客員研究官 青木 康展
世界中では何種類ぐらいの化学物質が化成品、溶剤あるいは合成樹脂などとして使われているのであろうか? 諸説あるが世界各国における化学物質の登録数や化学品カタログの収載数からみて、世界で約10万種類、わが国でも約5万種類が流通しているといわれる。
これら化学物質(注1)の利用の歴史は比較的浅く、大半は20世紀後半に入ってから様々の合成プロセスが開発され、短期間に大量に製造されるようになった。そのため、幾つかの優れた特性をもつ“夢”の化学物質が実は有害であることが、広範な使用の後に初めて確認されることとなった。例えば、トリクロロエチレンやテトラクロロエチレンは夢の洗浄剤と呼ばれ、精密機器や半導体の脱脂や洗浄剤に多量に使用されていたが、これらの化学物質の発がん性が動物実験などで確認されるにおよび、わが国でも利用が抑制された。しかし、これらの化学物質は明らかな健康影響が発生する以前に有害性が発見された、ある意味幸運な事例である。その一方、多くの化学物質の有害性評価はいまだ充分に進んでいない。
(注1)ダイオキシンなど化学物質の製造に伴う非意図的生成物まで含めて化学物質と呼ぶ場合もあるが、本稿では非意図的生成物は除外し、上市されている製品について議論する。
21世紀に入り、20世紀に開発された技術や製品をリスク評価の後に利用する動きが国際的に加速している。例えば、2003年に締結された「カルタヘナ議定書」では、遺伝子組換え生物の輸入に際し、生物多様性の保全や人の健康に対する影響についてリスクを評価することが取り決められた。これらの動きの根底には、有害性未知のものの利用を抑制しようとする予防的措置の考え方がある。
新しい技術やその製品のリスク評価を行うためには、派生する危険性を定量的に把握する必要がある。放射線の健康リスク評価手法が厳密に行われている理由の一つは、膨大な生物・医学研究により放射線照射量と有害性の関係が解明されていることである。化学物質のリスク評価を進めるためにも、化学物質の有害性、特に健康影響を引き起こす可能性を定量的に把握する必要がある。化学物質の有害性評価の仕組みは、今後の様々なリスクの評価に必要な有害性情報を体系的に取得する仕組みのモデルとして注目すべきである。
わが国の化学物質の有害性評価は1973年に制定された化学物質審査規制法(以下「化審法」)に拠っている。制定の契機は、1968年に北九州を中心として発生したPCBによる中毒事例「カネミ油症」である。この健康被害と同時に、PCBの環境汚染や生物への蓄積がわが国でも広範に進行していることも判明し、有害化学物質の環境からの暴露による健康影響が危惧される社会的機運が生まれた。「化審法」は、国際的にみて最も初期に制定された、化学物質の製造・輸入を健康などへの有害性の観点から規制するための法律である。「化審法」制定の時点において、わが国は化学物質の安全対策では世界をリードしていたといえる。このすばやい対応の原点は公害の経験であったと推察される。
化学物質の有害性の事前評価は、有害な化学物質による環境汚染を最小限に食い止め、人への健康影響あるいは生態系への影響を未然に防止するために行われる。ある化学物質の有害性が社会に広く認識され、対策が取られるまでの時間は意外に長い。例えば、米国では1930年代にPCBの商業生産が始まったが、1950年代後半にはすでにPCB汚染した魚を給餌されたミンクの繁殖能低下が報告されている。わが国では1954年の生産開始から、油症発生後の1972年に生産中止までの18年間に約60,000トンのPCBが製造された1)。有害性が認識されるまでの間に汚染は拡大し、PCBやトリクロロエチレンなど環境中で難分解性の化学物質や重金属による土壌や地下水汚染の事例はわが国でも多い2)(図表1)。環境中に拡散された化学物質の回収には膨大なコストが必要である。事業所で使用している化学物質の有害性を事前に把握し、汚染防止策を取っていれば、汚染除去コストの支出は必要なかったはずである。
