総括ユニット 辻野 照久
最近、米国・イギリス・フランス・オーストラリアなどで「ubiquitous positioning」すなわち「ユビキタス測位」というテーマでの研究が始まっており、我が国でも東京大学において、物流におけるユビキタス測位の利用についての研究の例がある。ユビキタスとは、「いつでも、どこにでも存在する」「遍在する」という意味である。今後の情報社会においては、ウエアラブルコンピュータやICタグなど、情報の「いつでもどこでも」を実現する道具とともに、自分自身がどこにいるかを高精度で計測できることが当たり前になってくる。その先駆けとして、携帯電話で現在位置を知るサービスに加入している人も数百万人にのぼる。携帯電話による測位の精度はまだかなり低く、間違いの元になる場合もあるが、将来的にはより精度の高い位置情報を得るために、全球測位システム(GPS)を用いた位置決定が主流になる。GPSは4個以上のGPS衛星からの時刻信号を基に受信機の現在位置を計算するもので、既に社会のさまざまな活動に利用され、国の基幹的なインフラとなっている。
時刻の実用的な表示精度が「何時何分何秒」であるのと同様に、ユビキタス測位では位置情報に関して「北緯何度何分何秒、東経何度何分何秒」などと0.1秒単位(注1)で表示したり、地理情報システムを参照して住居表示の番地やコンテンツ情報にリンクしたりすることも日常的になる。
(注1)
緯度(南北方向)の0.1秒は世界中どこでも約3m、経度(東西方向)の0.1秒は緯度が高くなるほど短くなり、我が国では約2mに相当する。
総務省では2007年4月を目途に、警察、消防及び海上保安機関への緊急通報の機能を高度化させ、国民生活の安全・安心につながるインフラを構築しようとしている。携帯電話からの緊急通報において、発信者の所在位置の迅速な特定は長年の課題であり、所在位置情報がGPS機能を持つ携帯電話から警察等へ自動送信可能になれば、現場への到着時間が短縮できると期待される。
しかし、GPS衛星による測位は、住宅が密集している都市部や山間部などでは充分な衛星数を視認できず、GPS測位ができない場合が多い。これはGPS利用の弱点となっている。
この問題に対して、総務省、文部科学省、経済産業省及び国土交通省と民間が連携して開発を行おうとしている準天頂衛星システム(QZSS)はGPS衛星の補完・補強を行う上で大きな効果を発揮すると期待されている。また、このような日本独特の衛星システムを開発することで、宇宙産業の新しいビジネスチャンスも生まれる。
本稿では米国GPS衛星の概要とその弱点、総務省の緊急通報高度化計画の概要、準天頂衛星システムの仕組みと役割、測位の高度化に関して各省や研究機関が行っている研究動向など、ユビキタス測位のための道具立ての全容を紹介する。準天頂衛星の用途は測位に限らず通信・放送・観測など搭載する機器によって種々の役割を持たせることができるが、GPS補完・補強機能が通信・放送等のミッションよりも重要性及び緊急性が高いことに鑑みて、最初に打ち上げる準天頂衛星システムが果たすべき役割をGPS補完・補強に絞ることを提案する。また、準天頂衛星システムを用いたユビキタス測位を早期に実現するために必要な政府の担当組織の設置を提案する。
2‐1.GPS衛星の発展動向
一般にGPS衛星(航法衛星または測位衛星ともいう)と呼ばれているものは、米国空軍が24機(最近では予備を含め29機)で運用しているNAVSTARをさす。図表1に示すように基本設計では6つの軌道面に4個ずつ衛星を配置している。この他に故障等に備えて数個の予備衛星を用意している。NAVSTAR衛星は地表からの高度が約20,200kmで、低軌道衛星と静止軌道衛星のほぼ中間にあり、地球を1周する時間は約12時間である。軌道傾斜角は55度で、高度が高いため極域の一部を除きほぼ全世界をカバーできる。米国では、軍用航空機や艦船の運航のために、国防総省(DoD)が1960年頃から人工衛星を用いた位置決定の研究を行ってきた。いくつかの試行錯誤的な技術開発を経て、1978年からNAVSTAR衛星の打上げを開始した。
NAVSTAR衛星の配備は、図表2に示すように、ブロック1による実証段階を経て、1990年からブロック2と2Aで定常運用に入り、衛星寿命に対応して1997年から代替衛星ブロック2Rへと更新を行い、まもなく民生用第2信号を追加して性能を向上したブロック2RM(Modernized)を打ち上げる予定である。また2006年の初打上げを目指し、新たに民生用第3信号を追加するブロック2F衛星の製作が進んでいる。さらに、次々世代の測位衛星として、ブロック3の概念検討が始まっている。現在、ロッキード・マーチン社とボーイング社がそれぞれ設計を進めており、DoDはまもなくこの2社のうちからブロック3の開発及び製作企業を選定しようとしている。
