今月の概要


科学技術トピックス

ライフサイエンス分野

[1]脳による食塩摂取行動の制御メカニズムの解明

 ヒトを含む哺乳動物は脳内で体液中の塩濃度を感知することで、水分と塩分の摂取行動を制御している。岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所の野田昌晴教授らは、脳内の塩濃度感知にあずかる部位においてナトリウムイオン(Na+)濃度のセンサーの働きをする分子を明らかにした(Nature Neuroscience 2002年6月号)。この研究は、脳内の塩分濃度モニタリング及び塩分摂取行動の仕組みの解明に重要な一歩を示すもので、塩分の取り過ぎを防止する薬剤の開発に可能性を開くものである。

[2]HIV感染はヘルパーT細胞にアポトーシスではなくネクローシスを引き起こす

 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)はヘルパーT細胞に感染し、細胞死を誘導するが、これがAIDS発症の直接の原因と考えられている。従来、この細胞死はアポトーシス(自死)と信じられてきたが、米国国立衛生研究所(NIH)のM. J. Lenardoらは、HIV感染によるヘルパーT細胞の死は通説であるアポトーシスではなくネクローシス(壊死)であることを明らかにした(Journal of Virology 2002年5月号)。この報告により、AIDS発症研究の方向を一部変更する必要があるかもしれない。

情報通信分野

[1]低消費電力LSIの研究動向

 LSIの消費電力と発熱密度は高性能化、高集積化とともに増加し、限界に達する日も遠くない。そこで、性能を落とさずに消費電力をいかに低減するかが大きな問題である。4月に低消費電力・高性能LSIと、非同期回路に関する国際学会が各々開催されたが、従来からの低消費電力化の研究報告以外で、前者では画像描画に専門化したグラフィックチップの応用を目指す流れが出てきた点、後者では低消費電力が図れる非同期回路のセキュリティ面での優位性が議論された点が新しい動きである。

環境分野

[1]ポリクロロフェノール類を室温で高速分解に成功

 米国カーネギーメロン大学 T. J. Collins教授らは、有機金属触媒の一種であるFe‐テトラアミドキレート錯体触媒と過酸化水素を用い、室温にあたる25℃でポリクロロフェノール類を数分間で酸化させ、無害な物質とCO、CO2に容易に分解する方法を開発した。この方法は、これまでの微生物を用いる手法や化学的な手法に比べると、短時間でしかもより低温で分解できるという優位性がある。こうした触媒技術は、有害化学物質の無毒化に向けて今後、ますます重要になると考えられる。

ナノテク・材料分野

[1]金属表面で有機分子を金属ナノ構造体の鋳型として用いることに成功

 デンマークのAarhus大学 F. Roseiらは、有機分子(芳香族化合物の一種)を金属(銅)表面に吸着させ、それを走査型トンネル電子顕微鏡のプローブ操作により取り除くと、その金属表面に有機分子の形に合致するナノ構造が自ずから形成され、この分子が鋳型に成りうることを報告した(SCIENCE、2002年4月12日号)。今回の成果は、自己組織化を用いたナノスケールでの構造作製法として汎用性を有する可能性があり、新しいプロセスとして今後の展開が期待される。

エネルギー分野

[1]欧米における高温水蒸気改質法による廃棄物からの水素製造技術

 米国で開催された第21回International Conference on Incineration and Thermal Treatment Technologies(焼却と熱処理技術に関する国際会議)において、廃棄物やバイオマスなどの有機物を1000℃程度以上の高い水蒸気と反応させる水蒸気改質技術を用いて、効果的に水素を製造できる技術が発表された。こうした技術については、我が国が世界をリードしている高温空気燃焼技術で養ってきた高温熱交換の技術を適用することによって、経済性の問題を克服できる可能性が十分にある。

製造技術分野

[1]ポリエチレン原料用1‐ヘキセンの選択的合成法の開発

 ポリエチレンは工業上、重要な原料である。ポリエチレンの中で低密度ポリエチレンはわが国でも年間180万tも生産されており、この製造においては、安価でしかも高純度な原料である「1‐ヘキセン」の入手が重要な因子となっている。このほど、英国のBP社のD. F. Wass他は、改良を加えたクロム錯体触媒および活性化剤と、メチルアルミノキサンを添加した触媒系を用いることによって、選択的に純度がほぼ100%の1‐ヘキセンを合成する方法を開発した。

社会基盤分野

[1]鉄道の自動運転に関する標準化の動向

 国際電気標準会議において鉄道の自動運転に関する規格作成を担当する鉄道委員会(IEC TC9 WG39 AUGT)が、去る5月東京で開催された。国際標準化に関しては、ヨーロッパ標準を国際標準にしようという動きが活発で、規格案の作成に当初から日本が参加している本委員会でさえも、ヨーロッパの積極的な提案で日本側は防戦一方であった。今後、欧米と日本の鉄道の安全に対する基本的な考え方の差を十分議論し、各々の自動運転システムの特徴に配慮した規格化への努力が必要である。

フロンティア分野

[1]ユニークな観測衛星GRACE打ち上げられる

 本年3月17日、米国NASAと独DLRが開発した科学調査衛星GRACE(Gravity Recovery And Climate Experiment)がロシアの射場より打ち上げられた。この衛星は、双子の衛星で構成され、地球の重力による双方の距離の変化を精密に測ることで重力分布を観測する点や、打ち上げをロシアの大陸間弾道ミサイルを改良した小型ロケット「ロコト」により行ない、通常の大型ロケットを利用した場合より大幅にコストを削減した点などがユニークである。

