1.はじめに
我が国においては近年、社会経済の発展と科学技術の進歩により、食を取り巻く環境は大きく変化している。食品の流通は広域化かつ国際化し、一方では製造・加工技術の発達によって多種多様な食品が流通し、我々の食生活は多様化が進んでいる。しかし、その反面、牛海綿状脳症(BSE)の発生、輸入農作物からの残留農薬の検出、輸入食品や食器からの有害化学物質の検出、安全性が確認されていない遺伝子組換え作物の食品への混入、食品の産地や成分の偽装表示など、国民の食に対する不安が顕在化しており、さらには新興の病原微生物による大規模な食中毒の発生といった公衆衛生上の問題も浮上している。
食にまつわる安全管理において、近年、ノロウイルスが注視されている。その主な理由として、当ウイルスが食品からヒトへ伝播する、いわゆる食中毒だけではなく、感染症として感染者の排泄物を介して伝播することにより、その罹患者が多くなる傾向にあることが挙げられる。また、主たるもう1つの理由として、当ウイルスの微生物学的特性、すなわち、培養細胞で人工的にウイルスを増殖できないことが研究の障壁となり、生活環境中での存在様式や感染性の消失に関する情報がこれまで十分に蓄積されず、必要十分な発生予防対策を見出すに至らなかったことが挙げられる。近年、ノロウイルスによる食中毒あるいは感染症の大規模発生事例が世界的に顕著になっていることもあり、現在は当ウイルスを制御するための様々な研究開発が精力的に進められているものの、その研究開発は途上にある。この点で、サルモネラ菌属などに起因する食中毒のように、古くからその病態が明らかにされ、科学技術上の発生予防策がすでに確立しているものとは対照的であるといえる。
上記の状況から、ノロウイルスによる食中毒および感染症の予防策を講じることは、今後の世界の公衆衛生の向上に大きく貢献する。ノロウイルスに対する新規の制御法を開発することは、微生物学的観点からも貴重な研究成果となる。本稿では、ノロウイルスによる食中毒および感染症に焦点を当て、その発生状況を分析するとともに、当ウイルスの制御に関する我が国の研究開発動向を紹介し、今後の発生予防対策を考える。
2.ノロウイルスの微生物学的特徴1、2)
2‐1 名称
ノロウイルス(Norovirus)は1968年、米国オハイオ州ノーウォークの小学校にて集団発生した胃腸炎患者から発見されたウイルスである。電子顕微鏡で観察される形態学的分類でSRSV、小型球形ウイルス(図表1)、あるいはノーウォーク様ウイルスという名で呼ばれてきた。2002年の夏、国際ウイルス命名委員会においてノロウイルスという名称が決定され、世界で統一されて用いられるようになった。

2‐2 構造と種類
ノロウイルスは表面がカップ状であり、1種類の外殻構造蛋白と、内部に1本鎖のRNAを遺伝子として持つ(全体をウイルス粒子という)。ウイルスの構造は単純なものの、その遺伝子は多様性を持っていることが特徴である。遺伝子型によって大きくGIとGIIの2群に分けられるが、その群のそれぞれが15と18あるいはそれ以上の遺伝子型に分類されている。したがって、現時点では30種以上の遺伝子型のノロウイルスが存在すると考えられている。また上述のように、ノロウイルスは1本鎖のRNAを遺伝子として持つことから、この種のウイルスによく見られる特性として、ウイルスの遺伝子が変異を起こしやすいと考えられている。よって、ノロウイルスの新しい遺伝子型は、現在もなお発見され続けている状況であり、総じて当ウイルスの種類は多いと言える。
2‐3 増殖様式と研究状況
ノロウイルスはヒトの腸管のみで増殖すると考えられている。ヒトの腸管内で増殖した後は糞便と共に大量に排出されることが明らかになっており、糞便1グラム当たり数億個のウイルスを含むと考えられている。
