2.特集 環境中の微量有害物質の計測に関する動向

環境・エネルギーユニット  高野 潤一郎

2.1 はじめに                        

 1950年代から1970年代にかけて、水俣病などの公害問題として深刻な様相を呈した環境汚染は、局地的に蓄積された有機水銀等の限られた物質が原因であった。しかし、今、我々が直面しつつある環境汚染は、広範囲にわたり微量に存在する多様な有害物質(例えばノニルフェノールやダイオキシン類などの内分泌攪乱化学物質)によって引き起こされている。
 このような"微量有害物質"の計測は、現在のところ物理的・化学的手法が主流であるが、環境計測の手法としては必ずしも十分ではない。そこで、最近、これを補完するものとして"生物学的手法を用いた環境計測"について関心が高まっており、様々な研究開発への取り組みが始まっている。
 本稿では、こうした物理的・化学的手法、生物学的手法を用いた微量有害物質の計測に関する最近の動向について解説する。

2.2 物理的・化学的手法を用いた環境計測 

 物理的・化学的手法を用いた環境計測には、ガスクロマトグラフィー/質量分析法(GC/MS)や高速液体クロマトグラフィー/質量分析法(LC/MS)があるが、以下ではGC/MSを取り上げ環境計測における現状で問題点を指摘したい。

2.2.1  GC/MSによる計測

 GC/MSとは、夾雑物(計測対象以外の余分な物)を含む試料から計測対象物質を高分離能で分離するガスクロマトグラフィー(GC)と、化合物を高感度で同定する質量分析計(MS)の2つの装置から構成されるシステムを用いる分析法である。通常は、有機化合物の分離や定性、定量分析に用いられ、極めて高い精度で計測対象物質の質量を計測できる。
 ところで、微量有害物質の計測では、GC/MSにはどの程度の精度が要求されるのであろうか。例えば、毒性の強いダイオキシン類については、わが国では1999年に日本工業規格(JIS)において検出下限が以下のように定められている。
 それによると、四塩素化物及び五塩素化物で0.1 pg(ピコ・グラム、1兆分の1グラム)、六塩素化物及び七塩素化物で0.2 pg、八塩素化物で0.5 pg、コプラナーPCBは0.2 pgとなっており@、極めて微量な設定となっている。
 なお、環境中におけるこれらの物質の存在量についての指標は濃度(水1g中に含まれる計測対象物質の質量に換算 単位はppt:1/1兆、ppb:1/10億、ppm:1/100万)で示される。

2.2.2  GC/MSによる計測の問題点

 環境中の微量有害物質を計測するために物理的・化学的手法を用いる場合には、試料中から計測対象物質を選択(抽出、精製等)するといった"前処理"が必要となり、通常の物質を計測するよりプロセスが繁雑となる。
 上記のようにダイオキシン類の計測ではpptレベル精度が要求されるため、精度の高い計測装置(1億円程度と高額)を用い、しかも前処理にも時間がかかる。ちなみに、専門機関へ計測を依頼すると、1試料の計測に20万円程度の費用と1〜2週間の時間が必要となる。また、本来は、試料採取場所以外での計測対象物質の混入などを防ぐためには、その場での計測が望ましいが、装置が大型のため実現は難しい。
 以上のような点から、工場等における継続的かつ頻繁な計測や広域における多くの観測地点での計測は難しい。

2.3 生物学的手法を用いた環境計測    

 最近、物理的・化学的手法の限界を補うものとして、生物学的手法を用いた環境計測が注目されている。
 生物学的手法を用いた環境計測は以下の3つに集約される。

 ○生物個体を利用する手法
 ○生体物質を利用する手法
 ○遺伝子組換え生物を利用する手法

2.3.1 生物個体を利用する手法

 動物や植物の個体や個体群を用い、それらの変化から微量有害物質の影響や毒性の程度を計測するものである。
 例えば、内分泌攪乱化学物質の計測では、マウスやメダカをいくつかのグループに分け、異なる濃度の計測対象物質を投与し続ける、あるいはそれが存在する環境で数ヶ月間に渡って飼育しながら、個体の精巣や卵巣といった器官や組織の変化を観察する。
 定量という点で、影響等が顕在化する目安となる量は計測できるが精密に行うには限界がある。また、数週間から場合によっては数年といった長い時間を要する。しかし、前節で述べた物理的・化学的手法では不可能である、生体に対する毒性の有無や具体的な影響が比較的、容易に計測できる。この意味で、この手法は環境計測の中では"毒性の判定"に向いている。

