客員研究官 八木 晃一
物質材料研究機構 材料基盤情報ステーション ステーション長
http://www.nims.go.jp/jpn/
人は、新しいことをはじめようとするとき、まずそのことを調べ、情報を得ようとする。身近な例を挙げれば、旅行するときに、ガイドブックを購入し、目的地の観光情報を得、目的地でのホテルの状況やレストランでの食事、買い物のやり方など、さまざまな情報を手に入れて旅立つことであろう。
新しい材料を開発する場合も、どのような素材をどのように組み合わせ、どのようなプロセスを使って作るかについての情報や、時にはシミュレーションのためのデータを必要とする。また、新しい材料を製品に使おうとする場合も、製品が機能を発揮し、要求どおりに働く材料を選択するために、材料特性についての情報やデータが必要となる。このため、材料に関する情報やデータは製品作りの基であり、必要不可欠なものである。
わが国の科学技術基本計画1)において、科学技術振興のための知的基盤の整備が取り上げられており、研究用材料、計量標準、計測・分析・試験・評価方法およびそれらに関わる先端的機器、またこれらに関するデータベース等の戦略的・体系的な整備を促進することが述べられている。これを受けて、科学技術・学術審議会の技術・研究基盤部会の知的基盤整備委員会では「知的基盤整備計画―2010年の世界最高水準の整備に向けて―」の答申2)を出し、具体的方策を定めている。
材料の情報やデータの整備の重要性はこれまでもさまざまな機会に指摘されてきた。そして指摘される事項や問題点は常に同じようなものである。しかしながら、解決の方向が見出されているように思われない。これには、根本的に解決できない問題や、解決のために乗り越えるべき障壁が高いために生じる問題など、さまざまな課題が交錯して複雑になっているからかもしれない。ここでは、材料データベースの現状における問題点を指摘し、その解決のために何を行うべきか、また材料データベースは何を目指すべきかを指摘したい。
なお、ここで扱う材料とは、単なるものとしての物質ではなく、製品に使われるものを対象とする。また、純物質の物理・化学定数のようなデータでなく、実用(工学)材料の情報やデータを対象とする。
2‐1.見えないデータベース
知的基盤整備委員会から出されている「知的基盤整備計画(答申)のフォローアップと見直し」3)によれば、研究機関や大学で構築されている材料データベース(公開可のもの)は128件で、2002年度よりも30件増加しているとのことである。また、材料物性データベースのデータ数は約980,000件で、これも180,000件増加しており、産業技術総合研究所(AIST)、物質・材料研究機構(NIMS)、科学技術振興事業団(JST)等で整備されているという。このような実態であれば、材料データベースの構築は毎年進んでおり、問題は少ないのかもしれない。
わが国の学術情報のデータベースの実態は国立情報学研究所(NII)において調査されており、その調査報告が毎年出されている。この調査報告書を使ってわが国の学術情報データベースがどのようなものか調べてみた。ここでは2002年度の報告書4)を使って簡単な再調査をした結果をご報告したい。工学の項目に整理されているデータベースから、材料に関するデータベースと思われるもの30件を抽出した。そのうちの5件はNIMSのものである。NIMSのデータベースを除く25件のデータベースについてインターネットで検索し、情報が得られたデータベースは12件であり、残りの13件はデータベースについての情報がデータベースを発信している所属機関・研究室のホームページからも得られなかった。情報が得られないデータベースの発信源の大半は大学が作成しており、大学の研究者が公開しているとしているデータベースは見てもらうことを意識していないようである。
図表1はNIMS物質・材料データベースのひとつである高分子データベースのユーザーがこのデータベースを知ったきっかけを登録時に聞いたものである。調査は新規の登録者を対象としている。国内の登録者のうち、検索エンジンで知った人が44%で最も多く、友人・知人から聞いて知った人が22%、他のホームページのリンクからが17%、学会等の講演を聞いて知った人が7%となっている。海外からの新規登録者の場合、結果は当然予想できるように、検索エンジンで知った人が72%、他のホームページからのリンクで知った人が12%であった。このように、多くのユーザーはインターネットの検索を利用してデータベースに入ってくる。最近では、一般家庭でも情報を得る方法として汎用の検索エンジンを活用している。研究者がまず始めに検索エンジンを使って情報やデータの所在を捜すことは当たり前であろう。NIMSでのデータベースの登録ユーザーの調査結果はその傾向をよく表している。
