[レポート2]
人間を理解するための認知ロボティクス

石井 加代子
ライフサイエンス・医療ユニット


1.はじめに

 人間(自分と他者)・心・世界とは何かという問いは、人類にとって常に最大の関心事であった。諸学の殆どは、この問いに答えるために生じたといえる。脳神経科学の進展にともない、脳の働きが心と深く関わるという捉え方が定着しつつあり、心の問題の多くが、脳神経科学によって解き明かされるのではないかと、期待が高まっている。しかし、心に関する長年の問題は、「自分の心は、物質的な存在である自分に備わったものに思えるが、心的内容は物質で表せるように思えない」ことである。物質としての脳を外から分析的に観察した知見を蓄積するだけでは、脳本来の機能や、心の有り様は解明されない。

 脳の中には、身体の様々な部位を表現する単位や、様々な機能を担う単位(モジュール)が並列している。脳神経科学では、特定の機能単位(あるいは、その限られた数の組み合わせ)だけが変化し、他の部位が変化しない条件の下で、当該機能単位に統制された刺激を与え、反応を解析して、その特性を調べている。しかしヒトが通常の活動をしているときには、多種・多数の機能単位が自律分散的に活動している。これらの内、特定の機能単位集団の間で情報の受け渡しをすること、あるいはその中の一部が他よりも顕著な状態として選択されてゆくことによって、特定の考えや行動が生じる。この情報の受け渡しや選択過程のアルゴリズムを解明しなければ、ある時点での脳の物理的状態を観察しても、その時行われている情報処理の内容は理解できない。

 日本では、脳の計算理論の研究1)や、理論と生理実験を併用した研究2)が行われてきた。1990年代に日本の脳科学の課題として、分析的な実験科学(脳を知る)や医療応用のための研究(脳を守る)だけでなく、『脳を創る』が提唱された。これは、『脳の計算理論と神経回路モデルの作成→その実験科学による検証→理論とモデルの改良、の循環』によって、脳の機能を理解するとともに、脳に構想を得た新しいシステムを作るという独自の方向性を示した点で、意義深かった。更に、計算論的神経科学について、『脳の機能を、その機能を脳と同じ方法で実現できる計算機のプログラムあるいは人工的な機械を作れる程度に、深く本質的に理解することを目指す』という概念が提出された3)。このような概念枠に基づき、『脳のアルゴリズムを作成→ロボットの構成・非侵襲性脳活動測定・心理学・実験科学などを用いて検証→アルゴリズムの改良という循環』によって、ヒトの脳の機能を解明する研究が、未だ少数ながら革新的な研究者によって進められている。

 日本人の日常的感覚からしても、心の在り様は、身体や環境、他者の存在から切り離して考えることができない。すなわち、脳だけを作ろうとするだけでは、脳本来の機能や心の働きは解明されない。身体性や状況依存性は、認知科学や脳神経科学でも重要な概念となっており、身体を持って環境と相互作用できるロボットが有力なシミュレーション手段となっている4)

2.認知ロボティクスという分野

 ロボットは当初から、ヒトあるいはヒトの機能の一部を、模倣・代理・補完する存在として作り出された。1960年以降、工業的製造への応用、すなわち産業用ロボットが主流であったが、近年専門家以外の一般市民が直に接して利用することを想定したロボットの開発が急成長している5〜7)。ロボティクスとは、これまで、「実用ロボット開発・製造・普及のために」必要な、科学・工学・心理学・社会学などの総称であり、工学系の比重が主であった。

 現実社会で、ヒトのように柔軟かつ円滑に、自律的に活動できるロボットに必要な条件を模索する過程で、ロボティクス研究者は、人の認知機構や、学習・他者把握・社会行動に注目し始めた。日本では、1994年頃から、ロボットを用いて人間の認知・発達・行動を解明することを、主課題とするロボティクス研究者の集団(けいはんな社会的知能発生研究会など)が形成されている。ヒトのように、発達過程を経て、実世界に対応できる認知能力を持つロボットを作り(“認知発達ロボティクス”)、検証することにより、ヒトの認知機能の機序を解明しようとする方法を“構成論的手法”と呼んでいる8)。このような研究者は、数学を共通基盤とする物理・工学系の知識と経験に加え、生物系・人文社会科学系の広い知識と理解力を持ち、ロボットという確固とした検証台を持っていることが強みとなっている。

2‐1.認知ロボティクス

 このようなロボティクス研究者と、脳神経科学(実験から理論・数理学・ニューロインフォマティクスまで含む)・認知科学・心理学(心理物理学・行動測定)・行動科学が、少しずつずれながら全体としては間断なく連続して協同し、哲学・社会科学・人類学・経済学などの分野と密接に交流して知識や方法論を活用し、互いに検証しあってゆく総合科学を、本論文中では仮に“認知ロボティクス”と呼ぶ。ここでロボティクスとは、ロボットという共通の検証台の上で、それぞれの分野の研究過程の不足や誤り、分野間の矛盾を検討することにより、単なる独立分野の寄り合い所帯に留まることなく、ロボティクスが牽引力となって総合分野内の整合性を生み出すと期待できる、という謂いである。

 実用化を目指したロボット開発も、本来人間や社会に関する幅広い理解と将来への展望に基づいた、需要先導の発想で行うべきである。人型ロボットについては、身体に相当する構造部とアクチュエータ、及びその制御機構としsての計算機部分の初期開発が一段落したところである。現在、ロボットの認知機構に相当するソフトウェア開発のためのプラットフォームとして、日本で開発された人型ロボット・ハードウェアが、国内外で多用されている。今後は、ロボットの“認知機能”の向上が、実用的なロボット開発の成否の要となっていくことが確実である。

 実用的ロボットの開発を主眼とする研究室のなかにも、その基盤知識を提供する認知ロボティクス研究を、並行して進めている例もでてきた。構造部やアクチュエータの開発を主課題として続ける研究者も、次世代の認知機能に対応することを、常に念頭に置くことが必要となる。また、ロボットの“認知機能”向上に伴って、将来消費エネルギーの問題が生じることが指摘されており、これを解消するための研究が必要となるだろう。

 非侵襲性の脳活動測定方法の開発が進んできたが、現時点では、測定結果を解釈する為には、(1)複数回の測定結果を統計的に処理するか、(2)被験者に長時間の訓練をして再現性のある反応が出ることを確認した後、一回の測定結果を解釈するという、統制された方法が取られている。一回の測定で、被験者の脳内で、自発的に行われている情報処理の内容を判定するためには、脳の情報処理アルゴリズムを用いる必要がある。現在、数理学的手法により、このようなアルゴリズム案が作成されている。これが実用に足るものになるまでには、ロボットを用いたシミュレーション系を用いて、検証・改良を繰り返すことが必要である。このようなアルゴリズムが完成すれば、新たな計算機やヒト・機械インターフェースを開発するための基礎となるだろう。

