地震予知研究の動向と問題点

松村 正三
客員研究官

1.はじめに

 2008年5月12日中国四川省を襲った地震M (マグニチュード) 8.0は、10万人に近い死者と行方不明者を出す歴史的大災害となった。新聞報道によると、現地では今回の地震に対して予知情報が出なかったことに不満が噴出したとのことである。特に小中学校の建物崩壊による犠牲者の多さが問題視され、「中国の地震対策は井戸水や地殻の観測による予知に力を入れており、建物耐震対策が遅れている」との批判もなされた1)。おそらくこれがきっかけとなって中国でも地震防災のための施策が見直され、建築物の耐震強化に向うことになるだろう。この地震によるショックがまだ冷めやらぬ6月14日、今度は、我が国で岩手・宮城内陸地震(M7.2)が起こり、20人を超える犠牲者が出た。さらに、7月24日にも岩手県中部地震 (M 6.8)が発生した。いずれにせよ、地震は思いがけない時に思いがけない場所を襲うものだという印象がますます強められ、そうした言い方がマスコミ間で定着する始末となったが、これを裏返せば、現在の地震予知研究への不信が表明されたとも言える。地震予知研究の現状は一体どうなっているのだろうか。
 中国に限らず世界中で、予知は地震研究の中心的な課題とされてきたが、その流れが変わったのは1990年代半ばである。我が国でも、1995年1月17日の阪神・淡路大震災(M7.3)によって6400人を超える死者が出たことが契機となり、この後、国家施策としての地震対策が見直されることとなった。これに伴って、地震研究も様変わりを余儀なくされ、予知研究一筋から、より現実的な防災研究へ、あるいは、より基礎的な研究へと分化していくこととなった。ただし、地震予知そのものが顧みられなくなったわけではない。「過去の事象を分析し、将来の事態を予測する」という道筋は科学の本道でもある。これまで安直に、あるいはやや不用意に使ってきた「予知」という言葉と概念に対して、より科学的な姿勢をもって対峙しよう、という態度表明がなされたと言うべきであろう。そうした方向転換から10年あまりを経過した現在、変革された地震研究は、予知にどう関わり、どのように貢献してきたのだろうか。所期の目標にどこまで近づいたのか、目標自体を捉え損ねていないのか、一旦、立ち止まって現況を振り返る時期にきているのではないだろうか。
 本稿では、関連する研究の内容を「(狭義の)地震予知」と「地震発生予測」とに分けて取り上げる。「予知」と「予測」とで言葉自体の意味合いに大差はないが、ここでは次のように区別する。「地震発生予測」は、ある場所を指定した時、そこに起きるだろう地震のマグニチュードと発生確率を推定することを言う。同じ場所に同じ地震が繰り返し起きることを前提として、過去の事跡の発掘から得た情報、すなわち規模、繰り返し間隔とそのばらつき、および最新地震後の経過年数をもとにして統計的操作によって確率を求める。この場合、確率の値は時間とともに増大するとしても、その根拠となった情報そのものが変化するわけではない。これに対して「地震予知」では、特定の地震を対象とした時、観測されたデータの推移から震源域における応力蓄積がどのくらい限界に近いかを推定する。すなわち、何らかの前兆現象の検知を前提として、地震発生前の情報そのものの増大、特に直前での飛躍的増大を図るわけである。「地震発生予測」と「地震予知」の双方について、これまでの経緯と現状を振り返りながら筆者の感想を混じえることで、それぞれが抱える問題点を分析してみたい。

2.地震予知研究の変遷

2‐1 我が国における被害地震の頻度

 我が国で地震が実際にどのくらいの頻度で起きているかを確認しておこう。地震規模で分類するならば話は簡単である。日本とその近海で起きる地震個数は、M 8が平均して年に0.1個、M 7で1個、M 6は10個、とマグニチュードが1下がるごとに頻度は約10倍となる。世界中で起きる地震の頻度はこの約10倍なので、逆に言えば日本近海では世界の1割の地震が起きていることになる2)。日本が地震大国と言われる所以である。もっとも、生活者として気になるのは地震そのものの大きさではなく地震によって起きる災害の程度であるが、過去に相当の被害をもたらした地震の頻度は大抵の人が認識しているよりも多い。
 図表1および2は、1900年以降に10人以上の死者を出した地震のリストとその発生時系列を示すグラフである。総数は109年間で36個、平均発生間隔は3.1年となる。グラフから1950年以降頻度が低下したように見えるが、これは地震対策が進んだ効果によるというよりも、ここ50年間の地震活動度が若干低かったせいだと思われる。ただし低いといっても後半の平均発生間隔は4.5年であり、最近の活動度は復活してきているようにも見える。こうした状況にもかかわらず、現実には地震の発生を間遠に感じ、自分には関係ない、とつい思ってしまいがちなのは、当の地震が何処に起きるかが分からないからである。地震を研究する目的は、この問題、すなわち、何処にどのような地震が起きるかという将来の発生に関して何らかの回答を出すことにあったはずである。その意味で地震予知は科学研究の課題のひとつでありながら、同時に、人類の「夢」のひとつでもあった。そして、予知が「夢」であるという情況は今もって変わらない。何故ならば、厳密な意味で予知に成功したと多くの者が認める事例は今のところ皆無だからである。そこでまず、これまでの地震予知研究の経緯を追ってみよう。