また、化学物質の有害性評価は化学物質暴露のリスク評価に必須であり、その重要性は近年より増している。化学物質のリスク評価とは、環境等から被る化学物質の曝露が人あるいは野生生物に及ぼす影響を定量的に評価することである。化学物質暴露のリスク評価を概念的に言えば、(1)ある化学物質がどの程度の強さの毒性をもち、(2)その化学物質がどの程度の量、人や生物に暴露されるかを明らかにすることで行われ、「リスク=毒性の強さ×暴露量」として概念的に表される3)。
化学物質の有害性評価とはほぼ(1)の部分である。全ての化学物質の有害性が明らかになっていない現状では、個々の化学物質の毒性を調べて有害性を評価することが、広範な化学物質リスク評価、さらにリスク削減対策などのリスク管理には必須である。
化学物質の管理上では、化学物質は2種類に大別される。わが国では1973年の「化審法」制定以降に製造・輸入が開始された化学物質は新規化学物質と呼ばれ、事業者が試験を行い、経済産業省、厚生労働省、環境省が合同で有害性を判定している。判定結果に基づいて製造・輸入量の把握や製造・輸入を規制することにより化学物質を管理し、環境への排出や人への暴露を抑制している。その一方、法律制定以前に製造・輸入が開始された化学物質は既存化学物質と呼ばれ、国の事業として順次有害性点検を行い、化学物質管理の枠組みに入れることになっている(図表2)。また、有害性点検が行われていない既存化学物質であっても、有害性の科学的知見が蓄積されている化学物質(ベンゼンなど)は、主として事業者の自主的取組と管理によって環境中への排出が抑制されている。
諸外国においてもわが国とほぼ同様に、化学物質の有害性評価制度が運用される以降に製造・輸入された化学物質は、New Chemical Substance(新規化学物質)として事業者のデータにより国が有害性を評価して管理を行っている。一方、制度運用以前から使用されていた化学物質はExisting Chemicals(既存化学物質)として、各国独自で有害性点検を進めている。
3‐1.わが国の新規化学物質の有害性評価
従来の「化審法」の下では、(1)生分解性、(2)生物濃縮性、(3)スクリーニング毒性試験の3点を基準に行われ、さらに2003年改正により平成16年度から(4)生態影響試験が新たな基準として加えられる(科学技術動向2004年2月号特集24)参照)。
化学物質の長期毒性は本来、慢性毒性試験、がん原性試験、催奇形性試験など様々な試験法を組み合わせて調べるものであるが、膨大なコストと時間が必要である。そこで、化学物質の人への長期毒性の疑いを調べることを目的に、OECDの勧告(1983年)に準拠した2種類の簡便な試験が、(3)のスクリーニング毒性試験として実施されている。その第一が、化学物質の癌原性の疑いを調べるための微生物や培養細胞を用いた遺伝毒性試験である。第二が、28日間反復投与試験と呼ばれ、文字どおり化学物質を28日間にわたり実験動物(ラット)に投与して、化学物質の作用による病理学的変化が現れない最大投与量を求める試験である。これらの結果を総合的に判断して、毒性の強弱が評価される。事業者側も審査する側も、スクリーニング毒性試験に最も労力を費やしている。
事業者から提出された試験結果に基づいて、化学物質の有害性が判定され、有害性の程度に応じた管理が行われる。2003年の「化審法」改正により、平成16年度からは有害性が疑われた化学物質は、その有害性の性質により第1種から第3種の監視化学物質に分類され、製造・輸入実績の届出が求められることとなっている。さらに、人への長期毒性あるいは野生生物への毒性が確認された監視化学物質は、第1種あるいは第2種特定化学物質として使用の禁止や規制が行われる(図表3)。従来の審査制度が実施された1987年4月から2002年12月までに4,322物質が新規化学物質として届けられ、うち821物質(概ね19%)が指定化学物質(2003年改正「化審法」の第2種監視化学物質に相当)に指定されている5)。
3‐2.諸外国における新規化学物質の有害性評価
EU諸国では、「危険な物質の分類、包装、表示に関する第7次理事会指令(1992年)」に基づいて、域内で年間1トン以上製造・輸入される化学物質について、わが国とほぼ同様の項目について、有害性を試験している。有害と判定された化学物質は製品には、危険性の程度に合わせた「危険性の表示」を行い、さらに、リスクが高いと考えられる化学物質は使用を規制し、管理している。
