物相が変化すれば、上位の生物相にも変化を引き起こし、水産業に影響を与えるなどの食糧問題につながる可能性がある。

 ・生物多様性に影響を与える可能性がある。例えば、サンゴ礁に影響を及ぼせば、サンゴそのものだけではなく、サンゴ礁に棲む生物にも影響する。

 しかし、これらは全て定性的な傾向あるいは可能性である。研究室内で行われる実験などで高二酸化炭素分圧下で培養すると円石藻の生育が阻害されるという研究などはあるものの4)、必ずしも十分な知見が蓄積されているとは言えない状態である。飽和度が1以下になったからといって、必ずしも直ちに貝や植物プランクトンの殻が溶け出すというわけでもない。また飽和度が1以上の状態であっても、低下しただけで影響がでる場合もある。実際の海洋においてどのような生物がどの程度の影響をうけるのかについてはまだほとんど未解明と言っても過言ではなく、特に定量的な議論には全く至っていない。

2-3 海洋の炭素循環が海洋酸性化に与える影響

 海洋酸性化は大気中に放出された人為起源二酸化炭素の増加によってもたらされると考えられている。大気中の二酸化炭素は色々なプロセスを経て海洋内部に取り込まれる5)

 まず海洋表面におけるガス交換でとけ込むが、これには大気─海洋間の二酸化炭素濃度差と、海水に対する二酸化炭素の溶解度が鍵となる。溶解度は水温が低いほど高くなる。また、冷却や結氷による高塩分水の生成により重くなった海水が表層から切り離され、中・深層へ輸送されるが、この時、同時に海洋表面でとけ込んだ二酸化炭素を中層・深層に運ぶ。このように大気からのとけ込みと循環による中・深層への輸送を広義に溶解ポンプと呼ぶ。

 また、生物活動も重要な要素である。有機炭素などによる軟組織を作る場合と、無機炭素による硬組織を作る場合の2種類の過程がある。植物プランクトンは光合成によって二酸化炭素を固定(有機炭素を作る)する。その遺骸などが粒子となって中・深層へ輸送される。これを生物ポンプという。この過程では、海洋表層では植物プランクトンが海洋中から二酸化炭素を除去し中・深層へ運ぶ効果がある。中・深層へ運ばれている間や海底堆積物の上部でバクテリアにより酸化され、無機の炭素となって海洋中の全炭酸を増加させる(全炭酸が増加すると二酸化炭素を溶かす能力は減ずる)。

 また、生物活動によって生成された炭酸カルシウムの殻や骨格(無機炭素)も、死骸や糞などの粒子となって海底へ沈降する。カルシウムイオン(Ca)から炭酸カルシウム(CaCO3)の殻や骨格を作る時には、炭酸水素イオンも使われ、この際に二酸化炭素を放出する(式(4))。

Ca2++2 HCO3→   CaCO3+H2O+CO2    (4)

 炭酸カルシウムは中・深層に運ばれると未飽和なので溶解し、海水中のアルカリ度を高くする。アルカリ度が高くなると二酸化炭素を溶かす能力は増加する。この過程はアルカリ度の変化を伴うためアルカリポンプと呼ばれている(図表3)。

 二酸化炭素の吸収は、海洋におけるこれらの物理的・化学的・生物学的な複合的なプロセスを経て決まるため、一様ではない。図表4は、1970年以降の約300万点の海洋表層の二酸化炭素分圧のデータを元に計算した、1年間あたりの大気─海洋間の二酸化炭素のやりとり(二酸化炭素フラックス)を示したものである6)。これは、いわゆる気候値で、年による吸収の度合いの違いなどは表現されていない。海洋酸性化の実態把握のためには、この気候値からのずれなどを詳細に調べる必要がある。

