1.はじめに
今後、日常生活の色々な場面で、目立たないように配置されたコンピュータが、様々な情報提供を行ういわゆる「ユビキタスネット社会」あるいは「ユビキタス情報社会」という環境が作られてくるであろう。総務省が中心となって進めているu-Japan戦略では、以下のような表現でこうした環境の実現に向けた取り組みを記述している1)。
- ネットワークが身の回りのどこにでもあり、意識することなくICTを利用すること
- 様々なモノを繋ぎ、「ヒトとモノ」、「モノとモノ」のコミュニケーションを実現すること
こうした環境を実現するための技術は多岐にわたるが、特に「意識することなくICTを利用すること」という部分に対応するのが、「コンテキストアウェアネス技術」と呼ばれる技術分野である。
この技術では、家庭や職場、街等の生活空間に配置された多数のセンサから情報を得て、利用者の行動の詳細や時々刻々変化する環境の状態を把握する。そして、利用者にタイミングよく有用な情報を提供するといったサービスを行う。このため、利用者の行動を詳細にコンピュータや第三者が記録する必要がある。更に、利用者についての背景的情報も同様にコンピュータ等に登録する場合もある。このようにして蓄積された情報を付き合わせて、利用者の現在の状態・意図などを推論し、利便性をもたらす様々なコミュニケーションを創出する。コンテキストアウェアネス技術は、このようにして利用者の生活に密着し常に生活者の行動を詳細に記録することを前提としているため、利用者が「意識することなく」その人の個人情報が処理されるという危険な一面も持つ。
現在既に国内で数社のベンダーが、コンテキストアウェアネス技術に基づくサービスの実装を提案し始めている。技術の紹介には、「みまもり」という耳に心地よい形容詞が使われる場合が多い。研究開発の視点からは、必要な行動の把握を表現する語は、英語で「surveillance」である。本来この語彙には、「みまもり」という語の「まもる」部分に相当する意味は含まれていない。技術の可能性を語るとき、このように技術のもつ明るい部分を強調することは研究開発を行う立場からすれば自然なことかもしれない。また、「意識することなくICTを利用すること」を実現するためには、「みまもり」によって得られる情報の蓄積・管理・操作が必ず必要になる。こうした技術は、利用者を「監視」するための情報管理につながるかもしれない。更に、このような情報が第三者に悪用されれば、単純な情報漏洩以上の損害を被る可能性もある。この点は、この技術がもたらす可能性のある利便性に対して非常に大きな影の部分として、この技術を考える上で今後ますます検討が必要となる視点であろう。
本稿では、コンテキストアウェアネス技術の概要を紹介するとともに、この技術が今後進展し社会的に受容され、新規のアプリケーションを生み出すための鍵となる研究課題について述べる。この分野は、現在盛んに研究開発が行われており、一部実用化の途についている。しかし、この分野の最大の課題は、個人の行動履歴が反映されている「コンテキスト」の安全・安心な流通基盤の構築であると考えられる。この部分の研究開発には、制度設計を含む多様な観点からの検討が必要である。
本稿は、研究活動を網羅的に調査した結果ではない。以下では、まず論考の対象となる技術分野の理解を助けるためコンピュータ上で行動のコンテキストをどのように取り扱うか説明する。つぎに、典型的なシステムの構築事例を挙げてこの分野の研究動向を紹介する。その上で、ユビキタスネット社会実現のための環境作りという観点から、コンテキストの運用基盤の重要性について述べる。

2.コンテキストアウェアネス技術の概要
2‐1.コンテキストの定義とその情報処理
辞書によると、「コンテキスト(context)」とは一般には「文脈」や「背景」を指し、「アウェアネス(Awareness)」とは「〜と知ること、自覚・認識すること、意識、配慮」などとされている。一方、「コンテキストアウェアネス技術」の研究上の定義は、先駆的な研究者であるDeyらの定義が引用される場合が多く、「エンティティ(entity)の状態を規定できる何らかの情報。エンティティとは、人・場所・物体などを指し、利用者やアプリケーションとの間の相互作用に関与するものである。利用者やアプリケーションもエンティティに含まれる。」とされている8)。