国立情報学研究所での情報をもとにした再調査結果は何を物語っているのであろうか。汎用の検索エンジンであるyahooやgoogleなどを使って「材料」、「データベース」のキーワードを入れた時に、国立情報学研究所の報告書に記載されている材料に関連するデータベースはほとんどヒットしない。キーワードが適当でないことが原因しているかもしれないが、公開はしているもののユーザーを意識したデータベースになっていないことが想像される。つまり、仲間以外のユーザーが使うことを前提とした材料データベースの公開ではなく、個人的なデータベースを単に公開と称しているにすぎない。これまでのデータベースは材料研究者が自らのために、自らの思いで作成したデータベースが多く、一般ユーザーから見えるように作られていない。しかし、データベースを公開するのであれば、使えるデータベース、使ってもらえるデータベース作りを目指すべきであり、ユーザーから見えるデータベース作りを心がけるべきである。そしてデータベースは一般に公開され、使われてこそ意味を持つことを認識すべきである。
2‐2.わが国のデータベースは継続のために苦労している
(社)日本アルミニウム協会と(財)金属系材料研究開発センターが実施した非鉄金属材料のデータベースの整備「材料分野の知的基盤状況調査」の報告書5)の中で、非鉄金属材料のみならず材料データベースの状況が1999年に調査されている。そして、その報告書の中では、材料データベースとして有用であり活用が望まれるデータベースが推奨されている。推奨された材料データベースとしてわが国のものが8種類、海外のものが9種類ある。選択は、調査に参加したメンバーとの関連からかなり恣意的であると感じられるものもあるが、5年後の結果は我が国のデータベースの問題点を表しているので記したい。わが国の場合、5年後の現在、2種類のデータベースが休止し、3種類はNIMSから発信(JSTから移管したデータベースを含めて)、3種類が法人および大学から継続して発信されている。他方、海外の場合には、推奨された9種類のデータベースが現在も健在である。
上記の知的基盤整備委員会の答申でも指摘され、またこれまでにもたびたび指摘されているように、わが国のデータベースは育たずに消えてしまうものが多い。これは、わが国の場合、データベースの開発は研究予算として手当てされ、開発資金は確保されるが、開発後の維持費用が確保されにくいために、研究の予算が途切れてしまうと維持できなくなるためと思われる。上記の休止したものはその例である。しかし、開発したデータベースの全てについて維持費用を確保するには大きな予算が必要であり、維持のための予算が出にくいのはある程度やむをえない。このため、データベースを維持することに対して知恵を出すことが必要である。
材料データベースの多くで継続が難しい理由としてはもう一つ考えられる。それは先に述べたように、材料データベースの開発が研究の一環として行われるために、担当する研究者の思い入れが大きく、自分の持ち物としてしまい、手放せないことであり、それが組織での対応を難しくしている。また、データベースの作り方も開発を担当した研究者の独自性が強く、継続して受け入れた研究者を困らせている。このことから、材料データベースの開発は、開発段階から組織的な対応で進め、継続する段階では組織で受け取れるように工夫することが必要である。国民の税金で開発したデータベースは社会に戻すことを研究者に普段から十分教育しておくことが重要である。なお、データベースの開発は担当する研究者の能力と努力に負うところが大きく、これに応えるために担当する研究者に対する評価が工夫されるべきである。
3‐1.NIMS物質・材料データベース
NIMSでは、旧金属材料技術研究所の時代から開発し公開してきた材料データベース、構造材料データシートを電子化したデータベース、およびJSTから移管したデータベースを合わせてNIMS物質・材料データベース6)として2003年4月に公開を開始した。NIMS物質・材料データベースの活動はNIMSの中のひとつのユニットである材料基盤情報ステーションの業務として行われている。NIMSでは、1966年以来クリープや疲労のデータシート作成を業務としてきているが、その業務の進め方は組織で対応してきており、ISO9001に従って品質管理が行われている。データベース作りの体制はこの構造材料データシートの取り組みに準じて進められている。
NIMS物質・材料データベースは図表2に示すように11種類のデータベースから構成されている。NIMS物質・材料データベースには、(1)自ら試験データを取得してデータベースとしているもの(構造材料データシートの電子化:クリープ、疲労、腐食)と、(2)文献からデータを取得しそれを専門家が吟味してデータベースとしているもの(高分子DB、拡散DB、超伝導材料DB等)がある。クリープデータや疲労データは世界で唯一の信頼性の高いデータであり、また高分子データも文献から収集されたものであるが、基本的な考え方に則って収集されたデータである。このため、これらのデータベースは極めて専門性が高く、豊富な内容を有している。そして、専門家にとっては有用な情報になっているが、専門外のユーザーには使いこなすことが難しく、中小の企業等の技術者からは解説の要望が出されている。
