[レポート2]

ナノテクノロジーの
社会受容に関する取り組み

竹村 誠洋

客員研究官

1.はじめに

 21世紀の始まりとともに、ナノテクノロジーは社会に多大な恩恵をもたらすエマージングテクノロジーとして期待され、日米欧をはじめ、世界各国において科学技術政策の重点分野として位置づけられた。その反面、ナノテクノロジーの健康・環境リスクなど、いわゆるナノテクノロジーの社会的影響に対する懸念も少なくない。今やナノテクノロジーを科学技術政策の重点分野とする国のほとんどにおいて、ナノテクノロジーの社会受容は国家プログラムの重要課題として位置づけられている。

 ナノテクノロジーの社会的影響に関する課題は環境・健康・安全(Environmental, Health and Safety,EHS)関連の課題と倫理・法・社会関連の課題(Ethical, Legal and Societal Issues,ELSI)との二つに大別される(倫理・法・社会関連の課題では「社会」は社会的影響に比べて狭義に用いられている)。環境・健康・安全関連の至近の最重要課題はナノマテリアルの健康・環境リスク評価管理である。一方倫理・法・社会関連の課題については現在、テクノロジー・アセスメント、市民パネルなどが人文社会科学研究者らによって行われ、それらを通して課題が抽出・整理される段階にある。

 ナノテクノロジーの社会受容に関する取り組みは、現在はそれらが受け入れられていないという前提では決してない。現時点においてはナノテクノロジー・リスクの顕在化の指摘もない。そもそも期待されるナノテクノロジーの多くがまだ研究開発段階にある。したがって社会受容に関する取り組みは、将来の社会にとっての利益をより大きくし、一方でリスクをより小さくし、またリスク不安を適切に抑えるべく進められている。したがって、一方的にリスクが取り扱われるべきではない、というのが関係者に共通した認識である。実際にはリスクが議論される面は多いが、それでも従来の新技術開発ではほとんど見られなかったであろう、研究開発側の強い関心、さらにはリスク評価管理側との協力の姿勢が認められる。

 なお、科学技術に関して「社会受容」という言葉は、「社会に適切に受け入れられること」という「価値」を含む場合と、単に「社会への受け入れられ方」という「状態」を指す場合がある。前者の例として、2005年度科学技術振興調整費「ナノテクノロジーの社会受容促進のための調査研究」が代表的であり、本稿もそれに倣った。しかし後者の場合も決して少なくない。特に英語ではsocial acceptanceまたはpublic acceptanceとなり、後者に該当する場合の方が多いので十分留意すべきである。

 ナノテクノロジー・リスクがこのように意識されるようになった背景の一つに、遺伝子組み換え作物の前例がある。研究開発としては成功し、何のリスクも確認されていなかったにも係わらず、遺伝子組み換えからイメージされるリスク不安の大きさのために、世界の市場に受け入れられなかった。この前例は米欧先進諸国にとって大きな教訓となり、ナノテクノロジーの社会受容に関する取り組みが米国において2000年に起こり、欧州がそれに続いた。

 一方、日本の場合には、遺伝子組み換え作物の前例の影響はほとんどなく、2004年6月に米国ワシントンD.C.郊外で開催された「第1回責任あるナノテクノロジー研究開発に関する国際対話」に参加するまで、日本では本格的な議論は行われなかった。ただしそれまで決して無関心だったわけではなく、例えば欧米の動向調査は随時行われていた。その効果もあって、2004年8月に(独)産業技術総合研究所主催の討論会「ナノテクノロジーと社会」が開催された後、比較的短期間のうちにナノマテリアルリスク評価研究プロジェクトが立ち上げられた。

 本稿では、まずナノマテリアルの健康・環境リスクを中心に、ナノテクノロジーの社会的影響に関する議論について述べ、次にその社会受容に関する日米欧の取り組みおよび国際協力について紹介する。最後に、今後の日本の取り組みに必要とされる点を抽出する。

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2.ナノテクノロジーの社会的影響に関する議論

2‐1 至近の最重要課題:ナノマテリアルの健康・環境リスク評価管理

 ナノマテリアルは、一般に代表寸法(粒径、断面径、膜厚など)が100nm以下の粒子、繊維、膜などで、いずれも工場(実験室を含む)で生産された材料である1)。特に粒子の場合は工業用ナノ粒子と呼ばれることも多いが、リスク評価を議論する場合にはナノマテリアルと実質的に同義に使われると言ってよい。なお「マテリアル」、「工業用」には、ディーゼル排ガス粒子のように「非意図的に」生成するナノ粒子と区別する意図も含まれている。