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[補足]認知機構向上に伴う消費エネルギー問題

 生物の神経系はエネルギー消費の膨大な組織である。ヒトは、体躯に比して顕著に大きな脳(重量比で約2.5%)を持ち、全身の20%のエネルギーを消費している。霊長類の大脳新皮質の容量は、社会行動の複雑化につれ、指数関数的に増大した(社会脳仮説、文献14)。複雑な人間社会の中で活動するロボットの“認知機能”向上は必須であり、情報処理の消費エネルギー問題が重大になる。また、容量の制限や、可動性という要請のある人型ロボットでは、小容量内での膨大で柔軟な情報処理を可能とする新たな素材・構造の創出が求められる。このため、計算理論や素材・構造に関する新たな概念枠を創成するための格好の叩き台と捉えることもできる。


2‐2.世界のロボティクス推進状況

 欧州委員会は、2005年10月に世界の主要なロボット製造圏でのロボット市場の拡充状況を報告している15)

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イ)欧州委員会の報告書では、ロボット市場について述べているため、認知ロボティクスに相当する項目は無く、他の全ての分野を並列に扱っている。日本では、人型ロボットの市場化がすでに始動し、認知ロボティクスが応用を問わない独立した科学の分野であるが、将来的に実用的人型ロボットや個人・家庭用ロボット、サーヴィス・ロボット開発に成功するために、必須の基盤であると認識される。

ロ)欧州では、「神は自分のイメージに似せてヒトを創った」とする、一神教に基づく文化背景により、ヒトが人型ロボット(≒人造人間)をつくることに対する罪悪感・忌避感があり16)、今のところ製品化には期待していない。しかし、認知・神経科学や医療分野の基礎研究という目的では、けいはんな社会的知能発生研究会(1994年〜)の認知発達ロボティクスの概念に近い研究が、2004年から推進されている。ロボット実機の実演の前後に質問調査を行い、実物に接することによる市民の忌避感の低減などに関する調査も行われている。

ハ)現時点で、欧州産業界では、人型を想起させることを避けた家庭用ロボットが開発されている15)

ニ)米国NASAは、有人火星探査に向けた月面基地の建築作業のために、人型ロボットの開発を推進することを、2005年12月発表した。建築ロボットが人型ロボットである必要性は、「ヒト作業員と同じ機具・設備を使える」、「全ての作業をプログラムすることは不可能であるから、ロボットが作業を習得する必要があり、ヒトと同じ形態のロボットのほうが、遠隔操作・教育し易いから」としている。NASAは、基本概念として下記の点を挙げている17):「人類の進化に大きく貢献したのは、学習する能力ではなく、教える能力である」と考えられることから、(1)ロボットはまず、“学習する”のでなく、“養育・教育される”必要がある、(2)ロボットが他のロボットに、情報を単に移転するのではなく、“教えることができる”ようになる必要がある、(3)他のロボットに“教えることができる”ということを、当該ロボットの“学習が成立した”状態の証しとする、(4)実用目的の明確な研究でなければならない。

 米国ではすでに、ヒトの教育現場で、認知科学を長年計画的に応用している。子供がどの程度学んでいるか・いつ学習が成立したかということを、外部から客観的に判定することは難しい。上記(1)〜(3)の項目は、このようなヒトの教育に関する実証例を持つ米国ならではの表現であろう。また、“教えることができる”とは、自分の行動を自覚できているということの、具体的な指標でもある。(4)で言うように実用的課題を達成するためには、広範な基礎的研究の貢献が不可避である。社会科学・人類学・心理学・哲学などの研究者層が厚く、基礎研究を進めながら、それと関連した需要に適応した応用研究も供給できる人材がいるからこそ掲げられる方針と言える。

3.システムとしてのヒトとロボットの比較

3‐1.素材と構造の違いは承知のうえで

 心の本質は物質でないとしても、生物学的素材・構造を持つヒトにそなわった属性であるから、ロボット上には永遠にヒトと“同様な”心は作れないという見解を抱く人は多い。しかし、心の働きがどれほど、あるいはどのように、生物学的素材と構造によって規定されているかということ自体、未だ分かっていない。一方、ヒトに近いロボットを作ろうとしている人々は、現時点までの数理計算や素材・構造の限界を認識しており、生物系から構想を得た新たなを素材・構造も模索している。根本的な違いのあることは承知した上で、ヒトの行う情報処理や行動を、ロボット上でシミュレートする試み、そのためのより良い条件を模索する試みが、人間を理解するためのロボティクスの基本姿勢と言える。

3‐2.ヒトvsロボット比較の変遷

 ロボットの基本条件は、情報処理系としての計算機と、計算機によって自己制御する入力・出力実体を持った機械である。人間も脳で情報処理し、感覚入力と、運動系などからの出力を自己制御するシステムとみなすことができる。システムとしてのヒトとロボットの比較の仕方は、変遷を遂げてきた。

(1)人工知能世代

 初期の試みでは、ヒトの特性のうち知性のみが重要視され、ロボットの脳に当たる人工知能の記号処理と比較する研究が行なわれた。脳内で知覚→認識→計画→行動が決定され(トップ・ダウン方式)、身体は単なる入力・出力のためのデバイスとしか見なされないため、環境の予測不可能な変化には対応できなかった。

 課題が現実世界に関わる内容になるにつれ、計算機やロボットの不得意な点が続々と指摘され18)、ヒトが当たり前のように行なっていることが、実は非常に巧妙な機能であることが、初めて科学的探究の課題として意識されるようになった。近代哲学や認知科学の研究者にとっては、ロボット研究の側から、解明すべき課題が提出されたと言える19)

(2)ニューラルネットワーク世代

 心的表象を想定した記号処理に頼らず、遭遇する現象とその頻度に応じて、神経回路を模倣した情報処理回路が形成・強化されるロボットが作られた。これは、(1)とは逆に、刺激入力からボトム・アップ方式で形成される系と言える。中枢神経系の無い昆虫などのモデルには適しており、状況の変化に対しては耐性があるが、脊椎動物のような高次な機能を構築することは出来なかった。

(3)トップ・ダウンとボトム・アップの双方向備えた世代

 近年、認知科学や哲学の分野では、身体性・環境との相互作用・成長という概念が重要になってきた。その観点からすると、ヒトとロボットは、移動し、環境と多様な相互作用をする身体を持つ。計算機と異なり、複雑で偶発的な問題に対して、有限時間内で解決方法を導き出す能力を備えている必要があり、それは、物理的に存在する実社会に対応した方法であり、自己の身体の物理的・機能的特質からくる制限の中で実現可能な方法でなければならない。