図表3はNIMS物質・材料データベースの登録ユーザー数と利用状況である。ユーザー登録者は、2004年7月末で約13,800名(国内;約10,600人、海外;約3,200人)である。この登録ユーザーの60〜70%が企業の研究者や技術者であり、構造材料データベースや高分子データベースのような専門性の高いデータベースでは約8割が企業のユーザーとなっている。このことから、NIMS物質・材料データベースは「使われる材料データベース」を標語として取り組んでいる。ここで、“使われる”とは“使いやすいこと”を意味するのではなく、“使ってもらえる内容を持つこと”を意味している。
図表4は、構造材料データベースの登録ユーザー数と利用率を示す。このデータベースは構造材料データシートの事業を基にしていることから、やや特異なデータベースとなっている。すなわち、2003年4月のデータベース公開時からデータシートそのものを貼り付けたもの(PDF版)を公開してきた。そして、2004年4月からは一般にデータベースと言われているような、ユーザーが材料や条件を選んで図が描けるもの(FACT版)を提供している。ユーザーの利用はFACT版が増えると予想されたが、むしろPDF版の方が多く利用されている。PDF版は印刷物としてのデータシートそのものであるが、詳細な情報やデータが記載されている。他方、FACT版は、データベースの構造が複雑になることを避けるために主要なデータのみを対象として、そのデータを使ってユーザーがさまざまな関係を作図できる機能を持っている。詳細な分析はこれからであるが、この結果から、データベースに求められることはユーザーが要求する詳細な情報を提供することであって、作図などのデータを提示する機能を提供することではないと考えられる。
登録ユーザー数や利用数を他の機関のものと比較することはあまり意味がない。というのは、数字の取り方が機関によって異なるからである。しかしながら、米国の商用データベースの利用状況と比較すると、その数字は桁違いに異なる。NIMSが志向する専門性の高いデータベースはユーザーおよび利用の数の点では汎用の商用データベースに負けてしまう。
3‐2.AISTの材料系データベース
産業技術総合研究所(AIST)では、研究成果やファクトデータを提供し、活用することで産業を育成し、技術の発展に寄与することを目的として研究情報公開データベース(RIO‐DB)7)を1995年度から構築している。公開を開始した1996年度の公開データベース数は22で、総アクセス数(ページビュー)は31万であったが、2003年度には公開データベース数が77、総アクセス数が3,000万を超えている。公開しているデータベースの分野別数を図表5に示す8)。AISTでは、データベースの課題選定にあたって長期的に構築する大規模データベース、地質関連データベース、AISTでしか提供できない特徴あるデータベースのいずれかで、学会や産業界などから要請の強いものに重点が置かれている。
図表6は、AISTから発信されている材料系のデータベースの概要を示したものである。この中には既に担当者が居らず、更新ができなくてアーカイブ扱いのものもあるが、長期間かけて、組織的に対応している大規模なデータベースがある。中でも、有機化合物のスペクトルデータベース9)は全アクセス数の8割強を占めるユーザーの多いデータベースである。このデータベースは、有機化合物を対象にして6種類のスペクトルを収録したものであり、1970年代からデータベース構築研究を開始し、途中18年間は汎用大型コンピューターによるデータの集積活動を行い、現在はPC入力によってデータの追加・更新活動を行っている。
このように、AISTのデータベースはこれまでの長い研究蓄積をもとに、長期間かけて、組織として対応して作り上げていることが特徴であり、育て上げるべきデータベースの基本的な考え方も明確である。また、ユーザーのニーズを踏まえた活動を進めている。これは、NIMSと同様に組織的な対応により継続的な取り組みができる公的な研究機関であるからできるのであって、気ままな、自由な研究組織では不可能である。世界の中でユニークな知的基盤をわが国が作り、育て上げるのであれば、公的研究機関を中核として、わが国が育て上げるデータベースの対象を明確にし、それをじっくり育て上げる戦略が必要である。
3‐3.その他の材料データベース
わが国では公的機関以外からも材料データベースが公開されている。ガラス組成データベースINTERGLAD10)は1991年に初版がCD‐ROMとして出された。開発母体であるニューガラスフォーラムは、光ファイバーのような高機能なニューガラスの産業および技術開発について情報収集・提供や国際交流を行う組織として、関連の企業により1985年に設立された。その後、インターネット版も出されており、さらに経済産業省知的基盤課の支援を受けて、バージョンアップを行い、現在第5版が出されている。国内外でのユーザーは1,000名近くであると報告されている。