 現時点におけるナノマテリアルのリスクは潜在的ではあるが、アスベスト、ディーゼル排ガス粒子の事例などを鑑みて、重要視されている。ナノマテリアルは同じ化学式を持つバルクの物質とは異なる特性を持つと認識され、特にバルクよりも大きな健康・環境影響を及ぼすと考えられている。その主な理由として、ナノマテリアル化することにより、同一重量のバルク物質と比べて、個数と表面積が膨大になることが挙げられる。ナノマテリアル化により、その特性がより露出し、また異物質の吸着が起こりやすくなり、その影響が現れる可能性も高くなる。この他に、ナノマテリアル化により特性そのものが変化する可能性も指摘されている。

 ナノマテリアルのリスクを被る対象として、労働者(研究者を含む)、消費者、環境の3つが挙げられる(図表1)2)。現時点ではナノマテリアルの生産量は相対的に少なく、それが空中に浮遊する環境は工場、実験室に限られると言ってよい。したがって被ばくする可能性が最も高いのは労働者である。実際に、現在実施されているプロジェクトのほとんどが彼らの安全衛生を目的としている。これに対して消費者の場合は、医薬品、化粧品、食品など、環境の場合は環境浄化剤、農薬、廃棄物などに含まれるナノマテリアルがリスクの源となる。消費者に関しては特に、ナノマテリアルを使用する化粧品、日焼け止めがリスク評価管理の対象として関心を集め始めている。一方、環境に関しては、まだナノマテリアルの生産量が少ないことから、その影響評価の優先度は低いと見なされている。

 ナノマテリアルが生体に及ぼす悪影響、すなわちハザード(有害性)として主に検討すべき影響は次のとおりである3)

 ・免疫反応に及ぼす影響 
 ・発がん性 
 ・神経系に及ぼす影響 
 ・消化系に及ぼす影響 
 ・生殖機能に及ぼす影響

 ハザード評価の際、体内動態、すなわちナノマテリアルがどういう経路を経てどこに到達するか、さらにそこにいかにして留まるか分解されるか、あるいは排泄されるかを把握することが極めて重要である。例えば労働環境においては、ナノマテリアルの生体内への取り込みの最初の段階として、吸入と皮膚接触が検討される。吸入の場合、気管、肺に至るまでに沈着する可能性、さらに血管を経由して各種臓器に行き渡る可能性、リンパ節に移行する可能性、消化系から血中に移行する可能性、嗅球などから神経系に移行する可能性、などが指摘されている。一方、皮膚接触の場合は、角質層を透過して体内に入る可能性が指摘されている。体内動態を把握しつつ、対象と考えられる臓器に及ぼすナノマテリアルの影響を調べることが肝要である。実際にはナノマテリアルが到達し得ない部位に人為的に投与する実験は適切とは言えない。逆に、ナノマテリアルがある部位に到達しても、そこで何の悪影響を及ぼさない場合もある。存在するだけで悪いと決めつけることも誤りである。

 ナノマテリアルの管理においては、従来の化学物質管理と同様、ハザードではなくリスクを管理する、ということが世界各国の取り組みで大前提となっている。リスクは物質に固有なハザードと、曝露(被ばくする確率)のかけ算(リスク=ハザード×曝露)で定量化される。つまり、ハザードが大きい場合でも曝露を低減するように管理すればリスクを小さくできる、という考え方である。リスク管理は規制あるいはガイドラインなどに基づいて行われ、リスク評価研究はそれを作成するために必要な知見を揃えるために行われる。

 リスク管理を適切に行うためには、リスクの定量的評価が必要である。したがってハザード、曝露も定量的に評価する必要がある。いずれについても、ナノマテリアルのための評価方法はまだ確立されておらず、その確立とデータ蓄積を並行して行おうとしているのが現状である。工業用ナノ粒子のハザードおよび曝露の評価方法に必要な代表的技術課題として以下の(1)〜(4)が挙げられる3)