 成熟に数年掛かるヒトは、脳神経系における情報処理と、身体を介した環境との相互作用を繰り返すことにより、外界・入力処理・出力の間で整合性のあるような、“自分の”アルゴリズムを形成する。人間を理解する為のロボットも、ヒトと同様に、身体を介した環境との相互作用を通じて、情報処理方法(アルゴリズム)を自分で変更でき、知能を発達させられる事が要求される。また、遺伝形質(初期条件)、体験・記憶、それに基づく予測、動機・目的に応じて、世界を選択的に知覚し、適応的に行動することが要求される。すなわち、トップ・ダウンとボトム・アップの双方向を構築する研究が必要である。


[補足]当たり前のようでありながら、優れたヒトの機能の例

【問題設定能力】機械は、記号処理は速いが、自分で問題設定できない。

【領域固有な知識】ヒトは、課題が現実世界に関する内容になるほど、領域固有な知識の蓄積を活用して問題を解決する。このような知識の多くは、本人にも自覚されない、あるいは身体や環境に依存して引き出される、暗黙知である。

【発見的(ヒューリスティク)知識】ヒトは、現実世界の問題を解決するために、時々刻々必要な有限個の情報を迅速に選択している。機械にはこれができない〈フレーム問題〉。ヒトも新規で複雑な状況では、ヒューリスティクな解決が困難になるが、フレーム問題が“ないかのように振舞い”、立ち往生しないですますことはできる。

【記号接地問題】機械には、言語処理や計算に用いる記号(symbols)と、現実世界の事物・現象との対応付けができない。

【結合問題】ヒトは、ある事物の複数の特性を並列分散処理し、最終的にその事物の特性として結合することができる(例:『りんご→「赤さ・輝度・大きさ・丸さ・堅さ・匂い・味…」という要素情報の処理→「りんご」として再結合』。


4.心の捉え方

 心の本質は「捉えがたいもの」であるからこそ、永遠に科学的には解明されない、という不可知論的見解を、多くの人が漠然と抱いている。「何らかの心的機能がいったんプログラムされると、人々はそれを『真の思考』の本質的な成分とみなすことをたちまちやめてしまう。知識の不可欠の核心は常に、次の未だプログラムされていない事柄の中にある」という見解も存在する20)

 自然科学者自身も、「心・生体系・人間性は、特別なもの」という漠とした先入見を抱いていることがあり、これが心の解明を阻む可能性がある。心理学・行動科学・哲学の素養のない脳神経科学者が脳を分析する際、その前提とする心的過程が、科学的根拠のない日常的な通論“素朴心理学”である場合もある。生物でないロボットにヒトの認知機能を再現するという取組みは、このような先入観を逃れるための方策の一つになり得る。

 「ロボットは、最終的に心を持ち得るか」、「ロボットに心を持たせたいか」ということは、必ずしもロボティクスに関わる研究者に共通の関心事ではない。仮に「最終的には人間の心は、ロボットに完全には再現できないだろう」と個人的には予測しているとしても、近似的なものを作るという過程を介して、人間を理解しようとするのが、人間理解のための認知ロボティクスの基本姿勢と言える。

4‐1.心をつくる実体論的試み

 心を実体論的に把握する立場では、心を形成する要素構造は基本的に個々のヒトに内在していると“把握”し、ロボットにも同様な要素構造が内在する(ように作れる)と“想定”して研究を行う。そのため、どのような原理を持ってしたら、ヒトの心の要素構造に近いものが作れるかというような考察や、このような原理に従ってロボットを構成する試みによって、改めてヒトの心とはどのようなものか、という理解が進むことになる。心理学や脳神経科学の分野では、意識は心という氷山の一角に過ぎないと言われ、ほとんどの心的過程が無意識的に生起していることが実証され始めている。無意識な認知・行動過程は、比較的「機械的」であり、身体や環境と密接な関係を持つため11)、ロボット上に構築するのに適している。

 脳神経科学によって、脳の構造や様々な機能の脳内局在がほぼ分かり、それぞれが自立分散処理、再帰性処理を行っていることがわかってきた。自立分散再帰処理としての諸機能と、それらをまとめる意識・無意識の構造に関して仮説をたて、工学的に構築する試みが進められている12)。

4‐2.実体論的“心”の妥当性を検証する関係論的方法

 ヒトの心が完全に解明されておらず、ロボットの“心”がヒトとは異なった素材や原理でできている状況下で、4‐1のように構築したロボットの“心”の妥当性を検証するため、関係論的方法が取られる。実体論的観点から作られたロボットの心の妥当性を、関係論的方法を用いて検証し、再び実体論的観点から修正するという作業が繰り返されるだろう。


[補足]チューリング・テスト

 数理学者Turingが1950年に、「機械は思考するか」という問に直接答える代わりに、問題を模倣ゲームに置き換えて計算機と人間を見分ける検証方法を考案した。検査者、被験対象(機械)及び比較対照(ヒト)をそれぞれ別室に配し、電送されたタイプ印刷書面で交信する。検査者は、様々な質問を発して、どちらの被験者がヒトか判断する。機械がヒトと判断されれば、機械が思考していたと判定される。


5.他者としてのロボット把握

5‐1.ヒトは世界を能動的に解釈する

 計算機がランダムな記号処理をおこなった結果、たまたまできた文字列・語の組み合わせであっても、それが俳句の体裁に適っていれば(実体論的条件の充足)、経緯を知らずに読むヒトは、“俳句”の作者の存在を想定し、作者の創作意図や俳句にこめた意味や比喩を認めることがある20)。これは、ヒトには、対象の意味を汲み取ろうという積極的な意図を持つ傾向があるためである21)。今のところ、ヒトがロボットに見出す意図や感情などの“心性”は、ヒトの感情移入・投影によると考えられる。

(1)感情の投影

 ヒトの感情移入・投影する対象は、ヒト以外の生物や、天然の構造物、人工の道具・乗り物にも及び得る。多種多様な外界の刺激の中から、同類であるヒトの顔や声を迅速に選別し、そこから相手の意図を推測する能力(心の理論)の発達途上にある幼児にとって、事物に顔・表情や感情を認めることは、正常な現象であり、成長に伴って消失する。一部の社会では、成人が人形や玩具に感情移入することは、暗黙の禁忌になっており、心理療法などに使おうとしても抵抗・拒絶を引き起こす例がある22)

