1.はじめに
文化財は、人類が太古から知恵と工夫により創出してきた過去の社会構造の変遷を今日に伝え、現代、さらには未来の文化的な社会を創るための人類共有の財産である。永い年月を経ながら自然条件を含むあらゆる要因の影響を受け、現在まで受け継がれてきたものである。しかも、一度失うと再び取り戻すことができない貴重なものである。その遺産を保存し、後世に伝えていくことは現代の人類の責務とも言える。文化庁では文化財を、「我が国の長い歴史の中で生まれ、育まれ、今日の世代に守り伝えられてきた貴重な国民的財産である。これは、我が国の歴史、文化等の正しい理解のために欠くことのできないものであると同時に、将来の文化の向上発展の基礎をなすものである。」としている1)。
一方、2006年3月に閣議決定された第三期科学技術基本計画においても、第4章社会・国民に支持される科学技術の中の科学技術に関する国民意識の醸成で、「社会・国民の科学技術に対する理解・認識の深化に向けて、科学技術と文化や芸術との融合等の新たな手法についても取り組む必要がある。」2)と記されている。
また、平成18年版の科学技術白書においては、第1部第2章第3節 心豊かな社会の構築に資する科学技術の中で、「文化財の保存・活用、芸術の創造に資する科学技術」3)が取り上げられている。
文化財保存は、民間では採算が合わないため、国が中心となって取り組んでいかなければならない領域と言える。
文化財は、2004年に文化財保護法の一部が改正され、2005年4月1日より図表1の6つの類型に分けて示されている。

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文化財の保存の基本は、文化財の持つ価値を守り、後世に伝えることにある。昨今、文化財を有効に活用し、新しい価値を創り出す努力も必要であるという見方が出てきている。すなわち、日本固有の文化財を科学技術と融合させながら新たな付加価値を生み出し、歴史的価値の高い文化財を最大限に保全して次世代の資産とすることが重要な課題である5)。
ここでは、有形文化財を中心に、今後の文化財の保存修復に関して科学技術を活かしていく方向性について探っていく。有形文化財の保存のためには、選定保存技術制度の活用など伝統技術の維持・継承とともに、近代科学を基盤とする保存技術の開発が必要である。そこで、近年取り組まれている文化財の保存・修復・活用に係わる科学技術について見てみる。特に、有形文化財の保存修復技術については、現在、現物保存のために、文化財そのものの保存環境を良好な状態に維持することによって劣化を抑制するための技術と、デジタルアーカイブ等のIT技術によるデータベース化の形で保存する技術の二つの方向がある。有形文化財の保存修復に両方のアプローチが必要であることは言うまでもない。

2.有形文化財の劣化要因
有形文化財の保存対策の中心となる考え方は、保存環境を良好な状態に維持することによって劣化を抑制することである。地球上のあらゆる物質は、それを取り巻く環境に呼応しつつ分解し変化する。したがって、有形文化財の保存対策は、水、空気、光、温度、湿度、空気中の汚染物質、あるいは害虫、カビなどの影響をいかに防除するかである。さらに、オゾン、炭酸ガス、窒素酸化物、硫黄酸化物、そして煤塵などに対してもいかに対応するかである6)。
特に、石造文化財や社寺建造物など、屋外にある文化財は、自然環境の変化により石材の風化や木材・塗装の劣化が起こりやすく、保存する上では厳しい条件下にある。これは日本に限ることではなく、文化財保存に熱心な欧州でも、酸性雨の被害は深刻である。現在、自然環境が文化財に及ぼす影響について評価し、その影響を軽減するための調査研究や修復技術の開発が盛んに進められている。また、自然環境の影響が相対的には軽微である屋内における文化財への影響も近年顕著となりつつある。
有形文化財に影響を及ぼす劣化要因を図表2にまとめた。劣化要因によって惹き起こされる被害の大きさや、事象の発生確率を考えて劣化要因の危険度を評価し、優先順位をつけて対策を立てていく必要がある。

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3. 有形文化財の調査及び保存修復技術