(1)試験物質の確立

 標準試験物質の確立は過去数年間にわたって緊急の課題と位置づけられてきた。かつてナノマテリアルの不純物、表面状態など、性状のバラつきは大きく、同一製造者によるナノマテリアルですらバッチごとに性状が変わるというのが実状であった。現在は製造プロセスの進歩により、カーボンナノチューブなどの代表的ナノマテリアルの場合、合成方法が同じであればその性状のバラつきは生体影響評価を行う上で十分に小さいと言える。しかし合成方法が異なれば、化学式は同一であってもその性状は大きく異なる。したがって、それらを用いた生体影響評価試験において、同一物質を扱ったつもりでも相反する結論が導かれることは珍しくない。

 また、これまでに行われた研究の多くは、同じ重量ならば粒径が小さいナノ粒子ほど大きいハザードを示す傾向を示している。アスペクト(縦横)比もアスベストの事例から重要視されている。しかし用量反応関係が個数、表面積、あるいはその他の幾何学因子のいずれで整理されるかは、まだ十分に把握されていない。評価項目によって支配因子が異なる可能性も十分にある。したがって製造における形状制御範囲が大きいことも標準試験物質に求められる条件の一つである。上記をふまえて、標準試験物質の選択または製造技術開発を行う必要がある。

(2)生体投与方法の確立

 労働環境においては、ナノマテリアルが呼吸器系から生体内へ取り込まれる場合が最も重大視されている。動物実験の場合、全身曝露試験、すなわちチャンバーにナノマテリアルを含む空気を流し、その中に動物を置く試験が最も実環境に近い投与方法である。この実験はナノマテリアルの気中分散に高度な技術を要する。標準化された試験装置が無いため、機差による試験結果のばらつきが予想される。一方、より簡易かつ普及している投与方法として、ナノマテリアルを水中に分散し、それを注射器で動物の気管内に投与する方法がある。この場合の課題として、ナノマテリアルの水中分散技術の向上が挙げられる。水中でのナノマテリアルの凝集を抑えるために分散剤(界面活性剤)が使用されることが多いが、分散自体が生体に及ぼす可能性が指摘されている。

 もう一つ検討されるべきルートが皮膚からの取り込みであり、これは塗布試験によって評価されている。かつては、ナノマテリアルは角質層を透過しない、と報告されたが、これは限られた試験条件での結論であった。その後、長期試験、傷んだ皮膚を用いた試験なども必要であると指摘されている。また毛穴から侵入する可能性もある。なお消化器系から取り込まれる可能性もあるが、現時点では呼吸器系や皮膚に比べると可能性は小さいと考えられている。ただし十分な実証データが得られているわけではない。

(3)体内動態解析技術の確立

 呼吸器系からのナノマテリアルの取り込みにおいて、気道および肺胞に沈着したナノマテリアルはまだ比較的追跡しやすいが、血中に移行した場合、その後の動態、さらに最終的に排泄されるか体内に残留・蓄積するかを把握することは極めて重要であるが非常に困難である。体内動態解析技術として高感度な分析技術、生体反応に影響を及ぼさないマーカーなどの開発が期待される。またリンパ節、神経軸索を経由する可能性も指摘されており、それらを調べる技術を確立する必要もある。

(4)曝露計測

 どのくらいの量のナノマテリアルがどのような過程を経て人体に取り込まれるか、曝露シナリオを構築するためには、労働環境におけるナノ粒子計測が不可欠である。ナノマテリアルはミクロンオーダーで凝集しやすい。しかしナノサイズのまま存在する粒子の確率がゼロと言い切ることはできない。さらに生産量の増加、用途の拡大に伴い、ナノマテリアルの工場生産から貯蔵、運搬、使用、廃棄に至るまで、ライフサイクルを通しての曝露を検討する必要性が生じてくる。その際に、大気、河川、土壌などにおけるナノ粒子の動態解析技術も開発課題となる。

 現状ではナノマテリアルのリスク評価を行うための十分な科学的データはまだ蓄積されていない。ナノマテリアルの生産量は従来使用されている化学物質と比較して少ないとはいえ、規制、ガイドラインなどが確立されるまでの間にも、生産量は増加し続けている。これに対して、現実的な安全衛生対策の中で最善と考えられるものを行う、すなわちベストプラクティスの実行が求められる。