(2)アニミズム

 人類学や考古学の領域では、狩猟採集生活を送っていた頃の人類や、自然と密接な関わり合いを維持する伝統的社会では、成人も広範な対象に霊性を認めること(アニミズム、精霊崇拝)が知られている。近代化の進んだ国でも、日本のように、土着信仰が保たれた、あるいは渡来思想(仏教・儒教・道教)によって抑制されなかった地域の多い場合には、アニミズムの痕跡が色濃く見られる。例えば、道具の供養や、狩猟・漁撈対象の供養(例:鰹塚、アイヌの熊送り)は、それぞれの霊を彼岸へ手厚く送り返すしきたりである。これが、機械であるロボットに、日本人が抵抗なく感情を見出しやすい傾向の基調にあるのかもしれない23、24)

 一方、新興・渡来宗教によって、土着のアニミズムが禁忌・異端と見なされ、抑圧された地域、特に「ヒトは、全能の創造神の姿に似せて創られ、他の生物は人間に役立てるために作られた」とする一神教宗教の広まった地域では、「人型の機械を作ることは神に叛く行為である」、「人型機械は、人間にとって、有害であり、危険である」、「神の創ったものでない故に、魂を持ち得ない」と見なされる傾向がある16)

5‐2.ヒトとロボットの適切な隔たり

(1)不気味の谷

 心理学的には、一般に人造物の外観が、人や生き物を想定させる場合、人は人造物に対し思わず親しみを覚えることがあると言われる。機械的な外見を持つロボットは、比較的粗雑に扱われ、ヒトに近い外見のロボットは、ヒト同士の場合に近い態度・対応を引き起こす事が観察されている25)

 しかし、早くも1970年に日本のロボット工学研究者が、過度の近似性は、忌避感を生じる可能性を示唆している26)。(1)外観が人に近くなると徐々に、親しみが増すが、(2)ある程度の段階を超えると逆に不快感を催す、すなわち「不気味の谷」に陥り、(3)更に近似性が高くなると親近感が増大するという仮説である。

 また、ヒトと他者(自分以外のヒト)との物理的距離には、社会的関係や親密度に応じて安定した距離が存在し、他者がこの点を越えて近づくと不安や拒否感を感じるといわれている27)。この類推から、ロボットについても、ヒトがロボットに対して快・不快感をいだく距離と条件があると予測されている。

 現在ロボット開発の進んでいる日本と欧米の間には、人型ロボットに対する態度に関しては明確な差が見られる。欧米においては、人型ロボットの開発や一般社会への普及に対し、懐疑的あるいは消極的である。一方、日本では、愛玩対象としてのロボットや人と相互作用するロボットがすでに市販され、今のところ概して好意的に受け止められている。日本人は一般に、人型ロボットの孕む潜在的危機を予測し、対応策を検討することを避ける傾向がある。しかし、ロボットの普及や、ヒトとの類似性の増大に伴い、日本でも、一般市民のロボットに対する好感が、忌避に反転する可能性は考え得る。一方、日本では、協調性を重んじる発想から、複雑な現実世界でもロボットの制御不可能性が問題を生じないように、独自なロボット開発を行い、生活の中に取り込んでいく可能性も考えられる。もしこれが実現できるならば、日本が独自な学問体系を形成する好機となるだろう。

(2)ヒトは不適切な科学・技術にも適応し得る

 新たに出現した科学技術に対する、ヒトの適応性や侵害性・有用性に関して議論されるとき、当該科学技術の推進者は、しばしば、「大人は上手く適応できないでいるが、子供は簡単に適応できている」、「子供の頃から適応している人口が多数派になれば、問題はなくなる」と主張する。

 脳神経は、基本的に遺伝的な枠組みに従って発達する。しかし、生まれた直後から人工的な刺激に曝露されると、成長の一定時期(臨界時期)には、当該環境を自然なものとして認識するようになる「可塑性」が知られている。生物の生存にとって利益のない、あるいは有害なものであっても、この可塑的適応は起こりうる。すなわち、幼弱生物が与えられた刺激や環境に対して適応できるということは、必ずしも当該刺激が無害あるいは有用なものであるという根拠にはならない。

 社会に新たに出現した刺激としてのロボットに幼児から適応することが、「その個人の一生を通じて利益となるのか」、「数世代を通じて多くの人間が、当該刺激を既存の環境因子として成長するようになることが、人間社会や生物種としての人間にとって利益となるのか」は、長期に渡る予測と慎重な解析を行なう必要のある困難な課題である。しかし、ロボットの存在を既存環境因子として受け止めない世代の多くいるうちに広汎な追跡調査(コホート研究)に着手する必要があるだろう。


[補足]神経科学分野で有名な古典的実験

生直後から臨界時期まで、縦縞あるいは横縞のみ見て育った子猫は、それぞれ縦あるいは横方向の視覚刺激しか認識できなくなる。


6.今後予想される認知ロボティクスの研究例

6‐1.無意識的・意識的な自律的行動の機序

 脳の情報処理過程とヒトの行動の大部分は、無意識な過程である。人が慣れた道を歩く時や習熟した作業をしている時、夢遊病者が徘徊しても自分の寝床に戻ってくる時、無意識で自律的に知覚・行動しているといえる。自律的に行動できるロボットが作製できるとしても、最初の段階では無意識に知覚・行動しているロボットだろう。

 近年、神経心理学や心理物理学的方法論の向上、行動計測方法の向上、無侵襲性の脳活動測定の開発などによって、認知と行動の無意識過程の解明が急速に進んでいる9〜11)。これまで意識的行動を基に想定されてきた、刺激から行動までの直線的な過程(図表4、イ)は、成立しないことが明らかとなっている。研究が急速に進展しつつある段階ではあるが、少なくとも、様々な情報表現や情報処理の過程が同時に相互作用しながら進行しているということは、確かそうである(図表4、ロ)。成長過程で、身体を通じて、他者や環境と相互しながら、知覚と行動の脳内モデルが非常に密接した関係で形成され、情報処理のアルゴリズムが形成される。

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 ヒトが、無自覚・自律的に知覚・行動することが可能になる理由の一つは、身体の駆動系や神経系に、生存に適した機能を可能とする構造が組み込まれているからであり、これに関して分子生物学的手法による脳神経科学や神経疾患研究によって解析が進んでいる。もう一つには、環境と相互作用しながら知覚・運動の脳内モデルとアルゴリズムを形成しているからである。計算論的神経科学によって、このようなモデルやアルゴリズムが提唱され、ロボット上で検証し、精度を高める研究が行われている。また、「無意識が自動的かつ無目的に作動するシステムであるにもかかわらず、何らかの秩序がボトム・アップ的に自己組織化される理由は、情報処理の再帰的連鎖が埋め込まれているためである」という仮説も提出されている12)