[2]火星隕石中に発見された生命の痕跡を巡る議論 ―第33回月惑星科学会議より―

 惑星科学分野の世界最大の会合、月惑星科学会議(第33回)が、3月に米国Houstonで開催された。今回の会議では、火星に関するセッションが多くを占め、とりわけ火星隕石の生命の存在に関する特別のセッションが設けられるなど、このテーマへの関心の高さが伺えた。特筆すべきは火星隕石中の生命の痕跡として残されていた磁鉄鉱が生物起源のものであるか否かで真っ向から見解を異にする報告があり、議論が盛り上がった点である。

特集[1] 分子植物科学の動向

 分子植物科学は、植物の遺伝子の機能に着目して、植物の形態や代謝の仕組みを理解することを目指した科学である。この領域は、総合科学技術会議が2001年9月に決定した分野別推進戦略において重点領域の一つに挙げられている。

 近年、分子植物科学研究においては、シロイヌナズナやイネなどモデル植物のゲノム全塩基配列解読に伴い、遺伝子の機能解明に必要な研究基盤が格段に充実してきている。こうした研究基盤の充実に伴い、商用作物を含めた植物の遺伝子の機能解明が今後大幅に効率化し、有用遺伝子の機能解明に係る国際競争が一層厳しくなってくることが推測できる。

 したがって、今後の分子植物科学の推進にあたっては、我が国の植物・農業研究に関わる研究勢力を有効に活用しつつ、有用遺伝子の機能解明に向けた取組を一層強化することが重要であり、

(1)食料・環境問題など地球規模での課題解決に寄与するような植物を開発するには、植物の代謝やシグナル伝達などの基本的な機能に関わる多数の遺伝子を詳細に解析することが不可欠であり、モデル植物を活用して、高等植物の分子レベルでの理解を一層深めていく必要があること

(2)植物においては動物に比べて遺伝子操作した個体が容易に得られることなどから、遺伝子の機能解明に向けて、ヒトにおけるポストゲノム研究とは異なった研究アプローチが可能であり、この際、農業試験場等の生理・生態研究部門との連携により、有用遺伝子の機能解明を効率的に行うことが期待されること

(3)大規模研究プロジェクトにおいては、全ゲノム等を対象とした網羅的な研究から得られた情報・遺伝資源を、大学等の個々の研究者に円滑に提供することが求められること

 などに十分配慮して、研究を推進していく必要がある。

特集[2] ブロードバンド時代におけるデジタルコンテンツ流通と著作権管理技術

 デジタル技術の発達、パソコンの高性能化と急速な普及により、様々なコンテンツがデジタル化され、これらデジタルコンテンツがインターネットなどのネットワーク上で広く流通している。さらにADSLに代表されるインターネットアクセス回線のブロードバンド化により、従来より飛躍的に大データ量、高品質のデジタルコンテンツをネットワーク上で流通させることが現実になりつつなる。その一方で、違法コピーがネットワーク上で大量に流通するようになり、これらデジタルコンテンツの著作権を管理する技術の重要性が高まっている。

 このような要求に対応して、ネットワークでの配信からユーザ端末での再生、コピーまでを管理し、違法コピーの流通、利用の防止を行う、総合的な著作権管理技術が開発・実用化されつつある。このような技術はDRM(デジタル著作権管理システム)と呼ばれ、その主要な要素技術は、コンテンツの暗号化による保護と、電子透かしによるコンテンツへのID付与や違法コピーの識別である。しかし、各DRM間の互換性や標準化の点で問題も多い。同時に、ネットワーク上でのデジタルコンテンツ流通に対応した新しい流通システムの開発、著作権法の整備も必要である。現在、WIPO(世界知的所有権機関)で採択された「WIPO著作権条約」及び「WIPO実演・レコード条約」に対応した国内法の整備が各国で進められているが、国際的な協調という点ではまだ十分ではない。

 これからも新しい技術の出現に伴い、コンテンツの流通、利用の形態は変化し続けると考えられる。ユーザの利便性と著作権の保護が両立するようなバランスの取れた著作権管理技術が普及することを期待したい。

特集[3] CO2地中貯留技術を中心とした 地球温暖化対策技術の開発動向

 わが国は京都議定書を批准し、温室効果ガス削減の義務を負うことになった。しかしながら、わが国のエネルギー利用効率は既に世界最高水準であり、省エネルギー対策による温室効果ガスの削減には限度がある。また、自然エネルギーや原子力の利用の拡大が難しい現状では、向こう10〜20年程度の期間を見越した場合、温室効果ガスを削減する手段として、火力発電所等の排ガス中のCO2を回収し、これを地下帯水層等に貯留するCO2地中貯留技術の研究開発に取組むことが重要であると考えられる。

 わが国においても本技術に関する各種の研究開発が実施されている。ただ、要素技術として優れたものが開発されているものの、環境影響・経済性に見合うシステムは見出せていない。しかしながら、最近では、炭層中にCO2を圧入して、元来吸着していたメタンをCO2と置換し、メタンガスを回収するといった新たな技術(CBM技術)も見出されている。この技術は、既存の石油生産技術の応用であり、技術的に比較的容易に実現可能である上、国内でのCO2削減ポテンシャルと導入可能性の双方からも期待できる。さらに、世界的に見ても石炭はその埋蔵量の多さから、途上国を含め、本技術の適用の可能性は高い。

 こうした状況を踏まえ、向こう10〜20年程度の期間を見越した、排出されたCO2の削減技術に関する研究開発は、以下の点を重視して研究を進めることが肝要であろう。

(1)研究開発プロジェクトの計画段階から、システムとしての実用性の評価を含む開発の道筋を明確にし、さらにエネルギー政策も勘案しながら研究開発を推進すること

(2)海外での適用も期待される研究開発(CBM技術等)は、関係諸国との積極的な研究交流を図り、技術の汎用性(国際標準化の先導や海外での適用)を視野に入れた総合的な研究開発を推進すること