2‐2 将来のナノテクノロジーの潜在的リスク

 2000年の米国の国家ナノテクノロジー戦略(National Nanotechnology Initiative: NNI)開始当初から、研究開発のみならず社会的影響に関しても主導的役割を果たし続けてきた米国科学財団(National Science Foundation: NSF)のRoco氏はナノテクノロジーを4つの世代に分け、おのおのの特徴を示した。さらにRoco氏は各世代のナノテクノロジーの潜在的リスクについて、IRGC (International Risk Governance Council)と共同で著したWhite Paper on Nanotechnology Risk Governanceの中で、その状況を整理した(図表2)4)。各世代のナノテクノロジーの特徴は次のとおりである。

(1)第1世代:受動的ナノ構造(2000年には実用化段階に入っていた)

 エアロゾル、コロイド、コーティング、ナノ粒子強化複合材料など、ナノマテリアルは比較的単純な形態をもつナノ構造を有し、気体、液体、固体の中に分散して使用されるように開発された。

(2)第2世代:能動的ナノ構造(およそ2005年以降には実用化段階に入ったと見なされる)

 ナノDDS(ドラッグ・デリバリー・システム)、バイオデバイス、3次元構造素子、NEMS (ナノ-エレクトロ-メカニカル・システム)など、ナノ構造の物理的・化学的特徴が第1の世代に比べて格段に複雑さを増し、かつ作用も制御範囲内で時々刻々と変化する(現在推進されている研究開発の多くがここに属すると見なされる)。またエレクトロニクス分野ではCMOS(複合金属酸化物半導体)が性能限界に達し、さらにカーボンナノチューブ半導体などのポストCMOS(ただし電荷ベースのまま)への移行も考えられる時期であり、ナノテクノロジーがこのような移行に大きく寄与すると期待される。

(3)第3世代:系統的ナノシステム(およそ2010年以降に実用化が始まると予想される)

 ナノ構造が3次元方向に組織化しつつ拡大し、機能を果たすようになる。またエレクトロニクス分野では電荷ベースから、電子スピン、核スピンなどを用いたデバイスの登場も考えられる。

(4)第4世代:分子ナノシステム(およそ2015/2020年以降に実用化が始まると予想される)

 分子レベルからナノ構造システムを設計し、製造する。また期待される機能として、人間と機械のインターフェイスがあり、例えば人工の感覚器官と神経を高度に接続するものである。

 Roco氏らはナノテクノロジーのリスクおよびその評価管理に関して、第1世代と第2世代以降の間に大きな差異があることから,第1世代に対応するリスクをフレーム1,第2世代以降に対応するリスクをフレーム2と呼んで大別した。第1世代のリスクには、不可避的に生体内、環境内に取り込まれるナノマテリアルのリスクが含まれる。ここでは、潜在的リスクが何であるかを概ね把握でき,さらにその評価管理体系も、ナノスケールを扱うことに伴う技術的課題はあるものの、既存の化学物質評価管理体系をベースにして構築が進められてきた。しかし第2世代以降については、リスク評価管理に関する議論が始まったばかりである。

 例えば、第2世代のナノマテリアルは生体内または環境内に積極的に取り込まれる点で、第1世代とは大きく異なる。

2‐3 ナノテクノロジーの倫理・法・社会関連の課題

 ナノテクノロジーの倫理・法・社会関連の課題に関しては、テクノロジー・アセスメント、市民パネルなどが、人文社会科学者らによって実施されている。しかしまだ具体的課題が十分に抽出・整理されていない。その大きな理由として、@注目すべきナノテクノロジーの多くが研究開発段階にあり、実感できないこと、A学際的であり、広範囲であること、B実用化されたときには既存産業の製品・技術の一部として取り込まれ、ナノテクノロジー固有の効果が見えにくいこと、などが挙げられる。取り組みの多くは研究開発担当者の話の中から課題を抽出・整理する段階にある。

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3.ナノテクノロジーの社会受容に関する日米欧の取り組みおよび国際協力

 ナノテクノロジーの社会受容に関する取り組みは米国が最も進んでおり、欧州、日本がそれに続く。以下、日米欧のおのおのの代表的な取り組みおよび国際協力の現状について述べる。

3‐1 米国

 米国政府は2000年の国家ナノテクノロジー戦略(NNI)の開始時点で社会、倫理、法整備を重要課題として掲げた5)。基本的には図表3のとおり、既存の政府機関が従来の対象をそのまま担当している6)。また米国科学財団(National Science Foundation: NSF)、米国エネルギー省(Department of Energy: DOE)、米国国防総省(Department of Defense: DOD)は大学研究センターを支援している。環境・健康・安全(EHS)関連への投資額および国家ナノテクノロジー戦略全体に占める割合を図表4に示す7)