2.3.2 生体物質を利用する手法

 ここでは、生体内で生成されるレセプター(受容体)や抗体を生体物質という。この手法は、こうした生体物質を組み込んだシステム、すなわち"バイオセンサー"を用いて計測するものである。
 以下にレセプターと抗体を用いたバイオセンサーを各々紹介する。

(1)レセプターを利用したバイオセンサー

 九州大学大学院工学研究院の村田正治氏は、内分泌攪乱化学物質を30秒から1分程度の短時間で計測できる小型バイオセンサーを開発した。
 このセンサーは、女性ホルモン(エストロジェン)レセプター(受容体)を電極上に固定化した構造を持ち、測定溶液中に女性ホルモンに類似した内分泌攪乱化学物質が存在すると、電極上のレセプターの立体構造が大きく変化する。この結果、測定溶液中を流れる電流が変化し、この変化量を検知することにより濃度を短時間で正確に計測できる。この原理を用いれば、適切なレセプターを見つけ、女性ホルモン以外の内分泌攪乱化学物質を測定することが可能である。

(2)抗原抗体反応を利用したバイオセンサー

 財団法人電力中央研究所我孫子研究所の大村直也氏は、抗原抗体反応を利用して数種類の極めて微量の女性ホルモンやPCB等を高感度に計測できる簡易なバイオセンサーを開発した。
 直径約100μm程度のプラスティックス球に計測対象物質となる抗原を吸着させ計測装置に入れておく。そして蛍光色素をつけた抗体と試料を混ぜた試験水を計測装置に流す。試験水中に抗原がない場合には、試験水に混ぜた蛍光色素をつけた抗体は全てプラスティックス球上の抗原と結合して固定化されるため、プラスティックス球に光を当てると強く発光する。一方、試験水中に抗原がある場合には、蛍光色素つき抗体と試料中の抗原が結合するため、プラスティックス球上の抗原との結合は少なくなり発光強度は弱まる。試験水中に抗原がある場合とない場合の発光量の差から試料中の抗原の量を計測する。女性ホルモンの一つであるエストラジオール(E2)の場合には、1〜100pptの範囲で計測可能であり、計測に要する時間は10分程度である。
 同研究所は、今年度中に縦横が30cm程度の携帯用簡易測定装置を開発する予定である。

2.3.3 遺伝子組換え生物を利用する手法

 この手法は、特定の微量有害物質を生体内に取り込んだとき、それと特異な反応を示す遺伝子を組み込んだ生物により計測するものである。このような遺伝子は、物質の影響を教えるという意味で"レポーター遺伝子"といい、組み込まれた生物を"レポーター生物"という。例えば、特定のホルモンやそれに類似の物質が存在すると発色や発光する酵母が知られている。
 以下にレポーター植物の研究例を紹介する。

 北海道大学大学院地球環境科学研究科の山崎健一氏らは、水中あるいは土壌中の内分泌攪乱化学物質をモニターすることのできる遺伝子組換え植物の創製に取り組んでいる。
 具体的には、この植物には遺伝子操作により、女性ホルモン受容体の遺伝子と、女性ホルモンによって発現が誘導されるタンパク質を蛍光タンパク質に置き換えた遺伝子とが組み込まれている。この結果、遺伝子組換え植物が、女性ホルモン受容体を活性化させる内分泌攪乱化学物質を吸収すると、その植物体内に蛍光タンパク質が生じる。
 そして、植物に青色光を照射して出てくる緑色の蛍光の強度を測定することにより、蛍光タンパク質の量を比較的簡単に調べることができる。内分泌攪乱化学物質が多くなれば蛍光タンパク質量も増加するので、植物体の蛍光強度からその量を推定することも可能であると考えられている。

2.4 環境計測の方向性       

 これまでに述べた物理的・化学的手法と3つの生物学的手法の各々について、"環境中の物質量の計測"と"生体への作用量の計測"、さらに"計測における簡便性(時間、費用、測定する場所の選択)"について比較すると図表1のようになる。ここで、"生体への作用量"とは、生体内の特定の部位(レセプターや抗体など)と結合した物質の量を指している。これを比較の軸としたのは、環境中にいかに多量の物質があっても、それが生体と作用しない限り影響はないと考えられ、その作用量の計測が環境計測では重要とされるからである。