図表1は、コンテキストの分類の一例を示している。コンテキストは、映画を代表とする映像コンテンツなど情報資源に関する「資源コンテキスト」と、利用者のコンテキストに大別される。利用者のコンテキストは、更にその意図の属性や現在の行動の意図などを表現する「利用者コンテキスト」と、その利用者がおかれた状況、天候や場所、時間等に関する「状況コンテキスト」に分かれる。

資源コンテキストは、例えば映画等がホラーか恋愛物かという分類やそのコンテンツの著作権の状況などを表す。利用者コンテキストは、例えばある利用者が現在就業状態にあるかどうか、会議中かそうでないか、など利用者の状況を表現する。状況コンテキストは、例えば、利用者の位置やそこでの天候などを表す。
図表1の例では、状況コンテキストと利用者コンテキストの二つの情報を活用することで、利用者がいま「余暇」で外出し、買物などを行っている状況であると解釈される。一般的には、コンテキストは定義された有限の状態の間を遷移する「状態遷移図」で表現され、これに基づいてソフトウエアが作られる。このソフトウエアが規定する範囲で、コンテキストは逐次変化するデータとして蓄積され、処理される。上の例は、非常に単純化した例であるが、各コンテキストをより細分化して定義すれば、利用者が取りうる多様な状態に対応して、様々なサービスを提供できるだろう。近年、この部分に関する研究開発は盛んに行われており、現在の主なターゲットは、行動のモデル化やコンテキストの抽出方法、状態遷移ソフトウエアの開発、その具体的な携帯端末等への実装などである
2, 4, 10)。
2‐2.システムの全体像
図表2は、コンテキストアウェアネス技術によって、利用者の行動履歴に基づいた情報サービスを提供するシステム構成の全体像を示す概念図である。階層構造の最下部は、住宅やオフィスなどに多数配置されるセンサや利用者が携帯する携帯端末等の管理を行う「ハードウエアの操作」の階層である。これらのハードウエアなどから得られる物理的な生データをもとに、時々刻々と変化するコンテキストの状態遷移の基になる情報を、上位層である「コンテキスト情報処理」の部分に提供する。

次に上部に位置するのは、情報サービスなどを提供する「表示装置・動作装置」である。表示装置は、携帯端末や環境に設置されたモニターや情報表示装置などが考えられる。最上層に想定されているサービスやアプリケーションの中には、単なる情報の表示を超えて、家電製品などの動作を伴うサービスも想定されている。更に、将来的にはロボットの遠隔操作やコンテキストに呼応した自律的動作の実施などの可能性がある。こうした動作装置に関する機能は、「情報アクチュエーション」と呼ばれ、今後のユビキタスネット社会の行方を描く上で重要な技術動向の一つと考えられている18)。
システム全体を通じて、取り扱う情報は、ほとんどすべて「個人情報」に対応する。このため、情報の漏洩や外部からの不正使用に対処する機能の充実が研究開発上の最も重要な課題となる。この点については、次節で述べる。
2‐3 コンテキスト情報の流通基盤
インターネット上のサービスプロバイダーのような第三者が、利用者のコンテキストを用いて何らかの付加価値のあるサービスを提供する場合が考えられる。その際、図表2に示したように、公衆網やローカルエリアネットワークなどの通信網を通じて、外部の「コンテキスト情報流通基盤」との間でコンテキスト情報の相互運用を行うことになる。コンテキスト情報を活用し、利用者のためになる多様なサービスが提供されるためには、どのような社会基盤が必要になるのであろうか。この分野はまだ研究段階にあり、確固とした青写真は描かれていないが、コンテキスト情報を流通させることが可能な技術基盤のモデルは、概ね図表3「コンテキスト情報流通基盤の概念図」に示すような3階層の機能に分化して成立すると考えられる3,
17)。