(社)日本材料学会は、各種の構造材料特性のデータベースを出しているが、その中で金属材料疲労強度データベースは代表的なものである。このデータベースの構想は1970年代に始まり、1982年と1992年に出版された。このデータベースは国内の金属材料の疲労強度に関するデータを収集・整理したもので、本として、また計算機可読のデータベースとして公開されている11)。収録されているデータは鉄鋼材料、非鉄金属材料の広範な材料を含んでいるが、1991年までに得られたデータが対象で、最新のデータの追加はない。
また、アルミニウム、マグネシウムやチタンなどの材料製品カタログのデータが各業界団体の協会から出されている12)。しかし、その規模は大きくない。さらに、わが国の場合、数は少ないが、企業から有料で出されている材料データベースもある(電子「機械設計」ハンドブック13))。
ニューガラスのデータベースを除いて、材料データベースとして公的研究機関以外から発信されているデータベースで世界的にユニークな事例は少ない。
4‐1.ユーザー数を誇る民間データベース
汎用の検索エンジンを使って、「材料」について検索をかけたとき必ずトップに現れるデータベースがある。これがMatWeb14)である。発信源は米国のAutomation Creations社という1996年に設立された企業である。この会社は、政府や企業を相手にデータベース製品やソフトウエア開発を行っており、MatWebはそのうちの1つのビジネスである。彼らとのメールのやり取りをしていて気づくのは、彼らは将来成長が望めるデータベースのアーキテクチャー(製品の設計思想)に興味があるようであって、材料データベースを育てることに情熱を燃やしているように感じられないことである。
MatWebデータベースは400以上の特性について、40,000を超えるデータからなっており、常に定期的に更新されている。データの85%は材料製造者から直接供給されており、一部分文献やハンドブックからデータや情報を取得しているものの、データの大半は材料製品のカタログ値である。この会社が自ら実験を行って自ら取得したデータはない。
データの大半は、プラスチック、金属、セラミックス、ファイバーであるが、溶剤、潤滑剤、液体のデータも保有している。データは無料と有料とがあり、有料の場合には付属のツールなどが利用できる。1日の利用者は10,000人、1週間のユーザー登録数は14,000人で多くのユーザーを持っている。このデータベースのデータは上記のように材料関連企業が提供するカタログデータであり、数値の保証はなく、また数値も平均的な材料の値である。
しかし、MatWebの認知度は世界中で極めて高く、多くの機関がリンクを張っている。このため、日本で材料データベースの統合を計画する場合、MatWebを念頭におくことが必要である。また、MatWebと競争する場合、MatWebが実現していない機能、品質、信頼性などの特徴を出さなければ、利用数で負け、淘汰されてしまうということを十分に考慮すべきである。
4‐2.世界の材料データベースの特徴
図表7は、長阪らによってまとめられた図15)を参考にして作成したものである。材料データベースの特徴を、データベースの規模、多様性(物性種が特定的か全般的か)、データの応用性(物性種が基礎的か実用的か)でまとめている。
わが国のデータベースは、実用的で特定の分野を対象としたものと基礎的で全般的な分野を対象としたものからなっており、またデータベースの規模は比較的小さなものが多い。一方、欧州には、BEILSTEIN(有機化合物データベース)やGLEMIN(無機化合物データベース)のように200年近くデータを収録したデータベースがあり、基礎的な特性に重点を置いたデータベースが特徴である。
以上のことから、データベースの特徴を大雑把に抽出すると、(1)伝統があり、長期間かかって取得された材料・物質の基本的特性に関するデータベース、(2)特定の分野について、世界でユニークな内容を持ち、専門的な情報で構成されたデータベース、(3)カタログ的な情報を集めた大規模なデータベース、に分けられる。
材料データベースを上記のような3分野に分類したときに、わが国が対応できる分野は見えてくる。すなわち、科学技術の伝統が浅く、特に基礎的なデータや情報の蓄積が少ないわが国の場合、(1)の分野で欧州の大規模データベースと競争するデータベースをこれから構築することは難しい。また、明確なビジネスモデルを持ち、大規模な商用データベースを作る(2)の分野へのチャレンジもかなり難しい。これは斬新なアイデア勝負であるので、難しいが絶望的とは言い切れず、チャレンジしがいはあると思われるが、公的研究機関ですべきことではない。このことから、わが国が進み得るのは、(2)の特定分野について、世界で唯一となるような専門性の高いデータベース作りを目指すことである。
5‐1.もの造りのために活用される材料データベース
わが国のもの造り技術の得意分野は、藤本隆宏東京大学教授によれば、現場発想の擦り合わせ型の技術であり、今後もこれを基調として組織能力を高め、アーキテクチャー(設計思想)を作り上げていくべきことが強調されている16)。