2‐2.GPS衛星の機能
現在主力となっている2A及び2RのNAVSTAR衛星は2種類の原子時計を搭載し、精密な時刻情報と自分自身の軌道情報を毎秒地上に向けて発信している。これにより、実用的に10−9の精度で時刻情報を地上のGPS受信機に送ることができる。
各ブロックに共通する仕様として、発信電波の周波数帯がある。現在のGPS衛星のLバンドの中心周波数は1575.42MHz(L1)と1227.6MHz(L2)である。一旦決まった周波数帯は地上受信器の継続使用を図る上で変更できないので、今後とも変更されることはないはずである。ただし、ブロック2F衛星においては民事目的(生命安全用)の中心周波数(1176MHz、L5)をも新設することを計画し、国際電気通信連合無線通信部会(ITU‐R)で承認されている。2‐3.米国以外の測位衛星
ロシアは独自の測位衛星により全球衛星測位システム(GLONASS)を展開しているが、正常に稼動している衛星が少なくなったため、2005年から補充用の衛星を10機程度打ち上げる計画である。現状ではまばらな配置であるが、我が国でも利用することが可能で、米国のGPSとロシアのGLONASSの両方を受信できる装置も販売されている。
欧州は今のところ米国のGPS衛星に頼っているが、独自の全球衛星測位システム(GNSS)用の衛星を保有すべく欧州連合(EU)と欧州宇宙機関(ESA)が協力してガリレオ計画を推進している。これには、中国・インド・イスラエル・ブラジルなどの非欧州諸国も参加を表明しており、欧州域内のみならず全世界的な利用が見込まれる。ガリレオ計画は数年以内に30機の測位衛星からなる独自のGNSSを展開しようとしている。ガリレオ衛星は配備段階ではアリアン5型ロケットにより同時に8機ずつ打ち上げられる計画である。
中国は独自の静止測位衛星「北斗」を3機打ち上げ、主に交通関係の管制や車両盗難監視などに利用している。また、インドも「ガガーン(空)」というGPS補強衛星を打ち上げることを計画している。インドの場合、バンガロールなど南部のハイテク産業地帯では静止測位衛星が天頂に近い高仰角になるので、GPS補完の静止衛星を保有するとユビキタス測位を行う上で地理的な有利さを生かすことができる。2‐4.GPS補完とGPS補強
周りに何もない場所であれば、GPS衛星の信号を利用して受信機の現在位置を決定することは容易である。米軍がNAVSTARを利用する舞台は主に空中や海上であり、NAVSTARの性能を十分に利用できる。ところが民事的な利用では、ビルが林立する都市の内部や、山間の峡谷など、電波が遮られる可能性が高い場所があり、位置を決定するために必要な信号数を確保できないことが多い。ある地点でGPSが利用できる確率をアベイラビリティといい、我が国の都市部では30%から40%程度の場所が多い。東京大学柴崎研究室が行った西新宿地域における測位可能時間率などの調査結果2)では、高層ビル街だけでなく道路が狭く民家が密集している住宅街においてもアベイラビリティが低い箇所が多いことが示されている。
また測位の誤差についても考慮する必要がある。民事目的でのGPS測位においては、電離層での遅延、時刻信号の誤差、衛星の位置情報の誤差、対流圏での水蒸気による遅延及び地上でのマルチパスなどの誤差要因により約10m程度の誤差が生じている。このうち最も支配的な誤差源である電離層の遅延量については、L1、L2の周波数の差を利用して補正することが可能であり、GPSブロック2RM打上げ後は民事用でも2周波が利用できるようになる。
アベイラビリティの低さや測位誤差はGPS利用の弱点と指摘されており、NAVSTARを運用している米国自身も、GPS衛星を補完する衛星や補強(オーグメンテーション)するシステムが必要であるとしている。
GPS補完とGPS補強は紛らわしいが、その意味するところの違いを認識する必要がある。
GPS補完とは常時天頂付近にGPS衛星1機に相当する衛星を配置することである。準天頂衛星がLバンドの時刻・位置情報を発信することがこれに当たる。
GPS補強とは、地上の電子基準点においてGPS衛星信号の到達状況から誤差を解析して得られた校正情報や、信頼度改善のためのインテグリティ情報などを種々の通信リンクを使って他の受信機に配信することで測位の精度を向上させることである。これをディファレンシャルGPS(DGPS)という。