ノロウイルスは、僅か10〜100個でヒトへの感染が成立する。ヒトに対して強い感染力を持っている一方、ウイルス共通の特徴として食品や環境中では増殖しない。また、当ウイルスは河川や海水において比較的長い間、感染能力を保持していると考えられている。以下の2-4で述べるが、ノロウイルスと近縁のネコカリシウイルスを代替とした実験によると、4℃で2ヶ月間、室温で2週間、37℃で約1週間程度、感染力を保っていたことが明らかになっており、河川や海水はウイルスの温床になっていると考えられている。
これまで、培養細胞(生体から分離され、体外で増殖、維持されている細胞)を使って人工的にウイルスを増殖させたという報告はなく、また実験動物を用いた感染モデルについても現在、研究が進められている状況である注1)。したがって、増殖可能で、かつ感染性のある自然な状態のウイルスを採取することは未だできず、ウイルスの動態やヒトへの病原性を詳細に解析するための実験系も未だ確立していない。このため、ヒト体内や生活環境中での存在様式に関しては不明な点が多い。加えてノロウイルスは、上述のようにその構造が単純であるため、有効な抗ウイルス剤を開発することが難しい。その理由として、ウイルスの構造蛋白の合成を阻害するような薬物の開発を想定した場合、その作用点と推測されるウイルスの部位が限られることが挙げられる。さらに遺伝子型が多いため、全ての遺伝子型に有効な抗ウイルス剤やワクチンを開発することは困難な状況である。
2‐4 感染性
上述のように、ノロウイルスは培養細胞で増殖できないため、試験管内での実験系が確立していない。したがって、ノロウイルスの感染性が消失する、いわゆる不活化の条件については、当ウイルスと近縁なウイルスを用いた実験系によって推測されているのみである。ネコカリシウイルスおよびイヌカリシウイルスを例に挙げると、両ウイルスは培養細胞での実験系がすでに確立しているため、その実験で得られたウイルスの不活化条件がノロウイルスのそれに外挿されている。両ウイルスを用いた実験により、ノロウイルスも85℃以上で1分間以上の加熱により、完全に不活化すると推測されている。また、ノロウイルスは塩素系薬剤にある程度の耐性を持っていると考えられている。ウイルス感染者の排泄物や身の回りの生活用品に存在するウイルスを不活化するためには、塩素濃度1,000ppm程度の次亜塩素酸ナトリウムを使用することが推奨されている。具体的には、ウイルスを不活化するために1,000ppmの場合で1分、200ppmでは5分間の浸漬が必要であると考えられている。また、糞便や吐物のように有機物が多く含まれるものに対しては1,000ppm程度の濃度が適切であると考えられている3)。さらに、一般の消毒に使われている70%エタノールについては、ノロウイルスの不活化のために5分以上の処理を要するとされており、通常行われる噴霧のみでは完全に不活化することができないとみなされている。また逆性せっけんについては、ほとんど不活化の効果はないと考えられている。しかし、せっけんを使った十分な手洗いはウイルスの除去効果があり、一般的にウイルス感染の予防法としては非常に有効である。
2‐5 検出方法
2-3で述べたように、ノロウイルスはヒト糞便に多量に存在するため、そこに含まれるウイルス粒子を電子顕微鏡で確認する方法がこれまで主流であった。しかし近年は、ノロウイルス遺伝子の塩基配列が明らかになったことにより、遺伝子工学的手法を用いて、ウイルス遺伝子やウイルスの構造蛋白を検出する方法も用いられるようになった。これら検出方法の特徴と課題点、改良の状況については5-1で述べる。

3.ノロウイルスによるヒトの食中毒・感染症の特徴
上述したように、ウイルスの動態や病原性に関する実験的知見は十分ではない。以下に記載する内容の多くは、ウイルス遺伝子の情報を基にした解析によって、近年明らかになったものである。
3‐1 ヒトへの感染を決定する因子