米国では、有害化学物質規制法(Toxic Substance Control Act, TSCA)により規制され、1980年以降新たに年間10トン以上製造・輸入する化学物質の手持ちの有害性データすべてを環境保護庁(Environmental Protection Agency, EPA)に報告することが義務付けられている。審査の結果、有害と認定された場合は用途や廃棄方法などに条件が課せられる。
4‐1.わが国の状況
既存化学物質として登録されている物質は約20,000種類に及び、現在使用されている化学物質の多くを占める。従来は、経済産業省が生分解性試験と生物濃縮性試験を、厚生労働省がスクリーニング毒性試験を実施し、既存化学物質の中から指定化学物質(2003年改正「化審法」の第2種監視化学物質に相当)の指定を続けてきたが、平成16年度からは環境省が生態毒性試験を実施し、第3種監視化学物質の指定が検討されることとなった。
しかしながら、既存化学物質の有害性評価は進んでいない。約20,000種類の既存化学物質うち、必要性が高いと判断された1,377物質の生分解性試験と生物濃縮試験が2002年までに終了したが、スクリーニング毒性試験が終了した化学物質は約200種類であり、スクリーニング毒性試験の進捗が遅れている。指定化学物質に指定された物質数は134に留まっている5)。
4‐2.EUと米国の状況6〜8)
EU域内で1981年以前に製造・輸入された既存化学物質は約10万種類にも及び、このうち年間1,000トン以上製造・輸入された化学物質の毒性や生態影響のデータが収集されている。このデータベースはInternational Uniform Chemical Database(IUCLID)と呼ばれ、化学物質の有害性に関する基本的なデータベースとなっている。収集されたデータに基づいて、1994年から既存化学物質のリスク評価が順次進められている。141物質が優先物質に選定されたが、2002年4月の段階で88物質のリスクレポート草案が完了し、リスク削減が必要とされた物質数は45である。
米国では既存化学物質のうち、TSCAに基づいてEPAが指定した優先物質(500種類以上)の有害性評価は、事業者の負担で行われることとなったが、約80物質の試験が終了したのみである。慢性毒性試験やがん原性など様々の試験実施が求められたことが、有害性評価が遅れた原因と考えられる。なお、米国での新規化学物質と既存化学物質の登録(TSCAインベントリー)の総数は約70,000種類にも及び、有害性データは公開されている。
4‐3.OECDによる高生産量化学物質(HPV)点検プログラム9)
生産量の高い化学物質は環境中に拡散する機会がより多く、環境から人への暴露の可能性が高いと考えられる。OECDは1992年から、1ヶ国における生産量が年間1,000トンを超える化学物質(HPV, High Production Volume)について、各国分担で有害性評価レポートの作成を開始し、物理化学性状データ、環境中運命、生態毒性試験、毒性試験(28日間反復投与試験他)など有害性判定に必要な最小限のデータセットを収集している。1999年からは対象物質約5,200種類のうち1,000物質を2004年までに評価することを目標にHPV点検プログラムを開始したが、2003年時点で評価終了は371物質に留まっている10)。
米国は独自にHPVチャレンジプログラムを1998年に開始し、OECDのプログラムにも情報を提供している7,11)。HPVチャレンジプログラムの対象となる約2,800種類のHPV(米国の場合は生産・輸入量が年間454トン以上の高分子ではない有機化合物)は、プログラム開始時点で、TSCAインベントリー収載物質の11%、化学物質生産量の95%を占めるが、完全な健康や環境への影響データが存在するのは7%のみとされ、この数字からも、HPVから優先的に有害性評価を行う必要性が明らかである。
ちなみに、日本国内での化学物質製造・輸入量が公表されている1,606物質のうち、798物質が年間1,000トン以上製造・輸入されている(図表4)。有害性評価とリスク評価の促進のためにも、化学物質全体の製造・輸入量の把握と公表が必要である。