図表1 環境計測手法の比較

環境計測手法 環境中の物質量の計測 生体への作用量計測 簡便性
物理的・化学的 手法
(ppq可能)
×
生物個体を 利用する手法 ×
生体物質を 利用する手法
(ppt可能)
遺伝子組換え生物を利用する 手法

(◎:最適、○:適、△:部分的であれば適、×:不適)
(科学技術動向研究センターで作成)

 物理的・化学的手法は試料中の微量有害物質を極めて高い精度で計測できる。2000年12月には、国内の電子計測機器メーカーが1分以内に1 ppq(1000兆分の1)レベルでダイオキシン類濃度を計測可能な装置を開発している。
 しかし、前処理が必要なこと、装置に可搬性がない点で簡便性に欠ける。また、いかに微量の計測が可能でも、その結果をもって生体への作用量や影響を知ることはできない。現在、簡便な前処理や計測装置の低コスト化を目指した研究、車載型の計測システムの開発などが進められている。
 生物個体を利用する手法は、微量有害物質の影響の現れるおおよその物質量を計測でき、また具体的な影響を観察することができる。しかし、実験室で計測する環境(飼育条件)を一定にし、長期にわたり継続する点で簡便性に欠ける。現在は、個々の微量有害物質について個別に計測するしかないが、複数の物質による影響を同時に計測する手法の確立を目指す動きもある。
 生体物質を用いる手法では、計測はコンパクトなセンサーにより行う。精度は高く(pptレベル)、計測時間も短い上、可搬性があり、コストも安い。ただし、計測に利用できる生体物質は現在のところ限られており、また、作用部位を持った物質であれば、全て計測の対象となる点で留意が必要である。今後は、センサーとして利用できる抗体等を整備することが研究開発の主眼となろう。
 遺伝子組換え生物を利用する手法では、計測対象の水、土等を用いてレポーター植物を栽培すれば計測できるため簡便な手法といえる。ただし、生体物質を用いる手法と同じように、今のところ計測に利用できる遺伝子が限られている。将来、この手法の開発が進めば、レポーター生物を広範な地域に分布させておき、長期にわたり環境の定点観測を行うことが可能となるであろう。

 微量有害物質の物質量の計測への適合性と、生体への作用量の計測への適合性について、4つの環境計測手法をマッピングしたものが次ページの図表2である。
 図表2(a)に示すように、従来の環境計測に関する構造は、物質量の計測については物理的・化学的手法が担い、生体への作用量については、その目安が判る程度の精度で生物個体を利用する手法が担っていた。それが、生物学的手法の強化により、現状と今後の方向は図表2(b)に示すように変わっている。すなわち、生体への作用量の計測が充実する方向にあることが看取できる。また、物理・化学的手法も精度が向上しており、生物個体を利用する手法も図表中に示した矢印の方向へ進展している。

図表2 環境計測・評価法の分類(計測・評価対象)

図表2 環境計測・評価法の分類(計測・評価対象)

2.5 おわりに     

 生体物質、遺伝子組換え生物を利用した生物学的手法については、研究開発が始まったばかりである。こうした手法を実現し、環境計測を多様にするために、以下のような取り組みが必要と考えられる。
 通常、抗体の作製までに数ヶ月を要し、また、動物に対して毒性をもたらす物質の抗体の作製は困難である。そこで、この頒布や作製の支援を行い、センサー等に利用できる抗体等の生体物質の研究開発の基盤となるような仕組みが必要であろう。
 また、開発された新たな手法の信頼性について検証を進め、適切な場合には計測方法としての公的な保証を与えることも、技術を普及させる上で欠かせないであろう。

 昨年3月に「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」が施行され、環境の保全上の支障を未然に防止するため、化学物質の管理が強化された。また、同法では、指定された化学物質の人の健康や動植物への影響に関する科学的知見を得るための調査を総合的に進めることが国の責務として明確に規定された。
 これらを受け、今後は、本稿で例示した微量有害物質を含め、化学物質の環境における動態のモニタリングや、人および生態系への影響の評価が、より精緻に、かつ簡便に行なわれることが必要となってきている。
 従って、生物学的手法による環境計測技術の研究開発を進めることで計測の手段を多様にするとともに、物理的・化学的手法の向上を進め、両者を適切に組み合わせた効果的な環境計測を実現していくことが望まれる。

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注)
@JIS K0311 「排ガス中のダイオキシン類及びコプラナーPCBの測定方法」およびJIS K0312 「工業用水・工場排水中のダイオキシン類及びコプラナーPCBの測定方法」より。