ウイルスがヒトに感染する際にはまず、ヒトの細胞表面にウイルスが結合する。この細胞表面のウイルス結合部位を「レセプター」と呼ぶ。ノロウイルスに関してはヒトの腸管上皮細胞に存在する糖鎖がレセプターになっていることが、ノロウイルス構造蛋白を用いた実験により示唆されている注2)。この糖鎖はヒトの赤血球上や唾液にも存在し、ヒトの血液型を決める組織・血液型抗原として知られている。したがって、ヒトの血液型とノロウイルスの感染性とは密接な関係があるものと推測され、解析が進められている4、5)。
3‐2 ヒトへの感染経路
ノロウイルスがヒトに到達し感染するまでの道筋、いわゆる感染経路は様々である。食品や水を介した感染経路や、ヒト間での排泄物を介した経路も挙げられている。前者の場合は食中毒として注3)、また後者の場合は感染症としてとらえられている。
具体的な感染経路を以下、および図表2に示す(以下の(1)〜(4)は図表2中の各数字に対応)6、7)。

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(1)ノロウイルス感染者の排泄物である糞便や吐物にはノロウイルスが含まれている。この排泄物から人の手などを介し、あるいは排泄物が乾燥し空中に飛散することにより、近隣のヒトへ感染する(感染症)。感染者の糞便からのウイルスの排泄は、患者の症状が消失した後も1週間程度、長いときには1ヶ月程度続くと考えられている。
(2)ノロウイルスに感染した食品取扱者などを介してウイルスが食品に付着し、その食品を摂取したことにより感染する(食中毒)。ここでいう食品取扱者とは、食品の製造等に従事する者、飲食店や学校などの集団給食施設における調理従事者、家庭で調理を行う者などを指す。
(3)ノロウイルスに汚染された二枚貝を、生あるいは十分に加熱調理しないで食べることにより感染する(食中毒)。二枚貝がノロウイルスに汚染される理由としては、下水→河川水→海水→二枚貝へとウイルスが移行し、貝の中腸腺にウイルスが蓄積することに因る。この現象は、現在の下水処理システムによって、ノロウイルスが完全に除去できないことに起因している。
(4)ノロウイルスに汚染された井戸水や簡易水道水を、消毒不十分で摂取して感染する(食中毒)。
ウイルスは環境中では増殖しないため、ヒトの排泄物が含まれる下水以外はその存在量が比較的少ない。このため、ウイルスの汚染状況調査は容易ではない。しかし一方で、上記(3)、(4)のような、環境中でのノロウイルスの存在様式については、ウイルス遺伝子検出法の導入によって次第に明らかにされつつある8)。環境中に存在するウイルスの量は、下水利用地域におけるヒトのノロウイルス感染症の流行状況、下水処理施設毎の処理能力の違い、気候変動による河川流量の増減や海流の変化などにより、大きく変化すると推測されている。ここでは図表3にその一例を示す9)。
総じて、我が国におけるノロウイルス汚染の全体像は未だ完全に把握されてはいない。今後はヒトにおける感染状況の調査と平行して、環境中でのノロウイルス汚染に関する長期的かつ全国的な調査を行う必要がある。

3‐3 食中毒・感染症における臨床症状2)と治療法
ノロウイルスによる食中毒・感染症について、その症状の発現に必要なウイルス量や、ウイルス量と症状の重篤度との関係についての知見は乏しい。
一般的に、ノロウイルスがヒトの体内に入った後、通常24〜72時間で症状が現れるとされている。主症状は嘔吐、下痢、腹痛であり、その症状の多くは数日の経過で自然に回復する。また、頭痛、発熱、悪寒、筋痛、咽頭痛、倦怠感など、軽い風邪のような症状の場合や、自覚症状がない場合、いわゆる不顕性感染の例もある。しかし一方では、乳幼児や高齢者で重症化した例が報告されている。
ノロウイルスに対する免疫の持続期間については、感染後6〜14週間程度で比較的短いと考えられており、その免疫が切れた後、同種のウイルスに繰り返し感染する場合がある。また、2-2で述べたようにノロウイルスの種類が多いため、1種類のウイルスに対する免疫がある場合でも、別種のウイルスに感染する可能性もある。