GPS補強情報をエンドユーザに伝達するため、地上放送のFM電波に乗せる方法や、携帯電話を利用する方法などが既に有料で実用化されている。しかし、そのような方法が利用できない地域も残されている。準天頂衛星の特徴を利用して補強情報をSバンドで中継することができれば、地上設備では送信困難な箇所にも補強情報を伝えることができる。ただし、補強情報は場所によって異なるので、日本全域をいくつのメッシュに区切って情報処理するかなど、これから検討すべき課題もある。
3‐1.DOP値とは
GPS衛星により三次元的な位置を決定するには少なくとも4個の衛星から信号を受ける必要がある。4個の衛星はできるだけDOP値1になるような位置にあることが望ましい。
DOP値とは、測位衛星の幾何学的配置によって精度が劣化する程度を示す指数のことである。理想的な衛星配置は、天頂の衛星と120度ずつ分散している周辺の3つの衛星で正三角錐の形状をなしていることである。この場合のDOP値を1とする。それと比べて何倍精度が劣るかで、2、3、4、…と指数で示す。この指数は、4つの衛星で作られる三角錐の体積がDOP値1の場合よりどれだけ小さいかで計算される。GPS受信機に精度(accuracy)を設定する機能がある場合は、DOP値を用いて判断させるようになっている。DOP値はできるだけ1に近づけることが望ましいが、GPS衛星が天頂付近にある確率はきわめて低いので、準天頂衛星をGPS補完として利用することはDOP値を1に近づける上で有効な手段となる。3‐2.極小化する原子時計
GPS衛星は超高精度の原子時計が地球を周回しているシステムであるといえる。ブロック2以降のNAVSTARにはセシウム時計とルビジウム時計の2種類の原子時計が搭載されている。
原子時計のコンポーネントは、従来はきわめて大きなものであったが、最近ではポータブル型原子時計が開発され3)、米軍の航空機や車両など個々の装備に取り付けられるようになってきた。これまでは精密な時刻を得るために常時測位衛星の信号を受信していたが、ポータブル型原子時計で事足りるようになったという。
米国防総省高等研究所(DARPA)では、バッテリーなどの部分を除いて、1立方cm以下となるような超小型原子時計チップの研究を行っている。原子時計の米粒大チップ化が実現すると、携帯機器にごく普通に原子時計が組み込まれて、それ自身がGPS衛星と同じように位置決定に使われるようになり、視認できるGPS衛星数が1つ減っても測位が可能になると予想される。
4‐1.GPS衛星利用の枠組み
GPS衛星は米国の所有であるが、我が国もその恩恵に浴している。GPSは既に我が国の活動を維持していく上で必要欠くべからざる重要なインフラになっている。しかし、他国のインフラに安心して頼れるものであろうか?
1998年9月、クリントン大統領と小渕首相は日米共同声明の中で、米国はGPSを無償で継続的に全世界に提供し、日本はGPS利用を促進するべく協力することを表明した。また、同年10月に米国が商業宇宙法を改訂した際に、上下両院が大統領の意向だけで簡単にGPS開放方針を変えることができないようにしたため、我が国としては当面は安心して使える状況にあるといってよい。このような動きを踏まえて、我が国ではGPS衛星を利用したカーナビゲーションシステムの製造・販売が一気に活性化した4)。
このようにGPSの継続的使用について一定の担保があるとはいえ、米国の意向次第で全く使用できなくなったり精度が低下したりする恐れがあると不安を感じている人もおり、我が国独自の技術によるGPS衛星の保有を目指すことは不安解消の1つの方策である。4‐2.GPSの代表的な応用例
GPSの用途は主に位置情報の取得にあり、カー・ナビゲーション、地理情報システム(GIS)、地理基準、土地測量、地殻変動観測などに幅広く応用されている。それ以外にも電波遅延を利用した気象観測や反射波を利用した海上風速観測、時刻情報のみを利用する時刻基準などさまざまな利用形態がある。各種の応用の中で、準天頂衛星を利用することで最も大きなメリットがあると思われるのは、緊急通報における所在位置情報通知機能である。
4‐3.緊急通報の高度化について
近年、携帯電話の著しい普及に伴い、110番通報では過半数が携帯電話から発信されている。
緊急通報が電話帳に記載されている固定電話から発信された場合は電話番号データベースによって住所の特定ができるが、携帯電話からの発信の場合は発信場所を特定する仕組みや精度が不十分である。このため、2003年8月、IT戦略本部はe‐Japan重点計画の中でも迅速かつ重点的に実施すべき施策として、緊急通報の発信者の位置を通知する機能を実現すると定めた。
