我が国の国際産業競争力を支える
人材の育成

―基幹産業としての鉄鋼業を例とする人材育成モデル―

千田 晋
客員研究官

1.はじめに

 各国の人口動態のうち、15 歳から64 歳の労働力人口の2030 年に向けた推移を見ると(図表1)、中国およびインドは10 億人程度へ増加することが予想されている。 この間、米国は2 億人程度、日本およびロシアは8 千万人程度、ドイツは5 千万人程度、英国は4 千万人程度で、大きな変化はない(構成の変化・平均年齢の高齢化は考慮していない)。工業化の指標として国民一人当りの鋼材消費量を見てみると、現在のインド(全人口約12 億人、粗鋼生産量4,400 万トン)の一人当りの鋼材消費が2030 年に現在の世界平均140kg の半分になると仮定すると、インドだけでも人口が増加しなくても4,000 万トンの需要増となる。4,000 万トンという量は、現時点で世界2 位クラスの日本の鉄鋼企業(新日本製鐵(株)あるいはJFE スチール(株))の粗鋼生産量を上回る。

 これからの20 年の鉄鋼を取巻く環境の変化については、このような人口動態と鋼材の相関を見ただけでも、産業競争力を維持向上しようとすれば、技術開発による品質の向上策のみでなく、世界的な産業構造の変化についても十分な配慮をしなければならないことは明らかである。2030 年に向けた鉄鋼業の最も大きな課題は、このような大きな環境の変化への対応である。そこでは総合的な技術力が求められ、長期の漠然とした人材教育ではなく、20 年程度の中期的で具体的な産業人材育成を検討する必要がある。

 これまで日本の鉄鋼業は品質優先策をとり、新興国の量的伸びに支えられて成長し、ユーザーであるメーカーの生産拠点の海外移転にも対応してきた。2030 年に向けて大幅な鋼材需要増が見込まれるが、今後も鉄鋼業で日本が世界の優位に立つための戦略として、リサイクルを含めたグローバルな鋼材サイクルの構築が必要である。世界の動向としては、欧州では材質マーキングに基づくリサイクルシステムに関心がある一方で、混合されたスクラップからの素材回収には関心が低く、リサイクル技術の進展も見られていない。また、米国においては、リサイクルシステムとしての原材料スクラップ供給体制が整備されておらず、製錬技術が活かされていない2)。グローバルな鋼材サイクルのなかで、優れた製錬技術を背景に持つ日本の鉄鋼業は要の役割を果たさなければならない。そのためには、国内で培った製錬技術を積極的に海外で活かし、グローバルなリサイクルシステムを構築できる総合技術力を持つような、中核技術人材の育成が課題である。

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2.人材育成におけるバックキャスティング

 IMD 注1)のランキングによれば、我が国の国際競争力は、1990 年代にはトップクラスであったが、2002 年には27 位に低下し、その後2006 年に一時的に16 位まで上がったが、2007 年には再び24 位に低下した。また、日本経済研究センターによれば、経済の潜在競争力においても、2006 年12 位、2007 年13 位と低迷している。このような背景から、ここでは国際産業競争力の向上を目的とする産業人育成に焦点を絞り、生涯学習プログラムの検討という意味ではなく、技術経営の核となる考え方である“バックキャスティング”の視点で人材育成を見直してみたい。バックキャスティングとは、スウェーデンの環境NGO ナチュラル・ステップの創始者であるカール・ヘンリク・ロベールが、過去からの延長で現在以降の展開を検討する“フォアキャスティング”手法では環境改善が望ましい方向に向かわないとして、それとは反対に、理想とする出口から振り返って現在のポジショニングをする、という概念を提示したものである。

 すなわち、本稿で述べる“人材育成におけるバックキャスティング”とは、産業の競争力を支える核であることが期待される30 歳代後半から40 代の職業人の“理想”を描き、そこに到る人材育成プログラムを逆戻りして構築することを指す。産業人として必要な素養や知識を、どの段階で身につけるべきかを考えることにより、各産業・各業種に応じた人材育成策が構築できるものと考えられる(図表2)。つまり、30 歳代後半から40 代の職業人がこの年代に高い労働生産性を成すことを目的として、その数年前の段階ではどこまでの内容を身につけるべきか、さらにその数年から10 年前である20 代後半から30 歳程度までにはどのような専門性や一般知識が前提とされるべきか、などを分析することで、いわゆる“出口を想定した”育成プログラムを構築できる。さらに、大学を卒業し社会に出てから数年後の段階で前提となる資質・素養が身についているためには、学部卒業・修士修了・博士修了の各時点で期待されるレベルがおのずと定まってくると考えられる。