 これらによってわかるように、海洋酸性化研究には、大気中の二酸化炭素増加のモニターばかりではなく、海洋物理・化学・生物を複合した全球規模の海洋観測研究が必要である。国際的には、国際科学会議(ICSUA)傘下の海洋研究科学委員会(SCORB)および国際連合教育科学文化機関(UNESCOC)傘下の政府間海洋学委員会(IOCD)が共同でサポートしているInternational Ocean Carbon Coordinate Project(IOCCP)が、世界各国の二酸化炭素に関連する海洋観測の調整と情報交換の場を、Webベースで提供している。実際のデータはCLIVAR Carbon and Hydrographic Data Office(CCHDO)とCarbon Dioxide Information Analysis Center(CDIAC)から提供されている。

go to top

3.海洋酸性化研究の国際的状況

3-1 国際的な提言

 海洋酸性化は比較的新しい研究分野と言える。そのため、前述のように海洋酸性化の影響に関して具体的あるいは定量的な議論には至っていない。しかし、海洋生態系に何らかの影響を与えることは定性的には明らかと考えられ、研究者コミュニティから相次いで国際的な提言がなされている。

1)モナコ宣言7)
 2008年10月に、UNESCOや全米科学財団(NSFE)の後援の下、モナコにおいて開催された高二酸化炭素環境における海洋(The Ocean in a High-CO2 World)に関する第2回国際シンポジウムにおいて、参加した研究者らが、海洋酸性化に対する懸念とその現状と影響の研究を推進させるよう政策決定者に勧告するモナコ宣言を発表した。

2)国際学術団体インターアカデミーパネル(Inter Academy Panel)8)
 2009年6月に、国際学術団体インターアカデミーパネルが「大気中の二酸化炭素増加の結果、海洋酸性化が進行中であり、生物多様性に深刻な影響を及ぼす可能性がある」との懸念を示している。そして、二酸化炭素排出を減らすことのみが有効な対応策であり、2009年12月の「気候変動枠組条約第15回締約国会議」において酸性化の脅威が認識されるべきだ、と呼びかけた。

3)生物多様性条約事務局9)
 2009年12月に、生物多様性条約事務局が「海洋酸性化は復元には少なくとも数万年が必要で、現実の海洋生態系へのダメージは、緊急かつ急速な二酸化炭素排出削減によってのみ避けられる」との声明を発表した。

3-2 欧米における研究の推進

1)全米科学アカデミー10)
 米国では、海洋大気庁(NOAAF)とNSFEから委託をうけた全米科学アカデミーが2008年9月から18カ月の予定で、「Development of an Integrated Science Strategy for Ocean Acidification Monitoring, Research, and Impacts Assessment」と称する包括的なプロジェクトを実施している。このプロジェクトは、海洋酸性化が漁業や希少生物、サンゴやそのほかの天然資源に与える影響を調査するものである。海洋物理、海洋化学、生物学、政治学、工学などの学位を持つ12名(2009年2月現在)の専門家による委員会により運営されている。委員会は、海洋酸性化の生態系に対する影響に関する知識をレビューし、そのうち重要かつ鍵となる研究を洗い出し、最終的に政策決定者やサイエンスコミュニティに対して研究戦略を提示する計画となっている。

2)European Project on Ocean Acidification(EPOCA)11)
 欧州では、ベルギー、フランス、ドイツ、アイスランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、英国の9カ国から27の研究機関が参画し、海洋酸性化による生物学的・生態学的・地球化学的・社会学的な影響の理解を深めるための4年間の研究計画“European Project on Ocean Acidification”を2008年6月に発足させた。研究課題としては、以下の4つを挙げている。第1は、過去から現在までの海洋の時空間的な変化を知るための、海洋化学研究と主要な海洋生物についての生物地理学的研究、第2は、海洋酸性化が海洋生物にどのようなインパクトを与え、生態系にどのような影響を及ぼすかを定量化する研究、第3は、海洋酸性化がどう海洋生物地球化学と生態系に影響するかをよりよく説明するために、モデルを改良すること、第4は、これらの成果から、不確かさやリスクなどを評価し、政策決定者や一般社会向けに統合し提示すること、である。研究を推進するため、メンバーはコンソーシアムを組み、Executive Board、Science Steering Committeeを組織している。研究の方向やマネージメントについてScience Steering Committeeが助言し、コンソーシアムの定期会合で決定する。この決定はExecutive Boardによって実現化される。全体調整のため、フランス国立科学研究センターとパリ第6大学共同の研究ユニットである海洋研究室にProject Officeを持ち、担当者を置いている。また、データベースも公開し、啓蒙活動にも力を入れている。

go to top

4.日本における海洋酸性化研究

4-1 実験的研究

1)海洋酸性化が石灰化生物に与える影響の実験的研究12、13)