2001年2月に欧州委員会より「将来の化学物質政策の戦略」が発表された。この戦略の根底の考え方は、有害性の判らないものは使用しないことである。そのために、(1)新規化学物質と既存化学物質の規制を同一の規則の下で行い(図表2)、(2)安全性の立証責任の所在を加盟国政府から産業界に移行し、化学物質の製造・輸入業者だけでなく使用する業者も担うこととしている。化学物質の管理を政府の一元的管理から、産業界の責任の下に移行する動きも見て取れる7,12)。
この戦略実施のための化学物質管理手法がREACH(Regulation, Evaluation and Authorization of Chemicals)システムである。その特徴は新規・既存の違いを取り払い、(1)企業に化学物質の毒性や人・環境への曝露量などのデータの登録(Registration)と、(2)大量に製造・輸入される化学物質については詳細な有害性の評価(Evaluation)が求められている。また、(3)発がん性や催奇形性など高い有害性をもつ化学物質の使用には認可(Authorization)が必要となり、認可対象の化学物質については代替品が求められ、リスクが極めて小さいことや、代替品が無いことを事業者が証明できない限り、製造・輸入が禁止されることとなっている。
この規制案は現在欧州議会にかけられている。環境中への有害化学物質の放出を防ぐなどの環境対策からは画期的であるが、「産業界に過重な責務と費用を課す」との反対意見も多い。しかし、ヨーロッパ諸国の環境保護の動きが産業政策を動かす力にまで強くなってことにも注目すべきである。
国際的にみても、既存化学物質の有害性評価は十分進んでいない。既存化学物質の有害性データの収集が進まない理由の1つは、毒性試験実施に大きなコストと長い時間がかかることである(注2)。
(注2)28日間反復投与試験は1件750〜950万円の経費と約半年の期間が必要である。また長期にわたる毒性試験にはよりコストが必要であり、例えば、がん原性試験には1件2億円近くの経費と3年余りの期間が必要である。
化学物質を動物に投与しなければ、化学物質の毒性の強弱を評価することは最終的には不可能である。全ての化学物質の有害性を動物実験で評価することは理想であるが、コストと時間に制約がある以上、これもまた不可能である。現在は高生産量化学物質の有害性評価を優先させているが、化学物質による健康影響の発生させないためには、強い毒性を示す可能性がある化学物質を選び出して優先的に毒性試験を実施し、効率的に有害性データを取得すべきである。この優先順位を決めるために、化学物質の毒性を短期間で予測する簡便な方法を開発する必要がある。
また、有害な化学物質の環境への排出を防ぎ、人や野生生物への暴露を防ぐことで、化学物質によるリスクは削減できる。大気や環境水中での検出量や検出例が多い化学物質の有害性評価を、製造・輸入量の多寡によらず実施すべきである。
既存化学物質の有害性評価を加速化するには制度上の工夫も必要である。国内の既存化学物質の有害性評価は自前のデータで行うことになっているが、国際的なHPVプログラムの成果として海外で取得された質のよい有害性データを活用すべきである。また、OECD、EU、米国とわが国の有害性データベースの共有化は進んでいない。各国での既存化学物質の有害性評価加速化のためにも、データベース共有化が必要である。
有害性データ取得の効率化は、既存化学物質対策だけの問題だけではない。今回の「化審法」改正で、製造・輸入量が年間10トン(従来は1トン)以下の化学物質も低生産量新規化学物質として多くの場合毒性試験の必要がなくなった。しかし、新規化学物質には従来からの使用経験が浅い、新しい種類の化学物質が数多く存在する。例えば、指定化学物質に指定されるフッ素化物の種類は近年急速に増加し、従来は年間数件であったものが、平成12年度と13年度を合わせて50件近くに及んだ。今後さらに増加すると予想される新規化学物質対策の一環として、毒性が強いと予測された生産量の少ない新規化学物質についても、必要に応じて自主的取組として有害性評価を行うことが必要であろう。