有形文化財の保存修復や調査研究に関する目的をまとめると大きく二つに分けられる。一つは、文化財としての学術的価値の評価とその確認である。つまり、材料・製作技法・製作年代などを確認し、解明することによって文化財としての評価を行う。それは同時に、関連分野の人類学・考古学・美術史学・建築史学などの研究を支援する情報を提供することにもなる。もう一つは、保存修復のための材料の調査や劣化機構の解明などである。劣化現象は文化財の種類や保存環境によって大きく異なる。例えば、博物館や美術館環境では、温度・湿度・光・空気などが主な要因となるが、遺跡などでは、地下水や気象変動が大きく関与する。こうした劣化要因に対する保存対策は、文化財保存の重要な研究課題である8)。
3‐1.有形文化財の調査手法
科学的分析によって文化財がどのようにして作られたか、その構造や材料が判明する。例えば、蛍光X線分析法では元素組成を定性・定量的に示し、X線回折分析法では結晶成分が分析できる。次ページの図表3に有形文化財調査で主に用いられる構造・材料分析技術手法についてまとめた。以下、構造調査手法と材料分析手法に分けて述べる。
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[1]構造調査手法
有形文化財の構造調査には、一般に非破壊検査法が利用されている。文化財を損なうことなく、赤外線、紫外線、X線などを用いて、文化財の不可視(肉眼ではわからない)画像を非接触で得る手法である9)。
仏像の内部構造や絵画の下絵の状態など肉眼で見えない部分を透視するには、赤外線・紫外線・X線・γ線などを利用する光学的方法が有効である。最近では、赤外線ビデオカメラが木簡や古文書などの不鮮明な墨書の判読や壁画や絵画の観察に利用されている8)。
構造調査手法に関する主な展開としては、1980年代に彫刻や考古遺物など立体的な文化財の構造調査にX線CTが利用され始め、近年はフィルム以外のイメージングプレートを用いたX線透過撮影も行われ、この手法と励起光に紫外線を使わず可視光を用いた蛍光画像や、高精細のカラー画像や赤外線画像等を組み合わせた総合的な調査が行われている9)。
代表的な例として、ここでは、文化財調査におけるX線透過撮影を紹介する10)。
X線とは紫外線より波長の短い光(電磁波)のことで、強い透過力を持っているので、絵画、彫刻など美術工芸品の他、建造物や考古遺物などの調査に利用されている。透過X線で撮影したフィルムには密度の大きいところが淡く、逆に小さいところは濃く写ることになり、被写体の密度の違いに応じた濃淡の分布がX線フィルム上に表される。この結果、例えば同じ顔料であっても重い元素と、軽い元素を区別することができる。しかし、顔料がいずれも軽い元素を主成分としている場合は、X線透過撮影の結果だけでは区別できない。また、染料については、主成分が炭素など軽元素ばかりであるため、判別にX線透過撮影は利用できない。
X線の吸収には物体の厚みも関係してくる。同じ密度の物質であっても、厚いほどX線が多く吸収されフィルム上では淡く写る。この結果、実際のX線透過撮影では、X線フィルムの濃淡が物体の密度によるものか、厚みの違いによるものか注意を要する。厚みが問題となる良い例が金箔や銀箔である。金は非常に重い元素だが、箔にするとその厚みは約0.1μmと極めて薄いため、フィルムを用いたX線透過撮影では撮影が難しい。最近ではフィルムの代わりに感度の良いイメージングプレートを用いて撮影するようになり、箔の撮影もできるようになった。箔は縁を重ねあわせるようにして画面に貼っていくので、重なった部分が他より厚くなり、その厚みの違いがX線透過画面に現れるので、濃淡のパターンと実際の画面とを比較することにより、箔を使用していることが分かる。
X線透過撮影は、外からは見えない内部構造の調査に利用され、木造彫刻の調査などでは欠かせない手段となっている。X線透過撮影と類似した調査方法として、X線CTやエミシオグラフィ(光電子撮影法)などの非破壊調査手法もある。
[2]材料分析手法
文化財の材料分析では三つの目的を達成することができる。まず、使われている材料を特定することにより、同じ材料で修理することが可能となる。また、材料を知ることで保存に適した環境(温度・湿度等)をつくり出すことができる。そして、文化財に使われている技術水準を知ることで作品の価値の判断に資することもできる3)。