 2030 年に鉄鋼業界で中核となるべき技術者像として、十分な専門知識を備えていることに加えて、総合力の発揮と異分野とのコラボレーションによるイノベーション開拓能力が期待される。そのためには、30 代では、それまでの職歴に応じた専門性に加えて、周辺技術の知識やマネジメントに関する素養も身につけておく必要がある。また、遡って20 代においては、“大学で学んだ専門”分野の知識に加えて、鉄鋼に関する広範な知識と考え方を整理して理解しておかねばならない。現在の20 代の育成を2030 年の産業競争力につなげるためには、若手の人材育成の議論の場において“出口”を定めて具体的に要件を挙げていくことが必要であり、各社の社内もしくは業界としての育成プログラム構築へつなげる議論が必要である。大学までの教育カリキュラムの成果と上記の要件との“ギャップ”が明らかとなることで、産学が連携して取組むべき職業人材育成内容が初めて明確になると考えられる。

 図表2 には、2030 年に40 代となる鉄鋼業の中核エンジニアを想定した場合に見出される、鉄鋼業界の求める人材像と現状の大学教育による人材とのギャップも示している。一方、2030 年の中核エンジニアには、第4 章に後述する“グリーン製鉄”や“第3 世代製鉄”に対応できる要素技術(リサイクルシステム構築、トランプエレメント処理技術、成分濃縮技術、CO2 回収・利用技術等)を総合的にマネジメントできる能力が必要であり、専門技術分野に加えてMOT(Managementof Technology:技術経営)の考え方を早期に理解・修得すべきである。MOT は本来、社会人教育というよりむしろ大学での工学教育で充実すべき分野であると考えられる。MOT の基礎として特に産学連携によるプログラムとして取組む課題は、課題発見・解決力、産業社会のマクロ把握である。このようにして産学間ギャップが埋められることにより、即戦力として博士課程修了者を位置づけることが可能となる期待もある。

 以下では、産官学連携の人材育成パートナーシップ事業の鉄鋼材料分野での議論ポイントと、これまでの鉄鋼業界における取組みならびに新たな取組みを概観する。また、産業競争力向上を目的にした場合、産学の間のギャップをどのように埋めることが期待されているのか、さらなる課題はどこにあるのかなどについて考察する。

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3.人材育成に関わる議論

3-1 産学連携人材育成パートナーシップ事業等における議論

 日本経済が持続的で力強い成長を実現するとともに、国民一人ひとりが豊かで充実した生活を享受できることを目的に、2007 年度より、文部科学省と経済産業省との共同事業として、産学人材育成パートナーシップ事業が創設された3)。本事業では、9 つの産業分野を対象に具体的な産業人材育成方策が検討され、材料分野も重要な分野のひとつとして積極的な検討が進められている(図表3)。材料分科会(事務局:(社)日本鉄鋼協会)では、産業界および教育界それぞれにおける課題および解決に向けて積極的な対話が展開され、産学が連携して対応すべき具体的な取組みについて提案された。

 その中間報告には、以下のような内容が記載されている。(以下は、筆者による参考文献3)の要約である)


我が国は、国際的に競争力のある製品を海外へ輸出することにより存立する貿易立国であり、最終製品の基礎となる素材・材料の品質レベルを高位に安定的に維持するとともに、将来に向けた革新的な素材・材料の技術開発が、我が国製造業の生命線である。

 図表4 に示すように、我が国の製造業の製造品出荷額に占める鉄鋼・非鉄産業の直接比率は8%に過ぎないが、機械製品や自動車等の輸送用機器の競争力も鉄鋼・非鉄材料に依存していることを鑑みると、鉄鋼・非鉄産業は我が国の製造業を支える基幹的な産業分野であると言える。特に近年、自動車産業や電機産業等のグローバル事業展開に伴い、材料産業においても国際競争が激化しており、世界最先端の研究開発能力の強化がますます重要になっている。また、資源対応技術あるいは環境対応技術のニーズも高まっている。特に、産業界の40% のCO2 を排出する鉄鋼業等では、地球温暖化抑制等の環境問題への対応を図ることは重要である。より一層高度な技術開発が必要となるなか、材料分野の産業界は、高度な製造技術を維持し、かつ、より難度が高い課題をブレークスルーし得るような優秀な人材を求めている。