最適な材料で製品を作り、最高の性能を発揮させるには、材料の規格値(カタログデータ)のみでは不十分であり、材料に関して詳細な情報が含まれたデータベースが必要である。わが国の場合、NIMSやAISTなどの公的研究機関から発信されているデータベースは特定の専門分野を対象とし、専門性が高く、内容の充実したものであることは先に述べた。まさに、これらはわが国のもの造り技術を支えるものである。以下に、事故や材料開発、研究などを通じて得られた経験を基に、材料データベースは単なる規格値で構成するのではなく、材料についての詳細な知識情報を持ったものでなければならないことを示す。このため、材料データベースは材料専門家が中心になって開発し、構築すべきであって、情報専門家は材料専門家が開発するデータベースを、情報技術の面から支援する立場で参加すべきである。なお、MatWebのようなカタログ的なデータを組み合わせるデータベースでは、どのようなユーザーにとっても使いやすいことが重要であり、この場合には情報専門家が主体となった開発もあり得ると考えられる。
5‐2.事故から得られた知識情報の例
1999年11月、種子島から打ち上げられたH‐IIロケット8号機はエンジン不調により打上げに失敗した。その後、エンジン部分は現代技術を駆使して太平洋の海底から引き上げられ、原因調査が行われた。その結果、ロケットの燃料である液体水素を送るターボポンプのインデューサの羽根の一部が金属疲労によって脱落し、エンジンが停止したためであることが突き止められた。金属疲労破壊の起点は羽根の表面にあった小さな加工痕であったが、使用されていた材料の疲労強度が設計に使用した疲労強度と違うことが大きな問題になった。このインデューサは国産のチタン合金を使って製造された。しかし、設計では国産の当該材料のデータがなかったために、同じ材種のNASAのデータが使用された。国産のチタン材は結晶粒度が大きく、NASAが使用したチタン材は結晶粒度が小さかった。疲労強度は結晶粒度に依存し、結晶粒度が大きいと疲労強度は低い。このために、NASAの設計値で製作されたインデューサは強度が不足していた。この事故の後、宇宙関連の材料特性データを自ら取得することの重要性が認識され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)との協力のもとにNIMSで宇宙関連材料強度データシートが整備されることになった。このように、材料は主要成分元素だけで決まるものでなく、規格名が同じであるからと鵜呑みにして設計するとしっぺ返しを受ける。材料を安全に使うには、材料の製造条件や材料のミクロ金属組織などの情報や知識を基に十分に吟味することが必要である。
5‐3.材料の開発や製造加工から得られた知識情報の例
(1)自動車鋼板の例
わが国の鉄鋼メーカーが優れた自動車用鋼板を製造する技術を有していることは良く知られている。自動車のボディー加工では、金型で打ち抜いたときに割れることなく、また局部的に厚さが異なることもなく、均質に変形する材料が望まれる。このためには、鉄鋼材料の技術者、金型プレスの技術者、自動車ボディーの設計者による情報の共有と緊密な協力が必要とされる。わが国では鉄鋼メーカーと自動車メーカーの技術者の協力によって、高性能の自動車鋼板が開発されている17)。そして、今後さらに地球環境負荷の低減の要求から、自動車を軽量化するための高強度の鉄鋼材料、リサイクルしやすい鉄鋼材料が求められており、材料技術者と自動車設計および製造の技術者との協力による材料開発や加工技術の開発が必要とされる。このように、材料開発と機械設計がせめぎあいながら製品開発が行われるときには、材料に関する知識情報とともに、機械設計で必要とされるデータも併せ持ったデータベースの開発が必要とされる。
(2)ボイラ用耐熱鋼の例
火力発電プラントのボイラで使われる耐熱鋼は、高圧力と高温度に耐えて使用される。このため、高いクリープ強度が要求される。ボイラは10万時間で破損する強度を基に決められる許容応力で設計される。このため、10万時間のクリープ破断強度を実験で求めることが要求されるが、現在ではこの種のデータ取得は資金、人材、施設が必要とされることからNIMSと欧州の研究機関で行われているのみである。クリープ強度はミクロ金属組織に敏感であり、また微量に含まれる化学元素にも影響される。例えば、ステンレス鋼の場合、規格値として定められていないボロン量を数ppm含む場合と十数ppm含む場合で特性が大きく違う18)。十数ppm含む場合には強度は強くなるが脆くなり実用に供しない。数ppm添加して適度に強度を高め、しかも適度に延性のある材料が実用に供されている。このようなカタログには書かれない情報が専門家にとっては必要となる。
(3)熱処理シミュレーションの例