 無意識下の認知過程は、意識的認知過程よりも、身体や環境に直接つながっており、刺激内容や認知主体と環境の状態に応じて受動的・機械的に作動するため、科学的に解析し易いと予測される11)。知覚・運動の脳内モデルや情報処理の再帰性連鎖構造をロボット上に構築して、自律的な行動の生成を検証することが有用である。実用的ロボットに関しても、ヒトの手によるプログラムに全面的に依存することなく、自律的に活動することが期待されている。

 また、日本では、高齢者や障害のある人々が一般環境の中でできる限り自律的に生活できるようにすることが大きな課題となってきている。ヒトが自律的に活動するための条件を明らかにし、自律的活動のための補助技術を開発することも有意義である。

 無意識に行動している最中に、その行動を継続させられない外的変化が生じた場合には、脳内の情報処理方法が変更され、この変化が意識という状態を生じるという説が提唱されている。

 意識的に行動を意図したり、複数の刺激の一つを選択したりする場合でも、意思決定を自覚する瞬間より数百ミリ秒前に、行動様式を調節する脳の部位の神経活動や行動自体の段階で、結果が“決定”づけられていることが分かってきた。神経活動や行動様式を実験的に制御すると、主体の自覚なしに、決定内容を変化させられる9、28)。意識的行動の場合でも、自覚に先立つ過程は、無意識で身体的であると考えられる。無意識・自律的に行動している最中に、摂動を与えても、新たに別の安定行動様式を見つけるようなアルゴリズムを構築し、ロボットで検証することができるだろう。

 このときに、ロボットの内部で起こっている変化を、「ロボットにもヒトと同様の“意識”が生じている」と捉えることができるのかということは、哲学の扱う思考実験の課題となっている29)

 また、近代法は、自由意志の存在と、自由意志によって行われた行為に対する自己責任の概念に基づいている。もし、ヒトの意識・無意識を問わず意思決定が“機械的”に決まるというパラダイムが、科学の分野で認められたとしても、ヒトの日常的な直観や“素朴心理学”からすると、自分の行為は自分の意思によって決まっていると感じられる。従って、このような状況下で、ヒトの自己責任をどのように捉えるか、またロボットが日常的な社会で自律的に活動するようになったとき、ロボットの行動に関してロボットの“自己責任”を問えるのか、将来の問題に向けた法学研究が必要となる。


[補足]意識・無意識の定義の例

@ 意識とは、一つの状態または機能の名称ではなく、多数の相互に関連しながらも異質のものの、緩やかなまとまりなのではないか。意識は無意識の「背景」のもとにおいてのみ、初めてたち現れる。個体発生(発達)的にみても、系統発生(進化)的にみても、無意識が先立つ11)

A 意識とは、思考や内省が抑止された時、その抑止についての意識が生じる過程。及び、その意識が、過去の行動(身体行動と内的行動)の抑止を想起するという内省過程30)

B 意識とは無意識下で生じている非常に膨大でかつ並列に行なわれている感覚運動統合の不良設定性を解消するための計算を、非常に単純化されたうその直列演算で近似することであるといえる3)

C 意識は認知の原因ではなく、結果に過ぎない。意識とはワーキングメモリの特殊な状態の一つであり、無意識下の処理を必要最小限に単純モデル化し、エピソード記憶として保存するために存在している12)


6‐2.“感情”の理解と表出

 ロボティクスで“感情”について研究しようとする場合、次のような取り組み方が考えられる。(1)感情の自己経験の要素機能に関する研究、(2)情動の表出に関する研究、(3)他者の表情や情動の認知に関する研究。これらのいずれもロボットを用いて研究することは可能であり、(2)と(3)については、すでに着手されている。これらの研究は、時として、ヒトを対象として行うことのできる実験の、ロボットを用いた追試にとどまる場合がある。近い将来には、製造物としてのロボットが利用者にどのように受け止められるかを知る研究に応用されるだろう。

 特に、(1)の感情の自己体験の要素機能をロボット上に構築し、検証しようという試みこそが、人間理解のための認知ロボティクスに最も求められることである。この研究が進めば、(2)、(3)の取り組み方でも、深い研究ができるようになるだろう。

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 「ヒトは言語を自発的に獲得する生得的な能力を持っている」というChomsky の示唆は、様々な分野の研究に影響を与えた。‘赤ちゃん学’や‘胎児学’によって、ヒトは生まれた直後や、胎生後期からすでに、活動的に刺激を求めて、世界を構成し始めることが分かってきた。新生児では、模倣・ヒトの顔への選択的注意・外界の新奇な刺激の識別・発話の音節識別と規則性抽出など、生得的な要素機能(遺伝的な解剖・生理特性)が出現する(図表6、イ)。

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 一方、心理学ではVygotskyが、「ヒトは、発達過程において、先ず他者との相互作用を通じて、社会的相互行為の道具(身振り・言葉・物など)の意味を学び、やがて社会的相互作用の道具を自分に当てはめ、思考の道具として使い始める」13)という、『外から内へ』という図式を提唱した(図表6、イ→ハ)。近年、このVygotskyの理論が再評価されており、子どもが自力では到達できない領域での、養育者からの働きかけが重要視されている。赤ん坊が他者の感情を理解し、自分の感情を表現をするためにも、まず他者からの働きかけが重要である。他者の情動表現を理解する為の認知様式を、自己に転用することによって、自分の情動を理解・意識・表現すること(感情の自己体験)ができるようになる。赤ん坊は、養育者などの他者の目を選択的に注視し、視線を見交わす、視線の先にある他者の注視の対象を認識する、自分の興味の対象を指差して他者の注意を喚起する(協同注意)などの行動をあらわす(図表6、ロ)。発達神経学的要因によって、他者の感情把握が困難な自閉症の人々ではこのような行動が起こらない。

 ヒトはある刺激に対して、自分の自覚的感情内容を意識する以前に、情動的身体反応が起きている。また、実験心理学の分野では、情動的身体反応を操作することによって、自覚的感情を惹起したり、感情内容を変更したりできることが知られている。自覚的感情の発生は、身体的変化に大きく依存している。例えば、快いという情動の表出行動が「笑い」と認識されるようになる過程をかんがえてみると:

(1)まず養育者が笑いかける。他者を真似するという生得的デバイスのある赤ん坊は、これを真似る。すると、行動に誘発された快感を体験する。快感という報酬ゆえに、笑う行動を繰り返すようになる。