 将来を担う学生の教育・人材育成を行う材料系学科を有する大学等においては、冶金学等のいわゆる金属系材料学科が減少し、材料産業の求める大学教育像との間に事実上のギャップが生じつつある。また、社会に対して材料分野の魅力発信が不足しているためか、他の技術分野に比しても学生の進学希望が低下し、学科・専攻等の維持さえ困難になっている教育機関もある。材料は非常に多くの要素技術の集大成により構築されている分野であるため、工業的な課題と科学技術的な課題の一対一対応を付け難い。このことが、学生や一般社会人にとってわかりにくい分野と思われる要因として挙げられる。現時点では我が国の材料分野の研究は国際的にも高いレベルを維持しているが、領域によっては科学研究費の獲得が困難になっており、今後の研究開発の進捗については懸念もある。現在、大学の教育や研究に対する評価は、国立大学法人化等の大学改革により具体的に変化しつつあり、定数充足率・投稿論文数・国際会議発表数といった客観的な数値データに強く依存するようになってきている。

 一方、材料分野における産業界の求人数は、変動する景気に大きく左右されている。ある鉄鋼企業の新卒採用数を見ると、1993 年頃より大幅に減り、その後の10 年は、1985 年頃を1 とすると0.5 程度で推移している。大手の鉄鋼企業中心にアンケート調査を行った結果では、材料系講座出身の入社数は350 名程度でその9 割以上が修士である。したがって、すでに、抽象的に産学連携による学生の人材育成を議論するのではなく、個々の顔を描いて育成策を具体的に考える段階に来ている。


 以上のような材料分科会での議論を基に提案された「鉄鋼分野における産学人材育成パートナーシッププロジェクト」が、経済産業省の平成20 年度産学連携人材育成事業(産学人材育成パートナーシップ等プログラム開発・実証事業)として採択された4)。この提案は、(財)金属系材料研究開発センターを中心に鉄鋼会社と大学教官が連携して検討したものであり、3 年間の試行を経て鉄鋼業界として継続できる産学連携体制の構築を目標としている。大学における材料系の講座の強みをさらに伸ばし、他の大学講座とも連携したコンソーシアムとして必要な教育分野をカバーできる体制を作り、また、材料分野の学生教育の場へ鉄鋼会社が先端的な技術を反映した教材を提供する計画である。また、鉄鋼業の特徴やケーススタディーを含めたMOTプログラムの試行、あるいは、企業からの提案を盛り込んだテ−マ設定を行い、比較的長期にわたり大学と企業が連携して学生の研究・実習の場を提供するような新たなインターンシップの試行も計画している。

 大学教官に産業界の現状の理解を深めてもらい、学生教育に活かしてもらうためには、産業界の協力と情報提供が必須である。これまでの鉄鋼業界における人材育成が企業エンジニアを対象としてきたのに対し、上記の提案では本格的な産学連携による大学教育のプログラム開発を目指しており、従来の産学個別の取組みでは成し得なかった効果を生み出すことが期待されている。また、今回の試行結果の定着のためには、教材作成・カリキュラム検討に加えて、人的流動化のために、契約関係を含めた新たな基盤の整備が必要とされる。例えば、企業人・大学の教官・学生の相互受け入れを考える場合、保険から知財にわたるような広範な体制の具体的な整備が必要である。これには文部科学省や経済産業省、厚生労働省などの支援も必要となるだろう。

3-2 鉄鋼業における産業競争力を支える人材育成の議論

 経済産業省産業構造審議会の基本問題検討小委員会によれば、我が国の産業政策は、かつての「中核産業の振興をいち早く図る」ことから「キャッチアップ型の経済成長を終え先進国の仲間入りを果たした後には、何が中核産業であるかは市場の選択に委ねるべきで」あるとされ、政府の役割は「市場制度の整備や不要な規制の緩和撤廃にあり」、少子高齢化・二極化・資源環境規制の課題への直面が認識されている。そこでの議論では、「我が国の環境技術、ものづくりの現場力」等が競争力の基礎的要素であるが、「組み合わせて活かす力が不足しており、それらが充分に活かされていない」という現状を打破するには、「従来の枠を超えて技術、ノウハウを組み替える大胆なイノベーション(知識組替え)と地域総がかりの発想が必要」と結論している。鉄鋼業に関る議論としては、「環境技術をソリューションサービスとして提供し、普及させながら対価を得る仕掛けが必要」と指摘されている5)