鉄鋼は、温度を変化したり、塑性加工を加えることによってミクロ金属組織が変わり、強度特性が変化する。これを利用して、日本刀が鍛えられ、微妙な特性が現出する。この現象をシミュレーションするためには、材料力学と金属材料学の知識とデータが必要である。鉄鋼材料の熱処理シミュレーションのデータベースの構築が(社)日本材料学会により井上達雄京都大学教授の下で進められ、温度や組成によって多様に変化する鉄鋼材料の応力ひずみ曲線の取得と蓄積が行われた19)。このように、多数の多様なデータを取得し、それに基づくデータベース作りをするときには、強いリーダーシップと各役割での協力体制が必要である。
5‐4.研究から得られた知識情報
図表8は高クロム鋼のクリープ強度を示す。高クロム鋼は1980年代に米国で将来の高速炉構造材料として開発され、その後火力発電プラントに転用されて高効率化・高温化を目指して使用されている。さらに、この材料を参考にして高強度の高クロム鋼がわが国で開発されている。金属材料は高温に曝すとミクロ組織が変化し、強度特性が変化する。高強度の耐熱鋼といえども、時間が経過するとミクロ組織が変化し、強度が低下する。図表8は高応力条件(破断寿命が短い)のときに結晶全域で回復が起こるが、低応力条件(破断寿命が長い)のときには結晶粒界の近傍でのみ回復が起こり、このために結晶粒界に変形が集中して強度が低下することを示している20)。このために、回復が結晶粒全域で起こる高応力条件でのみクリープ試験を行い、そのデータに基づいて長時間の寿命を外挿し、強度を予測すると実際よりも高めの強度を予測してしまう。そしてこの強度で、プラントを設計すると破壊事故が発生する。
データベースは蓄積された知識を整理して研究者や技術者の便に資する役割を持つ。また、必要な情報源の所在を知らせることも重要である。材料データベースの多くは専門的に内容の深いものであって、規模や情報量は比較的小さい。また、材料データは測定対象項目が多く、すべての項目に関するデータを持つデータベースを一つの機関で整備することは不可能である。
一方、データベースは作成者の研究の成果であり、努力した結果であることから、データベース作成者の思い入れが強い。また、作成者によって様々な形式を使ってデータベースを作成しており、互換性に乏しい。データベースの国際標準化が進められてきているが、必ずしも進んでいるとはいえない。このため、これまでに構築されたデータベースを有効に活用していくことを考えたとき、強圧的なデータベース形式の統合化はデータベース関係者の協力の道を遠ざけてしまうと思われる。
英国ケンブリッジ大学のAshby教授は材料の研究者として著名であるが、また長い年月の構想をもとに書かれた教科書である製品設計のための材料選択の執筆者としても有名である。そして、この材料選択を大学で教えるために電子化教材を開発し、また材料データベースを構築し、さらに国際的に著名な材料データベースを結んだネットワークを構築している。Ashby教授によれば、材料に関するデータや情報を必要としている専門の研究者や技術者は、データベースの形式の統一やデータの統合よりも、データがどこにあるかを知ることのほうが重要であって、その所在がわかれば、自分で対処し、データや情報を集め、整理し、自分のために供する。そこで、データの所在が探し出せる検索エンジンであるMaterial Data Networkを大学のベンチャー企業であるGranta Design社で開発した21)。このシステムに参加しているデータベースと発信元(研究機関や企業)を図表9に示す。米国材料学会(ASM)、先に示したMatWebを提供しているAutomation Creations社、英国国立物理学研究所(NPL)や英国溶接協会(TWI)、NIMSなどさまざまな組織のデータベースが参加している。このネットワークシステムはデータや情報の所在を教えるツールであり、材料データや情報の検索エンジンである。そして、ユーザーは検索結果をもとに、探し当てたサイトに自分で入り、そのデータベースに登録して情報を得る。
図表10は、Material Data Networkを使って得られる情報量を示す。参加している機関のデータベースはそれぞれに得意不得意の分野を持ちデータの偏りがあるが、このシステムを活用すると1つのデータベースで得られないデータや情報の所在をつかむことができ、データや情報の相互補完として使うことができる。そして、ユーザーはこのシステムによって、約14万のデータを活用することが可能になっている。
なお、データベースの良し悪しはデータ数でないことも十分に認識しておくべきである。質の違ったデータを単に数多く集めても、数が多いだけでは価値のある解析結果は得られず、むしろデータの中身が不明であるために不確実性が増し、マイナスの結果や示唆を与えかねない。
これまでの議論をもとに、材料研究者が材料データベースを開発していく場合に、これまで以上に材料データベースが有効に活用され、材料データベースの活用の領域がさらに拡がることが望まれるが、そのために材料データベースで何を目指すべきかを提示する。
(1)使われる材料データベースを開発する