治療法については、有効な抗ウイルス剤やワクチンがないため、現在、その治療は点滴による水分の補給などの対症療法に限られる。したがって乳幼児や高齢者のように、ノロウイルス感染によって症状が重篤化する可能性のある者に対しては注意が必要である。

4.ノロウイルスによる食中毒・感染症の発生状況
3章で示したように、ノロウイルスによる疾病は食中毒としてとらえられる場合と、感染症としてとらえられる場合がある。我が国においてはそれらの発生状況について、それぞれ異なる調査がなされている。一方、諸外国においては、我が国のようにノロウイルスの食中毒について体系的な調査はなされておらず、そのほとんどが感染症の発生事例として報告されている。
4‐1 我が国における食中毒の発生状況
−食中毒統計による10)−
ノロウイルスによる食中毒の発生状況は、厚生労働省が所管する食中毒統計により把握することができる。当統計は、食品衛生法(最終改正:2006年6月7日、法律第53号)により義務づけられた、食中毒事例全般を対象とする統計であり、調査対象の1つとしてノロウイルスによる食中毒が報告されている。
我が国で発生している食中毒については、ノロウイルスに因るものが多い。図表4、5で示すように、2001年から2006年で、ノロウイルスによる食中毒は総発生件数の13.9〜33.5%、総患者数の28.5〜70.8%を占めている。他の食中毒原因微生物と比較すると、ノロウイルスによる発生件数は2001〜2003年で第3位、2004年には第2位、2006年には第1位と変化している。また、その患者数は2001〜2006年を通して第1位を占めている。2006年を例に挙げると、ノロウイルスによる食中毒は、全発生件数の33.5%(全件数1,491件のうち499件)、総患者数では71%(総患者数39,026人のうち27,616人)を占めている。なお、同年において、ノロウイルスによる食中毒の死亡者はいない。


ノロウイルスによる食中毒の原因食品としては、飲食店や旅館等の提供食品や弁当等といった複合食品が過半数を占めている。2005年のデータによると、ノロウイルスによる食中毒全事例の約56%は複合食品に因る。複合食品以外では寿司、パン・サンドイッチ、刺身など、その調理工程において調理従事者の手指が直接接触する可能性が高い食品が挙げられている。したがってその事例の多くは、調理あるいは配膳過程における食品取扱者からの直接的、間接的な二次汚染が原因であると考えられている。また二枚貝によるノロウイルス食中毒事例として、カキによるものが一時期問題になっていたが、ノロウイルスによる食中毒全事例に占める割合は2001年1月〜2003年10月の間で約54%(287件中154件)、2003年10月〜2005年10月の間で約11%(265件中30件)、2006年では約2.2%
(499件中11件)と、年を経る毎に大幅に減少している。これには2つの理由が考えられる。1つは、近年、農林水産省、地方自治体や関連事業者が一丸となって、養殖カキの生産・加工過程におけるノロウイルスの検査を励行しているため、ウイルスに汚染された生食用カキが市場に出ることが少なくなったことである11)。もう1つの理由としては、厚生労働省、地方衛生研究所や関係団体などの積極的な指導により、カキを加熱調理し摂食する習慣が国民に浸透してきたことが挙げられる。
施設別の発生状況については、飲食店での発生が過半数を占める。2006年のデータによると、ノロウイルスによる食中毒全事例のうち飲食店が約58%、旅館、仕出屋や事業所の発生例が合わせて約34%、病院や学校での発生例がそれぞれ約2%である。
ノロウイルスによる食中毒は一年を通して発生がみられるものの、季節性がある。11月くらいから発生件数が増加しはじめ、12月〜翌年1月が発生のピークになる。これはサルモネラなどの細菌性食中毒の発生が、初夏から秋にかけて多くなることと対照的である。
図表5に示したように、ノロウイルスによる食中毒の患者数は増加傾向にある。その理由として、ノロウイルス食中毒自体の増加のほか、以下5章で示すノロウイルス検査法の発達や、当ウイルスに対する知識の浸透により報告数が増加したことが考えられている6)。