 しかし、2000 年4 月から2008年4 月の間に鉄鉱石や石炭価格は共にピークでは4.9 倍となり6)、さらに、2008 年後半の景気後退により対前年月次生産量が3 割減となるなど、鉄鋼企業収益は悪化している。加えて、2050 年までに温室効果ガス排出量を半減させる目標の実現のために、抜本的なエネルギー需給構造の改革が必要となっている。このような状況下では、従来の延長には囚われない発想が求められる。

 鉄鋼業の開発投資は、2006 年の我が国の民間研究開発投資上位100 社に3 社が入っている7)ことからも分かるように活発であり、その研究開発は、自動車メーカーとのデザインイン
注2)のような製品開発から、CO2 削減に向けたプロセス開発まで多岐にわたっている。今後は、第二次世界大戦後のような産業競争力を付けるための国家プロジェクトとは異なり、温暖化対策のみならずオープンイノベーションのスタイルを採らなければ解決に至らない課題が増えてくるとの指摘もある。経済産業省による米国調査報告には、「米国では、コンソーシアム型プロジェクトでは垂直連携は当たり前で、同業他社とどう研究協力して成果を生むかを重視するようになった」との有識者からの示唆が示されている8)。このような時代には、業界を取巻く環境の変化に応じたプロジェクト提案のできる人材の育成や確保が課題である。

 鉄鋼業が“オールドエコノミー”の代表のように言われ、学生からは希望コースとして選択されなくなっているのも事実であるが、実は鉄鋼業界は以前からオープンイノベーションを実践してきた業界であり、企業間の“競争と協調”によって第二次世界大戦後の我が国の産業競争力を支えてきた業界である。ただ、これまでの鉄鋼業界における人材は「技術」に重点を置いており、国際的な競争の場で戦えるエンジニアや研究者育成は各個人または個別企業に委ねられてきた。しかし、産業界のOJT 注3)を行う余裕も乏しい昨今の厳しい経済状況を勘案すると、“国際的な交渉力”を身につけたエンジニアや研究者の育成は国是として位置付けられるべき重要事項であり、一業界に限られた課題ではないと考える。“出口”を明確にした人材育成プログラムを、大学教育を含めて具体的に検討すべきである。また、出口要件すなわち年代と素養等の関係を明確にすることで、企業で即戦力として活躍できる人材として博士課程修了者の就業機会が増えることも期待される。

 “成熟産業”とされる日本の鉄鋼業界は、現在の世界的景気後退の中でも国際競争力維持のため、企業内教育に加えて業界共通課題として技術者育成を行っている。図表3 の産学連携人材育成パートナーシップ事業の検討では専門分野による切り口で関係の近い業界が割り振られているが、実際の鉄鋼企業活動は、材料分野の中だけではなく、他分野との総合技術として達成されてきたものであり、業界としての人材育成の議論には今まで以上に分野横断的な検討の場が望ましい。

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4.産業競争力の現状から見た人材育成の課題と事例

4-1 日本の鉄鋼業の課題

 世界の粗鋼生産量は2007 年に13 億トンを超え、そのうち日本は1 億3 千万トンを生産している。日本全体の生産量は、首位のアセロール・ミタル一社の生産量とほぼ等しい量である。国別では中国が毎年2 割を超す増産で5 億トン程度まで伸長している(図表5)が、同国内に数百社の鉄鋼会社が林立している状況であり、この状況は少なくとも2010 年の上海万博までは変らないのではないかとの見方がある9)。すなわち、国別粗鋼量では中国、企業別ではアセロール・ミタル社が圧倒的であるが、原材料供給側の寡占状態により、企業毎の対山元原料購入価格交渉力は限られている。我が国の鉄鋼業は、鉄鋼市場としては高級鋼には強みがあるが、今後は、ミドルユーザーである自動車メーカーや造船業界と連携した“造り込み”による産業競争力の維持・向上が必要であり、絶えざる日々の技術開発・製品開発、さらにはイノベーションが求められる。