2‐2 各国における地震予知研究の経緯

 地震予知が成功した試しが全くない、という言い方には多少、語弊があるかもしれない。まずは予知に成功したと言われる事例を挙げてみよう。もっとも有名な例は、1975年中国河北省で起きた海城地震(M 7.3)である4)。この地震に先立つ数年前から近辺では地震活動が活発化、数日前からは微小地震、地殻変動、地下水変化などもろもろの異常現象が頻出した。これらの前兆現象に基づいて発された地震警報が効を奏し、多くの人が難を逃れることができたのは事実である。それにもかかわらずこの成功が科学的な意味での地震予知の成果と認められ難いのは、翌1976年にやはり河北省で起きた唐山地震(M 7.8)では警報が出ず、24万人という史上空前の死者が出たからである。中国ではその後も予知の試みが続けられたと思われるが、成功したという報道は聞かれない。冒頭で述べた2008年四川大地震も不成功の一例であり、再現性および普遍性が得られないのでは、結局、科学的成果としては認められないのである。
 もうひとつの著名な研究例は、ギリシャにおけるVAN法である。ギリシャはプレートの収束帯にあって地震活動がきわめて活発であり、M 5を超える地震による被害も多い。アテネ大学のヴァロッソス教授を中心とした研究グループはバルカン半島南端に設置した地電位観測網の信号をモニターし、その異常変化による地震予知を唱えてきた。1993年には実際の避難行動に結びついた成功例があるとも報道されている5)。ところが、前兆現象として地中に異常な電気信号が生じるメカニズムが不明で手法の客観性にも疑問がある、との声が出てきた。一方では、統計的検定に基づいてVAN法の信憑性を擁護する報告もなされた6)。結局、成否の結論は現在に至るもなお出ていない。もっとも、VAN法がこの研究領域にもたらした影響は大きく、我が国においても電磁気学的手法による地震予知が、地震・地殻変動・地下水などの力学的手法を抑え、学会の地震予知セッションにおける主流を占めるまでとなった。
 VAN法が学会の話題を席巻したころ、「そもそも論」としての地震予知の可否に関する議論が世界中に巻き起こった。議論に火をつけたのはスタンフォード大学から東京大学に移籍したばかりのゲラー教授(当時、助教授)である。ゲラー教授は、地震の発生時とその規模の確定は偶然性に支配されており、予知は原理的に不可能であるという主張をNatureほかの雑誌に寄稿した7)。これに対してアラスカ大学のヴィス教授(現在、WAPMERR(World Agency of Planetary Monitoring and Earthquake Risk Reduction)に所属)らは、地震予知に関する国際シンポジウムを開き、前兆現象は歴として存在する、と反論した。こうして1990年代には、予知可能派と不可能派の間でかつてない論争が展開された。その後、論争は最終的な決着をみないままに尻すぼみとなり、やがて地震予知研究全体が衰退傾向を見せるようになっていった。
 米国もその例にもれない。米国における地震予知研究の対象は、西海岸のサンアンドレアス断層に集中している。この断層では、1857年ロスアンジェルスの地震(Fort Tejon地震M 8.0)、および1906年サンフランシスコ地震(M 7.8)が起きており、これらの地震の再来が懸念されるからである。2個の大地震にはさまれた中間部では、断層は定常的なずれ運動を行っており、大地震が起きない。その中のParkfieldという町の近くでは、M 6クラスの地震が20数年の間隔をおいて定期的に起きており、次回の地震は1993年までに起きると予測されていた。この場所にこの程度の地震が起きたところで被害の出る恐れはなかったため、これは、地震予知のための格好の機会として捉えられた。こうして“Parkfield Experiment”と呼ばれた地震予知実験の現場に多くの観測手段と監視の目が集中されることとなった。ところが、お目当ての地震はなかなか起きず、結局、確率的にはありそうもない10年以上の遅れをもって2004年にM6の地震が発生したものの、期待された前兆現象は捉えられなかった8)。世界的な潮流にならって米国における地震予知研究が下火となっていったのもこれが潮目となっている。

2‐3 我が国における地震予知研究の経緯

 地震予知研究に関して、日本はつねに先導的な役割を果たしてきた。1962年、当時の学界の権威らが「地震予知−現状とその推進計画」(いわゆるブループリント)という予知研究の方向性に関する提言をまとめ、これをベースにして1965年には国家予算を伴った地震予知プロジェクトがスタートした9)。1969年、研究情報の集約機構として地震予知連絡会(以下、予知連)が発足し、その活動は、国土地理院長の諮問機関として今に至っている。1970年、予知連は全国の地震災害危険地域を抽出し、観測と監視を強化すべきとの提言を行った(後、1978年に改訂)。この地域指定は、自然条件のみならず社会条件をも加味して選定されていたが、岡田義光(現在、(独)防災科学技術研究所理事長)によれば、改訂後の29年間で阪神・淡路大震災を含め多くの大地震が指定地域内に発生し、その的中率は80%に達したとのことである(図表3)10)。一方で、東京大学地震研究所助手の石橋克彦(当時、その後、神戸大学教授を経る)は、1976年秋の地震学会において駿河湾大地震説を発表した11)。駿河湾では、1854年の安政東海地震を最後に、その後120年以上にわたって歪みの蓄積が続き、今や一触即発の危機にあると指摘したのである。政府は石橋の説を重要視し、1978年、M 8クラスの駿河湾地震、すなわち東海地震を対象にした地震対策としては初めての法律「大規模地震対策特別措置法」12)を制定した。法律に基づいて静岡県を中心とする想定震度6以上のエリアが「地震防災対策強化地域」として線引きされ、対象エリアの常時監視を気象庁が担うこととなった。気象庁は、東海地震予知という任務遂行のため「地震防災対策強化地域判定会」(以下、判定会)を組織し、以後、毎月の打ち合わせ会をもつようになった。こうした中、1978年には伊豆半島と伊豆大島を結ぶ活断層上に伊豆大島近海地震(M 7.0)が起こり25人の死者が出た。この地震では、その発生前に地震活動、地殻変動、地下水位やラドンガス濃度など多様な観測項目に異常現象のあったことが発見され、地震予知まで今一歩であったとの評価を得た13)。1977年、大竹政和(現在、東北大学名誉教授、予知連会長)らは、メキシコのオアハカ付近に地震活動の静穏化を発見し、大地震の発生を警告する論文発表を行ったが、翌1978年、実際にM7.7のオアハカ地震が起き、地震予知の可能性を強く印象づけた14)。1970年代から80年代にかけて全国に微小地震観測網が展開されるようになり、大学や国立研究所に地震予知研究センターが設置されるなど、この頃が、我が国において地震予知が最も期待を寄せられ、近い将来の実現が信じられていた時期であったと言える。