4‐2 我が国における感染症の発生状況
−感染症発生動向調査による−
我が国において、ノロウイルスによる感染症の発生状況調査は単独に行われておらず、種々の微生物によって引き起こされる「感染性胃腸炎」という疾患に入れ込まれて調査が行われている。
感染性胃腸炎は、嘔吐や下痢を特徴とする胃腸疾患であり、感染症の予防および感染症の患者に対する医療に関する法律(最終改正:2008年5月2日、法律第30号、以降、感染症法)において定点把握五類感染症に指定されている疾患である注4)。感染性胃腸炎の発生状況は、全国約3,000の小児科医療機関からの報告をもとに調査されている。ただし、この調査は全ての患者数を把握するものではない。
調査によると、2001〜2006年には874,241〜1,148,958人が感染性胃腸炎に罹っている。また、報告された患者数は漸増傾向にあることが明らかになっている。
4‐3 諸外国における食中毒・感染症の発生状況
ノロウイルスの食中毒あるいは感染症の発生状況については、その調査体制が国によって異なっている。アフリカやアジアの一部地域など、公衆衛生管理が十分に行き届いていないところでは、ノロウイルスに限らず他の病原微生物による食中毒や感染症の発生は多いと推測されるが、このような地域においては疫学調査の体制が整備されておらず、かかる疾病の発生状況についての報告は全般的に乏しいのが現状である。
一方、欧州諸国や米国からもノロウイルスによる感染症、いわゆる感染性胃腸炎の発生事例が報告されているが、その事例調査の方法は一律ではない。したがって、以下で述べる調査結果について、各国間での単純比較はできないことに注意する必要がある。 欧州では欧州食品媒介ウイルスネットワーク(Food borne viruses in Europe Network、FBVE)が、14加盟国でのノロウイルスによる感染性胃腸炎の発生状況をまとめ、公表している12、13)。これによると、ハンガリー、ドイツ、オランダ、デンマーク、アイルランド、フィンランド、ノルウェー、英国、スウェーデンの9カ国において、2006年10〜11月のノロウイルスによる胃腸炎の集団発生件数や患者数が、2004年、2005年の同時期と比較して顕著に増加したことが明らかにされている(図表6)。

米国においては、ノロウイルスによる感染性胃腸炎の調査が恒常的に行われていなかったが、同疾患の多発が懸念されていることもあり、2006年末から米国疾病管理予防センター(Centers
for Disease Control and Prevention、CDC)が全国レベルでの大規模調査を行っている14)。その調査によると、2006年10〜12月には24の州で1,316事例の急性胃腸炎の集団発生が起き、うち382事例がノロウイルスによるものであったことが明らかになっている。同ウイルスによる胃腸炎が最も多かったのはカリフォルニア州の69事例、次いでミネソタ州の47事例、ミシガン州の37事例が多かったと報告されている。また22の州において、2005年の同時期と比べて集団発生数が18〜800%増加し、増加が最も著しい州はミシガン州で800%増加、次いでニューヨーク州で490%増加、およびカリフォルニア州で445%増加したことが明らかになっている。

5.ノロウイルスによる食中毒・感染症の対策
ノロウイルスによる食中毒・感染症の対策については、2章および3章で示した微生物学的特性と感染経路の特徴から考えて、ヒト、食品、および下水・河川・海水を対象としたウイルスの制御が必要である。ここでいうウイルスの制御は、個人の日常衛生管理と、行政機関、医療関連機関や食品関連事業者による公衆衛生管理という2つの側面をもつ。