 2008 年は、我が国鉄鋼業にとって近代製鉄150 周年の節目にあたった。安政4 年12 月1 日(1858年1 月)の南部藩士大島高任による“日本式高炉”を用いた初の連続出銑成功を記念して、毎年12 月1 日を鉄の記念日としている。大島高任の日本式高炉の成功は単なる外国技術の導入に拠らず、固有のノウハウを基に工夫を重ねた結果であり、このことは、後年、明治政府の雇われ外人技術者が操業に失敗していることからも明らかである。日本の鉄鋼業では、その後の発展史においても不断のイノベーションを見ることができる。

 また、「東アジア鉄鋼企業の比較分析」11)において、川端望は、鉄鋼一貫システムの第1 世代を原料立地、第2 世代を日本の1960 〜70 年代における臨海立地で特徴付けており、第3 世代を「大量生産の問題点を解決してより柔軟な生産を確立し、資源・環境管理を大きく前進させる生産システム」と定義している。現在の日本および米国における鉄鋼業は、川端望の言うところの第2 世代の大量生産の特質を基本的に継承しながら、柔軟な多仕様・小ロット生産を組み込んだ第2.5 世代と位置づけられる。

 現在の高炉出銑量は2008 年後半の急激な景気後退の影響を受け、中国以外は対前月出銑変動が軒並みマイナス、すなわち減産となっている。2008 年の8 月と12 月を比較すると、半減以下となっている国も見られる(図表6)。高炉関係者の“常識”では出銑量変動は月次1 割が限界、とされてきたことからすれば、まさに現在は「百年に一度」の操業状態である。世界的には潜在需要は底堅く、現下の減産に耐えつつ生産能力をいかに担保するかが、経営・技術両面で問われており、生産弾力性に関する技術開発が求められている。鉄鋼業界としては、この経験を、生産弾力性のためのツール構築の機会として若手エンジニアに引き継いでいき、“第3 世代”の製鉄につなげていかなければならない。

 2030 年における産業競争力を想定して鉄鋼業を取巻く環境の将来を考えると、少なくとも我が国の製造業が最終製品の“Value(価値)”で勝ち残っていくためには、他の追随を許さないレベルの圧倒的に高い品質か、あるいは価格競争力のどちらかを維持する必要がある。また、国民一人当り鉄鋼需要は、2030 年には世界平均で250kg(現在の韓国のレベル)に近づくことが予想される。もし、これ以上の需要の伸びがあれば、機械向け需要の急増に伴って、鉄系材料フローへの銅の混入率が2.8%を超え、その結果、大量の利用不可能な鉄スクラップが廃棄されるであろうと試算されている12)。日本国内においては、すでにシュレッダーなどの素材分別システムがある程度は整備されているが、世界レベルでの銅混入に対しては、技術・システム共に不備と言わざるを得ない。2030 年に向けては、当然ながら、海外からのリターン材の増加への技術的対応が必要である。例えば、銅などのリサイクル不純物(トランプエレメント)の無害化技術をはじめ、不純物を積極的に材質改善につなげる技術も検討され始めている。また、従来の廃棄物処理(解体・選別・再製錬)の発想から、RtoS(Reserve to Stock: 解体・分離・濃縮・再製錬)2)への転換が志向されている。2030 年に競争力を保ちうる世界戦略技術として、スクラップベースの管理システムを基本としながら、カスタマイズされた多品種生産様式を確立することが課題である。

 鉄鋼業界は、これまでは自動車産業を中心ユーザーとして量的伸びを享受してきた。しかし、今後の多様なユーザーへの対応を想定すると、2030 年に向けての“グリーン製鉄”あるいは“第3 世代”のためのキーワードとしては、CO2 排出ミニマム(新製鉄プロセス・高効率製錬・適所適量生産・高圧下)、劣質原料(低含鉄分・劣質炭・山元立地・輸送形態)、低合金鋼(添加原料ミニマム・新加工プロセス・成分分離リサイクル)、寿命設計(橋梁・高層建築補強・リプレース・易解体設計)、マテリアルフロー設計(素材流通・成分流通・成分コスト)等が挙げられるであろう。2030年にも鉄が引き続き社会的な要となる材料であるためには、材料関連技術を基礎として、機械・電機・化学・プラント設計・財務等々広範な科学技術分野を総合できなければならない。現下の景気後退状況への対応を一過性の“減産対応”とせず、“生産体制の弾力化実現”ととらえる技術的・経営的発想が求められる。