(2)養育者は、赤ん坊の笑いを「赤ん坊自身の情動の表現である(例:何かが面白くて笑っている)」かのように、応答する。養育者と赤ん坊の間で、笑いという行為が交わされる。養育者と赤ん坊以外の事物をめぐって(指差し・掌握・揺り動かしなど)この相互作用が続行する。養育者は、子どもが言葉を理解する前から、快感や笑いに関する様々な言語表現を赤ん坊に対して語りかけ、赤ん坊の動きや発声を、「赤ん坊が言語表現とその意味を理解したかのように」応答することによって、赤ん坊を言語ゲームに引き込んでゆく。他者の表情の知覚(知覚モデル)と、自分の情動表現(行動モデル)が緊密な関係で形成される。

(3)他者の笑う顔をみると、自分の行動モデルの逆モデルを使って、他者が快いと感じているのだと推測する(他者の感情理解)。言語ゲームを介して、これに「笑う」・[面白い]・「楽しい」・「嬉しい」などの言語表現が結合される。

(4)自分が笑ったとき(行動モデル)、他者理解(知覚モデル)とそれに対する言語表現を利用して、「自分は楽しくて笑っている」というような自己の感情理解が成立する。

 このような一連の現象と脳内アルゴリズムを、ロボット上に構成して、ヒトの働きかけによって感情の要素機能を生成する機序を検証することが可能となるだろう。

 子供は、年齢に応じて、他者の意図など心的内容を推測し理解する“心の理論”(実証不可能な他者の心の有り様についての理論)を発達させてゆくと考えられている。他者の信念・意図・知識などを推測できる状態を、「心の理論を持つ」といえるので、他者の事実と異なる信念(思い込み)を見抜けるか否かで判定される(「誤った信念」テスト、false belief task)。サルでは協同注意など心の理論に必要な要素能力は持っていても、「誤った信念」テストによっては、心の理論の成立が認められないと言われている32)。ヒトの赤ん坊でも、心の理論の要素能力は自ずと発達するかのように見える。しかし、子供の発達に先駆けて、親や養育者が、「子供がすでに、一人前の心の理論を持っているかのように」話しかけ、受け答えすることが、子供の十全な“心の理論”発達には重要であると考えられる。サルや現在のロボットは、ヒトの側が感情投影して、相手に心があるかのように働きかけても、ヒトに対応できる心の理論を発達させることはできない。ロボットを用いた発達のシミュレーションによって、(1)他者からの働きかけ行動を認知し、自分の中にも同じ行動と、行動による自分の心的状態の変化のモデルを形成し、(2)次いで、自分も未成熟な他者に働きかけて、その心の理論を養育するようになる、という過程を解析することが可能となるだろう。

6‐3.社会的行動規範成立の機序に関する研究

 ヒトは極めて社会性の強い生物であり、その行動規範には、個人の利害のみならず、社会集団の利害が大きな決定要因となっている。社会心理学の分野では、利己的行動と利他的行動に伴う報酬バランスと進化を考慮して、社会行動様式や社会規範の発生するアルゴリズムを、数学的に作成できると考えられている(図表7、進化論的安定均衡33))。例えば、高速道路で、運転者は個人段階では、自分の都合を考えて路線や速度を選んでいるが、巨視的に見ると、高速道路上の車集合の動きは、流体力学で最も適切に記述できる。個々の運転手の行動と利害の関係のアルゴリズムをつくり、伝承することは困難だが、巨視的な車集団の動きの最適化に関するアルゴリズムを作ることは比較的容易で、全ての運転手に“遺伝”的に伝承すればよい。これは、ヒト以外でも、様々な動物の行動様式の生成に当てはまる。

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 ヒト個体の行動に関して、このような遺伝因子による規定は緩いため、多様性が生じる。ヒトの場合、(1)自分に近い他者の行動を真似る、(2)他者を観察し、他者が利益を得た行動を真似る、(3)真似た行為を自分の行為として定着する(学習)、(4)このための神経情報処理を逆向きに利用して、他者の行動を解釈し、他者の心的内容を推測する、(5)また、その理解した内容に応じて、自分の行動を変化させる、(6)具体的状況で獲得した認知・行動様式を、汎化し、異なった状況でも利用する(メタ認知)、などを可能にする神経回路が形成された。自分の行動の結果としての報酬(安全に心地よく生きる)と罰則(危険・飢餓・孤立・属する集団の不安定化など)を、離れた時間枠・空間枠で予測・評価する計算能力も出現した。

 ヒト脳内の報酬予測・評価を担う神経回路をシミュレートした実験ねずみ(サイバー・ローデント)を作成し、報酬の期待度・獲得までの忍耐度・罰則に対する感受性などを変化させて、発現する様々な行動様式を解析する研究が行なわれている35)。また、バッテリー・チップ(餌)の授受や、他者の見真似機能を作成し、社会行動の学習と伝播・遺伝をシミュレートしている。生物学的・人類学的な進化の研究や、社会心理学、認知ロボティクスの融合によって、協調行動の遺伝的基盤とアルゴリズムを解明することが期待される。

 集団の利益を最適化するアルゴリズムは、ある特定の個人が道徳的「悪をなす」ことを禁ずるものではなく、多くの人が「道徳的悪をされる」ことを抑制するものである。他者の「悪をされたくない」という心的内容を推測できない、あるいは推測や理解に基づいて行動制御できないならば、特定個人の「悪をなす」行為は、自己制御できない。協調行動をシミュレートするロボット集団で、心の理論と倫理的行動の関係を調べることができるだろう。

 ヒトに特有な精神神経疾患や行動様式の障害は、脳の情報処理と社会的行動様式が、他の動物よりも膨大且つ複雑となったことによる可能性がある。例えば「統合失調症はヒトの言語能力の進化の副産物として出現した」、「音韻文字・印刷物・新規技術の普及によって、ヒトの感覚や認知様式は変化してきた」36)という説がある。ロボットの認知機能を、ヒトに近づけるべく複雑化する過程で、偶発的・予想外に、他者にとって不都合な認知・行動様式を示す事例が出てくるだろう。脳神経科学は、神経疾患や発達障害の解明を契機に発展してきた面がある。これに倣って、あえて、特定条件下で認知・行動様式の逸脱する可能性のある疾患モデルのロボットを作成して解析することにより、脳の健常な機能と、その病態との間の移行関係を探ることができるだろう。また、健常状態からの逸脱に対してロバストな系を作成できるだろう。

 このようにして得られる、無意識の心的過程・意思決定の機序・行動規範の成立過程に関する科学的知見は、一般の人々の日常的常識に基づく“素朴心理学”とは、相容れない部分が多いだろう。あるいは、科学的知識を持つことは益があっても、日々そのような解釈に基づいて生活することは容易ではない。そもそも、そのような知識は、日常的には必要ないかもしれない。