 ナノテクノロジーの環境・健康・安全関連分野においては、米国環境保護庁(Environmental Protection Agency: EPA)と米国国立労働安全衛生研究所(National Institute for Occupational Safety and Health: NIOSH)の取り組みが早くから活発であった。米国環境保護庁はナノマテリアルリスク評価管理を化学物質総合管理に係わる既存の体系、例えばTSCA (Toxic Substance Control Act)を基礎に進めることを表明し、2005年12月にナノテクノロジー白書を発表した8)。また米国環境保護庁は民間企業、NGOによるナノマテリアル安全性評価管理プログラムの支援、大学の健康・環境影響に関する研究の財政支援も行っている。

 一方米国国立労働安全衛生研究所は規制機関ではなく研究機関であり、そのミッションは安全な労働環境をつくりあげていくために必要な情報を整えることである。 彼らはナノテクノロジーから生じる労働安全および健康に関する10の重要課題の解決のためのスケジュールを示した9)。実際には彼らはカーボンナノチューブを中心に、ナノ粒子の発生から捕集方法に至るまで、総合的な研究を行っている。

 個々の機関のプログラムに加えて、省庁連携プログラムとして、NTP (National Toxicology Program)、NEHI (Interagency Working Group on Nanotechnology Environmental and Health Implications)などがある。NTPはカーボンナノチューブ、量子ドット、二酸化チタン、フラーレンのリスク評価を目的とし、NEHIはナノテクノロジー産業化に対して、既存の規制等またはその延長の適用が適切か否かを評価することを目的とする。

 公的機関以外では、WWICS (Woodrow Wilson International Center for Scholars)とICON (International Council on Nanotechnology)が活発に取り組んでいる。WWICSは世界のナノテクノロジーの環境・健康・安全関連の公的研究プロジェクトのデータベースを構築している10)。一方ICONはライス大学のCBEN (Center for Biological and Environmental Nanotechnology)の主導により設立された、産・学・官・NGOからなる国際的組織である11)。彼らはナノテクノロジーの環境・健康・安全関連の課題に国際協力を以って取り組むことをミッションとする。特に健康・環境・安全に関する知識データベース(EHS Database)がよく知られている。データベースには1300件を超える文献が登録されており、公開されている。

 一方、倫理・法・社会関連の課題に関しては、米国科学財団がナノテクノロジーと社会に関する中核拠点としてCNS (Center for Nanotechnology in Society)を公募し、アリゾナ州立大学のCNS-ASUとカリフォルニア大学サンタバーバラ校のCNS-UCSBが選ばれた12、13)。またCSU-ASUは同様の課題に取り組み世界各国の社会科学者に呼びかけ、「ナノテクノロジーと社会国際ネットワーク(International Nanotechnology and Society Network: INSN)」を2005年1月に設立した14)。このネットワークの幹事的役割を果たす機関はCNS-ASUのほかに、ランカスター大学(英国)、DEMOS(英国)、NanoNed(オランダ)がある。

3‐2 欧州

 EUの第6次フレームワークプログラム(FP6)の環境・健康・安全関連のプロジェクトがあり、その中でNanosafeが代表的な組織的プロジェクトである1)。その第1期では@ハザードの可能性に関する既存の情報の収集、A労働者、消費者および環境に及ぼすリスクの評価、B人体に及ぼすリスクのメカニズムの検討、C危険をできるだけ未然に防ぐための指針の構築、D規制対策のためのガイドラインの勧告、が行われた。さらにその第2期NanosafeUでは、ナノマテリアルのハザード情報収集、労働者・消費者・環境のリスク評価、ヒトの健康に対するリスク評価のメカニズム、危険を未然に防ぐための適正実施基準(code of good practice)の考案、規則のためのガイドラインの推奨を目的とする。またこの他に第6次フレームワークプログラムのプロジェクトとしてはNano-pathology(診断法・機器の開発、病理メカニズムの解明、病理学上の重要性の検証)、Nanoderm(ナノ材料の皮膚への影響に関する研究)などがある。さらに2007年に開始された第7次フレームワークプログラム(FP7)においても環境・健康・安全関連分野の国際共同研究が企画されている。