米国では既に1999年から、緊急通報用の911番を発信したときに、発信者の位置を通報する機能を持つように携帯電話事業者に対し義務付けている。これをE911(エンハンスト911番)という。欧州でもEUが2002年にE112の導入を決定しているが、欧州域内で実際の導入はあまり進んでおらず、英国及びドイツで対応を義務付ける検討が行われている。
我が国におけるIT戦略本部の決定は、いわばE110(警察機関用)、E119(消防機関用)及びE118(海上保安機関用)の導入に相当する。
IT戦略本部の決定を受けて、2003年11月27日、麻生太郎総務大臣は情報通信審議会(秋山喜久会長)に「電気通信事業における緊急通報機能等の高度化方策」について諮問した。同審議会は2004年6月30日に高度化方策の一環として「携帯電話からの緊急通報における発信者位置情報通知機能に係る技術的条件」について審議結果を一部答申した5)。
この一部答申は同審議会の情報通信技術分科会緊急通報機能等高度化委員会(主査:土居範久中央大学教授)において審議されたもので、構成員にはNTTドコモ、KDDI、ボーダフォンなど主要な移動通信事業者が含まれている。
この一部答申の主な内容は、携帯電話からの緊急通報機能の現状と位置情報通知の必要性、位置情報通知に係る技術的条件、導入スケジュール、実施事項と課題などである。
導入スケジュールとしては、2007年4月から緊急通報における位置情報通知への対応を開始し、新規加入や機種更新される携帯電話には原則として位置情報通知機能を搭載することを義務付けることで、2009年には50%、2011年には90%の携帯電話が対応可能となるものと予測している。4‐4.緊急通報の高度化の効果
携帯電話からの緊急通報の増加に伴い、発信地が直ちに特定できない場合が多く、政令指定都市では現場到着までに要する時間がこの10年間で1分30秒(32%)程度増大している。特にここ数年間の悪化が目立つ。発信者から見ると、携帯電話がなかったときには、最寄りの公衆電話にたどり着くまでにある程度の時間を要していたはずで、事件・事故発生から通知までの時間は携帯電話の利用により短縮されている場合が多いと思われる。ただし、携帯電話で手軽に連絡できるようになったため、複数の緊急通報が同時に寄せられるようになり、1件の事件を複数の人が通知しているのか、複数の事件が起こっているのかという判断も難しくなっている。E110などで携帯電話の緊急通報機能が高度化されることで、トータルの時間短縮や的確な出動判断などに大きな効果があるものと期待される。
また、大規模災害などでは、固定電話が通信規制される場合があるが、緊急通報はその規制を受けないで優先的に取り扱われる仕組みが既に実現している。
4‐5.位置情報通報の精度
一部答申において、位置情報に関する精度的な要求条件は、最も条件の良い場合で測位精度を半径15mとし、位置を示す経度・緯度は0.1秒単位、高度は1m単位で表示するものとしている。位置情報を取得する手段は4機以上のGPS衛星の信号を利用するGPS測位方式を基本とする。その場合の測位精度は実用的に数mから10数mである。GPS測位方式が利用できない場合、例えば市街地や屋内では基地局からの同期信号で代替する。この場合、精度は数10mから数100mとかなり劣化する。さらに基地局からの同期信号も使えない屋内や地下街などでは、セルベース測位方式を用いる。セルベース測位とは移動機から取得したセルIDを測位サーバのデータベースに格納しておき、ここから位置情報を検索する方式である。測位精度は基地局の設置密度により数100m(都市部)から10,000m程度(地方部)とさらに低くなる。
オープンスカイ環境であればGPS測位方式が圧倒的に有利であることは明らかであるが、逆に市街地では、低層の商店街や住宅街であってもオープンスカイ環境でない場合が非常に多く、アベイラビリティの低い米国のGPS衛星に頼るだけでは緊急通報の高度化は期待したほどには実現できないという結果になりかねない。
このような問題点を緩和するための一つの手段として、2006年頃の打上げを目指す技術試験衛星?型(ETS‐8)という宇宙航空研究開発機構(JAXA)の静止衛星には時刻信号送信機能を持たせ、高精度測位を実証しようとしている。45度程度の仰角ではGPS補完の衛星とはいえないものの、緊急通報高度化(E110、E119及びE118)を推進する上で重要な役割を果たすものと予想される。
5‐1.準天頂衛星とは