まず「利用技術」では、ユーザに何らかのアプリケーションを提供する。アプリケーションを構成するためには、図表1に示した資源コンテキスト、利用者コンテキスト、状況コンテキストなどそれぞれ異なるコンテキスト同士を組み合わせる必要がある。この組み合わせを「ビュー」と呼ぶ。こうしてアプリケーション毎に特定の利用者に特化したビューが構成され、特定の機能を呼び出すために利用される。
次に、「ミドルウエア技術」を提供する階層では、各種コンテキストを作成する機能とそれらを蓄積し、必要に応じて検索する機能などが提供される。こうした機能階層が社会基盤として成立するためには、コンテキストの構成方法に関しても、国際的に共通の規格が必要となる。現在、この部分については、まだ国際標準が明確に規定されていない。しかし、今のところ、「Web
サービス」や「セマンティックWeb」と呼ばれる技術基盤が、コンテキストアウェアネス技術を利用したサービス提供に際しても主要な役割を演じると考えられている20)。
情報資源の相互運用のための機能を提供する技術としては、上述した「Webサービス」や「セマンティックWeb」と呼ばれる技術の体系が存在する。
Web
サービスとは、一定の規約にしたがって構築されたソフトウエアアプリケーションをネットワーク上で公開し、連携や相互運用するための技術的枠組みである。アプリケーション機能への参照は、XML(eXtesible
Markup Language)と呼ばれる書式に
則って記述され、コンピュータが自動的に処理できる。
また、セマンティックWeb とは、Web
全体を巨大なデータベースとみなし、情報を効率的に処理するための枠組みである。個別のデータベースに関してその内容や処理方法などを「メタデータ」として記述し、これをデータベースの相互運用に利用するものである。
最後に「ネットワーク技術」の階層では、センサーネットワークなどから得られる「データ」や「コンテキスト」を物理的な信号として流通させる機能を提供する。これは、インターネットなど既存の通信基盤を利用することになる。
図表3に示したコンテキスト流通基盤が成熟すれば、「利用者コンテキスト」を蓄積したデータベースと利用者の求めるサービスやアプリケーションの要素である各種「資源コンテキスト」のデータベースとの間で、コンテキストの相互運用が可能となる。このような基盤の充実が、新しいサービスやアプリケーションを育む可能性を秘めているといえよう。したがって、コンテキストの流通基盤の充実は、ユビキタスネット社会にとって非常に重要であると考えられる。

しかしながら、こうした情報流通基盤を構築するに当たっては、個人情報の取り扱いが磐石でなければならない。現在、個人情報をネットワーク上で取り扱う際の規約として、W3C(World
Wide Web Consortium)とよばれるインターネット関連技術の国際的
標準化団体が、P3P (Platform for Privacy Preferences)と呼ばれる標準を検討している。現状では、これが国際的に主要な規格である。この規格は、プライバシーに関るポリシーをXMLで記述し、コンピュータが処理可能な形でネットワーク上に公開する。P3P規格に従うシステムは、このポリシーを自動的に解釈し個人情報の利活用の程度を制御する15)。
近年、W3Cの勧告のみでは不十分であるとして、これを更に発展させる提案もなされている7,
11)。情報セキュリティの研究開発は、新たに登場してくる脅威に対して常に「いたちごっこ」のような課題解決を迫られるという側面がある。このため、今後推進すべき研究開発上の課題は多い。
2‐4 新しいサービス創出の可能性
次に、現在のコンテキストアウェアネス技術が新しいサービスへと発展する可能性について考えてみる。携帯電話においては、既に利用者のコンテキストを利用するサービスが始まっている。例えば筆者の携帯電話の待ちうけ画面には、動物を擬人化した漫画キャラクターが常駐しており、旅行をした場合などその地方に関連する話題をもとにメッセージを表示してくれる。また、利用回数や利用のタイミングに応じてコメントを出す場合もある。これらは今のところ他愛のないサービスに過ぎず、漫画キャラクターに対する心理的な親しみを醸成するのが目的であり、コンテキストをそれ以上詳しく利用する機能はこれには無い。しかし、このように携帯電話の上で常にソフトウエアが稼動し、利用者の位置情報や利用情報を監視することは、いともたやすいと気付かされる。こうした情報をマーケティングなどのより高度な情報処理に活用することは、技術的には容易である。