 哲学者や社会科学者が、認知ロボティクス研究に加わって、ロボットを用いた研究内容を哲学・社会科学的観点から解析し、現実社会に適応した理論とモデルを形成することが必要である。

7.認知ロボティクスが引き起こす倫理の議論

 社会が安定している状態では、「道徳が(安全で快適な社会を実現するための)手段にすぎないという事実は、知られないほうが都合がいい。だから、道徳は盲目的に信じ込まされるほうが―信じ込まされる当人にとってさえ―好都合」34)かもしれない(図表7の「道徳の成立機構」)。これが、一般的に、道徳外の利益・不利益や快・不快をもってヒトの行動を論ずること自体が、道徳的悪と見なされることのある所以である。科学によって、行動規範が成立する機構を解明することは、一般の人々にとって必ずしも快いことではないだろう。

 一方、ヒトのこれまでの歴史の中で、社会規範の崩れた時、あるいは社会変革の折に、既存の道徳制度を見つめ直し、新たに立て直すことは、しばしば起こった。このトラウマが神話や伝承・歴史の中に語り継がれている。一般的に、日本の自然科学者は、「行動規範の成立機構」については饒舌に語れても、「道徳の成立機構」との関係を語る言葉を知らない場合が多い。一般市民への、科学的知見の伝え方や、社会的影響に関する検討には社会科学者や教養のある人物の関与は不可欠である。このような分野では、政策的に、多分野の人々を集めて、議論する場を設けることが必要となるだろう。

 道徳的善悪の存在理由を問うことなく受け入れる世界観に立つと、遺伝学・神経科学・行動学の発展によって、「犯罪因子を持った人物が罪を犯すことを、薬物治療や遺伝子操作によって、未然に防げるようになる」という予測をする可能性がある。しかし、個人に本質的に備わる善・悪はないとすると、これは的外れな予測や期待と言える。

 人間を理解する学問については、どこまで知ることができるかという問いのみならず、どこまで明らかにしてよいか、研究を進めてはいけない領域・内容・程度があるか否か、多方面の観点から真剣に議論する必要がある。仮に、研究の制限を設ける可能性が見込まれる場合は、どのように実施すべきか検討して結果を公にし、実効力のあるものにする必要があるだろう。

8.認知ロボティクス研究の推進策

8‐1.認知ロボティクスの基盤概念

 新たな科学技術の創出や発展には、その基盤となる開発思想が存在する。基盤思想は、研究構想が芽生える際、極めて初期から発生し、注目すべき課題・有効な手段・実現可能な目標の選別を左右し、検証過程のフィード・バック回路に働きかける。早期から俯瞰的な基盤思想を意識化し、これに照らし合わせて思考して、最終目的にむかって意図的に理論構築してゆく必要がある。

 人型ロボットには様々な思想・概念が基盤となっている(図表8)。日本では、例えば1970年代、機械とエレクトロニクスの完全な融合である「メカトロニクス」の概念が生まれた。複数要素の折衷という点は、きわめて日本的な発想であると評されている16)。日本のロボット研究者は、「メカトロニクスという概念が出たから世の中が直接的に変わった、というわけでは無いが、概念の創出によって日本の進むべき流れが整理され、それが明日の指針になると確信されて皆が安心してその方向に進むことができたのである」と述懐している37)

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 メカトロニクスは、工学内部での科学的概念の融合であった。今後期待される、人間理解のための認知ロボティクスでは、自然科学・工学以外の分野との概念融合、学問的に理論として確立する前の曖昧な概念の間の相互作用(新分野の創設)、学問とならない実社会的な知識・教養・素朴心理学との相互作用が必要とされる。

8‐2.理論志向の研究強化

 日本では、脳神経科学の分野でも、ロボティクスの分野でも、図表1に示すような物質志向の研究が盛んである。例えば、脳神経科学分野では、脳の構造や単位機能の解析が主な活動となっており、人型ロボット研究においては、ロボットの構造体やアクチュエータの開発とその運動制御などの解析が主要な活動となっている。研究予算も、実験的脳科学やものづくり研究には計上し易いが、理論・数理学的研究は重要視され難い。物質志向の研究を基礎として、脳全体の機能や心の仕組みを理解し、ヒトに近い認知様式を持ち、現実の街中を自律的に歩けるほどの水準のロボットを構成するためには、心理学や、理論的・計算論的研究が必須である。しかし、日本ではこのような、物質志向でない研究を軽視しがちである。脳の数理計算に関しては、早期から優秀な研究者はいるが、その数は少なく、多くの実験神経科学者やロボティクス研究者と接する機会が足りない。数学者や理論物理学者の脳の科学への参入も不十分である。人型ロボットを製造している日本企業には、日本国内の研究所では、構造や駆動部分の開発を行ない、認知機能や認知・行動連携に関する理論的な研究は、数学や物理を重要視する欧州で行っているという例もある。海外の研究者と広く協同することも大事であるが、まずは国内に厚みのある研究人材を育成・維持し、その中で知識や概念の綿密な交流を行って、内容を練磨して行く必要がある。身体や環境との相互作用を考慮した脳システムの研究が進めば、今度は視覚・聴覚などの機能単位やモジュールの研究を飛躍的に精緻化しなければ、システムの研究がそれ以上発展しない段階が来る可能性もある。機能単位ごとの分析的研究から、システムの統合的研究まで、様々な取り組み方の研究活動が同時に進行していて、それらが相互に影響し合うことのできる環境を維持することが必要である。このような研究推進は、文化としての科学が国内に存在するための必要条件である。

 そのためには、まず日本の中で、生物系の物質志向研究から理論・数理研究、工学系の物質志向研究まで、様々な段階で、間断のない知識共有・協同作業の連鎖を築くことが重要である。例えば、日本の脳神経科学・心理学系および工学系の研究者が、ロボットを構築するために必要とされる理論的な研究課題を明確にし、数学や理論物理学系の研究者と、どのように課題を解決できるか綿密に相談して、協力する場と機会を設けることが重要である。

8‐3.哲学・社会科学の選択的育成

 心や身体、自己・他者・環境の関係は、自然科学のみならず人文・社会科学系の学問の対象でもある。自然科学系の学問の協同によって得られた、ヒトの心に関する知見は、哲学や社会科学によっても検討しなければ、真に有効な知識として使われることは稀だろう。また、自然科学系研究の概念枠や展望を明確化するためにも、哲学や社会科学の関与が必須である。