 一方、倫理・法・社会関連課題に関しては、第6次フレームワークプログラムの組織的プロジェクトとして実施されたNanologueが代表的である15)。これはWuppertal Institute for Climate, Environment and Energy(ドイツ)、Empa (Swiss Federal Laboratories for Materials Testing and Research、(スイス)、Forum for the Future(英国)およびtriple innova(ドイツ)が実施機関となり、2010年までに実用化が見込まれ、かつ社会への影響が大きいナノテクノロジーとして、エネルギー変換・貯蔵,医療診断,食品包装を取り上げ、これらに対して、環境への作用、健康、プライバシー、アクセス、責任、規制、管理の視点から、アセスメントを行った。ここで「アクセス」では「ナノデバイド(nano-divide)」など、貧富の差などが技術の恩恵に預かることへの妨げになるかが問題とされている。本プロジェクトの成果報告書として“The future of nanotechnology: We need to talk”が出されている。

3‐3 日本

 日本におけるナノテクノロジーの社会的影響に関する公開の討論は前述の(独)産業技術総合研究所の討論会「ナノテクノロジーと社会」によって開始された。特筆すべきことの一つは、この活動を通して(独)産業技術総合研究所、(独)物質・材料研究機構、(独)国立環境研究所、国立医薬品食品衛生研究所と、初めて異なる省が管轄する独法および国立研究所の協力体制が形成されたことである。

 この討論会の議論が発展する形で、2005年度に文部科学省科学技術振興調整費「ナノテクノロジーの社会受容促進に関する調査研究」が実施された16)。(独)産業技術総合研究所が代表機関となり、上記4機関が5つのワーキンググループを構成し、@ナノマテリアルのリスク評価手法、Aナノマテリアルの健康影響、Bナノマテリアルの環境影響、Cナノテクノロジーの倫理・社会影響、Dナノテクノロジーの社会受容性促進のための技術評価、経済効果、に関する調査研究を行った。この調査研究の過程で公的研究機関、ナノテクノロジー関連民間企業、政府の役割が徐々に明確化され、最終的に提言としてまとめられた。提言の中では特にナノマテリアルの健康・環境影響評価が重視され、公的研究機関、企業、政府の責任ある取り組みとして、公的研究機関がナノマテリアルの生体影響、曝露量、ライフサイクルに関する研究の主体となり、企業はそれに協力する一方でベストプラクティスを構築し、政府は府省連携のもと、ロードマップ作成、アウトリーチ活動、国際連携などに関する枠組みを確立することが求められた。また現行の第3期科学技術基本計画の策定に際し、ナノテクノロジー・材料分野の分野別推進戦略の中に「安全・安心に資する取組と責任ある研究開発推進」の項が設けられたことも、上記調査研究の成果の一つとして挙げてよいと考えられる17)

 上記調査研究は、2006年度には同じく科学技術振興調整費の「ナノテクノロジー影響の多領域専門家パネル」に受け継がれた3)。(独)物質・材料研究機構が代表機関となり、2005年度の調査研究の中で、緊急度・重要度の観点から次の4つのテーマが取り上げられ、各テーマに対して幹事機関のメンバーを中心とするタスクフォースが設けられた。@標準的ナノ試験物質とキャラクタリゼーション技術の検討(幹事機関:(独)物質・材料研究機構)、Aナノ物質の生体等への影響の優先的試験事項の検討(国立医薬品食品衛生研究所)、Bナノ物質のライフサイクル管理のための動態把握事項の検討((独)国立環境研究所)、Cナノテクノロジーの技術アセスメントとコミュニケーションの検討(名古屋大学)。各タスクフォースの調査研究および約40名の多領域専門家パネルの討論により、材料科学、毒性学、人文・社会科学などに関する具体的課題が抽出され、整理された。例えばナノマテリアルのリスク評価に関しては、2-1節に述べたような標準試験物質、生体投与、体内動態解析、曝露評価、ライフサイクル評価に関する技術の確立が急務として位置づけられた。

 調査研究のみならず、実験を伴ったナノマテリアルリスク評価研究も別途開始されており、その成果が待たれる。2005年度に経済産業省が(独)産業技術総合研究所に委託した「ナノ粒子の安全性評価方法の標準化」、同年度に厚生労働省が国立医薬品食品衛生研究所に委託した「ナノマテリアルのヒト健康影響の評価手法の開発に関する研究」が開始された。さらに2006年度に開始された(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構の「ナノ粒子特性評価手法の研究開発」の予算は5年間で約20億円であり、この分野においては世界最大級と言ってよい。これは(独)産業技術総合研究所を中心とする独法と大学の連携体制で行われている。主な目標は2011年度までにカーボンナノチューブ、フラーレン、二酸化チタンのリスク評価書を作成することである。