個人の日常衛生管理とは、個人が食品の十分な加熱、手洗いの徹底、調理器具の衛生管理の徹底、および感染者の排泄物を適切に処理することにより、生活環境中からウイルスを排除することを意味する。4-1で述べたように、ノロウイルスによる食中毒の発生事例は飲食店などの集団給食施設が過半数を占めているため、当該施設においては各食品取扱者が日常衛生管理を徹底し、施設内を常に清浄な状態に保つことが重要である。さらに保育園、学校や介護施設等、ノロウイルスの感染によって症状が重篤化する可能性がある乳幼児や高齢者を収容する施設においては、食中毒と感染症の両面での対策強化が必要である。そこでは給食担当者などの食品取扱者のみならず、施設にいる各人が自主的に衛生管理を行うことによってヒト間での感染の蔓延を防ぐことが重要である。ヒト由来のノロウイルスを制御するためには、これら個人レベルでの日常衛生管理は重要な位置を占めると言える。個人管理の重要性については、近年の行政機関や医療機関の指導により浸透しつつある6、15)。
一方、公衆衛生管理とは、ヒト、食品、および下水・河川・海水のノロウイルスの汚染状況を把握し、存在するウイルスを排除することを意味している。この対策を進めるためには、ウイルスの網羅的な検出法、および効果的かつ効率的にウイルスを除去・不活化する方法の双方を開発することが必要である。以下では、その研究開発の動向について概説し、今後ノロウイルスを制御するための技術上の要件を抽出する。さらに、ノロウイルスによる食中毒・感染症対策を包括する上で必要な、ヒトへのウイルス感染リスクの評価について述べる。なお、ノロウイルス対策全般については参考文献16)を参照いただきたい。
5‐1 ノロウイルス検出のための研究開発動向
ノロウイルスの主な検出方法を図表7に示す17〜22)。最初に開発された方法は電子顕微鏡でウイルス粒子を確認する方法であり、この方法では1mlあたり100万個以上のウイルスがあれば、確実にウイルスを検出することができる。電子顕微鏡を用いる方法は、専門家が行うノロウイルス検出法として現在でも高い信頼性をもち、広く利用されている。

(画像クリックで拡大表示)
一方、近年ではウイルス遺伝子を検出する方法も、ヒトの食中毒・感染症の診断や原因食品の特定に多用されるようになり、RT-PCR法とリアルタイムPCR法は公定法として用いられている。しかし、このウイルス遺伝子検出法は1つの条件設定で万能に利用できるわけではない。各遺伝子型のノロウイルスに対応した細やかな条件設定が必要とされるため、2-2で示したように30種以上の遺伝子型をもち、またさらに新しい遺伝子型が発見され続けているノロウイルスを確実に検出できない可能性がある。
またELISA法、イムノクロマトグラフィー法といった、ウイルス構造蛋白を検出する方法も開発されており、ELISA法については体外診断用医薬品として認可されたものがある。この方法は、遺伝子工学的手法によりウイルス構造蛋白に対する抗体を人工的に作成し、この抗体とウイルス構造蛋白を結合させることによって、ウイルス構造蛋白を検出するものである。この方法は、1検査あたりの費用が他の方法と比べて安価であり、かつその操作が比較的簡便であることから利用の幅が広がっている。ただし、ウイルスの検出感度が低い故、疑陰性例に注意する必要がある。
総じて、信頼性の点では専門家が電子顕微鏡によりウイルス粒子を確認する方法、ウイルス検出感度の点ではウイルス遺伝子検出法、コスト面と簡便性の点ではウイルス構造蛋白検出法が優れている。それらの長所を生かし、検査目的に応じて各検出法が使い分けられている。しかしながら、ウイルス遺伝子検出法とウイルス構造蛋白検出法については、検査結果の信頼性について、今後、改良が望まれる。
またウイルス遺伝子検出法にかかる問題として、検出されるウイルス量が過大視される可能性があることに注意を払う必要がある。ウイルス遺伝子を指標とした検査では、感染性や増殖能力の有無にかかわらず、ウイルスの遺伝子の一部をもったもの全てが検出されるためである。このような可能性を排除するためには、今後、培養細胞を用いた感染性ウイルスの検出法を開発し、現行のウイルス遺伝子検出法と併用することにより、より信頼性の高いウイルス検出系を構築することが急務である。将来的には、ウイルス遺伝子検出法は多くの検体を対象としたスクリーニングに用い、感染性ウイルス検出法は確定判断のために用いることが想定される。加えて、このウイルス検出系がヒト・食品・環境水に対して広く活用できるよう、その操作について一層の簡便化が望まれる。