2‐4 阪神・淡路大震災による衝撃

 世界中を巻き込んでの地震予知可否論議が沸騰していた1995年1月17日、神戸から淡路島にかけての活断層を破壊した阪神・淡路大震災(M 7.3)が勃発し、6400人を超える死者が出た。この地震は予測されていたとの報道も一部にはあったが、地域住民にとって大地震の危険はほとんど念頭になかったというところが実情である。そのため、近年では未曾有の犠牲者を出したにもかかわらず事前に有効な警告が発信されていなかったとして地震研究への風当たりは強く、予知研究の位置づけが大きく見直される契機となった。この地震は、国家施策をも大きく変針させるだけのインパクトとなった。地震予知という概念が否定されたわけではないにせよ、地震対策における予知への依存は基本的に排除される結果となった。具体的には、旧科学技術庁に新たに地震調査研究課(その後、文部科学省地震・防災研究課に移行)が置かれ、それまであった「地震予知研究推進本部」は「地震調査研究推進本部」(以下、推本)と改称・改組された15)。推本の下には政策委員会と地震調査委員会が設けられ、多くの部会・分科会が設置された。それらの委員会では我が国における地震活動の短期的および長期的評価を行い、その結果がマスコミを通じて社会に伝達されることとなった。また、行政機構内の「予知」という名称は、撤収変更された。ただし、全てから「予知」が消え去ったわけではない。地震予知連絡会は、地震調査委員会との二重性が問題視され、廃止すべしとの意見も一時は飛び交ったが、結局は存続して現在に至っている。両委員会の議論の内容は重なる部分も多いものの、その目的や評価の性格が微妙に異なるからである。気象庁の判定会も残された。形式的には現存する法律に規定されているからであるが、東海地震に限っては予知への期待が棄て去られていないからである。なお、東海地震に関しては、2001年に中央防災会議によって想定震源域の見直しが実施された16)。新たな観測情報に基づいてそれまでの震源域が大きく描き直され、防災対策の対象エリアも拡張された。ただし、基本的な枠組みや予知への取り組み方は変わっていない。

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3.地震発生予測への転換

 推本の発足に伴う方針転換は、行政における施策を従来の予知指向から地震の発生予測へと向かわせることとなった。前述したとおり、これは、前兆現象を追うのではなく、過去に起きた事象と活断層の評価に基づいて大地震の発生確率を統計的に評価しようというものである。

3‐1 基盤観測網の整備

 大きな変貌を遂げたのは、全国観測網である15)。地殻活動観測において基本とされるのは地震と地殻変動(地面の伸び縮みや隆起・沈降)の観測であるが、それまで、地震については気象庁・大学・国立研究所が、地殻変動については国土地理院がこれを担ってきた。この時期は、いわば群雄割拠の時代と言える。それらは一応、全国をカバーしていたものの、観測密度に粗密があり、仕様も統一されておらず、なによりも機構間におけるデータの相互利用に高い障壁があった。また、測地測量が全国を一巡するには数年かかるという大変な時間と手間を要していた。世の中ではIT革命に乗って観測・通信・データ処理の分野で急速な技術革新が進んでおり、旧態依然とした観測網は取り残される運命にあった。阪神・淡路大震災の後、推本は新たな予算を組み、統一仕様による全国観測網の整備を推進することとした。地震観測に対しては広帯域・高精度化が、地殻変動に対してはGPSを用いた準リアルタイム測量が図られ、その後10年を経ないうちに世界にも類を見ない高性能、高密度の観測網が整備されるに至った。こうして「基盤観測網」と呼称されるようになった内容は、GPSによる地殻変動観測網(国土地理院によるGEONETを中心に全国で約1400点)、高感度地震計観測網((独)防災科学技術研究所のHi-netを中心に約1000点)、強震動観測網(同K-netを含めて約7000点)、広帯域地震計観測網(同F-netを中心に約100点)である。特筆すべきは、基盤観測網から得られたデータの全てがインターネットを介して公開されるようになったことである。その結果、全国の研究者は、所属する大学や機関にかかわらずデータ利用に関してほぼ同じ研究環境に置かれるようになり、研究の自由競争が一挙に加速されることとなった。今では、被害地震は勿論のこと、問題とすべき地震が起きた際には、断層の形状、破壊過程など地震を特徴づける基本情報が、きわめて速やかに解析され報告されるまでになっている。図表4は、気象庁の地震カタログから日本周辺で捕捉された地震数の変遷を示す。この間、地震活動自体にそれほど大きな変化があったわけではないが、地震の捕捉数は、観測網の増強とともに増加の一途を辿り、特に、基盤観測網が加わる2000年前後から急激に増加したことが分かる。

 また近年、調査観測の手は陸域から海域へと延びていった。JAMSTEC((独)海洋研究開発機構)は、地球深部探査船「ちきゅう」を建造して海域における深部地殻構造調査に乗り出したほか、沿岸海域をカバーするための海底地震計網の展開を進めている17)。海上保安庁や大学では、海底に設置した音響測距装置とGPSとを組み合わせることで海域における地殻変動観測網の開発に取り組んでいる18)
 このように基盤観測網を初めとした全国観測網の整備は、防災面を含めた地震研究全般の推進に大きな効果をもたらしたと言えるが、そこに問題がないわけではない。主として運用面に関する筆者の危惧として次の二点を指摘しておく。基盤観測網が整備される以前の「群雄割拠」時代には、気象庁による全国網とは別にそれぞれの地域が旧帝国大学によって実質的に管轄されていた。例えば、北海道は北海道大学、東北は東北大学、関東・信越は東京大学、中部は名古屋大学、近畿・中国・四国は京都大学、九州は九州大学、といった具合である。こうした管轄の仕方は、データを囲い込むことにつながり、研究活動に障壁をつくり、阪神・淡路大震災後の反省をうむ発端となった。しかしその反面、それぞれの大学がそれぞれの地域の地殻活動の監視と評価を担うという、いわば「ホームドクター」としての意識と責任感を産み出す素因でもあった。これに対して現在の状況は、全国の研究者が同じデータを使って一斉に同じ解析に取り組む、というある種の無駄を内包した過当競争の場を作り出している。処理の迅速化と情報管理の一元化という意味では進歩と言えるだろうが、それぞれの地域のテクトニクス(プレート・テクトニクスに代表される造構運動)と活動状況を熟知した「ホームドクター」による長期的視野に立った監視と研究を推奨したい立場からは一種のディレンマを感じざるを得ない。
 もう一点は、地震発生の周期と技術革新の速さとのタイムスケールの違いについてである。少なくとも数十〜数百年はかかる地震の一周期を勘案すると、安定した条件下で長期の観測を継続することが必須要件となるが、技術革新と体制の変遷による観測条件の変化には避け難いディレンマがある。技術革新が必ずしも良い結果に結びつくとは限らないのである。例えば、気象庁の80年を超える地震カタログ(図表4)は我が国が世界に誇るべき貴重なデータ資産であるが、その中には技術革新と体制変化を原因とするマグニチュードの不統一が混ざっており、このことが折角のデータの価値を大きく毀損する元凶となっている。大規模に配備した基盤観測網を長年にわたって維持運用していくことは、これを建設・整備することよりも大きな困難を伴う。世の中の変遷に乗ぜられない観測の一貫性を保持していくことも、今後の重要課題となることを意識しておく必要がある。