文化財資料の材料を分析することは、保存修理の際に必要な基本的作業となる。文化財に使われた材料を特定する場合、例えば無機材料については蛍光X線分析装置などを用いて、有機材料については赤外吸収スペクトル分析法などを用いて分析を行う。これらにより、使われている様々な絵具の種類が特定できる。さらに、描かれた当時の色を推定し、同じ材料を用いた復元模写が可能となる。また、贋作か否かを鑑定する際にも利用されている。
代表的な例として、ここでは、文化財調査における蛍光X線分析法を紹介する11)。
蛍光X線分析法は文化財の材料調査によく使われ、様々な物質に含まれている元素の種類と量(含有率)を測定するものである。分析試料は固体でも液体でもよく、カリウムより重い元素なら大気中でも分析可能である。数多くの文化財や美術品の材料調査に蛍光X線分析法が使われてきた最大の理由は、この方法が非破壊・非接触での分析が可能なためである。
文化財の調査を行う際には、機器の小型化ということは重要なファクターの一つであり、1999年に持ち運びが可能なポータブル蛍光X線分析装置が開発された。測定すべき対象を動かさずに済むようになり、これまで非破壊での調査が難しかった大型の絵画や彫刻などについても、比較的容易に調査することが可能になった。小型の蛍光X線分析装置は、1997年に無人の火星探査機マーズ・パスファインダーが火星の岩石組成を分析する際に用いられたのが最初であり、宇宙探査を目的として開発された技術が、文化財にまで影響を与えることになった。
これまでに、ポータブル蛍光X線分析装置は様々な文化財の材料調査に適用され、数多くの新知見を見出している。例えば、国宝源氏物語絵巻(徳川美術館、五島美術館)の調査ではこれまで知られていなかった水銀を主成分とする白色材料を発見し、国宝稲荷山鉄剣(さきたま資料館)の調査では金象嵌に2種類の金−銀合金が使われていることを見出した。さらに、2003年から行われた国宝紅白梅図屏風(MOA美術館)の調査では、高精細カラー画像撮影などと組み合わせることによって、金箔や銀箔が使われているというこれまでの定説とは異なる分析結果が提示された。
[3]技術調査手法の制約と課題
有形文化財を適切に保存していくためには、まず、科学的分析が不可欠である。文化財の科学的分析は、一般的な科学研究のために開発された方法及び機器によって行なわれ、基本的にはそのまま利用することが可能であるが、文化財の分析対象物の性質が一般的な材料と必ずしも一致しないので、文化財に対応した方法及び機器に改良することが必要な場合も多い。その主な要因5)としては、
- 文化財を構成する物質・材料が不明のまま分析しなければならないことが多い
- 文化財を移動させることが困難な場合には、分析性能の低い携帯型の分析機器を使用せざるを得ない
- 文化財を非破壊で分析したり、少量の試料で分析しなければならない
といったことが挙げられ、分析の精度が低くなる傾向にある。分析の精度を高めるには、分析装置の改良や高性能化が不可欠であるが、文化財の市場は小さく、文化財の分析だけを目的とする装置の開発は困難である。さらに、文化財の分析には様々な制約があり、先端的な装置や方法を文化財の分析に直ちに取り入れることは問題を生じやすく、期待される成果や取扱上の問題点を充分考慮してから導入することが必要である。また、先端的な装置は高価で操作に極めて専門的な知識が要求されることが多く、このような経済的・人的理由などで導入しにくいといった課題がある。
3‐2.有形文化財の保存修復技術
「保存」という言葉は「修復」も含む広い意味で使われることが多いが、もし両者を区別するならば、「保存」とは、文化財の周辺の環境を整備し文化財を長く残そうとすること、「修復」とは、傷んだところを直すなど文化財に直接手を加えて長く残そうとすること、と言える。有形文化財に対する保存修復技術を次ページの図表4にまとめた。
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有形文化財の保存修復のための材料や修復技術の研究開発においては、日本古来の伝統的技術や材料を尊重しつつ、その足りないところを補うために新しい技術や科学的な材料を導入して修復を行っていくことが望ましいと考えられる。新しい修復材料など科学技術を積極的に用いた修復技術の研究開発を進めていくことが必要である。
ここでは、修復材料の例として古糊に関する新知見を紹介する13)。