準天頂衛星(QZSS)とは、地球の自転(23時間56分)と同期して3機の衛星が異なる軌道面を周回し、同一経度の低〜中緯度帯において3機のうち少なくとも1機は必ず天頂付近に存在するように配置する衛星システムのことである。静止軌道の場合は、23時間56分で1周回する衛星が赤道上空にあり、地上から見て衛星が東西南北に移動しないように位置を制御しているが、中緯度地方で見ると仰角が45度程度しかなく、建物や山などに遮られる場合が多い。準天頂衛星では軌道傾斜角や離心率に応じて、中心経度を保ちながら、地上に投影すると8の字を描くような軌跡で北半球上空と南半球上空を往復する。
5‐2.QZSSの実現例と我が国の研究経緯
米国では、シリウス・サテライト・ラジオ社が3機のシリウス衛星で米国大陸部全体に衛星ラジオ放送を配信している。受信料は月10ドル未満で、最近受信者が70万人を超えたところである。同社では最終的に5,000万人の需要があると想定している。衛星1機の重量は3.8トンで、ILS社のプロトンKロケットで1機ずつ打ち上げられた。衛星バスはスペースシステムズ・ロラール社のLS‐1300系列で、我が国の運輸多目的衛星(MTSAT‐1)と同じである。米国大陸部は広大なので、シリウス衛星はどの地点でも天頂付近にあるとはいえず、準天頂衛星に区分できるか疑問があるが、図表4に示すように準天頂衛星に似た軌道に配置している。
我が国では、準天頂衛星のアイディア自体は古くからあり、既に1972年に当時の郵政省電波研究所(現在の情報通信研究機構NiCT)で提案されている8)。当初の検討では軌道決定や軌道制御が難しく、軌道修正用に大量の燃料を必要とすることから衛星システムとして成立しないと判断された。その後1997年から国のインフラとしての独自の測位衛星の重要性が再認識され、国家プロジェクトとして検討が行われた。2002年には官民の分担で開発を促進するため、新衛星ビジネス社(ASBC)が設立された。2003年からは総務省、文部科学省、経済産業省及び国土交通省に予算がつき、本格的にプロジェクトを立ち上げようとしている。5‐3.GPS補完用QZSSの基本的な仕組みと役割
(1)衛星の機能
GPS補完に必要な準天頂衛星では、ミッション機器としては原子時計と同報通信用のアンテナが必須である。衛星バス機器としては、構体・太陽電池パネル・電源系・姿勢制御系(推進系を含む)・TT&C系・熱制御系などがあり、打上げロケットによるトランスファー軌道投入後に所定の軌道に投入するためのアポジエンジンが必要である(ロシアのプロトンロケットのような4段式ロケットで打ち上げる場合には衛星側のアポジエンジンは必要ない)。
また、GPS補強情報を伝達しようとする場合には、地上局から補強情報を受信し、地上に送るための中継器が必要になる。測位・通信・放送の機能をフル装備した準天頂衛星の外観の検討例を図表5に示す。
(2)準天頂衛星の軌道
想定される準天頂衛星の軌道を図表6に示す。このような軌道を実現するためには、衛星の軌道要素を次のように設計する。まず、軌道長半径は静止軌道と同じで、遠地点はそれより3,000〜5,000km程度大きくし、近地点は同じだけ短くする。2つある楕円の焦点の1つは地球の中心に合致し、もう1つの焦点も地球内部にあるという程度の、比較的真円に近い楕円である。このような楕円軌道の離心率は約0.1である。
軌道傾斜角は45度程度で日本上空からオーストラリア上空までカバーする。
昇交点赤経(RAAN)を120度ずつ離して3箇所とると、軌道面が3つでき、各軌道面の衛星が日本上空を順次カバーするような衛星配置になる。近地点引数(Argument of Perigee)は、8の字の形を決める重要な要素で、270度とすることで北半球に遠地点を持ってくることができる。次にビルが林立する地上から天頂方向を見上げたときの視野の例を図表7に示す。静止衛星は南に向かって東西方向の狭い範囲にしか存在しないので、この場所で静止衛星の電波を受けることはほとんど不可能である。しかし、準天頂衛星は約8時間にわたって仰角70度以上の天頂付近に存在し、南の方へ去っていくときには逆に南から別の衛星が北上してきてハンドオーバー(引継ぎ)を行ってまた約8時間天頂付近に存在するので、3機の衛星があれば24時間をカバーできることになる。
(3)測位以外の役割