 また、第3期科学技術基本計画の分野別推進戦略の中の「安全・安心に資する取組と責任ある研究開発推進」には、「各府省が個別に施策を推進するのではなく、府省が連携・協働して取り組むべきである」と記述されている。この方針に沿うべく、2007年度には科学技術連携施策群「ナノテクノロジーの研究開発推進と社会受容に関する基盤開発」が開始された。さらにその効果的・効率的な推進のために、ナノテクノロジーの研究開発推進の共通基盤となるデータベース指標の構築に向けた調査研究として、科学技術振興調整費「社会受容に向けたナノ材料開発支援知識基盤」が採択された18)

3‐4 国際協力

 ナノテクノロジーの社会受容に関する国際協力の重要性は、ナノテクノロジー研究開発推進を国家政策課題として掲げる国すべてが認めている。初めての国際対話は「責任あるナノテクノロジーの研究開発に関する国際対話(International Dialogue on Responsible Research and Development of Nanotechnology)」6)であり、世界25カ国およびECの科学技術政策関係者が集まった。第2回会議は日本がホストとなり、2006年6月、東京において開催された。

 この第1回会議において、ナノマテリアルのリスク評価管理に関する国際合意形成の場をOECDに持つことが米国から提案された。OECDの化学品委員会は化学物質管理に関する審議の場として30年来の歴史を有する。ナノマテリアルの健康・環境影響に関しても、2006年7月に工業ナノマテリアル作業部会(Working Party on Manufactured Nanomaterials: WPMN)が設立され、次の8つのプロジェクトが推進されている。

プロジェクト1:安全性研究に関するデータベース構築

プロジェクト2:工業ナノマテリアルの研究戦略

プロジェクト3:代表的ナノマテリアルの安全性試験

プロジェクト4:工業ナノマテリアルとテストガイドライン

プロジェクト5:自主プログラムと規制制度に関する協力

プロジェクト6:リスク評価に関する協力

プロジェクト7:ナノ毒性学に関する代替試験

プロジェクト8:曝露測定と低減に関する協力

 またナノマテリアルの健康・環境影響は国際標準の対象にもなっている。2005年1月にはISOにナノテクノロジー国際標準化に関する委員会の設置が決議され、ISO TC-229が発足した。ここには、3つのワーキンググループ、WG1:用語・命名法、WG2:計測・キャラクタリゼーション、WG3:健康・環境安全性評価法、が設立された。概してISOは個々の製品・技術を規格化することに重きをおいており、一方、OECDはそれらを組み合わせた評価システム全体の構築に重きをおいていると言える。

 なおISOに対応する日米の動きの概要は次のとおりである。米国では、2004年9月に米国材料試験協会(American Standard forTesting Materials: ASTM)の中にE56ナノテクノロジー委員会が設立され、その下部委員会の一つが環境・労働安全衛生を対象とする。日本においても、これらの動きに対応し、2004年11月に日本規格協会の中にナノテクノロジーの標準化に関する調査委員会が設置され、その後、経済産業省内の日本工業標準調査会ナノテクノロジー標準化国内審議委員会(2005年9月)に発展した。

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4.日本で今後、至急に行うべきこと

 ナノテクノロジーの社会受容に関する日本の取り組みは、欧米と比べて開始こそ3〜4年遅れをとったものの、現在では、ナノマテリアルリスク評価研究プロジェクトへの公的資金の投入額は年間5億円を超えており、内容的にも欧米の専門家から注目されている。しかしその反面、2006年度の科学技術振興調整費プロジェクトの終了以来、産学官およびNGOの間のコミュニケーションが核を失い、分散しつつあるように思われる。コミュニケーションに関しては、欧米との格差は以前より拡大しているかもしれない。このような状況を改善すべく、次のような提案をしたい。

(1)ナノテクノロジーの社会受容に関する諸活動を持続的に支援する拠点を確立する
こと。

 このような拠点に求められる機能は次のとおりである。

 @会議の企画・運営
 ・研究開発、リスク評価の専門家をはじめとする、多様なステークホルダーの召集
 ・利益とリスクのバランスに配慮した議事の進行
 ・会議報告の作成および発信