わが国の技術は現場対応の摺り合わせ型であり、この技術思想で今後も世界のもの造りの牽引車となるとすれば、この技術思想にあった材料データベースの開発を進めるべきである。このためには、ユーザーの要望を十分に取り入れ、研究者の思いだけによらない材料データベース作りを目指すべきである。そして、個人的な対応ではなく、組織として対応ができる体制を作ることが必要であり、公的研究機関が中核となって進めるべきである。
そして、ユーザーに使ってもらうデータベースとするためには、汎用の検索エンジンで探し出されるように「見えるデータベース」を作り上げることが大事である。(2)データベースの活用を効果あるものにするために、ソフトウエア開発と連携を図る
データベースにシミュレーション機能を付加することで、特性の予測が可能になる。このため、データベースをより効果的に活用するソフトウエア開発と連携を進めるべきである。しかし、データの活用はユーザーによってさまざまであることから、データ活用のためのソフトウエア開発はあくまでデータのユーザーが主体で進めるべきである。
(3)データネットワークの国際的な協力関係を構築する
材料データベース、特に専門性が高い材料データベース単独では限られた領域のみをカバーしているものが多い。このために、ユーザーの要求を満足させるには、多様な、複数のデータベースを組み合わせることが必要である。しかし、データベースは個々に開発の経緯も違い、開発した研究者の思いもさまざまである。これらとの調和を図ったネットワークシステム作りを目指すべきである。1つの解決策としては、先に報告したMaterial Data Networkのように、ユーザーが必要とするデータや情報の所在を教えるシステムを世界的な規模で作り上げることである。
(4)データベースを教育に活用する
我が国でも電子教育が試みられているが、まだソフト開発が始められたばかりである。先に示したケンブリッジ大学のAshby教授は大学での材料に関する教科書を自ら長期間かけて作成した。この教科書は、非常に独創的で、すべて実例から入り、実例を解析する中で学生が基礎知識を学ぶようになっている。そして、この実際の事例を解析する際にデータや情報が必要となり、学生はデータベースから必要なデータや情報を獲得する。まさに、技術者の現場に似た大学教育となっている。これを我が国で実行するとなると、教科書などの教育資材の開発が必要であり、また学生が使えるソフトウエアの開発も必要である。
(5)データベースの情報を産業の場に活用する
材料や製品が国際的に動き回る時代となった。そしてこの傾向は今後ますます加速する。このため、国際的に流通する材料に関し、その購入や使用の利便性を支援するための新たなビジネス向けのデータベースが必要である。そして、このデータベースで扱われるデータや情報は技術分野のみで活用されるのではなく、世界中のあらゆる部門や領域を相手にするために、共通の知識のもとで記述されなければならない。
データベースは金がかかり、資金投入の割には役に立たないというような批判もこれまでたびたびされてきた。この批判が当たっている部分もあろう。しかし、データや情報の系統的な蓄積は社会経済活動や国民の安全な暮らしを支える科学技術の基盤として必要である。そこで、これまでのデータベースの状況を調査し、ユーザーに使われるデータベースを作り上げるにはどうすべきかを議論した。特に、使われてこそデータベースということにこだわり、このことに対してこれまでの材料データベースの進め方で問題はどこにあるのか、ユーザーに使ってもらうためにはどのような工夫が必要か、さらにユーザーの要望にどう応えてどのような材料データベースを開発していくべきかを述べた。
以下に、本議論から得られた事項で特に強調すべき点を示す。
- 我が国の技術開発の強みは現場技術にある。そして、材料データベースは現場技術に応えられる内容を備えたものとして作り上げなければならない。しかも、ユーザーのニーズを取り入れて、世界の中でユニークな材料データベースとして作り上げることが重要である。さらに、ユーザーに使われるためには見えるデータベースを作り上げることが必要である。そして、これに応えられる材料データベースに対しては資金と人材を投入して育て上げ、我が国の強さを世界に示していくべきである。
- 材料データベースはそれぞれ専門的な領域を持っている。そして、複数のデータや情報を組み合わせることによりユーザーの要求をより幅広く受け入れることができる。このためには、材料データベースのネットワークを世界的な規模で作り上げることが有効である。しかし、データベースの作成者の思いを汲み取らないデータベースの強圧的な統合は難しい。専門のユーザーにとっては情報源の所在を知ることが最も必要である。そこで情報源の所在を知ることができる材料データベースの国際的なネットワークシステム作りを目指すべきである。この役割を果たすためにもそれぞれのデータベースが、ユニークな材料データベース作りを目指すことは大事である。
また、材料データベースを育てるために以下の点も指摘する。
- 学生に技術の現場を経験させるために、教育にデータベースを導入することが必要である。このためには、現場の実態を踏まえた教育資材の開発が必要であり、材料データベースを組み込んだ教育資材の開発を支援する仕組みを作るべきである。