準天頂衛星システムは我が国の天頂付近から電波を発信するという特徴を生かして、通信や放送に用いることを想定した設計も検討している。大型車両では天頂に向けた受信アンテナを設置することで、都市部や山間部でも電波を遮られずに通信を行ったりテレビ放送を受信したりすることができる。現在のところ、通信・放送は静止衛星や地上波の方が有利と考える事業者が多く、必ずしも準天頂衛星システムを促進する勢力にはなっていないが、測位機能を中心にして準天頂衛星システムが実現すれば通信・放送での新規参入も考えられる。
(4)宇宙産業の新しいビジネスチャンス
我が国の準天頂衛星システムがユビキタス測位の実現で成功を収めれば、諸外国から自国の準天頂衛星システムを導入したいという引合いが来る可能性がある。8の字の大きさにもよるが、欧州、米大陸などで複数のシステムが整備されることは十分ありうる。静止衛星軌道が資源として逼迫した状況にあるのに対し、未開拓の準天頂衛星軌道は大きな可能性を秘めており、我が国の宇宙産業に新しいビジネスチャンスをもたらすことが期待される。
6‐1.総務省の高精度時刻管理技術
独立行政法人情報通信研究機構(NiCT)は、準天頂衛星に搭載する高精度な原子時計として、水素メーザ時計を開発している。また、地上局の時刻装置とサブナノ秒(10億分の1秒以下)の精度で同期させる時刻管理系の研究を行っている9)。将来、我が国独自の測位衛星において、水素メーザ時計により世界最高水準の時刻精度が得られるようになることが期待される。
なお、総務省情報通信政策局は、 準天頂衛星によるGPS補強で必要なSバンド衛星通信の技術基準を作成中である。6‐2.文部科学省の高精度測位実験システム
文部科学省研究開発局は4省の中で高精度測位実験システムをとりまとめる役割を果たしている。独立行政法人宇宙航空研究開発機構は、準天頂衛星の軌道情報を高精度で推定及び予報を行い、ユーザに対して通知するための研究を行っている。準天頂衛星から放送される測位信号を国内外に配置したモニタ局で受信し、これらの観測データから準天頂衛星とGPSの軌道と時刻を推定、予報するものである。将来の次世代測位システムの高精度化、高度化のための、衛星間測距装置や高精度加速度計などの実験機器の搭載についても研究中である。
6‐3.経済産業省の衛星軽量化・長寿命化基盤技術
経済産業省は次世代衛星基盤技術開発プロジェクトの中で、衛星構体の高排熱型熱制御や次世代イオンエンジン、大型構造体用複合材料、衛星搭載用リチウムイオン電池などの技術開発を行っている。イオンエンジンは比推力が化学ロケットより大きく、寿命が長いので、準天頂衛星の軌道制御に適した推進力と考えられる。独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)はリチウムイオン電池の要素技術開発を分担している。
6‐4.国土交通省の高精度測位補正技術
国土交通省航空局は運輸多目的衛星(MTSAT)を用いて、航空管制の高度化を目指す衛星航法補強システム(MSAS)の開発を行っており、精度やアベイラビリティだけでなく、インテグリティ(完全性)、サービスの継続性など信頼性に関わる要件も満たすシステムが既に稼動開始を待つ段階まできている10)。稼動を開始するには運輸多目的衛星が運用段階に入る必要があり、MTSAT‐1R(1999年のH‐U8号機の打上げ失敗により喪失したMTSAT‐1の代替機)が2005年2月に打ち上げられようとしている。
独立行政法人電子航法研究所(ENRI)では、MSAS関連の研究とともに、準天頂衛星による高精度測位補正技術の研究を行っている。全国の電子基準点のGPS受信信号のデータからオフラインでGPS補強情報を生成する解析システムを平成15年度から16年度にかけて開発した。平成17年度からは、電子基準点の情報をオンラインリアルタイムで取り入れたGPS補強情報生成システムやプロトタイプ受信機の開発を行おうとしている。MSASの成果を踏まえて、準天頂衛星のインテグリティのモニタリングなども研究されている。
6‐5.測位精度の向上
上記の総務省、文部科学省及び国土交通省の高精度測位関連技術が準天頂衛星システムのGPS補強に結集されることにより、現在のGPS測位における水平方向の誤差約11mが1m以下に向上する。電離層の影響、時刻精度、衛星位置の精度、対流圏の影響などがいずれも1ケタ低下し、センチメートル単位になる。このレベルになって初めて、0.1秒単位の位置表示が意味を持つことになる。
準天頂衛星によるGPS補完の効果は、緊急通報の高度化だけにとどまらない。4‐2でGPS衛星を用いた応用例をあげたが、準天頂衛星による補完・補強機能を活用することでどのような効果が得られるかの一例を以下に示す。
(1)ナビゲーション