 しかし、現在の日本では、直ちに上記の貢献のできるような、哲学・社会科学系の研究が活発とは言えない。これらの分野で、哲学(社会科学)史や先行研究の解釈に拘泥する研究・輸入学問・講壇学問の傾向の強い研究と、現在進行している課題に取り組むことのできる柔軟な思考と検証能力を備えた研究を明確に評価し分ける体制を整え、柔軟で検証能力のある研究者を積極的に登用することが有用である。認知ロボティクスという現実的叩き台を持つ環境で、独自の考え方を創出できる哲学者・社会科学者を育成できるだろう。

 哲学の研究は、必ずしも大学の文学部哲学科でのみ実施すべきものではない。新たな問題提起や新規な解決方法を創出できなくなっている環境を離れ、認知ロボティクスや脳神経科学など、自然科学・工学分野の活発な研究活動が集中している環境に哲学研究室を設けて、これらの分野と影響しあいながら、哲学の研究を遂行することも効率的であろう。哲学者は、自分の理論を心理学実験やロボットによるシミュレーションで検証し、ロボティクスや認知・脳神経科学分野の研究者は、研究構想や実験結果の解釈にたいして、哲学的観点から、助言や批判をうけることができる。このような研究形態を取れる哲学研究室には、独力でシミュレーション実験のできるような、自然科学系相当の研究助成を行い、哲学者の自覚を促すことができると期待される。学生は、哲学の専攻過程で2年ほど基礎訓練した後、このような研究室で育成し、従来の哲学界のしがらみから離れた研究領域を形成することも有効であろう。

8‐4.ヴァーチャル研究機関の設立

 最も先鋭的な少数の研究組織は、それらの研究を統合した将来の研究動向に関する展望・構想・検証のため、また他の研究・組織の牽引力とするためにも、中枢研究所としてまとめることが効率的である。しかし現実的には、とりあえずはヴァーチャルな研究機関として、潤沢な資金や研究環境、雑務回避の優遇、他の研究組織や海外機関との間の連絡・協同の支援を行うことが有効である。ここで行われる研究の指針、目標設定、達成内容の評価は、広く公表される必要がある。

 ヴァーチャル研究機関に大学院生・博士取得後研究者(例えば、哲学・心理学・理論生物学・数学者等)が、工学・情報科学系研究室で常時研究できるような体制を整える。例えば、機械工学科の研究室で認知ロボティクスの研究を行っている場合、哲学・心理学・理論生物学などの研究者がin situで参加する必要があっても、このような分野の異なる人材を採用したり、学位審査・授与することの容易で無い場合がある。ヴァーチャル研究機関に所属する人材が、このような研究室、あるいはこのような複数の研究室に配属されて研究できれば、有用な人材の柔軟な起用や、広い見地を持った人材の育成につながる。

8‐5.先端的研究に基づいた科学政策の展望作成

 『脳の機能を、その機能を脳と同じ方法で実現できる計算機のプログラムあるいは人工的な機械をつくれる程度に、深く本質的に理解することを目指す』という概念枠は、未だ研究者の数で言えば少数ではあるが、内容的には極めて先鋭的な研究を触発している。脳の構造や機能モジュールが、未だ全て解明されていなくても、様々な知見を統合し、ロボットを構成して、ヒトの脳の理論やモデルを検証しようという動きとなっている。心の有り様に関する広い認識を持った上で、ロボットにも心が内在するように“作れると想定し”、「とりあえず作ってみる」8)、作ってから詳細に検証する、という取り組みかたは、「専門分野内の理論で武装しないと、取り掛からない」方式の研究界よりも、知的生産性が向上している。

 また、このような研究者の多くは、心理物理学者の実験結果や心の解明を巡る展望をいち早く導入している。従来のように、視覚・聴覚・運動・記憶・情動など機能別の解析に加え、意識・無意識や、「主体と客体の境=自己」の仕組みを解明する動きとなっている。

 しかし、この日本人研究者から発せられた先鋭的研究の重要性は、日本国内よりも、欧米の研究者や欧州の科学技術政策担当者に、迅速に認識されているようである。例えば、欧州委員会は第六次フレームワーク・プログラムの基金の企画研究として、2004年からNeurobot、Cognonなどの企画を設け、コンソーシアムを形成して推進している。日本と異なり、一般向けの人型ロボット産業には懐疑的であるが、認知・神経科学の研究の為に“開かれたプラットフォームとしての幼児型ロボット”を創るコンソーシアム(RobotCub)が2004年から始まっている。日本の人型ロボットが、すでに海外の研究所でも使用されており、これらをプラットフォームとして、ロボットの認知機構ソフトウェアの開発が、欧米の研究者によって盛んになるだろう。人型ロボットのプラットフォームの開発が進んで供給可能となる以前に、それを用いて次にどのような研究を推進し、どのような知識体系を構築するのか、先見的な方針を整えておくべきであった。

 欧州委員会では、一般研究基金から将来の科学技術予測まで、様々な業務に、科学・工学・医学・心理学などの博士号を持ち、研究・論文作成経験のある役人が従事しているため、先鋭的な論文や総説が少数出てきた段階で、その将来性と重要性を理解して、研究推進を企画化することが可能である。日本の研究組織も欧州委員会のコンソーシアムに参加しているが、日本国内では、コンソーシアムは成立していない。日本が先端的研究として育てた芽が、欧州で収穫されることになる可能性も否めない。個々に世界的にみて最先鋭の研究を創出している研究者のいる日本として、政府がこれらの研究を将来どのような知識体系として育て、どのような社会体制を築くために実用化するのかという展望を明確化し、俯瞰的・包括的に推進して行くことが重要であろう。

9.終わりに

 ヒトの心や行動に関する知識は、人類にとって公共の知識である。かつて、ヒト・ゲノムの全解析と配列の特許化、産業応用、市場価値に関する議論のなかで、「ヒト・ゲノムは誰のものか」という議論が交わされた。「ヒトの心に関する知識は誰のものか」という問題は更に深刻な議論を惹起するだろう。日本が先導して、世界の全ての人々が、正確な知識を共有できる体制を整備することが望ましい。特に、21世紀は、経済・製造・労働・娯楽・医薬・教育・政治・外交など各方面で、ヒトの認知機能に関する知識に基づいた技術、あるいは認知過程を制御する応用技術、いわば《exploit the brain型の科学・技術》が進むことは確実である。このような、実利的応用の広まりに常に先立って、《explorer the brain型の学問》を進めることにより、生身の人間にとって、心がどのように捉えられるかという根本的な理解を深めることが必須である。

 認知ロボティクスでは、専門分野をこえて科学者が結集し、同一の具体的叩き台であるロボットを巡って心の問題を科学的に解明し、社会的な文脈のなかで解釈することができる。ロボットには一般市民も興味を寄せ易く、ロボットとヒトを比較することは心の問題に関する議論と考察を促進するだろう。


参考文献

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