文化財の修理技術の中で、現在も修復に用いられている伝統的な修復材料の一つに、古糊と呼ばれる接着剤がある。この古糊は装こうと呼ばれる日本画の表装作業の際に用いられ、各修理工房で独自に作られるもので、大寒の日に炊いた小麦デンプン糊を大きな甕に入れ、十年ほど床下などに寝かせておいた後に使用される。この十年という期間は、ちょうど表具師が一人前になる期間とも合致しており、従来は、十年後に暖簾分けする時に、自分がかつて仕込んだ古糊を分けてもらって独立する、という一つの文化的側面も伴っていた。十年間寝かせて完成した古糊は、色もにおいも様々である。同じ修理工房で作製されたものでも甕によって異なることが多く、よい古糊を得るのはかなり偶然に左右されている。ただ、共通した特徴としては、原料である小麦デンプン糊よりやわらかく、接着力が弱いこと、そして接着後も水を与えると容易に剥離すること、使用後に原料の小麦デンプン糊よりカビが生えにくいこと、酸性を示すこと、などが挙げられる。古糊は裏打ち(裏から何層か和紙を施す)の作業に用いられ、和紙を重ねていく時に接着力が強すぎると脆弱な本紙に張力をかけてしまい、破損の原因となる。裏打ちに接着力の弱いものをというのは経験則だったと思われる。また、水を与えると容易に剥離するという特徴は、数十(百)年に一度必ず仕立て直すという表具に、再修理が容易であるという利点となる。しかし、これらの性質については、経験的に言われているに過ぎず、科学的根拠は明確にされていなかった。
近年、古糊について科学的に分析したところ、物性については、デンプンの老化(再結晶化)が著しいこと、分子量が小さくなっていること、デンプン分解物と思われる有機酸を多く含むこと、などが明らかになった。デンプンの老化が進むと、接着の際に分子同士が絡み合いにくくなり、水の存在で剥離しやすくなり、古糊が再修理しやすいという点はここに由来していた。また、分子量の減少と有機酸の生成については、保存初期の微生物調査と分子量変化を調べた結果、カビが出す酵素が古糊の低分子量化に寄与していることが示唆され、有機酸の存在により酸性を示していることも明らかになった。これらの研究によって、伝統的な技法や材料が科学的な側面から見ても合理的なものであることが明らかになった。
このようなデータをもとに、短期間で古糊と同じような物性をもつ材料の調製が行われた。小麦デンプン糊を老化しやすい温湿度条件で保ち、人為的に酵素を作用させ、さらに有機酸を添加させることにより数週間程度で古糊とよく似た物性の材料を得ることができた。
3‐3.有形文化財の保存修復技術に関する今後の取組
[1]保存修復技術の研究開発
有形の文化財の保存は、性質に応じたきめ細かな対応が必要となる。例えば、美術工芸品に関しては、日常的な保存・管理を通じた保存の徹底が重要であるのに対し、建造物に関しては、中長期的な視野に立った計画的な保存・管理の推進が重要となる14)。そのため、文化財の本物としての価値を守るという観点から、今後も、最新の科学技術を積極的に導入した研究開発を進めていくことが必要である。
遺跡保存のための技術や保存材料の開発なども進めていく必要がある。特に、ある一定状況で1,000年以上も土中に残されてきた埋蔵文化財は、発掘された瞬間から劣化が始まってしまうため、即、保存対策が必要となる。そのための処置や修復のほとんどは、伝統的技術に基づいた修復処置というよりも、劣化の進行をいちはやく防止する観点から、科学的な手法を駆使することが望ましい。
今後の分析機器に関しては、精度を高めるだけでなく、文化財の研究者が先端的分析機器の開発に積極的に携わり、文化財にも適用可能な分析手法を開発していく姿勢が必要である5)。
また、文化財の科学的に調査研究した劣化原因を記録保存し、修復方針の決定に貢献し得る修復のシミュレーション技術の開発に生かしていく努力も必要である。
[2]教育プログラムの構築
文化財関連の学科や講座を持つ大学・大学院が徐々に増えつつある。こうした研究者たちを受容する組織の充実は必須である。そのため、博物館や美術館のみならず関係機関やこの分野に関連する業界全体において、例えば日本学術振興会の特別研究員に文化財保存のための枠を設けるなど、彼らが充分活動できるような支援が必要であろう。
欧州では、保存修復に際し実務基準が作成され、それらに基づいて修復事業が進められている。また、教育課程も整備されつつある。日本でも、文化財の保存・修復を直接担う文化財修復技術者に対し、欧米のような「文化財修復士」15)といった資格制度を検討することが必要と考えられる。