4-2 日本鉄鋼業における人材

 戦後の経済成長とその後の安定成長、その中で培われた産業競争力を支えたものとして、“ものづくり技術”の高さとともに最終製品の信頼性を確かなものとする“素材品質”の高さが挙げられるが、その象徴的な素材として鉄鋼製品を挙げることができる。一例を挙げれば、自動車外板が主用途である高張力鋼板(ハイテン材)では、40 年ほど前には引張強度(試験片に引張り応力を掛けて破断する際の強度をkg/ mm2 で表したもの)が40 程度であったが、最近は70 を超える薄板も実用化されている。その結果、自動車の必要強度に見合った鋼材重量が2 割ほど減量し13、14)、走行燃費向上に貢献している。また、造船用の厚板においてもハイテン化が進展し、その結果コンテナ船の大型化が可能となり輸送コストの激減につながっている。それらを支えているのは高い素材品質であり、その開発と造り込みを実現した鉄鋼業の人材の役割が大きい。単なる材料製造技術に留まらず、溶接技術・塑性加工技術・表面処理技術のような多方面の専門的人材に支えられた結果である。

 日本の産業界の特徴として、素材メーカーと素材利用者例えば自動車メーカーとが、新車開発の初期段階から情報共有してデザインインの形で、素材から開発する体制が挙げられる。コンシューマー商品である自動車産業では、自動車メーカーにばかり目が行きがちであるが、材料から加工技術までをカバーしているのは素材提供企業であり、鉄鋼会社の技術者の力量に負うところが非常に大きい。大橋ら15)は「ユーザー・イノベーション」注4)を、導入技術の利用者(ユーザー)が自ら、使用法・性能向上にコミットするなど、ユーザーが製品(あるいは導入装置)に精通しているという意味で定義している。大橋らは、その事例として、日本の鉄鋼業に大きな発展をもたらした純酸素上吹き転炉(BOF)と呼ばれる生産技術を海外から輸入した際の、鉄鋼企業における対応を挙げている。当時、BOF はいくつかの重大な技術課題を抱えており、普及に当たってはそれらの課題の解決が必要であった。この課題を解決する改良技術を生み出したのが日本の鉄鋼企業であった。これを成し遂げたのは、とりもなおさず、製鉄現場の人材レベルの高さに他ならない。

 しかし、“第3 世代”に向けては、従来技術を超えた新たな視点が不可欠であり、日本の鉄鋼業はオープンイノベーションの場となり、環境の変化への対応が必要となる。これは足元の生産技術の延長とは異なる10 年・20 年先の、多方面のエンジニア・開発者を如何に育てるかにかかっている。

 日本製造業の強みの根拠を、戦後の終身雇用制に求め、日本の企業内における人材育成を“継続訓練”を特徴とするマクレガーのX型理論の変形として理解しようとする生産管理からの見方がある16)。これは人材が比較的固定化されている社会環境を前提としている。現在、大手鉄鋼企業においては社内で専門職に特化した人材育成を行うことが可能だが、中小規模の企業においては技術伝承が困難になり、人材も流動化している状況である。そのような状況に対応すべく、日本の鉄鋼業においては第二次世界大戦後の復興期以来培った「協調と競争」の風土を活かし、業界共通な基盤技術育成を行ってきている。また、現在の変化の早い社会経済環境に対応する専門技術を有するゼネラリストも求められる。その育成は一企業では難しいため、(社)日本鉄鋼協会を介して業界他社との共同人材育成も志向している。

4-3 学協会としての人材育成の取組み

 ここでは、鉄鋼業における学協会としての人材育成の取組みの具体例を紹介する。

 (社)日本鉄鋼協会における人材育成事業は、企業人・大学人が半々で構成する育成委員会にて企画運営している。図表7 で紹介しているような育成事業、すなわち「鉄鋼工学セミナー」「鉄鋼工学セミナー専科」「鉄鋼工学アドバンストセミナー」は有料で会員に提供しており、基本的に個々の事業が採算を取ることを原則としている。現在、全ての事業で若干の黒字計上となっている。このことは、それぞれが提供する育成内容が時代に即し、運営を含めて受け入れられていることを示している。