我が国で一般大衆に浸透しているカー・ナビゲーションは、GPS受信機の他に自律航法やマップマッチング技術を自動車に搭載してその位置を地図データに重ね合わせて表示することにより、運転者に対し目的地への誘導を行うものであり、現状技術で市場の要求条件を充分に満たしている。一方、歩行者のマン・ナビゲーション用として、KDDIがGPS機能を搭載した携帯電話機を発売しているが、緊急時に警察等に発信者の位置を知らせる仕組みはまだできていない。また、4機以上のGPS衛星を視認できるエリアがまばらでアベイラビリティが低いため、米国でもE911は不完全なシステムであると評価されていることから、我が国で2007年以降に緊急通報の高度化が実施されたとしても、十分な効果を発揮しないおそれがある。準天頂衛星でGPS補完・補強を行うことで、この問題はかなり解消される。同時に、大きな携帯ナビ市場及びそれを利用する位置情報サービス(LBS)が飛躍的に発展するであろう。
(2)列車運行管理
山地を含む路線網を走る鉄道の運行管理にGPS衛星を利用する上で、カー・ナビゲーションの場合と同様に衛星視認数の不足の問題がある。もし天頂付近に衛星が常時あれば信号数不足の可能性は大幅に低下することから、独立行政法人交通安全環境研究所は熊本市交通局の協力を得て、熊本市内に位置情報を発信する擬似的な準天頂衛星を設置し、GPSによる市営電車の運行管理の実験を行った11)。
その結果、測位可能時間の比率が24%から72%に高まり、準天頂衛星の効果が検証できたとしている。また、列車位置検知の精度は1m程度を確保できる見通しが得られたが、高速走行の際には反射波の影響(マルチパス)があり、信頼性向上の対策が必要であるとしている。
同様な実験が函館のはこだて未来大学でも実施されている。
(3)土地測量
GPSを用いた測量により、従来よりも効率的に土地の測量を行うことができる。土地の境界点の位置をめぐって、利害が対立して法廷で争われる場合もあるが、今後は公共物(道路や河川を含む)の電子境界測量などの測量成果に基づいて土地の境界が電子的に決められる方向にある。100名近い国会議員による連盟で「公共物電子境界画定事業」が推進されているところである。この議員連盟の活動を支援している社団法人全国測量設計業協会連合会によれば、GPS測量は現状ではすべての時間・場所で実用的とは言いがたいため、従来からあるトランシット測量などGPSを用いない方法で土地測量を行うことを前提にしている。その場合、個人の土地なども含むすべての土地区画確定の作業を日本全国で完了させるには、現在のペースで200年くらいかかるともいわれている。GPS測量が使えない理由は、GPS衛星が常時捕捉できるわけではなく、また建物等の電波の遮蔽物があるところ(一般には指向角15度が確保できないところ)では計測ができないからである。GPSを補完する準天頂衛星があれば効率的なGPS測量を導入して、今世紀前半くらいに土地区画確定が完了できる可能性がある。
(4)その他の応用例
特定非営利活動法人「高度測位社会基盤研究フォーラム」では、「衛星測位システム民間利用懇談会」(委員長:柴崎亮介東京大学教授)を設置し、「民間利用の立場から見たわが国の衛星測位システムのあり方への提言」という報告書をまとめた12)。この中で、上記の他に、現場急行サービス、観光、商品管理、廃棄物処理管理、海洋工事、ロボティックスなどでのユビキタス測位が期待されるとしている。
以上のように、準天頂衛星を国のインフラとして整備することで、さまざまな分野で新製品の開発や新サービスの提供など経済の活性化が期待できる。
ユビキタス測位が実現すれば、生活のさまざまな面で変化が生じ、それが安全・安心のレベル向上や経済活動の活性化などにつながることが期待される。しかし、米国のGPS衛星には、周回衛星であることに起因して、見えたり見えなかったりすることが根本的なネックとなり、基本的な位置決定方法であるGPS測位方式の効果が十分に得られないという弱点がある。ユビキタス測位を実現するには、常に天頂付近からGPS補完を行う準天頂衛星を利用することが必須である。とかく実生活との関連が希薄といわれる我が国の宇宙開発の中で、準天頂衛星は50年、100年先までの国の基幹的なインフラの一部となる可能性があり、その実現には各方面から大きな期待が寄せられている。国の施策としても、開発を積極的に進める方針になっている。