現在、日本において文化財関連の教育プログラムを設定している主な大学は、東北芸術工科大学、東北大学、筑波大学、東京藝術大学、東京学芸大学、京都大学、京都造形芸術大学、奈良大学、吉備国際大学、別府大学などである。人材養成の面で、文化財関係学部・学科を持った大学を中心とした連合組織の形成や、大学へ専門家を派遣するなど、専門的機関との連携協力を図ることも必要である。特に、文化財関係の学科を持つ大学のほとんどが、文学部系か芸術学部系に位置付けられていることが多い。そのため、前述した材料科学や分析学などの知識、最先端の装置や機器を扱う技術を取得するためには、学内のみならず、科学分析等のカリキュラムを持った他の大学と単位互換制度など連携した教育プログラムの構築も必要である。
[3]有形文化財に携わる国際交流
グローバル化が進展する中、諸外国においても文化財保護の気運が高まってきており、国際機関などを中心として、文化の多様性を尊重しようとする動きや、文化財保護に関する具体的な取組が進められている。
一方で、国や地域、文化や宗教によって、文化財保護の考え方や保存修復の基準や規則が異なる微妙な問題がある。それぞれの国によって文化財資料の構造や材料が異なり、それを保存する哲学や技術もまた異なる。国際的なレベルではこうした視点の溝が存在することが現実である。文化財を通じた国際交流・国際協力は、文化の多様性についての深い共感のもと、諸外国との相互理解を増進するという観点に立って、進めていくことが必要である。

4.
文化財のデータベース化を支える情報技術
文化財は、発見された直後からそれまでの環境が変化することで劣化が加速する。劣化を遅らせることはできるが、それを完全に食い止めることは困難である。したがって、劣化していく文化財をある時点でメディア変換し、デジタルアーカイブ等IT技術によるデータベース化といった形での保存技術を推進していくことも重要である。デジタル化によって、経年劣化することなく資料の精度を保つことができ、次世代への継承や災害時の対応が可能となる。また、インターネットにより、広く社会に公開できるなどの有効性もある。最近は、精密な3次元的形状分析や、地域、年代が異なる文化財の特徴比較を定量的に行うことができるようになり、文化財自身に関する学術的研究に大きく貢献することが可能となった。
文化財の情報化については、文化庁や総務省などを中心に、国指定文化財や国立博物館、国立美術館等の収蔵作品に関する情報のデジタル化・アーカイブ化への支援が行われている16)。
4‐1.文化財のデジタルアーカイブ化
文部科学省では、2004年度から2008年度の5年間のプロジェクトとして「知的資産の電子的な保存・活用を支援するソフトウェア技術基盤の構築」を実施しており、その中で「文化財のデジタルアーカイブ化」に取り組んでいる。
国民の貴重な財産である有形・無形の文化財は、時の経過により失われていくものも多い中で、文化財の特性や保存に配慮しつつ、情報科学技術を活用して電子的な保存等を行い、文化財の積極的な公開・発信を進めるとともに、次の世代に引き継いでいくことが求められている17)。上記プロジェクトでは、文化財のデジタルアーカイブ化に必要なソフトウェア技術の研究開発を行っている。
文化財デジタルアーカイブは、約20年前から構築されてきたが、入力(多機能高精度デジタル化技術)、蓄積(大容量記憶装置)、公開(高速ネットワーク)、などの発展に伴って、多種多様な文化財を対象にその範囲が広がってきている。計測技術の進歩によって、高精細化、3次元デジタル化、さらにはX線やマルチスペクトル分光計測などを用いた高精密化が進み、実物のありのままの状態、性質を忠実に記録・保存することが可能となってきた。絵画、書、織物など2次元の平面的な静止対象については、現在の高精細、高精密計測技術によって、かなり完成度の高いデジタルアーカイブが構築されてきている。小型の3次元対象についても、各種の3次元形状計測装置が商用化され、素材の分光反射特性の計測技術も精度の高いものが開発されている18)。
研究レベルでは、大仏など、より大型な3次元像を対象としたデジタル化技術の開発が世界各国で進められてきている。デジタル化する対象の大きさが増加すると、3次元形状計測装置の1回の計測で対象全体を測ることができず、計測装置を移動させながら計測を繰り返し、得られた多数の部分的な3次元形状データを張り合わすという処理が必要となる。対象全体の3次元形状を高精度に求めるには高度なコンピュータビジョン技術が用いられる。現在は、大仏殿や宮殿遺跡といった大規模な建築物を対象とした場合のデジタル化技術の開発も進められつつある18)。実物体デジタル化の基本要素と手順は図表5のようになる。