3‐2 地震動予測地図の作成

 推本が基本的な事業課題として取り組んできたのが「全国を概観した地震動予測地図」の作成である15)。前述したとおり、ここでいう「予測」とは、同じ場所における地震発生が準規則的であることを前提にして、次回の発生を確率値として評価することを言う。前兆現象の有る無しはいまだ議論の俎上にあるが、地震発生の準規則性については大方の研究者の支持が得られており、このことが、行政による施策が「地震予知」から「地震発生予測」に転換された理由でもある。評価に必要な情報は、当該地震の発生周期とそのばらつき、および最新発生時期の3個のパラメーターである。このほかに、規則性からの逸脱を表現する統計モデルが必要となるが、推本では、一定量の応力蓄積率がランダムな擾乱(じょうらん)を受けるというBPT (Brownian Passage Time)モデルを採用している。

 こうしたお膳立てのもと、実際に進められる手続きは次のとおりである。海溝沿いなど海域に起きる地震はM 8程度の規模を持つが、その周期は数十〜数百年と短く、したがって、多くの地震について過去の履歴が残されている。結果的に、発生確率の評価は比較的容易であり、信頼性も高い。一方、内陸の浅い活断層に起きる地震は、最低でも千年以上と長いタイムスケールを持ち、その履歴はほとんど知られていない。推本では、長さ20kmを超す98の活断層を主要活断層と定めて拾い出し(図表5、その後追加されて110)、それらに対して調査を実施した。要所でトレンチ調査(浅い溝による掘削調査)やボーリング調査(深い穴による掘削調査)を行うことで、ひとつずつの活断層に対して前述のパラメーター値を決定しようとしたのである。現実には、パラメーターの値が確定的に定まることは珍しく、かなりのばらつきと不確定さを避けることはできなかったが、10年の調査期間を経て一応の結果がまとめられた。ここで起きる想定地震のマグニチュード度数分布は図表6の黒棒のとおりであり、その平均はM 7.3である(主要活断層98の内、長大なものは分割して地震が起きると考えられるので総数は136個となっている)。また、主要以外のひとまわり小さい活断層も評価の対象とされ、その平均はM 6.8となる(同図表の白棒、総数178個)。このほかに、「震源を特定しにくい地震」として、実際に観測された地震のマグニチュード分布と地域毎に設定した最大地震とから問題とすべき地震の発生確率が算定される。以上の全ての評価を融合させた結果を地点毎の地震発生確率としている。

 地震の発生確率が求まれば、次には、場所毎の揺れ、すなわち地震動の評価に移る。ここでは、震源距離とマグニチュードに基づいた揺れの評価式、あるいは断層モデルに基づいた地震波の合成法、さらには地下構造や地盤構造による地震波の増幅評価などさまざまな評価手法を組み合わせることで最終的な地表地震動が算出される。自治体等ではこの結果を受けて被害想定や防災対策を策定することとなる。
 これらの手続きの詳述は省くが、ともあれ、阪神・淡路大震災後10年の歳月を経て、「全国を概観した地震動予測地図」(以下、予測地図)の最初の試作版が2002年5月に、完成版が2005年3月に刊行された(図表7)19)。その後、予測地図は毎年のように更新されているが、大きな変更点はない。この地図では、今後30年以内に震度6弱以上となる確率が地域毎にカラー表示されている。震度6弱の発生確率、すなわち発災の危険度は、最低の0.1%未満から最高の26%以上まで5段階に分かれるが、最高段階のほとんどは静岡県から高知県までの太平洋に面した地域に分布する。これは、南海トラフ沿いの海溝型地震(東海・東南海・南海地震)が差し迫っているせいである。危険度第2位の地域も中部地方のフォッサマグナのほかは、全て太平洋岸に沿って分布し、海溝型地震と内陸の活断層地震の発生頻度が桁違いであるという事情を物語っている。

3‐3 予測地図の成績

 予測地図の完成版が公開されて、まだ3年目である。したがって、その評価を議論するには事実の蓄積が足りない。しかし、この間にも問題とすべき地震は起きており、今後の改訂のために何らかの方法で成績を評価しておく必要がある。果たして「予測」は当たったのだろうか。
 試作版を含め予測地図が公表されて以来、実際に震度6弱以上が起きたケースは、2008年10月8日現在までの5年間ですでに10回に達した(図表7の白十字)。図表8には、これらの地震の発生確率が予測地図でどう評価されていたかを、公開された報告書19)から筆者が読み取った数値(30年確率)でリストアップした。
 まず、2003年9月十勝沖地震と2005年8月宮城県沖地震に対しては、事前にそれぞれ60%、98%と高い発生確率が提示されており、これらプレート間地震の発生はほぼ予測どおりであったと言える(十勝沖については地震発生直前の値。宮城県沖は想定地震の片割れとみなす)。残り8個の内、2003年5月宮城県沖地震と2008年7月岩手県中部地震は太平洋プレート内の地震として、また、2003年7月宮城県北部の地震と2004年10月中越地震は、主要以外の活断層の地震として想定内とみることができる。しかし、残りの4地震は、沿岸海域の活断層、あるいは、内陸の伏在断層として、活断層地震の「想定外」であった。ただしこれらも「震源を特定しにくい地震」の範疇にあって、地震の発生そのものが意識されていなかったわけではない。
 初めの2個は海溝型のプレート間地震であり、発生確率は高かった。一方、残りの8個はたとえ想定内だったとしてもその確率は極めて低いとされていた。結果的に前者が「あたり」、後者が「はずれ」となるのはある意味当然とも言える。しかしながらこのような単純な総括には問題があるだろう。
 「あたりはずれ」を正しく評価するには、本来は複雑な統計分析が必要となるが、ここでは簡単な試算を行ってみよう。図表8から8個の地震の30年発生確率の平均を0.226%、また、平均マグニチュードM 7.0に対する震源域の拡がりを200km2として全国を1850区画に分割する。その場合、5年間で8区画以上に地震が起きる確率を計算すると、値は0.0001%ときわめて小さい。つまり、結果的に8個の地震が実際に起きたという事実は、想定上ほとんどあり得ないはずの現象が現実となった、すなわち、想定に何らかの問題があったということを意味する。