 この研究は、環境省地球環境研究総合推進費の課題で、2008年度から2010年度までの3カ年計画で実施されている。沿岸に生息する生物のうち、ウニ、貝類、サンゴなど炭酸カルシウムの殻や骨格をもつ沿岸性底生生物を、二酸化炭素濃度を高めた海水で飼育する実験を行っている。二酸化炭素濃度の微少な変化を制御できる機器を開発し、現実の海洋で起こると想定されている状況を再現することで、生物に与える影響を評価する。この研究では、「海洋酸性化が水産資源として重要な生物の幼生期に与える影響を明らかにすることから、栽培漁業技術を利用して漁業生産を確保するという適応策の可能性を考える」という、現状把握から一歩踏み込んだ目的を設定している。研究体制は、(独)国立環境研究所、京都大学、(独)水産総合研究センター、産業技術総合研究所、琉球大学から構成されている。国際的にはIOCCPと協力している。

2)海洋酸性化の実態把握と微生物構造・機能への影響評価に関する研究14)

 この研究も環境省地球環境研究総合推進費の課題で、2008年度から2010年度までの3カ年計画で実施されている。pHを精密に測定する手法を開発し、また既存のデータを収集し統合して酸性化の実態を把握すること、さらに、海洋酸性化が海洋微生物に及ぼす影響について、主として培養実験によって明らかにすることを目的としている。この成果に基づいて、最終的に「国際的な二酸化炭素排出削減施策への政策支援を行う」としている。この研究の成果として、すでに日本近海でのpHの低下が明らかとなっている(後述)。研究体制は筑波大学、気象研究所、(財)日本水路協会から構成されており、国際的にはICSUAが主催する地球圏─生物圏国際協同研究計画(IGBPG)およびSCORBがともに後援する海洋生物地球化学・生態系統合研究(IMBERH)の関連研究と位置づけられている。

4-2 実海域観測による研究の成果

1)外洋における炭酸カルシウムの飽和度

 第2章で述べたように、海洋生態系への影響を測る指標の一つとして炭酸カルシウムの飽和度が挙げられる。飽和度が1以下は炭酸カルシウムを殻や骨格とする生物にとってはより好ましくない状況であると考えられている。炭酸カルシウムの飽和度は、現場の水温および圧力、炭酸イオンおよびカルシウムイオンの濃度で決まるが、炭酸イオンとカルシウムイオンの濃度が一定の場合、水温が低くなると飽和度が下がり、圧力が高くなっても飽和度は下がる。カルシウムイオンは現場の塩分から推定することができる。そのため、一般的な圧力、水温、塩分のほかに炭酸系物質のパラメータ(全炭酸、二酸化炭素分圧など)を計測することで、飽和度を計算によって求めることができる。

 図表5は海洋地球研究船「みらい」によって2007年に実施された、東経179度に沿った観測線における炭酸カルシウム(アラゴナイト)の飽和度を示す。縦軸は深度、横軸が緯度である。太い線が飽和度1の線を示す。飽和度1の線より浅い方は、アラゴナイトが過飽和の状態であることがわかる。炭酸カルシウムの殻や骨格をもつ生物は、太陽の光が届く浅い領域(有光層:外洋では高々深度200m程度)に多く生息するため、まだ現状の外洋は、必ずしも「酸性化が進行し危険な状態」というわけではない。

 しかし、同じような観測線は、1992年から1993年に米国の海洋調査船によって調査されている。その時に得られた炭酸系物質のパラメータやそれらから計算された炭酸カルシウムの飽和度を今回の結果と比較すると、人為起源二酸化炭素濃度が高くなっている所で飽和度が下がっている、という事実が判明している。