以下の2つが、毒性予測手法として現在有望と考えられているものである。
7‐1.QSAR(quantitative structure-activity relationship、定量的構造活性相関)
既知の化学物質の毒性強度と化学構造や物理化学的性質との間の相関性をもとに、新規化学物質の毒性を予測する手法である。QSARは米国の有害化学物質規制法(TSCA)では、10年ほど前から生態毒性の予測モデル(ECOSAR)として利用されている。化学物質を59物質群の分類し、logkow(オクタノール/水分配係数、化学物質の疎水性の指標)と毒性(試験生物の50%致死濃度)の間の回帰関数から毒性を予測するものである。
がん原性などの毒性についてもQSARの開発が進められている13)。EUのREACHシステムでも、有害性試験実施促進などの観点からQSARの活用が求められている。
7‐2.トキシコゲノミックス(Toxicogenomics)
DNAマイクロアレイ技術などを用いて毒性を予測する手法である。有害化学物質を動物に投与あるいは培養細胞に暴露すると、その数10,000から20,000と呼ばれる動物の遺伝子は、化学物質特異的に各々の発現レベルが上昇または低下する。この化学物質投与による遺伝子発現プロフィールの変化をデータベース化する。このデータベースを活用し、例えばがん原性のある化学物質の遺伝子発現プロフィールと、がん原性が未知の化学物質の遺伝子発現プロフィールを比較し、未知の化学物質のがん原性を予測する(図表5)。化学物質1種類のがん原性予測に必要な試験期間は動物を用いたがん原性試験の1/10、コストは1/100であり、実用化による毒性試験の効率化が期待されている。
米国では国立保健研究所(NIH)傘下の国立環境健康研究所(National Institute of Environmental Health Sciences)にNational Center for Toxicogenomics(NCT)が2000年9月に創設され、化学物質による網羅的遺伝子発現データベースの構築が開始されている14)。NCTのConcept StatementはNCTの目的を「環境中の化学物質の規制にトキシコゲノミックス技術を利用可能にすること」と記している。わが国では国立医薬品食品衛生研究所や経済産業省のプロジェクトなどを中心にトキシコゲノミックス・プロジェクトが進行している。
これらの手法の5年以内の実用化が望まれる。
次に目指すべき毒性予測手法は次世代影響である。妊娠中に暴露された化学物質が示す催奇形性や胎児の神経系に及ぼす影響は従来から懸念され、環境ホルモン問題も次世代影響の不安が根底にある。しかし今のところ、化学物質が次世代に及ぼす影響は動物投与実験によってしか明らかに出来ない。何らかの毒性予測手法の開発が必要である。
また、化学物質のがん原性を短期間の試験で予測するツールとなりうる遺伝子導入動物の開発も進んでいる。これらの毒性予測手法を新規化学物質や医薬品開発の初期段階に有機的に活用することで、製品の開発を利便性と安全性の両面から検討することが可能になり、より安全な化学物質を利用する道が開かれる。
20世紀に多くの化学物質は創り出された。天然には存在しない化学物質の暴露と体内への蓄積は人類が長い間経験しなかったことであり、その影響に関する知識は不足している。化学物質の毒性メカニズム研究は毒性予測手法開発の基盤として重要である。例えば、化学物質はある一定量以上の暴露により明確な有害作用を発揮すると考えられている。化学物質の有害性に関する定量的な知見を蓄積することで、厳密な意味ではゼロ・リスクは存在しないかもしれないが、実質的に安全域にある暴露レベルを決定できると期待される。国民の安全・安心を図るためにも化学物質の毒性研究を振興する必要がある。