3‐4 予測地図の問題点

 予測地図の作成には、「ひとまわり小さい活断層」の地震や「震源(活断層)を特定しにくい地震」も考慮されていた。しかし前述のように、結果から見れば、M7前後の地震の発生は想定外であったという印象が否めない。2007年3月能登半島沖地震の直後から、多くの新聞の社説は、「日本国内では、どの場所に住んでいても地震から逃れることはできない。予測地図の危険度レベルが低いからといって安心してはいけない」と書きたてた。現在の予測技術のレベルを鑑みれば、予測地図に対するこの評価はかなり厳しい。また、わずか5年程度の実績によって、本来的に長期的情報である予測地図の評価を断定してしまうのは早計に過ぎる。しかし、予測地図は研究論文ではなく、行政と研究者が社会に向けて提示した情報である。これに対しての社会の受け止め方を無視するわけにはいかない。少なくとも内陸活断層の地震について見当外れではなかったか、という批判には耳を傾ける必要がある。そこで現段階における問題の所在を分析してみよう。
 最初の問題点は、地震を発生させる活断層が十分に捕捉されていたかということである。図表6の星印は、実際に起きた6個の活断層地震のマグニチュードを予測地図に用いられた想定マグニチュード分布図に重ねて示している。分布型を見比べると、これら6個の地震は主要活断層ではなく、主要以外のひとまわり小さい活断層で起きる地震に対応していることが分かる。この内、2003年7月宮城県北部の地震(旭山撓曲(とうきょく)帯)と2004年10月中越地震(六日町断層帯)の2個は、あらかじめ想定されていたと言えそうであるが、残りの4個は明らかに洩れている。図表6で、主要活断層から生じる地震の平均マグニチュードがM 7.3であるのに対し、主要以外の活断層ではM6.8とマグニチュードで0.5の差がある。これから、後者における地震発生頻度は前者の√10倍になると見積もられる。また、前者の平均発生間隔4200年(調和平均値)に対し、後者は5300年であることから、これらの地震の発生源となる活断層の数に換算すると、主要以外の活断層の数は、主要活断層(この場合は136個)の約4倍、すなわち、500個以上あるはず、ということになる。実際には、リストアップされた数(178個)はその約1/3でしかなく、したがって、ひとまわり小さい活断層の大部分が捕捉から洩れていたと推察される。
 図表8で活断層リストから洩れた4個の地震の内、3個は沿岸海域の活断層に、1個は地表踏査からでは分からなかった伏在断層によるとされた。こうした結果を受けて、推本では、沿岸海域の活断層、および主要活断層の延長部などに存在すると思われる伏在断層の抽出などに焦点をあて、今後10年をかけて全国で2000の活断層を拾い出すとの方針を発表した(2008年7月13日)21)。ただし、対象となる活断層の多くはその長さが10km程度以下と見積もられ、こうした小規模活断層は地表に顔を出していない可能性が高い。そのため、変動地形学に基づいた地表調査のほかに、反射探査、電磁気探査、地震波速度構造、重力分布、といった地下の構造情報を総合的に活用する必要がある、との提言もなされている。今後の調査による予測地図の改善が待たれるが、それでもなおかつ想定から洩れる地震がありうることも覚悟しておく必要がある。

 さらなる問題点として、活断層抽出の難しさと同時に、活動性評価の難しさがある。活動性評価とは、個々の活断層に固有な地震の発生頻度を推定することである。主要活断層の場合にはトレンチ調査(浅い溝による掘削調査)によって直接的に情報を得ることもできるが、位置の特定さえ困難な小規模活断層に対して十分な情報を得ることはきわめて難しい。前節で述べたように、現在公表されているM 7前後の地震に対する予測値は、実際の発生頻度に比べて圧倒的に小さい。これは、おそらく抽出の洩れだけに因るものではない。活断層の活動性から評価した地震の発生確率には、系統的な欠損が含まれる可能性がある。かつてWesnouskyらは、活断層の活動性評価に基づいた地質年代スケールでの変動速度と、地殻変動や地震活動の観測に基づいた数十〜数百年スケールでの変動速度に懸隔があると指摘した22)。この問題は今もなお解決していない。長期的な地震の発生予測に対して活断層情報を基本とするのは当然だが、近年の地殻変動と地震活動の観測結果を矛盾なく説明するという観点からの研究も軽視してはならない。こうした研究を統合することで活断層評価の洩れを補完する必要があるのではないかと思われる。

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4.新たな地震予知研究

4‐1 新たな動向

 阪神・淡路大震災の衝撃は行政だけでなく、地震予知研究者グループに対しても新たな行動を促すきっかけとなった。新しい予知研究の道筋を探ろうという研究者グループの意思は、大学間を連携する機構である「地震予知研究協議会」へと集約され、その後、この機構は、行政への橋渡しも含め、予知研究を進める中核的な役割を担う存在となった。この機構を介して提唱された研究の方向性は、もっぱら前兆現象を探すといったそれまでの現象論的アプローチをやめ、地震発生の過程を解明するという物理学的アプローチに立ち戻ろうとするものであった。ひとつの地震発生場をイメージした時、その時間発展プロセスを「地震の発生による応力解放と固着回復の過程」、「地震発生の準備過程」、「地震発生の直前過程」の三つのステージに分割する。そして、それぞれのステージについて、観測・解析・解釈・シミュレーションによる現象の再現と予測、という段階別の研究戦略を描き、これを予知達成のためのロードマップとした。こうして、ステージ別に、あるいは、項目別にいくつもの研究グループが作られ、数多くの研究集会やシンポジウムが重ねられてきた。この10年間で当初の予想を超える発見や成果が積み上げられてきたが、これを支えたのは基盤観測網の存在である。