 A情報プラットフォームの構築および維持管理
 ・ポータルサイト機能の確立 (主要サイトへのリンク、相互情報発信、ウェブ会議など)
 ・海外機関との連携
 ・不適切な情報への対処(リスク不安への対応)

 B動向調査
 ・主要機関のウォッチング
 ・ナノマテリアルリスク評価研究の多角的、定量的調査(データ集積による俯瞰的解析)

 C新たな課題の抽出および実行計画の作成
 ・ナノマテリアルの環境影響に関する課題への対応
 ・図表2の第2世代以降のナノテクノロジーに対応する課題への対応
 ・倫理・法・社会関連の課題への対応

 このような拠点の運営に必要な人材はすでに国内に存在しており、資金的にも現在分散して費やされている公的資金および民間資金を足し合わせれば拠点を形成しうるレベルと考える。府省連携および産学官連携のもと、このような拠点を確立し、効率的に運用することを期待する。

(2)多様な国際討論に包括的戦略を持って臨むこと。

 前述のとおり国際合意形成は、最終的にはOECD、ISOなどの国際機関においてなされ、日本は現在も責任ある位置を占めている。国際合意形成には、その下地作りとも言える国際討論の場がいくつかある。例えば「責任あるナノテクノロジー研究開発に関する国際対話」はその先駆的役割を果たし、政策担当者が最も多く集まって国際協力の枠組みに関する議論が行われてきた。、ICON、IRGCなどにも世界中からナノテクノロジー、リスク評価管理、テクノロジー・アセスメントの専門家が集まってくる。これらは政治的には非公式かもしれないが、実際にはOECD、ISOなどのキーパーソンが集まり、それらと同レベルの議論が行われている。日本の産学官の関係者もそれは承知しているが、米欧ほど積極的には関与していない。これに対して、台湾、韓国、中国は実質的に政府主導で積極的に関与し始めており、彼らはこれらの会議のホストになる意欲も見せている。

 ナノテクノロジーの社会受容は国際協力しやすい課題であるが、それでも規制などが絡めば、競争的側面も有するようになるだろう。研究開発同様に、国際ルール作りにおいても、日本が主導的立場を取れるよう、包括的国際戦略を構築し、国際的ネットワークを駆使して、国際討論に臨むべきと考える。

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謝 辞

 本稿の執筆にあたり、東京工業大学統合研究院 小林隆弘 特任教授、名古屋大学大学院医学系研究科 市原学 准教授に、ナノマテリアルリスク評価研究に関して貴重なご意見をいただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

1) Verein Deutscher Ingenieure, Industrial application of nanomaterials-chances and risks, Technology analysis (2004)

2) Royal Society & Royal Academy of Engineering, Nanoscience and nanotechnologies: opportunities and uncertainties (2004)

3) (独)物質・材料研究機構, 国立医薬品食品衛生研究所,(独)国立環境研究所,名古屋大学, ナノ物質の生体・環境影響とコミュニケーションの課題 (2007)

4)International Risk Governance Council, White Paper on Nanotechnology Risk Governance (2006)

5) Roco M.C., Nanotechnology in U.S.-Research and education and risk governance. 1st International Symposium on Occupational Health Implications of Nanomaterials. Health & Safety Laboratory (slides). (2004)

6) Meridian Institute, Proceedings of International Dialogue on Responsible Research and Development of Nanotechnology (2004)

7) National Nanotechnology Initiative, FY 2008 Budget & Highlights (2007)

8) U.S. Environmental Protection Agency: Nanotechnology White Paper (2005)

9) NIOSH homepage: http://www.cdc.gov/niosh/topics/nanotech/

10)Woodrow Wilson International Center for Scholars homepage:
http://www.nanotechproject.org/index.php?id=29

11)ICON homepage: http://www.icon.rice.edu/about.cfm?doc_id=4379

12)CNS-ASU homepage: http://cns.asu.edu/

13)CNS-UCSB homepage: http://cns.ucsb.edu/

14)INSN homepage: http://www.nanoandsociety.com/

15)Nanologue homepage: http://www.nanologue.net/

16) (独)産業技術総合研究所,(独)物質・材料研究機構, (独)国立環境研究所, 国立医薬品食品衛生研究所, ナノテクノロジーの社会受容促進に関する調査研究 報告書・政策提言(2006)

17) 総合科学技術会議, 第三期科学技術基本計画 (2006)

18) 文部科学省ホームページ,
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/08/07080129/001.htm

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