コンテキストの活用によってもたらされる可能性のある利便性を整理する。まず、利用者の視点からは次のような支援が考えられる。@利用者の記憶を喚起して注意を促すなど、「記憶に関する支援」、A行動の選択に臨んで利用者の判断を支援するための情報を提供するなどといった「判断への支援」、B利用者が何らかの行動を行っているときその行動の補助や協力を行うための情報提供といった「行動に対する支援」など。一方、サービスという観点に立つと、次のようなサービスを提供できる可能性がある。@利用者の移動に伴う位置の変化に対応したサービス、A利用者の行動の履歴の獲得とそれに応じた情報提供を行うサービス、B天候や気温など環境の変化に対応したサービス、Cコンテキストの状態に基づいて他のサービスを自律的に呼び出すサービスなど11,
14)。

3.コンテキストアウェアネス技術研究の事例
コンテキストアウェアネス技術研究の事例として、先駆的な研究を行っている米国マサチューセッツ工科大学のMedia
Lab.
を訪問し調査を行った。以下は、「未来の住宅環境(Home
of the Future)」と題され、建築学と計算機学の融合研究として実施されている研究である9,
10, 16)。
(1)オフィス環境における研究事例
今後、我々の携帯端末は、ますます多くのメッセージを利用者に送りつけるようになるであろう。メッセージは、人が発信するボイスメールや電子メールに加えて、コンピュータ等によって自動的に生成されるものも含まれるであろう。こうしたメッセージは、利用者に応答など何らかの対応を迫るために、利用者の負担は増大する。そこで、このように頻繁に携帯端末に到着するメッセージに関して、利用者がそれを処理することの心理的負荷を軽減する目的で、コンテキストアウェアネス技術を適用する研究が行われている9)。
例えば、職場で同僚と職務内容について検討しているときは、週末の遊びについての友人からの電話での問い合わせによって、会話を中断されたくないと思うだろう。しかし、その同じ内容のメッセージが、仕事のキリの良いタイミングで端末に表示されれば、応答することはやぶさかではなかろう。この研究では、業務中の利用者の活動のコンテキストを分析し、メッセージの表示のタイミングを調節する機能を提供しようとしている。
(2)生活環境の事例
次の事例は、同じく建築学と計算機学を融合した長期的な研究プロジェクトの一部として実施されているものである。多数のセンサを配置した住環境を想定し、その中で利用する携帯型端末を開発している。
この研究では、テレビなどの家庭電気製品を制御するための端末にコンテキストアウェアネス技術を適用させ、利用者のより健康な日常生活を支援するというものである。端末は、テレビのチャネル、音楽鑑賞用ステレオ装置などの操作画面に、電子メール表示機能などを加えて一つの操作画面で多機能を担うものである。図表4には、端末とキッチンでこれを操作しているシーンを示している。

特に米国では、テレビを見る時間の増大が肥満や成人病に繋がるとして、テレビを見る代わりに体を動かすことが推奨されている。一方、日常生活には生活者の自由な行動のもとで一定の娯楽のための時間も必要であろう。この端末は、利用者にとって押し付けがましくない方法で、テレビを見る以外の行動を取るようにうながし、自然にカロリー消費を促進するというものである。カロリー消費をもたらす行為としては、音楽を聴いて体を動かすことや、料理・洗濯などの家事を行うことなどが相当する。
この住環境には、図表5に示すように室内に多様なセンサが家具の扉などに設置されており、例えば「戸棚を空けた」というような動作も逐一記録される。このような、動作の記録は単なるデータの羅列にしかならないため、もう一段階上の処理が必要である。研究では、このようなデータの蓄積から意味のある利用者コンテキストを作成することが、一つのターゲットになっている。このタイプの研究は、この例以外にも国内外で活発に行われている。