しかし、最初の準天頂衛星システムにおいて測位機能と同時に通信・放送機能も実現しようとした場合、衛星技術や開発体制などの面で多くの困難を伴い、衛星システムとして早期に完成できないおそれがある。これらの機能を比べると、測位機能は大きな社会的変化や新しい価値を生み出す原動力となり、国の基幹的なインフラとして整備することの緊急性及び重要性が高いと考える。そこで、国民の安全・安心の確保や新しいサービスによる経済の活性化などを目的として、最初の準天頂衛星システムの機能はGPS補完・補強に絞り、確実かつ迅速に開発して早期に運用に供することを提案する。
準天頂衛星システムの開発・運用体制については、2004年9月の総合科学技術会議において、政府の運用機関は「準天頂衛星の実証が終わるまでにできるだけ早期に決定する」ことになった。この会議以前には、「準天頂衛星の実証が終わった時点で決定する」とされていたことから比べると前進しているが、米国では既に政府のGPS政策や資金支援を行う主体として「省庁間GPS行政委員会」(IGEB)という組織があり、その下に省庁間調整の実施機関として「GPS省庁間諮問会議」(GIAC)が設置されている13)ことと比較すると、我が国の省庁間調整体制は立ち遅れている。準天頂衛星システムの実現に向けて主導権を持つ機関が定まっていない。個別の技術課題はそれぞれの担当機関が実施しているが、準天頂衛星システムの経済的な成立性や衛星インテグレーションなどの全体的な課題に対して責任を持つ機関が見当たらない状況である。
ユビキタス測位を総合的に推進し、その一環として準天頂衛星システムの開発を促進するためには、米国における「省庁間GPS行政委員会」などと同様に、我が国の測位利用を所掌する政府の運用機関を設置する必要がある。
本稿は平成16年8月4日に科学技術政策研究所において講演された西口浩氏による「国家戦略としての準天頂衛星の有効性」をベースに、総務省、文部科学省、NiCT、ENRI、JAXA、ASBCなど多数の関係者から資料を提供していただき、また意見交換や討議を行って執筆したものである。ここに、関係の皆様に厚くお礼申し上げます。
1) NAVSTAR衛星と6面の軌道:http://www.vxm.com/21R.111.html
2) 総合科学技術会議宇宙開発利用専門調査会測位分野検討会(第3回)資料 測3‐3「準天頂衛星システムによる測位補完の公共性」新衛星ビジネス株式会社、2003年12月4日
3) 「DARPA develops portable atomic clock」:Government Computer News、2003年4月17日:http://www.gcn.com/vol1_no1/daily-updates/25302-1.html
4) 科学技術政策研究所講演録‐142「国家戦略としての準天頂衛星の有効性」西口浩、2004年9月
5) 諮問第2015号「電気通信事業における緊急通報機能等の高度化方策」のうち「携帯電話からの緊急通報における発信者位置情報通知機能に係る技術的条件」(一部答申)情報通信審議会、2004年6月30日
6) JAXAホームページ「準天頂衛星を利用した高精度測位実験システム」:http://qzss.jaxa.jp/
7) ILS社 Mission Overview “SIRIUS 1 Launch on the Proton Launch Vehicle”:http://www.ilslaunch.com/launches/cbin/Mission_Overview/proton/Sirius1MissionOverview.pdf
8) 高橋、「人工衛星の軌道とそれに適したミッション」、電波研季報Vol18、No.97、1972
9) 情報通信研究機構ホームページ「時刻管理システム」:http://www2.nict.go.jp/dk/c271/j/time/time.html
10) 総合科学技術会議宇宙開発利用専門調査会測位分野検討会(第1回)資料 測1‐3「運輸多目的衛星用衛星航法補強システムの概要」国土交通省航空局、2003年10月28日:http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/cosmo/sokuihaihu01/siryo1-3.pdf
11) 水間、「準天頂衛星の鉄道など高速移動体への利用に関する技術開発」交通安全環境研究所、2004年4月14日
12) 特定非営利活動法人 高度測位社会基盤研究フォーラム「民間利用の立場から見たわが国の衛星測位システムのあり方への提言」2004年4月
13) CHARTER“Interagency GPS Executive Board”,IGEB:http://www.igeb.gov/charter.shtml
《略語のフルスペルと解説》ASBC |