 毎年継続開催している「鉄鋼工学セミナー」は、協会の個人正会員および個人外国会員を対象とし、鉄鋼業界での実務3 〜 5 年程度の若手社員、すなわち主に20 代を想定した内容である。製造現場のエンジニアおよび研究職が数多く参加し、例えば、大学での専門が機械工学や電気工学であった社員が、材料・冶金などについての基礎を学び直し、または知識の整理をするようなきっかけ作りを目的としている。さらに、現在の担当業務が近い他社の人材と知己の関係になることで、その後、個人ベースの情報交換が続くケースも多いようである。毎回150 名ほどが蔵王のホテルで1 週間合宿し、朝から夜までの座学・議論・自由討論が行われる。最終日には、課題テ−マに沿ったグループディスカッション結果のプレゼンテーションが行われ、優れた発表は表彰される。講師陣は関連する大学教官と企業委員がおよそ半々であり、2年任期で代々引き継がれてきている。ここでの講師経験は、特に課長クラスすなわち主に40 代の企業人にとっては、自身の修練として貴重な経験になっている。つまり、受講生のみならず講師の人材育成としても有効に機能している。受講申し込みは各社人事部門経由で成されることが多く、各社の人材育成策として定着していることの証左と言えよう。

 「鉄鋼工学セミナー専科」は、「鉄鋼工学セミナー」の受講経験者で、さらに特定の分野を深く学びたいエンジニアや研究者を対象としている。毎年、協会の育成委員会が大学の教官に依頼してテ−マを提案していただき、企業からはそのテ−マに関心のある社員が参加する形態を採っている。テーマ別コースは、受講希望10 名以上で開催することとしており、実施に当たっては企業から幹事役を専任することで円滑な運営を図っている。一方、「鉄鋼工学アドバンストセミナー」は、「鉄鋼工学セミナー」の受講経験者を対象としており、中核的技術系人材となることを期待される中堅社員(係長クラスすなわち主に30 代)が2 泊3 日でディスカッションを中心に行う。各社からの参加者は、製銑・製鋼・材料(圧延)の各分野に分かれて、当該技術分野の将来について、事前に与えられた個別テ−マに沿って、各自の担当分野での知識を基礎に技術的内容を含めて議論する。各社の知財・ノウハウは出さずに、将来の技術展望をグループ毎にまとめて発表する。議論のモデレータは企業の先輩社員と同年代の大学准教クラスである。

 (社)日本鉄鋼協会が、現在の育成事業形態に辿り着くまでには、業界としてのニーズの共有と大学側の実学への思い、さらに連携の場の重要性を認識した歴代の関係者の努力があり、不断の変革が成されてきた。しかしそれでも30 年余を要しており、人材育成事業の難しさがうかがえる。はじめから“バックキャスティング”の概念を意識して構成されているものではなかったが、現在は、40 代・30 代・20 代のそれぞれを中心とするプログラムとして定着している。

4-4 鉄鋼業を通して見た人材育成の課題解決の方策と提言

 ここでは、上記の(社)日本鉄鋼協会における人材育成事業を、図表2 のバックキャスティングの視点で見直して、プログラムとしての更なる充実を考える。

 まず、2030 年における業界の競争力維持・向上に関する課題認識を、産学関係者間で共有することが必要である。その上で、我が国の産業競争力維持・向上にとって不可欠な、環境対応を出口とするイノベーションを促進できる人材像を描き出さなくてはならない。このために、現在20 代である若手エンジニア・材料系学生・他分野の学生を対象とする産学の連携したプログラム検討が早急に必要である。例えば、技術的な問題としては、リサイクル合金鋼の利活用技術の確立やCO2 排出量ミニマム化を実現するシステム作りが必要であり、そのためには要素技術開発とともに総合化技術を涵養し、その中核となる人材の育成が必要である。一方、大学の工学教育では、専門分野に加えてMOT 能力を早い時期に身に付ける必要があり、学生時代に業界の実情を理解することから始め、総合力充実のためのMOT プログラムを導入するべきである。課題発見から技術開発までを一貫して見ることができるような、目的を達成するためのプロジェクトマネジメントのセンスを社会に出る前から養うべきである。