MITのこの研究開発の例では、新しい技術の支援によって、従来の生活パターンが大きく変化する可能性に注目している。研究開発の動機としては、次のような健康管理に関する姿勢の変化を先取りしようとする考え方があり、これが、システムの設計思想に反映されている。
@ 治療から予防へ:医療目的の変化
A 患者から健常人へ:高齢者や患者予備軍等への対応
B 病院から自宅(Home)へ:対応場所の変化
C 定期健診からリアルタイムへ:健康・疾患に関する情報の取得方法の変化
すなわち、病気になってから治療するのではなく、病気にならないように予防に日常生活の場で常に心がけるというものである。このような態度は、特に成人病予防に対して効果的であると考えられている。MITのプロジェクトでは、こうした変化への対応を表現するために、「proactive(先取り)」という概念を提唱している。これは、文字通り事態を先取りしようとする考え方であるが、コンテキストアウェアネス技術が可能にする新しい生活環境のイメージを的確に表現している標語とも言える。医療に関して、このような変化が求められているということは以前から指摘されてきたが、コンテキストアウェアネス技術を代表とする昨今の情報処理技術の進展によって、初めて具体的な技術的支援が可能となるのである。

4.コンテキストアウェアネス技術の課題
ユビキタスネット関連技術は多岐にわたるが、これまで述べてきたコンテキストアウェアネス技術は、その基幹的な技術である。したがって、この技術領域における課題は、そのまま多くのユビキタスネット関連の研究に当てはまる。以下では、コンテキストアウェアネス技術の研究開発における課題のうち、最も重要なプライバシーの保護とアプリケーションの設計という二つの観点について述べる。
4‐1 個人情報の保護
コンテキストアウェアネス技術においては、個人の行動に関する情報を詳細に取り扱うため、情報の漏洩に対する対処が磐石であることが求められる。利用者は、自分にとってより良い住環境が実現できるということであれば、進んで個人情報の一部をシステムに提供するかもしれない。なぜなら、より良い環境を作るという目的で、人の行動や環境を監視することは、基本的には善意によって為されているという大前提がある。言うまでもなく、この前提だけに立ったシステムは、悪意による不正行為に対して極めて脆弱である。そこで、個人情報漏洩を最小限に食い止める工夫が必要となる。
当然、こうした観点からの検討も既にはじめられている。例えば、センサや携帯端末装置は最低限、物理レベルでの信頼性が求められる。家庭内や組織内の情報ネットワークが動作している状況において、外部から無線や電磁環境検知技術などを悪用して、個人情報が盗み見られないようにする必要があり、伝達情報の暗号化などの研究が重要である。
更に、システム構成のより上位の機能レベルにおいても対処が必要になる。利用者の行動を監視する装置は、必要以上の情報を収集してしまうかもしれない。そこで、出来るだけ少ない情報で目的を達するようなシステムの設計を目指す必要がある。例えば、センサの機能やハードウエアを「無能」な状態に置き、コンテキスト情報の処理は、許された装置によってのみ行う。こうすることで、センサ等から情報が盗まれることを防御できる。あるいは、高度な画像認識機能を備えたビデオカメラでは、コンテキストを解析する以前の1次的な映像情報のみを出力するという方策も検討されている。得られた物体や人物の認識能力を、強い管理下にある別のハードウエアのみに許し、個人の特定やその行動内容に掛かわる情報の存在箇所を限定し、リスクを最小限に抑えるのである12)。
4‐2 アプリケーションの設計
コンテキストアウェアネスの研究プロジェクトでは、アプリケーションやサービスだけを議論しても机上の空論となってしまう可能性がある。したがって、多くの場合は、実際のセンサーネットワークを構築した上でのアプリケーションを検討している。このために、この分野の技術を論じる際に、次のような問題を生じていると考えられる。