さらに技術面で、環境中に微量に存在するノロウイルスを効果的かつ効率よく回収する方法を開発し、上記のウイルス検出系に利用することも必要とされている。2-3で示したように、ノロウイルスは環境中では増殖せず、環境中でのウイルス量は少ないと考えられているため、ウイルスの効率的な回収は難しい。さらに河川や海水といった大量の環境水からウイルスを回収するためには、水のろ過能力や濃縮率が大きい方法を開発する必要がある。河川や海水からノロウイルスを回収する手段としては、膜を用いて水をろ過した後、膜上に保持されたウイルスを誘出・回収する方法が現在広く利用されている。具体的な方法として、陽荷電膜法や陽イオン添加型陰電荷膜酸洗浄法などが活用されているが注5)、それぞれに長所・短所があり、目的に応じた使い分けが必要である19)。このことから、より汎用性があり効率的かつ簡便にウイルスを回収する方法を、今後開発する必要がある。
5‐2 ノロウイルスの除去・不活化のための研究開発動向
これまで述べたように、ノロウイルスはヒト由来の微生物であり、感染者の排泄物を介して他のヒトや食品および環境中に拡散する。したがって、感染者、食品および下水・河川・海水を対象にしたノロウイルスの除去・不活化が、当ウイルスによる食中毒・感染症の対策として必要である。
上記対策の中でも、特に、糞便が多量に含まれる下水への対策は重要である。現在、下水処理施設で用いられている微生物の除去および不活化の方法としては、膜処理によるろ過、塩素処理、紫外線処理、オゾン処理、水中の有機物を吸着・分解する機能をもつ微生物を利用する活性汚泥法が主に利用されている。これらの方法は、水の糞便汚染の指標として用いられている大腸菌(群)に対して効果的な除菌・殺菌効果をもたらしている。しかし、上記の方法はノロウイルスの除去や不活化には不十分であり、それは下水や河川および海水に当ウイルスが存在するという事実からも明らかである。現在、下水処理過程におけるノロウイルスの除去あるいは不活化法についての研究開発が精力的に進められている。
一方、二枚貝、衣類や調理器具などの生活用品、浴槽水などの生活用水に存在するノロウイルスの除去・不活化法についても、種々の方法が提案されている。上記の下水処理過程での方法も含め、我が国で研究開発が進められているノロウイルスの除去・不活化方法の概要について図表8に示す23〜27)。

図表8のような方法は、2-4で示したノロウイルスと近縁なウイルスを用いた実験や、5-1で示したウイルス遺伝子検出法により、ノロウイルスの除去あるいは不活化の効果が評価されている。しかし、それらの有効性については、培養細胞を用いた実験で感染性ウイルスの消失を証明したものではない。したがって、ノロウイルス検出系の構築のみならず、ウイルスの除去・不活化法の有効性評価のためにも、培養細胞を用いた試験管内実験系を早急に構築することが必要である。
さらに今後着手すべきは、ヒトの体内に入った、あるいは入る可能性のあるノロウイルスの排除、いわゆる治療や感染予防法に関する研究開発である。上述の培養細胞を用いた試験管内実験系と同様、実験動物を用いた感染モデルも未だ確立されず、ヒトに対するノロウイルスの病原性はあまり解析されていない。また、2-3で示したように有効な抗ウイルス剤やワクチンの開発の目処も立っていない。したがって、実験動物を用いたノロウイルス感染モデル、あるいはそれに相当する動物実験代替法を構築し、感染者の治療や感染予防に関する研究開発を進めることが必要である。
5‐3 リスク評価の試み
−食品安全委員会によるリスクプロファイルの策定−