4‐2 予知の鍵となる発見

 この10年間の新しい発見のうち、地震予知の観点から特に重要なものとしては、「スロースリップの発見」と「アスペリティの認識」を挙げることができる。スロースリップとは、文字通り、断層をはさんでのゆっくりとした滑りのことを指す。本来の地震は、プレート間や断層面上の固着域が数秒からせいぜい1分間で一挙に滑るものであるのに対し、スロースリップの場合には、数日、あるいは数年にもわたってズルズルと滑りが続く。滑りにはさまざまな時定数をもつものがあり、「ゆっくり地震」や「サイレント・アースクエイク」といったものの存在が、以前から推察されていた23)。しかし、このような長周期性の動きは通常の地震計では見つかり難く、事実としての現象を捉えるには、GEONETやF-net、Hi-netといった基盤観測網の整備を待つ必要があったのである。最近では、数年の時定数をもつ長期的スロースリップから始まって、短期的スロースリップ、超低周波地震、低周波地震、低周波微動、と広い周波数帯域に分布する滑り現象が相次いで発見されており、これらの現象が互いに関連性をもって決まった場所に現れるということも分かってきた24)
 同時に、固着域の滑り過程を理解する上で重要な概念であるアスペリティの存在が実証されるようになった。アスペリティとは、プレート間や断層面上の固着域全体の中で特に強く固着している部分を指す。その概念自体は古くから議論されてきたものであるが25)、観測の高精度化によって、現実のアスペリティの存在が検出されるまでになったのである26、27)。これにより、アスペリティが消滅することはなく、何度でも破壊と固着の回復を繰り返すものであることが検証された。また、M 7を超える大地震では、震源域の中に複数個のアスペリティが存在し、その組み合わせ方によって同一系列の地震でも破壊様式に差異が生じると解釈されるようになった。アスペリティとアスペリティの間は弱固着域であるが、準備過程の段階では固着していたその部分が、地震発生の前に準静的に滑るとの考えも広まりつつある。さらに、アスペリティのサイズにも階層性があり、ごく小さいアスペリティではM 3〜M 5の「繰り返し地震」が規則正しく発生することが実際の観測で確認されている28)

4‐3 シミュレーション研究の進展

 観測と併行して、摩擦滑りを記述する数式に基づいたコンピューター・シミュレーションも長足の進歩を遂げた29)。コンピューター上で繰り返し発生する地震を仮想的に作り出し、境界条件を調整することによって、実際に起きる複雑かつ多様な現象を模倣できるようになった。例えば、同一のアスペリティが繰り返し破壊されること、複数個のアスペリティを置いたときに組み合わせの異なる破壊によりさまざまな様相を持つ地震系列が作り出されること、スロースリップを再現すること、などが模倣できている。さらには、スーパーコンピューターの「地球シミュレータ」を用いて、日本列島全域のテクトニクスと地殻活動の模型を作り出そうというプロジェクトも進められた30)
 シミュレーション研究の目的は、観測された現象の解釈にとどまらない。まず、現在の情況を示す観測値を初期値として入力することで近未来の予測を導き出す。この予測結果と実際に観測された情況を比較しながら、シミュレーションを規定する種々のパラメーターを調整する(これをデータ同化と呼ぶ)。これを繰り返しながら予測の精度をあげることで、実践的な地震予知にまで到達する。このように、シミュレーションは、新たな地震予知研究のロードマップ上に欠くことのできない手段として組み込まれたのである。

4‐4 地震予知の実現性

 観測・解析・解釈・シミュレーションによる将来予測の4段階を組み込んだロードマップに沿って地震予知研究は着実な進展を遂げてきた。地震の発生過程を物理学的に解明しようという新たな研究の方向性は、正しく実を結びつつあると言える。例えば、三陸釜石沖に発見された固有地震の繰り返し過程は微細にわたって解析され、次回の発生がほぼ予測可能な域にまで達した31)。東海・東南海・南海地震は、百年余りの周期をもって繰り返し起きるが、3個の地震の発生様式は毎回同じではない。こうした不規則な発生様式もシミュレーションによって再現できるまでになった32)
 さてそれでは、予知研究の現状は、描かれたロードマップを辿って目標に接近した、すなわち、実践的な地震予知に肉迫し得たと言えるだろうか。答えは否である。現実に地震予知に成功したという事実はない。普遍的な予知への道筋はまだ見えていない。
 例えば、具体的な問題のひとつが、「プレスリップ」である。プレスリップとは、中核となるアスペリティ破壊を含む震源域全体の滑りの直前、端緒からゆっくりとスタートして徐々に加速し始める滑りのことを言い、これを検知することが直前予知の本命とされている。このようなプレスリップ検知への期待は、シミュレーションから生み出された成果のひとつと言えるが、実は、現実の場でプレスリップが認識されたことは一度もない。図表8に掲げた10個の地震のどれでも、プレスリップは見つかっていない。我が国に限らず、世界中を見てもプレスリップを捉えたという報告は今のところ皆無である。ただし、結論を出すのはまだ早い。そもそもプレスリップを検知できるような高感度の観測機器が設置された場所は、きわめて少ない。もっとも条件が好かったのは2003年9月十勝沖地震(M 8.0)であるが、この場合でも、震源に最近接の傾斜計は100km以上離れて設置されていた。内陸の活断層地震の場合には、もっと近距離の観測点もあったが、地震そのもののサイズが小さいため検知できなかったと想像されている。後述するように東海地震の予知もプレスリップの検知を前提としたものであるが、この場合は、M 8級の震源域が内陸に入り込んでいるという特殊な条件下にあることが辛うじてプレスリップ検知への期待をつないでいる。
 そのほかに、「静穏化」の問題もある。2-2節で紹介したヴィス教授らの検証においても、地震活動の静穏化は、最も確からしい前兆現象と認知されてきた33)。実際の静穏化は、対象とするバックグラウンド地震の規模、静穏化のエリア、統計的有意性、さらにはデータベースの均質性など、多くの派生条件が関わる故に、結果としての静穏化情報そのものが玉石混交の状態にある。静穏化が数少ない有意な前兆現象であるだろうことは多くの研究者の認めるところであるが、その発現メカニズムを説明する定説は未だない。アスペリティや準静的滑りといった新しい概念を駆使して解釈しようという動きはあるものの、必ずしもこの分野の研究が進展しているとは言えないのが現状である34)
 学会の動向を見れば、研究者の大勢が地震予知研究に邁進しているわけではないということも分かる。図表9は、2007年秋の(社)日本地震学会において発表された約600件のタイトルを筆者の判断で分類したものである。これによれば、「構造解析」と「断層モデル・破壊過程・発震機構」で50%を超える。さらに「地質構造・テクトニクス」を加えた、いわば空間情報に関する解析が64%に達し、これに対して時間情報というべき「地震活動変化・地殻変動・地震予知」は10%に過ぎない。「構造解析」は地震研究の基盤であり、予知研究の出発点でもある。しかし、地震発生までのさまざまな過程を切り出して物理学的アプローチで迫ろうとする新しい予知研究の戦略を意識したときには、現状の課題の割り振りが偏向し、バランスを欠いているように見える。地震予知研究はその性格上、長期的な観測・監視に基づいたデータの解析・研究が本質的である。短時日での成果を要求する近年の風潮が研究者個人のテーマ選択にも影響し、地震予知のように「成果の創出があらかじめ約束されていない研究」は敬遠されるといった構造的な要因があるのかもしれない。