まず、アプリケーションの有用性に関する点である。各種の研究プロジェクトで検討されているアプリケーションには、具体的な需要が疑わしいものもある。特に、センサーネットワークの構成方法が研究の中心的課題であれば、アプリケーションのあり方は付加的な要素に過ぎなくなる。こうした傾向が、技術分野の重要性に対する一般の認識を妨げる側面がある。コンテキストアウェアネスに「みまもり」という耳に心地よい形容詞が必要と感じるのは、この分野の技術に関する社会的な受容性の低さに由来する心理かもしれない。すなわち、コンテキストアウェアネス技術では、それが想定するサービスやアプリケーションが人々の日常生活に密着するものであればあるほど、一般的に心理的な敷居は高く、社会的受容性が低い。このためアプリケーションの設計には、これを凌駕するシステムの設計思想が必要である。
例えば、MITの事例で「proactive」と表現された概念はこれに相当する。こうした概念あるいは設計思想の創出が、実はネットワーク技術に関する要素技術の開発と併せて、あるいはそれ以上に重要である。未来の生活環境に関して、このように新しいビジョンを描くことは必ずしも容易ではないが、アプリケーションの創造が求められるこの分野の研究開発のマネージメントにとっては、非常に重要なことである。
次に、技術の標準化に関する観点である。将来、有効性の高いサービスは、コンテキストに関する流通基盤が整備され、様々な試行錯誤が繰り返される中から誕生してくると考えられる。現在のインターネットを取り巻く状況から類推すれば、その試行錯誤はある段階までの技術仕様が共通であるという状況が成立した上で、何らかの経済的インセンティブを伴って実践される。例えば、サービスを提供するベンチャーが競合する状況である。
2007年6月に閣議決定された長期戦略指針「イノベーション25」のなかでは、分野別の「戦略的な研究開発の推進」が求められる研究課題が挙げられ、情報通信分野では「世界最高水準の安全・安心な情報通信インフラの構築」がその一つである。また、この政策の立案に資する目的で、科学技術政策研究所が2006年度に実施した調査の報告書17)では、「ユビキタス成熟社会」を実現するために整備すべき社会基盤として、ユビキタスネットに関する4つの「インフラ」の構築が重要であると指摘されている。これらのインフラの詳細記述は、ここでは省略するが、コンテキストアウェアネス技術の研究領域としては、これらは、2‐3でのべたミドルウエア技術に相当する。
インフラの整備をすすめるためには、共通基盤が確立されることを前提とした研究開発プロジェクトのマネージメントが必要である。各々のプロジェクトが、図表3に述べたネットワーク技術、ミドルウエア技術、アプリケーションのすべての階層を研究対象とするのは無駄である。そこで、下位の二つの階層、「ネットワーク技術」「ミドルウエア技術」に相当する技術に関しては、多くの研究者が合意できる共通仕様を早急に整備する必要がある。その上で、多様なアプリケーションの試行錯誤を行うことで取捨選択が起こり、良いものが残り、サービスの内容が洗練されていくという状況を作ることが必要である。

5.むすび
コンテキストアウェアネス技術の推進には、コンテキストという個人情報の秘匿とその活用を同時に達成しなければならず、技術的観点からも、制度設計の観点からも非常に挑戦的な研究課題である。
また、仮に個人情報を取り扱う環境が十分整備されたとしても、良いサービスがはじめから存在するとは限らない。技術が普及し、実際の運用が行われる中で、初めて新しく生まれてくる場合もある。つまり、そこには鶏と卵のような関係があり、技術の進化と社会制度の成熟が共に進展することが必要である。
したがって、個別要素技術に関する研究開発もさることながら、どのような社会と構築したいのかというビジョンを持ち、それに基づいたシステムの設計思想が必要である。例えばMITの事例では、「proactive(先取り)」という設計思想のもとで、未来の医療を取り巻く生活環境に対する考え方を示している。これは、そうした設計思想の一例である。この分野の研究開発には、このような新たなビジョンの構築に向けた議論が必要である。

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