2)日本近海におけるpH15)

 気象庁は、海洋気象観測船によって毎年定期観測を行っている。筑波大学と気象研究所は前述の環境省地球環境研究総合推進費によって、この定期観測の結果を解析した。その結果、東経約137度、北緯30度の紀伊半島沖の海洋表面では、過去26年間にpHが約0.04低下したことが判明した(図表6)。産業革命後200年間でのpHの低下は0.1程度と考えられているので、近年はpH低下のペースが速まっている、と結論づけられている。

3)北極海における炭酸カルシウムの飽和度

 カナダ漁業海洋省海洋科学研究所と (独)海洋研究開発機構の共同研究チームは、北極海において炭酸カルシウムの飽和度が、1997年に比べ2008年には低下しており、さらに炭酸カルシウムの飽和度が1より小さい海域が、北極海カナダ海盆域中央部に広がっていることを示した16)(図表7)。

 現在、北極海では急激な海氷の融解が問題となっている。表面を覆っていた氷がとけ、海水が直に大気と接触するようになり、大気─海洋間のガス交換が活発化することも酸性化を進める一つの要因となっている。

 また、海氷が溶けた水(海氷融解水)は真水に近く、炭酸イオンおよびカルシウムイオン濃度が低くアルカリ度も低い。この海氷融解水が混ざるため、海水が希釈され、飽和度を小さくする効果がある。北極海カナダ海盆で飽和度が1以下になる海域ではアルカリ度も低い。これは、この海域の飽和度の低下に、海氷融解が強く影響していることを示している。

4-3 数値シミュレーションによる研究成果

 2013年から2014年に発表が予定されているIPCC@第5次評価報告書へ寄与し、気候変動対応策へ科学的基礎データを提供することを目的として、文部科学省によって「21世紀気候変動予測革新プログラム」が5カ年計画(2007年度〜2011年度)で実施されている17)。このプログラムでは、IPCC@で提示されている種々の二酸化炭素排出のシナリオに基づいた将来予測を、「地球シミュレータ」を活用して算出している。この中では、炭酸カルシウムの飽和度の変化も予測されている。

 図表8は、大気中の二酸化炭素濃度が450ppmで安定した場合の計算例であり、21世紀末のアラゴナイト飽和度の分布を示している。酸性化の進行は基本的に大気の二酸化炭素濃度の上昇に依存するが、北極海・南極海や北部北太平洋など、高緯度の海域で炭酸カルシウムの未飽和の状態がより早くあらわれると算出されている。北極海では、温暖化による海氷の融解によって酸性化が進行するとされており、これは、前述の北極海における観測結果ともつじつまが合う。

go to top

5.おわりに

 海洋酸性化は比較的新しい研究分野である。定性的には、酸性化は、炭酸カルシウムの殻や骨格を持つ生物に影響を及ぼし、またpHが低下すること自体がそのほかの海洋生物に影響を及ぼす。その結果、食糧問題など我々の生活に影響を及ぼす可能性もあるが、新分野であるため、酸性化の現状に関する知見も、また、酸性化が生態系に与える影響に関する知見もまだ不十分である。海洋酸性化は大気中に放出された人為起源二酸化炭素の増加によってもたらされると考えられている。大気中の二酸化炭素は、さまざまな物理的・化学的・生物学的なプロセスを経て海洋内部にとりこまれるため、海洋酸性化の研究には、広い視野に立った包括的な研究が必要である。

 日本では、4-1章で述べた環境省地球環境研究総合推進費による取り組みが比較的規模が大きく、酸性化が生物に与える影響を実験的に調査する研究と実海域での現状を把握する調査研究、および必要な機器開発を組み合わせたものとなっている。今後は、海洋酸性化が生物に及ぼす影響、ひいては我々の社会生活に及ぼす影響までを考慮すれば、生態学的な基礎研究に加えて社会学的な視点の研究も必要となる。IPCC@第4次評価報告書に引用されている論文の調査18)によれば、日本は影響調査(IPCC@の第2作業部会の分野)の活動が弱いことが指摘されている。我が国でも欧州に見られるような、社会的影響調査も視野に入れた分野横断かつ機関横断的な研究の枠組みがより必要とされるだろう。