 なお、1990年代を境に世界的に低調となった現象論的予知研究であるが、現在、米国を中心に新たな流れが生まれつつある。それは、カリフォルニアにおける地震予知を対象として、一定の条件下で個々の研究者がそれぞれの予想を提出し、競い合おうではないか、という試みである35)。この流れは欧州に波及し、さらには我が国でも呼応する動きが出始めている。観測事実からともかく前兆現象を抽出しようという、かつて一度は否定された研究手法が、新たな知識や技術を背景として復活し始めたとも言えよう。

4‐5 東海地震の予知

 我が国において、予知の可能性を行政が認定している唯一のケースが、東海地震である。実際にプレスリップが出現するとしても、それを捕捉できるだけの観測条件を擁しているのは東海地震だけである。1998年3月、東海地震の判定会は、異常活動を検知した際に発動する招集基準を改訂した16)。プレスリップが検知された場合、72時間以内の発生を想定して判定会が招集されることになる。これは、シミュレーション技術の進歩が生み出した成果のひとつと言える。勿論、それはあくまでもシミュレーションであって事実の裏付けがあったわけではない。それ故、仮に東海で本物のプレスリップが出現するとしても、それに基づいて予知すること自体が「ぶっつけ本番」になるという不安要素は残る。このことを含め、東海地震の予知にはいくつもの問題が介在する。
 東海地震予知の期待をプレスリップの出現にかけるのは、1944年東南海地震の前例があったことに拠る。この地震の前日、掛川付近での水準測量において想定外の傾斜変動が観測された36)。ところがこの観測に対して、それが真の地殻の動きだったのかどうかという疑問がつきつけられている37)。また、この傾斜変動が事実であったとしても、震源から遠く離れた掛川で観測されたということに対しては、納得のゆく理由付けがなされていない。
 推本の予測によると、東海地震発生の30年確率は87%(参考値)とされている19)。これは、室町時代の明応地震(1498年)以来、4回にわたる東海地震の平均発生間隔を119年とした結果である。しかし、実際のところ、前回の安政東海地震(1854年)、前々回の宝永地震(1707年)は別として、これよりも前の東海地震の存在には疑問があり、発生間隔はもっと長かったかもしれない。すなわち、現在の発生確率がずっと小さくなる可能性がある。このことは、東海地震の想定震源域におけるプレートの相対速度が当初の想定(4cm/年)よりも小さいのではないか、という指摘とも関係してくる。例えば、伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートの一部が本体から切り離されたマイクロプレートであるとする説があり38)、これによれば相対速度は2cm/年程度とされ、そのとおりであれば発生間隔は既出値の2倍となる。
 また、多くの研究者は、東海地震は東南海地震、南海地震と連動する可能性が高いと考えている。歴史上、東海地震が単独で起きた例はないからである。次回の東南海地震の発生確率は現状で60%であり、そのような発生予測から言えば2030年くらいが山場となる。連動するならば、東海地震は東南海地震に引きずられ、その頃まで発生がずれ込むだろうと見るわけである。
 以上のように、東海地震予知の実現性には、なお多くの難題がつきつけられたままとなっている。しかしそれでもなお、東海地震はもっとも予知に近いと言える。2000年頃を境に想定震源域に隣接する浜名湖直下には観測史上最大規模のスロースリップが生じ、同時に震源域の固着情況にも有意な変化が見られた。我が国の高密度観測網の中でも突出した稠密観測網によって、その動きが逐一捉えられるようになったのである39)。言い方を変えれば、現実の情況変化が刻々と捕捉されつつあるのは東海地震だけであるということになる。また、東海地震を対象にしたシミュレーション研究も少しずつ実際的なものに近づきつつある。このような情況を勘案してもなお東海地震の予知が不可であるとするならば、それは地震予知の可能性そのものを否定するに等しい。その意味で、東海地震が地震予知の試金石であることに違いはない。

4‐6 茨城県沖地震の予知

 2008年5月8日、茨城県沖にM 7.0の地震が発生した。ここでは1896年の歴史地震を初めとして今回までに6個の地震が、20数年の間隔をおいてほぼ定期的に繰り返してきたことが知られている。さらに、地震波形の解析から、前回の1982年に起きたM7.0の地震と今回の地震は、同じアスペリティを破壊したことが分かった27)。また、そのアスペリティは沈み込んだ海山が関わって形成されたものらしいという報告もなされている40)。これらの事実や発見に基づいて、また、これまでに培われた地震の発生過程に関する新たな認識に基づくことによって、我々の茨城県沖地震に対する理解は格段に深まった。今回の地震では事前の地震活動変化も検知されており41、42)、おそらく20年後に来る次の茨城県沖地震に際しては、何らかの予知情報の出ることが十分に期待できる。

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5.おわりに

 行政が担う「地震発生予測」では、ほぼマニュアル化された解析の手法を介して最終成果としての地震動予測地図が導かれた。その予測結果に問題があるとなると、それは情報が不足していたためであり、さらなる調査が必要と判断されている。しかし、実際には、問題は情報量の不足だけにとどまらない。予測地図に到るまでの解析手続きそのものにも研究レベルの課題が残る。
 一方、この10年間に新たな方向性のもとで進められてきた「地震予知」研究では、断層の破壊過程に焦点をあてた物理学的解明が大きく進展した。東海地震のようにピンポイントでの予知を一般化することはまだ無理としても、単なる「地震発生予測」に対して応力状況分析に基づいた付加情報を提供するという意味ならば、現状でも「地震予知」は存在すると言って差し支えないだろう。ただし、それらの情報は未だ実効性に乏しく、その意味では、研究者が見つめている「地震予知」の実態と社会が期待する「予知」との間には大きな隔たりがある。
 最近、朝日新聞に掲載された記事「地震予知、前提一変」は、こうした事情を報じ、地震予知研究の難しさを簡明に伝えている43)。しかし、筆者には、それが「予知」に対して否定的宣告を下しているとは読めず、地震予知に寄せる社会の関心の強さをあらためて感じさせる記事のように見える。予知研究を推進させている原動力は、単に研究者の科学的関心だけではない。
 4-6節で紹介した茨城県沖地震の事例は、予知研究においてはしばしば、ターゲットとする地震の発生によって研究全体が一挙にステップアップする、ということを如実に示した。逆に言えば、普段は、研究の歩みが遅々として進まないように見える、という一面もある。地震予知の達成がいかにも困難に見えるとすれば、その難しさの本質は、全ての創造的研究がそうであるように、あらかじめ結果が見えているわけではないというところにある。