- 材料データベースは開発ばかりでなく、維持し育て上げることも重要である。このため、材料データベースの維持に関して、研究開発と違った資金枠を確保すべきである。
最後に、これまで述べてきたように、材料データベースは単なる数値を集めて整理したものではなく、材料に関する知識情報が備わってはじめて光り輝く価値を持つ。このことから、ユーザーが満足する、専門性の高い材料データベース作りには材料研究者および技術者が主体となって進めることが必要である。そして、何よりも彼らの熱意と努力があって世界の中でユニークな材料データベースが出来上がる。このような思いで作られた材料データベースをわが国の貴重な財産として長期的に育て上げる仕組みを整備していくことが求められる。
1) 総合科学技術会議:諮問第1号「科学技術に関する総合戦略について」に対する答申、平成13年3月22日:http://www8.cao.go.jp/cstp/output/toushin1.pdf
2) 文部科学省科学技術・学術審議会:知的基盤整備計画―2010年の世界最高水準の整備に向けて―(答申)、平成13年8月20日:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu0/toushin/010803.htm
3) 知的基盤整備委員会:知的基盤整備計画(答申)のフォローアップと見直し、平成16年3月:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu8/gaiyo/04040801.htm
4) 国立情報学研究所:平成14年度学術情報データベース実態調査報告書、平成15年3月:http://www.nii.ac.jp/publications/DBDR/H14dbdr.pdf
5) 社団法人日本アルミニウム協会、財団法人金属系材料研究開発センター:平成11年度材料関連知的基本整備委託成果報告書、非鉄金属材料系材料のデータベースの整備「材料分野の知的基盤整備状況調査」、平成13年3月
6) 物質・材料研究機構、材料基盤情報ステーション:NIMS物質・材料データベース:http://mits.nims.go.jp/
7) 産業技術総合研究所:研究情報公開データベース、RIO‐DB:http://www.aist.go.jp/RIODB/
8) 濱崎陽一:“RIO‐DB、研究情報公開データベース”、AIST Today、産業技術総合研究所、Vol.4、No.7、(2004)、17‐21.
9) 産業技術総合研究所:有機化合物のスペクトルデータベース:http://www.aist.go.jp/RIODB/SDBS/menu-j.html
10) 伊勢田 徹:“ガラス組成データベースINTERGLAD Ver.5の紹介―ガラス組成の設計も手軽に―”、NEW GLASS、Vo.16、No.2、(2001)、76‐81:http://www.ngf.or.jp
11) 酒井達雄:“日本材料学会の各種材料データベースの概要と公開利用”、專本材料学会第26回材料講習会「各種材料データベースとCAE利用技術の新展開」、(2003)、1‐6
12) 例えば、
http://210.225.184.19/alumi/
http://210.225.184.19/magne/
http://www.src-serve-unet.ocn.ne.jp/titanium/
13) (株)日立製作所:電子版「機械設計」handbook:http://www.englink21.com/i-eng/guest2/0m0315.htm
14) Automation Creations社:MatWeb Material Property Data:http://www.matweb.com
15) 長阪匡介、他:“物質・材料系データベースの現状と今後”、情報管理、Vol.44、No.4、(2001)、245‐257
16) 藤本隆宏:“日本のもの造り哲学”、日本経済新聞社、2004年6月
17) 中岡哲郎編著:“戦後日本の技術形成、模倣か創造か”、日本経済評論社、(2002)、pp.193‐227
18) 田中秀雄、村田正治、阿部冨士雄、八木晃一:“SUS347H鋼の長時間クリープは段特性に及ぼす粒界析出物の影響”、鉄と鋼、Vol.83、No.1、(1997)、72‐77
19) 塑性工学部門委員会材料データベース研究分科会:“熱処理シミュレーションのための材料特性データベースの構築”、材料、Vol.51、No.3、(2002)、350‐355
20) 木村一弘、九島秀昭、阿部冨士雄、“応力―破断時間曲線の領域分割法による高Crフェライト耐熱鋼のクリープ寿命予測の高度化”、材料、Vo.52、No.1、(2003)、57‐62
21) Granta Design社:Material Data Network:http://matdata.net