謝辞

 本稿を執筆するにあたり、(独)海洋研究開発機構の深澤理郎領域長、才野敏郎プログラムディレクター、原田尚美チームリーダー、菊地隆チームリーダー、村田昌彦主任研究員、石田明生主任研究員、西野茂人技術研究主任の協力を得ました。また、カナダ漁業海洋省海洋科学研究所の川合美千代博士から貴重なコメントを頂きました。気象研究所の緑川貴室長からは資料とデータを提供して頂きました。ここに感謝いたします。

略号

@IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change

AICSU:International Council for Science

BSCOR:Scientific Committee on Oceanic Research

CUNESCO:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization

DIOC:Intergovernmental Oceanography Commission

ENSF:National Science Foundation

FNOAA:National Oceanic and Atmospheric Administration

GIGBP:International Geosphere-Biosphere Programme

HIMBER:Integrated Marine Biogeochemistry and Ecosystem Research

go to top


1) IPCC編、気候変動2007 IPCC第4次評価報告書-政策決定者向け要約- 邦訳版

2) Feely, A. R., C. L. Sabine, T. Takahashi, and R. Wanninkhof:Uptake and Storage of Carbon Dixide in the Ocean:The Global CO2 Survey, Oceanography, 14(4), 18 - 32, 2001

3) Feely, A. R., S. C. Doney, and S. R. Cooley:Ocean Acidification. Present Conditions and Future Changes in a High-CO2 World. Oceanography, 22(4), 36 - 47, 2009

4) Riebesell, U.,:Effects of CO2 Enrichment on Marine Phytoplankton. Journal of Oceanography, 60, 719 - 729, 2004

5) 野崎義行著:「地球温暖化と海」、東京大学出版会

6) Takahashi, T. et al.:Climatological mean and decadal change in surface ocean pCO2, and net sea-air CO2 flux over the global oceans. Deep-Sea Research II, 56, 554-577, 2009

7) モナコ宣言:http://ioc3.unesco.org/oanet/Symposium2008/MonacoDeclaration.pdf

8) IAPによる声明:http://www.interacademies.net/Object.File/Master/9/075/Statement_RS1579_IAP_05.09final2.pdf

9) 生物多様性事務 局声明:http://www.cbd.int/doc/press/2009/pr-2009-12-14-marine-en.pdf

10) 全米科学アカデミー:http://www8.nationalacademies.org/cp/projectview.aspx?key=49047

11) EPOCAウェブサイト:http://www.epoca-project.eu/

12) 環境省地球環境研究総合推進費 研究計画書(B084):http://www.env.go.jp/earth/suishinhi/jpn/projects_underway/pdf/B084.pdf

13) 諏訪僚太ほか、海洋酸性化がサンゴ礁域の石灰化生物に及ぼす影響、海の研究、19(1)、21 - 40, 2010

14) 環境省地球環境研究総合推進費 研究計画書(F083):http://www.env.go.jp/earth/suishinhi/jpn/projects_underway/pdf/F083.pdf

15) 緑川貴ほか、「太平洋における海洋pHの高精度各層観測による酸性化の実測」、環境省地球環境研究総合推進費「海洋酸性化の実態把握と微生物構造・機能への影響評価に関する研究」中間報告書

16) Michiyo Yamamoto-Kawai, F. A. McLaughlin, E. C. Carmack, S. Nishino, K. Shimada:Aragonite Undersaturation in the Arctic Ocean:Effects of Ocean Acidification and Sea Ice Mel, Science, 326, 1098 - 1100, 2010

17) :http://www.kakushin21.jp/jp/

18) 前田征児、日引聡、地球温暖化問題に対するサスティナビリティサイエンスの研究動向―IPCC第四次評価報告書に対する日本の貢献度から見た課題―、科学技術動向、84

go to index