ノロウイルスによる食中毒・感染症の包括的な予防対策の一環として、我が国においては内閣府の食品安全委員会が「ノロウイルス感染のリスクアナリシスのためのリスクプロファイル(案)」28)を作成し注6)、ノロウイルスの感染によりヒトの健康への悪影響が発生する確率とその影響の程度についての分析、いわゆるリスク評価を進めている。当作業は、食品安全基本法(最終改正:2007年3月30日、法律第8号)の下で行われている食品健康影響評価の一部である。食品の摂取にかかるヒト健康リスクを評価し、その結果を関係機関が行うリスク管理に反映させることによって、食品の安全性確保に関する施策が総合的に推進されている29)。
ノロウイルス感染に係る上記リスクプロファイルは、リスク評価に必要な情報を抽出・整理したものである。ノロウイルスならびにそれに汚染された食品に関する「ハザード関連情報整理」、「暴露評価」、および「ハザードによる健康被害解析」の3項目に係る情報が集められている。図表9に示すように、当ファイルでは上記の情報について必要十分に入手しているものと不足しているものとに整理している。不足している情報については、食品安全委員会が集中的に収集・整備した後、リスク評価を行う。
図表9をみると、ノロウイルスによる食中毒・感染症のリスクを評価するために必要な情報については、まだ十分に収集されていないことが明らかである。係る情報を整備するためには、培養細胞を用いた試験管内での実験系や実験動物を用いた感染モデル系を確立すること、およびより高感度かつ効率的なウイルス検出系を開発することによって、ヒト・食品・環境におけるウイルスの存在様態を解明することが必須である。また、ヒト集団におけるウイルスの浸淫状態を把握するためには、現行の感染性胃腸炎の調査体制とは別に、ノロウイルス感染症に焦点を絞った発生状況の調査が必要である。これらの要件を満たしてリスク評価を行い、その結果を関係行政機関が行うリスク管理へと反映させることにより、初めてノロウイルスによる食中毒・感染症の効果的な予防対策が可能になると考えられる。


6.おわりに
ノロウイルスはヒト由来の微生物であり、ヒトが高密度で存在し、かつ長期間その感染性を保つ水環境があれば、人間社会に継続して存在する。今後、世界的に予想される人口の過密化は人間社会におけるノロウイルスの循環に拍車をかけ、環境中でのウイルスの存在を助長する危険性をはらんでいる。係る可能性に備えるためには、ヒト・食品・環境でのノロウイルスの存在様態を解明し、その除去あるいは不活化のための方策をあらかじめ講じることが必要である。それと同時に、ヒトに対するノロウイルスの病原性を解明し、ウイルス感染に対する効果的な予防や治療法の開発へとつなげることが重要である。このようなノロウイルスの制御に必要とされているのは、ウイルス検出系やウイルスの除去・不活化法の開発であり、それらの方法はいずれも、培養細胞を用いた試験管内実験系や実験動物を用いた感染モデルの構築といった基礎研究なくしては開発できないものである。ノロウイルスに関する基礎研究はその制御に直結するものとして、微生物学、公衆衛生学、食品衛生学、水道工学などの分野を横断し、行政機関、大学を含む研究機関、医療関連機関や関連事業者が一丸となって推進することが必要であろう。また基礎研究とともに、その感染予防から治療に至るまで、上記関係機関や事業者間での平時・緊急時の連携体制を整備することが、今後一層必要になるものと考えられる。

謝辞
本稿の執筆にあたり、国立感染症研究所客員研究員の西尾治先生からは、全般にわたって貴重なご意見をいただきました。また、同研究所感染症情報センター長の岡部信彦先生からは、多くの関連資料をご提供いただきました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
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