 文部科学省の中央教育審議会における「中長期的な大学教育のあり方について」では大学関係者による真摯な議論が行われており、「グローバル化による国際競争の中で、大学卒業生にも高い知的資質が要求され」17)、質的向上が図られようとしている。しかし、さらに社会が求める人材育成の目的を明確として、既成の育成策に囚われることなく、バックキャスティングの視点により最適な時期に最適なプログラムが実施できるよう、様々なセクターを包含した検討を期待したい。例えば、産学連携の試行成果を参考に、従来は企業内の社員教育で成されてきた項目を大学カリキュラムのなかにも取り入れるなど、今後は産学間のギャップを埋める方向での議論が望まれる。例えば、3 章で紹介した文部科学省・経済産業省の共同による産学連携人材育成パートナーシップ事業が新たな産学連携のきっかけを提供していることを好機として、バックキャスティングの視点で、業界毎あるいは各社において求める人材についての検討を深め、連携することで初めて果たせる我が国の産業競争力維持向上のための、具体的アクションが実行されることを期待する。

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5.まとめ

 産業競争力の維持向上のため業界として取組んでいる人材育成事業について、ここでは鉄鋼業界を事例として紹介したが、他のいくつかの産業のモデルとなると考えている。また、最近の公的取組みとして、文部科学省・経済産業省の産学連携における共同検討と具体化について概観し、各業界・各企業のみでは対応できない課題解決を目的として、産学間のギャップを埋めることを期待した事業にも言及した。現下は世界的景気後退局面にあるものの、金融システム改革の後には潜在的需要に応える更なるマーケット拡大が期待される。2030 年に向けては、我が国の鉄鋼業は“第3 世代”製鉄の実現、つまり環境問題への対応と生産弾力性の両立が求められている。そこでは、単なる金融の世界的流動化を示す“グローバリゼーション”から、物心ともに境界を越え、境をなくしていく“グローバリゼーション”の時代の展開が想定され、各企業内・各業界内での人材育成では不十分となることが予想される。これまで手探りであった人材育成を、バックキャスティング手法によって課題を明らかにし、産業競争力の維持向上に有効な産学連携プログラムが公的サポートをきっかけとして構築されることを期待している。大学におけるMOT 教育も導入だけでなく、それらが産業界の具体的期待に応えるプログラムとなるよう、不断の改革が求められる。なお加えて、本稿では触れていないが、中小企業における中核人材の育成においても、今後は単なる技術伝承に留まらず、国際的経営者育成の視点が必要と考えられるが、そこには公的な育成システムが求められると考えている。

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1) United Nations Population Division:World Population Prospects:The 2006 Revision:
http://esa.un.org/unpp/index.asp?panel=2

2) 科学技術振興機構:環境技術分野P.67─ 69 科学技術・研究開発の国際比較2008 年版

3) 日本鉄鋼協会事務局 ふぇらむ Vol.13(2008)No.8 549─ 555

4) 鉄鋼新聞記事(H20.9.10)

5) 産業構造審議会 新成長政策部会:基本問題検討小委員会報告書(H20 年7 月)
「知識組替えの衝撃─現代産業構造の変化の本質」

6) 産業構造審議会総会(第8 回 H20.9.27)資料:「日本経済が直面する課題と対応の方向性」

7) 産業構造審議会総会(第8 回 H20.9.27)資料:「平成21 年度経済産業政策の重点」

8) 産業構造審議会 産業技術分科会  研究開発小委員会(第24 回):「オープンイノベーション環境での研究開発戦略」

9) 日本鉄鋼協会事務局 ふぇらむ Vol.13(2008)No.5 283─ 303 「2007 年鉄鋼生産技術の歩み」

10) World Steel Association World Steel in Figures 2008 2nd edition:
http://www.worldsteel.org/pictures/publicationfiles/WSIF%202008%202nd%20edition.pdf

11) 川端望、 アジア経営研究  .14、61─ 74、2008 年6 月 「東アジア鉄鋼企業の比較分析」

12) 小杉隆信、政策科学 Vol.13─ 2(2006) 1─ 10「世界鉄鋼業におけるリサイクルとエネルギー消費に関する長期シミュレー ション分析」

13) WourdAutoSteel of World Steel Association(WorldAutoSteel 日本委員会 訳)「スーパー鉄鋼 先進ハイテン」文芸春 秋2009 年1 月

14) 細谷佳弘、船川義正 「自動車用ハイテン」 (財)JFE21 世紀財団 2008 年12 月

15) 大橋弘、中村豪 政策研ニュース 6─ 8、No.236、6 号 2008 年
「Effects of User Innovations on Industry Growth : Evidence from Steel Refining Technology」

16) P. ドラッカー マネジメントU P.197─日経BP :「サクセスストーリー:日本企業、ツァイス、IBM」

17) 金子元久、日経新聞H21.1.19 「大学教育 中教審の行方は」

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