化学物質の有害性評価の現場に立ち会うと、化学物質の物性、毒性、環境動態、リスク削減手法など幅広い知識が必要であることがよく分かる。国際的にみても、REACHシステムでは事業者が有害性評価やリスク評価を実施する責任がより大きくなっており、化学物質の有害性評価やリスク評価の専門家はさらに必要性が増すと思われる。しかしわが国では、有害性評価に必要な専門的知識や技術の教育と研究が、理学部化学科、工学部応用化学系学科、衛生工学系学科、農学部獣医学科、医学部社会医学系、薬学部などで個別に行われ、専門家が育ちにくい状況にある。化学物質の有害性評価やリスク評価・管理に必要な毒性学(Toxicology)や関連領域を専門に教育・研究する大学院課程の設置が必要である。
米国では、すでに80余の大学に毒性学専攻の修士・博士課程大学院が創設され、年間概ね200人がPh.D.を取得している15)。卒業生は大学・研究機関ばかりでなく企業、行政機関やNGOで活動している。米国の社会は毒性学の専門家を必要としている。例えば、米国では国民の知る権利の一環として、事業者が取り扱っている化学物質の危険性や環境への排出量の情報を開示する責任を、わが国に比べて強く求めている。翻って、わが国では毒性学の専門家の数は必ずしも多くない。大学における毒性学やその関連領域の教育・研究も薬学部や医学部の概ね1研究室が行っているのみで、専門課程としての組織的な教育は行われていない。
「リスク評価」という言葉を近頃しばしば耳にする。リスク評価を社会に根付かせるには、リスク評価を適切に行うだけではなく、評価の結果を正確に理解する感覚が社会に醸成される必要がある。リスク評価をわが国で本当に必要と考えるならば、有害性評価の制度整備などばかりでなく、化学物質の有害性やリスク評価に関する知識を社会に広める人材や、事業所などの現場でリスク評価を行う人材も必要である。そのような人材育成の拠点としても毒性学専攻の大学院は重要である。
本稿をまとめるに当たっては独立行政法人国立環境研究所化学物質環境リスク研究センターの各位に情報提供を頂きました。感謝致します。
1) 磯野直秀、化学物質と人間、中央公論社(1975)
2) 環境省、平成11年度土壌汚染調査・対策事例および対応状況に関する調査結果の概要、平成13年3月
3) 蒲生昌志、環境リスクマネージメントハンドブックp. 130、朝倉書店(2003)
4) 五箇公一・浦島邦子、科学技術動向、2004年2月号
5) 経済産業省製造産業局化学物質管理課化学物質安全室、(社)日本化学物質安全情報センター・情報A vol.25 No.11(2003)に収載
6) (社)日本化学物質安全・情報センターホームページ:http://www.jetoc.or.jp/excistinfo.html#
7) 第2回化学物質総合管理政策研究会資料、平成14年5月:http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/kennkyuukai/kennkyuu-kai-top.htm
8) 環境省:http://www.env.go.jp/chemi/seitai-kenko/h13/05/06.pdf
9) OECDホームページ Co-operation in the investigation of existing chemicals:http://www.oecd.org/deapertment/0,2688,en_2649_34379_1_1_1_1_1,00.htmp#top
10) OECD Joint meeting of the chemicals committee and the working party on chemicals, pesticides and biotechnology, 36th joint meeting, Feb. 2004
11)米国環境保護庁ホームページ:http://www.epa.gov/chertk/volchall.htm
12) EUホームページ:http://europa.eu.int./comm/enterprise/chemicals/chempol/whitepaper/reach.htm
13)E.J. Matthews and J.F. Contrera, Reg. Toxicol. Pharmacol. 28, 242‐264(1998)
14) NTCホームページ:http://www.niehs.nih.gov/nct/home/htm