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3次元デジタル化は、文化財の学術的研究にも大きな貢献となる。例えば、従来は2次元の平面的特徴分析や定規・巻尺などを使った概略的3次元形状の分析によって行われていた、地域・年代の異なった仏像の顔などの相関・変遷関係や点在する古墳の形状などの相互比較を、3次元的に定量的かつ精密に行うことが可能となった。
4‐2.バーチャルリアリティ技術による保存・公開
バーチャルリアリティ(Virtual Reality)技術の特徴は、コンピューターが作り出す人工環境の中で、人がその環境に入り込んで自由に行動できる状態が作られるというものである。このバーチャルリアリティ技術を用いて、例えば、博物館などで体験的な展示が可能になり、また、インターネット上で公開することも可能となった。現在この技術は、諸外国でも盛んに取り組まれている。
さらに、現実空間に情報や映像を人工現実感として付け加えた空間を作り出す、拡張現実(Augmented Reality)技術や、人が遠隔地に実際に存在しているかのような高度の臨場感をもって作業や意思疎通を行うための遠隔存在(telexistence)技術、といった技術も可能となってきた5)。
4‐3.文化遺産オンライン構想
各地に点在する文化財を、ネットワーク化して国内外に文化財の総合的な情報を提供していくことには大きな価値がある。文化財に関する情報化の総合的な推進戦略を策定し、文化財の情報化を進める必要があるとして19)、2003年4月から、文化庁と総務省は連携を図りつつ、ブロードバンド(高速大容量通信)を通じて、国や地方の有形・無形の文化財に関する情報(伝統芸能等の動画を含む)を公開する「文化遺産オンライン構想」を推進している20)。
この構想は、図表6のような国民の誰もがインターネットを活用し、多様な文化財に関する情報を、いつでも容易に総覧できる環境を提供するとともに、世界に向けて日本の文化財を発信することを目指したものである。博物館・美術館・関係団体などにデジタルアーカイブ化を促すとともに、インターネット上における情報の入り口となる文化財のポータルサイト注1)(電子情報広場)として「文化遺産オンライン」の仕組みを開拓し、多様な文化財に関する情報を集約化して国内外に発信している19)。既に2004年4月から試験公開版が立ち上げられ一般公開されている。これには、大学共同利用機関法人
情報・システム研究機構 国立情報学研究所が技術支援の形で協力している。2006年度末までに、1,000館程度の博物館・美術館・関係団体等の参加を目指している。

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4‐4.情報化技術に関する今後の取組
3次元の文化財のアーカイブを完成させるためには、今後も継続して研究開発を進めていくことが求められている。特に3次元デジタル化技術は、現状では他にビジネス展開が見込めないため、大学などの公的研究機関が継続的に行っていく必要があると考えられる。
具体的な技術としては、3次元デジタル化のための、(1)高精度3次元計測センサ(形状の精度に加え、赤外線やX線などを使った材料の計測も不可欠である)、(2)高速3次元形状計測ソフトウェア、(3)大規模3次元形状計測ソフトウェア、といった開発が必要である。特に、後世に残すに相応しいものにするためには、精度・規模面で、今後もさらなる向上が要求される。3次元デジタル化された文化財の検索、表示、解析を行うためのソフトウェアや立体表示ディスプレイなどの開発も必要である。さらに、多数の文化財を3次元デジタル化するには、専門技術やノウハウを持った作業チームを編成することが必要である。

5. 文化財に対する今後の方向性
文化財は、長い歴史を経て今日の我々の世代に伝えられてきた貴重な人類共有の財産である。文化財を保存していくことは、アイデンティティーを確認する手段の一つとして、自らの文化的な基盤を維持していくためにも重要である。