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1) 2008年5月13日朝日新聞

2) Abe, K. and S. Noguchi, Determination of magnitude for large shallow earthquakes, 1898-1917, Phys. Earth Planet. Inter., 32, 45-59 (1983)

3) 岡田義光、「日本の地震地図」、東京書籍(2004)

4) 佃為成、「地震予知の最新科学」、サイエンス・アイ新書、SIS-039 (2007)

5) VAN法による観測:
http://contest.thinkquest.jp/tqj2000/30295/prediction/van.html

6) Hamada, K., Statistical evaluation of the SES predictions issued in Greece: alarm and success rates, Tectonophysics, 224, 203-210 (1993)

7) Geller, R. J., Shake-up for earthquake prediction, Nature, 352, 275-276 (1991)

8) The Parkfield, California, Earthquake Experiment:
http://earthquake.usgs.gov/research/parkfield/index.php

9) 「地震予知連絡会30年のあゆみ」、建設省国土地理院 (2000)

10) 岡田義光、地震予知連絡会による地域指定と近年の地震、地震予知連絡会会報、79、626-628 (2008)

11) 石橋克彦、東海地方に予想される大地震の検討−駿河湾大地震について−、地震学会講演予稿集、No.2、30-34 (1976)

12) 大規模地震対策特別措置法:
http://www.bousai.go.jp/jishin/tokai/houritsu/taishin/contents.htm

13) 浜田和郎、「地震予知」、森北出版 (1986)

14) Ohtake, M., T. Matsumoto, and G. V. Latham, Seismicity Gap near Oaxaca, southern Mexico as a probable precursor to a large earthquake, Pure and Appl. Geophys., 115, 375-385 (1977)

15) 地震調査研究推進本部:
http://www.jishin.go.jp/main/index.html

16) 中央防災会議東海地震に関する専門調査会:
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/tokai/index.html

同判定会招集基準:
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/tokai/3/4-01.html

17) (独)海洋研究開発機構:
http://www.jamstec.go.jp/j/

18) 海上保安庁海洋情報部:
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/chikaku/kaitei/sgs/detail.htm

19) 「全国を概観した地震動予測地図」の試作版(平成15年版):
http://www.jishin.go.jp/main/choukihyoka/03mar_kakuritsu/setsumei.pdf

同完成版(平成17年版):
http://www.jishin.go.jp/main/chousa/05mar_yosokuchizu/bunsatsu1.pdf

20) 地震ハザードステーション:
http://www.j-shis.bosai.go.jp/

21) 2008年7月13日 読売新聞

22) Wesnousky, S. G., C. H. Scholz, and K. Shimazaki, Deformation of an island arc: Rates of moment release and crustal shortening in intraplate Japan determined from seismicity and quaternary fault data, J. Geophys. Res., 87, 6829-6852 (1982)

23) 川崎一郎、「スロー地震とは何か」、NHKブックス、1055 (2006)

24) 小原一成、深部低周波微動に同期する短期的スロースリップイベントの検出−防災科研Hi-net傾斜観測による成果−、測地学会誌、53,25-34(2007)

25) Kanamori, H., The nature of seismicity patterns before large earthquakes, Earthquake Prediction, Maurice Ewing Series 4, 1-19 (1981)

26) 東海地震の発震源と見なされるアスペリティ4ヶ所を特定、科学技術動向、2007年12月号、No.81、p9(2007)

27) 山中佳子、NGY地震学ノート:
http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/sanchu/Seismo_Note/

28) 松澤暢、地震予知の戦略と展望、地学雑誌、110、771-783 (2001)

29) Tse, S. T. and J. R. Rice, Crustal earthquake instability in relationship to the depth variation of frictional slip properties, J. Geophys. Res., 91, 9452-9472 (1986)

30) 日本列島域の地殻活動予測シミュレーションモデルの開発:
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu6/sonota/05053002/h16houkoku/1502.pdf

31) 内田直希・松澤暢・三浦哲・平原聡・長谷川昭、小繰り返し地震解析による宮城・福島県沖プレート境界の準静的すべり、地震2、59、287-295 (2007)

32) Hori, T., N. Kato, K. Hirahara, T. Baba, and Y. Kaneda, A numerical simulation of earthquake cycles along the Nankai trough, southwest Japan: Lateral variation in frictional property due to the slab geometry controls the nucleation position, Earth Planet. Sci. Lett., 228, 215-226 (2004)

33) Habermann, R. E., Precursory Seismic Quiescence: Past, Present, and Future, Pure and Appl. Geophys., 126, 279-332 (1988)

34) 松村正三、地震活動変化から何を読み解くか?−プレート境界地震のアスペリティの特定−、地震特集号、刊行予定

35) Schorlemmer, D,M.C. Gerstenberger, S. Wiemer, D. D. Jackson, and D. A. Rhoades, Earthquake Likelihood Model Testing, Seism. Res. Let., 78, 17-29 (2007)

36) Mogi, K., Temporal Variation of Crustal Deformation during the Days preceding a Thrust-type Great Earthquake−The 1944 Tonankai Earthquake of Magnitude 8.1, Japan, Pure and Appl. Geophys., 122, 765-780 (1984)

37) 鷺谷威、1944年東南海地震直前の異常傾斜変動再考、日本地震学会2004年秋季大会、A45 (2004)

38) 日置幸介・宮崎真一、中部日本のプレート境界と東海地震、月刊地球号外、41,146-150 (2003)

39) Ozawa, S., M. Murakami, M. Kaidzu, T. Tada, T. Sagiya, Y. Hatanaka, H. Yarai, and T. Nishimura, Detection and monitoring of ongoing aseismic slip in the Tokai region, central Japan, Science, 298, 1009-1012 (2002)

40) Mochizuki, K., T. Yamada, M. Shinohara, Y. Yamanaka, and T. Kanazawa, Weak Interplate Coupling by Seamounts and Repeating M〜7 Earthquakes, Science, 321, 1194-1197 (2008)

41) 井元政二郎、2008年5月茨城県沖地震の短期確率、地震予知連絡会会報、81、投稿予定

42) 松村正三、1982年及び2008年の茨城県沖地震に共通する先行地震活動のパタン変化、地震予知連絡会会報、81、投稿予定

43) 2008年8月27日 朝日新聞

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