21世紀に入り文化財を取り巻く国内外の社会的状況は急激に変化してきている。文化財が「社会の公共財」21)であるという基本的な位置付けは不変ではあるが、情報化や人々の価値観において、多様化が進みつつある。その中で、文化財への意識も多様化し、また、社会の中での文化財に期待する役割も広がりつつある。
現在、文化財保存に携わる専門家の分野は、考古学、建築学、建築史学、美術史学、文化財科学など多岐にわたっているにもかかわらず、相互の交流や情報交換が充分に行われているとは言い難い。そのため、得られた知識やノウハウの共有がなされていないのが現状である22、23)。科学的な手法による保存・修復・活用方法の開発には、人文・社会科学から自然科学にわたる総合的な調査研究が必要となる。保存修復、技術移転、人材養成、公開のためのインフラ整備など、多岐にわたる文化財保存の課題を解決するためには、以下のような、より柔軟な対応が必要である。
[1]関係機関の連携
有形文化財の保存・修復に対する日本の組織の整備は、諸外国に比べて大きく後れをとっている。例えば、諸外国には数多くの博物館や美術館があるが、その多くの機関には保存科学関連の実験室が整備されており、保存修復のセクションが設けられ、自然科学者をはじめ、保存修理技術者、大工、旋盤工、塗装工といった保存修復の専門家がいる。日本の博物館等では、そういった保存科学・保存修理の組織や設備がほとんど整っていない。保存科学研究発展のためには、今後、従来の文化財関係者の枠を越えた組織・設備の充実が求められる。
有形文化財の保存・活用に関する科学技術は多様であるが、現状では限られた市場しか存在しない。そのため、研究開発については、公的研究機関が中心となり実用化されてきた。このような体制は今後も引き継がれると考えられる。しかし、今後は文化財関係者と他分野の研究者・技術者との連携をさらに強化し、大学、文化財研究所、美術館・博物館などの文化財に関連する研究機関等が連携を図りながら、共同で調査・研究を進めていくことが必要である。
[2]人文・社会科学と自然科学との分野融合の推進
今後、有形文化財は、その文化的な価値を損なわないよう細心の注意を払いつつ、情報通信技術を始めとする最先端の科学技術の様々な手法を用いて公開・活用されることが求められる。そのためには、文化財に係わる様々な分野の研究者・技術者が連携して、共通基盤技術の形成や融合研究のための研究基盤施設の整備や、学問的枠組みにとらわれないネットワーク形成によって、自然科学と人文・社会科学、あるいは文化芸術と科学技術の融合した新たな科学技術を創成していくことが重要である。
調査で得られた分析結果に関しては、専門知識の有無によって大きく解釈が異なることがあり、乏しい知識では誤った結果を導く恐れもある。材料科学に関する専門知識がなければ、物質の内部の構造や組織等に関する正しい分析はできない。最先端の装置や機器を導入しても、有効に使うための能力や知識が不足していては無駄になるばかりである。少なくとも、文化財の研究領域に科学分析の研究者の参加あるいは協力を得るなど、ここでも連携の強化を図っていくことが必要である。まずは、自然科学系の研究者への文化財に対する理解を得る努力が必要である。
[3]後継技術者の養成
有形文化財の大半は、木、紙、漆などの脆弱な素材と構造から成っており、継続的な修理を必要とする。修復は伝統的な技術・技法によるものであるため、現在、これらの技術の保存や後継者の育成が行われている。しかし、技術者・技能者の後継者確保自体が困難となっている。
不足している後継技術者の養成のためには、日本も欧米のような文化財の保存・修復を直接担う文化財修復技術者に対し、文化財修復士といった資格制度について検討することも有効であると考えられる。
[4]国際的な技術協力
海外に渡った日本の文化財の修復については、日本は多くの国々に対して技術協力を行ってきた。今後も、国際的な視点から文化財の保存修復を支えるために、日本固有の文化財保存修復技術を核として、積極的に諸外国と技術協力を進めていくことが重要である。

謝 辞
本稿をまとめるに当たり、独立行政法人 文化財研究所
東京文化財研究所の三浦定俊副所長、法政大学大学院 人間社会研究科 馬場憲一教授、独立行政法人 国立美術館 国立西洋美術館 学芸課保存修復室
邊牟木尚美氏、京都大学大学院 情報学研究科 松山隆司教授のご意見を参考にさせていただきました。ここに深く感謝いたします。
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